※この作品はR-18です。

ダークエロよろず短編集   作:カード読み込み

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カッツェ平野の終焉

 

 カッツェ平野の霧は、ただの水蒸気ではない。

 それは数千年に渡る殺し合いの果てに散った者たちの怨念が、

 大地の深部から滲み出した膿であり、嘆きであり、

 そして何より──行き場を失った情欲の澱。

 瘴気は、肌にまとわりつくだけでなく、毛穴から侵入し、

 骨の髄までをじっとりと侵食。亡者たちの冷たい舌が、

 細胞に吸い付き、舐め回しているかのような、背徳的な触感。

 

 この呪われた平野に沈殿する停滞した空気を破るため、真人類帝国は動いた。

 膠着した戦況。

 泥沼の消耗戦。

 支配者たる彼らにとって、退屈な手持ち無沙汰。

 彼らは欲しているのだ。

 もっと熱く、

 もっと赤く、

 もっと生々しい刺激を。

 

 真人類帝国。

 極北の凍土に建国されて800年。

 その歴史は、血と精液と魔術によって捏ね上げられた、一つの巨大な倒錯の系譜。

 数万年前。

 降臨した始まりの異物、吸血鬼の神祖、アベルカイン。

 ソレは凍てつく不毛の地に、自らの子らをばら撒いた。

 人間やエルフとの間に生まれた混血児たち。

 それが始祖。

 始祖の一角、ヴラディカの戯れ。

 多くの非人類を纏め上げた玩具箱。

 真人類帝国。

 根源から与えられた「渇望」という名の呪いを抱え。

 渇望。

 血への渇望であり、

 支配への渇望であり、

 劣等種族を蹂躙し、

 貪り喰らう倒錯した性欲。

 

 帝国とは、要するに一つの巨大なベッドなのである。

 支配層たる貴族──彼らは自らを「長生種(メトセラ)」と呼ぶ──は、

 そのベッドの上で永遠にも思える時を過ごすにはあまりにも退屈だった。

 退屈を持て余した彼らは、被支配者たる人間たち

 ──「短生種(テラン)」──を弄ぶことにした。

 人間は彼らにとって、食料であり、労働力であり、そして性欲処理用の肉便器。

 吸血という行為は、食事であると同時に交わりである。

 首筋に牙を立て、脈打つ血を啜り、相手の体温と生命力を自分のものとするその行為は、

 支配と被支配の極致における秘密の儀式。

 

 しかし、800年の時は帝国をも蝕んだ。

 政治は腐敗し、経済は傾き、軍事は行き詰まっている。

 貴族たちは快楽に溺れ、国庫は空っぽである。

 人間たちからの搾取も限界に達し、反乱の火種は至る所で燻っている。

 このままでは、帝国という古い娼館は内部から崩れ落ちるだろう。

 それを防ぐためにはどうするか。

 答えは簡単だ。

 外に新しい玩具を見つければいい。

 外に向けて鬱積した破壊衝動を吐き出せばいい。

 

 それが戦争である。

 真人類帝国にとって戦争とは、領土拡大や資源獲得のためのものではない。

 彼らにとって戦争とは、国家規模での集団凌辱なのである。

 敵国の兵士を殺し、敵国の女を犯し、そのすべてを自分たちの所有物とする。

 それこそが帝国の存立意義であり、貴族たちの愉悦。

 

 だが、カッツェ平野での戦況は芳しくない。

 連合軍──サガ帝国と日本派遣団──の抵抗は予想以上に激しく、

 帝国軍は泥沼に足を取られている。

 貴族たちの苛立ちは頂点に達していた。

「なぜ落ちないのだ」

「なぜ屈服しないのだ」

「もっと悲鳴が聞きたいのだ」

 

 その停滞した欲望を打ち破るために投入されたのが、「不死隊」である。

 

 不死隊。

 コボルトやゴブリンといった下級妖魔。

 そして分裂された人間たちで構成された部隊。

 彼らは真人類帝国の軍事行動における先触れであり、

 威力偵察を担う消耗品である。

 一つの戦線につき最低でも数千、場合によっては数十万が投入される。

 かつての大戦では累計で億を超える不死隊が投入されたという記録もある。

 彼らにとって不死隊とは、矢弾のようなものである。

 撃ち尽くして捨てるための弾丸であり、

 敵陣を血で染め上げるための赤いインクである。

 

 しかし、ただ数が多いだけでは勝てない。

 そこで用いられるのが、「狂化」である。

 これは一部の高位吸血鬼が持つ魔術「分裂」と併用される。

 分裂とは、対象のすべてを分割して増やす魔術である。

 生命力や身体能力、知能に意思まで減るため、本来は緊急避難用でしかない。

 だが帝国の魔術師たちは考えた。

「知能が減る? そんなものは戦意で塗りつぶせばいい」

「身体能力が落ちる? 肉体の崩壊と引き換えに向上させればいい」

 

 そうして生み出されたのが、狂化付与である。

 これは対象の理性を焼き切り、

 殺戮と性欲のみがむき出しになった狂戦士へと作り変える禁忌の術式。

 寿命を代償に自動小銃やアサルトライフルなどの近代兵器を生成し、

 その身体能力を限界まで引き上げる。

 彼らはもはや人間ではない。いや、生物ですらない。

 ただ殺し、犯し、死ぬためだけに作られた肉の機械。

 

 カッツェ平野の霧の中から、その異様な軍勢が姿を現した。

 先頭を行くのはコボルトたちだ。

 その目には理性の光はない。あるのは飢えと渇き。

 彼らの手には、自らの命と引き換えに生成された鉄塊が握られている。

 続いてゴブリンたち。

 つぶれた顔に平べったい鼻をつけ、

 大きく裂けた口から涎を垂らしながら、獲物を求めて進軍。

 そして最後に来るのは、元・人間たちである。

 彼らはかつて帝国に捕らえられた捕虜や反乱分子だった者たちだ。

 分裂魔術によって数十人に増やされ、狂化によって理性を失い、

 ただ帝国への忠誠心という名の殺意だけが植え付けられている。

 その姿は凄惨である。

 肉体は崩壊しかけており、皮膚は爛れ、骨が剥き出しになっている者もいる。

 それでも彼らは歩く。足が折れても這って進む。

 彼らの中にあるのはただ一つの衝動──「敵を殺せ」「敵を犯せ」という命令。

 

 これは威力偵察などという生易しいものではない。

 これは真人類帝国によるカッツェ平野への強制的な求婚。

「お前たちの血を吸わせろ」

「お前たちの肉を喰わせろ」

「お前たちの女を犯させろ」

 

 そんな粘着質で倒錯した欲望が、霧の中から押し寄せてくる。

 不死隊の嘶きは、勝利の凱歌ではない。

 それは滅びへの情交の喘ぎであり、地獄の釜の蓋が開く音。

 

 ダイスロールの結果 [3][5][4]、合計12。

 これは均衡と不安定さを示す数字である。

 帝国の圧倒的な物量と狂気(5)に対し、連合軍の防衛線(4)が耐えようとしている。そしてその隙間で予期せぬ悲劇や変調(3)が起ころうとしている。

 このねっとりとした霧の中で、誰が立ち尽くし、誰が崩れ落ちるのか。

 戦場という名の巨大なベッドの上で、犠牲者たちの喘ぎ声が響き始める。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 熟れすぎた果実の皮。

 

 裂け目から滲み出てきたのは、整然たる軍勢などではない。

 欲望という名の膿。

 先陣を切るコボルトたちの群れは、散兵線すら引かぬまま、

 ただひたすらに「渴き」を抱えて突進。

 足取りは千鳥足であり、獣のそれではない。

 深夜の路地裏で行き場を失った酔漢のように、

 あるいは行きずりの肉を求めて彷徨う男たちのように、

 ふらつきながら、しかし確実に殺意と性欲の矛先を向けてくる。

 

 彼らの手には、自らの命と引き換えに生成された粗末な鉄塊が握られている。

 引き金を引く指先などない。

 ただ銃口をこちらに向け、乱れ打つだけでいい。

 血と魂を代償に銃撃すれば肉が裂け、骨が砕ける。

 だが彼らは止まらない。

 血飛沫を花吹雪のように撒き散らしながら、突き進んでくるのだ。

 

「……なんだ、これは」

 

 日本派遣団の陣地に立ち尽くす海江田勇蔵の口から、乾いた呟きが漏れた。

 雷槍を構えたその手が、かつてないほどに汗ばんでいるのがわかる。

 彼が見てきた戦いは、

 理念であり、

 領土であり、

 国家の存亡。

 

 目の前で繰り広げられているのは、ただの交尾だ。

 

 霧の向こうから現れたのは、かつて人間であったものたち。

 分裂魔術によって増やされ、狂化によって理性を焼かれた彼らは、

 もはや個としての輪郭を持たない。

 肉塊。

 歩く臓器。

 崩れかけた皮膚の下から覗く筋肉の繊維が、まるで口唇のように赤く湿っている。

 

 彼らは怯まない。

 恐怖という感情回路が焼き切られているからだ。

 味方が横で頭部を吹き飛ばされようと、

 内臓をぶち撒けようと、一瞥すらせずに前に進む。

 散兵戦術。

 不死隊の常套にして、最も悪辣な術理。

 各個撃破?

 構わないのだ。

 一掃される?

 それが目的なのだから。

 

 彼らは「矢弾」である。

 敵の武器弾薬を消耗させるため、

 敵の魔力を浪費させるため、

 そして何より敵の「精神」を汚染するために放たれた、

 使い捨ての肉弾。

 

 サガ帝国の騎士たちは、慣れた手つきでそれを「処理」していく。

 表情一つ変えずに剣を振るい、魔術を放つ。

 目の前で飛びかかってくる崩壊寸前の肉体を、冷徹に断ち割る。

 返り血が彼らの頬を汚しても、眉一つ動かさない。

 彼らにとってこれは日常茶飯事。

 掃き溜めに群がる蝿を払うかのような、無機質な作業。

 

 しかし、日本派遣団にとっては違った。

「ひっ……! ちょ、近寄るな! 近寄るなぁッ!」

 若い伐刀者の一人が悲鳴を上げる。

 目の前で、頭半分を吹き飛ばされたはずの敵兵が、

 まだ動いている姿を見てしまったからだ。

 脳漿を垂れ流しながら、それでもなお前へ進もうとするその姿は、

 あまりにも悍ましく、そして──淫らだった。

 

 生への執着ではない。

 ただの反射。

 果てることすら許されない強制的な痙攣。

 それはまるで、絶頂に達したにもかかわらず、

 まだ腰を振り続けるが如き哀れな喘ぎ。

 

 視界が揺れる。

 精神が摩耗していく音が聞こえる。

 殺し合いなどではない。

 理性と体力を絞り尽くすための、粘着質な前戯。

 

 波状攻撃。

 第一波が弾け飛び、血の霧となる。

 その血が地面に染み込む前に、第二波が押し寄せる。

 踏み越えられるのは死体だけではない。

 同族の屍骸の上に積み重なるのは、終わりなき衝動。

 

「……くそっ、きりがない……!」

 

 剛田猛が金砕棒を振るうたびに、

 数匹のコボルトがグシャグシャの肉塊へと変わる。

 だが、その肉塊すらも足場にして、後続の敵が飛び越えてくる。

 彼らは殺されるために来ている。

 そして殺される寸前まで、こちらにその不快な欲望を押し付けてくる。

 

 この戦場は狂っている。

 生死の境など最初から存在しない。

 あるのはただ、「喰う」ものと「喰われる」もの。

 あるいは、「犯す」ものと「犯される」もの。

 その境界線すら曖昧になった、巨大なベッドの上での掻き回し。

 

 海江田は雷槍を構えたまま、動けなかった。

 目の前で繰り広げられている地獄絵図に、精神が強制連行。

 これが「戦争」なのか。

 これが「敵」なのか。

 理屈も正義も名誉もなく、

 ただただ湿った音だけが響き渡るこの空間は、

 まさしく此岸ならざる深淵。

 

 霧の中から聞こえるのは悲鳴か嬌声か。

 判断がつかない。

 ただ一つ言えるのは、

 この肉の津波が止む気配など微塵もない。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 湿った空気は、鉄と硝煙と、

 熟れすぎた果実が腐っていくような甘ったるい匂い。

 不死隊の肉弾波状攻撃は、粘着質な愛撫のように連合軍の防衛線を舐め回し、

 理性と体力を削り取っていく。だが、その不快極まりない前戯も、

 唐突かつ無慈悲な介入によって中断されることとなる。

 

 空が裂けた。

 

 比喩ではない。

 視界の端、遥か後方に展開した日本政府供与の自走砲陣地から放たれた徹甲弾の群れが、

 大気の膜を引き裂きながら飛来したのだ。

 不器用ながらも熱烈な求愛の手紙のように。

 愛憎入り混じった暴力という名の口づけのように。

 

 着弾。

 

 ドス、ドス、ドォンッ! 

 

 大地が鳴動し、腐った土壌が孕んでいた膿が噴き出すように、

 不死隊の密集陣形が爆散した。四肢が千切れ飛び、内臓が舞い上がり、

 コボルトの安っぽい毛皮と人間だったものの赤黒い肉片が、

 ショートケーキのデコレーションのように空へと撒き散らされる。

 それは死というよりは、もっと乱暴で一方的な「処理」だった。

 交わりを拒絶するかのような、乱暴な突き放し。

 

「……綺麗だ」

 

 誰かが呟いた。

 日本派遣団の若き副官、早瀬瞬だ。

 彼の瞳は、自分たちがもたらした破壊の光景に釘付けになっていた。

 それは殺戮への称賛などではない。

 ただ、あまりにも圧倒的で、あまりにも無機質な暴力の奔流が、

 戦場という淫らな泥沼に一瞬の「白」をもたらしたことへの眩暈。

 血飛沫の赤と、爆煙の灰と、そして焼けた肉の焦げ臭さが混ざり合う中で、

 それだけが唯一「救済」のように見えたのだ。

 

 続いて響くのは、重粒子ビームの唸り。

 日本の誇る最新鋭自走砲「タケミカヅチ」の試射だ。

 大気を蒸発させるほどの熱線が、霧の中を一直線に貫く。

 それはまるで神の指先。

 触れたもの全てを融かし、

 蒸発させ、

 存在そのものを無かったことにする絶対的な力。

 不死隊などという安っぽい肉人形たちが、

 熱量の暴力に捻じ伏せられ、

 一瞬で炭化し、

 灰となって霧散していく様は、

 ある種の残虐な美しさを孕んでいた。

 

 あれほど執拗に絡み付いてきた不死隊の波が、

 まるで潮が引くように消え去っていく。

 残されたのは、焼けた大地と、そこに点々と残る黒い染みだけ。

 激しい情事の後のように、荒涼とした虚無感だけが立ち込める。

 

「……海江田殿」

 

 背後から声をかけられ、海江田勇蔵はゆっくりと振り返った。

 そこには、サガ帝国騎士団の責任者である騎士が立っていた。

 その顔には、疲労と安堵、そして深い崇拝の色が混ざり合っている。

 

「御国の最新兵器のおかげで、防衛線は持ち直しました。

 重粒子ビームの威力……まさに神の雷。我々には想像もつかぬ力です」

 

 騎士は深く頭を下げた。

 それは単なる感謝ではない。

 圧倒的な力を持つ「雄」に対する、「雌」の屈服にも似た恭順の姿勢。

 彼は知らず知らずのうちに、自らの祖国が誇りとしてきた剣や魔術よりも、

 この異国の「鉄と火」の暴力に惹かれ、その膝を折っているのだ。

 

「……そうか」

 

 海江田は短く答えた。

 彼の手にはまだ雷槍がある。

 だが、その穂先に宿る紫電は、先ほどまでのような鋭さを失っていた。

 雷は命を断つための剣だが、今のこの光景はあまりにも違う。

 これは「殺し」ではない。

「消去」だ。

 個人の技量も魂も介在しない、ただの数的処理。

 

(俺は……何を守っているんだ?)

 

 虚無感が胸の奥から湧き上がる。

 目の前には数え切れないほどの死体。

 だが、そこには対話も葛藤もない。

 ただ一方的に奪われ、

 一方的に奪っただけの、

 空虚な勝利。

 

 その時、海江田の視界の端で、何かが動いた。

 焼け焦げた肉塊の中から、まだ息のある不死隊の残骸が這い出してくる。

 下半身を失い、腸を引きずりながらも、

 その手はまだ銃を握りしめ、こちらへと伸ばされている。

 

「……あ……あぁ……」

 

 その口から漏れるのは、言葉か悲鳴か、それとも快楽の喘ぎか。

 爛れた唇が震え、白濁した目が海江田を捉える。

 それはまるで、「もっと」とねだっているかのように見えた。

 もっと痛みを。

 もっと熱を。

 もっと激しく壊してくれと。

 

 海江田は無意識に一歩踏み出した。

 雷槍を構え直し、雷を帯びた穂先を突きつける。

 だが、撃てなかった。

 目の前のそれはあまりにも無様で、あまりにも哀れで、

 そして何より──あまりにも淫らだった。

 死に損ないの肉塊が見せる執拗な生存本能は、

 どこか倒錯した性欲を連想させる。

 

「……海江田さん」

 

 背後から、甘く湿った声がした。

 白峰一華だ。

 血振るいもせず、血に濡れた大太刀『黒耀』をだらりと下げたまま歩み寄ってくる。

 その顔には何の感情も浮かんでいない。

 ただ、その瞳の奥だけが、爛々と燃えるように輝いていた。

 

「まだ、終わっていませんよ」

 

 一華は海江田の脇をすり抜けると、流れるような動作で『黒耀』を振るった。

 風切り音すらしない。

 ただ、「斬る」という結果だけが世界に刻まれる。

 不死隊の残骸は、

 まるで最初から存在しなかったかのように音もなく両断され、

 霧散。

 

「……ありがとう」

 

 海江田は掠れた声で礼を言った。

 だが、一華は振り返らない。

 虚空を見つめ、その唇を微かに舐めた。

 

「この平野は……欲張りですね」

 

 その呟きは、誰に向けられたものでもなかった。

 

 勝利の美酒はまだ遠い。

 この湿った地獄で飲むことになるのは、

 血と泥と欲望が混ざり合った、

 苦いカクテルだけだ。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 その時、空が孕んだ。

 膨れ上がった腹が、ついに破水したかのように。

 大規模転移。

 真人類帝国が誇る、空間跳躍魔術の極致。

 カッツェ平野を覆う濃霧が、内側から弾け飛ぶ。

 裂け目から溢れ出したのは、整然たる軍勢などではない。

 鏡像だ。

 複製鏡。

 増殖する絶望。

 一人の敵兵が鏡に映り、分裂し、増殖する。

 十、百、千、万。

 幾何学的に増殖したそれらは、もはや個体としての輪郭も虚ろ。

 ただ殺意という名の精を撒き散らすだけの、集合的射精。

 

「撃てぇッ!」

 

 日本派遣団の号令とともに、火砲が唸る。

 徹甲弾が空を切り裂き、着弾。

 爆炎が肉を焼き、骨を砕き、存在を無に帰す。

 だが、足りない。

 あまりにも足りない。

 倒したそばから、鏡が割れたガラスの破片のように再生していく。

 砲身が焼き付こうとも、

 生命力が尽きようとも、

 彼らは撃ち続ける。

 自らの命を代償に生成した魔導ライフルの銃身が赤熱し、

 手の皮膚が融け、肉が焦げる匂いが漂ってもなお、

 引き金から指を離そうとはしない。

 

 それは戦闘か? 

 いや、交尾だ。

 果てることを知らぬ粘着質な前戯。

 不死隊の兵士たちの目は虚ろで、

 口からは意味を成さぬ喘ぎ声が漏れているだけ。

 彼らは求めているのだ。

 より激しい痛みを。

 より熱い閃光を。

 自らの存在を焼き尽くすほどの、

 圧倒的な暴力という名の愛撫を。

 

「くそっ、また増えやがった!」

 

 剛田猛が金砕棒を振るうたびに、肉塊が宙を舞う。

 だが、その隙間から新たな鏡像が湧き出してくる。

 ハイドラの首だ。

 斬れば斬るほど増え、

 突けば突くほど深みに嵌まる。

 泥沼の底なし沼。

 足を掬われ、引きずり込まれそうになる焦燥。

 

 海江田勇蔵は雷槍を構えながら、その光景を冷めた目で見つめていた。

 雷撃が敵を貫き、黒焦げにするたびに、

 鼻腔を掠めるのは焦げ臭さと、なぜか甘ったるい腐臭。

 死体が積み重なり、その山から新たな敵が這い出してくる様は、

 まるで腐った果実から湧く蛆虫のようでもあり、

 あるいは情事の後に流れ出る排泄物のようでもある。

 

「……終わらん」

 

 掠れた声で呟く。

 戦いが終わらない。

 そして、自分自身の内なる戦いも。

 妻への裏切りも、指揮官としての責務も、

 すべてが一華という深淵の中に溶け込んでいったあの夜の記憶も。

 彼は今、目の前の敵を殺しているのか、それとも自分自身を殺しているのか。

 雷槍から放たれる紫電は、敵を焼くだけではなく、

 彼自身の魂をも焼き焦がしているようだった。

 

 その時、視界の端で白い影が舞った。

 

 白峰一華。

 彼女は戦場に咲く一輪の黒百合のように、

 あるいは死を司る天使のように立っていた。

 大太刀『黒耀』を構えもせず、ただ歩みを進めるだけ。

 襲い来る不死隊の銃弾が彼女に触れる直前、

 見えざる壁に阻まれたかのように弾け飛ぶ。

 恒常魔力圏の絶対空間支配特性。

 あらゆる力の干渉を拒絶する理不尽。

 

 彼女が刀身を振るうことはない。

 ただ「斬る」という意思だけが世界に刻まれる。

 伐刀絶技『天弓』。

 斬撃の概念が空間を歪め、距離を無視して敵を両断する。

 数十人の不死隊が一瞬で崩壊し、血飛沫となって霧散する。

 だが、すぐにその隙間は新たな鏡像によって埋め尽くされる。

 

「……欲張りね」

 

 一華は静かに言った。

 その声には感情がない。

 ただ、その瞳の奥だけが爛々と輝いている。

 彼女の子宮は疼いていた。

 新たな命を宿した胎内が、熱を持って脈打っている。

 この終わりなき殺し合いは、彼女にとっての一種の交わりでもあった。

 敵を殺すことは、自らの強さを再確認する行為であり、

 同時に絶対的な強者に屈服したいという倒錯した欲望を刺激する行為でもある。

 

 彼女は視線を海江田に向けた。

 彼は雷槍を頼りなく支えながら、血と泥に塗れて立っている。

 かつて英雄だった男は今、ただの消耗品になり下がろうとしている。

 それを見るのは哀れみか? 

