リオスの後について歩いているうちに、アキが住んでいた町の港に到着した。館を飛び出したあのときも、気がついたらここを走っていたことをアキは思い出す。館は、ここから近いのだろうか。
そういえば、ここに来るまで一緒であったリオスはどこだろうか。辺りを見回してみるが、彼の姿は霧散したかのように消えていた。
リオスの行方について思考力を働かせ始めたが、それは夜闇の静寂を轟音が引き裂かれたと同時に、すぐさま中断された。
振り向いた先には、群衆のような人影がぼんやりと映っていた。
誰が何をしているかは分からない。一つの影があちらこちらと飛び回り、他がそれを追っているように見える。
アキがそちらに向かおうとしたときに、突然何かが飛んできた。飛来物を避けようと身を屈める。
それが幸いしてか、飛んできた物が当たることはなかった。アキの横を通過し、少し後方でべちゃりと音をたてた。
何が飛んできたのか、振り返って確認する。
そして、轟音の次はアキの悲鳴が澄んだ空気を震わせた。
飛んできたのは、人間だ。
いや、形態こそは人間であったが、胸から下が欠損した状態であっても、明らかに
所々の肉が皮膚ごと腐り落ち、骨が確認できる様は、さながら掘り起こされた死体のようだった。
なにより人間と異なっていたのは、顔だ。歪に膨れた"それ"から、付いているはずの目、口、鼻、耳、これら一切を確認できなかったのだ。その醜悪な外見は化け物と呼んで差し支えないだろう。
悲鳴を挙げてすぐ、
次第に音量を増す、群れを思わせる足音に、おおよそ
逃げなくては。
そう判断しても腰に力が入らず、足が言うことを聞かない。
這いずるように肉塊から離れようとしたときには、それとほぼ同じ姿をした異形の姿がはっきりと分かる距離にまで迫っていた。
皮膚が剥がれ、筋組織や骨を露出させて尚、力強く走る姿は、一昔前に
もっとも、ここは銀幕の彼方などではない、現実の話だ。迫る異形を前にしたアキの心中は語るまでもないだろう。
「や…やだっ…来ないで…来ないで…来ないでえぇぇ!!!」
瞬く間に目前まで詰められた。それでもアキは叫びながら石のように重くなった体を捩らせ、衣類を排泄物で湿らせながら、なんとしても距離を置こうとする。
が、腰の抜けた体では無理であった。怪物は彼我の距離を易々と詰める。
群の先頭に立つ一体が、振りかぶるように腕を上げた。
破裂音と共に怪物の体が千切れたように吹き飛んだのは、アキが力の限り、まだ早い断末魔の叫びを上げたのと同じタイミングであった。
最もアキに近かったものから順に、怪物達が花火のように弾ける。
突然の状況の変化、恐怖の余韻に呆然とするアキの前に姿を現したのはセレネだ。
外においても館と変わらない格好だが、ここでは身の丈ほど長い銃身の大型ライフルを携えていた。
銃に詳しくないアキでも、威力の高さが想像できるほど大きく、重厚なライフルだ。加えてグリップ付近に斧のような厚い刃が付いている点も特長的であった。
「あらあら、年甲斐もなくお漏らしするなんて、お子様には刺激が強すぎたかしら?」
「せ、セレネさん?…なんなんですかこれは!?」
「ふぅん…そうね、何なのかしら?」
セレネの顔が少し傾き、すぐそこまで届く異臭を撒き散らす液体が付着した掌に預けられた。怪物の群れを前に、随分と呑気な所作だ。すぐに、答えは返ってきたものの、余り思考していないような、適当な内容だ。
「まぁ、ゾンビと言えばアキにも分かるかしら?生憎ウイルスの類いが原因ではないけど…」
言葉が終わらない内に、セレネはライフルを立てるように、ストックを打ち付けた。それを支点に全身を銃身に絡み付かせるように回り、遠心力を乗せた蹴りを怪物達に浴びせる。
