第2章 千早の過去 残り118時間 如月千早
第1節 千早の考察
胸の鼓動を感じていた。そして強い嫌悪感、こみ上げてくるような嘔吐の感覚を感じていた。改めてこの部屋の息苦しさに驚いた。それは、自分が絶望的な状況に置かれているということだけが原因ではないだろう。
この部屋には窓が無い。空気を入れ替える為、低い唸りを挙げながら、換気扇が回っているだけだ。
気づけばタイムカウンターは2時間ほど時を刻んでいた。つまり、さっきの男の放送から2時間が経過したということになる。
天海春香という女の子は、明り取りの裸電球から離れた、カメラが見える位置の壁にもたれかかり、体育すわりをしながらうつむいている。
ピンク色の半袖の服に、中に緑かかった服が見える。下はグレーのショートスカート。足元は、水色のハイソックスに茶色のロングブーツといういで立ちだ。かなりおしゃれに気を使っているような印象を受ける。私とは大違いだった。
髪型はヘルメットをかぶったようなボブヘアカットに、特徴的なのが頭の両端につけられている2つの赤いリボンだ。髪のおしゃれにもいろいろとあると思うが、頭の両端にリボンをつけているのは初めて見た。もっとも、私の記憶がかなり消されている影響があるのかもしれないが。
私は刻一刻と時を刻むタイムカウンターを見つめながら、天海さんから少し離れた壁にもたれかかっていた。
私は記憶を失っていた。知識や常識といった日常生活に関する事柄は、比較的はっきりと持っているように思う。だけど、自分に関する記憶がほとんどすべて抜け落ちてしまっているのだ。どうやら、彼女もそうだった。
気になることはいくつもある。
そもそも、どうして私が天海さんという女の子と一緒に閉じ込められ、殺し合いをさせられなければならないのかということだ。
恐らくだが、答えは「犯人は私と天海さんの2人を恨んでいるから」だろう。こんな犯罪は、はっきり言って異常でしかない。誘拐は誘拐でも、身代金誘拐とか性的目的誘拐とか、それならまだわかるのだ。しかし犯人の目的は、「私たちに殺し合いをさせること」なのだ。
明らかに、そしてあからさまに強い害意を感じる。
私は正面上を見つめた。一つ目小僧のように、監視カメラの赤い点が光り輝いている。
犯人はここの様子をすべて見ている。それだけでない。さっき天海さんと男の会話が成立したことから、中にマイクも仕掛けられているのだ。つまり、この部屋で起きることは完全に犯人側に筒抜けになっているということだ。
犯人は私たちのリアルタイムの殺し合いに興じようとしている。
そこまではまだわかるのだ。
しかし分からないのが、どうして「私たちの記憶を消した」のか、ということだ。直感的にわかることがある。それは、あそこで体育座りをしている天海春香という女性と私は、浅からぬ関係にあるということだ。
だったら、記憶をそのままにしておいてもいいはずだ。赤の他人としてふるまうより、記憶を有する人同士の方が、犯人にとってもドラマチックで面白くなるはず。にもかかわらず、犯人はわざわざ記憶を消した・・・。そこにどんな意図があるというのだろうか。
そういえば、さっき男は最後にこんなことを言っていた。私たちは「親友同士」だった。本当なのだろうか。今の私には、そのことを検証するだけの記憶がない。
何かしなくては始まらない。時間は限られているのだ。
とりあえず、私は天海さんに話しかけてみることにした。お互い記憶を失っているから、得られることは多くないだろうが、それでも何かを思い出すきっかけになるかもしれない。
「天海春香さん?」
「天海でいいです。」
「天海さん。」
「はい。」
「・・・さっきのスピーカーの声・・・多分男だと思いますけど、あの声は、私たちは『親友同士』って言ってましたね。」
「そうですね。」
「何か、記憶あります?」
天海さんは、押し黙ってしまう。でもしばらくして、天海さんが口を開いた。
「何となくですけど・・・私、如月さんが笑っているところ・・・見たことがあるような気がするんです。」
私が笑っているところ・・・。
「こんな感じですか?」
そういって私はにこっとして見せた。笑顔を作る元気すらないこんな状況下で、私はどんな表情を見せたのだろうか。きっと引きつった作り笑いにしかなっていなかっただろう。
案の定、天海さんはうつむいてしまった。
「もうちょっと、楽しそうな笑顔でした。」
「ですよね・・・。」
ダメだ。話題を変えよう。私は彼女の特徴的なリボンに目を向けた。
「そのリボン、なんだか可愛らしいですね。」
「えっ?」
天海さんは再びこちらの方に顔を向け、キョトンとした顔をしている。まさかリボンの存在に気づいていないのか?