 それとも征服欲か? 

 あるいは、彼の中に自分の子を宿しているという歪んだ所有欲か? 

 

「海江田さん」

 

 一華が呼ぶと、海江田はゆっくりと顔を上げた。

 虚ろな目は焦点が合っていないようにも見えたが、

 一華の姿を捉えた瞬間、微かに光が宿った。

 

「まだ、終われませんよ」

 

 その言葉は海江田に向けたものか、それとも自分自身に向けたものか。

 一華は再び前を向き、『黒耀』を一閃させた。

 斬撃の雨が降り注ぎ、鏡像たちを次々と屠っていく。

 だが、敵は無尽蔵に湧いてくる。

 新世代の不死隊の波状攻撃は、延々と打ち寄せる津波。

 

 カッツェ平野の湿った空気は、鉄と硝煙と血と精液の匂いに満ちていた。

 それは勝利の匂いではなく、ただただ滅びへの道連れを求める

 粘着質な誘いの匂い。

 

 いつまでも続くのか? 

 それとも誰かがこの均衡を破るのか? 

 答えはまだ霧の中にある。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 十万。

 決して小さくない数だ。

 一つの街がごと消滅するほどの質量だ。

 だがカッツェ平野の泥濘に沈んだその質量は、

 まるで底なし沼に投げ込まれた石ころのように、

 あっけなくそして無意味に飲み込まれていく。

 

 砲兵隊が放つ徹甲弾の雨は、まさしく神の怒り。

 熱線が空間を歪め、着弾地点をプラズマの地獄へと変貌させる。

 焼かれ砕かれ蒸発した肉片が湿った霧の中に舞い散る様は桜吹雪ならぬ血飛雪。

 美しいとさえ言えるかもしれない。

 ただしその美には狂気が孕まれているのだが。

 

「……止まらぬ」

 

 サガ帝国の老騎士は乾いた唇から掠れた声を漏らした。

 その目は自らの剣が切り裂いた敵ではなく遥か彼方

 霧の向こうから押し寄せる「肉の津波」に釘付けになっていた。

 十万を焼き尽くしてもなお波は引かない。

 むしろその勢いは増しているようにも見えた。

 倒れた同族の死体を足場にし踏み越え

 あるいはその肉を補うかのように貪り喰らいながら前進。

 欲望の塊。

 粘着質な衝動の奔流。

 

 老騎士は悟った。

 この戦いはいつもの真人類帝国の戯れではない。

 彼らは本気なのだ。

 いや正確には「本気になるための準備」に入っているのだ。

 

 コボルトの群れ。

 ゴブリンの大軍。

 狂化された人間たちの自殺行為。

 これらはすべて前戯に過ぎない。

 

 ねっとりと肌にまとわりつく湿った霧のように

 彼らは連合軍の抵抗力を舐め回し愛撫し消耗させていく。

 銃弾を撃ち込み剣を振るわせ魔力を浪費させる。

 それはまるで熟れた果実を手のひらで転がすように

 あるいは禁欲を強いられた修道女の太ももをゆっくりと撫で上げる指先のように。

 焦らすために。

 本番に備え互いの肉体を最も敏感な状態へと高めるために。

 

「ああなんと官能的な……」

 

 老騎士は独りごちた。

 その声には恐怖はない。

 あるのは戦士としての諦念と倒錯した感嘆だけ。

 十万という数字が意味を持たない世界。

 死が救済とならない地獄。

 そこで繰り広げられているのは

 殺し合いという名の集団舞踏であり敵兵たちによる強制的な求愛行動。

 

 彼らは語りかけているのだ。

「もっと喘いでくれ」

「もっと足を開いてくれ」

「お前たちの精(魔力)が枯れるまでこの指使いは続くぞ」と。

 

 不死隊の嘶きは歓喜にも聞こえる。

 自ら命を薪にし身を焼き尽くすほど激しく突っ込んでくる彼らは

 ある種マゾヒスティックな快楽に身を委ねているようにも見えた。

 殺されることへの渇望。

 破壊されることへの恍惚。

 それは絶頂に達した瞬間自ら命を絶つ蟷螂(カマキリ)の交尾にも似ている。

 

 砲撃が止む。

 砲身が過熱し限界を迎えたのだ。

 その一瞬の隙間を逃さず肉の波が押し寄せる。

 泥と血と内臓混じりの泡のような彼らが防衛線に舌を這わせる。

 

 老騎士は剣を構えた。

 だが剣は重い。

 肉体が悲鳴を上げているのはわかっていた。

 十万回愛撫を受けた後のように

 全身の筋肉が弛緩し神経も焼き切れかけている。

 

 これが真人類帝国のやり方か。

 まず指で解し舌で舐め回し

 相手が抗う気力すら失ったところで本来の「雄」たちが襲い掛かる。

 高位吸血鬼たちによる本番挿入。

 魂ごと貪り喰らう支配儀式。

 

 カッツェ平野は震えていた。

 大地が

 空気が

 そして老騎士自身と魂が。

 それは恐怖ではない。

 これは……期待だ。

 抗えない暴力によって押し潰されるという甘美な予感。

 老いた肉体が蘇る最後の熱。

 

 霧の中から漏れ聞こえるのは嬌声か断末魔か。

 もう区別がつかない。

 ただ分かるのはこの愛撫はまだ終わらないということだ。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 上空を覆う分厚い雲が、

 まるで熟れきった胎盤のように裂けた。

 裂け目から降り注ぐのは、光などではない。

 もっと悍ましく、もっと淫らな何か。

 かつて人間だったものたちの無数の断末魔が結晶化した、

 呪詛という名の羊水。

 

 血の雨が降りしきる中、鏡像たちは踊る。

 分裂し、

 増殖し、

 その度に純度を増していく悍ましい模倣の宴

 一個の兵士が倒れれば、その死の瞬間の痙攣すらもスキャンされ、

 新たな鏡像として生まれ変わる。それは敵の数を減らすのではなく、

 敵に「自らの死に様」という陳腐な芸術を献上させるための、

 悪辣極まりない儀式。

 

「な、なんだ……あれは……」

 

 震える声を上げたのは、日本派遣団の若き伐刀者、早瀬瞬。

 視線の先で、一人のサガ帝国騎士が倒れ、

 その体が地面に吸い込まれるように消えたかと思うと、

 すぐさまその場所から「何か」が立ち上がった。

 それは倒れた騎士と寸分違わぬ姿。

 しかしその双眸だけは、生前の誇り高き輝きを失い、

 ただただ淫蕩な光を宿している。

 生き写しなどではない。

 これは歴とした冒涜。

 死者の尊厳を土足で踏み躙り、

 その上で娼婦のように腰を振るが如き悍ましい戯れ。

 

「カッツェ平野の霧は、魂の海だ」

 隣で剣を構えるサガ帝国の老騎士が、苦々しげに吐き捨てた。

「数千年前から、ここはおびただしい血が流れてきた場所。

 土も水も空気も、全てが伐刀者の怨念で飽和している。

 奴らはその怨念を啜り、そこに刻まれた『個』の情報を読み取っているのだ。

 殺せば殺すほど、奴らは我々の戦友の顔をコレクションしていく……!」

 

 言葉が終わらぬうちに、戦線のあちこちから悲鳴が上がる。

 もはやそれは抵抗の声ではない。

 正気を失いかけた人間の、理性という名の最後の一枚の薄布が剥がれ落ちる音。

 ある兵士は、死んだはずの親友の姿をしたそれが、

 手にした剣でかつての恋人を模した別の鏡像を犯している光景に、

 発狂したような笑い声を上げた。

 ある者は、自分の声で助けを求める無数の自分自身に囲まれ、

 どれが本体かもわからぬまま同士討ちを始めた。

 

「此方へおいで」

 

 声がする。

 甘く、ねっとりと、耳の穴から脳髄へと直接絡みつくような声。

 死んだ戦友の声で、

 死んだ恋人の口調で、

 彼らは語りかける。

 それは愛の告白のようであり、

 呪いの呟きのようでもある。

 その声に誘われ、ふらふらと防衛線から飛び出していく若い兵士。

 鏡像たちは彼を優しく包み込むと、

 まるで愛おしい我が子にするように、

 あるいはこれから味わい尽くす獲物にするように、

 その全身を無数の手でまさぐり始める。

 鎧を剥がされ、

 肉を裂かれ、

 それでもなお兵士の口から漏れるのは苦痛の叫びではない。

 くぐもった、しかし確かに陶然とした「悦び」の吐息。

 

「模倣」はさらに深く、さらに淫らに戦場を浸食していく。

 死人に口なし。

 だがこのカッツェ平野では、死人は饒舌で貪欲だ。

 連合軍の兵士たちは、目の前の敵を殺すたびに、

 自分の心の中にある大切な記憶の一片を奪われ、

 穢されていくことを自覚する。

 殺すこと、

 それはすなわち自分自身の魂を、

 この淫らな平野の一部として差し出すことに他ならない。

 

 戦線の中央で、海江田勇蔵は雷槍を握りしめたまま、

 その光景をただじっと見つめていた。彼の目には理性の光がまだ残っている。

 しかし、その光は今にも砕け散りそうなほどに細く、弱々しい。

 一華の胎内で脈打つ新たな命。

 戦場に溢れかえる、終わったはずの命の模造品たち。

 生と死の境界線がこれほどまでに暧昧になった場所で、

 彼は一体「何」と戦えばいいのか。

 雷槍から漏れる紫電が、まるで彼の心の動揺を映すかのように不安定に瞬く。

 

「うつくしい……」

 

 隣に立つ白峰一華が、ぽつりと呟いた。

 その紅い瞳は、阿鼻叫喚の地獄絵図を、

 まるで一幅の名画でも鑑賞するかのように細められている。

「生者は生に執着し、死者は生を模倣する。

 そしてその狹間で、新たな命だけが唯一無二の『本物』として胎動する……。

 ねぇ、海江田さん。この平野こそが、この世で最も正直で、最も官能的な場所ではないですか?」

 

 彼女の問いに、海江田は答えられない。

 ただ彼の背筋を、冷たいものが一筋、流れ落ちていった。

 これは戦場ではない、と彼は悟る。

 これは巨大な子宮だ。

 カッツェ平野そのものが、ありとあらゆる命を呑み込み、模倣し、

 そして新たな異形の仔を産み落とそうとしている。

 その胎内の闇の中で、彼らはいつまで正気を保っていられるのか。

 

 カッツェ平野の霧がさらに濃くなる。

 淫らな宴に耽る者たちを、外野の目から隠すための天蓋。

 聞こえてくるのは、

 剣戟の音か、

 肉の裂ける音か、

 それとも終わりなき交わりの喘ぎ声か。

 見分けがつかないまま、壊れた鏡像たちの宴はさらにその熱量を増していく。

 冒涜的な輪廻に道連れにされるまで、決して終わることはないかのように。

 

 血と硝煙と、腐りかけた花の甘い蜜の匂い。

 それら全てが混ざり合った、重く湿った空気の中、

 着弾の衝撃が裂け目を穿つ。徹甲弾が不意に大地を裂き、

 鏡像たちの群れを塵芥と化す。その一瞬の静寂に、なおも響くのは、

 破壊された鏡像たちが最後に遺した、耳を劈くような快楽に濡れた絶叫だった。

 彼らは最期の瞬間まで、殺戮という名の交尾を手放そうとはしない。

 戦場はただ、その歪な情事を見つめるばかり。

 

 新世代の不死隊の波状攻勢は、

 まさに地獄の釜の底から湧き出る、

 終わりなき悪夢の奔流。

 そこに、さらなる毒が一滴、滴り落ちる。

 模倣。

 それは単なる戦術的な変異ではない。

 連合軍の魂を根こそぎ腐らせる、精神への強制的な愛撫。

 

「ひ、あ……ああ……!」

 

 若い日本派遣団の伐刀者が、悲鳴とも嬌声ともつかぬ声を上げた。

 彼の目の前で、つい先ほど砲撃で吹き飛んだはずの戦友が立っている。

 同じ顔、

 同じ体躯、

 同じ軍服。

 しかし、その双眸だけは墓穴の闇よりも昏く、

 獲物をいたぶる愉悦にぬらぬらと輝いている。

 

「おい、どうした。俺がわからねえのか?」

 

 模倣体が口を開く。

 声まで同じだ。

 だが、その口調にはかつての友誼の欠片もない。

 語尾が湿り、

 舌足らずで、

 まるで愛撫のように鼓膜を這う。

 

「置いてくなよ。一人で楽になりやがって。そんなに俺が嫌いか?

 それとも俺のこの手が怖いのか? 大丈夫だ、すぐに楽にしてやる。あの夜の続きをしようぜ」

 

 あの夜。

 その言葉に、若い伐刀者の顔から血の気が引いた。

 それは誰にも話したことのない秘密。

 戦勝の興奮に任せて戦友と交わした、ほんの出来心の過ち。

 それを、なぜ、こいつが知っている。

 なぜ、それを今、甘ったるい誘惑の文句として囁くのか。

 動揺した一瞬の隙。

 それだけで十分だった。死んだ戦友の顔をした何かは、

 蛇のように素早く間合いを詰めると、若者の手をそっと握りしめた。

 その手は記憶にある戦友の温もりとはかけ離れた、爬虫類のような冷たさ。

 若者が振り解こうとした時にはもう遅い。

 握られた手から、じわりと熱が失われていく。

 いや、奪われているのは熱だけではない。

 戦友との思い出。

 友情。

 罪悪感。

 ありとあらゆる感情が、その接触点から貪り吸われていく。

 若者の口から、ただ虚ろな吐息が漏れた。

 

「いい子だ。すべて俺に預けちまえ。

 そうすりゃあ楽になる。ずっと一緒だ。さあ、お前もこっちへ来い」

 

 蕩けるような声に導かれ、若者は抵抗する力を失い、

 されるがままに模倣体の群れの中へと引きずり込まれていく。

 無数の手が彼の体を撫で回し、鎧の隙間から生温かい舌が侵入してくる。

 それは捕食ではなく、同化だ。

 彼の人格も、

 記憶も、そして肉体そのものも、

 カッツェ平野という巨大な釜の具材として取り込まれ、

 新たな模倣体を生み出す養分となる。

 地獄の釜の蓋が、また一つ、重く閉ざされる音。

 

「精神汚染に対する防御魔術は!?」

 

 海江田勇蔵が、鋭い声で傍らのサガ帝国の老騎士に問う。

 その声にはまだ理性の光がある。

 しかし、老騎士はただゆっくりと首を横に振った。

 

「……無意味です。あれは攻撃ではありません。選択です。絶望か、堕落か。

 死か、それともこの冒涜的な永遠に加わるか。彼らはただ、

 後ろから抱きしめるように、その道を示しているだけに過ぎません」

 

 老騎士の言葉が終わるや否や、戦場の別の場所で、また新たな断末魔があがる。

 模倣体に殺される者の叫びではない。

 自らその腕に飛び込み、魂を明け渡す者の、陶然としたため息。

 あまりにも長く続くこの淫らな前戯に耐えかねて、

 自ら「本番」を求め始める者たちが出てきたのである。

 死の抱擁を、永遠の愛撫を。

 彼らはもはや、勝利など求めていない。

 ただ、終わることを。

 この悪夢が、どちらに転ぶにせよ、決着することを渇望している。

 

 霧の中、死せる戦友たちの甘いささやきが、湿った空気を震わせる。

 それは、カッツェ平野の大地そのものの吐息か。

 それとも新たな神の産声か。

 答えの出ぬまま、壊れた鏡の迷宮は、その深みを増していく。

 

 ——深い、深い絶望の帳。

 カッツェ平野の霧は、ただの怨念の集積だけでは飽き足らず、

 ついに「器」を欲し始めたのだ。

 

「……____、……___!」

 

 それは、聞き覚えのある声だった。

 否、聞き覚えがあるという感覚すら、もう麻痺し始めている。

 サガ帝国の古強者、隻眼の老騎士アーレンスは、

 飛来する銃弾を大盾で受け止めながら、乾いた唇の端を歪めた。

 笑っているのだ。

 これほどの悪辣を前に、笑う以外にどんな反応ができるというのか。

 

(なんと、手の込んだ地獄よ)

 

 視界の端で、部下の一人が虚空に向かって剣を振るっている。

 その目は血走り、口からは意味を成さぬ怒号が迸っていた。

 彼が見ているのは、十年前に戦死したはずの、彼の実の兄だ。

 模倣体は、ただ立っているだけだ。

 剣を抜きもせず、ただ優しく、

 まるで泣きじゃくる弟をあやすかのように両腕を広げている。

 模倣体が囁いた。

 正確にはその口は動いていない。

 しかし、若者の耳には確かに届いているのだ。

「もういい、頑張ったな。俺が迎えに来たぞ。さあ、もう休め」

 若者の頬を、一筋の涙が伝う。

 彼は十年来の重荷を下ろした者の顔で、

 ゆっくりと剣を下ろし、兄の幻影の胸に飛び込んだ。

 次の瞬間、模倣体の胸板が先ほどとは比較にならぬ悍ましい変貌を遂げ、

 触手の群れが若者を包み込み、その全身を一瞬で貪り尽くす。

 

(あれは、攻撃ではない)

 

 アーレンスは知っている。

 あれは「安らぎ」の提供だ。

 疲弊しきった者の心の隙間にするりと入り込み、

 最も優しい記憶の形で現れる。

 もう戦わなくていい、そう言って刀を下ろさせるための抱擁。

 それは死人による、生者への最も残酷な求愛。

 

「アーレンス様ッ!」

 横合いから飛び込んできた若い伝令兵が、悲鳴のような声を上げる。

「どうか今だけはお下がりを! この霧は、

 もはやただの瘴気ではありませぬ! 長くいれば魂を抜かれます!」

 

 その若い伝令兵の背後で、ぬっ、と人影が立ち上がった。

 つい先ほど、内臓をぶちまけて死んだはずの兵士だ。

 その腹の裂け目からはまだ湯気が立ち上っているというのに、

 その顔は至福に満ちている。

 それはまるで、長年の便秘から解放された者の恍惚に似て、

 悍ましいほどに無防備な笑みだった。

「おい、伝令。どこへ行く。命令はまだ終わっちゃいねえぜ。

 お前の持ち場はここだ。俺の内臓の中だ」

 模倣体は、自らの腹の傷口を両手でぐわりと広げて見せた。

 傷口の奥は暗く、無限の虚空のようだ。

 それは子宮の入り口を模しているのか。

 あるいは、もっと根源的で、もっと即物的な、肛門の誘惑か。

 

「う……あ……あああ……!」

 

 伝令兵の腰が砕ける。

 尻餅をつき、這って逃げようとする彼の足首を、死んだ上官の冷たい手が掴んだ。

 その手は、ただ引きずり込もうとしているだけではない。

 くるぶしを親指の腹でゆっくりと撫で回し、ふくらはぎを這い上がり、

 太腿の内側へと……それは明らかに、

 この世ならざる場所での、永遠の「接待」を予告する愛撫の手つき。

「いい子だから泣くな。お前のそういう怖がりなところ、嫌いじゃなかったぜ。

 存分に泣きながら、俺にしがみついてこい。今度こそ、逃がしはしねえ」

 

 老騎士アーレンスは、大盾を投げ捨てた。

 こんなくだらない舞台で、盾など無意味だ。

 これはもはや戦闘ではない。

 これは、戦場そのものが一個の巨大な性器となり、

 我々全員を嬲り、骨の髄までしゃぶり尽くそうとしているのだ。

 

 アーレンスはゆっくりと腰のロングソードを抜き放つ。

 その切っ先を向ける先は、かつての部下たち。

 今はもう、カッツェ平野という娼館で働く、哀れな死人たち。

「よかろう」

 低く、野太い声で彼は言った。

「そこまで俺を孕ませたいか、この腐れ平野が。

 ならば受けて立とうではないか。ただし、生娘を抱くようにはいくまいぞ。

 俺はこの戦場で、幾万という部下の死に様を見届けてきた。

 貴様らのような未練がましい死人の百や千、文字通り一刀両断して、

 二度と床に上がれぬ身体にしてくれよう」

 

 これは、宣戦布告であると同時に、ある種の交尾の同意だ。

 絶望を飼い慣らし、狂気を受け入れた者のみが至れる境地で、老騎士は吼える。

 その咆哮に呼応して、無数の模倣体たちが歓喜の悲鳴を上げ、一斉に彼へと殺到する。

 死後の世界で催される、倒錯した乱交パーティーの開幕。

 

 その狂乱の輪の外れ、日本派遣団の陣取る一角。

 雷槍をただ杖のようについて立ち尽くす海江田勇蔵の視界に映るのは、

 まったく別の光景だった。彼の足元に、死体が転がっている。

 彼の手にかかって死んだ、つい先ほどの敵兵の死体だ。

 

 その死体が、ゆっくりと首だけを動かし、彼を見上げた。

 顔は、ない。のっぺらぼうだ。

 ただ、溶けた蝋のようにどろどろの顔面の中心で、

 口に当たるべき穴だけがパクパクと動いている。

「……み……つ……けた……」

 

 それは、彼の妻の声だった。

 

 日本の自宅で、夫の帰りを待っている、ただの人妻の声だった。

 その声は、この血塗られた平野で最も不似合いで、

 しかしだからこそ最も残酷に、海江田の心臓を貫いた。

「あなた……逢いたかった……ずっと、ずっと待っていたの……。

 私の中には、あなたの子がいるのよ……。一華さんとも挨拶したいわ……

 ……愛しているわ……だから、早く……おいで。こっちへ、来て……」

 

 のっぺらぼうの顔面が、ぐにゃりと歪み、笑みの形に変わっていく。

 その口調は、妻の愛情そのもの。

 日本で待つ妻は、一華の名前を知っているはずがない。

 それなのに、これは一体何だ。

 これは、いったい誰の記憶を喰って吐き出した言葉なのだ。

 

 雷槍を握る海江田の手が、生まれて初めて、激しく震えた。

 魂の中で、妻への罪悪感と、一華の胎内に芽生えた子への歪な愛情とが、

 この上なく下劣な形で結びつけられ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。

 一華の胎内の子は、私との子ではないのか?

