次の日、あの場所を出発してから、すぐに港町まで送ってもらった。港町へ行く事にはさほど否定的ではなかった。恐らく、アッシュもそこに用事があるのだろう。
ついでに、バイクに揺られている最中に、義兄のことも聞いてみた。あの時の口振りからして、二人は知らない中ではない筈だ。それなら、あの日のことも何か知っているのかもしれない。
「あの、アッシュさん。」
信号待ちでエンジンを比較的静かにさせたのを見計らって、質問を投げかける。
「僕の義理の兄さん、確かアッシュさんと同じ部隊にいましたよね?」
「アキ坊の兄貴?」
「あの、ほら、あの時工場みたいなところで…」
「あぁ、
廃工場での一悶着。確か、あの時初めてアッシュとも対面した時でもあったのを思い出す。いや、今はそんなことはどうだっていい。もっと大切なことを聞く必要があった。信号が変わる前に、続ける。
「あの人、首を怪我した事ってありましたか?」
「首ぃ?また変な事を聞くっスね、アキ坊は。」
確かに、そうなのかもしれない。今や関係のない人物の怪我など、何故気にする必要があるのだろう。怪訝そうにこちらを見るアッシュを前に、言葉を違えたのかと心配になってしまう。
とはいえ、訝しむこともなく答えてくれた。
「ありましたね、理由は詳しく教えてくれなかったっスけど、事故かなんかで首を怪我したって。まぁ、すぐに復帰…」
そこまで言いかけたアッシュの言葉を、けたたましく響く音が遮った。ラッパのような金管楽器のそれに似た、無機質な音だ。背後から鳴った気がする。それもすぐ後ろから。
振り返れば、バイクの後に2台の自動車が列を成していた。どうやらいつの間にか信号が青に変わり、この2台を邪魔していたようだ。乗り手の顔は分からないが、眉間に深い皺を作って急かしていることは間違いない。
マフラーから黒煙を吐き出し、逃げるように走り出した。クラクションを鳴らされることは無くなったものの、変わりに足元からのエンジンの音で声が消されてしまう。少々の収穫はあったものの、やはり自分の目で確かめたほうがよさそうだ。
* * *
「アキ坊、これ。」
別れ際、アッシュの手から一つの拳銃を手渡された。以前、リリィから受け取ったものよりも大きく、陽の光を鈍く反射させている。そのサイズに違わず、手に持つとズシリとアキの掌にのしかかってきた。発砲せずとも、その威力が推し量れるような気がした。
「道中、何が起きるか分からねぇっスからね。護身用の為におれの銃を貸しておくっス。」
「…いいんですか?」
「構わないっスよ。
と、ヘラヘラ笑いながら手を振って答えた。もう一度、拳銃に目をやる。今どきの軍事組織には似つかわしくない、古めかしいデザイン。十中八九彼女の私物だろう。
一つ、申し訳無さそうに礼を言って、アキは走りだした。目指すは世話になった家だ。そこから港へ歩いて行けば、何か思い出すかもしれない。
今のアキの脚力であれば、そこにたどり着くのはあっと言う間であった。気がつけばあの家が目の前にある、そんな感覚だ。
ドアノブに手をかけ、捻る。鍵は掛かっていないのか、さほど抵抗なくドアが開かれた。しめた。まさかとは思うが、従兄弟達がいるかもしれない。なるべく物音をたてぬよう、慎重に足を踏み入れた。
「…懐かしい…」
真っ先に口から漏れた言葉だ。物悲しくも豪華絢爛を極めた大広間ではなく、どこの家庭ともそう変わらないリビングが目に飛び込んで、無意識に呟いてしまう。
いや、感傷に浸っている場合ではない。すぐに気を取り直し、部屋中を探ってみる。
(…あれ、誰もいないのかな。)
誰かの私室はもちろんのこと、バスルームに至るまで覗いてみるが、人の気配はない。鍵が開いていたのだが…不用心なだけなのだろうか。いや、近場に出ているだけで、すぐ帰ってくるのかもしれない。
どちらにしろ、目当ての人物がいないのだ。長居する必要はない。誰か来る前にここを出なければ。
アキが玄関を目指した時、ふとテーブルの上を見た。特に変わったことはない。コップを始めとした食器が整頓されずに置かれているだけだ。
しかし、そこに置かれていたフォークに一際興味を惹かれた。まるで、アキの為に置かれていたようだとも思えた。