「天海さんの頭にある、そのリボンです。」
私は髪の両端のところに両手を当てて、リボンの存在を指示した。
つられて天海さんも両手を髪の両端へと押し当てる。
天海さんは、あっ、という表情を見せていた。本当に気づいていなかったようだ。
「知らなかったんですか?」
「え・・ええ。あまりに自然だったもので・・・。」
「いつ着けたんでしょうか、そのリボン。」
可愛いらしい赤い2つのリボン。何かが思い出せるかもしれない。
「ええっと、たぶんずっと着けていたんだと思います。」
「ずっと?」
「はい。たぶん、幼いころからずっと私、リボンをつける習慣があったような気がするんです。そんな記憶がある。」
天海さんの幼い頃か。
「家族構成とか思い出せます?」
天海さんは目を瞑って、思い出し始めた。
しばらくして、彼女がゆっくりと目を開いた。
「ごめんなさい。全く思い出せないです・・・。」
「そうですか。」
天海さんが問うてくる。
「如月さんはどうなんですか?」
「私ですか。私は・・・」
どうだったかな。私の家族。
「思い出すために、少し時間をもらってもいいですか。」
天海さんは、ゆっくり頷いた。
私も天海さんを見習って、目を瞑ってみた。ぶーんという耳障りな音をかき消すため、耳をふさぐ。完全な静穏の中で、私はゆっくりと過去を思い出そうとしていた。
目を瞑ると、完全な闇が訪れた。何も見えない、何も聞こえない、そしてそこに浮かんでくるものは何もない。すべてが闇に埋もれた暗黒の空間だ。
私は海馬を刺激するように、意識を集中させた。何とか記憶をほじくりだそうと試みる。
しばらくすると、不思議なことに、少しずつ過去のことが浮かび上がってくるのだ。
見えてきたビジョンは・・・。どういうことなんだろうか。笑い声が聞こえる。私の遠くの方で家族のだんらんがあって、でもそこに私はいない。私以外の誰かがいる。2人の男女と小さな女の子。私はそれらを遠くから物欲しそうに眺めているのだ。
あの二人は両親なのだろうか。そして小さな女の子は、私?でも、だとしたら、どうして記憶の中の私はこんなにも寂しそうな気持なのだろうか。
もっと意識を集中させてみよう。あともう少しでその大人二人の顔が見えてきそうだ。
だんだん記憶の中のもやが晴れてくる。そしてついに、大人の男女の顔が明らかになってきた。
間違いない。そこに座っている大人の女性は、私の母親だ。そして正面に父親がいる。そしてその間に挟まれるようにして座っているのは・・・私ではない。誰だ、この女の子は。私の妹なのか?記憶がない・・・どういうわけか、この子に関する記憶はまるでない。両親のことは少し思い出せたというのに、どういうわけか、この子については何も思い出せなかった。
私はゆっくりと目を開いた。
「どうでした?」
天海さんが、瞑想から覚めた私に尋ねてきた。
私はゆっくりと声を細めて答えた。
「私には、両親がいました。そして妹が一人。」
「へえー、そうなんですか。」
「だけど・・・どうしてなのか、私はすごく寂しい思いをしていたんです。」
「寂しい?」
「はい・・・。家族の団欒、そんな光景が頭に浮かびました。だけど、その場に私はいなかった。その団欒から遠くの方で、私はそれを恨めしそうに見ていました。」
「家族の団欒の中に入っていなかったんですか?」
返す言葉がない。私は短く「はい。」と答えるしかなかった。ゆっくりと私は俯く。
「失礼を承知で聞きますけど、如月さんって、家族から愛されていました?」
