第7節 本当の想い 秋月律子
千早は、私、秋月律子に衝撃的な名前を口にする。
「望月俊、彼がこの事件の黒幕。」
私は思わず言葉を失った。
「い・・・いま、なん・・・て・・・。」
「もう一度言うわ。この事件の犯人は、望月俊。これから私の夫になろうとする人物。」
信じられない・・・。
「嘘でしょ・・・。」
「彼しか考えられない。そして、彼が真犯人だと考えると、全てのピースがピタリとはまる。」
千早はとうとうと話し始めた。
「春香のお尻には発信機がついていた。でもそれは意味を為さなかった。その理由は、彼が一緒に拉致されたからではない。彼自身が犯人そのものだったから。彼と一緒に拉致をされたというのは、真犯人を隠す為の記憶操作。そう考えれば、すっきりする。それに、如月千種と望月秀幸の不可解な自殺、これも真相が発覚することを恐れた俊による口封じだとすれば、納得がいく。そして春香が取り戻したであろう『真実の記憶』、春香は自分の記憶が操作されていたということを知った。春香はこの事件の本当の黒幕を知ってしまった。だから・・・私には何も言わずに死を望んだ。もし私が知ってしまえば・・・私が耐えられないと思ったから。」
私はなんとか否定しようとした。
「そんなの・・・でもだって、監禁されていた施設や実行犯だって・・・これって望月秀幸のモノだったんでしょ。それこそが、何よりの証拠じゃない。」
千早は不気味に哄笑している。
「あんなものはいくらでも偽装工作できる。彼は、この犯罪を利用しようとした。望月秀幸が俊をこの犯罪で嵌めようとしていたことを知った。だから俊は、それをてこの原理のように利用した。この犯罪を完成させるとともに、この犯罪が望月秀幸によって行われたと証拠を残した。例えばこの事件の実行犯が、皆異口同音に『望月秀幸の犯行』だと言っているのは、別に彼らが口裏合わせをしているからじゃない。彼らは本当に、この事件の黒幕は望月秀幸だと思っているのよ。彼らは本当に望月秀幸に雇われていた。そして途中まで指揮を受けていた。だから、彼らはそう証言しているの。俊は、秀幸が組んだ事件を利用していた。私と春香のこともね。」
そんなの嘘よ!ありえない!私は声を大にして否定した。
「それは、千早の推理に過ぎないわ!彼がやったって証拠はあるの?」
「直接的な証拠は何もないわ。でも状況証拠はいくらでもある。春香が監獄の中で言っていたのよ。千種は春香と接触してきた。その際に連絡先を春香に教えたらしいの。そして春香は俊にあの女の連絡先を教えた。深くは言っていなかったけど、全ての対応を俊に任せようとしたのね。そして俊は、千種と連絡を取った。その目的は、千種を押しとどめるためではない。千種に取引を持ち掛けるためだった。」
「取引?」
「そう。俊は・・・あの人は・・・千種の復讐に協力する代わりに、事件の真相を聞き出したんだと思う。そして秀幸の犯罪を完成させようとした。」
私はどうしても納得できなかった。納得したくなかったのだ。だから私は食い下がった。
「でも、この計画を進めれば、望月俊にも多大なダメージが来る。事実、彼だってこの一連の事件でダメージを負ったじゃない。」
望月俊は、春香と千早、そして雪村楓の三人に三股をかけていたと世間からバッシングを浴びた。それだけでなく、望月家の閉鎖的かつ異常でいびつな家族関係にもメスが入り、彼自身の評判も傷ついていた。
「でも犯罪者にされてその地位から転がり落ちるよりかはましでしょ?失脚さえしなければ這い上がるチャンスはあった。事実、彼は社内抗争に勝って、財閥の創業家支配を守った。あの人にとっては、あの犯罪を利用することで、むしろ自分の面目を守ったのよ。犠牲はむしろ最小限だった。それに、彼自身もダメージを受けているから、誰も彼のことを黒幕だとは疑わないでしょ?」
千早に反論すべき言葉が思いつかず、私は黙り込んでしまう。千早は、まっすぐに、そして無表情に私を見つめている。千早はさらに私へ噛みついた。
「お母さん、多分あの女は喜んで俊が持ち掛けた取引に応じたと思うの。あの女の立場に立ってみれば、これほどまでに、喜ばしいことはないんじゃない?」
千早の言う通りだ。望月俊は、春香、そして千早にとって最愛の人だった。その人が、自分が考えるおぞましい計画の首謀者だったとすれば・・・その衝撃は、想像を絶するものになる。あの女が、そんなオイシイ提案に乗らないはずはない。
私は顔をしかめ、唇を噛み、両手でこぶしを作りながら答えた。
「・・・そうだと思う。」
千早は、不気味にニコリと笑う。私が「負け」を認めざるを得なくなったことが嬉しかったのか、それともただ単に、何も考えなく笑みを見せたのか、はたまた別の意図があるのか、とにかく千早はニコリと感情なく笑った。
「あの女にとっては、願ってもないオファーだったと思うわ。そして最後の最後には、必ずその真犯人の名を明らかにしようとしていたはずよ。」
そうか。もし真犯人の名が秀幸ではなく俊だったとすれば、千早へのダメージは最大となる。当然、あの女は最後の最後にはネタ晴らしをすることを考えていたはずだ。
「でもそれは俊の利害に反する。」
私が言葉を返す。
「だから、口封じのために殺された。」
「秀幸もそう。もし自分が起こそうとしている事件に、別の人物が関わっているとなれば、どこかで異変に気付いてしまう。そこで俊が関わってると分かれば、奴の思うつぼ。だから、先手を打って秀幸を排除したのよ。」
しかし不思議だ。
「でも・・・そこまでできるんだったら、最初からこんな犯罪起こさなくてもよかったんじゃないかしら。秀幸を殺してしまえばよかった。そうすれば・・彼だってこんな思いをしなくてもよかったのに。」
「もしも望月秀幸が理由もなく死に至れば、それは彼と対立する俊、あるいは剛三郎の犯行だと疑われる。それを避けるためには、彼を排除するための合理的な理由、つまり秀幸が『死に追いやられる』理由が必要だった。・・・あるいは・・・」
そう言って、千早はニカッと笑った。
「俊は本当に、春香と私のどちらと結婚するべきか迷ってたのかもしれないわね。」
