第5節 『もう一通』の手紙 天海春香
私は三つ折りにされた手紙を開いた。中にはこんなことが書かれていた。
春香へ。
寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。私は今、水瀬の家の中で、こうやって寂しく手紙を書いています。
こんなことになってしまって本当にごめんなさい。全ては私がいけなかった。私が水瀬の家を裏切って、秀幸お兄様にお父様が研究していた不老不死の秘法を渡してしまった、そのせいでこんなことになってしまった。
春香。あなたには知っておかなければならないことがある。この一連の事件の真相、それについて。
この間、私はあなたに「春香の母親は拉致された」と言った。あなたの母親は、実は2回拉致をされている。1回目が今から約二十数年前、そして2回目が、あなたが高校2年生のとき。
1回目に拉致されたのは、あなたの母親が不老不死研究への協力を拒んだから。だから、あなたの母親は拉致されてしまった。そして春香の母親は、人体実験にさらされた。多くの細胞をむしり取られた。そうやって望月財閥は不老不死細胞の研究を進めていた。
しかし、望月財閥の不老不死研究は容易に進まなかった。しかも、検体である母親から取れる細胞には限度があった。だから、望月財閥は、春香の母親のクローンを作り出そうとした。不老不死細胞を受け継いだクローンから、また細胞をむしり取るためにね。
信じられないかもしれないけど、春香は、あなたの母親の純粋クローン。あなたの母親のうつしみなの。
春香の母親は、クローン生殖細胞をお腹に宿された。そしてその子は、彼女のおなかの中ですくすくと育っていった。出産予定日の数日前になって、彼女はある病院に移された。でもそこで信じられないことが起こった。彼女が病院から逃げ出した。まさか逃げるとは思っていなかった財閥の裏をかく形で、奇跡的に逃げ果せた。
そうして彼女は春香を生み、遠い富山の街で望月財閥の陰におびえながら、生きてきた。
幸いだったことに、望月財閥も不老不死研究を諦めかけていた。あまりに現実離れしていたと実感していたからだ。だから、あなたの母親も追われずに済んだ。だけど、ある技術の誕生が、おぞましい野望を復活させた。
それがiPS細胞だった。簡単に細胞の複製ができるとあって、不老不死細胞も飛躍的に増殖させられると考えた望月財閥は、血眼になってあなたの母親を探し始めた。
最初の拉致から17年後、望月財閥はついにあなたの母親を見つけてしまった。そしてあなたの母親は拉致されてしまったの。
だけど、あなたは拉致されなかった。その理由は、とてもつらいものだけど、ちゃんと受け止めてね。その理由は、あなたが失敗作だったから。あなたに不老不死細胞は宿らなかった。普通の人と同じくらいしかサーチュイン遺伝子がなかったの。だから、あなたは拉致されなかった。
そしてあなたは、長くても25年しか生きられない。長くても、あと4年近くしか、生きることができない。当時のクローン技術は非常に稚拙で、母体の寿命の半分も引き継ぐことができない。やがて、春香の全身の細胞のガン化が始まってしまう。それを治療する技術は、現代の医学では存在しない。
俊がこれらのことをどこまで知っているかわからない。もしかしたら、私よりももっと多くのことを知っているかもしれない。
如月千種にこの場所が知られてしまっている以上、春香がここにいては危険よ。逃げるしかない。そして逃げるあてを用意できるのは、俊しかないわ。
今は逃げて耐えるしかない。彼なら間違いなく、秀幸お兄様と如月千種の魔の手を振り払ってくれる。裏切者である私は、もう彼の縁談の相手ではない。あの二人の脅威を退けることができれば、春香には俊と一緒になれるチャンスがまた訪れるわ。
とにかく一つはっきりしていることは、この窮地を何とかして、そして春香を幸せにできるのは、俊しかいない。だから、俊に頼って!俊は絶対、あなたのことを受け入れてくれるはずだから!
「なに・・・これ・・・。」
手紙はここで打ち切られていた。手紙の端端には、水滴が垂れたような跡が見て取れる。きっと、伊織が書きながら涙した跡だった。
信じられなかった・・・。私が「クローン」・・・?
あと4年しか生きられない・・・?
とても現実離れしている。そんなこと・・・どうやって信じろっていうの・・・。
でも、あんな状況になってまで私に伝えようと思って書いてきた手紙だ。嘘でたらめが書いてあるとは到底思えない。
望月先輩が何かを知っているというのだろうか。何もかも信じられなかったが、とにかく彼に連絡を取ってみるしかない。
私は震える手で携帯電話を手に取り、先輩へと連絡をつけた。
幸いなことに、今回は4コール目で電話がつながった。普段つながらないことが多いだけに、不幸中の幸いだった。
「春香・・・どうしたんだい?」
「先輩・・・。」
自分の存在が途端に薄気味悪くなって、勢いで電話をかけてしまったが、いざ電話口に出てみると、気後れして、二の次が出てこなかった。
「春香?」
「先輩・・・。私・・・。」
心音がバクバク鳴り響くのを感じる。頭がガンガンと揺れているように、血管が脈打っているように感じる。
「私って・・・。く・・クローン・・なんですか・・・。」
やや間があって、先輩が言葉を返す。
「な・・・なんだ・・・春香、どうしたんだいったい藪から棒に。」
おどけているように聞こえるが、内心の動揺が伝わってくるようだった。
「ごまかさないでください。私・・・あと4年しか、生きられない・・・そうなんでしょ。」
「・・・・・。」
先輩は黙っている。知らないなら素直に「知らない」といえばいいのに、それすらしない。やっぱり先輩は何かを知っているんだ。私が知らない何かを!
