第6節 全ては最愛の人の為に 残り0時間35分 天海春香
身体が揺さぶられている感じがする。声も聞こえる。私を必死に叫ぶ声だ。
「るか・・・はるか・・・」
次第に声が大きく聞こえてくる。
「春香!春香ぁ!!」
私はようやく深い眠りから目を覚ました。ゆっくりと目を開いていく。
「春香・・・春香!目が覚めたのね。」
私は仰向けで気を失っていた。膝をついて四つん這いの格好で私を揺さぶっていた千早ちゃんが、私を抱き起す。
「良かったぁ・・・心配したのよぉ、急に意識を失っちゃうんだもの。」
「千早ちゃん・・・私・・・。」
ここはまだ監獄の中なのか・・・。それはそうか、私たち二人とも生きているんだから。
「春香、とにかく時間がないわ。」
千早ちゃんはタイムカウンターを指さした。残り「0時間32分18秒」となっている。
「とにかく、今すぐ殺して。そうしないと、手遅れになっちゃうから。」
千早ちゃんがそう言って仰向けになった。手をかけて、殺せというのだろうか。そう、そういう約束だ。
今の記憶は、一体何だったというんだ。二つの矛盾した記憶。秀幸さんが犯人だという記憶と、・・・先輩が真犯人だったという記憶。どちらが正しいというのだろうか。
そんなの考えるまでもない。後者の記憶は、ねつ造された記憶に決まっているのだ。秀幸さんは、私たちの記憶を操った。操って、偽の記憶を見せたに過ぎない。そうだ、そうに決まっている!だから・・・私が生き残っても・・・私はあの人に頼っていいはずなんだ。
でも・・・だとしたら、どうしてこんなに記憶が生々しいんだ・・・。
どうして、秀幸さんはあんな記憶を刷り込んだのだろうか。私がクローン人間なんて・・・そんなの誰が信じるっていうの?そんな馬鹿げた話、誰も信じるわけないじゃない。
「春香、一体何があったの?」
でも恐ろしいことに・・・最後の記憶が正しいとすれば、全てに辻褄があってしまうのだ。先輩が、私を抱いてくれなかった理由、千早ちゃんが言う「私のことが好きなはずなのに抱いてくれなかった理由」、それは・・私が「人間」じゃないから。
そういえば伊織と最後にあった時、私のことを「本当に産まれてはいけない人」、そう表現していた。それって・・・私がクローン人間だったことを意味しているんじゃないか。そして、私の命は長くない。だから、伊織は私のことを・・・自分の財閥を裏切ってでも幸せにしてくれようとしてくれたんじゃないだろうか。
「春香、聞いてるの?」
私のお尻に入っている発信機、それが活用されなかった理由。私は今まで、望月先輩と一緒に拉致されたから、意味がなくなってしまったのだと思っていた。だけど、それは発信機の存在を知っている人間が他にいないという前提があった。
だけど、発信機の存在を知っているのは、私たちだではない。あの場にいた伊織だって知っているし、望月財閥の中でも他に知っている人間はいるはずなのだ。なのに、どうして助けに来ないのか。それは・・・望月先輩が犯人だからなのではないか。だから、活用されないのではないか。伊織も、助けに来れないのではないか。
「春香!」
千早ちゃんの声で私は我に返った。
「さっきから、春香おかしいよ。何かあったとしか思えない。」
「うん・・・。」
嘘だと信じたい。あれが作られた記憶なのだと。だけど・・・むせかえる程の記憶の匂いが、その幻想を打ち砕く。あそこまで記憶を、作れるとでもいうのだろうか。犯人の意図が分からない。私の余命が残り4年と明らかにすることで、何がしたいのか。
千早ちゃんを生き残らせたいのだろうか。私に生きる希望がないことを悟らせて、私に死を選ばせようとしているのではないか。
「春香・・・教えて、一体何を思い出したというの?」
千早ちゃんが、起き上がり、真剣なまなざしを向ける。話してしまいたい。こんなこと、抱え込んでいたくない。話して、嘘だと言ってもらいたい。私は生きる。もっともっと、何十年も、幸せに生きれるって言ってほしい。
だけど、もしも犯人が本当に望月先輩なのだとしたら・・・。話してはいけない。もしも、先輩の狙いが、秀幸さんにすべての罪を押し付けるつもりなのだとすれば、私たちの記憶の改ざんを前提に動いているはずだ。私が記憶を取り戻したと知ったら、私は・・・殺される。
「春香・・・泣いているの?」
気づけば涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
