第4節 星の王子さま
こうして私とトクナガ先生の奇妙な友達関係が始まった。
なぜトクナガ先生が私に声をかけ来たのか、そしてなぜ私を「友達」にしたのか。今になって思えば、その理由は至極明快だった。私のことを案じていたからだ。
私はトクナガ先生に「友達はいない」と言った。だから私はトクナガ先生に「心配」されたのである。友達も作らず、本ばかり読んでいる私のことを、トクナガ先生は案じていた。
何故トクナガ先生がそんな心配をしていたのか。それは、ほかならぬトクナガ先生も、私と同じように、友達ができずに本ばかり読んでいたからだ。トクナガ先生は、そのせいで学生生活に苦労した。私にはそんな思いをしてほしくない。だから、トクナガ先生は私と「友達」になったのである。私と「友達」になることで、人と接することに慣れてもらい、学校でも友達ができるようにしてほしいという思いからだった。
子供だった私には、そんなトクナガ先生の配慮なんて考えたこともなかったし、そんなこと知る由もなかった。
トクナガ先生とはいろんな話をした。私の小学校での生活の話、トクナガ先生のこれまでの人生の話、テレビの話、好きな本や面白かった本の話等、いろいろだった。
特に私は「本の話題」と「トクナガ先生」の話が好きだった。トクナガ先生は、本の紹介がうまかった。思わず読みたくなるような紹介の仕方だった。それから、トクナガ先生のお話し。
私の身近に年長者はいない。お母さんはいるけれど、お母さんから昔話を聞くことなんてほとんどなかった。そんな私にとって、身近な大人である「トクナガ先生」のエピソードを聞くことはとても新鮮だった。
だがある時、私はあることに気が付いた。「トクナガ先生」が話してくれることには、不思議と家族の話題が出てこないのである。話題と言えばいつも、「こんな面白いテレビを見た」「「この本が面白い」「昔友達とこんなバカをやった」とかそんな話題ばかりであり、家族で何かをしたという話はついぞ聞かなかった。
私はリアルな「家族」というものを聞いてみたかった。物語に出てくる仮想の「家族」ではなく、リアルな「家族」像を。馬鹿にされるのが怖くて、同学年のクラスメイトには聞けない家族像を。
私は「トクナガ先生」に自分の家族について尋ねてみることにした。
小学2年生になったある日、いつもの通り、私は家で読むために借りる本を携えて貸出カウンターへと向かった。「トクナガ先生」はいつもそこにいるのだ。
静かな図書館で足音を立てる私の存在に、「トクナガ先生」は気づいた。。
「いらっしゃい。今日も借りてくのね。」
「はい、これをお願いします。」
私は『星の王子さま』をカウンターへと差し出した。
「あら、また良い本に目を付けるのね。」
「面白いんですか、この本は?」
「ええ。とっても素晴らしい本よ。絶対後悔しないと思うわ。じゃあ、早速準備してくるわね。」
そういうと足早に貸し出しカウンターから離れてしまい、せっかく話をしようと思ったのにそれはうまくいかなかった。
私は仕方なく貸出カウンターにある椅子に腰を掛けた。やがて、数分もしないうちに貸し出し処理を終えた「トクナガ先生」がやってきた。
「はい、準備できたわ。」
「トクナガ先生」は本を手渡し、にっこりと笑った。尋ねようと思った。先生の家族の話。だが、いざ「トクナガ先生」を前にすると、少し気おくれして話しかけられなかった。
私が椅子から降りずにモジモジしていると、「トクナガ先生」は何かを察したようで、彼女の方から話しかけてきた。
「今日もお話をしていく?今は私もヒマだから、お話に付き合えるけど。」
「あ・・・はい。お願いします。」
「トクナガ先生」はまたしてもにっこりと笑った。そして受付カウンターに腰を下ろして、対面した。
「さ、今日はどんなお話をする?昨日のテレビの話、それともこの間借りてくれた本の話?それとも、私の武勇伝かしら?」
ウキウキ気分で尋ねてくる先生を前にして、なかなか切り出せない。とはいえ、こうしてモジモジしている訳にもいかない。私は意を決して、「トクナガ先生」に尋ねることにした。
「せ・・・センセイ。」
「ん?」
「先生の・・・家族・・・について教えてほしいんです。」
先生は一瞬戸惑ったような表情を見せた。
「・・家族ね。ええ、いいわ。どんな話?」
けれど、先生は快諾してくれた。
「先生は、家族とは仲がいいんですか?」
一呼吸おいて、先生が答える。
「仲ね・・・でももう私一人暮らししちゃってるから、実家と連絡を取ることなんてほとんどないかな。」
