えー、とうとう今回で楽園本編は終了であります。
ここまで御読了いただきありがとうございました。
まあ、完結後も外伝やIF話は更新するかもしれませんがよろしくです。
「あらあら、アナタ随分と面白いことになっているじゃない?」
そんな風に聞こえた声を前に、シスイはゆっくりと顔を上げた。
いつの間にか半刻ほどの時が経っていたらしい。障子に紅の光が差す中、逢魔が時の魔性を顕現させるかのように、邪悪の気配を纏わせながらその男は立っていた。
「こんばんは、あなたが瞬身のシスイね」
そういってねっとりとした空気を纏い笑う中性的な男の面差し。そのチャクラと威圧感に混ざって匂う濃厚な血の臭いは、今し方狩りを終えてきたのだと告げているようだった。その血の臭いに混ざって知っている人の匂いもあることにシスイは気付く。
既に味覚と痛覚を消失した身ではあるが、それでも目と耳と鼻については忍びの職業柄シスイは利く。だからこそわかった。この気配はほんの1時間ほど前、シスイを案じながら出て行った女性……。
(ミコトさん……)
彼女の血の臭いが目の前の男からした。
確か彼女は夫であるフガクに届け物をするために家を出た筈だ。そして、この血臭は1人や2人殺したぐらいではないだろう。否、こんなうちはの集落奥深くに現れたのだ。おそらくは……。
(木の葉警務部隊をヤったのか)
「……大蛇丸」
ボソリ、犯人の名を呼ぶ。そのことを気にした風もなく、名を呼ばれた男は余裕そうな笑みを浮かべながら言った。
「それにしても、イタチくんが選んだ相手と聞いていたけど、彼も恋には盲目だったということかしら? よくもまあこんな相手を選んだものね」
まるで世間話でもするかのような口調で伝説の三忍と言われている男は言う。
それに……ああ、そうだなとシスイは内心で同意する。
きっと、イタチにとって唯一の過ちがあるとするのならば、己のような女の紛い物をよりにもよって愛してしまったことがそうだと、シスイは思っていたから。
「……こんなに歪んでいて、こんなにわかりやすいのにどうして誰も気付かなかったのかしら。可哀想にねェ、アナタ」
男はクスクスと笑う。それはまるで獲物をいたぶって楽しむ捕食者のような微笑みで。
蛇が舌なめずりをするように、大蛇丸はそれを言った。
「アナタ、本当は女の子ってわけじゃないんでしょ」
そうして大蛇丸は彼女自身が幼少の時分より抱え続けていながら、未だ誰にも見抜かれることのなかったそれを告げた。
「女の
その言葉に思わず反応しそうになる自分をシスイは自覚する。
他者に指摘されるまでもない。
(ああ、そうとも、生きにくかったさ)
自分の肉体すら直視出来ず、月のものが来る度に怯え、鏡の前の体に違和感を覚え続ける日々。どんどん女らしくなっていく体には吐き気さえ覚えた。
おまけに同性にしか思えない相手にばかり性愛の情を向けられ、碌に知りもしない奴らに襲われ処女を無理矢理奪われて、玩具として長く弄ばされ、知られたくなかった過去を最も知られたくなかった相手に知られ、イタチに女としての愛を求められ、慈しみを向けられる日々に憔悴しか覚えなかった。
愛されたくなど、なかった。
道具として扱ってくれればと何度思った事か。
けれど、そのことを何故お前が知っている。
そう眼で問う女を前に、男は余裕そうに微笑みながら優雅な仕草と共にそれを告げた。
「ふふ、何故わかったのかって顔ね。そんなの眼を見ればわかるわァ。今だってそう、男の眼をしている。女になんてなりたくないって全力で叫んでる。なのに、産まれ持った性別が女だからって、女を押しつけられて、望まれて、可哀想に、とても辛かったでしょうね」
「……」
まるで本当に労るような声で大蛇丸は言う。
それに有り得ないのに、慈母の微笑みを連想する。
「でももう思い悩む必要なんてないわ。私の元にいらっしゃい」
そうやって放たれたその言葉は。
「私ならあなたをあなたのまま必要としてあげる。アナタの望む肉体も用意してあげられる。私の元に来さえすれば、あなたはもう肉体と精神の乖離に悩まなくていいのよ」
