最終章 監獄の掟 秋月律子
第1節 5年の歳月
富山から東京に出るルートはいくつかある。高速バス、新幹線、在来線、それから飛行機だ。
老体の私には、もう高速バスなんて乗る勇気すらない。在来線も時間がかかる。北陸新幹線が開通したおかげで、新幹線も選択肢に入ってきたが、時間との兼ね合いで、やっぱり航空機に頼ることになる。
そういう訳で、私は富山空港から羽田まで飛ぶことにした。今日は、事前に2件の約束がある。北陸新幹線に乗ってみたい気もするが、時間の節約を優先だ。
あの事件が起きてから、もう5年になろうとしている。天海春香が死に、如月千早が生き残った、あの事件だ。
私は、春香から自殺をほのめかされた後、仕事を切り上げて、飛行機で東京に向かった。羽田から、電車を乗り継いで、高幡不動まで。そして、事前に教えられていた春香の家の扉を叩いたのだ。
しかし、私が部屋に入った時には、春香はもうそこにはいなかった。とはいえ、どこか遠くに行ってしまった様子もなかったのだ。私はその後何度も春香の携帯に電話を掛けたのだが、一向に繋がる気配は見られない。警察にも相談したのだが、警察も相手にしてくれなかった。一応捜索願は出してもらったのだが、警察は「一時的な家出」としか考えなかったようだ。
どうしようもない。私はすごすごと東京を離れるしかなかった。
二人が発見されたのは、それから1か月も後のことだった。
長野県の山中で、二人の姿が見つかった。春香も千早も、なぜか全裸だった。春香は死んだ状態で、千早は気を失った状態だった。そしてその山中から少し離れたところで、望月財閥の御曹司、望月俊の姿も見つかった。
春香は、殺される危険を感じて、逃げようとしていた。だが、捕えられてしまい、殺された。それが真相だった。
事件が発覚すると、当初警察は、千早、そして望月俊の証言から、千早の母親が怪しいとみて捜査を行った。千早の母親が、春香と千早を憎んでいて、それで今回の事件を起こした、望月俊はそれに巻き込まれた、そういう見立てであった。
事件が発覚して一週間、事態は急変した。
富士の樹海の中で、如月千種の首吊り死体が発見されたのだ。そしてその遺体の傍らには、パソコンで打たれた遺書があった。
遺書の内容は、あまりにも衝撃的なものであった。春香と千早の二人によって、如月家が崩壊させられたこと、望月秀幸が望月俊の失脚を狙って、「俊が春香と千早の二人に二股をかけていて、どちらを選ぶか決められず、殺し合いをさせた」という衝撃的な事件をでっち上げた、と書かれていたのであった。
このことから、捜査の手は、望月秀幸に移ることになった。しかし、望月秀幸はここ1か月ほど、父親の望月剛三郎と共に行方不明となっていたのだ。
更にその1週間後、望月秀幸、そして望月剛三郎の遺体が相次いで見つかった。
事件の犯人は死亡したが、望月秀幸が犯人であると裏付ける証拠は数多くあった。今回の事件では、望月秀幸が配下としている暴力団が数多く関わっていた。彼らの証言から、警察は今回の事件の黒幕は、望月秀幸であると断定したのであった。
警察が発表した「真相」はこうだ。
望月秀幸は、父親の剛三郎、そして次男坊であり望月財閥の後継者である望月俊の二人から、望月財閥の支配権を奪うことを画策し、二人を排除しようと考えた。しかし、望月剛三郎と俊の二人が不審死すれば、彼らと敵対する秀幸が疑われる。そこで、望月俊が、春香と千早の二人に二股をかけていることを利用して、「望月俊は軟弱であり、春香と千早のどちらと結ばれるべきか結論がつかなかったので、二人に殺し合いをさせる」という犯罪をでっち上げた。その過程で、秀幸は、「この計画が剛三郎に露見したため口封じとして俊が殺害した」という形で剛三郎を殺害。その後、春香と千早、そして望月俊の三人を捕えて今回の事件を起こした。しかし、如月千種が今回の事件の真相を暴露したことで事態が一変。望月秀幸もその身が危うくなり自殺に及んだ。