(フォーク…そういえば、あの僕は、これで…)
太い木製の持ち手を摘んで、眺める。何の変哲もないフォークだ。合金の輝きが、とりわけ先端のほうで強く輝いている。分厚い肉も易々と突き刺すことができそうだ。
持ち手を逆手で握ってみる。その途端、またもやあの頭痛がアキの脳を犯した。内心予想はしていたが、ここで頭が痛くなるのは予想外だった。まだ心の準備もできていない。
そんなアキを余所に、回想は始まった。前回と変わらず、従兄弟に羽交い締めにされるところからだ。
その先も変わらない。藻掻いて、首を刺して、逃げる。つい先ほど鑑賞したビデオを巻き戻したかのような映像が、より鮮明に映る。それこそ、前回は白黒で、今回はカラーテレビで鮮明に、明瞭に、だ。
間違いない。自分はここで従兄弟に一矢報いたのだ。そう理解した時、アキは叔父の家から出ていた。
これも、自分の回想なのか?身体中を弄るように触れて、確かめてみる。現実と幻想の違いが定かではない。それでも、今自分が置かれている環境を把握しようと、必死に試みる。
──潮風があたる。生温い。潮の匂いがする。
──全身に汗をかいている。ベタベタして気持ちが悪い。
──息が苦しくて、胸がドキドキする。
少しずつ、現実を取り戻していく。よかった、これは"あの"続きではない。少なくとも白昼夢からは抜け出したようだ。安堵の表情は浮かべる。
「やっぱり、僕は…何でそんなことができたのかはともかく、義兄さんを…」
そう呟いた時だ、次は別の違和感がアキを包む。周囲の空気が突然どんよりとしてくるような感覚。自身も何度か経験したものだ。
「っ…!こんな時に…」
辺りに響く悲鳴。例の如く、あの怪物が現れたのだ。弾丸、安全装置等を確認して、銃を構えた。鉄塊の重みが、腕にのしかかる。個体数は4匹。各個撃破は無理でもない数だ。敵の数と位置を把握してから、アスファルトを蹴った。
まず、通りすがりの市民に掴みかかる怪物の元へ走り、その勢いのまま突き飛ばした。側面からの不意打ちを受けた相手が、朽ちた身体をぐらりと傾ける。すぐさま組み敷き、至近距離から銃口を向けて引き金を引いた。
爆発音と共に、アキの片腕が反動で跳ね上がる。見た目通りの威力であった。大口径の銃弾は難なく怪物の頭部を破壊し、アキの身体の下で絶命させた。
息づく暇もなく、別の個体へ迫る。ちょうど爪を振り上げてアキに向かって攻撃しようとした所であった。それに怯む様子もなく、懐に小さな体が潜り込んだ。
敵の攻撃が当たらぬ位置にまで辿り着くと、片足をかけて、のしかかるように投げた。重量こそはあれど、然程苦労することもなく、身の丈以上の怪物を転倒させる。そのまま馬乗りになり、怪物の眼前で発砲した。
アッシュの世話になったのは正解であった。その間、アキは彼女の下で、彼女なりの戦い方を学んでいたのだ。剣術とはまた違う、相手の動きを封じて無力化させる方法。一体目はともかく、ニ体目はその時に学んだ技法だ。
三体目、四体目も同じだ。一気に距離を詰め、敵の体重を利用して体勢を崩した上で、頭部を撃ち抜く。
館を追い出された時よりも、随分と短時間で処理できた。しかし、ここでアクシデントが発生した。ここにきて敵の数が増えたのだ。数はたったの1体。援軍にしては頼りなさすぎる数だ。が、問題は数ではなく、その個体だ。
まるで山のようにも感じる巨大な図体と、先程の怪物とは比べる必要がないほどに緻密な肉体を持つ怪物。言うまでもないが、あの"熊"だ。アキの夢にオチを付けていた、夢魔になったアキを瀕死に追い込んだ、あの個体だ。
表情が強張る。技術を教え込まれたアキでも、流石にあれを投げられる自信はない。そもそも、夢魔の動きを簡単に捉えられるほどの俊敏さだ。距離を詰められるかも分からない。
それでも、逃げることはできなかった。一つ深呼吸をしてから、意を決したようにアキは熊へと歩いて行く。ここで逃げてしまっては、あの場所にはもう戻ることができない。根拠はないが、そう思ったからだ。
恐怖を抑え込みながら、ゆっくりと距離をつめる。向こうもアキを捕捉したのか、猛然と四足で駆けてくる。そして、熊の太く鋭い爪が、アキの顔に飛んできた。