冗談で言ったのか、本気なのか・・・私には千早の心の中が見えなかった。
重い空気が沈滞する。かけるべき言葉が見つからず、私は千早から視線を逸らし、テーブルの左端の方を見つめていた。千早も窓の外の景色を見つめているようだった。
私は重い空気を切り裂くように、言葉を紡ぐ。
「ねぇ、千早・・・いつ、分かったの?彼が犯人だって・・・。」
千早は窓の外を見つめながら答える。
「この事件は、望月財閥の人間しか起こせなかった。あの監獄は望月財閥の施設だった。そして実行犯は望月秀幸の手足となって動く暴力団、望月秀幸と如月千種との確かなつながり。どれを取っても、例えば水瀬財閥や雪村家は絡めない。そして望月剛三郎は犯人ではありえない。そんな理由がないし、そもそも彼は、あの監禁が起こる前にすでに殺されている。あの監禁は指揮しようがない。もし望月秀幸が単に嵌められただけなら、真犯人たりうる人間は一人しかいない。簡単なロジックだった。だから、私たちが解放されて・・・数か月の時点で、確信を抱いていたわ。でも・・・」
千早が目を落とした。
「春香が真相に気付かなかったら・・・多分私は彼が犯人だとは微塵も思わなかったでしょうね。あっ・・・でもその時は、春香は死のうとは思わないから、私が死んでるんだった。」
千早はまた冗談ともつかないことを言って、悲しい笑顔を私に向けた。
私は言う。
「死の間際になって、春香が真相を知った・・・。だから春香は死を乞うた。」
「これがあの女の復讐の最後のトリックだったのよ。千種は、春香に最後、夢を見せた。ねつ造された記憶っていう『夢』をね。そして、春香が最後に見た『夢』は、俊と幸せな一夜を過ごし、二人で濃密な愛を交わし合ったっていう、彼女にとって最高の夢だった。それを話した時の、あの時の春香の恥ずかしそうな顔が、今でも忘れられない。それくらい、彼女は幸せを感じていたのよ。そしてその上で、あの女は春香を奈落に突き落とした。彼女に本当の結末を見せた。春香の記憶にかけたはずの秘密のカギに細工をして、死の直前にすべてを思い出すようにした。当然、真実を知って、夢から覚めた春香はパニックになる。どっちの記憶が正しいのか、訳が分からなくなる。そして春香は本当の記憶に気付いてしまった。だから春香は死を望んだ。当然私はそれを不思議に思うでしょうね。どうしていきなり春香は死を望んだのか。好奇心の強い私は、その原因を探りたくなる。そして生き残った私は、まんまとこの事件の真相を探らされた。」
「そして千早は・・・真相にたどり着く。」
「これがあの女の最大の復讐だった。私が真実を知ってしまえば、そのダメージは計り知れない。そこまで見込んだ計算だった。」
そこまで何もかもが計算通りだったというの・・・でも千早は、彼と付き合う必要なんて無い。真相を知ってしまったからこそ、彼と結婚するなんておかしい。にも拘らずどうして千早は、何年も、望月俊が全ての黒幕だと知りつつ、彼と交際をしていたというのか・・・。
「どうしてよ・・・どうしてあなたは・・・真犯人の存在を知りつつ、彼と・・・。」
千早が窓を見つめながら、鼻で笑った。
「私・・・春香と約束してしまったの。『幸せになる』って。」
違う・・・。春香が望んでいたのは、そういうものじゃない!
「彼と・・・悪魔の所業をしたあの男と結ばれることが本当に幸せだっていうの!?」
「彼はお金持ちなの。資産だって数千億円もある。『生命の実』が実用化すれば、1兆円を超えることは間違いないわ。現にこうやって、私はお金に不自由しない生活を送っている。」
私は千早の方を見つめた。
「お金さえあれば千早は幸せなの!?千早は、金の亡者なんかじゃなかった筈でしょ!?」
自嘲気味に千早は笑っている。
「時が経てば、人は変わるもの。私は変わってしまったのよ。金の亡者に。」
「嘘よ!またアンタはそうやって、自分を卑下してるだけ!自虐してるだけよ!」
千早は何も返さない。
私はまた立ち上がって千早の隣へ座った。
「千早。窓じゃなくて、私を見なさい。」
千早の焦点は、依然として窓の方に向いている。
「私の目を見て話しなさい、千早。学校の先生に教わったでしょ。話をするときは、相手の目を見るって。」
千早がかすかに笑っていた。
「学校の先生みたいだね。」
「学校の先生よ。」
「じゃあ、何でも知っている学校の先生に聞くわ。『幸せ』って何?」
「それは・・・。」
幸せなんて、定義できるものじゃない。幸せは、その人が幸福感を感じていさえすれば、幸せなのだ。
「ほら、答えられないでしょ。」
「答えるわ。『幸せ』っていうのは、楽しく人生を過ごすことよ。人生を生きていて、人生って素晴らしいって思えること、もっといろいろとやりたいと思えること、そういうことが幸せなのよ。ねぇ、今の千早は幸せなの?確かに腐るほどお金はある。だけど今の千早にはお金しかない。そんな生活が幸せ?そんなことで満足できる?」
千早はようやく私の方を見た。
「お金だけ?それは違うわ。私には、もう一つ、夢があるの。」
そう言って、千早は自分のお腹に目を落とし、右手でゆっくりとさすった。
「まさか千早・・・。」
「身ごもっているわ。」
私は少し動揺した。
「そ、そう・・・。おめでとう。」
素直に喜べない。もしこれが普通の結婚相手だったら狂喜しているところなのだろうが、相手が・・・あの男では、喜ぶものも喜べない。
千早は、人を小ばかにしたような作り笑いをした。
「でも、彼の子じゃないわ。」
「えっ、あっ、えっ!?」
彼の子供ではない!?じゃあいったい誰の子を身ごもったって言うのさ。
千早はいたずらに笑っている。
「俊のことをまだ『望月先輩』って呼んでいたころ・・・雪村楓を貶める作戦をやっていたころ・・・彼は私に約束してくれたの。抱き合っていたベッドの中で。春香と先輩と私、3人が幸せに暮らせるようにしてあげるって。私は彼に、約束を守ってもらおうと思ったの。」
「でも、もう春香は死んでしまった。その約束は実現できない。」
「・・・実現できる。」
実現なんてできるわけないじゃない。彼女はもうこの世にいないんだから。ん・・・?
