第4節 奴隷
孤独が襲ってくる。
周りに連絡も取れず、にぎやかしの為のテレビもない。あるのは本だけ。それもいつかやがてすべて読み終えてしまうだろう。それに全部が全部面白い本というわけではない。無味乾燥な評論から、今の私にとってどうでもいい政治の話、それから単語が羅列された百科事典など、読むに堪えないものも多い。
こんな生活がいつまで続くのだろうか。
誰ともしゃべらない生活、まるでこの世から自分以外の人間が絶滅してしまったかのような錯覚に陥る。
怖いのだ・・・。あの女が。自分の産みの親にして、世界で最も私を恨んでいる人間、あの女はどういうわけか望月財閥の監視の目を打ち破るほどの実力を手に入れた。そして、私を辱め、私を籠の鳥にしている。
一度捕らえた獲物をそう易々と手放してくれるとは思えない。私は最初、軽井沢でこの拘束が始まった時は、先が見えないとしても1~2年程度で出て来れるだろうと甘く考えていた。でも、あの女に体を奪われてからは、全てが変わってしまった。
最初はみんなのことを思いだしていた。先輩、律子先生、美希、水瀬さん、そして春香。私の大事な人達・・・。きっといつか必ず、いやそう遠くない未来に会えるだろうと思っていた。
だけど、日にちが経てば経つほど、その希望が音を立てて崩れていくような気がするのだ。あの女は、一生私を飼い殺しにしようとしているのではないか。肉体と精神に最大限の苦痛を与え、命だけでなく魂まで奪い取ろうとしているのではないか。
そんな風に思うようになった。あの女の顔を思い出すたびに、動悸がする。めまいがする。事切れてしまいそうになる。
今日もまた何もない1日が始まり、日が昇り、日が傾き、日が落ちて、やがて眠くなる。そんな意味のないただ記号のような繰り返しの日々が延々と続く。
今日が何月何日で、世の中ではどんなことがあり、みんながどう過ごしているのか、まるで何もわからない。季節の経過だけは、小屋の中の室温の変化でわかるが、後は何もわからない。
どうやら小屋の外では、雪が降っているらしい。暖房のおかげで、少しは寒さをしのげるが、冬が深まっていくのだけが分かる。だけど、後は何もわからない。
次第に思考力が衰えていくのが分かる。考えるのが無駄と分かって嫌になり、ただぼーっとしてしまうのだ。それは自己防衛の為でもある。考えると、あの女の影がどうしてもちらついてしまうのだ。
待っていればいつか先輩が助けに来てくれるかもしれない。でもその前に、私はもっとひどいことをされてしまうかもしれない。色々なことが頭を過るのだ。だけど、考えれば考えるほど、気持ち悪くなり、吐きそうになる。そんなことになるくらいだったら、何も考えないほうがいい。
支給されるお弁当が楽しみだった。拘束されている間、監視の男が朝昼晩とご飯と飲み物を提供してくれる。朝はサンドイッチ、昼はコンビニの弁当、夜はおにぎりとおでんといった具合だが、日々変わっていた。
私はゆっくりとご飯を食べることにした。何も刺激のない生活において、食べ物が与えてくれる匂い・味、そしてそれが私に与えてくれるアドレナリン、それが私の生活において唯一の感覚だった。人間が人間としての尊厳を保てる唯一の時間だった。
そしてお茶。私が好きなジャスミン茶がパックで備え付けてある。気が変になりそうなときは、まるで麻薬にありつくかのように手を出してしまう。その芳醇な香りが、何とか私の心を紛らわせてくれる。
お風呂もそんな気が安らぐ瞬間だった。私はあえて熱めのお風呂に入ることにしていた。ゆげをたくさん焚いて、監視の男どもに私の体をじろじろ覗かれないようにすること、そしてお風呂の熱を体で思いっきり感じ、生きる刺激とするためだった。
それでも外的な刺激には限界がある。腐るような日常が、私の精神を破壊する。襲い掛かる孤独と恐怖感、そしてそれを忘れるための無感・無痛、きっと私はどんどん廃人になっていっているのだろう。
そんな自分が恐ろしい。
部屋には換気のための窓が備え付けられているが、鉄格子をはめられ、そこから外に出られるはずもない。小屋の玄関の扉は外側から鍵がかけられ、自分の意思では全く開けることが叶わない。
いつの日のことだったか、私はこの孤独に耐え切れず発狂したことがあった。棚の中の本を部屋の扉に向かって投げて、叫び続けたのだ。
「ここから出して!お願いだから!」
涙を流しながら、声を枯らしながら、泣き叫び喚いたが、そんな必死の願いも聞き入られることは無かった。しばらくして、監視の男が血相を変えて部屋の中に入り、私の鳩尾に一発パンチを食らわせた。私は猛烈な激痛の中で意識を失った。
そして意識を取り戻すと、私は何事もなかったかのようにベッドの上で寝かされているのである。私が投げつけて散乱していた本も、何事もなかったかのように整然と整理されて、棚の中に納まっていた。
私は抵抗することの無意味さを知った。何もできず、何もせず、ただベッドの上で寝ているだけの生活。食事とお茶とお風呂だけが楽しみの、何ら文化的ではない植物のような生活。そんな日々がずっと続いていた。
ある日のことだ。この日も何もない穏やかな1日を過ごしていた。
陽の昇り具合から多分お昼頃だろうか、外で物音がし始めた。誰かが近づいてくるようなそんな音だ。その足音は次第に大きくなり、やがて扉の前に立つと、その人物はゆっくりと扉を開けた。
私は驚いてベッドから上体を起こす。
「久しぶりね、千早。」
あの女だった。私をこの監獄に閉じ込めた、その張本人だった。
「何しに・・・来たの・・・。」
私は本能的にあの女をにらみつけた。きっと私の顔は、あの女に対する憎悪でゆがみあがっていたであろう。
「あなたに、次の仕事を持ってきたのよ。」
「次の・・・仕事?」
千種は、扉を閉め、ニンマリとしながら靴を脱ぐ。私はそんなあの女をベッドの上から見上げていた。
「前回の作品、好評だったわよ。」
靴を脱ぎ、女が勝手に上がり込むと、前回と同じように、今はもう使わなくなってしまったキッチンに置いてある、ジャスミン茶の茶筒を取り出し、茶こしにつけて、カップにお湯を注ぎ込むのだ。相変わらず図々しい態度だった。
「現役中亭大学生のアダルトビデオ。話題をかっさらうのにこれだけ最適な素材はないわ。それに、天海春香も宣伝に協力してくれたしね。」
「は・・・春香が。」
何・・・いったいどういうことなの?
