第9節 信ずべき人 残り6時間
私はゆっくりと目を開いた。夢か現か分からない。だが、はっきりと言えることがある。この生々しいイメージは、間違いなく私の中に眠っていた「記憶」そのものなのだ。
「千早ちゃん。」
「何かしら。」
相変わらずタイムカウンターを見つめながら考え事にふけっている千早ちゃんに、私は声をかけた。
「私・・・とんでもないことを・・・思い出してしまったの。」
先輩の新たな許嫁、望月秀幸の反乱、如月千種の出現、伊織の献身・・・話さなければならないことはいくつもある。
「ど・・・どうし・・・たの?尋常じゃないわ・・・。」
動揺のあまり、体が震えてくる。体中が鋭敏になり、変な冷や汗が出てくるのだ。
「春香、ちょっと待って。トイレットペーパー持ってくる。」
千早ちゃんは小走りで、汚物入れのバケツ前においてあるトイレットペーパーを持ち出した。千早ちゃんがそれを適当な長さにちぎって、額の汗を拭き始めた。
「あ・・・ありがとう・・・。」
「聞くのも怖いんだけど・・・一体、何を思い出したの?」
私はゆっくりと千早ちゃんの方を向いた。
「こ・・・この事件の・・・真犯人だよ。」
千早ちゃんは目を見開いた。
「真犯人!?ですって・・・。」
「思い出した・・・。夏以降、何があったのか・・・。」
「春香、落ち着いて。目の焦点が合ってないわ。そうだ、水を飲んで少し落ち着きなさい。取ってくるから。」
千早ちゃんが立ちあがって、今度は汚物入れとは反対の場所においてある2リットルのペットボトルを持ってきた。
「ありが・・・とう・・・。」
私はごくごくと水を飲んだ。
「落ち着いた?」
「まだ落ち着かないけど、少しは・・・ましになったかな。」
「うん、じゃあ・・・そろそろ話せる・・・?」
私はペットボトルに蓋をして地面に置いた。
「う・・・うん。」
私は一度深く深呼吸をした。
「この事件の犯人は・・・多分、望月先輩のお兄様の・・・望月秀幸。」
「お兄様!?」
「望月先輩には、兄がいるのは知っているよね。」
「ええ・・・そうね。」
「そもそもお兄様である秀幸さんは、財閥の後継者からは外れていた。」
「そうね。望月先輩が雪村さんと結婚するなら、望月先輩が財閥の後継者になれる、そういう話だったわよね。」
「うん。だから秀幸さんは、先輩から財閥の後継者の地位を奪い取ろうと画策していたの。」
千早ちゃんは、目を丸くして、口をあんぐりさせている。
「でも・・・だからってこんな事件を起こすなんて・・・。望月先輩は実の弟でしょ!?弟に危害を加えるなんて・・・。にわかには信じられないわ・・・。」
「確かに、普通の感覚だったら考えにくいかもしれない。だけど、事は財閥の後継争い。世間の常識が通用しないということは往々にしてありうることだと思う。」
「水瀬さんは絡んでないの?この事件には。」
「そう。伊織は真犯人にはなり得ない。」
「どうしてよ。」
「先輩の新たな許嫁、それは伊織だったから。」
「水瀬さんが!?」
「そう。望月財閥と水瀬財閥の業務提携の話は知ってる?」
「・・・そういえば、ニュースでやっていたような気がする。・・・そうか。両財閥が手を組むんだったら、水瀬さんが望月財閥の不利になるようなことをするはずがない。」
「業務提携が始まる前に、伊織が雪村家に楓の事件についての真相を言ってしまったとしても、その事実を伊織が望月財閥に言えばそれで済む。あとは望月財閥が雪村家を脅したり、お金を払って口止めしてしまえば、トラブルは起きにくくなる。」
「敵は身内にいたってわけね。だけど・・・どうしていきなり望月財閥と水瀬財閥が業務提携したのかしら。確か・・・水瀬財閥は安本財閥と提携を解除したばかりだったはず。」
「伊織が・・・話してくれたのよ。望月財閥の狙いをね。望月財閥の狙いは・・・不老不死細胞を作ること。」
「ふ・・・不老不死・・・。そんなおとぎ話みたいなことができるっていう訳?」
「伊織の話では、世界で一番研究が進んでいるみたい。もともと、望月財閥が雪村家と提携を結んでいたのは、望月財閥がiPS細胞の技術を手に入れ、不老不死研究を行うための研究所を手に入れるためだった。iPS細胞技術を手に入れようとしていたのは、被験者の体から取り出した不老不死細胞を増殖させるのが目的だったみたい。」
