第2節 星井美希の述懐
「急な話なんだけど、今度の日曜日、新宿にある『望月グランドリゾートホテル』に来てもらえる?『全て』を・・・話したいの。」
千早からかかってきた電話でいきなりそう言われた。今から3日ほど前のことである。
千早と望月俊は結婚することになった。『望月グランドリゾートホテル』は、二人の結婚式場に指定されているところだ。だが、披露宴までまだ1週間もある。
「電話じゃ、ダメなの?」
「・・・直接、目を見て話したいの。」
そう千早にせがまれて、私は断るわけにはいかなかった。
私は、約束の日の前日である土曜日に東京に入った。私は千早から直接話を聞く前に、2人の人物に会っておくことにした。千早の言葉を聞くのはやぶさかではない。ただ私は、千早以外からも話を聞いておきたかった。私と同じような立場にいる2人が、何を感じ、何を考えているのか。知りたかったのだ。
羽田空港から、京急線空港線に乗って品川駅まで行き、そこから山手線で新宿駅まで。大都会に慣れていない私は、スマホの路線アプリや地図アプリで右往左往しながら、目的地まで進んでいく。
午後1時頃、私は約束の時間から少し遅れて新宿駅東口のアルタ前に到着した。土曜日の昼間ということもあって、周囲は若者でごった返している。とてもじゃないが、こんな年増おばさんのいるようなところではない。彼女が指定してくれなかったら、こんなところに来ることは終生一度もなかったに違いない。
私は彼女に一度だけ会ったことがある。その時は、長い金髪に、髪が寝ぐせのように立っていた女の子だった。
「こんにちは!」
若々しいはつらつとした声が聞こえた。
一人の女の子が、私の方に向かって、人をかき分けて向かってくる。
「こんにちは!秋月さん。」
私は目を丸くして驚いた。長く美しい金髪だった彼女は、ショートの茶髪になっていた。
「あなたが・・・星井美希さん?」
「そうなの・・、あっ、いや、星井です。」
「前は確かロングの金髪だったはずですけど。」
「就職するにあたって、色を暗くして、ばっさり切ったんです。お堅いところだから。」
確か彼女は新宿区で地方公務員として働いていると聞いていた。そうか、役所勤めだから、髪を切ったということなのね。
「それじゃあ、行きましょうか。」と彼女は言う。
「行くってどこへ?」
「お話ができるところです。この辺りはカフェがいっぱいあるんですよ。」
「ちょっ、ちょっと待って。」
星井さんは、私を置いてずんずん前に進んでいってしまう。私は迷子にならぬよう、彼女についていくので必死だった。
そうして彼女についていくうちに、ミルキーバックスというカフェについた。私も名前は知っているが、実際に利用するの初めてだ。
何を頼んでいいのか分からず、私はとりあえずドリップコーヒーを選択。彼女は、キャラメル味の冷たくて甘い飲み物を頼んだようだった。
若者でごった返した店内で、何とか空いている席を見つけ、そこに腰を下ろした。
「東京っていつもこんなにごみごみしているんですね。」
私は眉をひそめながら尋ねた。私が住んでいる富山では、中心市街地でもこれだけ人が集まることはない。慣れていないせいもあるが、正直不快だ。
「こんなものですよ。とりあえず、席だけでも確保できてラッキーでしたね。秋月さん、東京は初めてじゃないですよね。」
「慣れないんです。人込みって。富山じゃこんなことありえないから。」
「新鮮な経験なんじゃないですか。」
彼女はいたずらっ子そうに微笑む。
「まあ、そうですね。」
私も薄ら笑いを浮かべた。彼女がストローで飲み物に口を付けた。私もドリップコーヒーに口を付ける。
「味はまあまあね。」
「まあ、チェーン店ですから。コーヒーはよく飲むんですか。」
当たり障りのない質問だ。
「ええ。まあそれなりには。」
お茶を飲む方が好きだったりするが、コーヒーも嫌いではない。
「コーヒー以外にもおいしいものはあるんですよ。」
そういって彼女は自分が飲んでいる飲み物を持ち上げた。
「もしかして、何頼んでいいか分からなかったとか。」
図星だ。千早から事前に聞いていたが、やっぱりこの子は勘がいい。私は小さく微笑した。
「その通りです。こういうところ、来たことないから。」
星井さんがクスクス笑う。
「暑いから、冷たい飲み物の方が良かったんじゃないですか。」
確かに、今は夏だから冷たい飲み物のほうがよかったかも。でもまあ、クーラーも効いているし。そこまでしなくてもよかったかな?