「春香はいなくなってしまった。でも春香の『オリジナル』はいる。」
「アンタ、まさか・・・。」
「春香の『オリジナル』からもらったのよ。彼女のクローン生殖細胞。それを私のお腹に宿した。これで生物学的に、春香と同個体の存在が生まれることになる。春香は、私たちの子供として生まれることになる。」
嘘でしょ・・・。そんな・・・。春香のクローンなんて・・・。
でもクローンだと・・・。
「クローン人間の寿命が短いのは、アンタも知ってるでしょ?」
「ええ、知っているわ。」
「その『春香』も・・・25近くで・・・。」
「死ぬでしょうね。『生命の実』は、余命を伸ばすことには効果があるけど、細胞がガン化するのを止めることはできない。どれほど細胞を若く保っても、細胞分裂の際にガン化してしまえば、いくら余命を増やしても意味がない。」
どうして千早はそんなことを・・・。
「じゃあなんで・・・。」
「『春香』は、何度でも甦るのよ。『オリジナル』から抽出した細胞がある限り。iPS技術で培養して、クローン生殖細胞を作り出し、お腹の中に宿せば、何度でも同じ『春香』を生み出すことができる。春香が『寿命』で死んでしまったら、また別の『春香』を産んで育てればいい。彼女が死んだら、また別の『春香』を産むだけ。」
狂ってる・・・。
「春香はモノじゃないのよ!?そんな命の尊厳を踏みにじるようなこと、許されると思ってるの!?」
「私と俊は、『生命の実』のおかげで永遠に生き続ける。数十年どころではない。百年、千年、一万年も。生きようと思えば、生き続けることができる。私たちだけじゃない。お母さんだって、望むなら何十万年と生き続けることができる。命の尊厳なんて、もうなくなったのよ。人間が寿命をいじれるようになった瞬間に、その言葉は死滅したの。」
私は鋭く千早を睨み付けた。
「ごまかさないで!私はそういう話をしているんじゃないの!春香の気持ちを考えたことあるの!?春香がどういう思いで、あなたに命を託したのか。たとえ、生物学的には同じなのかもしれないけど・・・その子は『春香』じゃない。私たちの知っている『春香』は・・・もう二度と帰ってこないのよ・・・。」
私は千早のお腹に触れた。この中には、確かに私たちが知っている春香と同じ個体がいる。だけど、その性格は・・・魂は別にある。
「お母さん・・・。」
千早は、お腹に触れている私の手を握ってお腹から離した。
「春香と私と俊の3人で生活することは・・・私の夢だった。お母さんの言いたいことは分かる。確かに、今ここに宿っている命は、『春香』であるけど『春香』じゃない。それでも私は・・・『春香』と一緒に居たいの。」
「たとえ『春香』が生まれても、その子の性格は、あの子とは・・・私たちが知っているあの子とは違う。もしかしたら大人しい子に育つかもしれない。リボンを付けないかもしれない。ロングヘアーを望んで、おっちょこちょいじゃなくてしっかり者かもしれない。あの子と違う『春香』になる。そうなった時・・・あなたは受け入れられるの?それを『春香』だって。」
千早は優しく微笑んだ。その表情からは、今の彼女は、本当の心のうちを包み隠さず語ってくれているような気がしていた。
「『春香』は生まれ変わったのよ。あの子は、あの監獄の中で死んで、そして転生して今は私のお腹の中にいる。・・・環境が違えば、性格が変わるのも当たり前。もし彼女の好きなものがテレビと本じゃなくて、パソコンとスマホになれば、もしかしたらもっと内向的な性格になるかもしれない。それも含めて、全て『春香』よ。とにかく私は、あの子が愛おしい。私が殺し、私のもとを離れていったあの子が。」
私は苦々しく千早を見つめた。
「同じ思いをするわ。春香が水瀬さんから手紙を受け取って、ショックを受けたように。今お腹にいる子も・・・。自分がだれかよくわからない人のクローンで、しかも25歳までしか生きられない。そんなことを知ったら・・・『自分は何のために生まれてきたのか』ってきっと悩み苦しむことになる。千早のことを恨むかもしれないわ。『どうして私を生み出したのか。ただの自己満足じゃないかって』。」
千早はキリッとしたまじめな顔になり、自分のお腹をさすった。
「私は『春香』を幸せにする。それは、私があの子にできなかったことだったから。絶対に言わせて見せるわ。『産んでくれてありがとう。私は幸せだった』って。」
私は顔をしかめた。
「随分な自信ね。」
そんな言葉に根拠なんてないと思ったのだ。確かに『春香』は超絶お金持ちの娘として生まれる。とはいえ、彼女の人生が幸せのまま行くなんて、誰が保証できようか。
「私は不幸の限りを知り尽くしている。だから人を幸せにすることができるのよ。誰かに心の底から尽くしたいと思い、そうしたことがある。だから私は・・・『春香』に対しても同じことをするつもりよ。」
「千早が尽くしてきて、それであの子は幸せになれたの?」
千早が、目を細めてうつむいてしまった。痛いところを突いてしまったようだ。
「ごめん・・・。今のは酷かった。」
千早に尽くされた『春香』は・・・死んでしまった。もうあの『春香』を幸せにすることはどうやってもできない。それに・・・彼女を幸せにできなかったという事実は、恐らくは、千早が一番気にしていることでもある。
「・・・事実よ。ふふっ、私は・・・結局春香の為に何一つしてあげたことはなかった。」
千早は顔を上げた。
「・・・だからこそ!私は・・・この子には尽くしたいの。あの子が味わい尽くした不幸の代わりに、幸福の限りを味合わせたいの。」
「千早は、耐えられるの?たとえどんなに幸せにしてあげたとしても、『春香』は25歳までに死んでしまうのよ!そうやって死んでしまったとき・・・千早はその悲しみに耐えられる?うんうん、そうじゃない。千早はずっと感じることになるのよ!この子は、何も知らない無垢な子として生まれてくる。人生に希望を持って、将来何になりたい、誰と結婚したい、こうやって幸せになりたい、そういう強い希望を持って育っていく。だけど!・・・それは・・・どうやっても実現できないのよ・・・。千早は・・・あなたはそれを知っている。それを知りながら、彼女の将来を願うふりをしながら、何も知らない彼女の笑顔を見守りながら!ずっと育てていかなくちゃいけないの!あなた耐えられるの!?辛くなるわよ・・・。春香が将来の夢を語れば語る程・・・実現できない歯がゆさに苦しむことになる。・・・千早が一番よく知っているでしょ。『春香』を失ったときの悲しみ、そして辛さ。『春香』を育てているとき、ずっとそのことを意識しながら生きていかなければならないのよ!『春香』の夢を実現することができない歯がゆさを噛みしめながら、千早は・・・生きていかなくちゃいけないのよ!その悲劇を繰り返すわけ?何回も、何十回も!そんな悲劇は・・・もう繰り返すべきじゃない。」
千早は苦痛で歪んだ笑顔を見せる。泣きたいのか、笑いたいのか、もうそんな感情の区別なんてついていないように見えた。
「・・・あの子がいない生活の方が耐えられない。これからだって私は・・・あの人とずっと一緒にいるんですもの。『春香』がいてくれないと・・・私・・・。」
望月俊・・・千早を深い悲しみに包みこんだ悲劇の元凶。
千早は、すっと立ち上がった。
「さ、もうすべて話し終わったわ。もう、帰ってもらっていい?」
「まだ話は終わってないわ。」
このまま帰るわけにはいかない!このままでは千早は・・・永遠に苦しみ続けることになる!
私・・・ようやく分かった。千早から話を聞くまで、私は、千早は私にすべてを認めてほしいと思っていたのだ。世間では千早に関していろいろな疑惑が言われていた。そして千早はそれをすべて否定してきていた。だけど千早はそうやってすべてを否定し、自分を守るために感情を押し殺す生活に疲れ切ってしまった。だから、私にすべてを話して、全てを認めてもらって、心の中に抱え込んだ闇を一緒に抱えてほしい、そう思っていたと考えていた。
だけど・・・そうではない。千早が私に望んでいることは!