「どうして泣いているの?」
あの記憶は、作られた記憶なのだ。私がクローン人間なんて、そんなこと、あり得ないことに決まっている!なのに・・・全ての辻褄があってしまうのだ。それに・・・私にはあの記憶が嘘だとはどうしても思えない。
「ねぇ・・・千早ちゃん。」
「何?」
「やっぱり、死ぬのは私にするよ。」
千早ちゃんが目を見開いて驚いた。
「ちょっとっ・・なにいってるのよ・・・。もうそんなこと言っている時間なんてないのよ。見て!あと26分しかない。もう間に合わなくなる!」
タイムカウンターは残り26分40秒を指していた。だけど、私にはもう、生きる希望がない。
「千早ちゃん、本当は怖いんでしょ。さっきから、顔がこわばっているよ。」
彼女の表情はずっと硬いままだった。その理由は明らかだ。彼女は、やっぱり死ぬのが怖いのだ。誰だってそう。死ぬのは怖い。だけど今の私は、生きる方が怖い。生きて、真相を知ってしまう方が怖い・・・。
「それは、怖いと言えば怖いけど・・・。だけどどっちが死ぬかなんて、ジャンケンで決めたことでしょ。それを今更覆すなんて・・・。」
私は崩れた笑顔を見せた。
「ダメだよ。イカサマして負けるなんて。」
「えっ・・・。」
「私が気づかないとでも思った?千早ちゃん、後出しで負けてたでしょ。そんなの、後出しで勝ったのと同じことだよ。」
「そんな証拠は・・・」
「今更政治家みたいなことを言うつもり?」
千早ちゃんは黙りこんでしまう。
私はさらに笑顔を作り込んだ。
「私はね、千早ちゃん・・・。生きるのが怖くなっちゃったんだよ。ここで死んで、永遠に魂をここで眠りにつかせたいの。ねぇ、お願い。私を殺してよ、私は本当に心の底から、死にたいと望んでいるの。友達も千早ちゃんの愛も、先輩の愛も何もかもいらない。ただ『死』だけがほしい。」
千早ちゃんの顔が崩れていく。彼女の目からも涙がこぼれ落ちている。
「訳、聞かせてくれる?どうしてなの。どうしてそんな心変わりをしてしまったの?」
「・・・それは・・・」
そんなこと言えるはずがない。言ってしまったら、仮に千早ちゃんが生き残ったとしても、彼女の身が危うくなってしまう。それに、こんな人生、千早ちゃんだって生きたくないと思ってしまうだろう。
「教えられない。」
「どうして!?」
「・・・どうしても。ただ一つだけ言いたいのは、私は別に誰かさんに遠慮して死にたいと言っているわけじゃないってこと。私は本当に、心の底から死にたいと思っているんだよ。千早ちゃんは、私の気持ち、無視するわけ?」
「・・・・・。」
千早ちゃんは俯いて答えられない。私は本気で死にたいと思ってしまったのだ。その気持ちは、彼女に伝わっているのだと思う。
「千早ちゃん、死にたくないのは分かっているんだよ。」
「春香を殺してまで生きていたくないのよ。」
「またその話?もう禊ぎは終わっているよ。私は、千早ちゃんの罪をすべて赦した。千早ちゃんは、私の罪を赦してくれた。もうそれについては、関係ないことなんだよ。」
「でも・・・。」
「私は死にたい、千早ちゃんは死にたくない。それで十分だと思わない?」
私はニコッと笑って見せた。
私は千早ちゃんの心の揺らぎを見逃さなかった。
「千早ちゃん・・・生きたいんでしょ。さっきから、千早ちゃんずっと声が震えてたよ。私わかるんだよ。千早ちゃんの声が好きだったから。千早ちゃんがおびえているんだって。でも私は、もう死にたいのよ。ちょうどいいじゃない、ね。お願い、人生最期のお願い。聞いてくれない?」
千早ちゃんは、落ち着きなくあちらこちらを見ている。どうするべきか迷っているように見える。
「私、後悔すると思う。」
千早ちゃんは私に率直に告げた。
「『自分が弱かったせいで、春香を殺してしまった。』一生そう思い続けながら生きなくちゃいけないと思う。」
私は笑って答える。
「それは、私が生きることを望んでいたら、ってことでしょ。でもね、千早ちゃん・・・私は死にたいと思っているの。嘘じゃない。心からそう思っているの、本当よ。こればっかりは嘘じゃないの。私は、本当に死にたい・・・」
涙をぼろぼろとこぼしている。あの呪われた光景が真実だったなら、私は今すぐにでも忘れるために死んでしまいたい。自分をだまして生きていくなんて、私には絶対にできそうにない。
「春香の顔・・・」
私の顔?