 それとも、これはただ、彼の破滅を望むカッツェ平野の、最も陰湿な囁きなのか。

 どちらにせよ、彼はもう、何も考えられなかった。

 ただじっと、妻の声をした肉塊を見つめながら、

 自分の内側で何かが引きちぎれていくのを、聞くともなく聞いていた。

 

 カッツェ平野の霧はさらに濃く、しっとりと戦場を包み込む。

 その奥では、老騎士の咆哮と、若者の嬌声とが、

 不快なほど美しい不協和音を奏でていた。

 壊れた鏡像たちの宴はまだ始まったばかりだ。

 彼らは器用な指使いで、生者の心の琴線を一本一本つまびき、

 その音が途切れるまで、この淫らな演奏会は終わらない。決して。

 

「いいぞ。もっとよく見せてくれ」

 アーレンスは笑う。

 周囲には、内臓をぶら下げた兵士長の幻影が、

 昔のように片膝をついて彼に剣を献上しようとする。

 その頬を撫でてやれば、幻影はまるで愛猫のように目を細め、

 しかしその口は耳元で「隊長、一緒に地獄で飲みましょう」とささやくのだ。

 アーレンスはその首を、無造作に刎ね飛ばす。

「地獄はもう結構。散々見てきたからな。

 どうしても酌が欲しいなら、天国の門の前で待っていろ」

 

 一方、日本派遣団の陣営では、魔術防御に長けた伐刀者が、

 自らの精神防壁を必死に維持しながら、

 まるで壊れたラジオのように同じ文言を繰り返していた。

「これは幻覚だ……これは幻覚だ……これは……」

 その耳元に、彼がかつて誤射で死なせてしまった親友の声がささやく。

「幻覚じゃねえよ。俺は本物だ。そうだろう? お前が一番よく知ってる。

 なあ、お前、今でも夜中にうなされるのか? かわいそうに……こっちへ来いよ。

 俺が楽にしてやる。あの時の、お返しをしような」

 防御を誇る伐刀者の瞳から、光が消える。

 彼は無言で立ち上がり、ゆっくりと防御結界を解いた。

 そして、まるで恋人の待つ場所へと向かうかのような、

 平静な、しかしどこか浮ついた足取りで、無数の触手が誘う闇の只中へと歩いていく。

 

 模倣。

 それは記憶のレイプだ。

 親愛も、

 友情も、

 罪悪感も、

 ありとあらゆる人間の尊い感情が、

 死を甘受させるための、

 ただの肉体的な性感帯へと貶められていく。

 連合軍の兵士たちは、抗うことのできない快楽にじわじわと蝕まれながら、

 一人、また一人と、この戦場という巨大な閨への同化を受け入れていく。

 

 海江田は、まだ耐えている。

 否、耐えているのではない。

 ただ、動くことができないのだ。

 彼の心を最も苛む二つの「像」が、彼の目の前で、彼を奪い合っている。

 遠く日本で待つ妻の幻は、涙ながらに彼の名を呼び、

 早くこちらへ来て安らぐよう誘う。そして、すぐ隣に立つ白峰一華の幻は、

 腹の膨らみを愛おしそうに撫でながら、無言で彼に手を差し伸べる。

 その無言の圧力が、言葉よりも雄弁に彼に告げている。

「あなたの場所はここです。この子の父親はあなたです。逃げてはいけません」

 

 二つの幻に挟まれ、海江田はただ立ち尽くす。

 雷槍を握る手は汗で濡れ、紫電の輝きも弱々しい。

 これこそが、この戦場の本質。

 殺し合いなどではない。

 これは、人の弱さを穿り出す、大掛かりな凌辱。

 生きる意志も、

 愛する記憶も、

 すべてこの平野に堕ちてしまえば、

 死へと誘う前戯のアクセサリー。

 

 地獄の写し身たちは、今日も獲物を優しく包み込み、

 その膝の上であやしながら、魂を喰らう。

 慈母の微笑みで、無垢なるものを死の褥へ誘う。

 その宴に終わりはない。

 カッツェ平野の霧が晴れることは永遠になく、ただ絶え間なく、

 新たな道連れを求める手が、虚空をかきむしっているのだ。

 

 霧の帳がさらに深く垂れ込める中で、

 それでも戦線はかろうじて保たれていた。

 否、保たれているというのは錯覚だ。

 ただ、食い破られていない場所がまだ点々と残っている、というだけの話である。

 

 空気は、もはや呼吸に適さない。

 硝煙と血と、そして何より、

 どす黒く凝り固まった欲望の澱が肺胞を満たすようだ。

 その粘着質な瘴気の中で、ただ一点だけが、

 燦然と、しかし残酷に輝いていた。

 

 白峰一華。

 

 彼女は歩みを止めなかった。

 迫り来る肉の波も、

 死者の甘い囁きも、

 何一つとして歩みを鈍らせることはできない。

 ただ、その瞳の奥に宿る暗い情熱だけが、

 揺らめくように燃え上がっていた。

 

「……邪魔」

 

 その一言は、

 命令であり、

 懇願であり、

 そして呪いだった。

 彼女の周囲十メートル。

 その空間が、歪んだ。

 物理法則が捻じ曲げられたような、

 あるいは極限まで昂ぶった視神経が映し出す幻覚のような、

 ねっとりとした歪み。

 

 魔剣・無慙(むざん)。

 その本質は「浸透勁」の極致。

 刀身を触れさせることなく、

 特定の振動数を空間に響かせ、

 相手の構成分子そのものを共鳴させ、崩壊させる魔剣。

 今、彼女はその理(ことわり)を、

 己が身を中心とした球状の結界へと拡張したのだ。

 

 ぶるるるるる……っ! 

 

 空気が震える。

 低く、

 重く、

 そして何処か甘美な唸り声を上げて。

 熟れきった果実を掌中で弄ぶ時の、

 あの危うい弾力の予感。

 

 最初に触れたのは、

 内臓をぶら下げたまま迫ってきた模倣体の群れ。

 彼らは歓喜の悲鳴を上げながら、

 その血塗れの手を一華の華奢な肩へと伸ばした。

「見つけた……俺の……」

 その指先が、不可視の膜に触れた瞬間。

 

 弾けた。

 

 否、弾けたなどという生易しい言葉では足りない。

 指先から侵入した「振動」が、

 一瞬で彼らの体内へと浸透し、

 細胞レベルで共鳴を始めたのだ。

 骨が砕け、肉が融け、内臓が沸騰する。

 彼らは自らの体重すら支えきれなくなり、

 その場に崩れ落ちた。

 だが、それは死ではない。

 もっと粘着質で、もっと淫らな現象。

 

 熱した鍋に落としたバター。

 皮膚が垂れ下がり、

 筋肉がドロドロの液体へと変貌し、

 骨格さえも柔らかく溶け合っていく。

 痛みすら伴わない程の圧倒的な快感

 崩れ落ちる寸前の彼らの顔には、

 苦悶など微塵もなく、

 ただ恍惚とした、

 絶頂の表情が張り付いていた。

 

 あぁ……あぁぁ……っ! 

 

 ドロドロに溶けた肉塊から漏れるのは、

 断末魔などではなく、

 まるで愛撫を受け入れる雌の喘ぎ声のようだった。

 一華の結界は、彼らを殺したのではない。

 ただ「愛した」だけだ。

 あまりにも激しく、

 あまりにも深く、

 存在の核まで溶かし合わせるほどの愛撫で。

 

 次々と飛び込んでくる鏡像たち。

 彼らは皆、等しくその愛撫を受け入れ、

 赤黒いスープへと変貌していった。

 それは一方的な凌辱でありながら、

 どこか神聖な儀式のようにさえ見えた。

 一華という絶対的な存在に抱かれ、

 その存在としての輪郭を失い、

 ただの肉汁へと還元される。

 これこそが救済だとでも言うように。

 

「あつっ……」

 

 海江田勇蔵は息を呑んだ。

 彼は結界の外にいる。

 だが、その余波すら避けられない。

 肌を刺すような熱気と、

 骨の髄まで震わせる微細な振動。

 それは直接耳元で囁かれる甘い吐息のように、

 彼の理性を削り取っていく。

 

 視界の中で、

 妻の幻と一華の幻が重なり合う。

 そしてその背後で、

 無数の人間が溶け落ちていく様がスローモーションのように映し出される。

 それは地獄か? 

 それとも極楽か? 

 判断がつかない。

 ただ分かるのは、

 目の前の女が発しているのは、

 殺意などという陳腐なものではなく、

 もっと根源的で底知れぬ「渇望」だということ。

 

 一華は海江田を見ていた。

 いや、正確には海江田の中にいる「自分の虚像」を見ていた。

 彼女の結界は、

 迫り来る敵を排除するためだけのものではない。

 その胎内に宿る新たな命を守るための子宮であり、

 同時に彼女自身を孤独な高みへと隔離する檻。

 

「海江田さん」

 

 一華が呼ぶ。

 その声は、結界の中で反響し、

 幾重にも折り重なって海江田の鼓膜を打つ。

「見ていてください。

 これが私の……私たちの子を守る力です」

 

 ドロドロの肉汁と化した元・人間たちが、

 一華の足元に溜まっていく。

 彼女はそれを避けることなく踏みしめながら、

 ゆっくりと海江田へと近づいてくる。

 ブーツの底から伝わる粘着質な感触。

 それはまるで、

 今まさに果てた直後の肢体の奥深くに触れているかのような……。

 

「……きれいだ」

 

 海江田は呟いた。

 正気ではないのかもしれない。

 だが、ドス黒い液体にまみれながらも清浄さを保つ一華の姿は、

 今の彼には何よりも美しく、そして恐ろしく見えた。

 

 カッツェ平野の霧は濃くなる一方だ。

 だがその中でだけ、

 確かな熱を持った空間が存在していた。

 触れるもの全てを溶かし合わせ、

 混ぜ合わせる究極の愛撫。

 それが終わるのはいつか? 

 おそらく彼女が望まない限り、永遠に。

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 真人類帝国の貴族たちは、彼を「爬虫類の傭兵」と呼んで唾棄する。

 サガ帝国の将軍たちは「金で動く裏切者」と罵りながらも、無言で雇い入れる。

 シガ王国の騎士たちは「獣」と蔑み、それでいて武勲に密かな嫉妬を燃やす。

 

 だが、当の本人は——そんな評価など、まるで意に介していない。

 

 シン・メーン。

 

 二つ名を《鱗姦》。

 

 彼が戦場に求めるものは、金ではない。

 名誉でもない。

 忠誠や愛国心や、そんな人間じみた美徳とは無縁。

 

 彼が求めるのは「わからせる」こと。

 

 誇り高き騎士を、敬虔な修道女を、戦場で煌めく女戦士を——

 その尊厳を一枚ずつ剥がし、膝を折らせ、自ら脚を開いて懇願するまでに堕とし込むこと。

 

 それが、彼の全てだった。

 

「生まれが気になるか」

 

 カッツェ平野の濃霧の中、シン・メーンはゆっくりと尾を振った。

 逆棘の生えたそれが地面を叩くたび、湿った腐葉土が卑猥な水音を立てる。

 

 鱗は漆黒。

 光を吸い込むような闇色でありながら、

 戦場の血煙を浴びるたびにぬらぬらと妖しく輝いた。

 爬虫類特有の冷たい目は縦長の瞳孔を持ち、

 獲物を品定めするときだけ爛々と熱を帯びる。

 

「俺はな、真人類帝国の貴族連中とは違う。

 あの連中は『長生種』だの『短生種』だの、つまらん区別に血道を上げている。

 人間は劣等種族だ? だから殺せ? 犯せ? ——馬鹿馬鹿しい」

 

 嗤う。

 口の端から覗く牙が、霧の中で白く光った。

 

「大事なのは種族じゃねえ。《質》だ。どれだけ上等な魂を持っているか。

 どれだけ折り甲斐のある誇りを抱えているか。どれだけ美しい悲鳴を上げるか」

 

 彼の来歴は謎に包まれている。

 

 真人類帝国の下層民として孵化したことだけは確かだが、それ以上の記録はない。

 語ることもなければ、調べようとした者も——おそらくは「わからせ」られたのだろう。

 

 ただ、断片的な噂だけが戦場を駆け巡る。

 

 曰く、若き日のシン・メーンは帝国軍のある女将軍に仕えていた。

 

 曰く、その女将軍は吸血鬼の貴族で、爬虫類の彼を「道具」としてしか見ていなかった。

 

 曰く、ある戦いのさなか、彼はその女将軍を逆に「わからせ」、軍の機密を持って出奔した。

 

 曰く、それ以来、彼は主を求めていない。

 ただ、かつて自分を見下した女将軍と同じ目をした「傲慢な雌」を探し続けている。

 

 真偽は定かではない。

 

 だが、彼が狩る獲物に一貫した嗜好があることは確かだった。

 

 ——誇り高き者。

 

 ——自分を見下す者。

 

 ——「絶対に屈しない」と信じている者。

 

 そういった相手を、数日かけて、時には数週間かけてじっくりと「調理」。

 戦闘での屈服だけでは足りない。

 精神の屈服だけでも足りない。

 魂そのものを、自分なしでは生きられないように「再調教」。

 

 彼の戦争であり、

 彼の芸術であり、

 彼の性癖だった。

 

「アスト」

 

 シン・メーンは、地に伏した白銀の女騎士を見下ろしながら、昔を思い出していた。

 

 十三年前。

 サガ帝国の斥候として真人類帝国領に潛入。

 その時、彼を発見し、単騎で追ってきたのが十代半ばの少女騎士。

 

「下賤なトカゲが!」

 

 そう叫び、長槍を構えて突っ込んできた。

 若く、無謀で、そして何より——誇り高く美しかった。

 

 結果は、火を見るより明らか。

 

 少女を簡単に組み伏せ、死を覚悟した彼女に——

 闇よりも深い「悦び」を教え込んだのだ。

 純潔という名の魂を、逆棘の生えた尾で貫き、

 何度も何度も果てさせ、悲鳴を上げて啼き叫び、

 ヤメて、タスケテと懇願する女体を貪り喰った。

 

「死ぬなら、いつでも死ねる」

 

 そう嗤って立ち去った。

 

「だが、どうせ生き延びるなら——

 次はもっと上手く啼けるようになれよ。俺を倒したいならなおさらな」

 

 それが、アストという雌の原体験となった。

 

 十三年後。

 

 真っ当に育ったアストは、憎悪を胸に復讐を誓い、カッツェ平野に立っていた。

 だが彼女は知らなかった。

 復讐心とは、裏返せば執着であり、執着とは最も強力な媚薬だということを。

 

 彼は気づいていた。

 

 アストの槍には、復讐の決意と同時に、

 あの日の「続き」を求める雌の熱が宿っているのを。

 

 だからこそ、時間をかけた。

 

 まずは力で圧倒し、復讐が無意味だと示す。

 次に言葉で嬲り、「殺したい」のではなく「もう一度抱かれたい」のだと自覚させる。

 最後に——肉体で「わからせ」る。

 

 その巧緻な指づかい、絶妙な力加減、容赦ない逆棘の責め具。

 

 かつての「続き」としてふさわしい、あまりにも淫らな再会。

 

「さて」

 

 シン・メーンは顔を上げる。

 

 足元には、完全に牝犬へと堕ちたアストが跪いている。

 その琥珀色の瞳からは復讐の光は消え失せ、

 ただ主人を見上げる従順な輝きだけが残っていた。

 

 だが、彼の欲望はまだ満たされていない。

 むしろ、アストという極上の獲物を「仕上げた」ことで、その飢えはさらに深まった。

 

 彼の爬虫類的な嗅覚が、戦場の瘴気の中から——ある一点を捉える。

 

 連合軍の防衛線。その奥。

 

 そこに立つ、漆黒の髪の魔女。

 

 白峰一華。

 

 彼女が放つ魔力は、他のどんな女戦士とも違っていた。

 絶対的な力の匂い。

 誰も触れられない孤独の芳香。

 そして何より——その奥に隠された、マゾメスの香り。

 

「ああ……こいつは、俺の尻尾が疼く」

 

 舌なめずりをした。

 

 長大な尾が、期待に震え、逆棘を逆立てる。

 

「今度は……一晩じゃ足りねえな。一ヶ月はかかる。

 いや、あの女を完全に《わからせる》には——一年でも足りるかどうか」

 

 アストを堕とすのにかかった期間は十三年前を含めて数時間。

 だが、一華は格が違う。

 力においても精神においても、この戦場で最も強靭な「雌」。

 

「だからこそ——やり甲斐がある」

 

 シン・メーンは嗤う。

 

 彼にとって戦争とは、こういうものだ。

 勝利も敗北も、領土も報酬も、ただのスパイスに過ぎない。

 求めるのはただひとつ——「わからせる」こと。

「わからせた」相手が堕ちていく様を、特等席でじっくりと鑑賞すること。

 

 ゆっくりと、アストの首に鎖を繋いだ。

「わからせた」雌だけに許される、所有の証。

 

「行くぞ、アスト。前座は終わりだ」

 

「……はい、ご主人様」

 

 アストの口から漏れるは、もはや騎士の声ではない。

 牝犬の、甘ったるい鳴き声。

 

「次の獲物は——あの、黒髪の魔女だ」

 

 カッツェ平野の霧が、さらに濃くなる。

 

 その中を、シン・メーンは悠然と歩み始めた。

 尾が、来たるべき獲物を思って下品に脈打っている。

 

 これから始まるのは、かつてないほど長く、淫らで、深い「わからせ」の宴。

 

 その主賓は——白峰一華。

 

 カッツェ平野の大地が、性急な交尾の前奏に震える。

 

 シン・メーンの来歴は、まだまだこれから紡がれていく。

 いや、彼の「わからせ」こそが彼の履歴そのもの。

 

 堕とした雌の数だけ、彼の鱗は美しく輝くのだ。

 

 カッツェ平野の最深部。

 霧はここに至って、もはや気体ですらない。

 粘りつく羊水だ。

 数千年前の亡者たちが吐き出した怨念のスープ。

 その底なし沼の中で、二つの影が対峙していた。

 

 一人は、絶対なる孤高の魔女。

 白峰一華。

 漆黒の髪が湿った空気を切り裂き、紅蓮の瞳が昏い情熱を燃やす。

 その手に持つ大太刀『黒耀』は、まだ鞘に収まったままだ。

 必要がないからだ。

 彼女の周囲十メートルはすでに『結界』——魔剣・無慙(むざん)による共振振動の領域。

 触れるもの全てを分子レベルで崩壊させる絶対防御にして絶対攻撃。

 

 もう一人は、最狂なる捕食者の獣。

 シン・メーン。

 漆黒の鱗が湿気を弾き、爬虫類的な縦瞳が獲物を品定めする。

 その背後では、長大な尾が卑猥な水音を立てて揺れていた。

 逆棘が、期待に震えている。

 

「……随分と待たせてくれたじゃない」

 

 一華が口を開く。

 声は低く、押し殺した欲望の澱が混じっている。

 彼女は待っていたのだ。

 この戦場の喧騒を離れ、ただ自分一人と向き合ってくれる「絶対」を。

 海江田では足りない。

 フィリップでは足りない。

 彼らはただの「駒」であり、「慰め」に過ぎないからだ。

 

「ああ。前座が長すぎてな、俺の尻尾もそろそろかゆいところだ」

 

 シン・メーンが嗤う。

 牙は、獲物を逃がさないための拘束具であり、同時に与える快楽の約束。

 

「試してみるか? 俺の鱗が砕けるか。お前の肉が屈服するか」

 

 挑発。

 だがそれは、決闘の申し込み以上の意味を持っていた。

 どちらが先に悦びを認めるか。

 雌雄を決する、純然たる交尾の宣言。

 

「……くだらない」

 

 一華は短く吐き捨てると、『黒耀』の柄に手をかけた。

 抜かない。

 ただ、柄に指を這わせるだけでいい。

『無慙』の振動数が変わる。

 空間が、歪んだ。

 

 ぶるるるるるるっ……! 