「先輩!」
呆然としていたようだった先輩が、声を出した。
「ああ・・・。話はあとで聞くよ。実はこっちもかなり厄介なことになってる。ここで話すというのも、少し具合が悪い。ホテルを予約するよ。そこに来てくれないか。そこで、ゆっくり話そう。時間は今日の午後6時。新宿にある望月グランドリゾートホテルに来てほしい。そこで話を聞く。ロビーで待ち合わせだよ。いいね。」
それだけ言うと、先輩は一方的に電話を打ち切ってしまった。
心臓がバクバク鳴りっぱなしだ。自然と乾いた笑いが出てしまう。おかしいよね。さっきまで、自分から死ぬ決意を固めていたというのに、自分の死期がこうやって明確にわかってしまうと、それに動揺してしまうなんて。
私が失敗作のクローンだった。だとすれば、私には最初から希望なんてなかったんだ。生まれた時から、生きる希望なんてそもそも存在していなかったのだ。
そう考えると、なんだか途端に体の力が抜けてしまった。死んでしまうのはしょうがないとして、生まれた時から不幸が確定したなんて考えると、今まで私が幸せになるためにしてきた努力は何だったのかと、自問してしまうのだ。そして無力感にさいなまれる。
私はその場で横たわっていた。動きたくない。何にも考えられない・・・。
しばらくぼーっとしていた。気づけば時刻は4時になろうとしている。約束の時間は6時だ。もう時間がない。とにかく、先輩との約束は守らないと。
私はそれだけの思いで、重くなった体を持ち上げて、ふらふらと立ち上がった。何をもっていけばいいのだろうか。それすらもわからないまま、私は家を出る準備を始めた。
意識がもうろうとしていても、女の子としての意識が働いていたのか、一応のおしゃれはしていこうとしていた。緑色のインナーを中に来て、その上にピンク色の半袖シャツを着ていた。そして下はグレーのショートパンツ。靴下は、水色のハイソックスだった。少し寒かったから、その上からフリースを着ていた。
気づけば私は電車の中にいた。どこをどう歩いたのかもほとんどわからないほどに無意識に、私は京王線に乗っていた。新宿へと向かう電車の中、まだ長くない陽が傾いていくのが分かる。今日は晴れだった。
さっそく私は、新堂さんとの約束を果たせそうにない。私はあと数年で命をむしばまれてしまうのだ。新堂さんの真剣なまなざしを思い出して、申し訳なさでいっぱいになった。頭の中に出てくる彼を何とかして消そうとするのだが、私に訴えかける瞳が頭の中から離れることはない。
新堂さんの言う通りなのだ。今や伊織のことを守ってあげられる人はいない。私しかいなかった。いや・・・美希がいるじゃないか。彼女だったら、伊織のことを・・・。任せられる・・・。電車を降りたら、美希に電話をかけよう。
いや・・・今は止めておこう。こんな暗いテンションの私の声を聴かせたくない。直ちに私がここからいなくなってしまうわけではないのだ。もう少し、落ち着いてから電話をしよう。
ただ、お母さんには電話をしておこう。自殺するなんて言ってしまったから、お母さんは多分血相を変えて、こちらに向かおうとするはずだ。とりあえず自殺は思いとどまったのだから、電話しないと。
そう思って携帯電話にかけてみたのだが、電源が入っていないのか、繋がらなかった。
頭の中を一つの事象が駆け巡る。私は「失敗作の母親のクローン」。こんなこと・・どうやって受け入れればいいのだろうか。世の中広しといえども、自分がクローンである人間なんているはずがない。そんなのは映画の世界だ。
それにそもそも、私は「レイプの末に生まれた子供」だったはず。母親は何か月も監禁されて、そこで男たちに暴行を・・・。まさか、それ自体が嘘だったというのだろうか。伊織の手紙を見れば、お母さんは確かに数か月以上にわたって監禁されていたことになる。その事実と符合する。だとしたら、お母さんは、私が自分の「クローン」であるという事実を隠すために、わざとそんな嘘をついていたというのだろうか。
それに・・・先輩はこのことを知っていたというのだろうか。知っていて、あえて黙っていたというのだろうか。だとしたら、どうして?どうしてそんな大事なことを黙っていたというの?
分からない・・・何もかもわからない。考えたくない。
体が震えてくる。寒いからというわけではない。自分が置かれた運命が、あまりにも意味不明すぎて、よくわからない恐怖感で震えが止まらないのだ。こんなことがあっていいはずがない。これはきっと現実じゃないんだ。
これは悪い夢で、私はそこから覚めるのを待っているんだ。そう思って、ほっぺをつねったりしても、痛覚だけは、この世界が現実だということを示していた。
陽がすっかり落ちかけたころ、私は大都会新宿駅に到着した。私は都会の迷宮である新宿駅を抜けて、西新宿の望月グランドリゾートホテルへと向かった。約束の時間より少し早く現場に到着できそうだった。
林立する高層ビルの最中を、カバン一つ持った私がふらふらと歩きながら通り抜けていく。周囲の人間からすれば、私はただの酔っ払いにしか見えないことだろう。
5分ほど歩いたところで、私はホテルに到着した。
眩い光に照らされて、豪華絢爛に光り輝いているホテルロビーの中央で、私は先輩が現れるのを待っていた。
6時5分前になって、彼が小走りでホテルのロビーに入ってきた。
「・・・先輩・・・。」
私を見つけると、先輩が急いで私の方に向かってくる。
「春香、お待た・・・せ。待ったよね。」
私は下を向いて無言のまま何もしゃべらない。先輩もまるで元気がない。完全に疲れ切ってしまっているかのようだった。
「そっか・・・。受付を・・・済ませてくる。」
そのまま先輩はフロントの方に向かってしまった。ホテルの眩い光がうっとうしい。今の私にはあまりにも不釣り合いに過ぎる。このホテルに泊まる人間は、みんな何かしらの成功者なのだ。それに比べて、私は生まれつきの敗者だ。そんな人間が浴びるべき光ではない。
私はうなだれて、ただぼーっとロビーで立ち尽くしていた。やがて、彼が受け付けを済ませてこちらに寄って来た。
「春香・・・大丈夫・・・?」
先輩が恐る恐る尋ねてくる。私は無言のまま何もしゃべらない。
「大丈夫じゃなさそう・・・だね。場所を移そう。予約を取った部屋に行こうか。食事も・・・そこに持ってくるよう頼んであるんだ。さあ。」
先輩が私の手をつかんで、引っ張るようにエレベーターホールへと向かった。先輩の手は、やたら冷たかった。先輩の眼を見た。彼の眼はどこか虚ろになっている。いつもの先輩じゃない。
先輩のエスコートで12階へと到着した。用意されたのは、エレベーターホールに近い、「1206」の部屋だ。
「さあ、どうぞ。」
カードキーを持った先輩が手慣れた手つきで、ドアのセキュリティを解除する。中に入ると、そのカードキーを左側にある赤いランプのついたところに挿し入れる。部屋の中の電気が一斉についた。
部屋はシングルベッドで、壁には三面鏡と机が置いてある。そしてベッドの隣には、もう一つ背の高い机があり、その周りに4つ椅子があった。ごく一般的なビジネスホテルにちょっとしたデコレーションが加えられたような部屋だった。
私はおずおずと中に入ると、力なくベッドの上に座り込んだ。
「のど乾いたでしょ・・・。何か飲みたいものある?」
「いえ・・・なんでもいいです・・・。」
好きだった先輩に会えたというのに、全然うれしくない。むしろ、今は彼に対して疑念を持っているのだ。この人は、私の何を知っているのか・・・。何を隠していて、なぜ隠しているのか。時折見せていた笑みさえも、どこか不気味に感じてしまうのだ。