「私の方はもう終わったの。今日は、私の話を聞きに来たはずよ。お母さんが喋る為じゃない。」
「何を急いでいるの?何か今日約束でもあるの?」
千早がスタスタと歩いていき、電話が置いてあるテーブルへ向かう。何をしようとしているのか・・・私は思わず立ち上がり千早の下へと近づいていく。
千早が受話器を上げる。どうやらフロントに電話しようとしているようだった。
私は受話器のリセットを押した。千早が私の方を振り返る。
「どうして急いでいるの?」
千早はうんざりとした様子で答えた。
「・・・約束があるの。」
「誰と?」
「・・・誰とでもいいじゃない。」
誰とも約束していないのだろう。
「じゃあ、その予定はキャンセルしてもらいましょう。」
私は彼女が持っている受話器を奪い取ると、そのまま元の位置に戻した。
「随分強引ね。」
「千早の性格が移ったのよ。」
「ふふっ、嫌な部分をまねたのね。」
「いい性格だと思うわ。」
私は千早の手を引いて、そのまま誘導するように、大きな窓の方へ。
時刻は午後4時頃だ。真夏ということだけあって、まだまだ陽が落ちる気配はない。
「いい眺めね。」
「私には、見飽きた眺めよ。」
千早はいつもホテルの上階にいた。彼女にとっては、これが普通だった。
どんなことを言おうか、どうやって千早を引き留めようか、そんなことを考えて無言になる。千早の方も私の言葉を待っているのか、話しかけようとしない。私たちは無言で2分ほど窓の外を見つめていたが、やがて、千早の方から話を始めた。
「今日、本当は披露宴の打ち合わせなんて無かったのよ。」
「えっ、そうなの?」
「お母さんに、この姿を見せたくて、ちょっと無理言って衣装を着けてもらったの。私にとって大切な人だからって、言ってね。」
「ありがとう、千早。」
確かに私にとって、いち早く彼女の白無垢姿を見れたことは幸せだ。だけど、大事なことはそこではない。どうして千早が、このとても忙しいタイミングでわざわざ私を呼んだのか。もう答えは明らかだ!
私は単刀直入に聞くことにした。
「今日、千早は私をここに呼び寄せた。『全て』を話したい、と言って。」
「そうよ。」
「その本当の意図は・・・私にこの結婚を止めさせたかったからでしょ。」
千早は表情一つ変えない。
「違うわ。私は・・・『全て』を話したかっただけよ。人生の大きな区切りを迎える前にね。」
それだけじゃないはずだ。真実を話すタイミングは、もっと沢山あった。5年間もあったのだ。千早が真相に気付いてから4年以上経っている。にもかかわらず、千早はずっと沈黙していた。そしてこのタイミングで、千早の方から話を振ってきた。しかも、これまで千早の力になってきた星井さんや水瀬さんではなくて、私にだけ、真相を話してきた。
「私にだけ真相を教えてくれた。星井さんも水瀬さんも、話していないのに・・・私にだけ話してくれた。」
「・・・そうね。」
「それは、私にしかこの結婚を止められないから。星井さんは、千早のことが好きすぎて・・・千早の『表面的』な意思を曲げることができない。実際彼女は、何が正しいかを分かっていて、そうできなかった過去がある。水瀬さんは、千早に負い目を負い過ぎて、千早の『表面的』な意思を曲げるっていう思い切ったことができない。そして私は・・・たとえ千早の為に何もしてこなかった『ダメ母』だとしても、たった一人しかいない、あなたの『母親』。千早に・・・『その結婚は絶対に幸せになれないからやめなさい』そう言うことができる資格がある。あなたの『友達』にはできない、私だけの役割。そうでしょ?」
「・・・別にそんな狙いはないわ。それに、私は美希や伊織がしてくれたアドバイスには従うつもりよ。でも私は『お母さん』に話したかったの。私の『お母さん』は世界で一人しかいないから。」
「それで、すっきりした?全てを話して。全ての真相を打ち明けて。それで満足?」
「ええ。すっきりしたわ。」
嘘よ!千早の顔は、スッキリどころか、まだ一片の想いも現れていないじゃない!
「嘘ね。」
「勝手に決めつけないでよ。」
「ねぇ千早、もし私が『この結婚を止めなさい』って言ったらどうする?」
千早はせせら笑う。
「どうするもなにも、私は結婚するわよ。」
「・・・絶対幸せにならない。」
幸せになんかなれるはずがない。見方を変えてしまえば、あの男は千早を・・・そして春香をレイプした人間でもある。二人のことをモノの様にしか考えていなかった冷酷な男。
「どうして?」
「それは千早が一番よく理解しているでしょ?」
「私にはわからないわ。」
分からないはずはない!千早は分かっていて、敢えてその現実から目を逸らそうとしているのよ!
「じゃあ教えてあげる。千早の心は・・・まだあの『監獄』の中に閉じ込められているからよ。」
千早は少しだけ笑った。
「意味が分からないわよ、お母さん。」
「本当に?」
「・・・ええ。」
千早が答えようとしないというなら、私が言うしかない。
「・・・千早は真実を知ってしまった。この事件の黒幕は、自分が愛してやまなかった望月俊だった。そのことを知った千早は、心を閉ざしてしまった。かつて千早が、そうやって虐待の日々を耐え抜いてきたように。違う?」
少しだけ間があった。
「・・・お母さんが何を言っているのか・・・分からないわ。」
私は窓の前に立ち、千早と正面に向かい合わせた。
「私の目を見て。千早。」
千早が微笑する。
「それは何?美希の真似?」
星井さんのように真実を見通せるわけではない。でも彼女が言うように、相手の目を見て話せば、何かわかることがあるのかもしれない。
「私は千早の心の奥が見たいの。」
「あれは美希の特殊能力よ。」
「私にもわかるような気がする。千早の考えていること。」
「じゃあ当ててみてよ。」
私は千早の目を覗き込む。心の中を見破られまいと、千早は必死に心を閉ざしているように見える。だけどなんとなく感じるのだ。千早の中の「恐怖」が。
「千早。一つ言っておくわ。千早は幸せにはなれない。このまま彼と一緒にいても苦しみぬくだけ。それも・・・まさしく永遠に。」
千早は表情一つ変えない。
「どうして幸せになれないって決めつけるのかしら。さっきから、それが私にはそれが分からない。」
「じゃあ聞くけど、千早は今幸せなの?」
「・・・幸せよ。」