確かに先生は今親元を離れて一人暮らしをしていた。それは以前聞いたことがあった。大人になると親元を離れるのが常識だと「トクナガ先生」から言われたから、その時はどうとも思わなかったものだ。
「昔は、仲よかったんですか。」
先生はどう答えようかと逡巡しているようだった。この問がただの世間話ではないことを「トクナガ先生」は悟っていたのだろう。
「正直なことを言うね。私、両親のことはあんまり好きじゃないの。」
私はその言葉にとても驚いた。
「どうしてなんですか?」
「私の両親はね、いつも喧嘩してばかりだった。子供だった私には両親がなんで仲良くできないのか、どうして喧嘩ばっかりなのか、てんで訳がわからなかった。」
「今もその理由はわからないんですか?」
「うん。別に聞きたいとも思わないし、お母さんも話してくれないから。」
「あれ、お父さんは?」
「・・・リコンしちゃった。」
離婚。その時の私には、意味が分からなかった。
「リコンって?」
「お父さんとお母さんが別れちゃったってこと。結婚の反対の意味。」
「そうなんですか・・・。」
なんだか悪いことを聞いてしまったなと感じた。こんな切ない顔をした「トクナガ先生」を見るのは初めてだった。でもその反面、不思議と安心したような気持ちを覚えていた。「トクナガ先生」には申し訳ないけど、なんだか仲間を見つけたような気がしたのだ。同級生たちが話す「幸せな家族」から外れた、不幸な「仲間」を見出したような気がした。
「でもね、私、それはそれでよかったと思っているの。」
「どうしてですか?」
先生はほのかな笑顔を見せる。
「本に出合えたから。」
「本ですか。」
「そうよ。休みの日でも両親が喧嘩をしてうるさかったから、私はいつも図書館に逃げ込んでたの。そこで本に出合えた。」
「そうなんですか・・・。」
その時の私は、子供心に、なんだかなー、と感じていた。両親が喧嘩していたおかげで、今の「トクナガ先生」の人生をかたどっているものに出会えたというのは、皮肉だなと感じていたのである。
「本の世界は面白かったわ。私が見ている景色がいかに狭いものかというのを教えてくれた。小説、歴史、科学、絵本、ありとあらゆる分野の本があって、それは私にとってすごく新鮮だった。いろいろな本を読んだけど、やっぱり小説が一番好きだったかな。物語に入り込めて、没頭できるからね。私にとってはいい思い出よ。その代わり、友達はあんまりできなかったけどね。」
「「トクナガ先生」、友達は少なかったんですか?」
「ええ。小学生の頃はほとんどいなかった。学校では、本が友達みたいな感じだったからね。最初はそれでもいいって思ってたの。本の世界の人間関係に入り込めるだけで、すごく楽しかったから。でも・・・。」
「でも?」
「ある日、なんだか心がさみしくなるのを感じたの。だんだん本の世界にシットしてきちゃったのね。」
私にとっては初めて聞く言葉だった。
「シット?」
「いいなーって思って、それが過ぎて逆に恨んでしまうような感情のことよ。私は本の世界で展開される人間関係をうらやましく思ってしまったの。本の中では、主人公が親しげに友達に声をかけて、バカみたいな会話をしている。でも私には、そんなことをできる相手がいない。はじめは、小説の中の登場人物の会話を外から眺めているだけで良かったけど、だんだん自分がそこに入りたくなってきちゃったってわけ。」
「それで、先生はどうしたんですか?」
「中学生になったのを機にして、勇気を出して隣の女の子に話しかけてみたの。そうしたら、その子も本が大好きでね、すぐに仲良くなれたわ。」
「へえー、よかったじゃないですか。」
「うん。良かった。これも、何もかも本のおかげね。本が私に、『本当に必要なこと』を教えてくれたのよ。」
「トクナガ先生」は少し目を潤ませていた。きっと先生にとっては、涙がにじんでしまうほど素敵な思い出だったのだろう。
でも気づけば、話が明後日の方に行っていた。家族との関係はどうだったのか、私が聞きたかったのはそのことだ。
「先生は、家族旅行をしたことってあります?」
「そうね・・・確か1度だけあったはずだわ。お母さん、お父さんと私の3人で越後湯沢でスキーをしに行ったわ。あと温泉にも浸かったかしら。あんまり覚えてないわ。それだけ。あとは家族で旅行に行ったことはないわね。」
「そうですか・・・。」
間髪入れずに先生の方が逆に尋ねてきた。
「春香ちゃんは、どうなの?両親とは?」
「私は・・・私には・・・。」