先輩は冷蔵庫から緑茶を取り出した。先輩はオレンジジュースを飲むということらしい。先輩も私の隣に着席し、プルタブを開けて乾杯する。
お互いに一口飲み物を飲んで、それから先輩が話を始めた。
「春香・・・さっきの電話のことなんだけど・・・いったい何があったんだ?その・・・『クローン人間』だなんて。」
私はカバンからある書状を取り出した。新堂さんが私に届けてくれた、伊織からのメッセージだった。
「見せてもらっていいかい。」
先輩はそれをひったくるように私から取り上げると、内容を熟読し始めた。そしてしばらくして、私にそれを突き返した。
「どうなんですか、先輩・・・。」
先輩はふらふらっと立ち上がって、窓の方に向かっていった。飲み物をテーブルの上に置く。そして窓ガラスに両手をついた。
「先輩・・・?」
明らかに先輩の様子がおかしい。先輩はそのままくるりとこちらのほうを向いて、窓ガラスにもたれかかるようにしてしりもちをついた。うなだれて下のほうを向き、その頭を両手で抑えている。
「・・・全部、その手紙の通りだよ。」
そんな・・・。
「春香には・・・知られたくなかった。何もかも・・・。」
「どうして!どうして黙っていたんですか!こんな大事なこと・・・。」
先輩が両手で顔面を抑えた。
「こんな大事なことだから、教えたくなかったんだ。春香は・・・こんな言い方、僕だってしたくないけど・・・本当はこの世に受けるべき命じゃなかった。」
「何ですって・・・。」
「全ては、望月剛三郎。僕の父親の野望が始まりだった。親父の目的は、不老不死細胞を作りだし、一般的な医薬品化をすることで、不老不死を実現すること。表向きは、生命の秘法を生み出すことで、莫大な富を望月財閥にもたらすことだった。だけど、それはあくまで表向きの理由に過ぎない。」
「真の目的は・・・?」
「・・・親父の究極の目的は、自分が望月財閥を永遠に支配し続けること。永遠の命を手に入れて、永久に財閥を支配する。誰にも相続させず、誰にも実権を渡さず、比類なき富と権力と名声を手に入れ、それを永遠のものにする。それがあの男の真の野望だった。」
そんな馬鹿な・・・。永遠に支配し続けるなんて、それじゃ先輩はずっと・・・。
「僕があの細胞のことを知ったのは、本当に偶然だった。今から約1年前のある日、僕がある別荘に行ったときのことだ。僕は何の変哲もないはずの別荘の地下に、隠された空間があるのを見つけたんだ。僕が恐る恐るそこに入ってみると・・・本当に驚いたよ。そこにいくつかの部屋があったんだ。そしてその一室の中に・・・君のお母さんがいた。」
「お母さんが!?」
「ああ。驚いたさ。顔も形も春香にそっくりだった。しかも、その女性は部屋に監禁されている。僕は真っ先にその部屋の中に入って話を聞いたよ。そして、その女性は、自分に『春香』という娘がいると告白したんだ。それで確信した。この人は、春香の母親なんだって。」
「先輩はそのとき・・・どうしたんですか?」
「黙って・・・そこから立ち去ったよ。」
私は怒りの形相で立ち上がった。
「どうして!?どうして、助けてくれなかったんですか!?お母さんは、とらえられて苦しんでいたんでしょ!?」
先輩はしばらく無言だったが、私の勢いに気圧されてか、やがて口を開いた。
「望月財閥の闇が関わっているからさ・・・。」
「闇?」
「ああ。考えてみろ。僕が知らない地下室に、僕が知らない女性が囚われていた。当然、親父の仕業だ。その女性をいきなり解放したら、どうなると思う?」
「それは・・・。」
剛三郎さんに詰問されるに違いない。場合によっては、折檻されてしまうかもしれない。伊織の時のように。
「拙速な行動はできなかった。その時の僕はあまりにも何も知らな過ぎた。だから僕は、春香の過去をたどることにしたんだ。彼女に何があったのか、どうして彼女がここにとらえられているのかを知るためにね。そして僕は、春香の戸籍を辿った。そこで驚くべきことを知ったんだ。」
何だろう・・・とても嫌な予感がする。
「僕は君から、自分は母子家庭だと聞いていた。だから、てっきり離婚をしたか、死別したかのどちらかと思っていた。戸籍には君の本当の父親の名前が書いてあると思ったんだ。だけど春香の戸籍の父の欄に、何も書かれていなかった。つまり、春香の父親は不明。春香に父親はいなかった。だけど・・・それだけじゃ、春香がクローン人間だとは思わない。不倫相手の子供だから、認知しなかっただけとか、そうう可能性がある。というよりも、僕もそういう可能性をまずは疑った。」
一呼吸おいて、彼は続けた。
「次に僕は戸籍の附票を見た。戸籍の附票を見ると、その人の住所の履歴がわかるんだ。いつどこから来て。いつどこに行ったのか全部ね。そこで僕はもっと驚いた。春香の母親が、君が高校二年生の秋に、謎の失踪を遂げていた。」
「拉致された・・・。」
「そういうことだ。住所の履歴が記録上『職権消除』となっていた。その場所に住んでいないから、役所が住所の登録を消したんだ。警察の記録も調べて、春香の母親に捜索願が出されていたことが分かった。これで疑いの余地が亡くなった。春香の母親は、春香が高校2年生の時に、うちの手のものによって拉致された。だから捜索願が出されて、住所も消された。一方で、春香の住民票は何故か動いていなかった。母親という唯一の稼ぎ手を失って、家賃が払えなくなっている。だからそこに住み続けることはできない、春香は転居をしたはずだ。にもかかわらず住民票がそのまま。でも春香が母親から虐待を受けていることを考えると、納得だ。春香は母親から虐待を受けていた。だから母親に住所を知られるわけにはいかなかった。だから引っ越しの手続きをしなかった。そうだね?」
まさにその通りだった。
「ええ。」
「そこで春香は、千早の手引きのもと『秋月先生』の家に引っ越して、一緒に暮らすようになった。僕は、春香と千早には特別な関係があると考えて、色々と調べさせてもらったんだ。戸籍を始め、色々な記録を調べさせてもらった。」
この人は・・・全部知ってたんだ・・・。
「そこで僕は千早のいろいろなことを知った。千早は最初『如月姓』じゃなかった。実の父親は、千早が幼い時に死んでいた。そして、千早の母親である千種が再婚して、彼女は『如月千早』になった。そして再婚した父五郎と母千種の間に子供ができた。千尋って女の子だ。だけど、その彼女は、5歳の時に亡くなっている。そしてそれだけでじゃない。再婚した父親も亡くなっていた。今、如月家で生きているのは、千早とその母親である千種だけだった。そして・・・彼女も『秋月先生』のところに引っ越していた。父親である五郎が亡くなってからすぐのことだった。そして、千早の母親、すなわち如月千種は・・・父親が亡くなった後、すぐに自殺未遂をしたんだ。だけど、首吊り自殺を図った際、かなり重症を負ってね・・・そのまま2年間ほど生死の淵を彷徨っていたみたいだった。そして、病院を退院した彼女は、つい最近まで行方をくらませていた。」
それは初めて聞く話だった。
「だから僕は千早に尋ねたんだ。一体、如月家に何があったのかって。」
「千早ちゃんは・・・正直に答えたんですか。」
「ああ・・・。僕のことを信頼してすべて話してくれた。彼女が家族の中で虐待を受けていたこと。実の妹を見殺しにしてしまったこと・・・千早が父親から性的虐待を受けていたこと。そして・・・君が千早を救うために、千早の父親を殺めたこと・・・。」
!