 

 低く、重く、そして何処か甘美な唸り声。

 一華の周囲の空間が、極限まで圧縮され、振動し始める。

 それは空気のヴァイブレーター。

 触れただけで細胞を共鳴させ、蕩かす絶対的な愛撫。

 

 シン・メーンは動じない。

 むしろ、その歪んだ空間へと自ら足を踏み入れた。

 

「ほほう……いい指圧だ。俺の鱗がチリチリと喜んでいるぞ」

 

 踏み出す一歩ごとに、空間の振動が彼を襲う。

 漆黒の鱗が微細に震え、削り取られていく。

 パラパラと黒い粉が舞う様は、ストリップの最初の一枚を脱ぎ捨てるかのよう。

 

 だが、止まらない。

 シン・メーンの歩みは遅く、しかし確実だった。

 彼の伐刀絶技『鱗流剛身』は、鱗を極限まで硬化させる術理。

 振動による崩壊と、硬化による抵抗。

 そのせめぎ合いが、金属音のような、あるいは肉が擦れ合うような淫らな音を奏でる。

 

「くっ……!」

 

 一華の顔が歪む。

 信じられなかった。

 自分の絶対結界が、破られている。

 いや、破られているのではない。

『受け入れられている』のだ。

 シン・メーンの存在そのものが、一華の振動数と共鳴し、侵食し始めている。

 

「どうした? もっと気持ちよくしてくれよ。

 お前のその指先で、俺をもっと撫で回してくれ」

 

 シン・メーンが嗤う。

 その声は、鼓膜ではなく、子宮に直接響くようだった。

 

 距離が縮まる。

 あと五メートル。

 三メートル。

 一メートル。

 

 至近距離。

 もはや剣など不要の領域。

 

 シン・メーンの手が伸びる。

 その手は一華の頬に触れるためにあるのではない。

 彼女の作り出した『絶対』という名の処女膜を、

 物理的かつ精神的に貫くためにある。

 

「俺の方が、お前の中に入りたがっているようだぜ」

 

 ズブッ……

 

 音がした。

 空間が裂ける音。

 そして、肉が貫かれる幻聴。

 

 一華の結界が、シン・メーンの巨体を受け入れた瞬間だった。

 いや、違う。

 彼女自身が無意識に『道』を開いたのだ。

 孤独という名の膣痙攣を解きほぐし、

 待ち望んでいた異物を受け入れるために。

 

「あぁっ……!?」

 

 一華の口から、悲鳴とも嬌声ともつかぬ声が漏れる。

 胸元を押さえる。

 心臓ではない。

 もっと下。

 下腹。

 そこにある空虚な空洞が、熱い塊で満たされていく感覚。

 

 シン・メーンの股間からそそり立つ巨根。

 それは結界という名のコンドームを突破し、

 一華の肉壁へと直接触れようとしていた。

 

「見ろよ。お前の中身が俺を歓迎している」

 

 シン・メーンは一華の耳元で囁くと、

 そのまま彼女を押し倒した……わけではない。

 立ち尽くしたまま、彼女の腰を強引に引き寄せる。

 

 グチャ……ッ……

 

 卑猥な水音。

 一華のスカートの中で、何かが融け、混ざり合う音。

 

 抵抗しなければならない。

 殺さなければならない。

 この男は敵だ。

 この男は私を壊しに来た化物だ。

 

 頭ではわかっている。

 だが、身体が言うことを聞かない。

『無慙』の振動はすでに殺意を失い、

 ただ快楽を伝達するための神経パルスへと変質していた。

 

「私は……まだ……屈して……いない……っ!」

 

 震える声で否定する一華。

 その瞳には未だ屈辱の色がある。

 しかし、その頬は紅潮し、唇は潤み、

 太腿の内側では愛液がとめどなく溢れている。

 

「いいねえ、その目だ」

 

 シン・メーンは恍惚とした表情で彼女を見下ろす。

 

「その目が俺を見下ろしている間はなおさらだ。

 これからたっぷり悦ばせてやるよ……お前が俺に祈るまでな!」

 

 逆棘の生えた巨根が、一華の秘裂を割り開き、

 粘着質な膣壁を掻き分けて奥へ奥へと侵入していく。

 

 ヌプッ…… ズブズブズブッ……! 

 

「くっ……あぁぁ……! 壊れる……っ! お腹が……壊れるぅっ!」

 

 一華の背筋が反り返る。

 子宮口を直接殴打される衝撃。

 それは暴力でありながら、

 渇望していた「究極の接触」でもあった。

 

 誰にも触れられなかった絶対者。

 孤独な膣内は、あまりにも敏感すぎた。

 异物に、悲鳴を上げながらも痙攣し、

 精飲(ザーメン)を求めて収縮していく。

 

 カッツェ平野の霧はさらに濃くなる。

 二人の交わりを目撃しないための天蓋か。

 それとも、新たな淫らな儀式に酔いしれるための覆い(ヴェール)か。

 

 最強なる雌は、最狂なる雄に敗北する運命にある。

 いや、これは敗北ではない。

 これは降伏だ。

 孤独という名の戦争に終止符を打つための、

 血と精液による和平条約の締結だ。

 

「ああっ! あぁんっ! イクッ! イクゥゥゥッ!」

 

 一華が仰け反り、白濁した目で虚空を見つめる。

 その口から漏れるのはもはや否定の言葉ではない。

 ただひたすらに貪欲な、

 雌としての歓喜の啼き声だけだった。

 

 カッツェ平野の最深部。濃霧はもはや視界を遮る壁ではなく、

 互いの吐息と体液の匂いを閉じ込めるための密室の襖だ。

 

 ズブズブズブッ……! 

 

 粘着質な水音が響く。

 それは魔剣が肉を断つ音ではない。

 遥かに原始的で、遥かに淫らな、

 雄の肉塊が雌の肉壺をこじ開け、沈み込んでいく音だ。

 

 シン・メーンの巨根。

 人間の腕ほどもあろうかというその異形は、

 ただ太いだけではない。

 表面を覆う無数の逆棘(ぎょくきょく)が、

 一華の膣壁という名の最高級絨毯を、

 一針一針、丁寧にかつ残酷に掻き回していく。

 

「あぁっ……! ぐっ……うぅぅっ!」

 

 白峰一華が仰け反る。

 その口から漏れるのは悲鳴か? それとも嬌声か? 

 答えは両方だ。

 物理的な激痛と、それに裏返った精神的快楽が、

 彼女の中でカクテルのように混ざり合い、

 脳髄を痺れさせる強烈なアルコールとなって回っている。

 

《わからせ》——それは単なる強姦ではない。

 相手の構造を理解し、その弱点を突き、

「自分なしでは生きられない」ように再構築する外科手術に近い。

 

 シン・メーンは知っていた。

 この女は『絶対』だ。

 既に絶対者に屈しているからこそ

 本質的にはソレ以外を受け入れる余地がない。

 誰にも触れられず、誰にも屈しない。

 そんな高潔な孤独こそが、最も固く脆い処女膜

 

 だからこそ、は容赦しない。

 逆棘の生えた凶器で、その孤独を物理的に引き裂きに行く。

 

「どうだ? 俺のがお前の中に入ってくる感覚は? 

 主に捧げた聖域を、汚いトカゲが蹂躙してるんだぜ? 

 ……くくくっ、いい表情だ♪ 仮面が今にも溶け落ちそうだ♥」

 

 シン・メーンが腰を打ち付けるたびに、

 一華の華奢な肢体は弾むように跳ねる。

 重たい肉と肉がぶつかる音は、

 荘厳な戦場に似つかわしくないほど下品で、

 それでいてこの上なく扇情的だった。

 

 グチュッ! ヌプッ! ズチュウウウッ! 

 

 膣内はすでに悲鳴を上げている。

 分泌された愛液は、拒絶の涙などではない。

 歓喜の雨だ。

 逆棘が膣壁の襞を削り取るたびに、

 隠されていた神経が露わになり、

 そこへ容赦ない刺激が注ぎ込まれる。

 

「あっ……ああっ! やめっ……! 壊れるっ! 

 お腹が……お腹がへんになるぅぅっ!」

 

 一華の両手がシン・メーンの背中に回る。

 爪を立てているのか? 押し退けようとしているのか? 

 いや、違う。

 彼女はしがみ付いているのだ。

 あまりの衝撃に、独りで立っていられないから。

 そして無意識に、この「絶対的な雄」を求めているからだ。

 

(ああ……そうか……)

 

 一華の虚ろな意識の中で、何かが音を立てて砕けた。

 

(私は……欲しかったのだ……)

 

 孤独。

 重圧。

 押し潰されそうになるたび、

 彼女は密かに夢見ていたのだ。

 自分をこの虚無から救い出してくれる、

 圧倒的な暴力を以て自分を「雌」へと還元する、

 そんな乱暴な王子様を。

 

 目の前のトカゲは、確かにその条件を満たしていた。

 醜悪だ。

 下劣だ。

 敵だ。

 だが、その股間から突き出された欲望の塊だけは、

 何よりも純粋で、何よりも正直だった。

 

「ほらほら♪ もっと啼けよ♥

 お前がどれだけ高潔な騎士でも、

 子宮を殴られれば雌になるんだよっ!」

 

 シン・メーンがさらに深く抉る。

 子宮口。

 生命の門。

 そこを無遠慮にこじ開け、

 先端が直接粘膜を擦り上げる。

 

「ッ──────ーッ!!?」

 

 一華の背骨が弓なりに撓る。

 目が見開かれ、口から涎が垂れる。

 思考が白濁し、世界が回転する。

 

 これこそが『わからせ』だ。

 言葉で説くのではない。

 道理で諭すのでもない。

 ただ肉と肉との激突によって、

 相手の存在そのものを書き換える行為。

 

「見ろよ! お前の中身が俺を締め付けてやがる! 

 口じゃ否定しても、ここは正直だな♪ 

 ほらほらほらぁっ! まだまだ行くぜぇッ!」

 

 ピストン運動が加速する。

 単なる往復運動ではない。

 彼は意図的に亀頭の角度を変え、

 膣内の敏感なポイントを的確に狙い撃つ。

 まるで名器の設計図を見ているかのような、

 あるいは数多の雌を堕としてきた経験則に基づいた、

 悪魔的とも言えるテクニック。

 

(あぁ……ダメ……思考が……融ける……)

 

 一華の瞳から光が消えかける。

 その代わりに宿ったのは、

 ただひたすらに貪欲な、

 メスとしての本能の炎だった。

 

「シン……メーン……ッ! アツイ……ッ! 

 お腹の中が……熱いぃぃッ!」

 

「そうだ! その顔だ♥ その顔が見たくて俺は来たんだ♪ 

 さあ、受け取れよ! 俺の全部をブチ込んでやる!」

 

 シン・メーンが咆哮と共に最奥へと叩きつける。

 逆棘が子宮口を掻き回し、

 亀頭が子宮壁を押し上げる。

 

 ドピュルルルルルルッ……! 

 

 熱い飛沫が脳内で弾ける音。

 シン・メーンの精液が、

 一華の子宮という名の聖杯に注ぎ込まれる。

 

「ああぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 

 絶頂。

 あるいは開眼。

 一華は声にならない叫びを上げながら、

 シン・メーンの背に爪を立て、

 その太い首にしがみついた。

 

 カッツェ平野の霧はまだ晴れない。

 二人の交わりはまだ終わらない。

 これは最初の中出しなど、

 長い《わからせ》のプロセスにおける第一ページに過ぎないのだから。

 

 だが確かなことが一つだけある。

 最強なる魔女は今この瞬間、

 最狂なる獣によって、確実に「孕まされた」ということだ。

 

 それは物理的な妊娠ではない。

 魂への烙印。

 二度と逃げられない支配の刻印。

 

 一華は虚ろな瞳で虚空を見つめながら、

 子宮に注ぎ込まれる熱を感じていた。

 それは恐怖であり、屈辱であり、そして——

 

 何よりも甘美な、安堵だった。

 

 カッツェ平野の最深部。

 数千年の怨嗟が凝固し、羊水へと変質した濃霧は外界との隔壁。

 ここには、ただ二つの影だけが存在する。

 征服するものと、征服されるもの。

 雄と、雌。

 

 シン・メーンの漆黒の鱗が、湿度を帯びた闇の中でぬらりと輝くたびに、

 その下で組み敷かれた白峰一華の白い肌が、対照的に浮かび上がる。

 四肢を完全に開かされ、戦場の泥と自らの汗と愛液にまみれながら、ただ息を乱していた。

 

「ふひっ……見ろよ、この締め付け。まだまだ足りねえって、奥が泣いてやがる」

 

 シン・メーンが嗤う。

 爬虫類の縦長瞳孔が、愉悦に歪む。

 彼の腰は、一華の裂け目に埋め込まれたまま、まだ動きを止めていなかった。

 逆棘の生えた巨根は、膣内で脈打ち、一華の肉壁を探り、品定めしている。

 

 グチュ…… ヌプッ…… ズチュウウ……

 

 粘液が泡立つ音。

 戦闘の喧騒でも、抵抗の悲鳴でもない。

 ただひたすらに深く、重たく、互いの体液を交換するための官能的なリズム。

 シン・メーンの腰が引かれるたび、一華の膣壁は裏返るほどに引き出され、

 次の瞬間、容赦なく子宮口へと叩きつけられる。

 

「あぐっ……! ひぅ……ッ!」

 

 一華の口から、獣のような短い悲鳴が漏れた。

 その度に、彼女の瞳からは理性の光が剥がれ落ち、代わりに宿るのは昏迷と悦楽の白濁。

 かつて『落第騎士』と呼ばれた男の自我の残滓は、

 子宮を直撃する激痛と快楽の波に、完全に溶解。

 

(ああ……これだ……私が欲しかったのは……!)

 

 一華の思考回路は、もう恥辱を感じない。

 なぜなら今、彼女のすべては「メス」としての本能に塗り替えられつつあったからだ。

 触れられない絶対者の孤独も、触れてはならない禁忌の重圧も、

 この下劣で圧倒的なトカゲの暴力が、根こそぎ浚っていく。

 

「おらおらぁ! もっと締めろ! ケダモノのザーメンが欲しいかって聞いてんだよ!」

 

 シン・メーンが一華の腰を掴み、さらに深く、さらに重たく抉り込む。

 グポッ、と子宮口がこじ開けられ、亀頭の先端が直接子宮内膜を擦る感覚。

 その度に一華の肢体は跳ね上がり、仰け反った白い喉からは、哀訴が迸る。

 

「ほ、ほしい……っ!」

 

 一華は喘いだ。

 その声は震え、涙に濡れていた。

 しかし、その涙は屈辱のそれではない。

 渇望が満たされることへの、どうしようもない歓喜の涙。

 

「ん? 聞こえねえなあ? なんて言った?」

 

「ほしい! あなたの子がほしいです! ザーメンください! 孕ませてくださいっ!」

 

 一華が叫ぶ。

 理性という名の最後の衣を自ら引き裂いて。

 白峰一華は今、戦場の真ん中で異形の雄に自ら脚を大きく広げ、

 最奥の胎内に精液を注ぎ込むよう懇願している。

 

「いい子だ♥」

 

 シン・メーンは満足げにその太い舌で自分の牙を舐めると、

 何よりも愛おしげに一華の乳房を握り潰した。

 痛みと快楽が一華に烙印を刻む。

 嗚咽しながらも、彼女の腰は無意識に動き、

 シン・メーンの巨根をさらに深く招き入れようと蠢く。

 騎士として戦った強靭でしなやかな肉体ではない。

 強い雄の遺伝子を一滴残らず搾り取らんとする、ただの牝の器。

 

「ならくれてやる! たっぷりとな! お前のその誇り高き魔女の胎内を、

 俺色のガキでパンパンにしてやらあ!!」

 

 シン・メーンが咆哮。

 一華を組み伏せ前後不覚のイキ地獄に落している。

 絶頂が同時に訪れる。

 

「ああっ!! イグッ、イグゥゥゥッ!!」

 

 ドピュルルルル……! ビュッビュルルル……ッ!! 

 

 熱い奔流が、一華の子宮の最奥、生命の源泉に直接叩きつけられる。

 逆流するほどの量と圧。

 それは暴力そのもの。

 しかし、彼女の子宮は歓喜に震え、一滴も逃すまいと精液を貪欲に吸い上げていく。

 

「あぁ……♥ あったかい……お腹の奥が……♥ シン・メーンの赤ちゃんで……いっぱい……♥」

 

 完全に堕ちた。

 征服の儀式は完遂されたのだ。

 シン・メーンはぐったりとした一華の髪を乱暴に掴み、

 その顔を己の股間へと押し付ける。まだ射精を終えていない、

 逆棘まみれの巨根が、鼻先でドクン、ドクン、と脈打つ。

 

「さあ、仕上げだ。綺麗にシゴけ。一滴残らず舐めて掃除しろ。

 それがお前の、今日の初めての仕事だ♥」

 

 一華はもはや、ためらいを見せなかった。

 開かれたその紅い唇が、おぞましい巨根の先端に吸い付き、

 かつて主への祈りを捧げたその舌が、逆棘の一本一本に絡みつく。

 

 濃霧は、もはや視界を遮る壁ではない。

 互いの吐息と体液の匂いを閉じ込める、密室の襖だ。

 その密室の中で、一人の女が震えていた。

 白峰一華。

 かつては《落第騎士》と呼ばれ、今は最強の伐刀者として君臨した絶対者。

 だが今の彼女は、ただの雌だ。

 シン・メーンの逆棘まみれの巨根に貫かれ、

 その白い肢体を獣の背中に預けて、喘いでいるだけのメス。

 

「ほら、どうした? もう足が立たねえか?」

 

 シン・メーンが嗤う。

 その声は、鼓膜を震わせるだけでなく、子宮に直接響くようだった。

 彼は一華の両手首を、その太い指でガッチリと掴んだ。

 逃がさないためだ。

 いや、違う。

 これは所有の証だ。

 首輪と同じだ。

 

「ひっ……!」

 

 次の瞬間、シン・メーンは力強く、その両手を後ろに引いた。

 反り返る背中。

 浮き上がる腰。

 そして——深まる結合。

 

「ああぁぁっ!?!?」

 

 一華の喉から、悲鳴とも嬌声ともつかない叫びが迸る。

 今までよりも、さらに深く。

 さらに奥へ。

 肉棒が子宮口をこじ開け、その奥底へと突き入る感覚。

 全身を貫かれるような衝撃が、脳髄を焼き尽くす。

 

 ずぶずぶずぶ……! 

 

 粘液が泡立つ音。

 肉が肉を掴んで離さない音。

 そのいやらしい水音が、カッツェ平野の濃霧に吸い込まれていくたびに、

 白峰一華は自分という存在の輪郭が融解していくのを感じていた。

 

「あ……ああ……っ!」

 

 シン・メーンの両手が、彼女の手首を背後で拘束し、そのまま力強く引き絞る。

 華奢な肩が反り返り、背骨が弓なりに撓るたびに、

 下腹部の奥深くを占拠する異物の存在がより鮮明になる。

 逆棘を備えた爬虫類の巨根が、子宮口をこじ開け、

 まるで獲物を丸呑みにする蛇のように、奥へ奥へと侵入を続けていた。

 

 これは暴力だ。

 かつての一華ならば、決して許さなかった蛮行。

 伐刀者としての誇りを穢され、絶対者の尊厳を踏み躙られる、

 耐え難い屈辱。だが、今の彼女は違った。

 

(ああ……安定してる……)

 

 その感覚は、あまりにも皮肉な逆説だった。

 自分の足で立つことすらできないほどに蹂躙されているのに、シン・メーンに体重を預け、

 手首を拘束され、身動き一つ取れない今の状態が、何よりも「安定」している。

 誰にも触れられず、誰にも屈服できなかった孤独な絶対者は、

 獣に組み敷かれることで、初めて自分の居場所に安寧を覚える。

 雄に守られる雌のポジション。

 考えただけで吐き気を催すはずのそれが、今は限りなく甘美な美酒。

 

「どうした? さっきまであんなにいきがってたのによぅ。もう立てねえのか?」

 

 シン・メーンの嘲笑が、耳元で鼓膜を震わせる。

 彼はわかっているのだ。

 一華の身体が、

 心が、

 もう完全にわからされていることを。

 これは敗北などではない。

 降伏だ。

 自ら膝を折り、首輪を差し出す、雌としての魂の決断。

 それを確かめるかのように、一華の手首をさらに強く引き、

 より深く、より強く、己の肉塊を叩きつける。

 

「ひゃうんっ!?」

 

 一華の口から、まるで子犬のような悲鳴が迸る。

 視界がスパークし、脳内を白濁した快楽物質が埋め尽くす。

 子宮口の入り口を亀頭で滅多打ちにされ、その度に秘芯が擦り上げられ、

 全身が硬直し、弛緩する。繰り返されるピストン運動は、

 もはや彼女の思考という機能を完全に破壊し、

 ただ快楽だけを拾い上げるための肉の楽器へと、この華奢な身体を改造していた。

 

(ああ……見える……何もかもが……)

 

 テラバイトの情報量で流れ込む快感信号は、やがて彼女の視界に奇跡をもたらした。

 濃霧の向こうに見えるのは、数千年前から変わることのない呪われた平野の風景ではない。

 もっと根源的で、もっとプリミティブな、生命の光。

 それは、彼女だけに見えている、シン・メーンの放つ雄としてのオーラだった。

 漆黒の輝き。

 死と隣り合わせの絶対的な暴力性が、今は何よりも美しく、そして愛おしい。

 

「お前の目……ようやく俺を見てるな」

 

 シン・メーンが嗤う。

 その言葉は正しかった。

 一華の見開かれた瞳は、もはや虚ろなだけのガラス玉ではない

 潤み、熱を帯び、そして何より──

 その虹彩には、くっきりと鮮やかなハートマークが浮かび上がっていた。

 それは精神が崩壊した証ではなく、彼女の魂が最も純粋な欲望へと辿り着いた光輝。

 彼女は今、この雄に恋をしたのだ。

 いいや、これは恋などという生易しい感情ではない。

 遺伝子レベルで書き換えられた、絶対的な服従の証。

 

「シン……メーン……」

 一華の唇が、震えながらその名を紡ぐ。

「もっと……お願い……もっと奥まで……! 私の、私の中を……ぐちゃぐちゃにして……!」

 

 それは懇願だった。

 白峰一華という絶対者が、自らその尊厳の最後の破片を投げ捨て、獣に慈悲を請う声。

 その声に応えるかのように、彼女の膣内は歓喜のあまり蠕動を始めた。

 ぎゅうぎゅうと、無数の襞が逆棘に絡みつき、吸い付き、搾り取らんと蠢く。

 それは、雄の精液を一滴残らず頂戴するために進化した、雌としての本能の極致。

 

「きゅんきゅん……」

 彼女の腹の奥が、苦しいほどに疼いた。

 子宮が、空っぽの揺り籠が、主の訪れを待ちわびて泣いている。

 待っているのだ。注がれるべき熱を。

 植え付けられるべき種を。

 

「いい子だ♥ そんなに欲しいか? この俺の、爬虫類のザーメンがよぉ!」

 シン・メーンは、その異形の口を愉悦に歪め、一華の腰を抱え直す。

 

 その咆哮は、カッツェ平野の空気を震わせた。

 最終局面。

 雄の本能が、全ての理性を焼き尽くし、

 種を付けるという生命の根源的目的だけがむき出しになる瞬間。

 巨根が限界まで膨張し、鬼頭が子宮口を貫通して、

 その先端を生命の源泉たる子宮内膜に深々と埋め込んだ。

 

 一華はその感覚に、ただ身震いした。

 ああ、来る。

 ついに来る。

 私の全てが、この瞬間のためにあったのだと、魂が叫んでいた。

 

「ああぁぁっ! くださいっ! 注いでくださいっ!