「まぁ、ホットコーヒーも好きなんで。」
そういって私はコーヒーを口にする。別にミルクや砂糖を入れてもいいが、面倒なのでブラックのままでいい。
「ブラック派なんですか?」
星井さんがまた話を振ってくる。
「まぁ、ミルクと砂糖を入れるときもありますけど、ブラックの方が多いですね。」
「すごいなぁー、ミキ、あっ、いや私・・・全然ブラックとか無理だから・・・。」
どうもこの子は自称詞を「ミキ」と言ってしまう癖があるらしい。案外子供っぽいところもあるみたいだ。
「別に無理してブラックにすることはないですから。好きなように飲めばいいんです。」
「そうですよね。」
ふと彼女は窓の外を見つめた。私もつられて外の方を見る。7月の、よく晴れた雲一つない夏らしい陽気。高気温の日射に照らされて、地面がカゲロウを起こしている。その中を何百人という人が歩いている。
「秋月さん、そろそろ本題に入ってもいいですか。」
窓の方から目線を戻した彼女が、まじめな顔になって話してくる。
「ええ。そうしましょうか。」
私も視線を戻して、彼女に応じた。
「そもそもどうして私に、連絡を取ってきたんですか?今まで、私の存在を知っていても、連絡してくることなんて無かったのに。」
「千早のことを聞きたかったの。彼女がどんな大学生活を送っていたのか。私は・・・ほとんど知らないから。」
星井さんが私から目を逸らさないまま、ストローに口を当てる。
「秋月さんは・・・千早さんの親代わりをしていたんですよね。高校時代・・・千早さんの父親が自殺をして、その後、秋月さんの家に転がり込んだって。それから高校を卒業するまでの間、ずっとそうだったって。そうですよね?」
その通りだ。ちゃんと親代わりができていたのか、自信は全くないが、事実関係は間違っていない。
「・・・そうです。」
これは報道でも言われていたことだった。千早の父親が自殺して、私の家に住むことになったというのは、調べればすぐにわかることだった。そしてマスコミ達は、何度も私のところに「取材」と称して、押しかけてきた。
記者たちは問うのだ。
「何故、あなたは如月千早さん、天海春香さんを家に住まわせたのですか?」
「あなたは、千早さんの父親が自殺ではないと知っていたのではないですか?」
まるで私まで、事件の共犯だと言わんばかりの言いぐさだった。
星井さんは私に問う。
「聞かせてください。どうして秋月さんは・・・千早さんと春香を、自分の家に住まわせたんですか?」
彼女は私の目を真っすぐと見据えている。私は、コーヒーカップを握り、それを口元に近づける。そして私はコーヒーの方に目を落としながら答えた。
「彼女たちに身寄りがないって知ったからです。それを不憫に思って、私の家に住まわせたんです。」
「それだけですか?」
星井さんの言葉が、記憶の中のマスコミの言葉と重なって聞こえてくる。
「それだけです。」
私は彼女の目を見て答えた。それに対して星井さんは、鼻を膨らませて息を吐き、少し呆れたと言わんばかりの表情を見せた。
「秋月さん、確かこういう条件でしたよね。『お互いに本音を話す』。私が秋月さんに本音で語る代わりに、秋月さんも本当のことを話す。」
「私の言葉が嘘だって言いたいんですか?」
私は少しいら立ちを含んで反論した。
「『二人が不憫だから住まわせた』その言葉に嘘はないと思います。だけど、それだけじゃないでしょ?」
ドキッとした。彼女のつぶらで大きな瞳は、まるで私の心の隔壁をすべてすり抜けてしまいそうな、心の奥底まで見通されてしまいそうな、そんな感覚に襲われた。
「場所を変えましょうか。ここだと話しにくいと思いますの。」
星井さんは、辺りを見回した。なんだか変に上品な言葉になったようだ。
確かに、誰が見ているかわからないこんなところで話すのは、正直やり辛い。
「その方が良いと思います。」
彼女は、フラペチーノを一気に飲み干した。私も苦いのを我慢しながら、一気に飲み干す。
「さ、行きましょうか。二人だけで話せる場所、私知ってますから。」
お盆を返却台に置くと、私は彼女に連れられて、また新宿の雑踏の中に入っていく。そうして連れられた場所は、カラオケボックスだった。
「ここなら、誰かに聞かれる心配もないでしょ?」
カラオケの一室に入って、星井さんがそううそぶいた。確かにここなら、他の人に聞かれる心配もない。防音室になっているし、周りもうるさい。そして私たちの他に、誰もいない。
一応ドリンク飲み放題で、2時間コースを選んだ。私は緑茶を、彼女はオレンジジュースを選択していた。
私と星井さんは、向かい合うようにして座っている。
「こういうところも初めてですか?」
「いや、カラオケぐらいはあります。」
「へえー、そうなんですね。」
なんだかバカにされている気分だ。別に彼女にそんな気はないのだろうが。
私はプラスチックのグラスに手をかけて、ストローでお茶を少し吸い上げた。
「何か、歌います?」
星井さんが気を使って、謎の機械を私に手渡そうとしてきた。最近のカラオケは、どうやらこれで入力するらしい。紙の台帳で曲を選ぶ方式ではないみたいだ。
「いや、いいです。時間も限られているし。」
「そうですね。」
星井さんは、機械を充電スタンドに戻した。
「じゃあ、さっきの話の続きから。秋月さんには、『二人が不憫だから』という以外に、千早さんと春香の二人を自宅に招き入れる動機があった。」
「私が何かを隠していると言いたいんですね。」
「違います?」
真っすぐに私の目を見据えようとする。私は彼女から目を逸らした、
「秋月さん、私の目を見てください。」
私はしぶしぶ、恐る恐る彼女の目を見ようとした。しばらく目を合わせて、やはり耐えきれなくなり、下を向いてしまう。
「やっぱり、隠していますよね。何か。」
私はため息をついた。
「私、勘が鋭い方なんです。だから、相手の目を見れば、なんとなくわかる。この人が、何かを隠しているのかいないのか、この人が今動揺しているのか、何かを考えているのか、それくらいなら。」