酷く、甘く耳朶に響いた―――――。
「さあ、来なさい。望みのままに私ならアナタを道具として使ってあげるわ。だから私に全てを委ねなさい」
まるで甘い水のように、大蛇丸の言葉はシスイの体内へと浸透していった。
楽園でアダムと共に暮らしていたイブを誘惑した蛇の言葉とは、きっとこういうものを言うのだろう。
たとえ目の前の男が、うちはミコトや木の葉警務部隊の皆の仇だったとしても、それでもかまわないと思ってしまいそうなほどに目の前の男の言葉は今の彼女にとっては魅惑的で、また男が言う言葉を全て鵜呑みにしてしまいそうなほどのカリスマと存在感も大蛇丸という男には備わっていた。
(オレは……)
全てを忘れ、その言葉に従い、この身を委ねることが出来たのなら、それはどんなに心地よかったことだろうか。其れが出来たならもう己は何も思い悩む事もなくなるだろう。
この身を苛み続けている苦痛からは解放されるだろう。
嗚呼、そうだ。本当にこの男は、
けれど……。
「もし、本当に全てを忘れ、その言葉に従えられたらどんなに素敵かと、そう思うよ……」
哀愁の帯びた声音で淡々と女は語る。けれど、この言葉は肯定に繋がるものではない。寧ろ真逆だ。けれどだからこそ一抹の未練を終わらせるためにも、その言葉を敢えて彼女は紡いだ。
大蛇丸の言葉は甘美な毒だ。
しかしそれがどんなに己にとっては蜜のような誘惑であろうと、シスイの出す回答など最初っから決まっていた。
何故ならば、彼女の中には最初っから本当の意味での「逃げる」という選択肢など存在していない。自分のためだけに他者に助けを求めたり、楽なほうへと逃げるくらいならば、死を選ぶのがこのうちはシスイという存在に憑依した魂の在り方だった。
「……だけどな、どんなになっても、やはりオレはあいつを裏切ることだけは出来ないんだ……」
「……!」
スゥと其の両目を写輪眼の赤へと変化させながらシスイは淡々と語り続ける。そのガラスのような瞳に、微かに浮かべられた色が示すのは敵対だ。
途端、大蛇丸は警戒に体を引き締め、彼女と若干の距離を取った。それを無感動に見ながら彼女は思考する。
……大蛇丸が何故自分の前に現れたのか、その狙いは最初にこの男の姿を見た時から気付いていた。
おそらく、間違いなく大蛇丸の狙いはこの腹に宿った子供だろう。理由は器の確保と自分をやり込めたイタチへの意趣返しといったところか。
この勧誘は大蛇丸からしたらついでのようなものであり、子供さえ産まれたならば自分など用済みだ。自分の意志でついてくるならよし、来なくてもよし。子が産まれたあとは実験体にまわされたとしてもおかしくない。それが実際についていったパターンの自分の末路だろう。それがわかっていても尚、大蛇丸の言葉は酷く魅力的に耳に届いたわけではあるが、それでもこの男の提案は初めから論外としかいうしかない。
だって、この腹に宿った子供を望んでいる
それに例え死んでも、己はイタチを裏切る事だけは出来ない。
そして己には己の目的がある。
なら、これは当然の結果だ。
「こんな手だけは使いたくなかったんだけどな」
「……何をする気。アナタ如きが私に勝てるとでも思っているの? ましてやその体で、舐めないでほしいわね」
身重の体を指し示し、鼻で馬鹿にするように笑いながら男が言う。このような状態の女がまともに動けるはずがないというのは誰が見てもわかるからだろう。それは当たり前だろう。例えどんなに医療忍術が発達しようと、出産という行事はいつの時代だって命がけだ。無理を働けば母体か子供どちらかの命、或いは両方の命という形で代償を払わされることになるだろうことは、想像するまでもない。
それに女は自嘲気味な声音で淡々と己が心境を語った。
「真逆。オレはイタチじゃない。オレ如きの実力でアンタを倒せるなんて自惚れたりはしないさ」
その言葉に大蛇丸は訝しげに眉を寄せる。