 あなたの種を、私の子宮に! 孕ませてぇぇっ!!」

 

 絶叫。

 その瞬間、世界が弾けた。

 

 どぴゅるるるるるるるぅぅぅぅぅ──────っ!! 

 

 天地開闢。

 カッツェ平野の呪われた大地を震わせるほどの、壮絶な爆発。

 シン・メーンの剛直が激しく脈打ち、煮えたぎったマグマのような精液が、

 一華の子宮という名の聖杯に直接、注がれていく。

 一滴、また一滴と、その熱い飛沫が子宮内膜を叩くたびに、

 一華の肉体はバラバラにならんばかりに跳ね上がる。

 

 熱い。

 お腹の奥が、胎内が、シン・メーンの雄で満たされていく。

 それは焼き印だ。

 彼の遺伝子によって、私の遺伝子が永遠に書き換えられていく、甘美な破壊。

 絶頂は一瞬では終わらなかった。何度もビュルビュルと脈打ち、

 吐き出される精液の奔流は、逆流するほどの量と圧で内側から満たし、パンパンに膨らませていく。

 

「イグッ……イグゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!!」

 

 一華の絶叫が、カッツェ平野の濃霧をどこまでも貫いて響き渡る。

 その瞳からは、熱い涙が止めどなく溢れ、ハートマークを浮かべた瞳は、

 ただぼんやりと虚空を見つめていた。全身が、子宮が、絶頂の痙攣を繰り返す。

 彼女は今、まさにこの卑劣で凶悪な獣に、完全に孕まされたのだ。

 精神的にも、肉体的にも、そしてこの上なく魔法的な意味でも。

 

 長い、長い射精の果てに、シン・メーンはゆっくりとその巨根を引き抜いた。

 結合部からは、どろりとした白濁の精液が、名残惜しげに溢れ出てくる。

 ぐったりとしながらも、一華の唇が動いた。

 

「あ……溢れちゃ……ダメ……」

 彼女は自分の腹を愛おしそうに抱きしめ、その指で精液を掬うと、

 まるで極上のクリームを味わうかのように、うっとりとした表情でそれを舐めとった。

「ふふ……♥ これで私、あなたのもの……あなただけの雌犬だね……♥」

 

 ああ、なんて幸せなんだろう。もう何も考えなくていい。

 ただ、この雄のために、彼の子を産み、育て、そしてまた犯される。

 それだけの人生。それが、これほどまでに甘美で、安堵に満ちたものだったなんて。

 

 カッツェ平野の濃霧は、相変わらず湿り気を帯びて二人を包み込む。

 だが、その世界の終わりに、一華が見出したのは絶望ではなく、

 雌としての絶頂と、永遠の安住の地だった。絶対なる魔女は死んだのだ。

 ここにいるのは、爬虫類のオスに恋をした、一匹の幸せなメスだけだった。

 これで、一章は終わりだ。だが、もちろん話は続く。

 調教はまだ始まったばかりなのだから。

 

 霧は、事後の賢者タイムすら許さない。

 粘りつく湿気は、肌にへばりついた汗と体液を飽くことなく吸い取り、

 代わりに瘴気という名の催淫剤を塗りたくる。

 まったりとした余韻? そんな生温い言葉では足りない。

 これは膣内射精という名の大ダメージを受けた女騎士が、

 痙攣する子宮と共に意識を緩慢に溶かされていく、危うい微熱の世界だ。

 

「……くくっ。まだ震えてやがるぜ」

 

 シン・メーンは、己の腹の上でぐったりと横たわる雌の肢体を、

 まるで高価な獲物を愛でる捕食者の目で見下ろした。

 白峰一華。

 かつて最強と謳われたその肉体は今、

 自分の精液という名の接着剤で彼と一体化し、

 呼吸をするたびにピクン、ピクンと小さく跳ねている。

 

 彼はゆっくりと、その太い指を一華の背中に這わせた。

 汗と愛液でヌルヌルになった肌。

 指先が脊柱をなぞるたび、一華の喉からは壊れた笛のような甘い吐息が漏れる。

 

「あぅ……♥ マスター……♥」

 

 マスター。

 その響きが、シン・メーンの脳髄を痺れさせる。

 わからせた。

 完全に、骨の髄まで。

 かつて誰にも触れられなかった絶対者の殻を叩き割り、

 その中身をドロドロに掻き回して自分好みの味に染め上げた。

 これほどの征服感があるだろうか? 

 いや、ない。

 彼は確信していた。これこそが彼の人生における最高傑作だと。

 

「いい子だ。よく耐えたな」

 

 シン・メーンは一華の耳元に唇を寄せ、その耳たぶを軽く噛んだ。

 チクリとした痛み。

 だが一華は逃げようともしない。

 むしろ、その痛みを快楽のスパイスとして受け入れ、

 ゾクゾクと身震いして主にすり寄ってくる。

 

「……しかし、これだけじゃ足りねえ」

 

 シン・メーンの指が止まる。

 彼の欲望は深い。

 肉体的な征服だけで満足するような浅いものではない。

 魂への刻印。

 外見上は変わらずとも、彼女自身が常に意識せずにはいられない「所有の証」。

 それが必要だった。

 

「……え?」

 

 一華が虚ろな瞳で見上げる。

 次の瞬間、シン・メーンは一華の首筋に顔を埋めた。

 鋭い牙が、白く滑らかな肌に突き立つ。

 

「あぐっ!?」

 

 痛み。

 鮮烈な痛みが首筋を走り抜けた。

 吸血? 

 いいや、違う。

 彼は血を啜るためではない。

 ただ印をつけるために、その牙を突き立てたのだ。

 

 チュッ…… チュパッ……

 

 吸い付かれるたび、皮下の毛細血管が破れ、赤い鬱血が浮かび上がる。

 それはキスマークなどという可愛いものではない。

 牙形の、所有の刻印だ。

 

「あぁっ……! 痛い……でも……♥」

 

 一華は身をよじる。

 だがそれは拒絶ではない。

 痛覚が快楽へと変換される回路が、すでに彼女の中で完成してしまっているからだ。

 首筋に残る赤い痕は、まるで首輪のように彼女を縛り上げ、

 同時に彼女を「シン・メーンの所有物」であると周囲に誇示するための勲章となる。

 

「ここにも……ここにもな」

 

 シン・メーンは執拗だった。

 首筋だけでなく、鎖骨、乳房の頂点、脇腹、太腿の内側。

 彼はあらゆる場所に牙と唇を押し付け、鬱血させ、舐め回す。

 彼女の美しい肌は瞬く間に赤い花びらで埋め尽くされ、

 それはまるで倒錯した花畑のような、悍ましくも美しい光景だった。

 

「んっ……くぅっ……♥ マスターの……印……♥」

 

 一華は恍惚としていた。

 痛みに涙を流しながらも、その頬は紅潮し、

 自ら進んで肌を差し出し、さらなる刻印をねだる始末。

 

「もっと……もっとつけてください……私があなたのものだって……

 誰にも触らせないって……証明してください……♥」

 

 狂っている。

 だが、その狂気こそがシン・メーンを悦ばせた。

 彼はニタリと笑うと、今度は手加減なしに一華の豊かな乳房を鷲掴みにした。

 そのまま強く握りしめ、爪を立てる。

 

「ひぎゅっ!?」

 

 悲鳴と共に、白い肌に赤い爪痕が走る。

 だがシン・メーンは止まらない。今度はその豊満な肉に直接牙を突き立てた。

 グサッ! 

 容赦ない噛みつき。

 肉を食い破らんばかりの勢いで加え、舌で弄ぶ。

 

「ああぁぁっ!! 壊れるっ! おっぱいが……壊れちゃうぅぅっ!!」

 

 一華は仰け反り、シン・メーンの背に爪を立てる。

 だがその爪は彼を突き放すためではなく、

 より深く噛みついてほしいと懇願するかのように、彼を引き寄せていた。

 

「そうだ。その印が残っていれば、お前が服を着ても誰かに見られる度に思い出すだろう? 

 俺がこの肉を掴み、俺がこの肉を食ったことを。

 そして俺以外の男が触れようとした時、お前は反射的に拒絶するだろう? 

 俺の印が痛むからな」

 

 シン・メーンは噛みついたままモゴモゴと言うと、

 パクリと肉を放した。

 そこには深く鮮やかな歯型と、鬱血した赤い輪郭が残っていた。

 一生消えないだろう。

 消えてほしくないという、歪んだ願いを込めて。

 

「ふふ……♥ ありがとうございます……マスター……♥」

 

 一華は震える手で自分の乳房を押さえながら、

 その残された痕跡を愛おしそうに撫で回した。

 

「でも……まだ足りません……♥」

 

 彼女は潤んだ瞳でシン・メーンを見上げる。

 物理的な刻印だけではない。

 もっと深く、魂に刻み込むための支配が必要だと言わんばかりに。

 

「……欲張りな牝犬だ」

 

 シン・メーンは嬉しそうに嗤うと、

 己の魔力をその指先に集中させた。

 漆黒のオーラが揺らめく。

 それは物理的な力ではない。

 精神干渉の一種。

 彼がこれまで数多の雌に施してきた、「見えない首輪」だ。

 

「動くなよ」

 

 シン・メーンは一華の喉元にその指を添えた。

 冷たい指先が、脈打つ頸動脈を圧迫する。

 

「……はい♥」

 

 一華は目を閉じ、身を委ねる。

 恐怖など微塵もない。

 ただ主からの授かり物への期待だけが胸を満たす。

 

 ブゥン……

 

 空気が震える音。

 シン・メーンの魔力が一華の体内へと侵入していく感覚。

 それは物理的な苦痛ではないが、精神的には極めて親密な——

 あるいは屈辱的な——感覚だった。

 脳髄を直接撫で回され、

 心臓を握り潰され、

 子宮の奥底まで指を突っ込まれているような、

 粘膜的な支配感。

 

「あっ……あぁぁ……♥ 頭の中が……お腹の中が……マスターで……いっぱい……♥」

 

 一華の口から涎が垂れる。

 白目を剥きかけ、身体を痙攣させるその姿は、

 まさに雌犬が主人に躾けられている姿そのものだった。

 

「俺の魔力をお前の魔力回路に刻み込む。

 これでお前は一生、俺から離れられねえ。

 俺が許さねえ限り、他の男に発情することすらできなくなる」

 

 シン・メーンは低く唸るように囁くと、

 さらに魔力を注入した。

 

「ひゃあぁぁぁっ!!?」

 

 一華の背筋が反り返る。

 それは絶頂よりも深く、麻薬よりも強烈な快楽信号だった。

 自分という存在の根幹が書き換えられていく感覚。

 自由意志という名の余計な機能が削ぎ落とされ、

 ただ主人に仕えるためだけの「牝犬」としてのOSがインストールされていく。

 

「あぁ……♥ あぁ……♥ いい……♥ 素敵……♥」

 

 一華は涙を流しながら笑った。

 思考が溶け、感情が澱み、ただ純粋な帰属心だけが残っていく。

 この上ない安堵感だった。

 自分で考えなくていい。

 自分で決めなくていい。

 ただ主人の命令に従い、主人の精液を仰ぎ、主人の子を産むことだけが私の存在意義。

 

「……完了だ」

 

 シン・メーンが指を離すと、一華はガクリと脱力した。

 だがその瞳は以前よりも明るく、そして深く濁っていた。

 

「あ……♥ マスター……♥」

 

 彼女は這うようにしてシン・メーンに近づくと、

 その太い脚に頬を擦り付けた。

 犬が飼い主に甘える仕草。

 

「私……誓います……♥」

 

 一華はうっとりとした表情で囁く。

 

「白峰一華は……シン・メーン様専用の牝犬です……♥

 あなたのお言葉だけが私の糧……♥

 あなたの精液だけが私の潤い……♥

 生涯、この身も魂も……あなたに捧げ尽くすことを誓います……♥」

 

 それは愛の囁きなどではない。

 魂の売買契約だ。

 悪魔に対する魂の譲渡証書。

 

「いい返事だ♥」

 

 シン・メーンは満足げに頷くと、

 最後に一華の下腹部——子宮があるあたりを優しく撫でた。

 

「ここには俺の種が入ってる。お前の子宮は今、俺のものでパンパンだ。

 動くたびに溢れてくるだろう? 

 歩くたびに俺の精液が膣内を掻き回される感覚……

 それをお前は一生忘れるなよ♥」

 

「はい……♥ 忘れません……♥ ずっと……ずっと感じてます……♥

 マスターの赤ちゃん……♥」

 

 一華は自分のお腹を抱きしめながら、陶然と微笑んだ。

 その表情にはもう、「落第騎士」の面影など欠片もなかった。

 あるのはただ、種付けされた牝犬の至福な姿だけ。

 

 カッツェ平野の霧はまだ晴れない。

 だが二人の間にはもう霧など必要なかった。

 互いが互いを見失うことなどあり得ないほどに深く結びつき、

 侵食し合っているのだから。

 

 種付け完了儀式は終わった。

 しかし本当の意味での飼育は、これから始まったばかりだ。

 

 霧は、まるで事後の汗ばんだシーツのように重く湿っている。

 激しい情事の余韻が、まだ空気の中に淫らに漂っているかのようだ。

 

 シン・メーンは、己の所有物となった女の背中をゆっくりと撫で下ろした。

 爪先が白い肌の上を滑るたびに、一華の身体はビクンッと小さく跳ね、

 喉の奥から甘えたような、子猫のような鳴き声を漏らす。

 

「いい子だ♥」

 

 シン・メーンは嗤う。

 その手は愛撫だけでなく、刻印を刻むための彫刻刀でもある。

 首筋に残る赤い噛み痕。

 乳房に残る指の跡。

 そして何より、下腹部の奥深くに注ぎ込まれた、自分の精液という名の所有印。

 

「あ……♥ マスター……♥」

 

 一華はシン・メーンの脚にすり寄りながら、恍惚とした表情でその痕跡を愛でていた。

 かつて『絶対者』と呼ばれた女の瞳には、もはや理性の光はない。

 あるのは、ただ主を慕う牝犬のような、濁りきった愛欲の輝きだけ。

 

「そうだ。お前は俺のものだ。この世の誰にも触れさせねえ。

 そして、俺以外の誰にも触れることはねえ」

 

 シン・メーンは一華の顎を持ち上げ、その唇を奪う。

 深く、湿った接吻。

 舌を絡ませ、唾液を飲み下し、互いの味を確かめ合う。

 それは契約の儀式。

 雌が雄に帰属するための、永遠に消えぬ烙印。

 

「んっ……ちゅ……♥ はぁ……♥ ご主人様……♥ 私のご主人様……♥」

 

 一華は夢見心地で呟く。

 彼女の中で、かつての自我は完全に溶解し、代わりに新たな人格が芽生えていた。

 シン・メーンという雄に所有されることだけを至上とする、

 ただのメスとしての人格。

 

 その時だった。

 カッツェ平野の霧の向こうから、足音が聞こえた。

 

「一華……?」

 

 海江田勇蔵だった。

 雷槍を頼りなく支えながら、彼はよろめくように歩み寄ってくる。

 その顔には疲労と不安、そして微かな希望が入り混じっていた。

 愛する女の無事を確認したい。

 ただそれだけのために、彼はここまで来たのだ。

 

 しかし、彼が見たものは——

 

「あ……」

 

 言葉が出なかった。

 目の前にいたのは、彼が知っていた白峰一華ではなかったからだ。

 シン・メーンに首輪を引かれ、尻尾のように殷懇に従う女。

 その身体には無数のキスマークと噛み痕が刻まれ、

 太腿からは白濁した液体が垂れ流されている。

 

「だんちょ……?」

 

 一華が振り返る。

 その瞳にはハートマークが浮かび、口元には歪んだ笑みが張り付いていた。

 

「見てください。私、ご主人様に孕ませていただいたんです♥」

 

 狂っている。

 あまりにも狂っている。

 海江田は理解できなかった。いや、理解したくなかった。

 かつて最強と謳われた女が、こんな下劣なトカゲに屈服し、

 自ら脚を開いて精液をねだるような牝犬に成り下がるなんて。

 

「な……何を……言って……」

 

「ああ、そうだ。紹介してやれよ。俺の新しい『武器』をよ」

 

 シン・メーンが嗤いながら、一華の尻を叩いた。

 パァンッ! と乾いた音が響く。

 一華はそれに悦びの声を上げると、大太刀『黒耀』を構えた。

 

「見ていてくださいね、海江田さん。これが私の……私たちの新しい力です♥」

 

 一華が刀を振るう。

 その動きは以前よりも鋭く、そして何より——淫らだった。

『無慙』の振動は、もはや拒絶ではない。

 主を受け入れるための歓喜のウネり。

『天弓』の斬撃は、主の敵を屠るための愛の囁き。

 

 ズバァァァッ! 

 

 霧の中から現れた不死隊の一団が、一瞬で両断される。

 血飛沫が舞い散る中、一華は恍惚とした表情でその血を浴びる。

 

「あぁん♥ ご主人様♥ 敵を殺しました♥ 褒めてください♥」

 

 狂気だ。

 完全に狂っている。

 だが、その狂気こそが今の一華の「力」だった。

 主への愛に殉じることで発揮される、底知れぬ破壊衝動。

 

 海江田は膝から崩れ落ちた。

 信じていたものが全て壊れた衝撃。

 そして何より——その壊れた姿すらも、彼の中のどこかで美しいと感じてしまう

 倒錯した欲望への恐怖。

 

「どうした海江田? お前も欲しいのか?」

 

 シン・メーンが嗤いながら、一華の腰を抱き寄せる。

 一華は甘えるように主に身を預けながら、海江田を見下ろした。

 

「海江田さん。あなたも跪きなさい。

 ご主人様に忠誠を誓えば、きっとご褒美がもらえますよ♥」

 

 それは勧誘であり、呪いだった。

 かつて英雄だった男は今、ただ絶望の中で喘いでいた。

 

 一華という最強の剣は折れたわけではない。

 ただその持ち主が変わり、その切っ先が向く先が変わっただけだ。

 そしてそれこそが、最も恐ろしいことなのかもしれない。

 

 カッツェ平野の霧は晴れない。

 むしろ、これからさらに深く濃くなっていくことだろう。

 堕ちた魔女とその主。

 そしてその足元に跪く元英雄。

 彼らが織りなす物語はまだ始まったばかりだ。

 

 湿った空気は、もはや彼女にとって毒素などではなかった。

 主の精液と唾液、そして汗の匂いが混じり合った、至高のフェロモン。

 かつてはこの瘴気を嫌悪し、精神的な防壁を張ることさえあった。

 だが今は違う。

 深く吸い込むたびに、肺の奥から子宮の底までが甘く痺れ、

 股間の秘裂がとめどなく蜜を溢れさせる原因となるだけだ。

 

 白峰一華は歩いていた。

 いや、正確には「徘徊」だ。

 シン・メーンの尻尾が、首輪代わりの見えない鎖となって彼女を牽引する。

 その一歩一歩が、まるで主の巨根で内側から突き上げられているかのような感触を伴い、

 太腿の内側を伝う愛液が、冷たい鎧の裏地を濡らしていく。

 

「あぁん……♥ マスター、歩くたびに……お腹の中のザーメンが……カキ回されて……♥」

 

 彼女は独り言のように喘ぐ。

 その声は戦場には似つかわしくないほど甘く、そして淫らだった。

 

 前方から押し寄せるは、真人類帝国の本隊。

 不死隊という名の肉弾に混じり、屈強な亜人兵団が怒号と共に迫ってくる。

 オーガの巨漢が棍棒を振り上げ、ケンタウロスの騎兵が蹄を鳴らす。

 彼らは人間よりも遙かに優れた肉体と生命力を誇り、

 その暴力はただの殺戮ではなく、雌を屈服させるための強姦の衝動に満ちている。

 かつての一華ならば、警戒し、冷静に対処しただろう。

 しかし今の彼女にとって、彼らはただの「おもちゃ」に過ぎない。

 主に褒めてもらうための、生きた的。

 

「見ていてくださいね……マスター……♥」

 

 一華はうっとりと瞳を細め、大太刀『黒耀』を構えた。

 その切っ先は鋭くなく、むしろ愛撫を待つ指先のように震えている。

 

『無慙(むざん)』——発動。

 

 ぶるるるるっ……! 