「怖いの?私の顔?また『能面』のようになっているの?」
千早ちゃんは、ゆっくり首を横に振る。
「違うの。そうじゃない。そうじゃなくて・・・美しい・・・。」
「うつくぅしぃい・・・?」
「ええ。美しい。絶望に満ちた『能面』ではない、苦悩・悶絶、何かに驚き、そして能動的に死にたいと思っているのね。その『死』を求める積極性が、美しい・・・。」
千早ちゃんの言っている意味、なんとなく分かるような気がする。「無常」そう言いたいのかもしれない。
「無気力に死にたいと思っている訳じゃない。悲痛なほどに、『死』を望んでいる。ねぇ春香、一体なにがあなたをそこまで追いつめているの?あなたは、どんな不都合な真実を見つけてしまったというの !?」
私はタイムカウンターを見た。あと18分30秒。もう時間がない。
「最期のお別れをしましょう。もう時間がないから、千早ちゃんだけに遺言を残すね。ちゃんと聞いてね。」
千早ちゃんは、涙を流しながら、ゆっくりと頷いた。
「千早ちゃん、私はあなたに会えて本当に幸せだった。楽しいことも、辛いこともあったけど・・・、もしかしたら辛いことの方が多かったかもしれないけれど・・・、それでも、私は千早ちゃんに会えてよかったと思ってる。・・・千早ちゃんがいなかったら、多分、私は高校の頃に、いじめ3人組を殺して、そのあと自殺をしていたかもしれない。でも、千早ちゃんと会って、人生が変わったよ。・・・千早ちゃんのおかげで、私は、人生が楽しいものだって気づくことができた。人生は楽しいよ!楽しいんだよ!
千早ちゃんは、こんな楽しい人生を多分あと60年は過ごすことができるんだから、本当に幸せ者だよ。」
「本当は・・・あなたが・・・。」
「それ以上は言わないで!」
私は彼女の言葉を制した。そんなこと言ったって現実は何も変わりはしないのだ。
「千早ちゃん。幸せになる道は、きっと一つだけじゃないんだと思う。いろいろな方法がある。人生は・・・長い。千早ちゃんは、多分きっと、しつこく長生きするよ!」
千早ちゃんはクスッとだけ笑った。
「だから、縛られないで。千早ちゃんの宿命に。千早ちゃんを縛る鎖は・・・なくなった。そんなもの、最初からなかったの!何かにこだわろうとするから、それが手かせ足かせになっていただけ。全てから逃れてしまえば、千早ちゃんを縛るものなんて、最初から何もなかったんだよ。」
たとえすべて望月先輩の罠だったとしても、千早ちゃんはそこから逃れることができる。どこか遠くの国に行って、別人になって、そこで人生をやり直せばいい。千早ちゃんの魅力をもってすれば、そして千早ちゃんの強い生命力さえあれば、あなたは・・・たとえアフリカの奥地であったとしても、幸せに生きていける。
「春香・・・」
全てをあなたに捧げよう。私の大切な・・・最愛の人に。
千早ちゃんも何か言葉を交わそうとしているようだった。だけど、その言葉はなかなか出てこない。
もう残り時間は14分しかない。
「千早ちゃん、今までありがとう。千早ちゃんに会えて、本当によかった。」
私は、千早ちゃんのうつむいた顔を両手で持ち上げて、正面を向かせると、そのまま軽く口づけを交わした。
「春香ぁあ・・・あいしてるわ・・・。」
当り前だよ。千早ちゃん。
「私もだよ。千早ちゃん、愛してる。」
千早ちゃんは「うん」とうなづいてくれた。
「・・・じゃあね。バイバイ・・・。千早ちゃん、幸せになってね・・・。」
「うん・・・わぁかあぁぁったぁあ。」
千早ちゃんがそう言うと、私は千早ちゃんの両手を掴んで、私の喉仏に押しやって、力を込めた。
「ちから・・・こめてぇ・・・。」
喉から絞り出すような声を上げた。その直後、喉元が一気にしまった。
「はるかぁぁあぁぁぁぁぁぁああ!!!」
千早ちゃんは号泣して、取り乱しているが、力だけは確かに喉元に入っていた。
苦しい・・・だんだん、あたりが真っ黒になっていく。千早ちゃんの泣き叫ぶ声が、いつまでも耳に残っていた・・・。