シスイが何を言っているのかわからなかったのだろう。命乞いをするならともかく、写輪眼まで発動させ敵対の意志表示を見せたのだからそれは当然だ。でも別にかまわなかった。自分の言葉の意味なんて別にわかられなくてよかったのだから。けれど、それを言ってしまったのはもう本当に壊れかけていたからなのかもしれなかった。
「でもオレは、オレだったらこれは殺されるよりもずっと嫌なことだから。そうされるくらいなら死ぬ方が余程マシだから、だからやっぱりオレは外道なんだろうなとそう思うよ」
そういって、シスイは其の眼に万華鏡を咲かせた。
それと同時、其の瞳に最強の幻術、別天神が宿る。対象を幻術にかけたと意識させずに幻術にかける、ある意味に置いて最悪無比の瞳術。一度使えば十数年の回復期間を置かねば使えぬことと引き替えに、数ある万華鏡の能力の中でも、もしかすれば最も悪辣と呼べるかも知れない瞳。それを発動させながらシスイは自分が男にさせようとしている役目を述べた。
「大蛇丸……これから残りの人生を、あんたの持てる力全てを尽くして、アンタはうちはオビトを、マダラを名乗る仮面の男を殺せ。3年……いや2年以内になんとしてでも、だ。それをなににも勝る最優先事項とし、そのためにその能力と人生を費やすんだ」
「……ええ、そうね。そうだわ。あの男を私は殺さないとね。アナタに言われなくともそんなの当然だわ」
自分が今告げた言葉を不思議に思うでもなく大蛇丸が言う。
それを力を使った反動で血が流れる瞳を押さえながらシスイは聞いていた。そして思う。
……己は今人1人の人間の意志を勝手にねじ曲げたのだ、と。
他者の生き様を変えたと言っていい。
人の
やはり己は外道だ。殺すよりも酷い罪を犯してしまった。
きっとこの先も大蛇丸は自分にかけられた幻術とその正体に気付く事も出来ず、シスイの望んだ通りにその命ある限り、うちはオビトの命を狙い続けていくことになるだろう……。それが自分自身の願いでもあるのだと、そう信じ込んだまま。
それは大蛇丸の望みとは違うのに。
(つくづくオレは屑だな……)
そう自嘲する。
しかし、シスイが最強幻術をもって大蛇丸に暗示し命じたのはうちはオビトに関する事柄のみである。
だから、他の部分で大蛇丸が元の人格のままであり、優先順位一位が変わったのみで他のことについては前のままであるのは、当然と言えば当然だろう。
「けれど、そのためにも器が必要だわァ」
そう言って、ニィと蛇の笑みで大蛇丸はわらう。
大蛇丸が動く。おそらく、自分を連れて行こうというのだろう。
それはわかりきった行動ではあるが、それに素直に従うわけにもいかない。
……己はどうなってもいい、そうシスイは思う。
けれど、この腹に宿った子だけは、どうあってもイタチが来るまで守らなければならない。
だって、この子供は……。
(イタチの子供だ)
イタチが生誕を待ち望んでいる生命。それを守るのは借り腹だとしても己の役目だろう。
例え自分が望んだ命でないにしても、それがどうした。この命を確かに望んでいる存在があるのだ。なら失うわけにはいかない。子供を失う悲しみをもう一度アイツに味あわせるなんて御免だ。
たとえ己がこうまで壊れた元凶の1つがイタチだったとしても、それでもイタチはやっぱり可愛い弟分で、この世で一番幸せになってほしい大切な人なのだ。自分を見限ることを望んでいるのと同じくらい、そうなってくれることを今でも願っている。だから、わざとじゃないにしろ今まで哀しませてきた分も、イタチの子を守る事で償いとしたかった。
この子供を大蛇丸の器になどさせるわけにはいかない。
……しかし、自分如きにそれを成せるだろうか。己は大蛇丸よりずっと弱いのに。
いや、成さねばならない。
優先順位一位が決められた大蛇丸は、イタチとの実力差をわかっているからこそ、イタチが来れば逃げる筈だ。そしてイタチは優秀な忍びである。あれから半刻も経っているのならば、たとえ里外にいたとしてもイタチならば報告が届き次第駆けつけてくることだろう。
だから、己はそれまで凌ぐことだけが役目だ。
けれど、このタイミングはまずったのかもしれない。