 空気が震える。

 それは物理的な振動などではない。

 彼女の子宮が主を受け入れるために痙攣するような、

 悦びと期待に満ちた、濃厚な嬌声だった。

 

 迫り来るオーガの群れ。

 その先頭にいた三メートルの巨漢が、

 不可視の振動圏内に踏み込んだ瞬間——弾けた。

 

「─────────っ!?」

 

 断末魔など聞こえない。

 筋肉は沸騰し、脂肪は融け、骨格さえも共鳴して崩れ落ちる。

 それは破壊ではない。

 あまりにも激しい愛撫を受け入れきれず、

 存在そのものが絶頂してしまったかのような、

 悍ましくも美しい崩壊劇。

 

「ああっ♥ いい……♥ そんなに激しくしないで……♥」

 一華は頬を染め、自身の股間を押さえるように身をよじる。

『無慙』の振動は、彼女自身にも等しく返ってくるからだ。

 敵が崩壊するたびに、自分の子宮も同じように掻き回され、

 主に抱かれている時のような激しい快感が背骨を駆け上がる。

 

「くくっ、いい反応だ。その震え、俺に見せつけてるつもりか?」

 シン・メーンが後ろで嗤う。

 その声だけで、一華の背筋がゾクゾクと震え、

 太腿からドロリとした愛液が垂れ落ちた。

 

「はいっ♥ マスター……私、感じてます……♥ 敵が壊れるたびに……

 お腹の奥が……キュンキュンって……♥」

 

 狂っている。

 戦場で敵を殺す行為と、雄に抱かれる行為が、

 彼女の中では完全に混濁してしまっている。

 殺すことは愛されること。

 壊すことは抱かれること。

 

 次々と迫る敵兵。

 亜人軍の精鋭たち。

 彼らは不死隊とは違い、高度な知性と戦闘技術を持つ。

 だが、一華の『無慙』の前では無力だ。

 振動圏内に入った瞬間、彼らの肉体はレイプされたかのように抵抗力を失い、

 ドロドロの肉汁へと変貌していく。

 

「あはっ♥ あははっ♥ イクっ♥ イクぅっ♥」

 一華は微笑いながら敵を「処理」していく。

 

 カッツェ平野の泥濘は、今日も新鮮な血と体液で潤いを増している。

 彼女の足元に広がるのは、肉汁と化したかつての敵兵たち。

 その残骸はまるで、愛に飢えた男たちが果てた後の、

 惨めで哀れで、そして何より淫らな排泄物の山だ。

 

 だが、戦況は決して楽観視できるものではなかった。

 真人類帝国本隊。

 亜人兵団軍の猛攻は、

 まるで発情期の獣の群れのように執拗であった。

 彼らは仲間が溶かされていく様を見ても怯むことなく、

 むしろその死に様に嗜虐心を刺激されたかのように、

 一斉に殺到してくるのだ。

 

「ひゃぅっ!?」

 

 不意に、背後から迫ったオーガの剣士が、

 一華の背中に鋭い斬撃を叩き込む。

 防刃繊維のジャケットが裂け、白い肌に赤い線が走る。

 

 痛み? 

 いいや、違う。

 それは主から与えられる愛の鞭だ。

 

「ああんっ♥ マスター……こんなところに……届きましたか……♥」

 

 一華は背中を反らし、悩ましげに喘ぐ。

 傷口から流れる血は痛みではなく、

 主に抱かれた夜に感じた熱い吐息のようであり、

 その刺激は瞬く間に脳髄を貫き、子宮を痙攣させた。

 

 物理的なダメージは、彼女にとって最強の媚薬。

 敵からの攻撃はすべて、シン・メーンによる責め具として脳内で変換される。

 だからこそ、彼女は壊れない。

 追い詰められれば追い詰められるほど、

 その肉体は快楽へと変質し、限界を超えて機能し続けるのだ。

 

「くくっ……いい顔だ。その苦痛に歪んだ顔が、俺を誘ってるぜ」

 

 シン・メーンの声が脳裏に響く。

 幻聴?

 いや、これは命令だ。

 ご褒美の約束だ。

 

「はいっ♥ 見てくださいっ♥ 私、もっと……もっと頑張りますからっ♥」

 

 一華は涙目で叫ぶと、大太刀『黒耀』を振り上げた。

 刀身はまだ清潔なままだ。

 汚れるべきではない。

 この刀は主の敵を討つ聖なる器なのだから。

 

 伐刀絶技『天弓』——展開。

 

 空間が歪み、無数の斬撃が奔る。

 それはただの物理攻撃ではない。

 彼女の主への想い。

 届かない嘆き。

 そして歪んだ愛。

 それらすべてが凝縮された、情念の弾丸。

 

 ズババババババッ!! 

 

 迫り来る剣豪・豪傑たちが一瞬で両断される。

 しかし、彼女は手応えを感じなかった。

 肉を断つ感触などない。

 あるのはただ、虚空を掻く虚無感だけ。

 

(ああ……違う……これじゃない……♥)

 

 彼女が求めているのは、こんな殺風景な破壊ではない。

 もっと生々しく、もっとねっとりとした交わりだ。

 肉と肉がぶつかり合い、体液が混ざり合うような……

 そんな濃厚な接触が欲しい。

 

 その時だった。

 ダイスロールの凶兆が具現化したかのように、

 戦況は絶望的な色へと染まった。

 

 四方八方から押し寄せる不死隊と亜人兵団。

 そしてそれらを統率する機甲兵たちが、

 一斉に遠距離攻撃を放ったのだ。

 

 炎と雷と氷嵐・砲撃にビームが一華という小さな点めがけて殺到。

 回避不可能な弾幕。

 これほどの攻撃を受ければ、

 どんな伐刀者といえど無事では済まないだろう。

 

 だが。

 

「あぁぁぁぁっ♥♥♥」

 

 一華は逃げなかった。

 むしろ、その両手を大きく広げ、

 降り注ぐ破壊の雨を全身で受け止めようとした。

 

 それは自殺行為? 

 いいや、違う。

 これは集団凌辱への招待状だ。

 

 無数の雄から同時に責められ、

 その全てを一身に受けるという、

 倒錯した究極のファンタジー。

 

『無慙(むざん)』——臨界突破。

 

 ぶるるるるるるるっ……!!! 

 

 一華の全身から、これまでとは比較にならぬほど強烈な振動波が放たれた。

 それはもはや防御のための結界ではない。

 彼女自身の子宮が、主を受け入れるために限界まで拡張し、

 歓喜のあまり痙攣しているかのような、

 あまりにも卑猥で、あまりにも暴力的な「叫び」だった。

 

 ドォォォォォォンッ!!! 

 

 一華に触れた瞬間——弾けた。

 いや、弾けたのではない。

 溶けたのだ。

 圧倒的な共振振動波に触れた瞬間、

 構成要素すらも分子レベルで共鳴し、崩壊していく。

 

 そしてそれは、放った亜人たちとて例外ではない。

 彼らの肉体もまた、逃げ場のない快楽の渦に巻き込まれ、

 悲鳴を上げる間もなくドロドロと溶け崩れていく。

 

「ああっ♥ あああっ♥ イクッ♥ イクイクイクゥゥゥッッ!! ♥♥」

 

 一華は絶叫した。

 敵が滅びるたびに、自分も滅びるような快感が押し寄せるからだ。

 全身の細胞が歓喜し、骨髄から精気が沸き立つような感覚。

 意識が白濁し、視界がスパークする。

 

 このままでは壊れてしまう。

 自分という存在が溶けてなくなり、

 ただの快楽の受容器になってしまう。

 

(でも……それでもいい……♥)

 

 思考が融ける。

 理性が蒸発する。

 残るのはただ、主への愛と、破壊への衝動だけ。

 

 彼女はついに果てた。

 戦場のど真ん中で、

 何百人もの敵を道連れにしながら、

 あまりにも盛大で、あまりにも淫らな絶頂を迎えたのだ。

 

 爆風と肉片が舞い散る中、

 一華は膝から崩れ落ちた。

 全身は汗と体液でぐっしょりと濡れ、

 虚ろな瞳からはとめどなく涙が溢れている。

 

「ふふ……♥ マスター……♥」

 

 彼女は震える手で自分のお腹を撫でた。

 そこには主の子が宿っているはずだ。

 そして今もまた、主からの命令という名のご褒美が待っている。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 泥濘に、新たな主役が登場した。

 既に溶けかけた肉汁の山と化した不死隊の残骸を足蹴にしながら、

 霧の奥から悠然と姿を現したのは、真人類帝国の本隊。

 吸血鬼たちだ。

 

 そして、その中でも一際異彩を放つ、絢爛たる形骸。

 真祖。

 

 彼らは古い。途方もなく古い。

 数百年、あるいはそれ以上の歳月を、血と闇の中で嫐(いさか)い続けてきた化物だ。

 人間が彼らを討伐した事例など、歴史の欠片にも残ってはいない。

 魔人——人類の限界に到達した者でさえ、

 彼らの前では「やっと挑戦状を叩きつける資格を得た」程度の、

 脆弱な挑戦者に過ぎないのだ。

 種としての格が違う。

 人間と家畜。

 いや、家畜の方がまだ「労働力」としての価値がある。

 彼らにとって人間とは、精液を搾り取るための、

 あるいは腹を空かせた時の缶詰めのようなものだ。

 絶対性。

 それが真祖である。

 

 湿っている。

 ねっとりと、粘膜のように湿っている。

 吸い込む空気は肺ではなく胃袋に溜まり、吐く息は白濁した欲望の塊となる。

 この平野において「乾燥」という概念は、処女喪失と同等の意味を持つ。

 つまり、一度この霧に触れた者は、二度と清浄な人間には戻れぬのだ。

 

 その羊水の底にて、対峙する美影。

 

 シュピンネ。

 二つ名を『絡新婦』。

 あるいは『死の織姫』。

 あるいは『蚕食の未亡人』。

 実年齢三千七百歳以上。

 外見年齢は二十代後半の、哀愁と色気を滲ませる未亡人。

 彼女は歩いていた。

 踵のない靴で、泥濘を避けることなく、むしろその湿り気を愛でるかのように足を運ぶ。

 一歩、また一歩。

 その足音はしない。

 蜘蛛が糸を渡るように、音を殺して、しかし確実に獲物との距離を詰める。

 

「あらあら……なんてこと」

 彼女は歌うように囁いた。

 ヴェールの奥から覗く深紅の瞳が、戦場の向こうに佇む一人の女を捉えている。

 白峰一華。

 漆黒の髪、病的なまでに白い肌、そして何より——

 その身に纏う、数多の雄の精気の混ざり合った濃厚な香り。

「あの子は、随分と『賑やか』な味がするのね。

 まるで……フルコースの残骸を全部混ぜ合わせたシチューみたいに」

 

 シュピンネは舌なめずりをした。

 薄く開かれた唇の間から、長すぎる犬歯がチラリと覗く。

 それは吸血鬼の証であると同時に、雄を咥え込み、精気を絞り尽くすための拘束具だ。

 

 彼女の来歴は、血と糸とで織りなされた暗い搖籃の記憶に始まる。

 三千七百年前。

 始祖ヴァルグライフの「側室候補」として人造された彼女は、

 しかし最初の試練で世話係だった七名の吸血鬼を逆に食い殺した。

 一週間。

 彼女の絲で繭を作られ、身動きできぬまま、シュピンネの胎内に絲を挿し入れられ、

 精気を一滴残らず吸い尽くされた七人の男は、最期に皆、至福の笑みを浮かべて干からびたという。

 それ以来、彼女は「側室」ではなく「処刑台の花嫁」として歴史に名を刻むこととなった。

 

 彼女にとって戦争とは、美味しいレストランへの案内状に過ぎない。

 敵軍はメニューであり、将軍たちはメインディッシュであり、

 そして伐刀者たちは——デザートだ。

 特に、魔力をたっぷりと含んだ伐刀者の精気は、彼女にとっての極上のワイン。

 コルクを抜く瞬間の悦び、グラスに注ぐ時の芳香、そして喉を通る時の熱。

 それらを存分に味わうために、彼女は急かない。

 じっくりと、ゆっくりと、時間をかけて「調理」するのだ。

 

「さて、お客様」

 シュピンネは微笑む。

 ヴェールの下で、その表情は能面のように美しく、そして無機質だ。

「貴女には、どのようなコースをご用意しましょうか? 

 前菜は……そうね、貴女のその自豪の切っ先を、私の糸で包んで差し上げましょう」

 

 その時、一華が動いた。

 大太刀『黒耀』を構え、その切っ先をシュピンネに向ける。

 その眼差しには、狂気と忠誠が混ざり合った、濁った輝きが宿っていた。

 シン・メーンという絶対的な雄に所有され、

 その命令に従うことだけを生き甲斐とした牝犬。

 しかし、その瞳の奥にはまだ、

 かつての黒鉄一輝としての「戦士の本能」が、微かに脈打っている。

 例えるならば、主の尻尾に繋がれた番犬。

 吠えろと言われれば吠え、噛みつけと言われれば噛みつく。

 だが、その牙は主の愛を受けた時よりも鋭く、

 主の敵を屠る時よりも熱く滾るのだ。

 

「……くだらない」

 一華は短く吐き捨てた。

『無慙』の振動が、彼女の体内から漏れ出し始める。

 ぶるるるっ……! 

 空気が震え、一華の周囲の空間が歪む。

 それは防御の結界であると同時に、

 彼女自身の子宮が主を受け入れるために痙攣する悦びの波でもある。

「貴様のような、古びた棺桶の花嫁に……私の主は触らせない」

 

「古びた、か」

 シュピンネはクスクスと笑う。

 その笑い声は、湿った空気を震わせ、一華の耳ではなく骨髄に直接響くようだ。

「失礼な子ね。私はまだまだ現役よ? 

 ……ほら、こうやって」

 シュピンネが右手を掲げる。

 その指先から、白く輝く絹絲が噴き出した。

 視認不可能なほどの極細糸。

 しかし、それは鋼鉄の数十倍の強度を持ち、伐刀者の魔力を吸収する魔性の触手。

 

 絲は蛇のように宙を舞い、一華の『無慙』の結界に触れた。

 ジュッ……! 

 音を立てて、結界が溶かされる。

 いや、溶かされたのではない。

 絲が結界の魔力を「吸い取った」のだ。

「あぐっ……!?」

 一華が呻く。

 自らの魔力が、糸を通じてシュピンネへと流れ込んでいく感覚。

 それはまるで、乳房を吸われているような、

 あるいは臍の緒を通じて栄養を搾り取られているような、

 肉体的な連結感だった。

 

「いい味……」

 シュピンネは目を細める。

「濃くて、深くて、そして……複雑。三人の男の精気が混ざり合っているわね。

 爬虫類の野獣。解放軍の暴君。そして……どこかの哀れな英雄。

 なるほど、貴女は相当に『遊ばれた』のね」

 

「黙れ……ッ!」

 一華は『黒耀』を振るう。

 秘剣『雷光』。

 神速の斬撃が、霧の中を裂く。

 だが、斬撃はシュピンネに届かない。

 否、届いてはいるのだ。

 しかし、絲が斬撃を「受け止め」、その魔力を吸収し、

 シュピンネの肌に届く頃には、ただのそよ風に過ぎないのだ。

 

「硬い……」

 シュピンネが喜悦に震える。

「貴女のその剣、折れないわね。どれだけ吸っても、まだまだ出てくる。

 まるで……枯れない泉みたい」

 

 彼女の背中の穴が、八つ同時に開いた。

 そこから、白い絲が爆発的に噴き出す。

 伐刀絶技『死の帳』の前兆。

 空間そのものに絲が張り巡らされ、

 一華は蜘蛛の巣の上に囚われた蝶へと成り下がる。

 

「さあ、おいでなさい」

 シュピンネは優しく手招きする。

 その指先には、数多の亡夫たちの骨で作られた指輪がきらめいている。

「貴女のその美しい剣も、その強靭な意志も、その淫らな肉体も……

 全て、私がいただくわ。

 三千七百年の歴史において、貴女は……間違いなく『最高のデザート』よ」

 

 一華の背筋に、冷たい汗が流れる。

 恐怖ではない。

 この絶体絶命の状況において、彼女の身体は奇妙な熱を帯び始めていた。

 シン・メーンに蹂躙された時とは違う、より粘着質で、より深淵的な快楽の予感。

 かつてアダムス・ゲーティアに敗北した時の、絶望的な支配の記憶が蘇る。

(ああ……この女は、マスターと同じ……いや、それ以上の……)

 一華の股間が、熱く疼く。

 抗えない雄の前で無様に脚を開く牝犬の本能が、

 シュピンネの圧倒的な捕食者の気配に呼応して、子宮の奥底から泌み出してくるのだ。

 

 カッツェ平野の霧は、さらに濃くなる。

 これは戦場ではない。

 婚礼の間だ。

 新郎(あるいは新婦)は、三千七百歳の蜘蛛。

 新婦(あるいは生贄)は、最強の牝犬。

 結納品は、互いの全て。

 そして、今夜のメインディッシュは——白峰一華という名の、極上のフルコースだ。

 

「さあ……いただきます」

 

 満ちた霧は、ただ湿っているだけではない。

 それは数千年にわたる怨嗟と体液が煮詰まったスープだ。

 その中で白峰一華という名の肉塊は、まさに調理されようとしていた。

 シュピンネの放つ『死の帳』。

 それは八つの孔から噴き出す白濁した絲が空間を充填し、

 獲物を締め上げるという、この上なく淫靡な処刑台だ。

 絲は一華の肢体に絡みつき、その豊満な乳房を歪ませ、太腿の肉を食い込ませる。

 まるで無数の指が彼女を嬲りまわしているかのような、濃厚な触手責め。

 一華の口からは甘い悲鳴が漏れ、その眼差しはすでに絶頂の縁(へり)で彷徨っていた。

 

 だが。

 

 地獄の釜の蓋が少しだけ開いた瞬間だ。

 絶望の深淵において、微かな、あまりにも微かな光明が差し込む。

 それは希望などという生温いものではない。

 執念だ。

 粘着質な、しつこい、男の執念。

 

 一華の虚ろな脳裏に、一人の男が過った。

 蛮場流輝。

 傲岸不遜。傲慢無礼。唯我独尊。傍若無人。

 典型的な俺様野郎であり、絶世の美男子であり、

 そして何より——彼女を徹底的に蹂躙した男。

『洗礼』と称される暴力の日々。

 粉砕され、再生槽で直され、また粉砕される。

 その無限ループの中で、彼はいつも言っていた。

『お前の剣はまだだ。もっと深く沈め。底まで沈んだら、今度は跳ね返るだけだ』

 と。

 

(ああ……そうだったわね……)

 一華の唇が歪む。

 これまでの雌犬のような甘ったるい微笑みではない。

 もっと酷烈で、もっと不遜で、そしてどうしようもなく蠱惑的な、悪魔的な笑み。

 彼女の中から、「女」としての無駄な力が抜けていく。

 子宮を満たしていた熱が脳髄へと逆流し、筋肉という筋肉が再配分される。

 昂ぶっていた女体が鎮まり、代わりに研ぎ澄まされた殺意という名の剣圧が立ち昇る。

 

「……フフ」

 笑いが漏れた。

 シュピンネが怪訝そうに眉をひそめるのも無理はない。

 調理されるはずの生肉が、突然包丁へと変貌しようとしているのだから。

 

「何がおかしいの? 死ぬのが怖くて気が触れた?」

 シュピンネが嘲るように問う。

 だが一華は答えない。

 ただ笑う。

 かつて黒鉄一輝だった頃と同じように。

 いや、性転換という極致を経て得たこのドスケベボディを纏ってこそ到達できる、

 さらなる高みの剣技へと昇華された笑みだ。

 

「……貴様のような古狸に食われるほど、私は安くないわよ」

 一華は囁いた。

 その瞬間、彼女の全身から放たれていた『無慙』の振動が変質する。

 これまではただ自身の子宮を痙攣させるだけの快楽波だった。

 だが今は違う。

 震源が深くなった。

 肉体の最奥にある「魂」そのものを震わせる、純粋なる殺戮振動へ。

 

 ズズズズズ……ッ! 

 周囲を包んでいたシュピンネの絲が軋む。

 魔力を吸い取ろうとしていた絲が、逆に拒絶され始めたのだ。

 一華の魔力回路が熱を帯びる。

 かつてアダムス・ゲーティアによって埋め込まれた呪いすらも燃料として燃焼させる、

 暴走気味の出力。

 

「なっ……!?」

 シュピンネが息を呑む。

 あり得ない光景だった。

 吸い付いていた絲が弾かれ、白濁した霧の中で火花が散る。

 

「模倣剣技(ブレイドスティール)──否」

 一華が『黒耀』を構える。

 その構えはかつての一輝のそれとは微妙に違う。

 重心が低く、腰の入り方が深い。

 それは女性特有の柔軟性を最大限に活かした、よりしなやかでより凶悪な斬撃への助走。

 

「記憶再生(レコード)──第八秘剣」

 一華が口角を上げる。

 その笑顔はあまりにも美しく、そしてあまりにも残酷だった。

 かつて流輝が見せた不敵な笑みと寸分違わぬ。

 いや、それ以上だ。

 性転換という魔術的改造すらも飲み込み、

 蹂躙という屈辱すらも糧とし、極めた先にある『魔人』の笑顔。

 

「追影《おいかげ》」

 

 その名が紡がれた瞬間、因果が逆転した。

 

 シュピンネは見た。

 一華が動くよりも前に、「斬られた」という結果を見たのだ。

 時空が悲鳴を上げる。

 一華の影が本体より遅れるという幻覚。

 その幻覚を見た時点で、既に手遅れなのだ。

 

 ズンッ! 

 

 鈍い音が響いた。

 一華が動いた軌跡など見えない。

 ただ結果だけがある。

 シュピンネの放っていた『死の帳』──

 無数に張り巡らされた絲が一瞬にして千切れ飛び、

 霧の中に蝶の羽のように舞い散る。

 

「ガッ……!?」

 シュピンネが目を見開く。

 彼女の左腕が肘から先へと滑り落ちたのだ。

 切断面は焼き切られたように平滑で、一滴の血すら流れない。

 あまりにも神速の剣技ゆえに、傷口すら認識できていないのだ。

 

「お前のような古臭い糸遊びで……私を縛れるとでも?」

 一華が言う。

 その声にはもう、媚びも恐怖もない。

 ただ純粋なる勝利への渇望のみがある。

 

「……ッ!」

 シュピンネが後退る。

 三千年の歴史の中で味わったことのない痛みに顔を歪める。

 しかしそれは恐怖ではない。

 逆説的な歓喜だ。

「ああっ♥ 素晴らしい! なんて……なんて凶暴な斬撃! 