確かに、この子の言う通り私は隠している。虎穴に入らざれば虎子を得ず。話すしかないみたいだ。20以上も年の離れた女の子に鼻を明かされるのは、癪なのだが、恥を忍ぶしかない。もともと、私の人生は、人に褒められるようなものじゃなかったじゃないか。
私は彼女の大きくて華麗な両目に合わせた。
「私、今は独身なんです。昔は結婚していた。将来を誓い合った人がいたの。だけど、彼との間で子供が出来なくて。せっかく家族で住むように大きなマイホームを買ったのに・・・。それで彼は私と離婚した。有体に言えば捨てられたのよ。彼は、私への慰謝料と財産分与として、あの家を残してくれた。財産があることは嬉しかったんだけれど、何分、一人で住むには広すぎた。」
「一人で住むのは寂しかった。だから、千早さんを家に住まわせたんですね。」
私は頷いた。
「自分の子供が欲しかった。教師という立場で、高校生とは接しているけど、そうじゃない、自分だけの子供が欲しかった。そんなことを想っていたある日、私は市の緊急一時保護センターから連絡を受けた。彼女が虐待を受けているかもしれない、そういう連絡だった。」
なんだかドキドキする。自分の胸の内をこんなにもさらけ出すなんて、初めてのことだ。
私は少し心を落ち着かせるため、お茶を口に運んだ。
「そこであらましの内容は聞いた。彼女の父親が自殺して、母親が錯乱状態に陥っていたこと。そして、虐待が疑われるってね。・・・私、正直言うと、これはチャンスだって思った。すごく不謹慎な話よ。父親が死んで、ショックを受けているはずの彼女を見て、『チャンス』って思うなんて。我ながら、教師失格だと思うわ。」
彼女は黙って私を見つめている。嘘が混じっていないかを査問するかのように、その目は只管に私の両目に注がれている。
「千早のことは、担任の先生としては、よくわからなかった。とにかく大人しい、そして孤立した子っていう印象しかなかった。クラスメイトと溶け込んでいる様子はない。誰も彼女に話しかけないし、千早も誰にも話しかけようとしない。でも春香の存在は、とても目立っていたわ。『如月さん』としての彼女の印象は、むしろ春香の方が強いくらいだった。」
「ん?どうしてそこで春香が出てくるんですか?」
私はくすくす笑った。
「あの子、有名だったわよ。春香は別のクラスだったんだけど、昼休みになると、臥せっている彼女の元を訪れて、自分のお弁当を食べだすのよ。千早に振り向いてもらいたくってね、わざと音を立てて食べたり、匂いのするものを作って食べたりして、周りの目なんて全然気にしてなかったわね。」
星井さんもクスクス笑い始めた。
「なんだか、行動が春香らしいの。」
「色々と工夫をしていたみたいなのよ。匂いを出すために、お弁当をホッカイロであっためたり、魔法瓶にお湯を詰めて、カップラーメンを作ったりね。」
「アハハハハッ。何それ!おっかしい!」
「さすがの千早もたまりかねて、それからは一緒にご飯を食べるようになった。だから、『如月さん』としての印象は、断然春香の方が強いわけ。」
「それはそうですよね。」
星井さんも同意してくれたみたいだった。
「じゃあ、春香を一緒に住まわわせた理由は?」
私は即答する。
「面白そうだったから。家にはもう一人分くらいのスペースはあったし、何より、千早にとって、彼女と一緒の方がきっと幸せだと思ったのよ。それに、彼女自身の幸せにもなる。」
「なるほどね・・・。」
これは本当のことだ。本当に、そのほうが面白いと感じていたのだ。
「あっ、そうだ。これ見てもらえる?」
私はスマホを取り出し、パスワードを解除した。私がスマホの待ち受けにしているのは、二人が高校2年の天皇誕生日の時に、私へサプライズパーティーをしてくれた時の写真だ。二人はサンタクロースの格好をして、顔は泣き腫らしている。
「うおっ、これはお宝写真なの!いつ撮ったんですか?」
「あの子たちが高校二年生だった時の年末よ。二人がね、私への感謝の気持ちを込めて、サプライズでクリスマスパーティーを開いてくれたの。ケーキやチキンを用意してくれてサンタの衣装まで買い込んで、それから、これもくれたんです。」
私はショルダーバッグの中から、ジッパー式の洋服袋に入れてあるマフラーを取り出した。
「うわーきれー。」
赤と青をグラデーションしたそれは見事なマフラーだった。
「彼女たちの手編みのマフラー。赤い部分は春香が、青い部分は千早が編んでくれた。私にとっては、大切な宝物よ。」
「手に取っても、いいですか?」
「ええ。あなたなら、もちろんいいですよ。」
星井さんは、ジッパー部分を開けた。彼女は手触りを確かめている。
「ふかふかぁ・・・。いつも持ち歩いているんですか?」
「ええ・・・。私にとって、本当に大事な宝物ですから。」
もう春香はいない。そして千早も・・・もうあの頃の千早ではない。失ってしまった彼女たちを感じることができるのは、あの待ち受けの写真と、この手編みのマフラーぐらいしかないのだ。
「保存状態も良いですね。本当に二人を愛していたっていうのが、伝わってきますよ。」
「そういってもらえると、嬉しいです。」
彼女は再びマフラーを洋服袋にしまい、私に返してきた。
「初めて知りましたよ。サプライズクリスマスパーティーのこと。春香も千早さんも、上京する前のことは殆ど話してくれませんでしたから。」
やっぱり、二人は高校までの人生のことを、隠していたみたいだった。まるで自分たちの人生にとっての汚点だったと言わんばかりに。
彼女はオレンジジュースを少し飲んだ。
今度は私が質問をぶつけることにした。
「星井さん、今度は私が質問していいですか。」
「はい。どうぞ。」
「春香と千早、二人は大学時代、どんな子でしたか。」
かなり漠然とした質問に、彼女は困惑した表情を見せる。
「どんな子って・・・かなり漠然とした質問ですね。」
「じゃあ、もう少し具体化しましょう。二人は同じテニスサークルに入っていた。そこに星井さんもいたんですよね。」
「ええ。」
「そのテニスサークルでの様子を教えてほしいんです。」
「そうですね・・・。」