「いいんだ・・・別に僕は二人を通報するつもりはない。僕は二人の行動は、責められないものだと思っているんだ。あんな究極の状況に置かれて・・・僕だってそうしたかもしれない。大切な人を守るためにね。」
本当に、この人は・・・全て知っていたんだ。
私は力なくまた座り込んだ。
「僕が気になっていたのは、なぜ春香の母親が拉致されたのか、そして何故春香自身は拉致されなかったのかということだった。明らかに春香の母親だけを拉致することが狙いだったようにしか思えない。その理由がずっとわからなかった。君の母親に尋ねても、ヒントとなるようなことは教えてくれなかった。」
「お母さんは・・・母は、どんな様子でしたか?」
「・・・お世辞にも元気そうとは言えなかったな・・・。」
「そうですか・・・。」
先輩が続ける。
「親父が意味もなく人を拉致するはずがない。春香の母親が拉致されたことには、何か理由がある。僕は春香の母親の過去を徹底的に洗ったんだ。まずは戸籍を調べた。もともと春香の母親は、子供を産んだときに新たに戸籍を作った。そこでいきなり住所が現れた。その前の住所はわからない。春香の母親の実家は熊本県にあった。だから、僕は春香の母親の両親に昔のことを尋ねたんだ。住所の履歴を知るためにね。」
「私の・・・祖父母。」
「ああ。そうしたら、君の母親は大学に入学するため上京した。だけど、そこでパタリと連絡が途絶えてしまった。大学も中退して行方知れず。捜索願を出したけど、無駄だった。でもこれでわかった。春香の母親は、彼女が大学に通っていた時に何かがあった。」
「1回目の拉致があった・・・そうですね。」
「結果的にはそうだった。でも、この間に何があったのかは、結局わからないままだった。だから僕はアプローチを変えた。彼女が何をしていたのかではなくて、望月財閥が何をしていたのかを調べることにしたんだ。そこで僕は、親父の恐るべき野望を知った。不老不死細胞作製計画、通称E計画だ。最初は何かの冗談かと思ったけど、本気だった。僕が楓と結婚させられる理由もこれのせいだってわかった。あとの内容は、手紙に書いてある通りだ。」
彼はふうーとため息をついてこちらの方に顔を向けた。
「望月財閥は最初、健康診断関連の事業に潜り込んだ。そこで膨大な生体サンプルを手に入れて、細胞の寿命と血液の関係に関する研究を行っていた。その中で、人間の寿命を左右するサーチュイン遺伝子の多寡と、特殊な血液型の関係が分かったんだ。そして、ある時財閥は最も優れた血液を見出した。」
「それが私の母親だった・・・。」
「最初から手荒な真似をしたわけじゃない。財閥は彼女に被験者となるよう頼んだ。だけど、彼女は拒否した。だから強硬な手段に出た。」
「そしてお母さんの細胞を取りつくした。」
「・・・彼女のサーチュイン遺伝子は確かに、ほかの人よりも遥かに多かった。だけど、人体にある60兆個の細胞全ての寿命を延ばすには足りなかった。彼女の細胞もすべてが不老不死細胞というわけではなかった。体の一部分にしか、その細胞は宿されていなかった。しかもその細胞を一度切除してしまうと、次に再生される細胞は、永遠性を失い、ただの普通の細胞になってしまう。だから財閥は焦った。不老不死研究は黎明期。このままでは何の成果も得ないまま、彼女の不老不死細胞を取りつくしてしまう。しかも当時はまだiPS細胞技術なんてなかったから、細胞自身を容易に増やすことはできなかった。だから財閥は・・・不老不死細胞の母体自体を増やそうと考えた。」
私は先輩の方を睨みつけている。
「そして財閥は、決して許されない方法をとった。彼女の細胞を使って、純粋なクローン生殖細胞を作り出した。そしてそれを彼女に着床させた。手紙にもある通り、自分のクローンはどんどん成長を遂げて、出産間近というところになった。そこで彼女は収容されていた病院から逃げ出した。あとは想像がつくと思う。君を生んで、富山の田舎の中で財閥の陰におびえながら静かに暮らす道を選んだ。」
「そして、17年後・・・望月財閥は再び私のお母さんを拉致した。」
「親父が再び自分の夢に本腰を入れ始めたんだ。iPS細胞ができたおかげで、容易に細胞の複製が可能となった。僕を楓の許嫁にして、財閥はiPS細胞を開発した国立科学技術研究所の研究データを手に入れることができた。」
「・・・研究の方は進んでいたの?」
「うちの財閥が総力をあげて研究しているからね。恐ろしいほどに進展しているんだ。兄貴が、財閥を奪う際の取引材料にするくらいにね。」
先輩はゆっくりと立ち上がり、オレンジジュースの入った缶を手に持ち、ゆっくりと一口飲んで机に置いた。先輩はテーブルに備え付けられた椅子を引き出し、そこに腰を掛けた。
「サーチュイン遺伝子の量は一定だと考えられてきた。ところが、実験の結果、これを人為的に増やすことができるということが最近分かったんだ。もしもこのサーチュイン遺伝子を増やすことができれば、細胞の寿命に関わるテロメラーゼを増幅させ、やがてすべての細胞の寿命を永遠のものにできるようなる。望月財閥は、そのサーチュイン遺伝子を増やす酵素を人為的に作り出した。僕はこの実験のことについて、親父を脅すことにした。望月財閥の黒い部分、クローン人間を開発したこと・・・。それを暴露すれば、財閥は致命的な社会的ダメージを受けることになる。ばらされたくなかったら、こんな黒い研究をやめて、許嫁を解消しろ、そう脅していた。ところがだ・・・。」
先輩は真っすぐと私のほうを見つめた。私は恐ろしくなって、思わず目をそらした。
「あの事件が起きた・・・。楓が千早に殺された・・・。あれですべてが変わってしまったんだ。」
先輩が怒りの形相で、私を睨んでいるのが分かった。私は体をひねって、ますます彼から遠ざかっていた。
「あの事件がおきて、僕が千早と二股をかけていることが親父に露見した。そこからは、穴の開いた器のようにどんどん情報が筒抜けになって、僕は弱点を掴まれたんだ。春香と千早・・・二人の命が危険にさらされれば、僕は親父の言うことを聞かざるを得ない・・・。僕の脅迫は失敗した。完全に親父に従属するしかなかった。だけど、そこから歯車は動き始めた・・・。兄貴があの事件のことを調べ始めたんだ。あの事件は、僕の大きなスキャンダルだ。うまく活用すれば、僕を後継者から引きずりおろせるかもしれない。だけど、あの事件だけでは決定打にならなかった。財閥を半ば追放された兄貴が、天下を取るには・・・まだ材料が足りなかった。」
私はハッととした。伊織の裏切り・・・。
「伊織が兄貴に研究データを横流ししたりしなければ、こんなことにはなってなかっただろうね。本当に、とんだことをしてくれたよ。あの女は・・・。あの情報が兄貴に火をつけたんだ。兄貴は・・・親父の本当の目的に気づいてしまった。不老不死を実現して、永遠に財閥を支配し続けるっていう野望にね・・・。当たり前のことだが、親父が永遠に財閥を支配してしまえば、僕だろうと兄貴だろうと財閥を継ぐチャンスはない。だから兄貴は、まず合法的な手段で財閥を乗っ取ろうと考えた。」
株主総会での乗っ取り・・・。
「兄貴は望月製薬を乗っ取るために、うちの大株主の支持を調達し始めた。ところが、それは最終的にうまくいかなかったんだ。だから兄貴は・・・非合法的な手段に出た。」
私は先輩のほうに向きなおった。
「千早ちゃんを・・・拉致したのね!」
「ああ。あの男は・・・とんでもないことを考え出した。」
「と・・・とんでもないこと?」
先輩が顔をうずめ、頭を抱えた。
「あの男は・・・僕が春香と千早、両方に恋してるって知ってしまった。あいつは、その状況を利用したんだ。」
「いったい・・・何をしでかそうとしているんですか。」
恐る恐る尋ねる。尋常じゃない彼の様子に、私の背筋が凍りつく。
「あの男は・・・春香と千早に殺し合いをさせようとしている・・・。」
こ・・・殺し合い!?
