第4節 全ての真相を抱えて 残り1時間 如月千早
「春香?・・・春香、どうしたの!?春香!」
春香が突然何の前触れもなしに、私の前で倒れ込んでいた。
「何があったの!?春香!!」
私は春香の両肩を掴み、揺さぶっている。しかし全然反応がない。どうしてしまったというのか。
私は春香の首元に手を当ててみる。どうやら鼓動はあるようだ。念のため脈も計ってみたが、これも極めて正常だ。春香は生きている。そして突然、頭を抱えて倒れ込んでしまった。
まさか脳卒中だというのだろうか、だとしたら救急車を呼ばなければ助からない。
「誰か!誰か来てください!誰か!」
だが、何も反応がない。どうしたことなのか。どうして、誰も春香の安否を確認しようとしに来ないのだろうか。
不審に思いながら、私はもう一度春香の脈を計ってみる。やはり正常だ。呼吸も乱れていない。春香は突然気を失っただけだというのか。そんなことありえるというのだろうか。
私はタイムカウンターを一瞥した。残り55分しかない。このままではまずい。私が殺されなくちゃいけない。春香に殺してもらわないといけないのに、このままでは春香に殺されることができない。
つまり、このままでは春香の命が危険に曝されることになる。何としても、春香に目覚めてもらわなくては。
「春香・・・春香!」
私はそうやって、春香を呼びかけ続けた。彼女の意識が戻るよう、私は必死だった。残り時間はどんどんと減っていった。50分、45分、40分と減っていっている。しかし、春香に反応はない。
もうダメなんじゃないか、そう思ったときだった。
「うーん・・・。」
春香が小さく声を上げた。もしかしたら、春香の意識が戻ろうとしているのかもしれない。残りは35分。これが最後のチャンスかもしれないと思いながら、私は春香の肩を揺さぶった。
「春香!・・・春香!・・・春香!春香ぁ!!」
少しずつだが、彼女が確実に目を覚まし、目が開かれていった。
「春香・・・春香!目が覚めたのね。」
私は春香をゆっくりと抱き起した。
「良かったぁ・・・心配したのよぉ、急に意識を失っちゃうんだもの。」
「千早ちゃん・・・私・・・。」
寝起きみたいな感じなのか、春香はぼーっとしている。
「春香、とにかく時間がないわ。」
私はタイムカウンターを指さした。残り「0時間32分18秒」となっている。
「とにかく、今すぐ殺して。そうしないと、手遅れになっちゃうから。」
私はそういって仰向けになった。もう本当に時間が無かった。首を絞めたとしてもすぐに死ぬわけではない。絶命するまでの時間を確保しておかなければ、奴らはタイムカウントが0になった瞬間に押し入って、もしその時に息があれば拷問を始めるかもしれない。とにかく、時間内に私が絶命しなければならないのだ。
私は春香が馬乗りになってくるのを待っていた。しかし、春香は何かを考えているのか、その場から動こうとしない。不審に思って、私は春香に尋ねた。
「春香、一体何があったの?」
しかし、私の問いかけを無視するかのように、彼女は身じろぎ一つしない。少し間をおいて、私は改めて尋ねた。
「春香、聞いてるの?」
だが、春香はまるで上の空、私の声など耳に入っていないようだった。
「春香!」
私の大声でようやく春香は我に返ったようであった。
「さっきから、春香おかしいよ。何かあったとしか思えない。」
「うん・・・。」
春香は浮かない顔だ。さっきの気絶で、何か記憶が蘇ったというのだろうか。あり得る。というか、それ以外に考えようがない。一体何を思い出したというのだろうか。私は恐る恐る春香に尋ねてみた。
「春香・・・教えて、一体何を思い出したというの?」
だけど春香は何も答えてくれない。私から目を逸らし、俯いたと思えば、なんだ・・・泣いている?