彼女は少し目をつぶっていた。頑張って思い出そうとしているみたいだ。
「テニスサークルに限って言えば、二つの時期に分けられるんです。最初の方は、二人がテニスサークルに入ってから、千早さんがサークルを抜けるまで。そして、後半は・・・千早さんが・・・テニスサークルに戻ってから。」
彼女は言い含んだように、重く述べる。
「まず、最初の時期の方から教えてください。」
「はい・・・。」
何かを考えているのか、少しだけジュースの方に目を落としていた星井さんが、再び私の方を見つめた。
「春香と千早さんは、俊・・・いや、望月さん、そしてゆっ・・雪村さんと一緒にいることが多かったんです。」
春香、千早、雪村楓、みんな望月俊の恋敵同士だ。
「恋敵同士仲良くできたんですか?」
「春香と千早さんは、別に恋敵同士だったわけじゃないんですよ。」
星井さんがやや怒ったような口調で述べた。まるで、そんなことも知らないのか、と言わんばかりの様子だった。
「春香と千早さん、それから望月さんの3人は仲良くやっていました。別に三角関係とか、そんな雰囲気は感じなかったです。ただ・・・雪村さんはそうは思っていなかったみたい。彼女は、春香に悉く反発していました。本気で反発していた時もあったでしょうけど、半ば嫌味みたいな言い方が多かったような気がします。だけど、春香はああいう性格だから、何言われてもケロッとした顔をしていたんです。そういうのを見てて、彼女は本当に強い子なんだなって感じたんですよ。」
初めて聞く話だった。本当は、春香のことは千早の口から聞くべきなんだと思う。だけど私には、そんな勇気が無かった。
「春香と千早は、恋敵じゃなかった。」
私はそうつぶやいた。
「ええ・・・。そうです。マスコミも世間も、すっごく勘違いしてますけど!」
星井さんは語気を強めた。その怒りの矛先は私にも向けられているような気がした。星井さんが言葉を紡ぐ。
「望月さんにアタックしていたのは、春香の方だったんですよ。千早さんは別に、望月さんを狙っていた訳ではなかった。」
「でも、千早も彼のことは好きだったんですよね?」
「そう。心の奥底では、望月さんのことが好きだった。だけど、それを抑え込んでいたんです。春香に譲る為に。」
「春香へ・・譲る。」
美希は真剣なまなざしを向けた。
「千早さんは、春香に望月さんのことを譲ろうとしていました。その理由は何故なのか、はっきりしたことは分かりません。春香に負い目を感じていたのかもしれないし、千早さんが春香に対して盲目で、とにかく幸せになってもらいたかっただけなのかもしれない。ただ、どちらにせよ、千早さんが春香に譲ろうとしていたのは明らかでした。」
だとしたら、どうして千早が望月俊を奪おうとしたのか。
「千早さんは、大学一年の秋になって、テニスサークルを一旦やめました。サークルのみんなは、千早さんが望月さんを巡るバトルに敗れて、それでサークルをやめたんだって噂してました。実際、春香と望月さんは密かに付き合い始めた。」
「にもかかわらず、彼女は再びテニスサークルに戻ってきた。」
「ここからは・・・報道では言われていない話です。」
彼女はそう前置きした。オレンジジュースに口を付け、そして神経質そうにあたりを見回した。
「報道では、千早さんが、望月さんを雪村さんから奪うために、テニスサークルに戻ってきた。そして彼を誘惑したってされてますよね。」
その通りだ。そのせいもあって彼女は「魔女」などと言われる原因になっている。
「でも、それは演技だった。」
「え、演技!?」
星井さんはゆっくり首肯した。
「どういうことなの、演技って・・・。」
「望月さんには、結婚を決められている相手がいた。」
それは報道でもやっていたことだ。雪村さん。中帝大学理事長の孫。彼はその許嫁の子と結婚することが決まっていた。普通だったら、千早が彼と結婚することはありえない。だから、正当防衛を装って、婚約者を殺害したのではないか、そう報じられていたのだ。
「知ってる。それが雪村さんだった。」
「そう。彼は雪村さんと結婚しなければならなかった。だけど・・・これは報道では言われていない話なんですけど・・・彼は別に雪村さんと結婚する必要なんて無かったんです。」
どういうことだ・・・。許嫁とは「将来の結婚を約束した相手」という意味だ。にも拘らず、結婚しなくていいって・・・。
「テニスサークルでは有名な話なんですけど、雪村さんとの結婚は、彼が財閥の跡取りとなる条件に過ぎないんです。つまり、彼が財閥の後継者の地位をお兄さんに譲っていれば、彼は雪村さんと結婚する必要なんて無かった。だけど・・・彼は財閥の後継者という地位と・・・春香との結婚という、決して両立することができないこの二つを同時に得ようとした。そうするためには、望月先輩ではなく、許嫁の方に問題が生じて、縁談がダメになる以外の方法はない。」
「まさか!そのために、千早は雪村さんを!?」
星井さんは視線を落とした。
「きっと計画はこうだった。千早さんは望月さんと付き合う演技をしてイチャイチャする。そうすれば、望月さんに依存している雪村さんはひどく嫉妬する。雪村さんは、彼の許嫁だけど、彼がその気になれば、全てを捨てて千早さんとの愛に走る可能性がある、雪村さんはそう思うはず。彼女はもっと焦ることになる。そこに恋に敗れた春香が彼女を炊きつける。そしてあの子に、千早さんを襲わせる。」
「襲わせたところを、返り討ちにする計画だったのね。そうやって彼女が死んでしまえば、縁談はなくなる。あとは財閥の力を使って情報をもみ消す。」
「・・・本当に殺すところまで考えていていた訳ではないと思う。雪村さんに襲わせて、そこを望月さんが助けるはずだった。でもそこに誤算が生じてきた。」
「誤算」という星井さんの言葉が震えていた。
「望月さんが、本気で千早さんのことを好きになり始めていた。」と星井さんは言う。
「演技のつもりが、本気になってしまったという訳ね。」
「本気になり始めていたのは、彼だけじゃなかった。春香もそうだった。」
春香も・・・?