「今、間があったね。」
そして、少しだけ目が泳いだ。
「関係ないわ。揚げ足を取らないで。」
「じゃあ逆に聞くけど、どうして千早は幸せなの?」
「彼と結婚できるから。」
「彼のことは好き?」
「ええ。」
「春香と千早を塗炭の苦しみに追いやった人間よ。」
「仕方がなかったのよ。そうしなければ、彼が犯罪者にされていた。この事件は、秀幸が指揮したと思わせる必要があった。そして偽装工作をするためには、如月千種の協力が不可欠だった。彼だって・・・望んで私たちに殺し合いをさせた訳ではない。」
「望月俊は、事前にこの犯罪を告発することができた。千種を捕えて、そこから芋づる式に望月秀幸を捕えて、彼を失脚させることもできた。春香と千早を傷つけないことだってできた。」
「そうなっていたら、俊はいまだに剛三郎の手のひらで踊らされていただけだったでしょうね。」
「それでも二人は生き残った。確かに望月俊は、別の人と結婚させられるだけかもしれない。それでも・・・あの人が本当に二人のことを想っていたなら、そういう道を選んだんじゃないかしら。」
千早は閉口している。私は畳みかける。
「望月俊という人は、最終的には自分のことしか考えていなかった。春香のことも、千早のことも、考えていなかった。だからあの人は、あんな非情なことができたのよ。」
千早の目がまた少しだけ泳いだ。
「それは・・・違うわ・・・。」
「何が違うの?」
千早は声を震わせている。目には涙が溜まっているのだ。
「あの人はぁ・・・ずっと私を・・・大切にぃ・・・してくれる。」
「いいえ。違うわ。あの人は、恐れているのよ。千早の存在を。だから、優しくしているだけ。千早が真相に気付いてしまったと知ったら・・・千早の身も危なくなる。だってあの人は、春香と千早のどちらかが必ず死ぬと分かっていても、黙って見過ごしたのよ。春香の死を何とも思っていない人間なのよ!?そんな人・・・信用できるっていうの?」
「俊はぁ・・・もうとっくに・・・私がぁ真相にたどり着いたぁって気づいているぅ。」
何だって・・・・
千早は鼻をすすり、目を手でこすった。
「私は春香の『オリジナル』から、細胞を移植したのよ。そんなこと、彼に無断でできるわけないでしょ。」
確かにそうだ。千早はあの人を経由して、お願いしたということなのか・・・。
「私は、伊織から『春香の正体』を聞いた。そして私は、全ての真実を知った後に、俊にお願いしたの。『春香』を産ませてほしいって。」
「・・・それが受け入れられたっていうの?」
千早は鼻をすすりながらも、妖艶な微笑を浮かべる。
「もちろん誓いを立てたわ。私は俊のことを絶対に裏切らない。お腹の中の『春香』に誓って。そうして、彼は私に『春香』を宿してくれた。彼も『春香』を人質にすれば、私が全てを知っていたとしても、私が裏切ることはないと思ったのかもしれないわね。」
背筋がゾッとした。
私は思わず千早の腕をつかんでいた。
「今すぐ逃げよう。」
千早は見透かしたかのように笑っている。
「逃げるって、どうして逃げるのよ。」
「このままじゃ、千早だって殺されかねない。」
「だから、『誓い』を立てたんでしょ。私は俊に、永遠の忠誠を誓うって。」
「彼がそれを信用しているとは限らない。」
「彼は・・・信用しているわ。」
嘘だ!千早自身、そうは思っていないはずだ。そう思っているのだとすれば、どうして千早の目はそんなに暗いというのだ。
そうか・・・。分かった。千早は「逃げられない」のだ。千早は心の奥底では、この結婚を止めて逃げ出したいと思っている。だけど・・・逃げられない、望月財閥が追ってくる。真相に気付いてしまった千早を取り逃がしてしまえば、全ての秘密が漏洩して、財閥が崩壊しかねない・・・。だから、千早は逃げたくても逃げられないのだ・・・。
じゃあどうすればいい・・・。千早は・・・私に結婚を止めさせたくて、いや、私に「逃げろ!」って言ってほしくて、私をここに呼んだのだ!本当だったら、今すぐこの細い腕を引っ張って、どこかに逃げなくちゃいけない!だけど・・・どこに逃げればいいんだ・・・。そしてどうやって逃げればいい?!
「私・・・本当にこの結婚を喜んでいるのよ。これでようやく私は、『如月』という呪われた苗字を捨てることができる。今まで20年もこの苗字を使ってきて・・・思えばいいことなんて全然なかったわね。でもそれも終わり。これからは、『望月』という名で生きていく。永遠にね。」
私は首を横に振った。
「『如月』という名前を捨てる方法は、もう一つあるわ。私と養子縁組をするの。縁組をして、私たちは本当の親子になる。そうすれば、千早は『秋月』という苗字を名乗ることができるようになるわ!」
千早は、にっこりと、機械的に笑っている。
「ありがとう、お母さん。気持ちは嬉しいわ。でもそんなことをしなくても、私たちは最初から親子だったわ。」
「『本当の親子』になるのよ!親が子を助けるのは当然のこと。なのに私は今までずっと逃げてきた。見たくない現実から!千早が助けを求めているのに、私はずっと目を背けてきた!そのせいで・・・千早はこんなになってしまった。」
千早は穏やかに、そして無味乾燥に笑っている。
「まるで今の私が酷い人間になってしまったような言い方ね。」
私は大きく頷いた。
「今の千早は・・・酷い・・・酷く醜いわ。まるでロボットと話しているかのよう。心が籠ってないのよ。」
でも今日の千早は、時折、心を覗かせてくれる。だけど、私がそこに手を触れようとすると、すぐに引っ込めてしまう。千早は硬直したまま閉口している。不気味な笑顔だけが私に向けられている。
私は千早の腕を揺さぶった。
「千早!逃げようよ、こんな結婚。こんなことしたって、千早は絶対に幸せになんかなれはしない!ずっと苦しむのよ。彼の陰に怯えて、『春香』の死を恐れて、ずっとずっと苦しんでいく。どんなに贅を尽くしても、決して千早の心が満たされることはない。だって、あなたが望んでいるものは、お金では手に入らないから!」
「・・・・・。」
「また三人で暮らそうよ。私と千早と『春香』の3人で。どこか遠いところに行くのよ!それでいいじゃない!そこで私は先生をして、千早はジャーナリストをして、春香を育てる。平凡だけど、普通のありふれた日々・・・求めていたんでしょ。こういう・・・何でもない日々。それを味わおうよ。『永遠の日々』なんていらない。必要なのは、『幸せな日々』、そうでしょ、千早・・・。」
