第5節 二人だけのベンチ
あれから二週間後、信じられないことが起こった。
私は担任の黒井先生に呼び出され、また例の進路相談室へと連れていかれたのだ。そして今度は、副校長先生、校長先生まで一緒だった。
三人が言うには。「東豪寺、三条、朝比奈の三人が天海さんをいじめている」という内容の匿名の通報があったというのだ。それを受けて、事の真相を確認する為、私を呼んだという訳だった。
しかも、3人は証拠も提示していた。黒井先生はボイスレコーダーを差し出し、それを再生した。そこには、私をいじめていた事を仄めかす東豪寺達の肉声が入っていた。
私は、自分がいじめられていたと認めた。私はあの三人がしてきたことを洗いざらい吐き出したのだ。
それからしばらく経って、あの3人は学校を退学になった。
私は、如月さんが全てやってくれたのだと思った。その予感は、確信へと変わった。
クラス内では、如月さんが、いじめを告発したのだと専ら噂になっていた。どうやら、彼女は複数の親しい友人にこの事を打ち明けていたらしく、そこから噂が漏れ伝わったようだった。
実は今回の告発は、周到に仕組まれていたことが後で分かった。
如月さんは、あの3人がぼろを出して、いじめについて語るのをずっと待っていたのだ。そしてその様子を録音した。それだけじゃない、彼女は密かに私の落書きされた教科書やノートを盗み出し、その様子を写真に収めていたのだ。
そしてそれらの証拠書類を持って、如月さんは、黒井先生・副校長、校長、そして教育委員会にまで通報していた。
学校の外部が関わってしまったことで、学校側としても引くに引けなくなった。このままいけば、マスコミにまで情報が流されかねない。
そうして学校側も重い腰を上げたのである。黒井先生は、そして学校は、佐藤さんがいじめられていたこと、そして私がいじめられていたことも知っていた。だけど、事なかれ主義で、何もしてこなかったのだ。
如月さんは、そうした学校の体質を良く見抜いていた。完全に、如月さんの作戦勝ちだった。
如月さんは、有言実行をしてくれた。でもそのせいで、彼女は一人ぼっちになってしまった。如月さんは、いじめの犯人として、あの3人を告発し、それ以外については告発しなかった。それは、彼女なりの配慮だった。
でも、それが却ってクラスメイトを震え上がらせた。かつて「魔王エンジェル」の取り巻きだった人たちは、「またいつ過去の古傷を暴かれなけない」と警戒し、模様眺めをしていた人たちも、「如月さんに関わると何が起こるか分からない」と、彼女に距離を置くようになってしまったのだ。
その一方で、私も一人ぼっちのままだった。別に私は、望めばどこかのグループには入れたと思う。だけど、私は、如月さんを放っておきたくはなかった。
私は、佐藤さんのきもちはよくわかっていた。そしてそれと同時に、見捨てられる恐怖と悲しみも知っているのだ。
私は、如月さんとお友達になりたい。高いリスクを冒してまで、私を助けてくれた彼女と、私は仲良くしたい。・・・そう思ったのだ。
10月中旬のある日、私は如月さんをお昼ごはんに誘うことにした。
如月さんも私と同じで、いつもお弁当を持ってきていた。私はいつも自分で作っていたが、多分彼女はお母さんに作ってもらっているのだろう。
昼休みのチャイムが鳴り、私はカバンの中からお弁当を取り出して立ちあがった。お弁当箱はずっしりと重い。そのまま、私は如月さんの元へと向かった。
彼女も私が向かってきているのに気が付いていた。
「如月さん・・・一緒にお弁当に行きませんか。」
そう言えば、なんだかんだで彼女と話すのは、あの日放課後で話して以来だった。
「・・・いいわ。一緒に行きましょう。」
そういうと、彼女は立ち上がった。
「校庭のベンチで食べない?そっちの方が静かでいいわよ。」
如月さんがそう提案した。確かに、積もる話もある。できれば、二人きりで、邪魔されないところがいいと思った。
「そうしましょう。」
うちの学校の校庭は、はっきり言って狭い。その狭い校庭の奥の方に、ベンチが3脚ある。そこは普段人が来ない場所だ。
ベンチに到着すると、二人はベンチに腰を下ろし、早速お弁当を開いた。
今日の私のお弁当は、日の丸ご飯に、シュウマイ、卵焼きに、漬物だ。如月さんは、ふりかけご飯に、ハンバーグ、それとポテトサラダ等の簡単なサラダだった。
「いただきます。」
二人はそう言ってお弁当を食べ始めた。
気まずい。何から話していいのか分からない。とりあえず、軽い話題から入るか。
「如月さん、もう英語の課題は終わりました?」
「まだ終わってないわ、天海さんはどうですか?」
「私もまだ半分くらいしか。まだ2日間あるから、それまでにはなんとか終わらせられると思うけど・・・。」
「私なんか全然手を付けてないの。何とか明日中には終わらせなくちゃ。」
そこから無言になってしまう。別の話題を振ってみるか。
「如月さんのお弁当おいしそうですね。お母さんに作ってもらっているんですか?」
「いいえ、毎朝自分で。天海さんは?」
「私もそうなんです。奇遇ですね。」
「そうですね、でも私なんか、スーパーでお惣菜を買ってきて、それを詰め込むだけですから。天海さんも?」
「私だってそうですよ。毎日豪華なお弁当を作ってたら、夜寝る暇ないですから。」
そう言って私達は大笑いした。でもすぐに、また沈黙に戻ってしまう。やっぱり、本題から目を背けるのは止めよう。そんなことをするために、今日お弁当を誘った訳ではないのだ。