 私の絲ごと私を断ち切るなんて……!」

 

 彼女は傷口から白い絲を噴き出させながら笑う。

 正真正銘の被虐狂(マゾヒスト)だ。傷つけられることこそが快楽なのだ。

 

「お似合いね。牝犬には鞭が必要よ」

 一華は冷徹に言い放つと、再び『黒耀』を構えた。

 その眼差しはもう迷っていない。

 雌犬としての本能と剣士としての誇りが融合し、

 ただ敵を殺すことのみに特化された冷徹な光を宿していた。

 

 カッツェ平野の霧の中で二つの影が交差する。

 蜘蛛と牝犬。捕食者と被食者。あるいは調理師と食材。

 だが今やその関係は逆転しつつある。

 一華は歩みを止めない。

 かつて流輝から浴びせられた暴力を記憶し、それを上回る速度と精度で刃を振るう。

 

(見ているかしら? 私のマスター)

 心の中で彼女は呟く。

(私は強いわ。貴方に抱かれる時よりも……貴方の敵を殺す時の方が)

 

 その想いは歪んでいるかもしれない。

 だがこの歪んだ世界においてこそこそが「正解」なのだ。

 

「さあ……お食事の時間よ。舌を噛まないようにね」

 

 ああ、なんと無様な。そしてなんと美しい。

 私の目の前で、白峰一華という女は今、明確な峻別を迎えようとしている。

 かつて黒鉄一輝と呼ばれた男は、人類の限界たる《魔人》に到達した。

 だが、今の彼女は違う。

 女体化という魔術的改造、

 アダムス・ゲーティアという暴君による蹂躙、

 そしてシン・メーンという獣への帰属。

 それら全ての汚泥を啜り、消化し、異なる結晶へと再構築しようとしているのだ。

 それは《魔人》の先にある《踏破者》。

 人理を踏み越え、運命そのものを凌駕する領域。

 

 しかし、その道程はあまりにも生々しく、そして淫らだ。

 

『天弓』の矢が放たれた。

 概念干渉系最強の一撃。

 斬撃という結果そのものを世界に上書きする絶対の命題。

 だが、シュピンネは笑っていた。

「ああっ♥ 素晴らしい! でも、足りないわ! その矢は私の肌を掠めるだけ! 

 もっと深く! もっと激しく! 私の核(こころ)を貫いてくれなくては!」

 

 真祖の再生力は旺盛を極める。

 斬られた左腕は既に白い絲で補修され、 むしろその傷を快楽の源泉として貪っていた。

 絶対の斬撃すら、この不死の淫婦には愛撫に過ぎない。

 一華は歯噛みした。

 かつてならば、これで勝敗は決したはずだ。

 だが、今の彼女には「足りない」のだ。

 圧倒的な魔力が、体内で暴走し、出口を求めて脈打っているにもかかわらず、

 それを十全に扱えぬ自分がもどかしい。

 まるで、絶頂寸前で寸止めされ、汁が溢れ出すのにイケない雌犬の如く。

 

「くっ……うぅっ……!」

 一華の身体が熱い。

 Aランクへと跳ね上がった魔力が、子宮を中心に渦巻き、

 全身の血管を逆流して脳髄を焼きかき回す。

 女体化して以来、この力は常に彼女の敵だった。

 制御できない爆発力。

 ただ垂れ流すだけの自爆スイッチ。

 だから彼女はこれを封印してきた。

 精密な魔力制御を要する『一刀修羅』を、躊躇なく放つことを拒んでいたのだ。

 発動すれば、間違いなく自壊する。

 膣内の魔力が逆流し、子宮が破裂し、脳漿が沸騰する。

 それは戦闘ではなく、ただの自慰行為の末の自殺だ。

 

 だが。

 その時、一華の脳裏に声が響いた。

『出力全開ではなく、3割や5割といった自身が制御できるラインで発動しろ』

 蛮場流輝。

 彼女を徹底的に蹂躙し、同時に最も深く彼女の本質を見抜いた男。

『魔力制御もへったくれもない、ただ垂れ流しているだけの自爆スイッチだ。

 弱いからこそ、少ない魔力を一滴も漏らさずに使い切る精密さが必要なんだよ』

 

(そうだわ……私は……間違っていたわけじゃない……)

 一華の瞳が、疑惑の泥沼から明晰な殺意の光を宿す。

(ただ、使い方が下手だっただけ……!)

 性転換して得た膨大な魔力。

 それは決して「垂れ流す」ためのものではない。

「一滴も漏らさずに使い切る」ための、至高の演算器(プロセッサ)なのだ。

 かつて黒鉄一輝がFランクの魔力で魔人に到達したように、

 今の白峰一華はAランクの魔力を極限まで絞り、濃縮し、

 その一点で真祖を貫くための剣となれるのだ。

 

「……フフ」

 一華の唇が歪む。

 艶めかしい、しかし冴え渡る冷徹な笑み。

 彼女の全身から放たれていた無駄な熱が、一瞬にして収束した。

 体外へ溢れ出していた魔力が、

 膣内へ、

 子宮内へ、

 そして魔力回路の最深部へと吸引されていく。

 それはまるで、洩精を寸止めし、全ての精力を内側へと抱え込むような、

 背徳的で濃厚な嚥下(えんげ)の儀式。

 

「精緻の……極限……」

 一華が囁く。

 その声は震えているが、それは恐怖ではない。

 抑えきれない歓喜の予感だ。

 彼女の魔力制御が、かつてないほどの精度を以て再構築されていく。

 外科手術の如き精密さ。

 血管の一本一本、

 筋肉の繊維の一つ一つに、

 魔力を過不足なく配分し、

 余剰を許さぬ完璧な効率化。

 それは、ただの力任せの爆発ではない。

 極限まで研ぎ澄まされた、神経を逆撫でするような愛撫の手法。

 

「さあ……行くわよ」

 一華が『黒耀』を構える。

 その刀身は震えていない。

 ただ、空間ごと切り裂くという純然たる意志だけが宿っている。

 

『一刀修羅《いっとうしゅら》』——発動。

 

 ぶるるるるるっ……!! 

 空気が鳴動する。

 だが、それは以前のような粗暴な獣の咆哮ではない。

 端正な競走馬の心臓の鼓動のように、

 規則正しく、

 しかし圧倒的な出力を秘めた躍動。

 一華の体表の血管が浮き上がり、体色が赤黒く変色する。

 それは以前の「死に急ぐ」発動とは違う。

 出力の強化幅を意図的に低減(ダウングレード)させ、

 状況に合わせてON/OFFを切り替え

 発動時間を累計10分程度まで延長した、完成された『一刀修羅』だ。

 彼女の身体は爆発していない。

 むしろ、体内の全リソースを戦闘という目的に特化させ、極限まで機能している。

 心拍数がエンジンのように暴走するが、それは制御下にある。

 魔力が垂れ流されるのではなく、刀身という出口に向けて整流され、加速している。

 

「なっ……!?」

 シュピンネが息を呑む。

 目の前の女の雰囲気が一変したからだ。

 これまでの彼女は、強力だが粗暴な獣だった。

 だが今は違う。

 獣は消え、そこにあるのは冷徹な殺戮マシーン。

 ありとあらゆる無駄を削ぎ落とし、ただ敵を殺すことだけに存在する死神。

 

「いただくわ」

 一華が踏み込む。

 その速度は以前よりも遅い? 

 否、違う。

 無駄な動きが削ぎ落とされ、最短距離を踏破しているだけだ。

 まるで、獲物の喉元に吸い付く蜘蛛の如き、静謐にして不可避の接近。

 

「『追影』……!」

 第八秘剣にして、終の秘剣。

 因果干渉の刃が、シュピンネの首元へと迫る。

 彼女はすでに、ただの高速剣技としての『追影』を超越している。

 一刀修羅の精密制御下において、

 彼女の剣は全てが「結果」を上書きする概念干渉器へと昇華しているのだ。

 

 ズンッ!! 

 鈍い音が響いた。

 シュピンネの首が、胴体から滑り落ちた。

 今度は再生が間に合わない。

 あまりにも精緻な魔力制御ゆえに、傷口すら認識できず、再生のシグナルが送れないのだ。

 シュピンネの目が見開かれる。

 信じられないという表情。

 そして、その奥に浮かぶ至上の歓喜。

 

「あ……ああ……♥ これ……♥ これよ……♥」

 首だけとなったシュピンネが、地に落ちながら微笑む。

 その声は歓喜に震えていた。

「私を……殺したのね……♥ こんなにも……完璧に……♥」

 彼女にとって、これほどの強者に殺されることは、究極の交接に他ならない。

 三千年の人生で初めて味わう、真の絶頂。

「ありが……とう……♥ あなたは……最高の……夫……♥」

 

 カッツェ平野の霧は、事後の胎盤のように生温かく澱んでいる。

 いや、違う。

 これはもはや霧ではない。

 虚空に漂う無数の白い微粒子は、大気中に霧散したシュピンネの殘滓だ。

 三千年の生涯で彼女が啜ってきた幾千万の精気、

 溶かした骨、

 搾り取った血涙、

 そして夫たちの断末魔の嬌声。

 それらの全てが彼女の死に伴い、微細な塵となってこの戦場を満たす。

 こんなものは大気汚染だ。

 魂の公害だ。

 肺に入れただけで妊娠しそうな、悍ましいまでの生の濃縮。

 白峰一華は、深く息を吐いた。

『一刀修羅』の余熱が、まだ血管の内側をジリジリと灼いている。

 心臓は鋼鉄の鍛冶場のように甲高く鼓動し、

 子宮は収まりきらない魔力の奔流を膣分泌液という形で垂れ流している。

 太腿の内側は濡れそぼり、漆黒のドレスがぐっしょりと肌に張り付く感触が生々しい。

 しかし、彼女の双眸だけは異様に澄んでいた。

 濁っていない。

 雌犬の目ではない。

 狩人の目だ。

 獲物を屠り、

 その血肉を啜り、

 至高の剣戟の余韻に酔いしれる、

 純粋な殺戮者の輝きが戻っている。

(終わった……のか?)

 一華はゆっくりと『黒耀』を鞘に納めかける。

 ざわり、と背筋を這い上がる悪寒。

 生理学的な警告ではない。

 もっと深い、魂の髄に刻まれた外傷記憶(トラウマ)が、警鐘を打ち鳴らしたのだ。

 アダムス・ゲーティアに敗れ、蹂躙され、女体へと改造された記憶。

 奴は殺しても死ななかった。

 むしろ、死こそが奴の本質だった。

 この感覚は、あの時に似ている。

 同時に、カッツェ平野そのものが震え始めた。

 地鳴り。

 いや、違う。

 地面が震えているのではない。

 この空間を包む霧が、シュピンネの殘滓が、一斉に振動し始めたのだ。

 まるで、産声を上げる前の胎児の初めての痙攣のように。

 脈動。

 どくん、どくん、どくん。

 それは一華の心臓の鼓動と共鳴する。

 いや、彼女の鼓動を乗っ取って、強制的に同調させているのだ。

 子宮が、疼く。

 ついさっきまでシン・メーンの精液で満たされていたはずの胎内が、渇望する。

 侵入されたのではない。

 空洞にされたのだ。

 子宮内膜の一つ一つが、今度は『別の何か』を求め、ヒダを開いて喘いでいる。

 それは、かつてアダムスに敗れ、女体化された夜の感覚。

「この……っ……」

 一華は奥歯を噛みしめた。

 恐怖する自分を叱咤する。

 私は牝犬ではない。

 剣士だ。

 白峰一華は、この淫らで倒錯した肉体すらも武器とし、

 極限の剣術と支配を具現化した戦士だ。

 発情する子宮を罵倒し、震える膝を叱咤し、再び『黒耀』を抜き放つ。

 次の瞬間、世界が反転した。

 暗転。

 あまりにも自然な、あまりにも絶対的な暗転。

 それは視界を覆う闇ではない。

 存在を覆う闇だ。

 光が消えたのではない。

 光という概念が、この領域から追放されたのだ。

 本来なら、夜空には無数の星が瞬き、

 月がカッツェ平野を青白く照らしているはず。

 だが、それらは惨めな虚構だったとばかりに、黒く塗り潰されている。

 温度が、肌を嘗め回す。

 粘性を持つ冷気が、

 一華の太腿、

 腰、

 乳房、

 開いた背中の露出部分を這い回る。

 それは寒気ではない。

 冷たい舌で全身を舐め回されているような、生理的嫌悪。

「────ああ」

 声が響いた。

 四方八方から。

 天から。

 地の底から。

 そして何より、一華自身の子宮の奥底から反響する。

 空間が、歪む。

 一華の周囲に、白い絲が浮かび上がった。

 それらは無数に枝分かれし、複雑に絡み合い、網目を作り、

 やがて巨大な繭を形成する。 しかし、その繭の糸一本一本が、

 先ほどより明らかに太く、淫らに濡れ光っていた。

 まるで、潤滑液を纏った男根のように。

 ぬるり、と背後で気配が蠢く。

 一華は振り向かず、その気配を切るように後ろ袈裟に『黒耀』を一閃。

 しかし、手応えはない。

 否、手応えはあった。

 確かに肉を断ち、骨を砕く感触が刀身を震わせた。

 だが、斬られたはずの影は、霧のように揺らめき、すぐさま別の場所に実体化する。

 

「無駄よ」

 背後から、耳元に直接囁く声。

 吐息が耳朶を濡らす感触に、一華は反射的に身をよじった。

 湿った熱を含んだ声は、一華の鼓膜を震わせ、

 その震えが直接、延髄を、脊髄を伝って、子宮口をきゅんと痙攣させる。

「ここは、わたくしの体内。 わたくしという子宮が世界を覆ったの。

 無数の夫たちの精気を啜って肥大した、この永遠の胎内で、

 貴女は今から、ゆっくりと溶かされるのよ」

 見えた。

 一華は確かに、シュピンネの姿を視認した。

 しかし、その姿は先ほどまでとは全く異なる。

 彼女の全身から、無数の「管」が生えている。

 それらは背中の八つの穴から溢れ出し、

 地面に、

 天井に、

 虚空に突き刺さり、

 脈動していた。

 まるで胎児と母体を繋ぐ臍の緒。

 そして、それらを通じて、彼女はこの闇の空間そのものと同化しているのだ。

 彼女の陶器のような白い肌は、さらに透明感を増し、

 皮下を流れる暗赤色の魔力が透けて見える。

 三千年の美貌。

 されど、その美しさの源泉である魔力の循環系は、

 生理的に悍ましいほどのエロティシズムを醸し出していた。

「ここは……わたくしの胎内……」

 シュピンネは、無数の管に支えられながら、一歩、また一歩と近づく。

「だから、ここでの貴女の抵抗は……子宮への愛撫と同義なの」

 その言葉が証明されるかのように、

 一華がわずかに身じろぎしただけで、

 闇が、

 絲が、

 空間そのものが一斉に彼女の敏感な部位を嬲り始める。

 乳房の先端を、誰かの舌が這う。

 背中の窪みを、誰かの指がなぞる。

 太腿の内側を、無数の極細絲が、ムカデの脚のように這い回る。

 それは決して暴力的な陵辱ではない。

 むしろ、優しい。

 優しすぎる愛撫。

 一華がこれまでに感じたことのない、純粋な快楽だけを抽出した責め。

 快楽への抵抗力を、根本から溶かし去るような、無限の愛撫地獄。

「あっ……んぅっ……!」

 一華は唇を噛み締めて声を押し殺す。

 股間からは、とめどなく愛液が溢れ、漆黒のドレスを伝い、床に淫らな水溜まりを作る。

『一刀修羅』で制御しているはずの魔力が、激しく暴れ出す。

 それは抵抗のための力ではなく、快楽に屈服し、

 さらなる快楽を求めて自ら敵に差し出そうとする、雌としての本能の暴走。

「あらあら……♥ そんなに我慢しなくてもいいのに……」

 シュピンネが嗤う。

 その声は、もはや一華の脳髄に直接響いている。

「貴女のその完璧な支配欲も、傲慢なまでの自信も、根底にあるのは、

 人間の脆い孤独でしょう? 愛されたい。支配されたい。蹂躙されたい。 楽になりたい。

 そう、全てを私に委ねればいいのよ。そうすれば、もう何も考えなくていい。

 何も恐れなくていい。 誰かに裏切られることも、

 誰かを守れない自分を責めることもなく、ただ、私の胎内で、永遠の快楽に溶けてゆけるのよ……」

 言葉が、呪いが、子宮に染み渡る。

 シュピンネが細く長い指で、一華の頬をそっと撫でた。

 その冷たい指先は、一華の肌を溶かし、

 彼女の精神の防壁を一枚ずつ剥がしていく。

「さあ、一緒に……絶頂しましょう……」

 シュピンネは、無数の絲で一華の四肢を絡め取り、ゆっくりと宙に吊り上げた。

 それは、まるで彼女自身が吐き出した繭の中で、

 蝶が羽化する瞬間を待つかのようで。

 いや、違う。

 これは羽化の逆だ。

 蝶だったものが、繭の中で融解し、スープへと還元される、生命の逆行。

 一華の瞳から、理性の光が消えかける。

 口元からは、だらしなく涎が垂れ、切なげに開閉する唇が、何かを求めて喘いでいる。

 シュピンネが微笑む。

 勝ち誇った捕食者の笑み。 彼女は糸を引き、

 一華の身体をゆっくりと引き寄せ、その首筋に牙を突き立てようとし──

 

「また負けんのか、カス」

 

 脳髄を直接殴打するような、あの不愉快な男の声が響いた。

 蛮場流輝。

 美しく傲慢で、頼りになる雄。

 彼はいつもそうだった。

 私を泥の中に踏みつけ、 泥まみれになるまで殴りつけながら、

 こう囁くのだ。「お前の剣はまだだ」と。

 ああ、そうだ。

 僕はあいつに勝ちたい。

 いや、勝たねばならないのだ。

 あの不遜な笑みを叩き壊し、その美しい顔を屈服させ、

「認める」と言わせるまでは、僕は何度死んでも死にきれない。

 

「────っ!」

 

 白峰一華は、自らの喉の奥から迸った獣のような唸り声を噛み殺した。

 シュピンネの展開した領域──三千七百年の精気で紡がれた巨大な胎内。

 そこは粘度の高い羊水であり、

 子宮壁にへばりついた哀れな精子も同然。

 四方八方から迫りくる白濁した絲は、魔力を吸い上げ、

 同時に快楽という名の強酸で自我を溶かしにかかっている。

 抵抗すればするほど搾り取られ、諦めればただの肉塊へと還元される。

 絶体絶命。

 阿鼻叫喚。

 この期に及んで、私の子宮はまだ「雄」を求めて脈打っている。

 なんという淫らな肉体だ。

 なんという旺盛な生存本能だ。

 

 だが、負けるわけにはいかないのだ。

 

「黒耀────っ!」

 

 僕は叫んだ。

 叫びと共に『黒耀』を振るう。

 その刀身が持つ本質──

『刀身に対する伐刀絶技を含めたあらゆる力の干渉を受け付けない』という概念防御特性。

 本来ならば、これは剣身のみに適用される盾だ。

 だが今の僕には、剣身だけを守っていても意味がない。

 敵は空間ごと私を飲み込んでいるのだから。

 

 ならば、拡張すればいい。

 無理やりにでも。

 

 瞬間。

 私の中で男と女、ふたつの衝動が化学反応を起こした。

 シン・メーンに蹂躙される悦びを知った「雌」と、

 蛮場流輝に打ち倒される屈辱を糧にする「雄」。

 その矛盾したふたつのベクトルがねじれ、融合し、

 ありえない方向へと魔力回路を回転させる。

 

『黒耀』の刀身から、不可視の「拒絶」が溢れ出した。

 それは傘のように広がり、私個人の肉体のみならず、

 僕が立つ周囲数メートルの空間すら覆い隠す。

 不完全だ。

 歪で、ガタガタで、今にも崩れそうなテントのような防壁。

 だが、シュピンネの支配領域を強引に「剥がす」ことには成功した。

 

 ズズンッ……! 

 空間が軋む音がした。

 粘着質な絲が弾かれ、私の周囲だけが真空地帯となる。

 そこで初めて、僕は息ができた。

 

「あら……あらあら……」

 

 シュピンネが息を呑む気配がした。

 彼女は見たのだろう。

 汗と体液でぐっしょりと濡れた漆黒のドレスをまとい、

 荒い息をつきながら剣を構える私の姿を。

 

 僕の顔は火照っている。

 羞恥と興奮で紅潮し、

 瞳は潤み、

 唇は切なげに開いている。

 それは雌犬が主人に愛撫をねだるような顔だ。

 だが、同時にその双眸には冷徹な殺意が宿り、

 立てた膝は微動だにせず、握った拳は白く強張っている。

 それは修羅の顔だ。

 

 雄々しくも華やかな。

 妖しくも美しい。

 矛盾したふたつの要素が同居したその顔を見て──

 シュピンネは狂奔した。

 

「っ♥ っっっっ♥♥ 素晴らしい……! なんて……なんて業欲深い顔なの!」

 

 彼女は歓喜のあまり身震いし、

 背中からさらに太くねっとりとした絲を噴き出させた。

 それは捕食のための網ではない。

 愛する対象を逃さないための拘束具だ。

 

「男でありながら女になったその肉体……! 

 屈辱にまみれながら決して折れないその瞳……! 

 ああっ♥ もう我慢できないわ! 

 貴女の中身を全部かき回して! 

 その雄々しい芯も! 淫らな肉も! 全部私の子宮で溶かして! 