既に痛覚など麻痺している身の上ではあるが、先ほどから下腹部におかしな違和感を覚えている。
……破水、その可能性が頭を過ぎる。
(だが、それがどうした)
破水が起きたからといってすぐ赤子が産まれるとも限らない。
なら、気に掛けることでもない。
そして大蛇丸相手に覚悟を決めた時のことだった。
チッチッチッ、そんな鳥の鳴き声にも似た音と共に雷のチャクラが部屋へと舞い込む。
あれをシスイは知っている。
あれは、コピー忍者はたけカカシの持つ唯一のオリジナル技、名は「千鳥」。
それを操るのは……中忍試験会場でもカカシ直伝の千鳥を放った若き天才少年。真っ直ぐな瞳のイタチの弟。
「……サスケ」
「シスイ義姉さんから離れろ、このオカマ野郎!」
うちはフガクの第二子たるうちはサスケが、震えながらも精一杯の強がりと共にそう言い放って其所に立っていた。
一瞬、何故サスケが来たのかわからずシスイは呆然とする。そんな中、大蛇丸は鴨が葱をしょってやってきたとばかりに破顔し、ニィと笑いながらこう言った。
「こんばんは、サスケくん。アナタのほうから来てくれるなんて嬉しいわァ」
その言葉に我を取り戻して、シスイはサスケを怒鳴りつけた。
「来るな、サスケ……! オレになど構わず逃げろ!!」
サスケもまたこの腹に宿った赤子同様に大蛇丸の筆頭器候補だ。けれど、通常状態ならいざ知らず、今の己ではサスケを連れて逃げ延びる余力などない。腹に宿った子を気に掛けるのが精一杯で、サスケを庇い守るには敵が巨大過ぎて自分は非力すぎた。その事実に顔を青ざめさせながらそう言い放つシスイに対し、精一杯強がった口調でサスケは怒鳴り返した。
「バカッ、何が逃げろだ! 身重のアンタを置いていけるわけねェだろ! それにそいつが父さんと母さんを殺した犯人なんだろうが、ならこいつはオレの仇だ! オレは、オレは、父さんの、木の葉警務部隊長うちはフガクの息子で、次期火影のうちはイタチの弟だぞ!!」
そう言って、サスケは雷光を手に宿しながら叫んだ。しかし、どうしようもなくその声には怯えが混じっている。足なんて震えていて、今にも逃げ出したいという心境を表しているかのようだ。
実際、逃げるべきだとサスケ自身わかっているのだろう。何故ならイタチに及ばないというだけで、サスケとて充分に天才と呼べるほどの資質に恵まれた子だ。相手と自分の力の差なんてものは本能で理解してしまえる。当然大蛇丸相手に今の自分じゃどう足掻いても勝てないこともまた理解していたはずだった。
実力差が開きすぎている相手に怯えたところで無理もない。サスケは本物の戦場を経験したこともなければ、まだ下忍であり、危険な任務にあうことも滅多にない平和な時代に産まれた13歳の少年なのだから。
寧ろ、意地だけでこうしてこの場に踏みとどまり、逃げ出していないだけ奇跡みたいなものだ。
けれど、それじゃあ困るのだとシスイは考える。
自分は腹の子供だけで精一杯であり、サスケを守る余裕などないのだ。逃げてくれたほうがまだ対処の仕様がある。シスイにとってはイタチの弟であるサスケもまた庇護対象であり、間違っても自分がサスケに守られるということは、彼女にとっては有り得ない出来事なのだから。大蛇丸が狙っているのはシスイより寧ろサスケであるわけだし、正義感を理由に庇われたって困るだけだ。
「ふざけるな、馬鹿野郎! 意地張ってないでいいからさっさと逃げろッ」
「さて、茶番はもういいかしら?」
その言葉を告げる時には既に大蛇丸は動いていた。
「サスケッ!」
大蛇丸が変化した蛇がサスケに迫る。それを前に声の限りに叫んだ。
「っく」
少年はなんとしてでも大蛇丸に一矢報いようと必死に雷を宿した手を振りかぶる。しかし其の全てが空振りに終わった。それはわかっていた結果でもあった。それほどまでに両者の実力は開いている。そして、大蛇丸の振り下ろした一撃によってサスケの体ははじき飛ばされ、その意識を刈り取られた。
そして優雅に微笑み、男は言う。
「残念よねえ、王子様はこのザマで。でも交渉決裂した以上、私にアナタを生かしておく理由がないことは、もうアナタ自身理解出来ているわよね?」
