コブシと呼ばれた男が二人を呼びに行ってから、少なくとも30分は掛かっただろう。乱れた服を直しながら階段を降りるフィーゴと、彼の後をぎこちない動きで続くミシェリアを、コブシと、もう一人の男が眺めていた。
ほっそりとした体躯の三人と異なり、横に大きな男だ。
あまり似合っていない赤い髪を、片方だけ編み込んでいる。
ふっくらと、柔らかな印象を受ける顔。戦いとは無縁であることを望んでいそうな顔も、周りと比べて浮いていた。
「やぁ、フィーゴ。それと、ミシェリア。相変わらず、二人は仲がいいなぁ。」
「よせよ、グランディ。コイツが勝手につきまとってるだけだ。」
この男はグランディという名のようだ。
フィーゴとは対称的なゆっくりとした口調で、温和、友好的な人格を、声だけで表していた。
そんなグランディにフィーゴは、やはり不機嫌そうに返事をする。
ミシェリアと男女の関係を築いていても、仲が良いと思われるのは癪に障るらしい。
「つきまとっているだけにしては、さっきまで盛り上がっていたじゃないか。仲がいいと言うより、"愛しあってる"のほうがしっくりくるね。」
と、すかさず茶々を入れたのはコブシ。
唯一残っている腕で眼鏡をかけ直して、からかうように笑いかけた。
「…殺されたいか?お前。」
「よさないか。殺すのは、あの少年だけにしておこうじゃあないかね。身内同士の喧嘩ほど、つまらないものはないと思うがね。」
「うるせぇ。人が戦力を少しでも削ろうとしてる横で、それを無駄にするような真似しやがる奴に、嫌味言われるとムカつくんだよ。」
「嫌味のつもりはないんだがねぇ…むしろ、羨んでいるんだよ。」
「それを嫌味だって言ってんだよ!」
バァン、
という、鈍い音が、広い部屋の静寂を裂いた。
机に置かれた燭台が2度、3度と大きく揺れ、また直立する。それを見て慌てたグランディが、胸を撫で下ろした。コブシとフィーゴとの間より、燭台が倒れて火事になることを心配しているようだ。
このやり取りも、日常茶飯事なのかもしれない。グランディだけでなく、ミシェリアにも二人を気にかけてる様子はない。むしろ、フィーゴを擁護しているようで、コブシに乗じて囃し立て、フィーゴのストレスを加速させている。
「お止めない、息子達よ。」
机の向こうから、若い女の声がした。4人一同が声の方へ向くと同時に、ひとりでに奥の燭台に火が灯された。
ゆらゆらと揺らめく灯の向こうで、ウェーブのかかったブロンドが、黒いカクテルドレスの奥で揺蕩っている。女の右手には木製の杖が握られ、その姿はツバの広い三角帽も相まって、テンプレート的な魔女を思わせる。
「ハァ…クソ…熱くなりすぎた。悪い。」
「なに、些か僕も言い過ぎたようだ。気を悪くしたようですまない。」
その女の一言で、コブシとフィーゴの両者が、互いに謝罪の言葉を述べた。もっとも、フィーゴは声を尖らせたままで、嫌々ながら謝っているのは明らかなのだが。
一悶着を経て、ようやく皆が席についた。
「愛しき我が子達よ。古からの悲願達成を妨げる者が増えたことは、知っているかしら?」
「ああ。だが名前は分からねえし、外見も知らねぇ。どんなガキなのかはミシェリアとコブシなら分かるはずだ。」
女の問いかけに、真っ先に答えたのはフィーゴだ。その言葉のあとにすぐ、フィーゴがコブシに視線を送る。説明して欲しい、と頼まれたのを察したコブシだが、彼が口を開く前に、ミシェリアが立ち上がって発言した。
「えーっと…ちっこいの!」
「ミシェリア…ちっこいだけじゃあ分からないよ。」
「何でだよぉ!ちっこいのったら、ちっこいのだろ?」
「ミシェリア、お前黙ってろ。」
フィーゴに制されたミシェリアは頬を膨らませながら、また席に座る。今度こそ、コブシが話題の人物について説明を始めた。
「名前は分からないが…年齢は10代前半。身長134cm、白髪の少年だ。計ったわけでもないから、もっと大きいかもしれないがね。僕が見た時、稽古で付いたという痣が、いくつか見られた。しばらくは戦力に数えなくてもいいだろう。」
「子供…ねぇ。年端のいかない子を殺そうとするなんて、穏やかじゃあないし、君らしくもないね?フィーゴ。」
「敵は減らした方がいい。それに…」
グランディの投げ掛けた言葉に、フィーゴは一度口をつぐむ。何やら彼にとって最悪な、しかし想像し難い光景が、彼の脳裏に浮かんでいるようだ。
