先輩への異常な執着/またはぼくはいかにして心の痛みを忘れて性愛を求めるようになったか――というより、3ヶ月、2週と1日でぼくにはなにをなしえたのか 作:果肉ぬき
高校時代の憧れの先輩「雛里やよい」と偶然の再会を果たし肉体関係を結ぶも、「わたし、もうあといくらも生きていられないの」というやよいの言葉をどう受け止めるべきか思い悩む会社員「風見健一」。それどころか、自分にできることを模索していくなかでやよいの妹「雛里えな」と情事を重ねてしまう。9月27日にいなくなるとされているやよいにどんな顔で会えばいいのかわからず自暴自棄になった健一は、1ヶ月半の間ふたりと連絡も取らず灰色の日々を過ごしていた。しかし、自宅に押しかけてきたえなが明かす健一への想いと淫牙に押され、またしてもえなにイカされてしまう健一なのだった。「健一さん……もう思い悩むのはやめて……私と一緒に楽しみましょう?」。
えなさんの言葉は酷く甘美で芳醇だった。その味は射精の余韻と相まってぼくに心地よい酔いをもたらしてくれた。
「ん……っ……んん、ん……ぁ……ん……っ……」
すっかり口に馴染んだえなさんのキスに浮遊感を覚えながら、ぼくはえなさんの言葉を思い返し、えなさんがこの10年抱いてくれていたというぼくへの想いを想像してみる。
それはちょうどぼくが先輩を想っていた年月と同じだけれど、叶わないことの残酷で容赦のない切れ味がどれくらい同じ感触だったかということはよくわからなかった。それはきっと、人が人に共感することの根源的な不完全性と関係している。
「えなさん……はぁ、はぁ……ぼくは……っ……はぁ、ん……」
「……んっ……健一ひゃん……んっ……ぁ……ん、ん……」
ぼくらはいつだって、「あの人が言っている/感じていることはおおむねこういうことなのだろう」という蓋然性の高さを無条件で肯定することでかろうじて意思疎通を図ることができているにすぎない。そうすることでしか、ぼくらは誰かと共存できない。
もし「厳密にはこれくらいのニュアンスの違いがある」ということをつねに突き詰めていたら、すなわち蓋然性の高さが生み出す「理解」や「共感」という幻想を否定しだしたら、ぼくらはばらばらになり、戦争をするしかなくなってしまうだろう。
「んっ……んんっ……ゃ……っ……ん…………ん、ん……」
えなさんのこの唾液の味を美味しいと感じること以上に、実は言葉の解釈なんておもしろいくらい感覚的に処理されているのかもしれない。
ぼくは先輩に憧れてはいた。けれど、別に先輩を追いかけて同じ大学に行ったりはしなかったし、これまで勤めていくなかで他の女性に気を奪われたりすることもなかったとは言い切れない。
なにより、えなさんのパンティ越しに伝わってくる淫唇の温度にぬくぬくと浸りながら、いまこうしてえなさんの可憐な唇や艶めかしい舌と手を取り穏やかに踊っていることこそが、すべての答えであり動かぬ真実なのではないか。
ミントというオブラートに包まれたぼくらの空間は、その本能的で背徳的な結末に諸手を挙げて祝福の鐘を鳴らしてくれているように感じた。
「ぁ……健一さんっ……」
「えなさんに、また入れたい」
ぼくは固まっていた自分の両腕でえなさんを力強く抱きしめてから、汗ばんでしっとりとしている金のボブヘアを撫でた。
いつもは耳障りな夏の虫たちの声も、いまは嘘のように聞こえなかった。