そういって笑いながら、男は向かい合った。
「もうそれだけ大きいのだもの。その腹を裂いて取り出しても赤ん坊が死ぬ事はないわ。私には医療知識もあるしね、安心なさい。アナタとイタチくんの子供は私が有効利用してアゲル」
ゆらゆらゆらゆらと蛇の瞳が、舌なめずりをするようにシスイの体を下から上まで舐めるように見据える。
残酷な瞳に、僅かな勝利の余韻を載せて、大蛇丸はそれを告げた。
「サスケくんと赤ん坊は私が貰って行くわァ」
そして、その言葉の次の瞬間、音もなく幾千ものクナイと手裏剣が舞った。
「ッ!?」
基礎を完膚無きまでに鍛えたが故の正確無比な攻撃が大蛇丸の体を襲う。身代わりの術を使うような暇すらなく、死角も含め四方から飛び出たクナイや手裏剣達は大蛇丸のみを狙って飛翔した。
勿論大蛇丸として急な襲撃といえどそれで急所に一撃を入れられるほどマヌケではない。しかしそれは男の機動を奪うには充分過ぎるほどの御技だった。
クナイ投げ、手裏剣術という技はアカデミーで習う忍者にとっての基礎中の基礎だ。下忍時代ならいざ知らず、中忍、上忍と上り詰めていくにつれ、強力な術を行使出来るようになるのもあり、これらの基礎は疎かに、顧みないものになっていく、それがこの世界の伝統だ。
しかし、たとえ上忍に上り詰めようと、英雄と呼ばれようと、その基礎こそ誰よりも大事に磨き、ただの基礎とは思えないほどに手裏剣術を昇華させた忍びがいた。
「うちはイタチィイ~~~!」
怨念すら籠もっていそうな声で、大蛇丸は件の忍者の名を呼ぶ。
それにイタチは涼しげな顔のまま、右腕に回収したばかりの弟であるサスケを抱えながらそこに立っていた。
その赤く染まった玲瓏たる美しい瞳に、それでも僅かに浮かんで見せているのは、平素を装った怒りの炎だ。当然だろう。
周囲からはそのクールな容貌と落ち着いた物腰から冷血漢のように誤解されがちであるが、実のところイタチは家族想いの情深く心優しい青年だ。木の葉を愛し、父を愛し、母を愛し、弟を愛し、妻を愛しているこの青年が、自分の家族を傷つけられて何も思わぬ筈がない。増して、殺された父と母の死体を道中で発見し、今弟と妻が害されようとしている場面に遭遇したのだから、怒りも一入というものである。
故に、厳格な声音と共にイタチは、この目の前のS級犯罪者の名を冠する伝説と謳われた男に対して、己が判決を告げた。
「伝説の三忍が1人、大蛇丸。先日は逃がしたが、お前の人生は今日で終わりだ」
その言葉と共に、魔幻・枷杭の術が発動し、男は幻術の漆喰の中へと囚われる。これは術を受けた対象者に物理的な痛みを錯覚させる写輪眼が持つ睡眠眼の1つだ。瞬身術と幻術に特化しているシスイ自身も得意とする技だが、当然イタチも高レベルで習得している。相手が大蛇丸といえどそう簡単に抜け出せる代物ではない。それはあまりにも鮮やかな手際だったといえよう。
先に放った手裏剣術によって敵の動きを鈍らせ、すかさず幻術世界に捕らえ心身共に疲弊させる。そして相手が幻術から抜け出す前にトドメを刺すべくイタチは背から忍刀を抜き出した。
彼の動きに無駄は一切無い。いかに心は熱く怒り滾ろうと、行動だけは何処までも冷静に計算し尽くして、優美なほどに鮮やかに敵を屠っていく。其の姿はまさに英雄の名にふさわしいだろう。
(止めろ、イタチ!)
だが、それでは困るのだ。
イタチは殺すだろう。
自身の宣言通りに大蛇丸を取り逃がすこともなく、殺してのけるだろう。
けれど、それでは
だから、それをシスイは許容するわけにはいかなかった。
イタチが刀を振りかぶる。其の手際は鮮やかで、素早く正確で、とてもじゃないが未だ幻術世界に捕らえられている大蛇丸にどうにか出来るものではなく、その速度に並の忍びでは反応出来るものですらなくて、だからイタチは、自身の予告通りにそのまま大蛇丸を切り捨てる筈で。
そう……通常なら、間に合うものなどいるはずがなかったのだ。
だのに、何故。
どうして、このようなことになっている?