「私はあの子に、あんたの作品のポスターを大学の掲示板に張るように命令したのよ。相当あんたのことを恨んでたんでしょうね。彼女は喜び勇んで、張りに行ったわ。おかげで、翌日構内は大騒ぎだったわ。」
千種は哄笑を上げる。
「愉快愉快。あんたの動画はネットにもアップされていたわ。全国何十万人という人が、あんたがよがってる姿を目に焼き付けたの。これでアンタはもう二度と明るい人生なんて歩めないわね!仮にここから出られたとしても、まともな道なんかにはつけはしないよ!」
心の中でふつふつと湧き上がるものを感じる。怒り・憎しみではない、殺意。あの女を殺したい。たとえ春香の命が危ぶまれていたとしても、そんなの関係ない。とにかく、この女を殺したい。そんな思いが湧いて出てきたのだ。
「それでね、あんたには2作目に出てほしいのよ。今度は凌辱ものよ。鞭で叩かれ、縄で縛られて、よがるあんたの姿を何万人という人に見てもらうのよ。素晴らしいでしょ。」
女はカップに口をつける。ジャスミンティーの香りは、普段私の心を落ち着かさせてくれるのに、この時ばかりは違っていた。
「・・・嫌だ。」
「あんたに選択権はないのよ!」
「ふざけんな・・・どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないのよ・・・いったいいつまで続くっていうの・・・こんな生活が・・・。」
「あんた・・・自分がしたこと、まだ理解していない訳。まだ自分が悲劇のヒロインのように振舞うつもり?どれだけ都合がいい女のかしら。あんたは、私の娘と夫を殺した殺人鬼なのよ!」
「違う!あれは・・・」
女が怒りに任せて、カップの中のお茶を顔に向かって浴びせかける。
「熱い!!」
思わず顔を手で覆った。
「だまらっしゃい!この下種女め!お前は死神なんだよ!千尋、五郎それだけじゃない。雪村楓、そして自分の子供さえも殺めた。お前は大量殺人鬼。悪魔なんだよ!どうしてそんな悪魔に人並みの生活を保障してやんなきゃいけないのよ!?身の程を知れ!」
この女は・・・そんなことまで知っているのか。どこまで知っているんだ・・・どうして知っているんだそんなことまで・・・。
この女は強大だ。恐らくものすごい強い力に頼っているのだ。だとしたら、この悪夢を終わらせるためには、ここで奴と刺し違えるしかない!
私はベッドから飛び下りると、そのまま本棚に向かい、最も重量のある辞書を取り出した。
「おりゃー!」
私はそのままあの女の脳天めがけて、重い辞書で思いっきり殴り掛かった。
「きゃっ」
千種はいきなりのことで驚きながらも、とっさによけた。勢いのついていた私は態勢を立て直すことができず、そのままテーブルに足をぶつけて前のめりに倒れこんだ。
今度は女が反撃してくる。女が私の上にまたがり、馬乗りになって抑えつけてくるのだ。あの女の体重で立ち上がれない。
女は私の長い髪を引っ張ってきた。痛みで頭が持ち上がる。
「私を殺そうと思ったんでしょ。残念でしたー。あと一歩だったのにねー、おしかったわねー。この報いは必ず受けてもらうわ。その時は春香も同罪だから。覚悟しておくのね。」
「ふざけるな、この悪魔め!」
「悪魔はどっちよ、殺人鬼!」
千種は髪の毛を揺さぶってくる。私の頭が上下に揺れる。
「痛い痛い痛い!放してよ!」
私は足をばたつかせ、腕をばたつかせて抵抗するが、馬乗りになった彼女に敵うわけがない。
「アンタさっき言っていたよね。いつまでこんな生活筒くのかって。答えは一生よ。一生あんたは私の奴隷になるの。一生かけて償いなさい!」
「どうされました!?」
騒ぎを聞きつけたのか、監視の男が慌てて部屋に入ってくる。
「このクソ女が私を殺そうとしたのよ。この女が暴れないように、麻酔でも打って頂戴。」
「分かりました。ただいまお持ちします。」
そういうと、足音はどんどん遠ざかっていった。
あの女がゆっくりと私の髪の毛を離し、床に顔を伏せさせた。
「本当は、地面にたたきつけて、その顔をぐちゃぐちゃにしてやりたいけど、あんたの顔は一応これでも売り物なのよ。助かったわね。遊女になって。」
またしても抵抗に失敗した。失敗ばかりじゃないか・・・私の人生は。もうどうやってもこの女の桎梏から逃れられないのだ。自殺すること、殺すことも叶わない。私は一生この女の奴隷になるしかない・・・。
私はやがてやってきた男に麻酔を打たれ、ほどなくして気を失った。