第2節 鬼畜の復讐
私は軽井沢の別荘に匿われた。匿われたというのは、いささか誇張した良い表現であり、実際には軽井沢に軟禁されていたのだ。
生活の自由はほぼすべて奪われていた。携帯電話は取り上げられ、外界と連絡を取る手段は一切失われた。別荘に電話はない。退屈しのぎの為に置いてくれたのか、あるいはこの家の主がゆっくりと読書をするためにしつらえたのか、書斎の様な所には、ぎっしりと本が並んでいる。小説から評論、研究書までさまざまあった。
一応テレビもあった。外のことはこれで何となくは分かる。浦島太郎状態にはならなくて済むだろう。
別荘には、見張りの者が2名ついていた。黒いスーツに身を包んだ屈強な男2人だ。身の回りの世話で困ったことがあれば、この2人にお願いすればいいということだった。だけど、掃除や洗濯、料理など身の回りのものはほとんど自分でこなしてしまう。買い物くらいだろう。私は外に出てはいけなかったから、日々の食材や日用品等、必要になったものは、この見張りの人間に買ってきてもらうしかない。幸い、お金については望月財閥から出ているようで、こちらの財布は痛まなかった。
終わりの見えない生活が始まった。
先輩の父である望月剛三郎の目的は、私が雪村さんを刺殺してしまった事件が風化するのを待つことであるはずだ。その事件が風化しないまま大学に復学すれば、私は大学にいるだけで先輩の名誉を傷つけてしまうことになりかねない。
だから、事件のほとぼりが冷めるまで、私は狭い別荘の中で、大人しくしているということだった。
だけど、そんな日はいつ訪れるのだろうか。人のうわさは75日というが、とてもじゃないが2か月ちょっとで消えてなくなるような話ではない。
私は読書にふけることにした。潰すべき時間は、腐るほどあるのだ。物語の世界に身を沈め、幾星霜を経るしかないのだ。
10月下旬のことだ。ある日の夜中だったと思うが、私が寝ていると、突然外が騒々しくなった。ドタンドタンと何か争うような音が聞こえ、「何するんじゃ、ボケ!」「ふざけんなこの野郎!」などの怒声が聞こえたのだ。
私はあまりのことに目を覚まし、怖くなって布団をかぶって震えていた。そんないがみ争いが数分続いたかと思うと、突然その音がやんだのだ。そして、2つくらいの足音がこちらに向かっているのに気づいた。
そしてこの部屋を探り当てると、ノックもせずに部屋に入り、電気のスイッチをつけた。私は恐る恐る布団から顔をゆっくりと出した。
この部屋に入ってきたのは2人の男性だ。いずれも黒のスーツに黒のネクタイ、黒の皮手袋をはめて、サングラスをかけたいかにも怪しい男二人だ。今まで私の世話をしていたどの男とも違うように見えた。
「如月千早さんですね。」
男の一人がそう尋ねた。
「はい・・・。」
「お手数ですが、私たちと一緒に来てください。場所を移します。良いですね。」
いいですね?と言われ、拒否できるわけもない。
私はゆっくりと立ち上がると、男が私の腕をつかんだ。寝巻のまま、靴下もはかせてもらえないまま、私は男に体を引っ張られて、玄関までやってきた。途中、何か所かに血痕のようなものが見えていた。外に出る必要もなかった私には、靴がなかった。私は裸足のまま、外へと連れ出された。
暗くてわからなかったが、多分黒塗りの車に押し込まれて、そのまま連れ出された。
それから何時間かして、朝になった。私は恐怖に苛まれながら眠りについていたが、深い山の中にある小さな小屋のような建物に到着して、私は起こされた。
「ここがあなたのこれからの新居になります。生活については、これまでと同じです。」
私は車から降ろされ、小屋の中に入った。
小屋の中はワンルームマンションと同じくらいの狭さだった。玄関があり、中には調理台・ベッド・テーブル等が置いてある。冷蔵庫があって、扉1枚隔てたところに、一体型のユニットバスがある。部屋には空調が備え付けられている。とりあえず生活するには困らなそうだった。
テレビがない代わりに、窓のところに背の低い本棚があり、そこに数十冊くらいの本が並べられていた。つまらない評論に偏っている点がいただけない。テレビを見るという一つの暇つぶしが消えてしまったが、本が読める以上、とりあえず完全に孤独にはならないで済みそうだった。