言い辛かった。言いたくなかった。一番恐れていたのはそのことだった。私には父親がいない。そしてお母さんは、私のことを嫌っている。そんなこと、口に出せば、私はバカにされる・・・。そのことを聞かれたくないから。だから私は、ずっと同級生から離れてきたのだ。友達になってしまえば、いつか聞かれるに決まっているからだ。
無意識的にうつむいていた。そして胸に迫るものを感じていた。
「ありがとう、春香ちゃん。もう分かったわ。」
「トクナガ先生」は、無言でうつむき涙を貯める私の姿を見て、全てを悟ってくれたようだった。
「ねえ、春香ちゃん。もしかして春香ちゃんは、そのことを恐れているんじゃない?」
ドキッとした。図星をつかれていた。
「春香ちゃん、2年生になったけど、友達はできた?」
うつむいたまま私は首を横に振る。
「やっぱりね。」
先生にはなぜ私に友達がいないのか、いいえ、友達を作りたがらないのか、その理由がわかっていたのだ。
「家族のことを聞かれるのが怖いんでしょ。」
私は一切微動だにしない。しかし、それこそがまさにそのことを認めた証拠だった。
「春香ちゃん、どうして今私が、春香ちゃんの気持ちを当てられたのだと思う?」
私はうつむいたまま考えた。しかし、答えとなるようなものは見つからず、私は無言のままでいた。
「春香ちゃん、私の方を見てくれる?」
私は促されてゆっくり面を上げた。
私は驚いた。「トクナガ先生」が泣いているのだ。
「「トクナガ先生」・・・。」
「私もそうだったのよ。怖かった・・・。友達に家族のことでバカにされるのが。私の両親は小学3年生の頃に離婚した。そしてそのせいで、私の苗字は変わったの。トクナガは、離婚後に変わった苗字なのよ。」
「そんな・・・。」
「名前が変わったという事実は、当然クラスで注目を集める原因になった。『何故名前が変わったのか。』小学校3年生の頭じゃ察することもできない。だから私はいろいろ聞かれた訳。それがとてつもなく嫌だった。そうして私は、友達を捨てていったのよ。もう放っておいてほしかった・・・。でもね・・・」
先生は続けざまに言った。
「確かに私はお母さんもお父さんもあんまり好きじゃない。お母さんたちのせいで、辛い小学校時代を過ごしたと思っているから。でも・・・私は両親に感謝しているわ。」
「どうしてですか・・・?」
「私を育て上げてくれたからよ。お母さんは私を育てるために必死に働いてお金を稼いでくれた。お父さんもヨウイクヒという形で私たちの生活を助けてくれた。両親は離婚をしても、私のことを愛してくれていたのよ。だから、私は両親に感謝しているし、両親のことを嫌いにはなれないの。分かるかしら。」
お母さんが必死に働いている・・・。その光景はまさにうちと同じだった。お父さんは・・・いるのかどうかわからないけど。もしかしたら、密かに「ヨウイクヒ」なるものをうちに送ってくれているのかもしれない。そんなことを考えていた。
私は先生にどうしても聞いてみたいことがあった。
「ねえ先生。」
「何?」
「もしも先生が・・・一生懸命働いて養ってくれるお母さんが・・・先生のことを叩いて来たら・・・それでも先生はお母さんのことを嫌いにならないですか?」
その言葉に、先生は戸惑っている様子だった。私が言わんとしていることに気付いたのかもしれなかった。
「春香ちゃん・・・あなたもしかして・・・。」
「どうなんですか?」
「・・・たとえ、ぶたれたとしても・・・愛してくれていると思うの。養ってくれている限り。だって、考えてみてよ。どうしてお母さんが、辛い思いして一生懸命働いてくれているのだと思う?もし本当に、あなたのことを愛していないんだったら、春香ちゃんのことを置いて逃げているはずでしょ。でも・・・春香ちゃんのお母さんは、そうしていないでしょ?」
「先生・・・別に私のお母さんがそうだったらなんて言ってないですよ。」
先生は「あっ」という表情をした。
「そうね、ごめんね・・・。でも私、もしも自分の母親にギャクタイされていたとしても、お母さんのことは嫌いになれないと思う。一生懸命働いて、私のことを食べさせてくれたことには変わりないんだから。でも・・・。」
その後にこう続けた。
「もしそうだったとして、その現状を許すか許さないかは、その子が決めればいいと思うの。お母さんを好きになるか嫌いになるか、、お母さんを許すか許さないか、それはその子に決める権利があるはず。ね?そう思わない?」
やけに断定的に尋ねてくる。私は、うんともいいえとも言えなかった。