千早は私の腕を振りほどいた。そして私から目を背ける。
「・・・もう遅いよ。お母さん。」
「遅くなんてない!こんな白無垢脱ぎ捨てて、私と一緒に逃げるのよ!千早の気持ちさえあれば、私はどこまでだってついていくわ!たとえ地獄の果てまでもね!」
千早はほんのり笑った。
「どこに逃げろって言うの?お母さんも知ってるでしょ?この国には逃げ場所なんてない。」
「じゃあ海外に逃げるのよ!海外ならば、望月財閥の力は及ばない。ヤクザだって海外には出てこられないはずよ。」
千早は不気味な笑みを見せる。
「知ってる?望月財閥は世界各国に子会社を持っているの。それに、お金はたんまりとあるから、現地のマフィアでも雇えば、それでおしまいよ。私が逃げられる場所は、地獄しかないの。でも私は地獄には行かないわ。だって、『死ねない』もの。私はこの場所で永遠に生き続ける。永遠に生まれ変わり続ける『春香』と一緒にね。」
「だったら、私も永遠に生きるわ。生きて、千早と『春香』を永遠に見守るわ。」
「そう・・・勝手にどうぞ。・・・もう、帰って。」
千早は、救ってほしいと思っている。この私に、この私しかできない方法で。でも、千早の言う通りだ。たとえアメリカに逃げたとしても、彼らが総力を挙げて本気でかかれば、殺すことはできてしまうだろう。海外に逃げたとしても、そこから先は長くない。
千早は、体を半回転させて私から目を背けた。
「千早。」
私は彼女を引き留めるように、後ろから千早の腕を掴んだ。
「まだ・・・何かあるの。」
私は千早を背中から抱きしめた。
「ごめん・・・千早。」
「・・・どうしてお母さんが謝るのよ。」
「千早は・・・ずっと助けを呼んでいた。」
「呼んでないわ。」
「でも私はずっと耳をふさいでいた。誰の助言も聞こうとせず、現実から目を背け続けた。一人で引きこもっていたのよ。事ここに至るまで、私は何もしてこなかった。」
「・・・・・。」
「引き返すタイミングはいくらでもあった。こんなことになる前に・・・春香を失ってしまうその前に・・・アンタたちを叱ってやるチャンスはいくらでもあった。ビンタして目を覚まさせてあげるチャンスはいくらでもあった。アンタたちの母親である私しかできなかったのよ。なのに私は・・・何もしてこなかった。そのせいで・・・アンタたちは・・・。こんな私を・・・許してなんてとても言えない。私は無知という大罪を犯した。そのせいで、春香は死んで・・・千早の心は・・・壊れてしまった。」
千早がしゃべりだす。
「お母さん、私もう帰らないと。今日本当は外出する予定なんて入れてないの。もちろんこの後の予定もない。これ以上遅れると、あの人に怪しまれてしまう。」
私は構わず続けた。
「私に罪滅ぼしをさせて・・・。その為に、私を『本当の母親』にしてほしい。」
「・・・・・。」
千早は黙っている。イエスともノーともいわずに。
しばらくして、彼女が口を開いた。
「お母さん。この結婚は、私にとって新しい『監獄』なの。『私たちを苦しめた元凶の下で幸せにならなくちゃいけない』そういう掟のある監獄。私は罪を犯し過ぎた。沢山の人を殺めてしまった。なのに私は、罰を受けていない。だから私は、罰を受けなくちゃいけない。」
「その罰が、この『監獄』なの!?永遠に生き続け、永遠に苦しまなくちゃいけない。そんなのあんまりだわ!」
「苦しまなければ罰にならないわ。私はもう4人の人間を殺してしまった。千尋、雪村さん、私に身籠った子供、そして春香。本当は死刑にならなくちゃおかしいくらいなのよ。」
違う。千早は・・・誰かを望んで殺したわけではない。あれはみんな不幸な事故だったのよ。
「千早は十二分に苦しんだじゃない!苦しんで、罪を償ってきた。その上さらに永遠に苦しみ続けるなんて・・・。」
「私は、これからも罪を犯し続けるわ。『春香』を・・・苦しめ続けてしまう。私のわがままのせいで・・・。」
人生には、恐らく定められた目的なんてないのだ。自分の人生は、まるでキャンバスの様に自由で白いものだ。そこにどう色を塗るかは、全て自分で決めなくちゃいけない。
でも『春香』はそうではない。『春香』は、結局のところ千早の自己満足の為・・・悪い言い方をすれば、『ペット』になる為生まれてくるのだ。そして春香は、自由なキャンバスを持っていない。白く見えて、既に「白」で塗りつぶされている。
春香は25歳までしか生きられない。仮に春香が何かをしようとしても、それはきっと達成できない。将来の夢も、未来への希望も、全て何もかも丸抱えしたまま命を絶たれることになる。そんな悪夢のような現実が、これから先ずっと繰り返されていく。
「『春香』は・・・生まれない方が良いのよ。」
「この子を殺せって言うの!?」
「この子は、もう命が宿ってしまった。これから先の話よ。」
「・・・私には・・・無理よ。『春香』がいない生活なんて。そうでないと、私は・・・きっとこの監獄を耐えられない。」
「耐える必要なんて無いわ。」
だが、千早は私の言葉を無視した。
「お母さん。お願いがあるの・・・。」
「何・・・。」
千早は私の手を取って、自分自身を半回転させて私と向かい合う。
「披露宴に出てほしいの。私の『母親』として。」
「千早・・・。」
事前に千早からそう打診されていた。しかしその時は断っていたのだ。私は、千早に母親らしいことを何もしてあげていなかったからだ。千早は、「両親がいない」という状態で結婚式に臨むつもりだった。
「お願い、お母さん・・・。」
「私に・・・あの男と千早の結婚を祝う手伝いをしろっていうの。」
「そうよ、お母さん。私は『幸せにならなくちゃいけない』から。」
千早が私を見つめている。その目は、悲壮なほどの決意にあふれているように見えた。私には「母親」を名乗る資格なんて到底ないのだが、千早が懇願するなら仕方ない。
「・・・分かったわ。私、千早の『母親』として、結婚式に出るわ。」
「ありがとう。お母さん・・・。」
千早の顔が少しだけほころんだ。だけど、その目には光が無い。
違う・・・違うよ、律子!どうして、私はこんな約束をしているんだ!?私は・・・千早を逃がさなくちゃいけないのに!
