第2節 義憤
私は中学を卒業した後、地元の公立学校に進学した。そこで私は、千早ちゃんと出会うことになった。
高校に進学して、ますます私は孤立していた。中学2年生に、私は軽い世間話ができる「友達」はできたのだが、高校に進学すると、それすらいなくなってしまった。友達関係がまたリセットされてしまったのだ。
でも私はそれでよかった。自分の出自の秘密を知らされて、私の心は日に日に荒んでいった。私は、「生まれてはいけない人間」だった。所詮生きようが死のうが、全く関係ない人生。そんなつまらない人生だったから・・・私にはたとえ世間話をするような人であっても、無駄に思えてきていたのだ。
高校一年の時、私がいたクラスではいじめが起きていた。
いじめられていたのは、佐藤さんという色白で声がか細く、それでいて可愛い女の子だった。そんな彼女が、3人の女子にいじめられていた。
いじめていたのは、東豪寺、三条、朝比奈という気の強い3人の女子たちだった。
この三羽烏のいじめは、佐藤さんの私物を隠したり、教科書に落書きをしたり、彼女の机にゴミを置いたりと、見た目では分かりにくい陰湿なものばかりであった。
クラスのみんなは、見て見ぬふりをしていた。みんなクラスにいじめがあることは知っていた。それどころか、あの三人を筆頭にして、クラスの3分の1くらいは、いじめに半ば協力し、参加していた。中には、『魔王エンジェル』と呼ばれたあの3人が怖くて付き従っていた人もいたに違いない。でも、そんなのは言い訳にならない。どんな理由があったとしても・・・いじめが許されるはずがない。
親が自分の子供を虐待してはいけないのと同じように、強い子が弱い子をいじめてはいけないのだ。
それは、たとえ傍観しているだけでも同じだ。傍観して、いじめを許す土壌を作っている時点で、「魔王エンジェル」達と同じなのだ。
だから私は、佐藤さんのいじめに参加していたも同然だった。佐藤さんのことはかわいそうだと思った。でも・・・それは私には関係ないこと。例え佐藤さんがいじめられて悲しい思いをしようと、仮に自殺しようとしても・・・そして本当に自殺してしまったとしても、それは私には関係のないことなのだ・・・。
でも私は、どういう訳か彼女を放っておくわけにはいかない気がしたのだ。何故だか分からないけれど、私は佐藤さんが悲しんでいる、泣いているところを見たくはなかった。
そして無性に「魔王エンジェル」への怒りが募っていくのだ。別に私は、彼女たちに何かをされた訳じゃない。私と「魔王エンジェル」は何ら無関係。でもそれでも、私はこの3人が許せなかった。
あとから思ったのだが、私はこの3人のいじめと、私の母の虐待をだぶらせたのかもしれない。思い返せば、佐藤さんが泣いている姿は、私が悲しんで涙している時にどことなく似ている気がした。
ある夏の日のことだった。
お昼休みになって、私が教室に戻ってくると、クラス内の様子がおかしいことに気づいた。みんな、一点の方向を見てくすくすと、笑っているのである。
その視線の先には佐藤さんの机があった。その机には、「バカ、ブス、不潔女死ね!」等と罵詈雑言が書かれた教科書が散乱していた。あの3人組は、佐藤さんの教科書にひどい落書きをしていたのだ。
それだけじゃない。あの3人は、佐藤さんが丁寧にまとめていたノートも破って、無造作に机に置いていた。もう試験は近いというのに、これじゃ彼女は勉強できないじゃないか。
私は、この理不尽な環境に言いようもない義憤を覚えながらも、自席に戻って静かに読書に耽っていた。
私の席は、彼女の席の少し後ろにあった。だから、佐藤さんが、どんな状況か、よく観察することができていた。
やがて、佐藤さんが教室に返ってくると、一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに真顔になってゆっくりと自分の座席に近づき、そして・・・落書きされた教科書、そして破かれたノートを丁寧にカバンにしまっていた。