「春香は、雪村さんを炊きつけるために、千早さんへの恨み節を募らせる役割だった。なのに・・・」
「本気で春香は、千早に対して憎しみを抱くようになってしまった」
「・・・バカな・・・。あの子がそんな・・・。信じられない。あれだけ『千早ちゃん、千早ちゃん』って言っていた春香が・・・千早を本気で憎むなんて。」
そういえば、どうしてこの子はここまで知っているんだ?もしこの話が本当だとすれば、これは3人による計画殺人じゃないか!
「ねぇ、星井さんはどうしてこんな話を知っているの?普通知り得ないですよね。もし誰かが知っていれば、たちまち大騒ぎになる。」
私は責めるような口調で、彼女に尋ねた。彼女はうつむいたままに答える。
「気づいちゃったの。」
「気づいた・・・。」
「3人が演技をしている。そして、縁談を止めさせるために、何か悪いことをしようとしているって。多分・・・気づいたの、ミキだけだと思う。」
「どうして止めなかったの!?止めなかったら、どうなるか、分かってたでしょ!」
彼女は首を横に振った。
「止めようとした。だけど・・・私には・・・無理だった。」
「無理なことないでしょ!?こんな計画が露呈した時点で、中止しなければどうなるかはいくらあの子たちでもわかるはず。すぐに刑務所行よ。」
「千早さんに頼まれたんです。黙っておいて、って。」
「そんなの関係ないでしょ!?」
彼女は顔を上げた。
「あなたにできるんですか?自分を犠牲にしてまで、春香の幸せを本気で願っている彼女を止めることが!・・・私にはできなかった。」
「私だったらできた!東京まで行って、あの二人の横っ面引っぱたいてやったわよ!」
星井さんは、せせら笑う。最大限の嘲笑を含んだ笑いだ。
「何がおかしいのよ!?」
「春香と千早さんがどんな生活を送っていたかも知らない人が、どうやって止めるんだろうって。秋月さん、春香と千早さんの親代わりだったんですよね。失礼ですけど、にも拘らず、あなたは、彼女たちのことは何も知らなかった。知ろうともしなかった。違います?」
「ぐっ・・・。」
確かにそうだ。私は、恐れていたのだ。彼女たちのことを。彼女たちが、深い絆で結ばれていることは知っていた。異常なほどに深い絆。その絆の先が、どす黒いもので着色されている。そんな気がしてならなかったのだ。
私はそんな深淵を覗くことができなかった。覗くための機会はいくらでもあったのに。
「東京での暮らしが始まって、秋月さんは、春香と千早さんがどんどん自分の手から離れていったことに気付いていた。そしてそれと同時に、二人が『何か見えない事』を始めたことに気付いた。だけど、秋月さんはそれに関わろうとしなかった。怖かったから。あなたは、あの二人の仲にあるどす黒いものから目を逸らしてきたんです。目を逸らして、表面的な、そういう都合のいいものだけを見てきた。違います?」
美希は私の携帯電話、そしてカバンを指さした。悔しいが、正論だ。まさにその通りだった。私は・・・2人を恐れていた。彼女たちの心の深淵にあるものに、酷く恐れていた。
今の話を聞いて一つ気になったことがある。確かに二人の友情は堅く結ばれているように思える。だけど、この「演技」には、千早にメリットがない。
「星井さん、一つ聞きたいんですけど、この作戦、千早には利益があったのかしら。千早は危険な目にあってしまう、下手したら本当に命を落としかねない。そんなことをする千早個人のメリットは?」
「春香を幸せにできる。」
「それが『千早のメリット』なの?」
「うん・・・。ミキは・・・私は、この2人が言いようもない何か特別な絆で結ばれていることに、なんとなくですけど、気づいていました。感じませんでしたか?千早さんから出てくる、『蒼いオーラ』。」
「『蒼いオーラ』?」
「私、感じるんですよ。千早さんからは、オーラが出ている。世の中の、色々な闇を知ってしまって、絶望したことのある、そんなオーラ。きっと彼女は、私なんか想像もできないような大変な人生を送っている。そう確信したときに、私は・・・彼女を止めることができなかった。そんな彼女が決断したことなんです。きっと、私なんか想像もつかないような悲壮な決断だったに決まっています。それを妨害するなんて・・・、私にはできない。」
「それでも・・・止めなければならないものは、止めなければならないんです。」
彼女がまた笑っている。
「どうしたのよ?」
私は睨むようにしながら尋ねる。
「ミキは・・・悩んでいたの。この事、誰かに言うべきかって。こんなの放置していたら、大変なことになる、それが分かっていたから。悩みに悩んで・・・そして気づいてしまったの。私が動けなかったのは、それだけじゃない。・・・望月さん。彼は、望月財閥の後継者。もしも私の告発によって、彼が失脚してしまったら、それこそ数多くの人の前途が狂うことになる。私がいたテニスサークルだって、彼が財閥を引き継ぐことを前提に動いていた人・・・就職をあっせんしてもらう予定だった人、何人もいたんですよ。そんなことをしたら、私はいろんな人から恨まれることになる。私の身は・・・持たないですよね。」
確かに、今回の事件でも明らかになったように、望月財閥の裏側には、非合法的な集団がついていた。もし星井さんの告発によってすべてが露見すれば、彼女はいろいろな人から恨まれ、その身を追われることになってしまう。
「結局、ミキはなんだかんだ言って、自分のことしか考えてなかったの。それに、千早さんから口止め料もらっちゃったし・・・。ミキはそういう人間。幻滅しました?」