「確かにiPSのくだりは水瀬さんから聞いた。もともと、望月財閥と雪村家の提携は、それ自体望月財閥には直接的な利益はない。雪村家が有している国立科学技術研究所へのコネが目的だって聞いたわ。」
私は頷いた。
「その通り。望月財閥の狙いは、研究技術そして研究所だった。だけどiPS細胞は、究極の目標の為の一手段に過ぎない。」
「・・・『不老不死細胞』だっけ。どういう原理なのかしら。」
「詳しいことはわからないけど、伊織の話だと、人の細胞には寿命が決まっているらしくて、その寿命を決めている酵素に働きかけられる遺伝子が多ければ多いほど細胞は長生きするらしい。その遺伝子が多い人は、病気とかで死なない限りは、長く生きる可能性がある。望月財閥は、そうした不老不死の遺伝子が多い被験者に、研究への協力を呼び掛けた。私の母親が・・・そうだった。」
千早ちゃんは、更に目を回した。
「春香の母親が・・・!」
「でも、私のお母さんは、被験者になることを拒否した。だから・・・拉致されたの。」
「拉致!?ちょっと待って。春香の母親はレイプ集団に拉致されたんじゃなかったの?」
「お母さんは、多分嘘をついていたんだと思う。大人たちの汚い争いに巻き込まれないよう、私に真相を隠していたんだと思う。お母さんは、そこで人体実験を受けた。私を孕んだのも・・・多分その実験の一貫。」
「実験のためにレイプするなんて・・・鬼畜生以外の何物でもないわね。相手は、『研究の為』とかいって、レイプを正当化するんでしょうよ。はっ!じゃあ、再び春香の母親が姿を消したのって。」
「恐らくだけど、望月財閥に連れていかれた。人体実験のために・・・。」
「なんて人たちなの!?」
千早ちゃんが、怒気のこもった唸り声をあげた。
震えが止まらない。私は・・・あのことを思い出してしまった。あのやせ細り、しわがれた老婆の桎梏、執念と怨念が具現化したような、悪夢の存在。
「春香、また汗が。」
千早ちゃんが、またトイレットペーパーをちぎって、丹念に汗を拭いてくれている。私はペットボトルに手を掛けた。ぐびぐびと水を飲んでいる。私はそれをまた地面に置いた。
「・・・11月頃になって、あの女が現れたの・・・。」
「あの女・・・?」
千早ちゃんは息を飲んだ。
「如月千種。千早ちゃんの、生みの親。」
千早ちゃんの表情が変わった。色を失うかのように動揺しているのが分かる。
「あの女が、接触を図ってきたっていう訳?目的は?」
「目的は・・・。」
言いたくない。言えないよそんな・・・。だって・・・千早ちゃんをAVに出演させて、千早ちゃんの尊厳を汚すことが目的だなんて・・・。それに彼女の裸は、ネットを通じて数十万人の人に見られている。
私は唇をかんだ。強い怒りと憤りを感じる。あの女は・・・千早ちゃんに死にたくなるような恥をかかせただけでは飽き足らず・・・こんな酷い目に合わせて、命すら奪おうとしているなんて・・・。
「春香・・・怖いよ。」
気づけば私は、両手でこぶしを作って震えていた。怒りで我を忘れそうになる。こんな思いをさせた犯人に対する、強い憎しみと怒りを感じる。
「私の母親が・・・私たちを苦しめるために接触してきたってことは・・・分かったわ。それで?」
私は身もだえしつつも、話をつづけた。
「・・・秀幸さんと千早ちゃんの母親はグルになってる。秀幸さんは、千早ちゃんの母親を利用しながら、私たちと望月先輩を苦しめようとしている。いや、厳密に言えば、望月先輩を後継者の地位から引きずり降ろそうとしている。その為に、楓の事件が使われた。」
「使われた・・・。」
「私たちは、あの女に脅されたの。先輩が千早ちゃんと楓の二人に二股をかけていて、それが元で、千早ちゃんが楓を殺したっていうスキャンダルをマスコミに流すってね。」
「脅すって、相手の要求は何だったの?」
私は何も言えない。
「脅すからには、実現したい内容があるはず。あいつは、どんな要求をしてきたっていうの?」
「・・・・・。」
「春香・・・私を気遣ってくれているのね。だけど、そんな気遣いはいらないわ。私はあと5時間45分以内に死ぬ人間。どんな真実を知ろうと、苦しむのは一瞬だけなんだから。それよりも私は、真実が知りたい。前にも言ったでしょ、せめて記憶だけは取り戻したいの。」
そんなせがむような眼で頼まれたら・・・断れない。