事件自体は解決した。だがそれは、千早にとっての幸福を意味するものではなかった。千早のことは、ただでさえこれまで世間で騒がれていた。雪村楓の死、望月俊への「略奪愛」そして、それが叶わない事を知った千早の復讐的な「アダルトビデオ出演」、その醜聞の中で、如月千種の告発により、今度は千早と春香の過去がほじくり返されることになった。
千早には妹がいた。しかしその妹は、川での水難事故で死んだ。しかし、それはあくまで表向きの話。実際は、継父の愛情を全身に受ける父親違いの妹のことが憎かったのではないか。そして憎むあまり、水難事故を装って殺害したのではないか。テレビではそうセンセーショナルに報じられた。この水難事故の調書は、すでに破棄されていたが、そこには千早があの現場にいたのではないかと思われるような記述もあったのだという。もともとは、全てあの女の告発に過ぎない。しかし、それは視聴率を稼ぐことしか考えてないマスコミによって裏付けられ、千早は針の筵となった。
それだけではない。彼女が私の家に住むきっかけとなった、彼女の父親の死についても面白おかしく書き立てられた。あれは、春香と千早の共犯だったというのだ。千早は、如月五郎からレイプを受けていた。それに対して耐えきれなくなった千早が、春香に依頼して、五郎を殺害した。千早の犯行だと思わせないため、実際の犯行は春香に依頼した。これもあの女の遺書に書かれていた内容だったのだが、マスコミによる検証が入った。
確かにあの自殺にはおかしなところがいくつかあった。例えば、遺体には首を絞められたような跡があったそうだ。また遺書も単にWordに書かれただけであり、自筆のものではなかった。
しかし、警察は初動捜査の段階から「自殺」と決め込み、緩慢な捜査しか行われなかった。そのせいで、今やその捜査資料から殺人を裏付けることはできなくなっていた。この2件について、千早は全ての事実を否定した。「自分は殺していない。」そう叫んだのだ。
だが、世間的には、彼女は「魔女」扱いされた。妹殺しと父親殺しは、半ば既成事実とされた。それだけではない。彼女は、正当防衛で雪村楓を殺している。彼女に対する疑いの目は、その「正当防衛」にすら疑わせることとなった。千早が雪村楓を呼び出して殺したのではないか、という荒唐無稽なものから、楓から襲われそうになったことを奇貨として、殺意を持って殺害したのではないかという説まで飛び出した。
そして、今回の事件だ。如月千種は、今回の事件は「春香と千早の二人に殺し合いをさせた」と遺書に書いていた。もしこれが本当だとすれば、千早は春香を殺めて生き残ったことになる。
法律上、今回の事件については、仮に千早が春香を殺していたとしても、「緊急避難」に該当するから、千早が咎を負うことはないとされる。実際、警察の事情聴取でも、当初こそ自分が春香を殺害した事実を黙っていたが、この遺書が出てくると、千早もそれを認めたのだ。捜査の結果がどうなったか。聞くまでもあるまい。
だが、世間は、千早は完全なる被害者なはずなのに、全く同情的にならなかった。それどころか、むしろ彼女への風当たりを強くすることになった。
彼女の周りでは、この事件が起こる前から既に3人も人が死んでいる。そしてその全ての死が、意図的な「殺人」と思われている中で、この一件だけ例外とは、世間も考えてはくれなかった。確かに事件は、千早にとって不可抗力的なものであったと思う。生きるために仕方なく親友を殺した。しかしそこに、「自分が生き残る為やむを得ず殺した」それ以上の意図が無かったのか。
殺し合いを強要されたこの状況を利用して、恋敵である春香を殺したのではないか、千早には絶えずそのような疑惑が向けられていた。