私はほのかに笑った。私なんかより、数百倍もマシだ。私は、二人のこと、何も知ろうとせずただ逃げ回っていた。そんな私なんかより、春香と千早の幸せについて真剣に考えて、その上で決断した彼女の方が何百倍もマシに決まっている。口止め料だって、彼女は本当は受け取りたくなんかなかったはずだ。
「全然。・・・ごめんなさい。私、あなたの気持ち、考えてなかった。私なんて、彼女たちのこと、全然・・・気にかけることすらしていなかったんだから・・・。私には、あなたを責める資格なんてあるはずがない。それに口止め料だって、本当は返したくて仕方が無かったんでしょ。」
星井さんは、見透かされたかのように、下を向いてしまった。やっぱりそうみたいだった。
会話が止まってしまう。私は腕時計を目にした。カラオケ店に入ってから、大よそ一時間くらいが経とうとしているようだ。
「今度は、私から質問しても良いですか。」
星井さんが声をかけてきた。
「どうぞ。」
「単刀直入に聞きます。どうして、秋月さんは、私に連絡を取ってきたんですか。」
彼女の連絡先は、以前、千早から教わっていた。正直言って、千早から『全てを話す』なんてことを言われなければ、私は連絡を取ろうとすら思わなかったであろう。事実、あの事件が起きてから5年間、私は星井さんに連絡を取ろうと思ったことはなかったのだ。
「千早から、『会いたい』って言われたんです。『全てを話したい』そう言ってました。」
「それで?」
「事前に聞いておきたかったんです。千早に親しい者たちが、今何を考えているのか。どんなことを知っているのか。」
星井さんがまた何かを見通そうと、私の目を見つめている。
「つまり、怖かったんですね。」
私はハッと驚いた。まさか、それすら見抜かれていたというのか。私は首をひねってにやりと笑った。
「本当に、あなたには隠し事できないんですね。」
「ミキも、困っているの。何でも見通しちゃうから。見たくないものまで見えてしまう。」
人の心が読めてしまうのも、それはそれで辛いものなのかもしれない。
「その通り。私は怖かった。『全て』教えてくれる。あの子が抱えている『全て』を、私は知ることになる。多分、誰にも言っていないんでしょうね。『全て』なんて。」
「少なくとも、私は教えてもらっていないの。」
やはり、私にだけ、話してくれようというのか。
「あの人には、全て伝えたんでしょうね。」
私はそうつぶやいた。
「あの人?」
「望月俊ですよ。千早の婚約者。」
その名前を出した瞬間、露骨に彼女の顔が曇った。
「どうしたんですか?」
「私・・・あの人・・・。やっぱりいいです。」
なんだ?すごく気になるぞ。
「せっかくだから、教えてください。」
「でも・・・。」
「ここで星井さんが話してくれたことは、墓場まで持っていきますから。」
そう述べると、彼女は少し惑った様子を見せたが、最後には口を開く決心を固めたようであった。
「私・・・あの人のこと、信頼していないんです。というより、信用できない。」
信用できない・・・?
「その理由は?」
「・・・うまく言えないんですけど、あの人には・・・なんだか裏がありそうな気がするんです。」
彼は今や望月財閥を一手に率いる若きリーダーだ。確かにスキャンダルに塗れたが、巧みな政治力で大株主の支持を維持し、財閥の創業家支配を守り抜いた。しかも業績は悪くない。それどころか、望月製薬が不老不死を実現させるかもしれない画期的な医薬品の開発に成功して、これから業績はうなぎのぼりになるとされている。
確かにそういう人なら、秘密の一つは二つはあってもおかしくはない。だけど、あの人は、千早のことを愛しているはず。
「たとえ裏があったとしても、彼は千早を心の底から愛しているんでしょ?だったら、一番に信用すべきは彼なんじゃないの?」
星井さんは、おやじ臭く腕を組んだ。そして目をつぶって考えている。
私はその様子をじっと見つめていた。そして彼女が目をゆっくりと開き、腕組を解いた。
「ねえ、秋月さん。望月俊は、本当に春香と千早さんのことを考えていたのかな?」
「それ、どういうこと?」
「もし彼が本当に二人のことを考えていたのだとしたら、二人をこんな危険な道に誘うと思います?」
「・・・それしか方法がなかったんじゃないでしょうか。財閥の相続と春香との結婚、それを両立させる道は。」
「そうじゃないんです。この計画がいかに危険か、それは彼自身が一番よくわかっていたはず。下手をすれば、千早さんが死んでしまうかもしれない。にも拘らず、この計画を強行した。もし本当に彼が二人のことを想っているんだったら、たとえどれほど直接的な愛を与えられなくても、彼女たちにとって最も安全な方法を取っていたはず。いや・・・違う。もし本当に彼が二人を愛しているんだったら・・・二人を振っていたはずなの。」
二人を振る・・・。
「自分と結婚することはできない。他にもっと幸せになれる道がある。そう諭して、別の道を探させるんじゃないかな。でも彼はそうしなかった。そして、千早さんが傷つくかもしれない道を取った。それって、結局、千早さんのことなんて、どうでもよかったんじゃない?自分のことしか、考えてなかったような気がするの。」
星井さんの言っていることは、正論だ。でもなんだか、少し突飛に過ぎるような気もする。
「そこまで言うのは、何だか酷なんじゃないかしら。」
「そうかな?俊も、財閥のリーダーなら、それくらいの判断ができないと困るの。そうしないと、大きな判断ミスをして、多くの社員を路頭に迷わせることになりかねないと思うな。実際、この一連の事件のせいで、望月財閥は大いに傷ついた訳だし。」
この子・・・見た目以上に大人だ。そして、勇気がある。
「もう一度、今度は私から質問させてもらっていい?」