「春香・・・泣いているの?」
気づけば涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
「どうして泣いているの?」
しかし、春香はその質問に答えようとせず、無言で涙を落とし続けている。春香のこれまでにない異様な雰囲気に気圧されながら、私は春香が言葉を紡いでくれるのを待っていた。やがて、春香が話し出す。
「ねぇ・・・千早ちゃん。」
「何?」
「やっぱり、死ぬのは私にするよ。」
私は目を見開いて驚いた。驚きを隠しきれなかったのだ。私はとっさに反論する。
「ちょっとっ・・なにいってるのよ・・・。もうそんなこと言っている時間なんてないのよ!見て!あと26分しかない。もう間に合わなくなる!」
タイムカウンターは残り26分40秒を指していた。ここでまた議論するだけの時間なんて残されていない。私が死ぬ以外に方法なんてないのよ!
「千早ちゃん、本当は怖いんでしょ。さっきから、顔がこわばっているよ。」
ドキッとした。その通りだった。刻限が近づいてくれば近づいてくるほどに、私の鼓動が高鳴るのが聞こえてくる。怖い・・・。死の世界がどうなっているのか。考えまいとしているのだが、考えまいとすればするほど、その恐ろしさがこみあげてくる。あの気味の悪いタイムカウンターがゼロに近づくほどに、私の恐怖も高まっていく。
「それは、怖いと言えば怖いけど・・・。だけどどっちが死ぬかなんて、ジャンケンで決めたことでしょ。それを今更覆すなんて・・・。」
春香は崩れたような笑顔を見せた。
「ダメだよ。イカサマして負けるなんて。」
「えっ・・・。」
気づかれていたというのか・・・。
「私が気づかないとでも思った?千早ちゃん、後出しで負けてたでしょ。そんなの、後出しで勝ったのと同じことだよ。」
「そんな証拠は・・・」
「今更政治家みたいなことを言うつもり?」
春香は確信しているようだった。私がイカサマをした。それはもう否定しがたい事実だった。私は何も言い返せなかった。春香はにっこりと笑った。
「私はね、千早ちゃん・・・。生きるのが怖くなっちゃったんだよ。ここで死んで、永遠に魂をここで眠りにつかせたいの。ねぇ、お願い。私を殺してよ、私は本当に心の底から、死にたいと望んでいるの。友達も千早ちゃんの愛も、先輩の愛も何もかもいらない。ただ『死』だけがほしい。」
何で・・・どうしてよ。どうしてそんな悲しいこと言うの?訳が分からないよ。春香はあんなにも、必死で生きよつとしていた。死に対してあんなにも恐怖を感じていたはずなのに、今の春香は・・・本当に心の底から死を望んでいるように見える。
何を・・・思い出したというの、春香。気づけば私は涙をこぼしている。私は春香に尋ねるのだ。
「訳、聞かせてくれる?どうしてなの。どうしてそんな心変わりをしてしまったの?」
「・・・それは・・・」
やや間があって、春香が答える。
「教えられない。」
「どうして!?」
「・・・どうしても。ただ一つだけ言いたいのは、私は別に誰かさんに遠慮して死にたいと言っているわけじゃないってこと。私は本当に、心の底から死にたいと思っているんだよ。千早ちゃんは、私の気持ち、無視するわけ?」
それが本当に春香自身の想いならば、私はそれを尊重したい。だけど・・・今の春香はやっぱりおかしい。やはり、さっき意識を失った時に、記憶を思い出したに違いないのだ。これまで生きたいと思っていた春香に、喜んで死を決意させるほどの何かを。
私は俯いて考えているだけだった。
「千早ちゃん、死にたくないのは分かっているんだよ。」
確かに私は死にたくない。だけど・・・
「春香を殺してまで生きていたくないのよ。」
「またその話?もう禊ぎは終わっているよ。私は、千早ちゃんの罪をすべて赦した。千早ちゃんは、私の罪を赦してくれた。もうそれについては、関係ないことなんだよ。」
「でも・・・。」
間髪入れず春香が続ける。
「私は死にたい、千早ちゃんは死にたくない。それで十分だと思わない?」
春香は私を誘惑するかのように、ニコッと笑った。私の中で悪魔が囁く。“春香が死にたいというなら、そのまま殺してあげてもいいんじゃない?”