私は自問自答する。このまま・・・これで、いいというのか・・・これしかないっていうのか・・・。
確かに望月財閥は強力だ。それ故に、たとえ海外に逃げたとしても、千早が生き残ることはできないだろう。
ならば・・・望月財閥が弱体化すればいいのではないか。少なくとも、望月俊を財閥から排除し、望月家を財閥から取り除いてしまえば、千早が狙われることはなくなるのではないか。
「じゃあ、本当に、もうこれで帰るね。打ち合わせは、また電話でしましょう。」
「待って。」
私の体を振りほどこうとする千早に、思わず呼びかけていた。
「まだ何かあるの?」
言わなければ。私が言わなくちゃいけない事、私にしか言えない事。
「・・・千早が幸せになる道は一つじゃない。千早を縛り付ける鎖なんて、存在しないのよ。ここは『監獄』じゃないの。『掟』だって存在しない。何かに囚われているから、それが手かせ足かせになってしまうのよ。もしそのせいで、千早が身動きできなくなっているんだとしたら・・・、私が助けに行くわ。私決めた。私が・・・私だけが、千早を幸せにすることができるの!ほかの誰でもない、星井さんでも水瀬さんでもない。あなたのお母さんである私だけが、千早を救い出すことができるわ!」
気づけば、千早が、はらはらと涙を流している。
「まるで『春香』みたいね。あの子も言ってたわ。死ぬ直前、全ての真相を知ってしまった後にね。『幸せになる道は一つじゃない。何かに囚われると動けなくなる。逃げてしまえばいい』ってね。でも私は、逃げることは許されない。」
そうだ。千早は逃げたい。だけど千早は逃げられない。だから私がしなくちゃいけないことは・・・千早を連れ去ってしまうことなのだ!そして、千早に「最後の一撃」を決断させること。
「資格とかそういう問題じゃない。だって、私、あなたを誘拐しちゃうから。」
「えっ?」
「私は千早を誘拐する。海外に・・・ハワイに連れて行ってしまうのよ。そしてそこであなたを脅迫する。『あの事件の真相を話せ、あの事件のカラクリを話せって』ね。そうして千早は全ての真実を世界に公開するの。あの事件の黒幕は望月俊だったって。そうやって彼が逮捕されて失脚すれば、千早はもうあの人に怯えてなくて済むようになる。」
千早は目を剝いて驚いた。
「そんなことできるわけないでしょ!?」
「どうしてよ?千早になら出来るわ。ねえ、証拠とかないの?あの人がやったって裏付ける証拠。」
千早は、俯いたまま何も話さない。やはり、そんなもの・・・。
だが千早は、私の手を振り払うと、そのまま同じ部屋の化粧台があるところへ歩いて行った。そこには、千早が持ってきたポーチがある。彼女はそれを開けて、一つのボイスレコーダーを取り出した。まさか・・・そこに証拠があるって言うの・・・。
千早は私の目の前までやってくると、レコーダーの再生ボタンを押した。
「俊、一つお願いがあるんだけどいい?」
それは紛れもなく千早の声だった。
「何だい、千早。」
「大事な話なの。」
「うん。」
千早は、ひどく重苦しい声だ。
「今度、望月製薬が新しい医薬品を発表するみたいね。」
「そうだよ。うちが出す画期的な不老不死のクスリさ。医薬品業界に革命が起きる。望月製薬は革命の震源地になるんだ。うちの財閥も飛躍的に発展を遂げると思う。千早にももっといい思いをさせられるはずさ。」
彼の声は、明るくハリがあるように聞こえた。新しいこの医薬品の販売をまさに心待ちにしていたという感じだった。
「そのことなんだけど・・・さ。」
「ん?」
「・・・『生命の実』だっけ・・・あれを作るまでにいろいろなことがあったんだよね。」
「色々って?」
「例えば・・・春香の母親に人体実験を施していたとか・・・。春香の母親からクローン細胞を作り出して、春香を生み出したとか・・・。」
「・・・・・どうして千早がそんなことを知っているんだい?」
望月俊の声のトーンが低くなった。
「伊織から聞いたのよ。彼女はあの研究の研究資料を読んだことがある。だから、春香の本当の正体を知っていたの。」
「なるほどね。で?君は何がお望みなのかな?」
少し間があって、千早が答える。
「春香のお母さんって・・・まだ生きているの?」
「・・・生きているよ。もちろん。大事な検体だからね。」
「じゃあ・・・私に『春香』を宿してほしいの。あの人からクローン生殖細胞を作って、私に宿してほしい。難しくないんでしょ?」
「・・・簡単なお願いじゃないな。いくら君の頼みでも、それはできない相談だな。」
「どうしてよ?」
「いいかい。君のお腹に『春香』を宿す。それはつまり、僕と君の子としてこの子を産むことになる。僕にも君にも全く似ていない彼女をだ。一体この子は何なのかということになる。世間体的に許されないよ。それに、伊織から聞いていないのかい?仮に『春香』を産んだとしても、その子は25歳までしか生きられない。彼女が幸せな人生を過ごしたいと思っても、それはどうやっても実現できないんだ。そんな子を産んで、君は、そして『春香』は幸せになれるって言うのかい?」
千早は黙ってしまう。この人の言っていることは正論だ。だけど、その次に千早から出てきた言葉は、耳を疑うようなものだった。
「あの事件の犯人は、秀幸じゃないんじゃないかな。」
「・・・どういうこと?」
「あの監獄の中で、私も春香も、記憶を消されていた。そして拘束される中で少しずつ思い出していったの。そして春香は最後に『望月秀幸がこの事件の黒幕』という記憶を思い出した。私たちは、話し合いや、いがみ合いの末、最終的にはジャンケンの結果で、私が春香に殺されることになっていた。だけど・・・死の間際になって、春香はまた別の記憶を思い出した。そして今度は私に、自分を殺すよう春香は言ってきたのよ。これってどうしてだと思う?」
「・・・春香が自分の出生の秘密に気づいたからじゃないか。自分はクローン人間であり、長く生きられないという事実に気付いた。だから、千早に自分の命を譲ろうとしたんじゃないか。」
「私も最初はそう考えた。だけど、よくよく調べてみると、春香が思い出した『望月秀幸がこの事件の黒幕』という記憶には、ねつ造された跡があった。春香が思い出したこの記憶だけ、いくつか事実誤認があったの。だから私は、『望月秀幸がこの事件の黒幕』という記憶は、真犯人が植え付けた偽の記憶だと思う。」
「ふーん。でも、そんな証拠はないよね。」
「・・・ええ。だからはっきりさせておきたいの。この事件の黒幕は一体誰だったのか。」
「どうして今更そんなことを気にするんだい。もうあの事件は終わったんだ。僕たちは未来に向かって明るい道を歩んで行く。気にする必要なんて全くないんだ。」
「・・・私にとっては、まだ終わっていない事件だからよ。年がら年中、マスコミが私を追いかけまわしては、非難され、罵倒され、追及される。そんな生活、もう5年近くも続いているのよ。私にとっては・・・今も続いている、そういう事件なの。」
「真実を知ってどうするんだ?告発でもするのか、兄の名誉回復を図る為に。」
「どうしもしないわ。ただ、私たちがお互いに夫婦として信頼し合ってやっていく為に、お互いにすべての秘密を共有したいだけ。だって・・・私たちは『永遠』に夫婦になれるんでしょ。だから、私たちの間で隠し事はしたくないの。特に・・・私たちが夫婦になるきっかけを作った、あの事件のことはね。」
あの男はしばらく無言になっていた。そこを千早が畳みかける。
「私・・・もう疲れちゃった。こんな生活・・・。」