相変わらず、見張りが2人ついているようだ。小屋の外にいるから、普段は気にしなくてよさそうだが、その代り、小屋の中はすべて監視されているようだった。全体が見える位置に監視カメラがある。前の別荘にはなかったものだ。さすがにユニットバスのところにカメラはないだろうと思ったのだが、ぎょっとしたことに、実はあった。実際に湯船につかれば、湯気である程度無力化できるだろうが、それでも私の裸を見られないようにするのはできそうにない。小屋の監視は徹底されていた。
私はとりあえず、ユニットバスのお風呂に漬かることにした。やることがない監禁生活の中では、お風呂は数少ない楽しみの一つだった。
私はお風呂に漬かりながら、今回の突然の場所移動を考えてみた。明らかに、予定調和の移動だったとは考えられない。いつも私を監視しながらもお世話してくれた男たちが倒されたのだ。そして見知らぬ男たちによって、場所を移された。
これは「拉致」なのではないか。そう直感した。そう考えると別の問題が頭に浮かんでくる。誰が、何のために、拉致をしたのかということだ。
そもそも私は、望月剛三郎の支配下にあった。私を拉致したのは、その状況から脱させたいと思っている人物・・・もしかしたら、それは望月先輩なのではないだろうっか。望月先輩が父親と戦って、ついに勝利をおさめたのだ。だから、私を奪還することができた。そうは考えられないだろうか。
でもそれは違う気がする。もし先輩が私を助けてくれたのだとすれば、あの黒づくめの男が「ここが新居だ」とは言わないのではないか。いや、分からない。先輩は、父親から私を隠すために、敢えてここに身を隠させるつもりなのかもしれない。
だとしたら、もう少し私を丁寧に扱ってくれるような気もする。どちらにしろ、もし本当に先輩が私を助けてくれたのだとすれば、近いうちに何らかの連絡があるはずだ。まずはそれを待つことにしよう。
そんなことを考えながら、私はお風呂からあがっていた。
それから何日か、私は期待しながら先輩が現れるのを待っていた。もし本当に先輩が助けてくれたのならば、先輩は私の前に姿を現すはずだ。
だが、「拉致」されてから一週間が経過しても、先輩は現れなかった。私はいよいよ考えを改めなければならなくなった。
しかし、先輩が拉致したのではないとすれば、誰が私を拉致したのか。これは全く想像がつかなかった。考えるための材料があまりにもなさ過ぎた。剛三郎以外の誰かが私を拉致したとして、そもそも、私をこの場所に囲っておくメリットがそもそもわからないのだ。
それから更に1~2週間くらいが経過したある日のことだった。特にやることもないので、私は読書にいそしんでいた。なんでもない、いつも通りの一日だ。
かすかに人が近づいてくる気配がしていた。
また見張りの人間だろうと思っていた。ところが、不思議とその足音は小屋の前で止まると、トントンと扉を鳴らしてきたのである。
意外なことに驚いた。食料や日用品を頼んだわけでもない。にもかかわらず、監視の側から声をかけてきたのだ。私は立ち上がり、小屋の扉を開けた。
扉を開けて現れたのは・・・。
「久しぶりね、千早。」
「お・・・お母さん・・・。」
私の産みの親、如月千種その人であった。予想外のことに、体が固まる。どうして、この人がこんなところにいるの?そもそも・・・あなたは行方不明になっていたはず。
「上がるわよ。」
そういうと、私の脇をスルリと通り、玄関でブーツを脱ぎ、そのまま狭い小屋の中に入り込んだ。私はあっけにとられていたが、扉を開け放しにしておくわけにはいかないので、とりあえずこの現実を受け入れることにした。扉を閉めた。
「中々・・・あんたに宛がわれる部屋にしては悪くない部屋ね。」
お母さんは、嘗め回すように部屋を眺めた。母親とは3年以上会っていない。だけど、3年分以上老けているように見受けられた。
「どうして・・・ここが分かったのよ・・・。」
「どうして?愚問ね。私たちがあんたを捕まえたからに決まってるでしょ、千早。」
お母さんが・・・私を捕まえた・・・?