さながらポールダンスのような動きでこちらを取り囲んでいた怪物を一層したところでライフルを構え、引き金を引く。
爆撃さながらの、大袈裟すぎる銃声が夜空に響いた。そう認識する前には、先ほどと同じく射線上にいた怪物が爆ぜた。
一体ではない。一発で数体の怪物を吹き飛ばした様子が、ライフルの威力は見かけ倒しではないことを証明していた
「さぁ、こんなお子様に構っていないで、私と踊らないかしら?刺激的な、来世でも忘れられない夜にしてあげるわ!」
群に向かって手招きをしながら言うと、前方数mにいた怪物との距離を瞬き一つする余裕も与えず一気に詰める。
そのまま砲撃で焼けて熱くなった銃身を握りしめたまま、銃座に付いた刃で真横に、軽々と薙ぎ払った。
今度はより纏まった数の怪物、銃身を中心とした直径数m以内にいた怪物の半身が、その刃によって抉られて宙に舞う。
その様は兵士入り乱れる戦場でハルバードを振るう
切れ味こそないが、これまた一撃で多数の敵を屠れる程には、銃座の刃は役に立っているようだ。戦斧へと変貌したライフルを
辺りに怪物がいなくなれば、銃身からグリップへと手を移して一発、二発と夜の静寂を破る
射撃、斧による一撃が、確実に怪物の数を大きく減らしている。
彼女の戦いぶりを、アキはただ魂の抜けた顔で眺めるしかなかった。一緒にいたはずのリオスの行方など、もはやどうでもいい。
このようになったのも、セレネの華奢な外見とは全く合わぬ戦闘力に呆気にとられている点も大きかった。
しかし、これが彼の言う仕事ならば、この怪物を相手にしなくてはいけないのではないだろうかという恐怖と不安の混じりあった感情に支配されていたことのほうが占めていた。
そんなアキを尻目に、セレネは斧を振るい、引き金を絞り、時には四肢を以て破片をバラ巻いてゆく。
折節、楽しそうなセレネの声が聞こえたかと思うと、すぐさま銃声に掻き消されたまま夜闇に溶けた。
彼女は恐れる様子もなく無邪気な、無垢な、狂気を孕んでいそうな笑顔で、玩具を壊すような感覚で怪物を"解体"していた。
戦闘と言うにはあまりにも一方的過ぎる。
"殲滅" "根絶やし" "駆除" "屠殺"
物騒な単語がアキの思考を支配する。
あのような戦いが、自分にはできるのだろうか。
もしも、しくじればどうなる。立て直しを利かせられるのか。
出来なければ…結果は想像するまでもない。したくもなかった。
今更になって夢魔となったことを後悔している内に、辺りがようやく静まり返った。
気がつけば、この場には退屈そうなセレネが、散らかった怪物達の破片の中心で佇んでいるだけだ。何もしらない通行人がこの様を見れば、ここで爆撃でも起きたのかと勘違いするのではないか。
そういえば、ここに来てからどれだけ経ったのだろうか。アキには一時間…いや、もっと経過しているように感じた。
「どうだったかしら、お仕事の見学は?」
さして乱れていない髪を掻き上げながら、セレネが思い出したように尋ねる。
萎縮しているせいで、もはやアキは声も出せない。
「あなたには、この化け物の駆除を手伝ってもらうわ。ま、その有り様じゃあ戦えるようになるのには時間がかかりそうだけど…気長に待つわ。」
そう言い残して踵を返したセレネの背から、丁度肩甲骨がある位置から羽が現れた。人が思い浮かべるような悪魔の持つ、蝙蝠の黒い羽だ。
一度こちらを振り返ってウィンクすると、そのまま月に向かって飛び立った。
気がつけば厚い雲は無くなり、満ちかけた月が蒼白い光を放ちながら、こちらを冷たく見下ろす。
セレネの姿が完全に見えなくなっても、アキはしばらくその月を漠然と眺めていた