「……ぅ……」
先ほど大蛇丸の攻撃を受けて気絶していたサスケは、クラクラして定まらない頭の中、自分を取り戻すのに少しの時間を要した。そも、何故自分が気絶していたのかすら一瞬わからなかった。けれど、先ほど自分が遭遇した出来事を思い出し、青い顔をしてハッとして、未だしっかりしない頭を抱えたまま顔を上げた。
けれど、自分の周辺から漂っているチャクラの気配は、敬愛する兄のものだ。
ということは兄さんが助けてくれたのか、と一瞬笑みさえ浮かべたサスケだったが、次の瞬間目にした光景を前に、少年は言葉を無くし表情を凍り付かせた。
(……嘘だろ、なんで……)
自分が何を見ているのか理解出来なかった。
けれど、そんな中で、おそるおそるサスケは信じがたいようにその名を呼んだ。
「シスイ……義姉さん?」
「…………ごめんな、イタチ」
―――――其れを為した瞬間、最初に彼女が感じた感情は安堵。
次いで喜び。
そして少しの申し訳なさ。
(お前の両親の仇を取る機会を奪ってごめんな)
そう思うも、彼女の心に後悔など微塵もない。寧ろ間に合って本当に良かったと思うだけだ。
その意味では、痛覚など
自分はイタチの攻撃に間に合わせることが出来た。
衝動でイタチの幻術ももう解けているはずだ、その隙を見て大蛇丸はなりふり構わず逃げ出した事も、チャクラ反応から既に察知している。これで、先ほどの別天神も無駄にならずに済んだ。
(本当に良かった)
そう、イタチの刀で肺を貫かれながらシスイは思う。
イタチはカタカタと手を震わせながら「……シスイ」とそう彼女の名を呼んだ。
何故、どうしてお前が大蛇丸などを庇うのだと、そう訊ねたいのだとシスイは察したけれど、もう呼吸すらどうやら上手く出来ないらしく、代わりに口からは血がこみ上げ、そのまま嘔吐くことしか出来なかったけど。
でも答えられたとしても、自分がイタチに回答することはなかっただろうとシスイは思う。
その代わりのようにイタチの顔を見上げた。
……先ほど別天神を使った代償だろうか、正直輪郭がぼやけてイタチの顔もまともに見えない。だけど、それでもすぐ近くにいるイタチが泣きそうに、眉を寄せて苦悩した顔をしていることくらいならわかる。
(泣くなよ……)
そう思って手をそっと伸ばした。
それに思い出したように、イタチはシスイに突き刺さったままだった忍刀を引き抜こうとして、けれど下手に引き抜いた場合失血死することに思い当たったように、それに躊躇し、代わりに彼女の体を自分が怪我することも疎わず抱き寄せた。
「シスイ……!」
その悲痛な声をぼんやりとどこか遠くで感じながら、それでもシスイは思う。
(哀しまなくていいのに、オレは嬉しいんだから)
痛みなんてとうに無い。痛覚なんてとっくに失った。だから、陣痛なんてものが起き出したところでシスイにはその痛みなんてわからない。それでも人1人が産まれようとしているのなら、それなりに違和感という形で出るはずだ。だからきっとこれがそうなんだろう。
(こんな状況下でも元気に動いて自力で産まれようとしてんだ。オレが死んだところで、赤ん坊まで道連れにはならないだろ……だから喜べよ、お前の子供は無事産まれてくることが出来るんだ)
最悪、大蛇丸が言ったように自分の腹を裂いて、赤子を取り出し、臍の緒を切ってしまえば、産まれるための障害など本当に無くなる。
(嗚呼、どうしよう、本当に嬉しい)
母親になんてなりたくなかった。けれど、イタチの子をもう二度と奪うこともしたくなかった。
だけど、自分はその両方を叶えることが出来たのだ。
イタチの子を守ることが出来て、オビトという危険分子はもう1人の危険分子である大蛇丸に始末させて、母親に本当になる前に自分は死ぬ事が出来て、しかもイタチの手で自分は死ぬ事が出来るのだ。
こんな嬉しいことなんてない。
自分は、子供を望む父親から子を取り上げずに済んだのだ。
本当に、本当に良かった。
こんな満ち足りた気分で死ねるなんて思っていなかった。
自分は、やっと報われた。
……徐々に思考が白く染まり出す。聴覚はもう機能していない。視覚もとうに真っ白だ。そんな中、大好きだったイタチの形の良い指の感触と、熱い滴だけが、その最期の瞬間まで共に有り続けた―――――。