「あいつは・・・あの女は!・・・千早ちゃんを・・・アダルトビデオに・・・。」
「アダルトビデオ・・・。」
「あの女は、千早ちゃんをアダルトビデオに出演させたの。そしてそのポスターを作ってきた。それを私に・・・大学の掲示板に張り出すように・・・それに従わない場合は、楓の事件を公にするって・・・。」
「私が・・・私の・・・裸を・・・。」
悔しくて、涙が止まらない。私は千早ちゃんから顔を背けた。
「私は、先輩と伊織に助けを求めた。先輩は最大限手を打ってくれたよ。だけど・・・どれもうまくいかなかった。脅迫の内容はあの女に利益があること、強迫の結果は、秀幸さんに利があること。二人の利益を同時に叶えようとするなら、脅迫に従おうと無視しようと、関係なんてない。あいつらは、私たちがどうこうしようと、千早ちゃんの事件を公にするつもりだった。そして、私が要求を無視したことが分かると・・・今度は奴らが大学の掲示板に・・・・。」
「そう・・・。私の裸・・・見られているのね。」
私は歯を食いしばった。
「千早ちゃん・・・きれいだからね・・・千早ちゃんの作品は・・・動画になって、インターネット上に流れた。再生回数は・・・数十万回にもなった・・・。」
「事件のことも、公に?」
私は首を縦に振らざるを得なかった。
「そっか・・・私の体・・・永遠に残るんだ。」
くそっ!千早ちゃんの名誉と尊厳は、結局守られないのか!
「ありがとう、春香。辛いことを話してくれて・・・。」
「ううん、辛いのは・・・千早ちゃんだよ。」
重い空気が漂っている。どんよりとした、息苦しさだ。千早ちゃんが不意に口を開く。
「秀幸の目的は、望月先輩を後継者の地位から引きずり下ろすことなのよね?雪村さんの事件が公になって、それで彼の目的は達成されたの?」
「実現はされなかった。確かにこの一件で望月先輩は大きなダメージを受けたと思う。だけど、それだけで後継者の立場が崩れた訳じゃなかった。というより、剛三郎さんが彼を手放さないの。」
千早ちゃんもそのことについては納得したようだ。
「確かにそうね・・・。剛三郎氏から見れば、先輩は・・・都合のいいコマなのかもしれない。私たちの命っていう強迫材料ができて、せっかく動かしやすくなったコマをそう簡単に手放すとは考えられない。」
「コマね・・・。」
ある意味そうなのかもしれない。私たちのせいで、父親から逃れられなくなってしまった哀れな人・・・。
「言い過ぎたかしら?」
「・・・言い得て妙かもしれない。でも幸かどうか分からないけど、秀幸さんのたくらみは失敗しつつあるみたいだった。」
千早ちゃんが少し明るく答える。
「そう。それは良かった。」
でも、事はそう単純ではない。秀幸さんのたくらみが失敗しているからこそ、今回の事件が起きているのではないか。
「千早ちゃん、もし秀幸さんが財閥を乗っ取ることに成功していたら、この事件は起こっていないんじゃないかな?」
「どういうことかしら。」
「もしこの事件の犯人が、秀幸さんだとして、合法的に財閥の乗っ取りが出来たら、私たち3人を捕まえる意味なんてないんじゃないかな。秀幸さんとしたら、こんな事件を起こす方がむしろリスクは高いと思う。」
「・・・確かに、言うとおりね。」
「もし秀幸さんが犯人だとしたら・・・狙いはやはり望月先輩。千早ちゃんのお母さんは、事件を起こしたのが秀幸さんだと思われないようにするためのスケープゴート。」
千早ちゃんが不安な顔を浮かべる。
「望月先輩・・・本当に助かるのかしら?先輩を後継者の地位から引きずり下ろすもっとも簡単な方法は・・・ここで殺すこと。逆に言えば、生かしてここから返す理由なんてないんじゃないかしら。」
私は千早ちゃんに尋ねる。
「犯人が『約束を守る』っていうのは、嘘ってこと?」
「そう考える以外に、どう解釈すればいいのかしら。何かあるの?他に狙いが。彼を生かしておけば、後継者の地位がどうなるかは分からないはず・・・このままいけば、先輩が守り抜くんでしょ。後継者の地位。」
「それとも、彼を生かしながら後継者の地位を剥奪する方法があるのかもしれない・・・。」
「どちらにしろ非効率ね。ここでスパッと殺してしまった方が、簡単よ。それに、彼を殺すだけなら、もっと他の簡単な方法だってあったはず。どうしてわざわざ、私の母親まで巻き込んで、こんな方法を取ったのか。」