「…なんか嫌な予感がするんだ。コブシが茶々入れたせいで、俺らに大きな被害を受けるんじゃあねえかって…」
「確かに筋は悪くないが…そう早く成長するほど、人間はせっかちではないよ。」
「人間なら、だろ?相手は夢魔だぞ。」
「夢魔だね。身体能力は高いとはいえ、それと学習能力が比例するとは限らないんじゃあないか?確かに彼らは強いが、永劫とも呼べる時間を経て、今に至るんだ。僕には学習能力は変わらないどころか、むしろ人間よりも劣ってるようにも思えるがね。」
「そうだよ。所詮はゴミ共に肩入れする
考え過ぎ。
それで済む話なら、身内以外の相手に対して然程敵意を剥き出したりはしないフィーゴが、幼気な少年の排除を提案することはないだろう。
呆れるほどの危機感の無さに、フィーゴの腹の虫は収まるどころか、暴れる勢いを増していくばかりだ。
その虫を黙らせるべく、フィーゴは懐から一本の葉巻──紙巻よりも太いが短く、金管のような形をした──を取り出して、蝋燭の先にかざし、炙るように火をつける。
甘味を含む紫煙をスパッスパッと吐き出すフィーゴを前に、グランディが難色を示した
「フィーゴ。お母さんの前なんだからさぁ、あまりタバコ吸うのは…」
「うるせえ。こっちはお前らの危機感の無さに、イライラしてんだ。煙いのが嫌なら出てけってんだ。」
「煙いのは気にならないんだけどさぁ…あの、ほら、失礼じゃん?」
知るか。とでも言うように、フィーゴはそっぼを向く。無礼と咎めるのはグランディだけで、他は彼の喫煙について全く気にしていないようだ。当の女も含めて、だ。
「とにかく、俺はなるべく早く、そのガキを殺すべきだと思っている。その為にも…お母さん、もう少し強い兵隊を出せないか?」
「あー!それ、オレ様ちゃんも思った!」
と、ミシェリアが身を乗り出して続く
「なんか最初見たときより、武器もデカくなってるし。統制が取れてるってのかなー。いつまでも小出ししてると、様子見の間に手が付けられなくなるんじゃない?そうなったらオレ様ちゃんの出番だけどさー!」
「あのな…俺はガキの事言ってるんであって…」
「ミシェリア。まだ、貴女が出るまでもないわ。」
女の一声で、一度は嬉々としていたミシェリアは不貞腐れたように座り直す。単純で、安定しない機嫌だ。
「そうね…貴方達の意見はごもっともだわ。人間と変わらないならこれくらいで…と思っていたけど、もうちょっと強い
「つまり…出すの?
「心配しないで、グランディ。あれらは役に立ってくれる筈よ。」
より強い"
件の少年に関する話題は解決していないようにも思えるが、それに任せてしまおうという考えなのだろう。夢魔とはいえ、現段階では、あまり人間と変わりないのだから。
皆が居間を後にする中、ミシェリアが一人振り返り、女にこう問いかけた。
「ねぇ、お母さん。どうしてこうも、遠回しなことするの?正直、オレ様ちゃん一人でも、あんな街なンて簡単にぶっ壊せるよ?」
「それはね、お母さんは…まだ力を取り戻せていないの。より強い力を得るため、練習を兼ねて
「それと?」
ここまで説明した女は、一度話を切り、ミシェリアの方へ歩いた。浮遊していると錯覚するような、静かで身の振りの少ない動きだ。目立つ動きといえば、時より揺れる衣類と、やや豊満な乳房ぐらいだ。
女がミシェリアの前に立つ。香水にしては儚く、燻されたような香りが、鼻腔を擽る。その香りを纏う、真珠のように白い女の腕がミシェリアのフードを除けて、くしゃくしゃで汗ばんだ髪を、優しく撫でた
「お母さんの、大切な可愛い娘に、そんな大変で危ないことは命じられないわ。これはミシェリアだけじゃなくて、コブシもグランディも、フィーゴも一緒。危険を被るのは、お母さんだけでいいわ。」
「…
「当たり前じゃない。
頭を撫でられながら、ミシェリアは照れくさそうに笑う。その照れを隠すようにフードを被り直すと、ペタペタと部屋を出た。
「…自分の子供が嫌いな母親なんていない…」
ミシェリアが部屋から出たところで、女はすぐ側の扉を開いた。
その向こうでは、風にざわめく木々達の向こうで、町の灯りが輝いている。取り分け目立つのは、町の中でも最も高くそびえ立つ建物。頂点で照らされている十字架が、離れた館からもはっきりと見える。
いつの間にか、ミシェリアに見せていた温和な雰囲気は消え、代わりに視界の先へと向けられた嫌悪感が、女を包んでいた。
「…だから私は、この町が嫌いなの。だから私は、この町を消したいの。」