私はハッとして天海さんの方を見返す。
「どういうことですか?」
その表情が少し怒気を帯びていたのか、天海さんは気圧されえたような表情を見せていた。
「いや、気に障ったならごめんなさい。だけど、如月さんの話を聞いて、私・・・嫌な想像をしてしまったんです。たぶん、私の心がゆがんでいるせいです。ごめんなさい、忘れてください。」
いや、聞き捨てならない。仮に辛い真実だとしても、私は自分に何が起こったのかを知りたい。
「天海さん、遠慮はいりません。思ったことを言って頂いていいですか。」
天海さんは、少し戸惑いを見せながらも、私の方に体を向けて、そして正座をして、話しかけ始めた。
「如月さん、もしかしたらあなたはネグレクトを受けていたのではないですか。」
「ネグレクト・・・。」
育児放棄。子供に愛想を尽くして、子供の面倒を見なくなってしまう、一種の児童虐待だ。さっき思い出した断片的な記憶だけでは、必ずしもそうとは断定できない。だけど、天海さんの言葉を聞いて徐々に記憶が鮮明になっていくようだ。
「妹さんがいたんですよね、あなたに。」
「はい。」
「妹さんは両親から愛されていた。」
「ええ、恐らく。」
「にもかかわらず、あなたは団欒の中に入れず寂しい思いをしていた。」
「・・・・・。」
「考えられるのは、妹だけ愛されていた。あなたは、愛されなかった。これって、どうしてなんだと思います?」
天海さんはやけに示唆的に尋ねてくる。もしかしたら、天海さんは私に関する何かを思い出したのではないだろうか。
「天海さんには、何か考えがあるんですね。この謎を解く何か。教えてもらっていいですか。天海さんの考え。」
彼女は真剣な表情を向けた。
「私にも理由はわかりません。だけど、その話を聞いて、ピンと頭に思い浮かんだことがありました。もしかしたらあなたは、両親の本当の子供ではないんじゃないでしょうか。」
私が本当の子供ではない?突然のことに動揺が隠せない。私が両親の子供ではないということは、養子?
「私は養子だということですか?」
天海さんは、眉をひそめた。
「かもしれません。分からないです。あくまで如月さんの話を聞いた、単なる私の直感です。根拠なんて、何一つとしてありませんから、過剰に受け止めないでください。あるいは・・・。」
「あるいは?」
天海さんはまたしても「根拠のない話」と断りを入れたうえで、自分の意見を話し始めた。
「例えば、連れ子だったとしたらどうでしょうか。如月さんには、本当のお父さんかお母さんがいた。だけど離婚をして、そのあと再婚した。そうは考えられないですか。」
両親の離婚・・・不思議とどこか思い当たる節がある。
「天海さん、もしかして、あなた知っているんじゃないですか。例えば、記憶があるときの私から聞いて、その記憶が残っているとか?」
「ごめんなさい。そういった類のことは、本当に何も覚えていないんです。ただ、如月さんの言葉を聞いて、不思議とピンと、直感的に浮かんだことなんです。」
「そうですか・・・。」
私はまた天海さんから目をそらして、目を瞑ってみた。なんだか、思い出せそうな気がするのだ。私の両親、家族について。
しばらくして、暗い闇の中で、幼いころの記憶が蘇ってきた。私は一人で過ごしていた。それは確か・・・母親が働きに出ていたからだった。
だんだん思い出してくる。マグマが吹き上がるかのように、不思議と記憶が戻っていくようだった。そして私は、自分がどういう人間だったのか、思い出していった。