「な・・・何を言っているんですか。殺し合いなんて・・・するはずないでしょ・・・私たち・・・だって・・・。」
「そういう状況に追い込むんだ。二人を拘束して、二人に殺し合いをさせるんだ。生き残ったほうを解放する・・・そういうシナリオらしい。」
そんな馬鹿な・・・。私は衝撃のあまり、手に持っていた缶を床に落としてしまった。
「あいつは、僕をその殺し合いの黒幕に仕立て上げようとしているんだ。僕が千種を使ってその犯行を成し遂げたように見せかける。それが真の狙い・・・。」
「どうして・・・どうしてそんなひどいことを・・・。」
「世間から見たらどう思う?ただでさえスキャンダルでふらふらなのに、その上、二股をかけて、どちらとも選べなくなって、二人に殺し合いをさせて、生き残ったほうと結ばれようなんて考えていたら・・・。」
「絶対そんなの許されない・・・。」
「僕は頭の狂った殺人者として、永遠に記憶され続けるだろうね。そして、めでたく僕は財閥から追放される。」
狂ってる・・・狂ってるよ、何もかも。
先輩は顔をあげ、机に向かって、頭を抱えた。
「兄貴は・・・あの男はサイコパスなんだ。」
「サイコ・・・パス?」
「簡単に言ってしまえば、精神異常者だ。健常者とは思考回路も何もかもが違う。残虐で残酷な・・・一種の障碍者なんだ。」
「障碍者・・・。」
「親父はもともと兄貴を財閥の後継者にするつもりだった。もちろん、不老不死計画を考えるくらいだったから、本当は譲りたくなかったんだろうけど、研究が大成しない間に寿命を迎えてしまったら仕方がないからね。だからその際には、兄貴を後継者に選んでいた。兄貴はかなり有能だった。はっきり言えば僕よりも優秀だった。だけど・・・兄貴は昔からおかしかった。毎日昆虫を殺したり、カエルやイモリを切り刻んでいたり・・・人に対しても・・・人体実験をしようとしていた・・・。そんな奴だったんだよ、兄貴は。」
「そんな・・・。」
「だから、兄貴は家族中から恐れられた。この男は何をしでかすか分からない。そういう風に見られていたんだ。・・・兄貴だったら考えられる。兄貴は僕のことをひどく恨んでいた。自分よりも無能な弟が財閥を引き継ぐことが許せなかったんだろうね。だから、僕に単なる殺人とは違う、最も汚名が残るような形で僕を財閥から排除しようとした・・・。きっとそれが真相なんだ。」
「・・・あの女を使ったのも計画のうちだったということですか・・・。」
「・・・そうだと思う。ただ殺し合いをさせただけだと、そもそも二股疑惑が世間で報じられている僕が殺したと思われてしまう。だから、一枚かませることにしたんだと思う。あの女は二人を強烈に恨んでいた。だから、表面的に見ればあの女が事件を仕組んだ風に見える。僕が考える偽装工作としては最適だ。」
あまりにも残虐で残酷な計画・・・。私はそのおぞましさに閉口していた。そんな時だった。
不意にドアがノックされる。
「頼んでいた食事が来たみたいだ。」
先輩がドアの方に近づき、ドアを開けた。ドアを開けた瞬間、和風ソースのいい香りが部屋に立ち込めてくる。
「中に運んでください。」
先輩の誘導で、若いホテルマンが料理を乗せたカートを机の方にまで運ぼうとして、途中で止まった。
「あとで雑巾をお持ちして、床を清掃させてもよろしいでしょうか。」
お茶をこぼし、シミになっているのが目についたようだ。
「結構。自分で何とかする。」
先輩がそう答えた。
「かしこまりました。」
カートが机の前に到着する。
「和風ステーキセットでございます。お飲み物は赤ワインをお持ちしました。」
バチバチとクロッシュの中で、肉が踊っている。ホテルマンがクロッシュを開けると、さらにいい香りが立ち込めてきた。
ステーキのプレートには、ステーキに、ポテトと人参、それにほうれん草が備わっていた。さらにお皿に盛られたライスに、コンソメスープそしてグラスの3分の1のところまで注がれたワイングラスが置かれた。
「ごゆっくりお楽しみください。デザートにつきましては、食後にお出しいたしますので、食べ終わりましたら遠慮なくお呼びください。」
そう言って、ホテルマンは部屋を出て行った。
「さあ、席について。春香。」
そういうと、先輩は椅子を定位置に戻し、私から視線を逸らすかのように、夜景の方を向いて、食事にありつく準備を整えようとしている。私は・・・正直食べる気がしない。
「食欲が・・・湧かないんです。」
「・・・そう。」
彼は淡泊にそれだけを述べると、黙々とステーキを食べ始めた。私はそのままベッドに倒れこみ、天井を見つめていた。これからどうなるのか・・・どうしたらいいのか・・・何もわからない。何も考えたくない・・・。
ナイフやフォークと食器がぶつかる音だけが、部屋の中に響き渡っている。
首を傾けて、先輩の後ろ姿を見つめていた。この人は、どうして今のこんな異常すぎる状況の中で、平気で落ち着いて食事ができるのだろうか。こんな状態が、日常から大きく外れていることは明らかなのに。
なんだか感覚がおかしくなる。ともすれば・・・これが普通なのではないかとさえ錯覚してしまう。恐ろしい・・・何もかもが恐ろしい。
尋ねないわけにはいかない。
「先輩・・・これから・・・どうなるんですか・・・私たち。」
不意に食器のかすれる音がなくなる。先輩がナイフとフォークお皿に置いた。
「・・・いいから食べなさい。おいしいから。」
彼は再びナイフとフォークを取って、黙々とステーキを食べ始める。どうして先輩は質問に答えないのか。どんどん、薄気味悪さが増してくる。
「先輩、ここまで分かっているんだから・・・あの男の陰謀、何とかなるんですよね。」
「・・・ああ。」
私はそれを聞いて飛び起きた。
「よかった!私も千早ちゃんも、助かるんですよね!?」
「・・・ああ。」
どうして生返事なのか。
「千早ちゃんは、今どこにいるんですか!?」
「場所は特定してある。だから大丈夫だ。」
「私は・・・どうすれば?」
「・・・僕といることが不安?」
逆に聞き返されて、「はい」とはいえるはずがない。
「いえ、そんなことは。でも、どこかに隠れたりしなくていいんですか?」
「自分に発信機がついていること、忘れているわけじゃないよね。」
確かに。これならもし何かあっても、すぐに先輩が助けに来てくれるはずだ。