「まぁいいわ。こんな話をしていててもつまらないし。最後に、もう一つだけお話しして、このお話は終わりにしましょう。」
そう切り出して、先生は自分の中学生時代の話をし始めた。
「私は中学生になったのを機に、友達を作るようになったといったわよね。」
「うん。」
「それはね、本から勇気をもらったからなの。」
「ふーん。」
「『未来を変えたいと思うのなら、過去ではなく、今を見据えよ』そんなことが書いてあったなー。何をするにも物事には危険がある。だけど、未来を変えようと思うなら、今行動するしかないのよ。それにね、確かに私が通った中学校には、私がいた同じ小学校の子供たちもいたけど、大きな中学校だったから、私のことをしらない他校の子もたくさんいたのよ。だから、私がの苗字が途中で「トクナガ」に変わったって事実を知っている人はそんなに多くない訳。」
「そうだったんですね。」
なるほど確かに、自分のことを知らない人が多ければ、友達を作るのには良いチャンスだったというのはよく理解できた。
「それでね、最後には中学校でできた友達に言っちゃったのよ。自分の両親は離婚しているから、お父さんはいないって。ずっとそのことを気にしてたってこともね。」
「ええっ、しゃべっちゃったんですか!?あんなに隠していたのに。」
先生はくすくす笑っていた。
「うん。ついノリでね。そうしたら、友達も笑ってたよ。」
「やっぱり、バカにされたんですか?」
「いや。逆だね。『なんだそんなこと気にしてたのかよ』ってね。『私たちの友情ってそんなことで壊れると思ってたの?』って、逆に怒られちゃったよ。」
先生の笑顔に、私も自然と笑みがこぼれてくる。
「いい友達だったんですね。」
「かもね。その子とは今でもたまに一緒に会って遊んだりしているし。でもね、よくよく考えたら、そんなに気にすることじゃないかなって気がしてきたんだ。」
「どういうことですか。」
「簡単な話よ。仮に両親が離婚していたからって、それって私が何か悪いことでもしたかって話。別にそうじゃないでしょ。」
「確かに。」
「だったら、私がビクビクする必要なんてないし、そんなことで私をバカにするような人とは最初から友達にならなきゃいいのよ。」
「うんうん。」
「仮に私が両親からギャクタイを受けていたとしても、例え両親から愛されていなかったとしても、それは同じだと思うなー。」
「えっ?」
私はドキッとした。
「両親にどんなことをされていようと、その子はその子。友達だって、その子を見ているのであって、その子の親を見ている訳じゃない。そんなことを気にするとは思えないわ。それに、もしそんなことで態度を変えるような子だったら、こっちから友達やめちゃえばいいのよ。友達になれるような子は、ほかにたくさんいるはずでしょ。」
確かに、先生の言うことは間違っていないと思う。
「だから、どこかの誰かさんも、そんなつまらないことを気にしてないで、勇気を持って第一歩を踏み出せばいいと思うのよねー。」
「私は・・・私は・・・。」
その「どこかの誰かさん」なのだ。
「どうしたの春香ちゃん?」
私は、なんだかホッとしていた。肩の荷が下りたというのだろうか、気が抜けたかのようだった。「トクナガ先生」は優しく笑っている。
「『星の王子さま』は、大切な友達についてのお話よ。今の春香ちゃんには、ピッタリかもね。」
同じ司書の誰かが「トクナガ先生」に声をかけた。
「トクナガさん、こっちの荷物はこぶの手伝って。」
「はーい、今行きます。じゃあごめんね春香ちゃん、今日はこの辺で。あっ、本の貸出期間は1週間だからね。じゃあね、またね春香ちゃん。」
そういうと、「トクナガ先生」は足早にカウンターを立ち去った。
私は今借りてきたばかりの『星の王子さま』を見つめていた。
「トクナガ先生」は、私に「勇気を出せ」と言っていたのだ。いくら子供でバカだった私にもそれくらいのことは理解できた。そして、その勇気は「トクナガ先生」がくれた。私と同じような境遇にあった「トクナガ先生」も、勇気を出して、「友達」を作ることができた。だったら、私だって・・・。
私は、「トクナガ先生」から教えてもらったのだ。友達を作る大切さ、そして友達のすばらしさを・・・。
友達ができるのはあっという間だった。偶然隣に座っていた女の子と仲良くなったのだ。その子も私と同じくおとなしい子で、テレビを見るのが好きな女の子だった。それだけでなく、ほかに2人友達ができた。やがて、4人はグループを作って一緒に遊ぶようになった。懐かしくて楽しい、幼い日の思い出であった。