事件の首謀者2人は、すでにこの世にいない。二人が閉じ込められていた監獄の中の様子を証言できるものは、千早を除いては、もう誰もいない。
監獄の中には、監視カメラがあり、その様子を撮影されていたらしいのだが、どういう訳か、それらの証拠テープは望月秀幸によってすべて処分されていたらしい。
千早の「殺意」なんて立証しようもないし、その逆に否定しようもない。
その状況が、却って千早に対する世間の疑念を膨らませ、増幅させ、それは悪意へと変わっていく。
いみじくもあの女の復讐は、これでもかというぐらいに成功を納めていた。事件の全貌と目的を明らかにすることで、世間の目を春香と千早の過去に向けさせることに成功した。そして春香を殺めた千早への拭いようのない疑惑を持たせ、世間の猜疑心を永久に喚起することに成功したのだ。
千早は、事件後、望月財閥が用意してくれたホテルに身を隠すことになった。千早は、今や渦中の人、そんな彼女がまともに社会生活を送れるはずがない。だから、ほとぼりが冷めるまで、雲隠れをすることにしたのだ。千早が、雪村楓を殺してしまった後の様に。
しかし、世間の目、そしてマスコミは、そう簡単にこの事件を忘れてはくれなかった。むしろ、望月財閥に匿われれば匿われるほど、追及の手は厳しくなっていくようにも感じられた。
千早は、望月俊の手引きの元、何度も滞在先のホテルを変えた。しかしその度に、ほどなくしてマスコミが千早の居場所を見つけて追い回す。いたちごっこだった。
そうやって、何度となくマスコミとの追いかけっこを続け、5年の歳月が流れた。5年経ってようやく、世間とマスコミの関心が薄らいできたのである。
千早の夢は、ジャーナリストになることだった。不幸な境遇にあった経験から、弱い人の味方でありたい。社会的に弱い立場に置かれている人の現状を広く伝えたい。そんな彼女の淡い希望は、叶うことはなさそうだった。
彼女は、結局大学を卒業できなかった。雪村楓が死んで、彼女は大学を休学していたが、世間やマスコミの追及を恐れて、復学を果たすことができなかったからだ。彼女は、事件からしばらく経って大学を退学した。
悪魔の大量殺人鬼と思われている彼女を「ジャーナリスト」として、雇ってくれるところはどこにもないだろう。「フリージャーナリスト」として活動する道もあるだろうが、自身に対する疑いの目が晴れない中で、そんな活動をしたところで、誰にも相手にしてもらえないのは目に見えている。そして、その疑惑が晴れる日は、永久に訪れない。
あの事件の後で変わったことと言えば、春香が生前着飾っていた髪飾りを着けるようになったことだ。春香は全裸の遺体で見つかった。彼女が着ていたであろう服はとうとう見つからなかった。しかし、頭につけていた2つの髪飾りだけは、そのまま身につけられていたのだ。
そしてそれは、そのまま春香の形見になった。千早は、その形見であるリボンを常日頃身に着けるようになった。いつまでも身近に春香を感じていたいからだという。
変わったのは千早の体だけではない。というよりむしろ・・・心の方が、大きく変わってしまったのだ。
彼女はホテルでずっと、籠の鳥・・・。私は千早のことが心配で、何度も電話で連絡を取って励ましているのだが、何だか・・・様子が変わってしまった。うまく表現できないのだが、何というか、彼女はもう、私が知っている千早ではなかった。まるでロボットのように感情のない、何を話しても、言葉は帰ってくるのだが、魂が抜けてしまったかのように、本音が籠らないのだ。
私は、事件の真相を聞こうとはしなかった。報道されていることが本当なのかどうか、千早、そして春香に本当は何があったのか。生まれてから今まで、どうやって生きて、何を感じ、何に苦しみ、何に喜び、そしてどう死んでいったのか・・・。
怖かったのだ。真実を知るのが・・・。