「千早ちゃん・・・生きたいんでしょ。さっきから、千早ちゃんずっと声が震えてたよ。私わかるんだよ。千早ちゃんの声が好きだったから。千早ちゃんがおびえているんだって。でも私は、もう死にたいのよ。ちょうどいいじゃない、ね。お願い、人生最期のお願い。聞いてくれない?」
悪魔が囁く。“春香の気持ちは本当だよ。本当に心の底から死にたいと思っている。だったら、ちょうどいいじゃないか。死にたい人と生きたい人、ちょうどマッチしているんだから。”
でも私の中の天使も囁くのだ。”もしここで春香を殺してしまったら、千早は一生後悔することになる。例え春香が許してくれても、自分自身が許せないんじゃないの?自分の心が弱かったせいで、最愛の人を殺めてしまった、そんな意識に苦しむんじゃないの?”
天使と悪魔が戦っているのが見えている。春香の左右で、私の中の心の悪魔と心の天使がつばぜり合いをしている。私にはそれらが具現化して見えていた。
天使の言葉が私の口を突いた。
「私、後悔すると思う。『自分が弱かったせいで、春香を殺してしまった。』一生そう思い続けながら生きなくちゃいけないと思う。」
春香は不思議と笑顔だった。
「それは、私が生きることを望んでいたら、ってことでしょ。でもね、千早ちゃん・・・私は死にたいと思っているの。嘘じゃない。心からそう思っているの、本当よ。こればっかりは嘘じゃないの。私は、本当に死にたい・・・」
春香が涙をこぼしている。笑顔を作りながら、涙があふれ出ているのだ。矛盾した表情だ。心は号泣するほど悲しいはずなのに、その表情はちぐはぐなほどに輝いている。春香は必死で自分の心を抑えている。そして私を誘っている。『自分の首に両手をかけて』そう懇願しているように見えるのだ。そんな春香の表情は・・・その儚い気持ちを感じるからこそ美しい。
「春香の顔・・・」
「怖いの?私の顔?また『能面』のようになっているの?」
「・・・違うの。そうじゃない。そうじゃなくて・・・美しい・・・。」
「うつくぅしぃい・・・?」
「ええ。美しい。絶望に満ちた『能面』ではない、苦悩・悶絶、何かに驚き、そして能動的に死にたいと思っているのね。その『死』を求める積極性が、美しい・・・。」
春香は追い詰められているのだ。自分が思い出してしまった記憶に。きっと尋常じゃない記憶なのだ。それこそ、春香に死を願わせるほどのものだ。一体何なんだ!?
「無気力に死にたいと思っている訳じゃない。悲痛なほどに、『死』を望んでいる。ねぇ春香、一体なにがあなたをそこまで追いつめているの?あなたは、どんな不都合な真実を見つけてしまったというの!?」
春香は私の言葉を無視して、タイムカウンターを一瞥した。
「最期のお別れをしましょう。もう時間がないから、千早ちゃんだけに遺言を残すね。ちゃんと聞いてね。」
涙が止まらない。自分の不甲斐なさに、本当に嫌になってしまう。いつの間にか、私の中の天使は消え去っていた。そして悪魔のささやきだけが、何度も耳の中でループするのだ。
「千早ちゃん、私はあなたに会えて本当に幸せだった。楽しいことも、辛いこともあったけど・・・、もしかしたら辛いことの方が多かったかもしれないけれど・・・、それでも、私は千早ちゃんに会えてよかったと思ってる。・・・千早ちゃんがいなかったら、多分、私は高校の頃に、いじめ3人組を殺して、そのあと自殺をしていたかもしれない。でも、千早ちゃんと会って、人生が変わったよ。・・・千早ちゃんのおかげで、私は、人生が楽しいものだって気づくことができた。人生は楽しいよ!楽しいんだよ!千早ちゃんは、こんな楽しい人生を多分あと60年は過ごすことができるんだから、本当に幸せ者だよ。」
消えかかっていた心の天使が、叫ぶ。“人生を楽しむ権利があるのは春香なのよ!”
