昨日の疲労もあり、泥のように眠っていたアキは人の声により目覚めた。
声の方には、相変わらず人形のような佇まいのスピカが立っている。
昨晩のことなど記憶にないように、透明な声色で話した
「おはようございます、アキ様。」
「あ…お、おはよう…ございます…」
スピカを見たアキの顔が、たちまち赤くなっていく。
昨夜の彼女…汚いはずの秘部を嬉々として咥えこみ、豊満な乳房で弄び、繋がる寸前にまで盛り上がった相手なのだから、そうなるのは当然であるのかもしれない。
それが初めての経験ならばなおさらだ。
ところが、アキには、それよりも鮮烈に覚えていることがあった。
「その…昨日は、本当にごめんなさい。」
あのとき、スピカの頬を叩いたこと。
突然の頭痛や幻覚に襲われていたとはいえ、彼女に手を上げてしまったことを、心から申し訳ないと思っていたのだ。
「わたくしは別にいいのです。それより、リオス様がお呼びでございます。こちらのお召し物に着替えて頂いた後、ご案内いたします。」
やはり無機質のような声で返答すると、スピカはアキに衣類を差し出した。
昨日着たものと同じではあるが、その時にはなかった下着が一枚追加されていた。アキの注文を、しっかり覚えていたようだ。
アキが服を受けとると、スピカは一礼して部屋を出る。このとき、彼女は一言だけ、アキに告げた
「…わたくしは、いつでもお待ちしております。気が向いたなら、いつでもおいでませ…」
用意された服に着替え、前回と同じようにスピカに案内されてリオスの部屋にたどり着いた。
ノックして扉を開けると、朝焼けを背にリオスが腰をかけてこちらを待っている。
背景を除けば、昨日と同じような光景だ。
「待っていたよ、アキ。昨夜の仕事を見学してみて、君はどう感じた?」
「…怪物に襲われて、何もできませんでした。逃げることも、追い払うことも…」
「気に病むことはない。つい最近まで人間だった存在が、人間のままの感性で"あれ"と対峙すれば、そうなるだろう。」
アキの答えに、リオスは笑いもしなければ怒ることも憂い
に思う様子もなかった。とくに感情の変化を出さずに返事を聞いている。
そんなリオスに、アキは昨晩、スピカに手を出される前まで浮かんでいた疑問を投げ掛ける。
「リオスさん。もし、僕がリオスさんの頼みを断ったら、僕はどうなるのですか?」
この質問に対しても、リオスの感情に大きな変化が現れない。
暗に自身の頼みを拒否したいことを言ったのだろうが、ただ目を瞑り、アキの質問を聞くだけだ。
「もし断ったなら…アキ、君は今晩、自然と消えることになる。その後はまた、人間としての生活を、あの家でまた過ごすことになるだろう。」
この答えを聞いたアキの心に、一瞬だけ光が差した。
今は夢魔として生きているが、できれば人間として過ごしていたかった。
そうすれば、恐らく二度とあの怪物と遭遇することもないのだろう。
が、リオスの言う"消える"という表現が気になり、また質問をする。
「消えるって…それはどういうことなんですか?」
「今の君の姿は、仮初めの姿。一時的に夢魔として魂を世に縛りつけているだけに過ぎない。しかし、それも長くは持たない。儀式を行わない限り、夜が明けると共に呪縛が解かれるのだ。」
と、リオス。
「幸い、まだ時間はある。夜までには考えてくれないか?決心したなら、私に言いにきてくれ。」
「…それまで、少し外にいていいですか?」
「構わない。スピカに玄関まで案内してもらうといい。」
案内された玄関の扉を開くと、アキはいつもの町に、死ぬ直前まで住んでいた町の港に降り立っていた。あの館は、この町のどこかにあるのだろう。
アキは嬉しそうな表情で走った。
答えは決まっている。このまま夜が明けるまでこの町にいれば、このまま消えて生き返るのだろう。
あの怪物との戦闘をやらされるのなら、人間に戻ったほうがよほどいいと思ったからだ。
まずアキが向かったのは、叔父や従兄弟の住む家だ。
今は暗くなっているのだろうが、また帰ってきたらきっと皆喜んで迎えてくれるに違いない。
そんなことを考えているうちに、その家に着いた。
ただいまとドアを開けるが、返事はない。
まだ夢魔だから姿が見えないことを思い出すと、物音を立てないように二階へ上がる。
アキの部屋は2階の一番奥。まだ2日しか経っていないのだから、片付けられてはないだろう。
2階に上がり、まっすぐ奥の部屋へ進み、扉を開けた。
そこにはまだ簡素な机や椅子、ベッド、クローゼットがまだ置いてある。
いや、そのはずだった。
5畳の部屋には一切の家具が置いていない。
残っているのは部屋を照らす小さなライトぐらいで、他に置いてあったはずの家具はすべて消えていた。
その中で、4人の男が床板に腰を下ろして雑談している。
その男達の話を、アキの耳が否応なく拾い上げた。
「…でもさ、なんで死んだんだろね?まさかあの時襲ったことが原因かな?」
始めに聞こえたのは、針金のような男の声。
「まさか!だったらもっと早く自殺しちまってるハズだろうし、あいつだって最初以外は喜んでたじゃねえかよ。あれからたまに自分から咥えに行ってさ!ヒヒッ!!」
「まぁでも、アキっていう女日照りの俺らの性処理道具が消えちまって、これからどうすりゃいいんだろな?さすがに拐うわけにはいかないだろ?アイツは余所者だから、皆見て見ぬふりを決め込んだからいいとして…」
「親にも捨てられ、こっちに流れてきただけだしな。まぁ、それなら一応アテがあるよ。あの孤児院…」
会話の途中だが、構わずアキは部屋を出ると膝を着いて耳を塞いだ。
聞くに耐えない会話だから、という理由だけならば、どれだけ気分は楽になるだろう。
「性…処理…?捨てられた…?僕が…?なんだよ…それ…」
覚えている事と、今さっき聞いた話が、あまりにも解離し過ぎている。
自分は親に捨てられたのではない。
ここには留学の為に来たのだ。
叔父や従兄弟も、自分に良くしてくれた。
ましてや凌辱など受けたこともない。
何度も何度も、自分に言い聞かせる。
しかし、その度に今の会話、加えてあの幻覚が、思い出させるように頭に響いていく。
そして、幻覚と会話との間の、あることに気付いたとき、アキは更なる絶望に突き落とされた
「あの声…似ている…いや、そんな筈はない…そんな筈はないんだ!違う!違う違う違う!!あれは…同じはずがないんだ!あり得ないんだ!」
口では必死に否定するが、アキの心は分かってしまったのだ。あの幻覚の主は従兄弟であり、あの内容は"忘れようとしていた過去"なのだと。
アキは走り出した。
あの幻覚を、あの耳に残っている会話を振りほどきたくて、がむしゃらに走った。
それでもアキの頭で繰り返し残響しているままのそれは、離れることはなかった。