彼女のカバンの中もちらっと見えた。彼女のカバンの中には、殆どものが入っていなかった。そして私物という私物には、落書きがされているか、壊されているかのどちらか。恐らく、彼女は、カバンにあまりものを入れないようにしていたのだろう。
そうしないと、全て隠されてしまうか、壊されてしまうから・・・。
あるいは、既に何か隠されているのかもしれなかった。
私は、こんな理不尽な仕打ちをするあの3人が許せなかった。どうして、彼女をいじめるのだろうか。そんなことをして何が楽しいのだろうか、私はあの3人が本当に不思議だった。そして、許せなかった。
私は漏れ聞こえた嗚咽で、本から視線を逸らして、嗚咽の聞こえる方向を探した。佐藤さんだ・・・。彼女が声を殺して泣いているのだ。
私は周囲の様子を伺った。周りにいる女子も男子も、その様子をただ見ているだけだ。一部の人はその様子を悲しそうな顔をしながら傍観していた。そして他方の人たちは、その様子を嘲笑していた。
当の「魔王エンジェル」は、さも「佐藤さんが悪い」とでも言いたげに、教室の後ろで泣いている佐藤さんを見下ろしつつ、くすくすと笑っているのである。
私は、そのどれもが許せなかった。クラスには三十余名の人間がいるのに、みんなこの理不尽な状況を眺めているだけなのだ。明らかな犯罪が行われているのに…誰も何もしようとしないのだ。
そして、私は気づいた。その私自身も・・・この三十数分の一の存在にすぎないことに。
私も佐藤さんのいじめに加担している・・・?
静かに嗚咽を漏らす佐藤さんを横目に見ながら、何事もないように本を読んでいること・・・そのことが、彼女のいじめに加担することになる。
当たり前のことだった。みんなどこまで気にしているのだろうか。彼女にどんなに同情の念を寄せていても、それを言葉にしなければ、行動にしなければ。どんなに彼女のことを思っていても、それは伝わらないのだ。意味が無いのである。
私がこうやって、彼女の境遇に悲しみ、同情の念を寄せていたとしても、それを言葉に表さない限り、行動に起こさない限り、それは意味を為さないのだ。
振り返れば、「魔王エンジェル」は、彼女たちを睨み付ける格好になっていた私に目をやって、ガンを飛ばしてきていた。
「逆らうのか?」3人の目は、私にそう訴えかけている。「逆らったらどうなるか分かっているのか?」その挑発的な目は、どことなく、私をしかりつけている時のお母さんのものに似ていた。
逆らってやろうじゃないか。
頭に血が上っていた。
私はすくっと立ち上がり、そして3人の目の前まで向かい、「魔王エンジェル」の3人に対峙した。
クラス内は、突然の出来事に、これから何が起きるのかとワクワクしている様子が伝わってきた。
「何よ。何か文句あるの。」
3人組のリーダーである東豪寺が私にそう吐き捨てた。
私はその東豪寺の横っ面に向かって、バシンと一発ビンタをくらわした。
突然のことに、クラスがざわつき始める。それと同時に、仲間がビンタを食らった残りの2人は私に怒り心頭だ。
「てめえ、なにすんだよ!」
二人が私を突き飛ばす。私はよろけながらも体勢を整えて、言い放った。
「どうして、あなたたちは佐藤さんをいじめるの!?そんなことして、楽しいの!?彼女があんたたちに何かしたわけじゃないでしょ。苦しんでいる佐藤さんを見て、何がそんなに面白いのよ!?」
三条が言い返す。
「あんたには、関係ねえだろ!」
「関係なくないよ!こんなひどいこと放っておくなんて、出来るわけないじゃん!みんなだって関係あるんだよ!」
そう言って私は、みんなの方を指さしながら、一瞥した。クラスの中の好奇の目は、動揺へと変わっていった。
「あいつは、汚いやつなんだよ。馬鹿で、ブスで、不潔な人間なんだよ。だから、懲らしめるのが当然だろ。」
朝比奈が、さも当然のようにそういう。
「彼女は汚くなんかないし、馬鹿でもブスでもない。それはあんたたちがやってきたんだよ。あんたたちが彼女の教科書に落書きしたり、ノートを破ったりなんかしなければ、佐藤さんはちゃんと勉強できてた。あんたたちが男子を使って、虫を彼女の