「本当は・・・あなたが・・・。」
「それ以上は言わないで!」
春香の大声に驚いた。そして私の中の天使は完全に消え去った。
「千早ちゃん。幸せになる道は、きっと一つだけじゃないんだと思う。いろいろな方法がある。人生は・・・長い。千早ちゃんは、多分きっと、しつこく長生きするよ!」
私は微笑した。しつこく生きたって、私はきっと碌な生き方ができない。私は、生きるのが苦手なのよ。生きる道は一つじゃない・・・?仮にそうだったとしても、どうやって生きたらいいのか、私には・・・分からないよ。
春香は続けた。
「だから、縛られないで。千早ちゃんの宿命に。千早ちゃんを縛る鎖は・・・なくなった。そんなもの、最初からなかったの!何かにこだわろうとするから、それが手かせ足かせになっていただけ。全てから逃れてしまえば、千早ちゃんを縛るものなんて、最初から何もなかったんだよ。」
私を縛る鎖は・・・ない?分からない・・・春香が一体何を言っているのか。
「春香・・・」
私は春香に真相を尋ねようと思った。だけど・・・言葉が出てこない。怖いのだ。尋ねたら、尋ねたで・・・一体何が出てくるのか。私はずっとうつむいている。私がどうしようかと、どぎまぎしていると、春香の方がしゃべりかけた。気づけば、もう残り時間は14分しかない。
「千早ちゃん、今までありがとう。千早ちゃんに会えて、本当によかった。」
もう本当にお別れなのね。
もっと話していたい。話したいことはまだまだ沢山ある。どうしてこんな時になって、頭の中に話題が降ってわいてくるのか。楽しい思い出も、辛い思い出でもいい。何でもいいから話したい。春香の声を聴きたい。
春香は、私のうつむいた顔を両手で持ち上げて、正面を向かせると、そのまま軽く口づけを交わした。
千の言葉を交わしたい。でもそれが無理なら、これだけは最期に言っておきたい。
「春香ぁあ・・・あぁいしぃてるわぁ・・・。」
「私もだよ。千早ちゃん、愛してる。」
もう私には頷くことしかできなかった。
「・・・じゃあね。バイバイ・・・。千早ちゃん、幸せになってね・・・。」
「うん・・・わぁかあぁぁったぁあ。」
春香が私の両手を掴んで、自分の喉元に押し上げると、思い切り力を込めてきた。
春香がひねり出すように声を出す。
「ちから・・・こめてぇ・・・。」
心拍数が上がる。怖い怖い怖い怖い怖い!!!
「はるかぁぁあぁぁぁぁぁぁああ!!!」
私は目を閉じ、叫びながら思い切り力を込めた。春香の苦しむ声が聞こえないよう、私は何度も叫んだ。
「はるかあああああぁっぁぁぁぁあ!!!はるかあぁぁぁぁぁあ!!!!はるかぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁあっっ!」
何度も何度も、声が枯れるまで叫び続けた。全てをかき消してしまうために。全てを過去のものにしてしまうために・・・。
あれから何分経ったのだろうか。タイムカウンターがゼロになり、機械がまるで目覚まし時計のような音を挙げた。
私は泣き叫びながら、目をつぶって、涙と鼻水を流しながら、力を入れ続けていた。その音で私は我に返る。
ゆっくりと目を開くと・・・そこには舌ベロを突き出し、苦しみながら絶命した、顔から徐々に血色が抜けていく春香の変わり果てた姿があった。
私は春香から手を放し、思わず腰を抜かした。
本当にやってしまった・・・。私は春香を・・・心の底から好きだった親友を・・・この手で・・・・。
「・・・いやぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁああああああああぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁあっぁあぁぁあl!!!!!」
辺りは暗いはずなのに、急に目の前が真っ白になった。そう思った瞬間、私は意識を失った。