「もうそれも終わる。僕たちが正式に結婚をすれば、僕たちは六本木ヒルズに移れる。そうすれば、マスコミもおいそれと近づけなくなるはずさ。」
「私、今すぐここで死んでもいいって思っているの。」
「何言っているんだ千早・・・。」
「私の人生は、もう十分楽しんだ。これ以上は、もう何も望めないと思う。でも、もしあなたが、私に生きていて欲しい、私を必要としている、そう言ってくれるなら、私は俊の為にどこまでもついていくわ。」
「もちろんだよ。僕には君が必要だ。君の永遠の愛がね。」
「じゃあ教えてほしい。この事件の黒幕は・・・あなた・・・なんでしょ。」
緊張感がレコーダー越しに伝わってくる。私も思わず息を飲んだ。
「望月秀幸が、何かを企んでいることを掴んでいたあなたは、その悪事を暴こうと考えた。だけど、秀幸が何を企んでいるか分からなかった俊は、如月千種に接触した。そして千種の復讐計画に協力することと引き換えに、あの男の計画のすべてを知った。これは俊にとって好都合だったのよ。秀幸の計画を利用することで、秀幸自身と剛三郎さんの二人を同時に葬ることができる。そして自分自身は被害者であるから、黒幕と疑われるリスクは少ない。秀幸の計画を利用すれば、自分の手を殆ど汚さずに済む。そうでしょ?」
あの男は何も語らない。
「別に私は、あなたを責めるつもりはない。俊だって、本当はこんなことしたくなかったでしょうから。・・・私が産む『春香』は、いわば人質なの。私は、いつ死んでもいいって思っている。だから、あなたが私を脅迫しても脅迫は成立しない。だけど・・・私、この子の為だったら・・・何でもできる。生前の春香に・・・私何もしてあげられなかったから・・・。その代わりに、私はこの『春香』を大事にしていきたいの。この子の命が掛かっているんだったら、私は・・・あなたに、永遠の忠誠を誓える。これでどう?」
あの男はまだ沈黙を保っていた。
「ねぇ覚えてる?あなた約束してくれたわよね。私と春香と俊の3人で仲良く暮らすって。だったら・・・今のその約束を果たしてよ。そうすれば私・・・もっと幸せになれると思うから。ね?」
更にしばらく間があって答えた。
「・・・そこまで知っているのか。良く調べ上げたね。」
「フフッ。私、ジャーナリスト志望でしたから。」
「・・・いいだろう。千早が望むとおりにしよう。」
カチッ、千早はボイスレコーダーのスイッチを切った。
「これが・・・証拠よ。」
私は心音の鼓動で何も話せそうにない。
「私は取引をしたの。全てを黙っておく代わりに、『春香』を宿すことをね。」
「なんて危険なことを・・・。」
「私本気だった。本気で・・・もうこんな生活止めたいと思っていた。だけど、私・・・春香に・・・春香に会いたくなっちゃったの。こういう方法を使えば・・・彼女に会えるって分かっていた。だけど・・・怖かった。あの人の闇に触れるのが・・・。」
私は千早を真っすぐに見つめている。千早は私から目を逸らそうと、床の方を見つめている。
「お母さん、今なら・・・引き返せるわ。今の話を聞かなかったことにして、来週の披露宴に出る。そうして、今までのように、単なる母親と子の安全な関係でいる。そうすれば、お母さんが殺される心配はない。」
私は・・・もう迷わない。だって、この子の『母親』になるって決めたんだもの。
「誰が逃げるもんですか!どんなことをされても、私の決意は揺らがないわ!私、千早を誘拐する!そして千早を脅迫して、事件の真相を暴露させるのよ!」
「本気なの!?お母さん・・・。」
「本気も本気よ。本気で私は、千早を誘拐する。そしてすべてを暴露して、3人で一緒にハワイで幸せに暮らすの。もうあんな寒いところとはおさらばよ!」
「分かってるの!?お母さんも危険に晒されるのよ。死んじゃうかもしれないのよ!?望月財閥全てを敵に回す、それって死に行くのと何ら変わりないのよ!」
「私は・・・たとえ世界のすべてを敵に回しても、千早を守るわ。だって・・・私はあなたの『母親』だから。もう逃げたりしない。今まで千早を放っておいた分、私は千早の面倒を見るのよ。」
千早が驚いて、目を見開いた。
千早の目がみるみる潤んでいる。
「バカね、そんなことできるわけないじゃない。そんな馬鹿なぁ話に付き合ってぇいる暇はぁないわゎ。」
千早の声が震えている。
「できなくなんてない。やろうと思えば、絶対にできる。千早、顔に書いてあるわよ。本当は涙が出るほど嬉しいって。」
千早がぽろぽろ涙をこぼしている。頑張って笑顔を作ろうとして、変な顔になっている。
「そぉんなぁわぁけなああぃでっしょぉ。」
私は千早を抱き寄せて、頭を撫でた。
「千早は正直者ね。私は、千早のそういうところが大好きよ。」
「うっうううっうぅぅぅ・・・。おかぁさぁんをぉきけぇんにしたぁあくなあぁいぃ。」
私は永遠に生きるくらいなら、「家族」と過ごして死にたい。ずっと生き続けるなんて御免だ。ずっと生きているなんて、死んでいることと何が違うっていうのか。
「私は、春香と千早と3人で暮らせるなら・・・たとえ短い時間でも、幸せなのよ。千早はどうなの?永遠に生きていたの?永遠に、彼の奴隷でいたいの?」
「うわぁぁぁああぁぁぁあlっぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁんんあななぁl、うわぁぁぁぁぁ・・」
彼女は大声をあげて泣いている。堰を切ったように涙があふれだし、感情があふれている。
「私はぁ、私はぁぁぁ!!春香と・・・お母さんと!一緒にいたぁあぁい!」
私はさらに思い切り抱きしめ、頭を撫でた。
「よく言えたわね、千早。えらいわ。お母さんがほめてあげる。」
「うわぁぁぁぁぁああんんlllんlんl、おかあぁあぁさぁぁあん!だぁぁいああいすきぃいいい!」
千早はまるで子供みたいに泣いている。もっと泣けばいい。もっと甘えればいい。今まで泣きたくでもなけなかった分、甘えたくても甘えられなかった分、その想いを私にぶつけてくれればいい。
それは、千早のお母さんである私にしかできない事。星井さんや水瀬さんには、出来ない事なんだから。
「わたぁああぁぁぁぁあっししぃ・・ずっとさぁぁああびしかったぁぁあっぁぁ・・。ずっとぉおぉおこころぼそかあっぁあったぁぁぁ。(私、ずっと寂しかった。ずっと心細かった。)」
「うんうん。」
「こころをををぉとじてぇぇぇいたぁあっからぁ!だぁあれにぃぉもさとられぁないよぉおぉうにいぃい、してぇえいたぁかあぁらぁぁ・・・。(心を閉じていたから。誰にも悟られないようにしていたから)」
「うんうん。」
「こわかぁぁあlたあぁあl。ずっとぉぉぉおおぉこぉのままっぁあなんてぇぇえ、えいえぇええんにぃぃい、あぁあのぉひとぉのもとぉでいきつづぇけるぁなんてぇぇぇぇええ!(怖かった。ずっと永遠にあの人の下で生き続けるなんて。)」
「うんうん。」
「おかあぁぁぁあさんぁあ、たぁあすけぇぇてぇぇくれなかあたぁあああらあぁ、わぁあたしぁあ、どぉおおしったあらぁぁいいあぁか。(お母さんが助けてくれなかったら、私はどうしたらいいか。)」
「遅れてごめんね、千早。」
「うっわぁぁぁあん、おかあああぁさんのばぁあかぁ!ずうぅっとぉおおまってえぇえいたぁぁあんだぁぁよ!(うわーん、お母さんのバカ!ずっと待っていたんだよ)」
「よしよし、千早は、かわいいなぁ。」
「うあわぁあぁあぁんんll」
千早は、私の胸の中で、いつまでも泣いていた。
・・・子供みたいに。