先輩への異常な執着/またはぼくはいかにして心の痛みを忘れて性愛を求めるようになったか――というより、3ヶ月、2週と1日でぼくにはなにをなしえたのか 作:果肉ぬき
高校時代の憧れの先輩「雛里やよい」と偶然の再会を果たし肉体関係を結ぶも、「わたし、もうあといくらも生きていられないの」というやよいの言葉をどう受け止めるべきか思い悩む会社員「風見健一」。それどころか、自分にできることを模索していくなかでやよいの妹「えな」と情事を重ねてしまう。9月27日にいなくなるとされているやよいにどんな顔で会えばいいかわからず自暴自棄になった健一は、1ヶ月半の間ふたりと連絡を取らなかったが、押しかけてきたえなからの告白に応じ、再びえなとのセックス三昧の日々に溺れていく。そんな健一はあるとき雛里家で「生徒会」とラベリングされたクリアファイルを見つける。
20インチのモニタすら収まりそうにない小さな段ボールのなかには、水色のクリアファイルだけでなく先輩の昔の筆記用具やアクセサリーと思われるものがお互いを敬遠するように入っていた。要するに、すかすかだった。
先輩の高校時代の快活な雰囲気を思えば、そう不思議な印象も受けなかった。けれど、少しほこりをかぶっているのが気になった。というのも、段ボールが置かれているのは押入れのなかだからだ。
これまで何度か雛里家にはお邪魔したけれど、この押入れはいつもこんなふうに開いていただろうか。いや、なにもわからない。わかるわけがない。ぼくは記憶を辿ろうとしても先輩やえなの嬌態や乱れ跳ねる可憐な肢体ばかりが浮かんできて、自分が先輩やえなの身体のことしか意識していなかったことを知った。自分の煩悩の強さを呪った。
「健一さん……」
後ろから聞こえてくるえなの声にうまく反応できない。目が、心が、「生徒会」というラベルの貼られたアルバムに釘付けになっている。鼓動が高鳴り、呼吸が苦しくなってきて、自分がいつからか息を止めていたことに気づく。平静を取り戻すためにしばし荒々しい深呼吸を繰り返した。
大量の写真が収められていることがわかる重さは、あのころの先輩への想いの重さを呼び覚ました。
「…………先輩……」
開いたアルバムの最初のページの上段には、ぎこちない顔のぼくと、そんなぼくの髪をくしゃくしゃと雑にかき回したのか、乱れたぼくの頭に手を置き満足そうな笑みでピースをしている先輩が写っていた。携帯電話で撮影したであろう写真を紙に印刷しているせいで随分と画質が荒かった。
ぼくは先輩と再会した6月のあの夜のことを、目を閉じて現れる瞼の裏のスクリーンに映し出す。目を閉じていれば溢れてくる涙でスクリーンが滲むこともなかった。
人の心はいつでも時間を超えられる。場所を超えられる。一瞬にして飛んでいける。
けれど、人の肉体はそのどちらもできない。「いまここ」の感性を最大化することに特化している肉体は、気を抜いたらすぐにその「いまここ」の激流を乗りこなすことに必死になってしまう。
ぼくはあの夜からいまこの瞬間までの、取り返しのつかない日々の重さ、あるいは軽さが走馬燈のように過ぎ去っていくイメージに囚われた。
アルバムに滴ってしまった何粒もの雫を右手の親指の腹で拭う。この親指はいまでもえなさんの乳首の手触りを鮮明にぼくに思い起こさせるけれど、本当はこの雫を拭うためにこそ存在していたのではないか。センチメンタルで馬鹿げた妄想は自分でもおかしくなってくるけれど、そんな妄想をしてしまういまの自分の心の揺れ動きまではどうしても馬鹿にする気になれなかった。
ページをめくっていく。
ポラロイドやインスタント、先生が撮ったであろうデジタルカメラによるものや、携帯電話で撮影したと思われるものなど、さまざまな色彩による記録が詰まっていた。
いまではもう名前も思い出せないようなメンバーもいた。先輩が生徒会に在籍しはじめた2年生のころの写真もあって、見たことがないメンバーもたくさん写っている。
けれど、一番多かった写真はぼくや、先輩とぼくのツーショットだった。
お姉ちゃん、気が弱そうで口数の少ない、けれど懸命に生徒会の仕事をする健一さんのこと、弟のようにかわいがってたみたいです。
いつかのえなさんの言葉を思い出す。ずっともやもやと抱えていた気持ちに名前を与えられたような気分になる。
ページをめくる。
鼻をすする。
ページをめくる。
先輩の透きとおる声がいまにも聞こえてきそうな気がする。
ページをめくる。
涙の塩辛さが眉にかすかな皺を寄せる。
ページをめくる。
夕暮れのまぶしさと先輩の笑顔のまぶしさがオーバーラップする。
ページをめくる。
アルバムに詰まっている写真は、再会したあの夜の先輩以上に先輩との過去をぼくに鮮烈に思い出させた。思えば、再会したあの夜の先輩には、どこか現実味を感じられなかった。目は死んでいて、存在感も希薄だった。誰しもが、あるいは形あるどれしもがもっているはずのモノとしてのオーラは、あの夜の先輩よりも、ほこりを被ったこのアルバムに収められている写真たちのほうにこそ宿っていた。
ぼくはあの先輩の儚さともっと向き合わなければいけない、向き合いたいと、いまさらながら強く思った。周回遅れかもしれない。けれど、急げばまだ間に合う気がした。
最後のページに辿り着く。
南京錠の鍵が黄ばんだセロテープで留められていて、その下にはどこかの場所を示す簡素な文章が箇条書きで並べられていた。
「えな――さん、ぼく、ちょっと……」
「……………………」
「すみません、これ、借りていきます――そうだ、先輩の連絡先、教えてもらえますか?」」
「………………知らないです……健一さん、行かないでくださいっ――」
アルバムと鞄を抱えて玄関へ早歩きで向かうぼくの腕がえなさんに捕ま――ることはなく、ぼくは咄嗟に腕を引いてそれを回避した。
「健一……さん……?」
酷い人間だと思った。先輩に対しても、えなさんに対しても、16歳のぼく自身に対しても。
「えなさん。申し訳ございません」
「……ぇ……?」
「ぼくはもうえなさんと一緒にはいられないです……」
「っ……」
えなさんがぼくに歩み寄り、口づけを交わそうとする。
唇と唇が触れる前に、ぼくはえなさんの肩をつかんでそっと自分のほうから離した。
振り返って駆け足で玄関の外へ出る。
玄関のドアになにかしらの鈍器が投げつけられたような音が響く。
ぼくはそのままスピードを上げて階段で1階まで駆け降りた。
アルバムを開き、あらためて書き留められている場所を確認する。
間違いない。
先輩とぼくが通った高校を目指して、ぼくは再び走り出した。