※この作品はR-18です。

夢魔に、そして人外に輪舞曲を   作:redStrange

30 / 43
22話 夢の続き

「目ぇ…覚ましたようッスね。」

 

 再び目を開いた先にいたのは、巨大な女であった。

 豊かに実った乳房で膨らんでいるタンクトップからは、幹のような太い腕、割れた腹がはみ出ている。

 加えて、紋章にも見える刺青が、日に焼けた肌も相まって目立つ女だった。

 女の顔を見た。

 赤と黒、2色に分かれた髪の下で、快活に輝く緑の瞳が、アキを眺めている。

 

「…あの…あなたは…?」

 

「あれ、教会とかで会ったような気もするんスけど…覚えてないッスか?」

 

 まだ銅鑼が響くように痛む頭で、思い返してみる。

 そう言われると、リリィと会ったあの日、道すがらこの女とも挨拶を交わしたような気もした。

 …いや、初めて会ったのは、さらに前。怒りに任せて暴れていた自分を止めてくれたのは、この女だ。

 

「そういや、自己紹介がまだだったッスね。おれのことはアッシュと呼んで欲しいッス。…ああ、君の名前がアキってのはリオスさんから聞いたんで、大丈夫ッスよ。」

 

 アッシュと名乗った女の口から出た名前に、ハッとした様子で周囲に視線をやる。今いるのは、見慣れた自分の部屋だ。

 夢魔であるセレネやリオス、スピカ以外の者が、館に来ているのも初めて見る。彼女も夢魔なのだろうか。この館に足を踏み入れ、見えない筈のリオスとの対話ができるのを考えると、少なくとも普通の人間とは違うのかもしれない。

 

「あ…アッシュさん…僕…いつからここに…?」

 

「二週間前ッスかね。それまでは、死んだようにぐぅーっすり寝てたッス。」

 

 あの"熊"に殺されかけてから、それだけ経ったのか。思った以上に早く経過した時間に、アキは驚きを隠せない。何より、それだけの日が経っているのにも関わらず、この部屋に着く前から全く痛みが引いていないことが大きかった。

 

「スピカさんには、感謝することッスね。二週間の間、ずっと看病していたのは、あの子なんスから。顔見せに来たら、労いの言葉でもかけるべきッス。」

 

 自分の体を見回す。

 確かに、あちらこちらに包帯が、丁寧に巻かれている。

 花畑に足を踏み入れかけるほどの傷を負ったはずだが、止血も包帯の交換も、全てスピカが一人でやってくれたのだ。それも、目が見えない状態で。

 彼女にはこの上ない借りができてしまったようだ。

 

 んじゃあ、と部屋の後にしたアッシュを見届けるアキに、一つの疑問が生まれた。

 そういえば、スピカの姿が見えない。いつもなら、アキが眠っているときはスピカが起こしてくれるのだが。

 おそらく、他の家事で手一杯なのだろう。女中はスピカしかいない上、今の彼女は目が見えない分、作業にも時間がかかるはずだ。手伝おうにも、身動ぎするだけでも身体が悲鳴を上げてしまう。

 まずは、体を休ませることが先決だ。今の状態で助けに行っても、逆に足を引っ張るだけだろう。

 アキの体が、また雲のようなシーツに預けられた。そのまま寝息を立てるまで、全く時間をかけなかった。

 

* * *

 

 相変わらず、気持ちの悪い夢だ。

 ドロドロのしたタールが、アキの首筋にまで登ってきている。

 痛むはずの腹から叫んでも、何も聴こえてこない。ただ、自分ではない"アキ"の嘲笑が、豆腐の中身を思わせる部屋に響くだけだ。

 怪物の気配には慣れても、より数多く経験している筈の夢には、未だに慣れずにいた。そんなアキでも、この先のことはさすがに読めていた。

 そろそろ、このタールに飲み込まれる。その寸前に、目が覚める。普段なら、決まってそのような展開になる。

 だが、アキの思惑に反して、タールはあっさりと引いていった。

 剥がれるように、体から離れ、床へと収束していく。

 明らかに、いつもの夢とは異なっていた。

 普段とは違う展開に、困惑の色を隠せない。軽い混乱の様子を見せるアキの前で、部屋を満たしていたタールが一点に集中する。

 ついには、あの黒い液体は一つのシミとなった。床と壁とな境目も分からないほど白い部屋の中の出来事だ。意識せずとも、それが目についてしまう。

 不快感から解放され、ようやく安堵の表情が浮かぶ。ところが、アキにはホッと一息つくだけの時間しか安寧を与えなかった。

 シミが僅かに盛り上がったと思えば、驚くべき早さで隆起し始めた。

 

 始めは、バスケットボールほどの。人の顔程の球体を成した。

 その球体の真下に一本の短い支柱が生え、少し伸びたところで、柱は肥大した。

 球体を顔と見立れば、腕も脚もない真っ黒のマネキンのように見えた。

 アキの胸囲までに膨らんだそこから、さらに棒状の物が4本、左右対象にはえる。

 

ー未完成のマネキン?違う。これは、人体だ。それも、僕と同じ背丈の、体格の。

 

ー僕を、あのタールみたいなもので形成されている?