「もちろんです。」
「・・・そういうことだ。」
先輩は黙々と食べ続けている。私はまたベッドに倒れこんだ。やがて彼はすべて食べ終わったようだった。
「春香、この後デザートがくるんだ。せめてそれだけでも食べないかい?」
デザート・・・。
「何も食べないのは、体に毒だよ。」
「・・・はい。」
これ以上、彼を困らせるわけにはいかない。私は窓ガラスの夜景越しに、先輩の表情を見ようとした。けど、窓の外が暗すぎて、先輩の表情を伺い知ることはできなかった。
先輩がホテルマンを呼んで、デザートを運んでもらった。お皿と引き換えに運ばれたのは、プリンアラモードだった。
それがテーブルの上に置かれると、私はむくりと起き上がり、ベッドから出て、テーブルの方に向かった。彼のわきを通り過ぎるときに、彼の表情を一瞥した。
驚いた・・・。彼の顔は、死んだ魚のような眼をしているのだ。
「先輩・・・大丈夫ですか・・・?」
お酒を飲んでいたこともあって、顔はほんのり赤い。なのに、生気を失っているかのように、目が虚ろなのだ。
「・・・ああ。ちょっと疲れているんだ。」
顔を見られるのが嫌だったからなのか、彼は目を瞑り、テーブルに肘をついて、片手を広げて目頭を押さえていた。
私は彼に向かい合うように席に着いた。彼は目頭を押さえたまま、動こうとしない。私はそんな先輩が心配になって、少し励まそうと思った。
「先輩・・・食べさせてあげましょうか?はい、あーんして。」
私は少しかわいらしい声を出すと、プリンを一口掬い彼のもとへと差し出した。
「余計なことしなくていい。」
先輩が冷たくあしらう。
「・・・そうですか。」
先輩が目頭から手を離し、プリンを食べ始めた。相変わらず彼の顔は疲れ切ったままだ。
重苦しい無言が続く。何を話していいのかわからない。何を話しても、まともに相手してもらえなさそうな雰囲気だった。
やがて二人がプリンを食べ終わると、先輩がまたホテルマンを呼んで、プリンのお皿を片付けさせた。
彼はまた両腕をテーブルに立てて、額のあたりで手を組み合わせて、目を瞑っていた。寝ているというわけではない。何か考え事をしているようだった。
「春香。」
「は、はい!」
不意に呼ばれてびっくりした。
「春香、僕のこと好きか?」
「え・・・はい・・・好きですけど。」
いきなり何を言い出すのかと思えば、そんなこと・・・。
「じゃあ、抱かせてくれ。」
「えっ・・・。」
彼はゆっくりと立ち上がり、私が座っている対面のテーブルの方へと進み、私を見下ろした。その時の表情は・・・たぶん一生忘れることはない。彼の眼は、狂気に満ちているのだ。怒り、憎しみ、そんな表情とも違う・・・今までに見たことのない、イカレた夜叉のような眼。
「先輩・・・。きゃっ!」
先輩は私の腕をつかみ、強引に引っ張ったのだ。突然のことにバランスを崩して、その場に倒れこむ。
「な・・・何するんですか!?」
私の抗議も無視して、私を立たせて、そのままベッドの方にまで連れていくと、そのままベッドに放り投げて押し倒したのだ。
「うんっ・・・ぐんっ・・・。」
先輩が強引にキスをしてくる。むさぼるようにキスをして、私から酸素を奪っていくようだ。そのまま先輩は私の胸を強引にわしづかみにする。
「んっぐっ・・・ぐっ。」
く・・・苦しい。私は苦しさのあまり先輩から離れようと、思いっきり、力を込めて先輩を横の方に払いのけようとした。
「ぶはーっ・・・はあー、はあー、はあー」
先輩もようやく私を離して、私はようやく一呼吸ついた。
「な・・・何するんですか!先輩!もっと雰囲気というものを・・・きゃあっ!」
先輩は私の洋服を脱がしにかかったのだ。ボタンの一つ一つを強引にむしり取っていく。
「せ・・・先輩。おかしいですよ・・・今の先輩。」
怖い。今の先輩は、ものすごく・・・恐ろしい。好きな人のはずなのに・・・ずっと望んでいたことのはずなのに。どうしてこんなに怖いのか。
気づけば私は、下着姿にされていた。そしてそれも強引にはぎ取られ、パンティーも強引に脱がされた。あれよあれよという間に、私は一糸まとわぬ姿にされてしまった。
先輩もあわてて服を脱ぎだす。私は両手を使って、そして体をかがめて胸とあそこを隠していた。今の先輩に、私の体を見られたくはなかった。
やがて先輩も全裸になると、私のガードをほどきにかかった。右腕で胸を覆っていた左手をつかみ、左腕で股間を隠してた右腕を捕まえると、そのまま顔の両脇に押さえつけ、強く口づけをするのだ。
「うーん、むーん、うんっ・・!」
先輩が舌ベロを差し入れ、強引に私の舌と絡ませてくる。やがて私の抵抗がなくなると、そのまま右手で私のおっぱいをわしづかみにし、左手で私の膣口に手を差し入れるのだ。
「うんっぐんっうんっっっ・・・。」
処女の私の膣口は狭かった。しかもまだ全然濡れていないのだ。たとえ先輩の細い指だったとしても、膣に激痛が走る。
私は痛みで体をくねらせた。先輩は私から唇を離し、そのまま右のおっぱいを乱暴に吸い始める。
ジュルズルビュルジュル
口にたまった唾液がいやらしい音を立てる。
「先輩、痛いです!」
「我慢しろ!」
「せ・・・せんぱい・・・。」
心がぎゅんとする。胸がズキズキする。瞼が熱くなる。これじゃあ、まるで・・・レイプされているみたいじゃないか。
先輩が右乳首を甘噛みしてくる。そして私の膣に挿入された左手の動きが早まっていく。中をめちゃくちゃにかき回され、全然気持ちよくない。むしろ痛いだけだ。
痛みで私の顔が苦痛にゆがむ。
「もういいころだろう。」
ぼそっとそうつぶやくと、先輩はギンギンに勃起させた自分のおちんちんを私の膣口に押し当てた。
「ま・・・待って。まだ全然準備なんか、それに私処女だから・・・ひゃぁあ!」
彼は私の言うことを無視して、中に強引に挿しこんだのだ。
まるで刃物で刺されたかのように鋭く鈍い痛みが、下腹部を襲ってくる。
「い、痛い痛い痛い痛い!むぐっんんん~」
彼に手で口をふさがれてしまった。
彼はゆっくりと動き出した。彼のおちんちんが私の膣内をなぞるたびに、その線に沿って激痛が下腹部を襲うのだ。
「んっぐっむんっんん~ぐっ。」
とにかく痛い。あまりの痛さに、涙がボロボロこぼれてくる。
こんなの・・・先輩じゃない。こんなことをするなんて・・・先輩の顔をかぶった悪魔だよ!