「どうしてそんなことを・・・そんなことをして何になるっていうの。」
「まずは客人に飲み物位出しなさいよ。そんな礼儀も知らないまま図体だけ大人になったわけ?」
そういうと、お母さんは調理台のところにあるティーセットをまさぐり始めた。そして勝手に私の好きなダージリンのパックを開けて、魔法瓶のお湯を注ぎ始めた。
「3年ぶり、いやもう少し時間が空いていたかしら、もう現れないと思ってたんでしょ。」
お母さんの声には、憎しみと嘲笑が入りじまっていた。
彼女の言う通り。もう私は、この女は現れないと思っていた。
「行方不明だって・・・聞いていたわ。」
「あらそう。残念だったわね、死んでなくて。私は地獄の底から蘇ってきたの。」
小屋の中に茶葉のいい香りが広がっていく。お母さんはダージリンに口をつけ、そのままカップをもって、私のベッドに腰を下ろした。私は玄関先で立ちっぱなしのなま彼女の方を向いた。
私はあくまで平静を保とうと努力した。まずは・・・敵の狙いを知ることが大切だ。お母さんは、どうしてここに訪れたのか。そしてそもそもなぜ私を捕えるようなことをしたのか。
「自殺未遂をして、2年近く眠った後、あなたは行方不明になったはずだった。あなたは何故・・・私を捕まえたの?」
「逆に千早はどうして逃れられると思ったの?自分が犯した罪から。」
「私の罪・・・?」
「自覚がないようね。たった3年で人はこうも物事を忘れてしまうものなのかしら、いや、自分で記憶を消しているのかもしれないけど。」
私は押し黙っている。
「いいわ。じゃあ、教えてあげましょう。千早の罪をね。あんたは・・・二人の人間を殺したの。一人目が千尋、私の可愛い娘。」
私はとっさに反論した。
「殺してなんかない!私は千尋を愛していたのよ!どうして私が殺さなくちゃいけないのよ!?」
「買い物に行っていて、少し目を離したすきに千尋が川まで行って、そこで溺れた?そんな出来過ぎた話、どうやって信じろっていうのよ。それにあんたが事件現場の川にいたっていうのは、目撃されてるのよ。アンタ以外に殺しようがない。」
「違う!千尋は・・・死んでいたのよ。」
彼女は私の言葉に耳を貸さなかった。そのまま話始める。
「二人目が五郎。私の夫・・・。」
「殺してない!」
「そう・・・あんた自身は殺していないの。」
「・・・どういうことよ?」
お母さんは不敵な笑みを浮かべた。
「私たちはずっと騙されていたのよ。警察もね。五郎を恨むんだとしたら、あんたしか考えられない。だけど、事件が起きた時、千早はバイトをしていた。死亡推定時刻がずらされた形跡もない。だから、あの事件は自殺として処理するしかなかった。死体に不自然な点があったとしてもね。知ってた?千早。首吊り自殺に見せかけて、人を殺しても、自殺したように偽装することはできないのよ。首を絞められたのだとすれば、通常首吊り自殺した時にはできないような、首筋の跡がつくからね。私は知らなかった。アンタに友達がいる。殺人を肩代わりしてくれるような親友がいるってね。」
この女は、既に真相に気づいている!