「だ、誰か、誰か来てくれ! 早く!!」
……そんな弟の言葉を、どこか遠くに聞きながら、イタチはただ目の前で熱を失っていく体を呆然と見つめた。
彼のどうしての問いに答えれるものは、きっといないことだろう。
あの時、父母の仇たる男に対して抜き放ったイタチの斬戟を受けたのは、彼が守ろうとした妻のシスイ自身の体であり、あの一瞬で計算して入ったというのだろうか。敵の心臓を貫く筈の一撃は彼女の肺を深々と貫く結果で終わった。
理解が出来なかった。
シスイが大蛇丸を庇う理由なんて一切なかったはずだ。寧ろ、命を狙われていた。それは間違いない。いや、庇う理由があるのだとしても、イタチの攻撃に身重だった彼女が反応出来たはずがなかったのに、どうして。
あの速度の瞬身術を、出産間際の体で使うなど術の行使に通常なら母胎が耐えられない筈だ。
確かにシスイは卓越した瞬身術の持ち主だった。それはイタチも認めよう。だからこその「瞬身」の2つ名であったのだから。瞬身術と幻術だけに関してならばシスイの実力はイタチ以上だった。
シスイは数少ないイタチ以上のスピードで動ける人間の1人だった。
けれど、こんな結末は意味が分からない。
(どうしてだ、シスイ)
自分の刃に貫かれ、肺を潰されて呼吸すら満足に出来ない筈の彼女は、一体どういう理由でなのか、それは満足そうに心安らかに微笑んでいた。
(あんまりだろう……)
ずっと、その笑顔を見たいと思い続けてきたのに。
あれほどにその微笑みをもう一度見たいと懇望し続けてきたのに。
なのに、6年ぶりのその微笑みが、自分の手に掛けられての死に際など、どういうタチの悪い冗談なのだ。
(どうして、お前は笑っている)
あんまりだ。
お前はあまりにも酷すぎる。
(オレはお前と、お前との子供と紡ぐ未来を望んでいた)
―――――なのに、お前が微笑うのは、オレの手にかけられた時なのか。
頬を熱い滴が伝い落ちる。そんな中で、イタチの写輪眼が万華鏡模様へと変化していく。けれど、そんな自身の変化など気に止めることもなく、イタチの指は愛おしげに彼女の頬の輪郭をなぞっていった。
ポタリ、ポタリとあたたかい涙がシスイの上に落ちる。
けれど、もうそれに彼女が反応を返すことはなかった。やがて、ゆっくりと弱まる呼吸と共に女の瞼が落ちていく。
「……逝くなっ、シスイ」
青年の声は震え、普段の面影すらない。
それにもう答えるものはない。
応えるべきものは黄泉路へと旅立とうとしている。
全て置き去りに、無邪気なまでの残酷さで、時は止まらず、刹那のような永遠は終わりを迎える。
「隊長!? こ、これは何があったのですか?」
完全に瞼を落とし、肺に刀が突き刺さったままの女と、それを抱き締めながらただ悲痛に涙する次期火影と目されている青年を前に、イタチの部下である暗部の男は驚きと共にそう零した。
それに一拍遅れて、暗部付きの医療忍者である女性が前に出て言った。
「! どいてください。このままではお子さんも死んでしまいます。今すぐ適切な処置をしないと!」
そう告げるなり、その医療忍者たるくノ一は自分の助手たる青年に指示を下しながら、死んだ女の腹を切開し赤子を取り上げ、臍の緒を切り落とした。
何も知らない赤ん坊はおぎゃあおぎゃあと、勢いよく泣いた。
幸いにも母親が死んで間を置かず取りだしたためなのだろう、一時は母胎からの酸素供給が途絶えたというのの、酸素欠乏症になることもなく、産まれた子供は3100グラムほどの元気な男の子だった。
……それを妻の死を悼む暇なくイタチは見届けることとなった。
だけど、産まれた子を抱いたところで、隣にいてほしいと望んだ人が戻ってくる事はない。
父も母も、そのほか数多くの一族の命があの日1人の男によって奪われた。
イタチの抱いた、親子三人で過ごす未来なんて幻想が果たされる日はもう無い。
きっと、最期に彼女が浮かべたあの微笑みをイタチが忘れる日は来ないだろう。そして、あの笑みの意味を知る機会も、もう無い。
それら全てをただその胸に抱え生きていくしかないのだ。
それがどんなに辛いことであったとしても。
彼は次代の火影なのだから。
―――――それでも、彼の夢に描いた楽園は、この日永遠に失われた。
完