私は先輩の顔を正視できない。涙のせいで目が曇って、何も見えないし、彼の表情を見るのが怖かった。その目を見たら、たぶん私、その場で彼の手にかみついてしまいたくなるかもしれない。
私は必至で目を瞑った。早くこんな悪夢から覚めてほしい。そう願いながら、私は必至で痛みに耐えた。ピストンされ続けて、少しは中が濡れてきたのか、勢いづいた彼はピストンを徐々に早めていく。
「んっんんんんっん~~んっぐぐぐぐんっ~」
声にならない声を必死で挙げているが、先輩は全く聞き入れようとしない。それどころか、さらに速度を速めて射精態勢に入ろうとしているようだ。
ますます奥深く、欲望の赴くままに中をめちゃめちゃにかき回し、私の痛覚が吹き飛んでしまうほどに執拗にピストンする。
「ぐああああぁぁあ!!」
彼が獣のうめくような声をあげた。その直後、中に暖かいものが注ぎ込まれた。
そのまま彼が私に倒れかかってきた。私の口を抑えていた彼の手が外れる。
「ぷはっっっ」
彼の手には私の唾液がたんまりとついていた。
「はあっー・・・はあっー・・・はあっー・・・」
彼の息が上がっている。
「せ・・・せんぱい・・・。」
彼は私の呼びかけに答えない。ただ息をあげているだけだ。
私はゆっくりと目を開いた。
私は彼の異変に気付いた。彼が泣いているのだ。さっきまで痛みと苦痛で気づかなかったのだが、彼は声を殺して・・・泣いているのだ。
そうか・・・彼は辛かったんだ。誰かに抱きしめてほしかったんだ。やっとわかったよ私。こんなに長くいて、私そんなことも気づけなかったんだ。なんだか情けない。
私はゆっくり先輩の頭を撫でた。
「寂しかったんですよね・・・ずっと一人で。」
先輩は声を殺して泣いているだけで、何も答えない。
「もう大丈夫ですよ。私がついてますから。」
「・・・・・。」
「先輩はいい子。私がだーいすきな人。」
つながったままの私は、彼のことを自発的に抱きしめた。
「ねえ、先輩・・・私の中、気持ちよかったですか?よく締まってました?」
「・・・・・。」
「私のおっぱい、ぷるぷるだったでしょ。もっと触ってもいいんですよ。先輩だったら、触り放題ですから。」
「・・・・・。」
「先輩・・・愛してます。心の底から・・・私、ずっと先輩とセックスしたいって思ってました。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
先輩・・・。
しばらくして、先輩が静かに口を開く。
「僕は・・・。」
「僕は?」
「僕は・・・最低の男だ。」
「気にしないでください。今日のことは。」
「・・・そうじゃない。」
「えっ?」
先輩はゆっくりと私の中から引き抜いた。白濁液が私の膣から漏れ出している。シーツは精液と血液が混ざり合ってピンク色に染まっていた。
先輩はそのままゆっくりと私から離れていく。そしてベッドに腰を掛けた。
「まだ、君に話していない大事なことがあるんだ・・・。」
「な・・・なんですか?」
「実は・・・今朝方、親父が何者かに拉致されたんだ。」
「剛三郎さんが!?」
なんなんだそれ、初耳だ。
「犯人はわかってる。」
「・・・秀行さん。」
「ああ。兄貴の狙いは、僕が父親を殺したという風に見せかけることだ。」
「殺した!?秀行さんは、剛三郎さんも殺そうとしていたってことなんですか!?」
「そうだ・・・。仮に僕が犯罪に手を染めたとしても、親父が健在だったら意味がない。やがて不老不死細胞を完成させて、彼が永遠に財閥を支配し続けるだけだ。だから、何としても僕が父親を殺害したことにしなくちゃいけない。だけど、もし普通に殺したとなれば、真っ先に疑われるのは、親父をひどく憎んでいる兄貴だ。それは避けなくちゃいけない。だから、『僕が春香と千早の二人に殺し合いをさせる計画を止められた』からという理由で、僕が親父を殺害したと見せかける必要があったんだ。そのための計画として、親父は拉致された。」
「そんな・・・。」
「春香・・・。」
まだ何かあるっていうの?
「僕たちは、正直分からなかったんだ。誰が兄貴サイドに研究データを横流ししていたのか。流出したのは電子データだ。複製はいくらでもできる。うちの中の研究員が誰か横流ししたのかもしれない。だけど、そんなのを検証するのはそもそも不可能だった。E計画を知るものだけで100人を超えてる。その一人一人について、自宅まで全て調べるなんて完全に不可能だ。仮にコピーして横流ししたとしても、犯人がデータをそのまま残しているとは考えにくい。裏切者がどこにいるかは調べなくちゃいけない、もし分からなければ今後もどんどん重要なデータが流され続けることになる。けど、誰なのか調べるのは困難。僕たちは困りあぐねていた。そんな時だった。僕は、あの女に頼ったんだ。」
あの女・・・一体誰なのよ・・・。
「誰なんですか・・・その『女』って。」
先輩は言いにくそうに首を振った、しばらく間があって、彼の口から放たれた言葉は、天地がひっくり返るほど衝撃的なものだった。
「如月千種。君たちを痛めつけてきた、その張本人だよ。」
バカな!?どうして・・・、先輩があの女に・・・。
「カラオケボックスで、君はあの女から連絡先を書いたメモを渡されただろ。僕はあの後、あの連絡先にかけたんだ。何か情報を引き出せると思った。そうすれば、囚われの身の千早を取り戻すチャンスが生まれるかもしれない。あの女は、そこで・・・ある情報をよこしたんだ。」
その情報って・・・。
「水瀬伊織。僕の許嫁となったあのクソ女が、あの兄貴に情報を売り飛ばしていたって事実をね!」
そんな・・・そんな言い方って・・・。
「そんな言い方って・・・ないよ・・・。伊織は・・・先輩たちが力を失えば、剛三郎さんの支配から解放されて・・・みんなで・・・3人で幸せになれると思って・・・自分の家を裏切ってまで・・・。」
彼がこちらを振り向いた。その顔は、怒りと憎しみに満ち溢れていた。先輩のこんな顔・・・見たくなかった。
私は思わず目を背けた。彼もまた正面の方を向いてしまったようだ。
「僕のためを思って!?笑わせるね。そのせいでどうなった!?千早は拉致され、僕たちはこんな目に遭わなくちゃいけなくなったじゃないか!?いくら動機が純粋でも、結果の重大性が予見できないようだったら、ただの自己満足なんだよ。それもとことんはた迷惑なね!」
怒気がこもった彼の罵声に、私は思わず身じろいだ。
「だから僕は・・・あの女と取引をしたんだ。」
「取引・・・」
先輩が静かに語りだす。重くて、暗くて、黒くて、苦くて、痛くて、辛くて、悲しいトーンで。
「僕は・・・兄貴の犯罪を完成させることにしたんだ。あの女の力を借りて。」
その刹那のことだった。廊下からコツコツとハイヒールの音が聞こえてきた。それがだんだん大きくなってきたかと思うと、部屋の前で止まった。
先輩がゆっくりと立ち上がり、オートロックのドアを開ける。
中へと現れたのは・・・如月千種!