「天海春香・・・高校1年生の時に同じクラスだった女子。今、一緒の大学に通っているのよね。」
「彼女は関係ない!春香は何も知らないの!」
「そうなのよねー、本当は千早と天海春香を告発したいけど、証拠が何もない。運がいいことに、天海春香の目撃情報は何もない。そりゃそうよね、元々警察は最初からこの事件をまともに扱おうとしなかった。当然、聞き込み捜査一つ行っていない。もう3年前のあの事件について、今更目撃情報を探すなんて不可能。でもね・・・私確信してるのよ。五郎を殺したのは、あんたとあの女。二人が共謀して殺したってね。」
彼女は私をにらみつけていた。その蛇にらみで私の体は凍り付く。この女の目的は、明らかに復讐だ。法で裁けない私たちの「罪」に対する、復讐なのだ。
「さて・・・この落とし前、どう付けてもらおうかしら。」
「・・・殺したければ、殺せばいいじゃない。」
震えた声で彼女にぶつけてみる。お母さんは、笑っている。
「あんたに死ぬ覚悟なんてあるの?それに・・・ここで殺したって面白くない。アンタに恐怖と絶望を味合わせないで殺すなんてね。」
そう言ってまたお茶に手を付ける。いっそ、私があの女を殺してしまおうか。殺してしまいたい。殺すしかない。このままでは、春香にも危害が及ぶ。それしかないかもしれない。
私は包丁の位置を確認した。調理台のまな板と一緒のところにある。あの女が目を離したすきに、一気に包丁をつかんで、あの女の胸をめがけて振り下ろせばいい。
「言っておくけど、私を殺そうなんて馬鹿な真似考えない方が良いわ。ここがどこだか、分からないわけじゃないわよね。それに・・・天海春香も人質だってこと、忘れないでね。」
なんですって・・・。春香も捕らえられているというの!?
私はあの女に詰問する。
「春香は無事なの!?」
「ええ無事よ。今のところはね。でも、あんたの行動次第ではどうなるかは分からないわ。だからバカな真似はしないことね。お互いの身の安全のためにね。」
あの女は不気味な高笑いを上げた。
「私に何を求めているのよ。どうしてこんなところに閉じ込めておくわけ!?」
「罪を償ってほしいのよ。2人を殺した罪をね。」
「だから私は・・・。」
「あんたは法じゃ裁けない。証拠がないから。だから、私なりの方法で罪を償ってもらおうと思うの。」
そういうと、お母さんはカバンの中から、1枚の紙とペンを取り出した。
「千早にはAV女優になってもらうわ。そこで稼いでもらうの。そしてそのお金を私は頂く。」
私が・・・アダルトビデオに・・・。
「もちろん、あんたの懐にも少しは入るようにしておいてあげるわ。親の情けでね。どうかしら・・・、といってもあんたに拒否権はないんだけどね。」
頭の中が真っ白になる。私が・・・見ず知らずの人間と・・・。
「さあ、早くサインしなさい。天海春香がどうなってもいいの!?」
春香・・・。その単語に私は動揺した。気づけば、私はアンダーラインが引かれている部分に、自分の名前を書き記していた。
「そう・・・。意外に素直ね。あの子はあんたのことを嫌っていても、あんたは嫌ってないのね。」
「春香が私のことを・・・。あの子なんて言ってたの!?私のこと!」
「まあ、良いわ。契約も成立したし。」
お母さんが契約書を取り上げて、それを畳んでカバンの中に入れた。あの女は調理台にある包丁を手に取った。
「これはもらっていくから。アンタが変な気を起こさないようにね。また撮影の日になったら、あんたを迎えに行くから。」
そういうと、あの女は包丁もカバンの中にしまい、玄関へと向かう。
私はあの女の腕をつかんだ。
「質問に答えてよ!」
「うるさい!この殺人鬼!」
バシン!!
鋭い音とともに、ほほに激痛が走る。平手打ちにしてきたのだ。私は痛みでその場によろけた。あの女は玄関口でブーツを履いていた。
殺したいほどに憎しみが湧いてくる。私と春香に酷いことをしているあの女への強い憤りだ。私はあの女のカバンに目をやった。あの女のカバンには、むき出しの包丁が入っている。あの女はブーツを履くために、床に座り私に背中を向けている。カバンを肩から掛けているとはいえ、そこから包丁を抜き出すのは造作もないこと。刺すなら今しかない。でも・・・そんなことをして・・・そこから先に展望はあるのか。その考えが一瞬頭を過り、私を思いとどまらせる。
やがて、あの女はブーツを履き終えて立ち上がり、無言で小屋を立ち去ってしまった。
後には、むなしい空虚さが残るだけであった。