 

 その通りであった。

 四肢のように伸びた4本の棒が、ちょうどアキの腕、脚と同じ長さになったところで、ピタりと止まったのだ。

 膨張すら止めてしまったそれは、頭部、首、胸、腰、四肢を、寸分違わぬ精度でアキの形を成している。

 

ー気味が悪い。

 

 青ざめた顔で、"早く醒めてくれ"と、今まで以上に念じる。そんなアキを嘲るかのように、のっぺらぼうの顔に半月状の亀裂が入った。

 

* * *

 

 ようやく、現実(こちら)に戻った。あの夢から逃れようと、跳ぶようにベッドから転がり落ちる。

 頭が痛い。眠りに落ちる前よりも悪化している気がする。

 気持ちが悪い。胃の中の物だけでなく、内臓すら吐き出してしまいそう。

 寒気がする。冷凍庫に放り込まれたみたい。

 朦朧とした意識の中で、自身の体調を確認する。とにかく、最悪だ。不快感が痛みを遥かに上回って、アキを支配している。一応、壁を伝えば立てるほどには、回復はしている。

 壁に体重の半分以上を預けたまま、ヨタヨタと歩き出した。

 

ーあれ?どこへ歩いているんだろう?

 

 とにかく、今は眠っていたい気分ではなかった。あのような不気味な夢は、二度と見たくないのだ。

 

ーまぁ、スピカさんに会いに行こう。多分、今の気分を楽にしてくれる薬か何かあるはず。…夢魔に効く薬なんて、あるのか知らないけど。

 

 慌てて探したような理由で、今更ながら目的地を決めた。それだけ、不安定な意識であった。

 壁を這い、幾度か躓き、意識を失いかけ、嘔吐感や頭痛に耐えながら、先が見えづらい廊下を進んでいく。

 そうしていくうちに、向こうで誰かが一室に入っていく姿が見えた。

 

ーあ…スピカさん。

 

 この屋敷を歩き回る人物は、彼女しかいない。セレネやリオスは、基本的に自室に籠っている筈だ。バタンと音を立てて閉まったドアを目指して、全身に力を込める。数十歩だけの距離が、地平線の先にまで感じられた。

 目的地はすぐそこだ。そう言い聞かせて、躯を引きずっていく。

 普段なら5秒もかからない廊下を渡るのに、十数分もかかった。ドアノブに残り少ない力を込めて、ひねる。そのせいで、ドアを開ける拍子に床へと倒れ伏してしまった。

 

「どな…アキ様!?」

 

 スピカが振り向いたと同時に叫んで、アキの元へと駆け寄った。目は見えない筈にも関わらず、それを感じさせない足取りだ。

 臥したまま、アキは何も言わない。彼のものと同じ広さの部屋には、ただ名前を呼びかけるスピカの声が、虚しく響くだけだ。

 

「…スピカ…さん…」

 

 呻くような声で、ようやく返事をした。

 

「アキ様、そのままで!無駄な力を込めてはいけません!すぐに手当て致しますから、そのまま寝ていてください!」

 

 珍しく、スピカが慌てるように戸棚へ走ったが、アキには聞こえていなかった。忠告とは逆に、力なく立ち始めていたのだ。

 

「…ピカ…さ…ん…」

 

 膝をゆっくりと伝って、支えもなく完全に立ち上がった。二重、三重にもぼやけながらも、忙しなく戸棚を漁るスピカの姿を捉える。

 気がつけば、背後まで歩いていた。最早一歩先を進むことが精一杯であった容態が嘘であったように、足に力がこめられた歩みであった。

 

「や……てよ…」

 

「アキ様!いかがなさいました?動いてはダメです!ベッドで安静に…きゃあ!!」

 

 声に反応して振り向いたスピカの体に、アキがのしかかった。あのフラフラの状態から、無理をしてここまで歩いたのだから、当たり前のことだ。

 

 …いや、そうではなかった。

 力が抜けたように倒れた割には、両手はしっかりとスピカの手首を、それぞれ潰してしまいそうなほどの力で握り絞めている。

 なにより気味が悪いのは、アキは笑っているのだ。それも、悪意を剥き出したような、邪悪な笑みだ。

 消え入りそうな声から一転して、次はハッキリとアキの声が聞こえた。次の瞬間、下敷きになったスピカの背に、ひどく凍てついた感覚がへばり付いた。

 その内容も、声色も、普段のアキからは考えられぬものだったからだ。

 

「ヤらせてよ…スピカさん…」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。