私が星井さんに質問を投げかけることにした。
「いいですよ。」
「・・・千早とは、どれくらいの頻度で会っています?」
「事件があった直後は、割と頻繁に会っていました。千早さんのことがものすごく心配だったし、世間がああだから。彼女も傷ついているんじゃないかって思って。だけど、しばらく経って・・・私は会う頻度を少しずつ減らしていったんです。」
「それはどうして?」
星井さんが苦虫を噛み潰したような顔をする。苦悶に満ちた表情と言えばいいのだろうか。そんな辛そうな表情だ。
「今の千早さんは・・・私が知っている千早さんじゃないから。」
今の千早は、彼女の知っている千早ではない・・・。そうだ。今の千早は、私が知っている千早でもない。
「あの子は、確かに変わってしまったわ。」
「私が知っていた千早さんは、もっと『色』があった。怒ったり、悲しんだり、笑ったり、喜んだり、一緒に楽しんだり、とにかく感情があった。だけど今の彼女は・・・機械みたい。」
機械ね・・・。彼女の言う通りだ。
「まるで心がないみたい。どこか遠くに、置き忘れてしまったかのよう。私が面白いことを言って、千早さんは笑ってくれるのに、その顔は『笑顔』じゃない。作られた・・・なんていったらいいんだろう。まるで、ロボットと会話しているかのように、そのリアクションが、予定調和なんです。」
彼女の言いたいことはなんとなくわかる。私も彼女と同じ印象を持っているのだ。千早の反応は、何だかあらかじめ用意されていたような気がするのだ。一定のリアクションしかしてくれない。返答も適当というよりか、バリエーションがない。私は、少し出来のいいAIロボットと話しているような印象を受けたのだ。例えば、「Siri」みたいなAI。
「千早さんは・・・ずっと暗い地下室に閉じ込められていたんですよね。春香と一緒に。」
あの女の遺書によれば、二人は一緒の部屋にいたらしい。そして、二人は「殺し合い」をした・・・。
「私・・・千早さんの心は、まだあの暗い地下室で眠っているような気がするんです。いや・・・もっと言えば、彼女の魂は、あそこで死んだ春香の魂と一緒に、あの地下室に眠っている。私には、そんな風に感じる。」
星井さんの表現はどこか詩的だ。だが、言いたいことはなんとなくだが分かるような気がする。
「ずっと、隠しているんですね。あの『監獄』の中であった出来事を。」
「それだけじゃないと思うの。」
それだけじゃない・・・?
「千早さんは・・・もっと大きなことを隠している。誰にも言えないような何かを。」
隠している・・・。確かに、正直私にも感じるところがあるのだ。この子は、絶対に人には言えない深い闇を抱えている。
星井さんは真剣なまなざしで私を見つめた。
「秋月さん、お願いです。千早さんを・・・彼女を、救い出してください!」
星井さんは深々と頭を下げた。
「ちょっ・・ちょっと、そんな・・・頭を上げてくださいよ・・・。」
「私には・・・ミキにはできなかったからぁ!千早さんの心・・・取り戻せなかったからぁあ!」
頭を垂れている彼女の顔から、ポタポタと涙がこぼれている。私は立ち上がって、反対側に周り、彼女の隣に座った。
「星井さん・・・。」
彼女はゆっくりと頭を上げた。その目は、涙であふれていて、紅くなっている。鼻周りもそうだった。
「ミキはぁ思い知らされたの。ミキはどこまでぇ行っても、千早さんにとって単なる『友達』に過ぎぃないって。千早ぁさんのことを一生懸命考えて、心の支えになりぃたいと努力しても、その努力は叶わない。千早さんにとってぇ、ミキはぁぁあ・・ミキはぁぁ・大切な人じゃないぃ!」
星井さんは、顔をゆがませて、声を殺して泣いている。
この子は本当に、千早のことが好きなんだな、それがよくわかる。だけど、この子は、千早のことを好きすぎるあまり、一番大事なことを見落としているように思えた。
「星井さん・・・いや、美希。」
彼女が驚いたような表情を見せた。私は、はにかんだ。
「それは、美希が千早に大切にされていることの何よりの証拠よ。」
「どうして、そうなるのよ・・・。」
「簡単な話。千早は、美希を巻き込みたくないのよ。自分に関わると碌なことにならない。それは本人が一番よく自覚していると思うから。」
「だからっ!私には心を開いてくれないの!?」
「それは違うわ。美希に対して、心を開いているからこそ、彼女は心を閉ざしているの。本当は・・・美希に甘えたくて仕方がないんだと思う。」
「そんなの・・・分からないじゃない!?アンタなんて、千早さんのことほったらかしにしてたくせに!なんでそんなことわかるのよ!」
痛いところを突かれる。確かに私は、長い間、千早から目を逸らしてきた。だけど、私は、千早とは1年以上も一緒に暮らしていたのだ。
「あの子の性格、分からない?千早は、相手が大事な人であればある程、自分を犠牲にして相手を守ろうとする。自分を危険に曝してまで、春香を幸せにしようとしたようにね。」
彼女は少しだけ体を制止させた。そして何かを思い出したようであった。
「・・・そういえば千早さんは・・・ずっと前のことだけど言ってたの。『美希を巻き込まない』って。」
私は頬を緩ませた。
「そういうことよ。」
「そういうこと・・・か。じゃあ、なんで秋月さんには・・・。」
冗談を言ってみることにした。
「私は、大切だと思われてないってことじゃないの?」
しかし、星井さんが笑うはずもなかった。
「・・・面白くもなんともないの。」
「・・・すみません。」
美希が真相を答える。
「家族だからでしょ。秋月さんと千早さんは。あなたは、千早さんの親代わりだった。だから、全てを話す決心をした。」