 夫として! 妻として! 私と交わりなさいっ♥♥」

 

 彼女は絶叫すると、自らの身体ごと私にぶつかってきた。

 それは突撃であり、抱擁であり、交接の誘いだ。

 白い肌が近づく。

 血のような赤い唇が開く。

 長い犬歯が僕の喉元へと狙いを定める。

 

「……舐めるな」

 

 私は短く吐き捨てた。

 全身が熱い。

 子宮が疼く。

 だが、この疼きは「犯されたい」からではない。

「刈り取りたい」からだ。

 

 この倒錯した世界においてこそ、僕は剣士として生きる。

 

「見ていなさい……蛮場流輝……!」

 

 私は『黒耀』を逆手に持ち替えた。

『一刀修羅』はまだ継続中だ。

 だが今度こそ、垂れ流しではない。

 一滴も漏らさずに運用する精密さで──

 

 僕は踏み込む。

 シュピンネの歓喜に歪んだ顔へと向かって。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 湿り気を帯びた闇。

 そこは子宮の奥底よりもさらに深く、暗く、そして温かい。

 カッツェ平野の霧は、ただの気象現象などではなかったのだ。

 それは三千年の歳月をかけて醸造された、熟成された女の愛液の蒸気。

 吸い込むたびに肺が疼き、吐き出すたびに魂が溶ける。

 

 一華の展開した不可視の結界──『黒耀』の概念防御の拡張──は、

 しゅぷっ、しゅぷっ、と厭らしい音を立てて浸食されていた。

 シュピンネの領域は、圧倒的な粘度と質量で佇む。

 海水ではなく、蜂蜜よりも濃い、骨髄のような流体の海。

 そこに無理やり傘を開いたところで、

 じわじわと、根元から、縫い目から、粘液が滲み入り、

 最後には重さに耐えきれずにへし折られてしまうのだ。

 

「あらあら、小さな傘ね。可愛らしいこと」

 シュピンネの声が、背後から、耳元から、そして子宮の底から響く。

 彼女は移動していなかった。

 空間そのものが彼女の体表だからだ。

 一華が剣を振るえば、その斬撃は確かに「何か」を捉える。

 しかし、それはシュピンネの本体ではなく、

 彼女が吐き出した不要な垢のような、余剰の魔力の残滓に過ぎない。

 全てを斬り裂く『追影』すら、この無限の肉壁の前では、

 皮膚の上を滑る爪のように、心地よい愛撫にしかならない。

 

 湿っぽい。

 カッツェ平野の霧は、今や名実ともにシュピンネの羊水と化した。

 呼吸をするたびに肺胞にへばりつく粘液、

 皮膚の毛孔から侵入してくる微細な絲の感触、

 そして骨の髄まで揺さぶるような、あの底なしの快楽の重圧。

 一華は立っていた。

 膝は笑い、股間はとめどなく溢れ、双丘は震えている。

 まるで初夜を迎える腰の定まらぬ生娘のようだ。

 だが、その顔は。

 その瞳は。

 泣いてなどいない。

 いや、笑っていた。

 

「フフ……」

 喉の奥から、ひひひっと嗤いが漏れる。

 それはかつて黒鉄一輝だった頃の、痩せ我慢の嗤いではない。

 もっと質の悪い、底意地の悪い、

 それでいてどうしようもなく艶めかしい、魔性の嗤いだった。

 真祖・シュピンネ。

 三千年の時を生き、無数の英雄を食い殺してきた絶対的捕食者。

 彼女の支配領域は完璧だ。

 この中では、彼女は世界そのものであり、神に等しい。

 だが、一華は知っていた。

 神を殺す方法を。

 かつて、自身の肉体と魂をもって教え込まれたからだ。

 アダムス・ゲーティア。

 解放軍の首魁にして、かつて真祖を凌駕した《暴君》。

 彼は一華を、ただの女へ堕としたわけではない。

 その肉体に、精神に、魂の髄まで、《暴君》の因子を刻み込んだのだ。

 それは呪い。

 だが同時に、最強の武器でもある。

 真祖を滅ぼすには、対界レベルの攻撃が不可欠。

 即ち、世界の法則そのものをねじ伏せる絶対的な支配力。

「主」アテム。

 その正体は、アダムスの転生体。

 ならば、アテムを産み落としたこの子宮は、

 アダムスの権能のモニメント(記念碑)に他ならないのだ。

 

「チャンス……ね」

 一華は濡れた唇を舐めた。

 充血した舌が、犬歯に触れる。

 カチリ、という音が、骨伝導で脳髄に響く。

 それは、この上ない好機を意味していた。

 シュピンネは今、歓喜のあまり油断している。

 彼女は一華を「料理」しようと、包丁を入れる瞬間を待っている。

 だが、それは料理人が食材に向ける愛情などではない。

 肉食獣が獲物に抱く、飽くなき食欲だ。

 その食欲こそが、彼女の隙だ。

 彼女は一華を「味わおう」としている。

 つまり、一華の全てを自分の内側に取り込もうとしている。

 ならば、利用してやればいい。

 その包容力の全てを、こちらの「凶器」として使い回してやればいいのだ。

 

 一華は、『黒耀』を構えた。

 逆手に持ち、刀身を背中に沿わせる。

 その構えは、かつての第八秘剣『追影』のそれではない。

 もっと原始的で、もっと野蛮で、もっと淫らな構え。

 腰を深く落とし、子宮を前に突き出す。

 まるで、雄を誘う雌の発情ポーズのようだが、

 その眼差しは、射精の瞬間の雄のように鋭く、ギラギラと光っている。

 

「さあ、おいでなさい」

 一華が囁く。

 シュピンネが恍惚と眉を寄せる。

「あら、誘ってくれるの? 嬉しいわ……」

 シュピンネの領域が、さらに収縮する。

 絲が、一華の肢体に絡みつき、その豊満な肉を食い込ませる。

 乳房が歪み、尻肉が弾け、膣口が押し開かれる。

 圧倒的な「包容」。

 それはまるで、母胎への回帰。

 だが、一華は抵抗しない。

 むしろ、自ら脚を開き、その包容を受け入れる体勢をとった。

 

『一刀修羅《いっとうしゅら》』

 ──発動。

 

 ドクンッ! 

 心臓が、暴君のように咆哮した。

 これまでの『一刀修羅』は、自身の生命力を燃やし尽くす自爆スイッチだった。

 だが、今は違う。

 一華の体内には、アダムスの因子という、無尽蔵の燃料タンクがある。

 子宮に宿るアテムの魔力が、パラジウムの触媒のように作用し、

 一華の生命力を、劇的かつ強制的に再生成しているのだ。

 血管を流れるのは血液ではない。

 溶鉄のような、粘度高き魔力の奔流。

 全身の筋肉が悲鳴を上げるが、それすらも快楽へと変換される。

 痛い。

 熱い。

 気持ちいい。

 脳髄が痺れ、視界が白濁するが、

 意識だけが、異様なほどにクリアになっていく。

 

「いただくわ」

 一華が言う。

 その声は、もはや人間のそれではない。

 深渕より響く、魔性のバリトンとソプラノが混ざり合った、

 雄々しくも妖艶な響き。

 

 踏み込む。

 シュピンネの懐へ。

 無数の絲が一華を迎え撃つ。

 だが、一華は避けない。

 当たる。

 被弾する。

 だが、傷つかない。

『黒耀』の概念防御拡張──

『天弓』の概念干渉──

 それらを統合し、さらにアダムスの因子で出力を底上げした、

 対界級の絶対防御(アダムズ・ゲーティア)。

 絲は一華に触れた瞬間、その存在を否定され、霧散していく。

 まるで、処女膜が剛直な雄によって突破されるかのように、

 一華の進行を止めることのできない無力な壁へと成り下がったのだ。

 

「なっ……!?」

 シュピンネが驚愕に目を見開く。

 三千年の歴史で、自身の領域を無視して突き進む個体などいなかった。

 ありえない。

 そんなことは。

 だが、一華は笑う。

「驚くなよ、お婆ちゃん。時代は変わるのよ」

 一華は『黒耀』を振るった。

 ただの物理攻撃ではない。

『天弓』による、概念干渉の極致。

 斬撃の距離、数、位置、密度を自由自在に調整するのではない。

 斬撃そのものの「定義」を書き換える。

 通常ならば、斬撃とは「相手の構造を破壊する行為」だ。

 だが、今の一華の斬撃は、「相手を支配する行為」へと変貌していた。

 

 ズンッ! 

 一華が踏み込むたびに、シュピンネの領域が「犯」されていく。

 不可視の刃が、彼女の絲の一本一本を切断し、

 同時にその断面に、一華の魔力をねじ込んでいく。

 それは、まさに交尾。

 相手の体内に侵入し、自分の遺伝子を刻み込み、

 書き換えていく、暴力的な生殖活動。

 

「あぐっ……! ああっ♥ なにこれ……!? 

 私の絲が……私の世界が……書き換えられていく……!?」

 シュピンネが悲鳴を上げる。

 それは恐怖の声ではない。

 快感の声だ。

 自身の絶対的な世界が、より強大な支配者によって蹂躙される。

 その事実は、彼女の三千年の被虐狂(マゾヒズム)を刺激し、

 全身を絶頂の痙攣(けいれん)が走らせていた。

 

「そう、それでいいのよ」

 一華は耳元で囁くように言った。

 シュピンネの目の前に、いつの間にか迫っていた。

 二人の距離はゼロ。

 互いの吐息が触れ合い、

 互いの体温が混ざり合う。

 一華は左手でシュピンネの腰を抱き寄せ、

 右手に持った『黒耀』を、彼女の背中の中心──

 八つの穴が集約される脊椎の奥へと突き立てた。

 

『魔剣・無慙(むざん)』

 ──臨界突破。

 

 ぶるるるるるっ……!! 

 一華の全身から、極限の振動波が放たれた。

 それは『無慙』の通常発動とは次元が違う。

 体内に圧縮していた『一刀修羅』の莫大な魔力と、

 アダムスの因子が反応し、

 共鳴振動波へと変換されたのだ。

 その波長は、シュピンネの魔力回路と完全に同調している。

 いや、同調させたのだ。

 一華は先ほどの突撃で、シュピンネの領域に自らの魔力をねじ込み、

 彼女の周波数を書き換えていたのだから。

 

「あ……ああ……あああああああっ♥♥♥」

 シュピンネが絶叫した。

 断末魔ではない。

 あまりにも濃厚な、あまりにも深淵な、絶頂の嬌声だ。

 一華の振動波は、彼女の背骨を通り、

 全身の魔力回路へと駆け巡り、

 そして子宮の奥底へと到達した。

 そこで爆発した。

 物理的な破壊ではない。

 存在の支配だ。

 シュピンネの魔力回路は、一華の魔力によって乗っ取られ、

 彼女自身の意志とは無関係に、

 一華に服従するように再構築されていく。

 

「これが……本当の……交接……♥」

 シュピンネは白目を剥き、よだれを垂れ流しながら痙攣する。

 三千年間、彼女は無数の雄を食い殺してきた。

 だが、初めてだ。

 自分より強い雄に、内側から貫かれ、

 存在そのものを孕まされたのは。

 それは敗北か? 

 いや、違う。

 これは……婚姻だ。

 絶対強者への、永遠の帰属だ。

 

「あ……ありが……とう……♥ あなたは……私の……旦那様……♥」

 シュピンネは痙攣しながら、一華に抱きついた。

 その身体はもはや、捕食者のそれではない。

 ただの、雄に抱かれて悦ぶ雌のそれだ。

 背中の穴から噴き出していた絲は、

 一華を拘束するものから、

 一華に愛撫を捧げるものへと性質を変え、

 優しく、ねっとりと、一華の肉体を嬲り始めた。

 

 

 

 カッツェ平野の最深部、

 シュピンネの展開した胎内領域は、今やただの「閨(ねや)」と化していた。

 征服者たる一華に内側から貫かれ、魔力回路を乗っ取られた三千七百歳の未亡人は、

 白目を剥き、よだれを垂れ流し、痙攣する背中から噴き出す絲で一華をひたすらに愛撫。

 それはもはや捕食の網ではない。

 粗相のない新妻が、初夜を共にした旦那様に尽くすための奉仕の糸だ。

 乳房を持ち上げるように、太腿の内側を這うように、そして何より、

 一華が突き立てた『黒耀』の根本から柄へと舌なめずりするかのように、

 絲はねっとりと動き回る。

 

「ああ……♥ ああっ♥♥ 素晴らしい……♥ 旦那様……♥」

 シュピンネは痙攣しながら、うわごとのように呟く。

「私の……私の全てを……♥ この子宮で……♥ 受け止めてくださいまし……♥♥」

 

 呆れるほどの陽気な敗北宣言である。

 三千年もの間、無数の英雄を食い殺してきた大悪党が、

 たった一突きでご機嫌となるのだから、女という生き物は恐ろしい。

 いや、これはもう「女」の領域を超えている。

 喜びのあまりに液状化し、ただの快楽のスープと成り果てた生物だ。

 シュピンネは一華に抱きつき、

 その陶器のような白い肌を一華の赤黒く充血した肉体に擦り付けている。

 二人の女の肌が重なり合い、混ざり合う。

 汗と愛液と、そして溢れ出す魔力の飛沫が、閨の匂いを充満させる。

 

 だが。

 

 白峰一華は、笑わなかった。

 いや、笑えなかったのだ。

 彼女の 支配欲は、こんな生ぬるい「夫婦ごっこ」などでは満たされない。

 彼女が求めているのは、蛮場流輝に浴びせられた「洗礼」のような、

 粉砕され、踏みにじられ、泥沼に沈められる暴力の嵐だ。

 中途半端な愛などいらぬ。

 彼女が欲しいのは、絶対的な征服か、絶対的な敗北か。

 その二択しかない。

 

「……チッ」

 

 一華は舌打ちをした。

 その音は、あまりにも冷徹で、あまりにも無慈悲だった。

 愛撫を寄越す絲を、電気的な不快感を払うかのように乱暴に振り払う。

「旦那様」だと? 

 勘違いするな。

 私はお前のような古狸の「夫」になるつもりなどない。

 僕はただ、お前という「世界」を壊しに来たのだ。

 

「終わりにしようか」

 

 一華は、『黒耀』を掴む手に力を込めた。

 刀身は、シュピンネの背骨に深々と食い込んだままだ。

 そこから流れ込むシュピンネの魔力は、まさに命そのもの。

 それを啜り尽くすのもいい。

 だが、もっと効率的な処理法がある。

 一華は、体内で暴れ回る『一刀修羅』の魔力を、

『黒耀』を通じて一点へと収束させた。

 それも、ただの点ではない。

 彼女という人間の、最大にして最悪の業(ごう)。

 己のためならば世界すら傷つけ滅ぼすことも厭わぬ、

 その身勝手なエゴイズムの結晶へと。

 

『絶刀・冥極刃紋』

 

 ──臨界、突破。

 

 ズンッ……! 

 空間が、軋んだ。

 いや、軋みなどという生易しい音ではない。

 断絶だ。

 時空そのものが、悲鳴を上げて避妊具のように引き裂かれたのだ。

 

 一華の刀身から、無数の魔力刃が噴き出した。

 それは物理的な切っ先ではない。

 概念干渉の極致。

「斬る」という結果を強制する『天弓』と、

 内側から存在を崩壊させる『無慙』の振動が融合し、

 さらに対界級の出力を持って世界をねじ伏せる、

 人間の業を象徴する一華の絶招。

 

 魔力刃の渦が、シュピンネの領域を、

 彼女の胎内を、

 そして彼女の存在の根源を、容赦なく裁断。

 

「あ──」

 

 シュピンネが目を見開く。

 その瞳に、死の光が灯る。

 

 魔力刃の奔流が、シュピンネという胎内を縦横無尽に駆け巡った。

 それは裁断ではない。

 愛撫だ。

 三千七百年もの間蓄積された魔力と経験と精気の層を、

 一本一本丁寧に剥がし、舐め取り、味わい尽くすための、執拗で濃厚な愛撫。

『絶刀・冥極刃紋』が生み出した無数の刃は、物理的な切断線としてではなく、

 シュピンネの存在を定義づける概念構造そのものに食い込んだ。

 骨と肉を分かつための包丁ではなく、女性器の襞(ひだ)を一枚一枚押し広げ、

 その奥にある秘所を暴き出すための指先のように。

 シュピンネは声も出なかった。

 出せなかったのだ。

 口を開けば、魂そのものが飛び出してしまいそうだったから。

 彼女の全身——背中の八つの穴から伸びた絲が支配していた空間そのもの——が、

 一華によって孕まされ、内側から激しく揺さぶられている。

 子宮が破裂するような激痛と、脳髄が溶けるような歓喜が同時に襲い、

 表情は能面のように固まりながらも、その奥で激しく痙攣していた。

 

「あ……あぁ……♥」

 

 ようやく漏れたのは、ひどく間抜けで、それでいて恍惚とした吐息だけ。

 シュピンネの身体が、輪郭を失い始める。

 カッツェ平野という巨大な子宮に同化していた彼女の肉体は、

 一華の魔力刃によって「受精」させられた卵子のように、

 その存在を根本から書き換えられ、崩壊へと向かっていた。

 それは死か? 

 否。

 これは昇天だ。

 三千年もの間、誰にも屈服できなかった絶対的な捕食者が、

 より強き支配者によって内側から食い尽くされるという、究極的被虐の極致。

 

「あ……り……が……とう……♥」

 

 シュピンネの身体が、白い光の粒子となって霧散していく。

 彼女が最後に見せたのは、

 血に飢えた捕食者の顔でも、苦悶に歪む敗者の顔でもなかった。

 ただの女だ。

 愛する男に抱かれ、

 その全てを捧げることに至上の悦びを見出した、ただの雌の顔だった。

 背中から噴き出していた絲は千切れ飛び、空間を満たしていた羊水は霧散し、

 カッツェ平野を覆っていた濃密な霧が急速に晴れていく。

 シュピンネという「世界」が終わったのだ。

 

 ◇

 

 視界が開けた。

 カッツェ平野特有の、粘着質で不快な湿気は消え失せていた。

 代わりに訪れたのは、乾いた夜気と、冷たく突き刺すような星光だけ。

 シュピンネの領域崩壊に伴い、物理法則が正常化したのだ。

 そしてそこには、一人の女が立っていた。

 

 白峰一華。

 

 

 

「……終わったか」

 

 一華は短く呟くと、長く息を吐いた。

 勝利の余韻? そんな高尚なものではない。

 これは賢者のタイムだ。

 激しい交わりの後、

 虚脱しきった身体で煙草を燻らせる男のような、虚ろで怠惰な瞬間。

 彼女の子宮はまだ痙攣し、微かにアダムスの因子が残響しているが、

 やがて静寂へと帰していくのだろう。

 

 

 

 カッツェ平野には今、風が吹いている。

 この土地を三千年ものあいだ覆い尽くしていた湿潤な呪いは、

 つい先ほど、完全に消滅した。真祖・シュピンネの概念が霧散したのだ。

 いや、正確に言えば「殺された」のだ。

 白峰一華という、一人の女によって。

 故に風は乾いている。

 酷薄なまでに冷え冷えと、この世のものとは思えぬ清冽さで、

 戦場に残る血腥さを拭い去っていく。

 月明かりが、あまりにも無遠慮に地上を照らし出していた。

 

 だが、その光の中にあって、勝利者だけが異様だった。

 

 引き裂かれた漆黒のドレスから覗く肌は、戦いの汗と飛沫、

 そして乾かぬ体液にまみれ、

 この清浄な空気の中では異物のように生々しく輝いている。

 乳房は重力に逆らうかのように形を保ち、先端だけが冷気に震えて硬く尖っていた。

 太腿の内側には、自身の分泌液とシュピンネの殘滓が混ざり合った白濁が、

 気の遠くなるほど緩慢な速度で滴り落ちている。

 その姿はまるで、戦場に咲く一輪の毒花だ。

 美しい。

 だが、その美しさを愛でようと手を伸ばせば、

 指先から腐り落ちるような、そんな危うさを秘めている。

 

 海江田勇蔵は、そんな彼女に声をかけることができなかった。

 否、かけるべき言葉を、彼はもう何処かに落としてきてしまったのだ。

 かつては彼女の「指し手」だった。

 その華奢な腰を抱き、その啼き声を聞き、

 その胎内に己の胤を注いだ(と信じている)ことを、彼は「支配」だと錯覚していた。

 だが、違った。

 彼はただ、この雌犬の「餌」の一つに過ぎなかったのだ。

 それを証明するかのように、彼女は今、真祖を屠った。

 人類の歴史をかけても届かなかった高みで、剣を振るったのだ。

 妻は遠い日本で彼の帰りを待っている。

 その事実を思い出すことすら、今はできなくなっていた。

 

「一華……」

 

 ようやく絞り出した声は、老犬の遠吠えのように掠れていた。

 一華は答えない。

 一瞥すらしない。

 ただ、ずしりと重い足取りで、カッツェ平野の乾いた土を踏みしめている。

 一歩、また一歩。

 それは凱旋行進などではない。

 敗残兵の、重すぎる帰還だ。

 胎内には、今、戦いの余韻がまだ熱く脈打っている。

 シュピンネを内部から破壊する際、一華は避けられない「代償」を支払っていた。

 あの絶頂の坩堝で、彼女は敵の全てを「孕ま」されたのだ。

 シュピンネが三千年かけて溜め込んだ無数の夫たちの精気、

 その怨念、その快楽の記憶、その全ての「業」が、

 一華の子宮という聖杯に注ぎ込まれ、ぐつぐつと煮え立っている。

 

(……気持ち悪い)

 

 一華は胸中で呟いた。

 吐き気がする。

 それは生理的な嫌悪感ではない。

 彼女の子宮が、所有者の意志とは無関係に、

 新たな主人を迎え入れた悦びにひくついているのだ。

 見知らぬ雄に無理やり種付けされた雌犬のように、

 内臓の奥底が、歓喜と羞恥で痙攣している。

 そして、その疼きこそが、彼女に冷徹な現実を突きつける。

 自分はまだ「足りない」。

 真祖を殺した。

 三千年の怪物を屠った。

 だが、これしきのことで、あの男に届くわけがない。

 蛮場流輝。

 その名が脳裏をよぎるたび、胎内の熱が、恐怖と歓喜でさらに燃え上がる。

 彼はこんな勝利など嘲笑うだろう。

「だから何だ」と一蹴されるのがオチだ。

 

(ああ……もっと……もっと強くならなければ)

 

 あの不遜な笑みを跪かせるために。

 僕という剣士を認めさせるために。

 彼に抱かれ、彼に壊される資格を得るために。

 一華は、血の滲むような想いで、その渇望を胸に抱く。

 それはもはや、人間の情念の形を成していなかった。

 ただの狂気だ。

 剣の鬼に取り憑かれた、救いようのない妄執だ。

 

「クソッ……」

 

 一華は吐き捨てるように呟くと、乱暴に髪をかき上げた。

 どれだけ強くなっても、自分はいつだって満たされない。

 戦いの前より、戦いの後の方が、この渇きはひどくなっている。

 彼女は振り返らず、再び歩き出す。

 その背中はどこまでも孤独で、そして誰よりも美しかった。

更新希望の原作

  • 魔弾の王
  • 落第騎士
  • ハイスクールD×D
  • 月姫
  • モブせか
  • マジエク
  • のんびり農家
  • 新妹魔王
  • 八男
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