確かに千早ちゃんの言う通りなのだ。望月先輩を後継者から引きずり下ろすなら、彼を殺してしまえばいい。もっと簡単な方法だってあったはずなのに、わざわざこんな方法まで取った。その理由は何なのだろうか。理由がどうあれ、今は犯人たちの言葉を信じる以外に術はない。
少し時間が経って、私は臀部に入れられた発信機のことを思い出した。
「そうだ。私・・・」
こんなことを大声で話すわけにはいかない。
「千早ちゃん、耳を貸して。」
私の言葉に反応して、彼女が体を寄せてくる。私は彼女の左耳に両手を当てた。
「実は私・・・おしりに発信機がついているの。」
「えっ!」
千早ちゃんは大層驚いている様子だった。興奮して千早ちゃんも耳打ちする姿勢を取った。
「それは誰が入れたの?」
自然と耳打ちでの会話が始まった。
「望月先輩だよ。1月になって、またあの女が現れたの、今度は私にAVに出るよう脅迫してきた。あの女は連絡先を私に教えてきた。私はその連絡先を先輩に教えた。その時に先輩が、私が拉致されることを警戒して、お尻の部分に発信機を取り付けてくれたの。いざという時に助けてくれるようにね。」
「だとしたら、どうして助けが・・・。」
千早ちゃんも気づいたみたいだ。先輩は・・・助けに来て捕まったのだ。そしてどういう訳か、追加の支援が来なかった。
千早ちゃんが耳打ちする。
「だから先輩も捕まった?」
私は頷いた。千早ちゃんは首をかしげる。
「・・・先輩は、警察に通報しなかったのかしら?」
「・・・していたら、こうはならないと思う。」
でも、そうだとすると益々奇妙だ。先輩は私たちを助けに来たところを捕えられたのだとすれば、犯人の計画は、最初から私たち二人を捕まえることだけが目的だったということになる。もし秀幸さんが真犯人で、望月先輩を後継者の地位から引きずり下ろすのが目的なら、どうしてこの事件のどさくさに紛れて捕まえようとしなかったのか。
私たちは耳打ちを止めた。残念ながら、お尻についた発信機は、飾り以外の意味を持ちそうになかった。
私は千早ちゃんに声をかける。
「もう一つ大事なことを私は思い出しているの。実は、伊織が・・・不老不死細胞に関する情報を、秀幸さん側に引き渡していたの。」
「えっ、何それ・・・ちょっと待って。それって望月財閥と業務提携する前の話?」
千早ちゃんも混乱しているようだ。
「もちろん、業務提携後の話だよ。そうでないと、機密情報である不老不死細胞の研究情報をそもそも手に入れることができないからね。伊織は、望月先輩と許嫁になった後に、機密情報を秀幸さんに渡した。」
「どうしてそんなことを・・・。」
「秀幸さんが財閥を乗っ取って、父親と先輩が財閥から追放されれば、先輩はもう父親に拘束されることもなくなる。そうすれば・・・私たちと先輩の3人が幸せに暮らすことも・・・可能になる。」
「・・・信じられない。財閥第一を地で行っているような伊織がそんなことをするなんて・・・。そんなことしたら、望月財閥との提携だって無に帰する恐れだってあるでしょ。」
「秀幸さんが財閥を乗っ取った後、水瀬財閥を見捨てれば、そうなるね。」
「動機は?本当に、私たちを幸せにしたい・・・それだけだったの?」
千早ちゃんはまだ疑っているようだ。確かに、あまりにも豹変し過ぎている。その間に、何があったのか、何か別の意図があるのか、疑うのも無理はないと思う。
「多分本当にそうだったんだと思う。だって・・・ほかに考えられる?伊織っていう、財閥の娘であることに強いプライドを持っていて、財閥の為だったらなんだってできるっていう気概のある彼女が・・・自分の財閥をこんな形で裏切る理由なんて・・・あると思う?」
「・・・多分ないと思う。」
だから私は思うのだ。伊織は信用していい。財閥を捨てた伊織は、ただの可憐な女の子。
「伊織のこと、信用していいよね、千早ちゃん?」
私は彼女の顔を覗き込んだ。
千早ちゃんもにこっと笑った。
「大切にしてあげなさい。彼女は、グループ15万人の幸せよりも、春香の幸せを優先したのよ。そんな友達、一生かかっても他にはできないと思うから。」
「うん。そうする。」
「まずは、生きてここを出なくちゃね。」
「・・・うん。」
千早ちゃんが目を細めている。その目は、優しかった。残りは、5時間18分40秒であった。