多分そういうことなんだろうと思う。別の言い方をすれば、彼女には言えなくて、私には言えること・・・それがあるということだ。
「あるいは・・・。」
星井さんが言う。
「あるいは、千早さんは、秋月さんに助けを求めているのかもしれない。」
「私に?」
「ただ単に、全部を話してスッキリしたいだけだとは・・・なんだか考えられないような気がするんです。話して・・・その上で、秋月さんに何かを期待している。だって、話すだけだったら、もっと早く話すことだってできたはずじゃないですか。なのに、あの事件から5年も経って、『全て』の真相を話すなんて・・・しかも、彼女にとっては、これから幸せの絶頂になるはずなのに。それこそ、全ての過去を葬り去るチャンスのはずなのに。敢えて語ろうとする。」
「この時期に、敢えて私に話そうとすること、それ自体に何か意味がある、そういうことね。」
「そうです。」
千早の意図は、正直分からない。彼女は電話ではなく、直接会って話したいと言ってきた。
「千早は私に・・・電話ではなくて直接会って話したいって言ってきたの。」
「それはつまり、実際に会わないと意味がない『何か』があるってことだと思うの。」
でもそれが何なのかは、分かりようがない。
プルルルルルルル。
ボックス内の室内電話が鳴り響く。星井さんが受話器を取る。
「・・・はい、はい・・はい。ちょっと待ってください。」
星井さんは受話器の口を抑えながら、私に聞いてくる。
「延長、します?」
もうそんな時間だったのか。気づけば2時間近くが経とうとしているところだった。本当はもう少しのんびりとしていきたいところなのだが、先約がある。そういう訳にはいかない。
「いや、遠慮しておくわ。他にも約束があるから。」
星井さんが受話器に向かって話した。
「延長は必要ないです。もうすぐ、出ますので。」
彼女は受話器を置いた。
「つまらないなー、せっかくカラオケに来たのに。」
星井さんは、不服そうだった。
「ごめんなさいね、他の約束があるものだから。」
「どうせ、でこちゃ・・じゃなくて、水瀬さんでしょ?」
げげっ、それも筒抜けなのか。
「さすがに同じ日に会おうとしたら、分かりますよ。私たち友達なんですから。」
連絡を取り合っていたという訳ね。
私は彼女に述べた。
「せっかくなら、3人で会えればよかったんだけど、水瀬さんがどうしても2人切りじゃないと話さないって言われちゃったから。」
「それは・・・彼女のなりの配慮だと思うの。」
「配慮?」
「ミキには聞かせられない話が、多分五万とあるんでしょうね。デコちゃんは、その話をミキの耳に入れないために、ミキを外したんだと思います。」
デコちゃん・・・?
「それってあだ名なの?『デコちゃん』って。」
「そうですよ。」
「何で?」
「おでこが広いから。」
ふ、ふーん。
「別に禿げている訳じゃないよ。6・4分けにしていて、おでこが見えているってだけ。」
「みんなそう呼んでたの?」
「うんうん、ミキだけだと思います。」
だよね・・・。
「まぁ、本人も諦めて受け入れてるし、これでいいんだと思います。」
「というよりかは、あなたがごり押しして認めさせたような気がするんですけど。」
「えへへ、まぁそうともいう。」
やっぱりね。
「さて、そろそろ出ましょうか。」
彼女がカバンを手に取った。私も反対側に回り、カバンを手にした。
「あっ、そうだ。」
急に星井さんが声を上げた。
「一つ気になっていることを思い出したんです。」
「なんですか・・・?」
「千早さんが解放されて、私に初めて対面したとき、しつこく聞かれたことがあったんです。春香が拉致された日に、春香から電話がかかってこなかったか、って。」
「春香から電話?」
星井さんは頷いた。
「私の記憶には、春香から連絡がかかってきた記憶はありませんでした。着信履歴も確認したんですけど、やっぱりその日、春香から電話はかかってきていないんです。そのことを何度も確認された・・・それって一体何だったんでしょうね。」
春香から星井さんあてに電話がかかってきたかどうか、それがそんなに重要だというのだろうか。
そういえば私も、千早から尋ねられていたんだった。
「実は私も、あの事件後千早に初めてあった時に、春香が拉致された日、春香から電話がかかってこなかったかって聞かれたんです。」
「掛かってきたんですか?」
「ええ。2回かかってきたんです。1回は、自殺を仄めかす内容で、もう1回は取れなかった。私、春香が自殺するって言われて、慌てて春香に会いに行ったんです。それで東京に向かうために飛行機に乗っていた。その時に電話がかかってきた、だから取れなかった。」
「千早さんが私だけじゃなくて、秋月さんにも聞いていた・・・。ということは、そのことには、何か特別な意味がある、そういうことなんじゃないでしょうか。」
確かに、少し気になるところではあった。
「それも、千早さんに聞いておいてくださいね。」
「・・・ええ。分かりました。」
そして星井さんはおもむろに立ちあがり、ほっこりとした笑顔を作る。
「今度、一緒にカラオケしましょう。ミキ、秋月さんのこともっと知りたい。」
彼女の人懐っこい笑顔にドキッとさせられる。かわいい。そんなところはどことなく春香に似ている気がする。
「ええ。そうしましょう。次、いつ東京に出てこられるか分からないけど。」
「なるべく、近いうちね。」
「無茶言わないの。」
千早がこの子を好きになる理由がなんとなく分かってくる。どことなく、春香に似ている気がするのだ。あの人懐っこいところが。
私たちは、一緒にカラオケ店を出て、そこで別れることになった。