第1章 監獄 残り120時間 天海春香
第1節 悪夢の始まり
静かな音が聞こえる。耳を撫でるような、どこかくすぐったい音だ。不快なその低音で、私は目を覚ました。
暗い。
私は上体を起こして、部屋を見回してみた。するとそこには異様な光景が広がっていた。部屋は8畳くらいの広さだ。だが、その部屋には窓が一つもない。そして、明り取りの為に、部屋の天井から吊り下げられた裸電球が一つだけ。後ろを振り返ると、換気扇が音を立てて回っている。私を起こした不快な音の正体はこれだった。
そしてなぜか、部屋の奥には、「120:00:00」と刻時された、学校の体育の授業で使うような、謎のタイムカウンターが置かれていた。
あまりにも異様な光景だった。こんなおどろおどろしい景色は、ついぞ見たことがない。
ここはいったいどこなのだろうか。私はなぜここにいるのか。どうやって連れてこられたのか。
私はそのカウンターの手前に、誰か人が倒れていることに気が付いた。恐る恐る、その人影の方へと歩を進めた。
カウンターの光で徐々にその全体が明らかになってくる。青くて長い髪、そして青い春物のジャケットに、青いジーンズを履いた人物が倒れていた。
特徴的なその青い髪・・・私はその人に見おぼえがあった。
いや、見覚えがあったという類の話ではない。私は、この子のことをよく知っているはずなのだ・・・。なのに、どういうわけか、この子のことは・・・ダメだ。何も思い出せない。
とにかく、この子を起こそう。
私は、光の下で倒れている彼女の右肩をポンポンと叩いた。ダメだ反応がない。
「すみません、大丈夫ですか。」
声をかけたがまるで反応がない。そもそも、この子は生きているのだろうか。口元に耳を当ててみる。息はあるようだ。
私は両手を使って、彼女を思いっきり揺さぶった。
「大丈夫ですか!」
何回かゆさゆさすると、彼女から声が漏れ出た。
「んんっ~。」
意識はあるみたいだ!私はさらに彼女を揺さぶり続けた。
「大変なんです!起きてください!」
何回も揺さぶったのが功を奏したのか、青髪の女の子は、ゆっくりと目を覚ました。そして、頭を抑えながら、ゆっくりと起き上がった。
「・・・ここは・・・。あなたは・・・?」
「・・・分かりません。気づいたら・・・ここに・・・。」
女の子はまじまじと私のことを観察していた。
「な・・・何ですか。」
私は彼女に見られていることが恥ずかしくなって、少し身じろぎしていた。
「あなた・・・どこかで見たことがあるような気が・・・。」
やっぱり、彼女も私に見おぼえるがあるようだ。
「私もそうなんです。あなたのこと・・・私知っているはずなんです。なのに・・・私、あなたのことを思い出すことができないんです。」
女の子も同意した。
「どうしてなのかしら・・・。ただの知り合いとか・・・そんな浅い付き合いではないような気がするんです。なのに・・・ごめんなさい、私あなたの名前すら分からない。なんてお名前なんですか。」
私はゆっくりと答える。
「天海春香です。天気の天に、海、はるかは、スプリングの春に香ると書きます。」
「へえ~、珍しい苗字ですね。私は如月千早です。如月は、睦月如月の如月です。千早は、千に早いで『千早』。」
「きさらぎさん・・・あなたも珍しい苗字なんですね。」
「・・・ええ。よく言われます。」
雑談をしながら思ったのだが、そういえば私、昔のことについての記憶が・・・ほとんどない。そもそも、私、今何歳なの?何をして過ごしているの?両親は?家族は?ほとんど思い出せない・・・。
何故なんだ、あまりにもわからないことが多すぎる。目の前のこの子にすがるしかない。
「あの・・・。」
「なんですか?」
「私・・・実は過去のことをほとんど覚えていないんです。私が何者で、何をしていて、今何歳で、どういう人生を送ってきたのか・・・。何もかもほとんど覚えていないんです。」
如月さんが伏し目がちに、私から目をそらすようにして、地面の方に目を落とした。
「実は・・・私もなんです。」
「あ・・・あなたも!?」
「ええ。天海さんと同じ。過去のことをほとんど何も覚えていない。もちろん、いきなりこんなところに閉じ込められて動揺しているせいもあると思うんですけど、記憶のほとんどが・・・もやがかかったように思い出せないんです。」
なんなんだ、これは・・・。一体どうなっているんだ。
私は不意に立ち上がり、部屋の側面にある扉の前に立った。上の方を見上げると、扉の上に、赤く光る点が見える。おそらく、監視カメラなのだろう。この角度からすれば、部屋の全体を収めることができるはずだ。さらにその隣にはスピーカーと思われる物体も取り付けられていた。
ドアノブをひねってみる。しかし、予想通り開かない。やはり、私たちは部屋に閉じ込められているのだ。
「ダメ。」
「いったい、どうなっているの?」