「今朝は家で居留守を使ったかと思えば、こんなところで、しゅぽしゅぽやってたのね。いやらしい女。」
私はとっさに裸を見られまいと、ベッドの中に潜り込んだ。
千種は不気味な笑い声をあげる。
「安心なさい。あんたとこの男のセックスシーンは、全部録画させてもらってるから。」
まさか・・・隠し撮りされていたというの!?
「これも・・・条件のうちだった。」
そんな馬鹿な・・・。私の中ですべてが音を立てて崩れていく。今まで築いてきた思い出も、先輩への思いも、何もかもが。
私は起き上がった。
「先輩!悪魔に心を売り渡したんですか!?」
「仕方がなかったんだ!こんなことは・・・したくはなかった。」
悪魔の女が語りだす。
「この男は自力では、どうにもできなかった。自分の名誉が傷つくのが何より嫌だったんでしょうね。だから、私に協力を求めてきたの。」
私は叫んだ。
「嘘だ!」
先輩がそれを遮るように答える。
「・・・嘘じゃないんだ。兄貴が何か行動を起こそうとしているということだけはわかっていた。だけど何をしようとしているのか、それが全く分からなかった。だから、この女に取引を持ち掛けた。それでこの女が出してきた条件は、兄貴の犯罪の全容を教える代わりに、春香と千早への復讐に協力することだった。」
「どうしてそんな条件・・・断らなかったんですか・・・。」
「背に腹は代えられなかった。それに最初は、聞くだけ聞いて、この女を殺そうと思ってたんだ。だけど・・・。」
「そうはいかなかったのよね~。」
あの女が先輩の肩に触れる。先輩はその手を肩で払いのけた。
「さっき話した通りだ。兄貴は、僕を犯罪者に仕立て上げることで、僕を蹴落とそうと考えていた。しかも、親父まで殺害しようとしていた。もしここで、兄貴の犯罪を止めてしまったら、今度はどんな手に打って出るか分からない。僕は永久にあの男の恐怖にさらされ続けなくちゃいけない。ここで葬るしかないんだ・・・。」
そんな・・・だからって・・・。
「嘘だと言ってよ!先輩!先輩わかってますよね。この犯罪に協力する・・・それって・・・私たちをこれから・・・塗炭の苦しみを味合わせるってことなんですよ!?先輩は、私たちのこと愛してくれているんですよね!?じゃあどうして、奴の犯罪を止めてくれないんですか!?!」
悲痛な叫びがこだまする。あの女がせせら笑う。
「本当に・・・あんたは馬鹿ね。あんたの言う通り、この男は確かに2人とも愛していたのかもしれない。それ故に、本当にどっちと愛したらいいか分からなくなっちゃったんじゃないの。だから、こんなバカげた作戦に参加しようなんて言い出すんだよ。ハハハハハハハハハハ。」
「先輩・・・そうなんですか?私と千早ちゃん・・・どっちを愛すべきか・・・わからなくなっちゃったんですか・・・?」
「違う!僕は本気で二人とも愛しているんだ!くそっ、何を言っても説得力がない!」
千種が腹に据えかねた様子で語りだした。
「まったく、煮え切らない男ね。二人はどうしてこんな男のこと好きになったのかしら。二人の男の見る目のなさに他人ながら絶望するわ。いいわ。私からネタ晴らししてあげる。この男はね、これを『ラッキー』だと思ったのよ。状況は絶体絶命というくらいのピンチ、このまま無為無策を続ければ、犯罪者にされて世間から決して拭い去ることのできない汚名を着せられることになる。だけど、秀行の犯罪に加担して、これを完成させて、ちょっと小細工をすれば、逆に秀行を絶対確実に葬ることができる。何しろそのほとんどが自分で用意した犯罪なんだからね、証拠は山ほどあるわ。それに絶対権力者だった父親も物理的に葬れる。ここで殺さなきゃ永遠の命を手に入れてしまうからね。そしてあんたは、悲劇の男を演じて、二人のうち生き残ったほうと幸せに暮らせばいい。確かにあんたにとってもダメージは大きい話だけど、あんたを邪魔する男を2人も始末できる。これ以上の話はないのよ。それに、この男はけつの穴が小さくてね。本当は春香のことが好きだったのに、クローン人間だとわかった瞬間に、愛層をつかして千早に飛びつくような男だよ。最低だろ。春香が生き残れば、本当に好きな女と一緒にいられる。千早が生き残れば、自分の子孫が残せる。どちらにしろ、この男にとっては悪い話じゃなかったって話だ。全く、食えない男だねー。」
先輩は、これだけこの女に罵倒されて・・・何一つ言い返せないというの・・・。
「あ・・・ああ・あぁあぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁll!!!!!」
あの女は哄笑する。
「そりゃ叫ぶしかないわよね。今まで散々尽くしてきたのに、こんな最悪の形で裏切られて!結局、自分の保身しか考えてなかったわけだ。」
いやだいやだ嫌だイヤダいやだいやぁだいやだイやだいやぁぁだいやだいやだ嫌だ嫌だいやあああぁあああああぁぁああああああああぁあぁぁぁーーーーーーーーーー
「最高の気分ね!私を手玉に取ってきたこのあばずれ女が、気持ちいいほどに叫びわめいている!これよ!この瞬間が欲しかったのよ!最愛の人に裏切られて、泣き叫ぶこの感覚が!」
「腐れ外道が!」
「腐れ外道はあんたでしょ、望月俊。さあ、そろそろ彼女を運んで頂戴。それとちゃんと記憶を改ざんしておいてね。拘束した時に記憶が残ってたら、じわじわ責める楽しみがなくなっちゃうでしょ。この女には、もう一回さっきみたいに叫んでもらうことにするわ。その方が面白いから。」
先輩が電話を取って、誰かに連絡している。私はショックで体が痙攣し、その場に倒れ込んでいた。金縛りにあったかのように、一切体が動かなかった。
それから5分も経たないうちに、黒づくめの男が部屋へと侵入し、私に何かの薬品が混ざったハンカチを嗅がせたのだ。私が意識を失うのに、10秒もかからなかった。