カバンとか机の中に入れたりしなければ、彼女だって清潔だったのよ!」
東豪寺がほほを抑えながら、私に殴りかかってきた。
「よくもやりやがったな。」
そういって彼女は私につかみかかってきた。
私はそれを必死でガードしていた。けれど、彼女の方が力は強い。それに三条や朝比奈も加勢してきた。取っ組み合いになったら、私は勝てない。
私は思いっきり叫んだ。
「誰か助けて!」
私は二度三度と助けを求めた。けれど、周りで見ていた観衆たちは、誰も私を助けに来てはくれなかった。みんな我関せずという態度で、一部は先生を呼びに行ったのか、クラスから離れた人もいた。
やがて騒ぎを聞きつけた先生達が教室に入ってきた。
「何やってるんだお前らは!」
先生が入室して我に返ったか、東豪寺や三条たちは手を止めて、私から離れた。
「ちょっと事情を聞かせてもらう。こっちにこい!」
先生がそう言うと私は、教室から離れた進路指導室なる教室に連れていかれた。あの3人はまた別の部屋に連れていかれたらしかった。
ここで全てを話してしまおう。クラスにいじめがあること、そして東豪寺たち3人とその取り巻きが、佐藤さんを執拗にいじめていたということ。
すべて話してしまえば、後は先生たちがいじめを何とかしてくれるだろう。そう思った。
しばらくして、担任の黒井先生が進路指導室に入ってきた。そして、よっこらしょと言いながらパイプいすに腰を掛けた。
「けがの具合は大丈夫か」
取っ組み合いをした結果、私の顔面には小さなあざができていた。体のあちこちが痛い。多分、体中あざだらけになっているのだろう。でも、大きなけがはしていないようだった。
「大丈夫です。多分大きなけがはしていないです。」
私はそう答えた。
「そうか、それは良かった。で、早速本題なんだが、どうしてこうなったんだ、一から説明してみろ。」
私は、今までの経緯をすべて話していた。あの3人が佐藤さんをいじめていて、私物や教科書・ノートを破り捨てたり、落書きしたりしたこと。彼女のカバンや机の中に虫を入れたり、悪口を言ったり、靴に砂を入れたりしたこと。私は、そうした3人のいじめが許せなくて、抗議してビンタしたのだと。
「本当か、もしそれが本当なら何とかしなくちゃな。でも天海。そういう乱暴なことはしちゃいけないぞ。まずは、先生に相談することだな。」
「はい・・すみませんでした。」
「じゃあ、もう教室に戻っていいぞ。」
私は立ち上がり、先生に向かって一礼をすると、そのまま教室へと戻った。
体は痛めつけられてしまったけど、これで佐藤さんへのいじめは収まったと思った。あとは黒井先生に任せておけば、いじめはきれいさっぱりなくなって、彼女も普通に学校に通うことができる。よかった、よかった。
私はそう思っていた。けど、現実はそううまくはいかなかった。
既に午後の5時間目の授業が始まっていた。教室に戻ると、まだあの3人組は教室には帰っていなかった。授業が始まっていたので、私はしずしずと自席についたのだが、クラスメイトの私を見る目がとても冷ややかに感じられたのをよく覚えている。「みんなもいじめに加担している」そんなことを言い放ったからなのだろうか。いじめを指弾した私への風向きは、お世辞にもいいとは言えなかった。
しばらくして、あの3人組も教室に帰ってきた。イライラしている様子で、ドアを乱雑に開け閉めした。そのことを先生が注意するのだが、3人は全く聞き耳持たずという態度だった。
3人は私を睨み付けながら、自分の席に戻った。クラスの空気が凍り付いているのをひしひしと感じていた。
みんなが私を警戒している。私を危険人物だと思っている・・・。私は、佐藤さんの方を覗き込んだ。彼女は、隣人から貸してもらったらしいルーズリーフに、黒板の内容をメモしていた。
私は授業の最初から教室にいた訳じゃない。じゃあ、その内容は、佐藤さんに見せてもらおう。
その時はまだ気づかなかった。私が大きな力を敵に回してしまったことに・・・。