如月さんが不安そうに頭を抱えた。
部屋には、記憶をなくした女が二人。そして息が詰まるかのような薄暗く、気味が悪い部屋。私たちは、どうしてこんなところに閉じ込められているのだろうか。
「どうして私たちこんなところにいるんでしょうか。」
私は根本的な質問をぶつけてみた。いくら何でも、好き好んでこんなところに閉じ込められているはずがない。
如月さんが答える。
「何者かによって閉じ込められた・・・そうとしか、考えられないんじゃないでしょうか。まさか、自分から入るとは思えませんし。」
確かに、それしかありえない。
「誰に・・・閉じ込められたんでしょうか。」
如月さんが逆に訪ねてくる。
「覚えてませんか。拉致されたときのこと。」
拉致された瞬間・・・。私はそれを思い出そうと、目を瞑り、記憶に意識を集中させた。
思い浮かぶ風景。それは、私がぼろのアパートにいた時だ。私が部屋の中でぼーっとしていたその最中、突然部屋のインターホンが鳴ったのだ。そして私は無警戒に扉を開け・・・そこで薬品を嗅がされた。
「家にいた時に、宅配便の業者が来たんです。その人たちに私は、捕まったんだと思います。」
如月さんも同じように答える。
「私もそうです。記憶の中では、あなたが言ったように、宅配便の業者がうちを訪れた。そして扉を開けた瞬間、何かを嗅がされたような気がするんです。そして気づいたら、ここに。」
同じような状況だ。捕まった状況、そして記憶の有無・・・。私が尋ねた。
「それ以外に、何か覚えていることってありませんか?」
「覚えていることって?」
確かに、「何か」ではざっくばらんとしすぎている。例えば・・・
「如月さんは、大学生なんですか?」
自分の身分、私はそれについても忘れてしまっているのだ。彼女は首を振って否定した。
「ごめんなさい。それすら覚えていないの。どういうわけか、自分に関する記憶がほとんど消えている。」
私はゆっくりと如月さんの方へと歩き、彼女の目の前で腰を下ろした。
「実は私も、それすらもわからないんです。」
こんな偶然あるわけがない。私はしばらくの間押し黙っていたが、やがて私は一つの結論に達した。
「私たちを拉致した犯人によって、記憶が消された。そういうことじゃないでしょうか。」
如月さんは驚いたような表情を見せたが、すぐに元の表情に戻した。
「確かに・・・そうでなければこんな偶然あり得ません。」
犯人の意図が分からない。だが、ただの身代金誘拐でないことは明らかだ。
それに何なんだ、あのタイムカウンターは。私の視線の先には、怪しく黄色く輝く7桁の数字が並んでいた。「120:00:00」いったい何のカウントなのだろうか。監禁という一般的ではないにしろ、典型的ともいえる状況に対して、あまりに不釣り合いなこの代物は、私に言い表せぬ恐怖心を募らせた。
その時だ!
「こんにちは。天海春香、そして如月千早。」
私は声がした方に首を上げた。ドアの上の部分に取り付けられたスピーカーからの声であった。声は明らかに加工されていた。ボイスチェンジャーを使っているのだろう。ヘリウムガスを吸った後のような、気色悪い甲高い声が脳髄に響いてきた。
「ご機嫌いかがかな?」
いいわけがない。何だ、あいつは。私たちを挑発しようとしているのか。私も千早ちゃんも様子を伺ってか、相手の言葉には反応しなかった。
「まあ、どうでもいいや。早速本題に入ろうか。単刀直入に話をしよう。これから、あなたたちには殺し合いをしてもらいます。」
こ・・・殺し合い!?。いきなりの言葉に動揺を隠せない。
気づけば、タイムカウンターがゆっくりと時を刻み始めていた。
「今から5日間、つまり120時間の間に、あんたたちには殺し合いをしてもらう。120時間の間に、どちらかがどちらかを殺さなくちゃいけない。生き残った方をここから解放してやるよ。もし・・・制限時間内に殺すことができなかったら・・・その時は、二人ともまとめてあの世行きさ。ちなみに、武器は何もない。どうやって殺すのかは、己の体に聞いてみな。」
男は狂ったように哄笑した。
私はとっさに、スピーカーに向かって聞き返した。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。どうして私がこの人と殺し合いをしなくちゃいけないのよ!?」
「あん?どうしてか?そんなのは自分で考えな!まあ、記憶がなくなってちゃ考えられないかもしれないがな!わはははははは!」
男に小ばかにされながらも、私は必死に食らいついた。
「私と如月さんは、そもそもどういう関係なのよ!?」
しかし、男は私の言葉を無視して一方的に話し出す。
「いいか、あと120時間だ。その間に、どちらが殺されるのか決めるんだな。君たちにはできるだろ、なにせ、親友同士なんだからな。わははははは。」
そこで悪趣味な声は途切れたのであった。