「如月さん・・・。ありがとう。私を助けてくれて・・・。」
如月さんは黙っている。
「私、うれしかった。そして信じられなかったですよ・・・。本当に、このいじめから抜けられるなんて思ってもいませんでしたから。」
「・・・だから、言ったでしょ。放っておけないんだって・・・。私は、天海さん、あなたには笑顔でいてほしいの。あなたには、きっと笑顔がよく似合うと思う。」
本当だろうか。自分自身、あんまりそういう自覚はないのだ。
「なんて感謝したらいいか分からない。周りから疎まれて自分が一人ぼっちになってしまうかもしれないのに、自分が今度はいじめの標的にされてしまうかもしれないおに・・・それでも、助けてくれて・・・。」
心がズキズキする。涙があふれてくる。今まで押し殺してきた感情が爆発してしまいそう。
「そんな、泣かなくたっていいじゃない。」
如月さんは笑って話す。
「それだけ、うれしいんです。多分、今まで生きてて一番うれしい・・・。」
涙がぽろぽろあふれてくる。うれし泣き。私は今まで、こんなにもうれしくて涙を流したことが無かった。
「そう言ってくれると、うれしいわ。でも、絶対『人生で一番』は、もっと後に起きるんだと思う。人生は、まだまだ長いわ、私も、あなたもね。」
この人は良くできた人だ。どうして、こんなにも達観したことを平然と言えるのだろうか。表情一つ変えずに、如月さんは遠くを見つめていた。その視線の先には、多分、私が考えているよりも遥かに先を見据えているのかもしれない。
「天海さん、笑ってみてよ。きっと、素晴らしい笑顔になるはずよ。」
笑顔、愛想笑いとかではなく、笑顔・・・。そういえば、もう久しくそんな表情をしたことが無かった。どんな表情をしていたのだろう、私の笑顔。
「・・・私の笑顔、きっと大したことないですよ。それに、今なんて、泣きっぱなしだから、不細工な顔にしかならないです・・・。」
「かわいくない笑顔なんてないわ。笑顔は、心の薬膳料理よ。笑顔になれば、嫌なことだって、きっと忘れられる。だから、笑ってみようよ、こんな風に。」
そういって、如月さんは私のほうに向きなおり、二カっとわらって見せた。あの時、あの放課後で私に見せた、まぶしい笑顔だった。
その瞬間、私の体に電流が走った。彼女のそのまぶしい笑顔は・・・凛々しいながらも、優しくて可愛げのあるその笑顔が、「トクナガ先生」の笑顔に重なって見えたのだ。あの放課後で感じた、ドキドキした感情の正体は、これだったのだ。
そういえば私も、「トクナガ先生」の笑顔には勝てないんだったっけ。「トクナガ先生」が笑顔だと、私も自然と笑顔になってしまう。
あの人の笑顔を思いだして、心の底から安心できたのか、自然とほおが緩んできた、
「いい感じ!その調子!」
如月さんは、一瞬驚いたような表情をして、はしゃいでいる。彼女の笑顔はますますまぶしくなる。それにつられて、私の表情もどんどん緩くなっていた。どんな表情をしているのだろう。泣き腫らして、きっと不細工だ。
「最高の笑顔よ、春香。」
春香・・・彼女が私を下の名前で呼んでくれたのは、初めてだった。
私はどこか気恥ずかしくなって、彼女のほうから顔をそらし、地面を見つめた。たぶん、私の顔は紅潮していたのだろう。
「・・・やっぱり、この呼び方はまずいかな?」
私の異変に気付いた如月さんは、おずおずと私に尋ねてくる。私は、ゆっくりと、そしてはっきりと答えた。
「ううん、違うの。・・・ちょっぴり、恥ずかしいなって・・・。“友達に”、下の名前で呼ばれるの・・・久しぶりだったから。」
私は無意識に、彼女のことを「友達」と言っていた。それがうれしかったのか、如月さんは笑顔を見せた。
「そうね・・・じゃあ、『如月さん』と『天海さん』にする?」
でも、それは嫌だった。なんか他人行儀な気がした。私は、彼女との距離を縮めたい。うれしいのだ。私を友達と認識してくれる、そんな人を「さん付け」で呼びたくなんてなかった。
「いいよ・・・春香で。その代り・・・『千早ちゃん』って呼んでいいかな?」
「いいわよ。・・・これから、よろしくね、春香。」
「こちらこそ、よろしくね。千早ちゃん。」
こうして、私と千早ちゃんはお友達になった。
それからというもの、私と千早ちゃんは常に一緒だった。お互い、クラスからつまはじきになった者同士、仲良くやっていけた。傍目から見れば、それはたぶん美しい友情のように見えたのだと思う。
でも私は、千早ちゃんとの関係は、どこか普通の友達関係でないような感じがしたのだ。
クラスメイトたちは、たいてい、仲のいい友達同士で放課後どこかに遊びに行っていた。カラオケだったり、ゲーセンだったり、あるいはカフェでお茶したり、行先は男子と女子で違うし、遊び方も全然違うけれど、クラスメイト達はどこかに遊びに行っていた。
だけど、私と千早ちゃんは、決してお互いに校外で遊びに行くことはなかった。
それは私にとっては好都合だった。私も週に3回本屋でアルバイトをしていたし、アルバイトがない日は、早く家に帰って掃除洗濯、そして母のために料理を作って待っていなければならなかった。そうしないと、母にものすごく怒られるのだ。放課後に遊ぶ暇なんてなかった。
休日も大体同じ感じだった。私は母におびえていた。それにお金もなかった。どこかに遊びに行く余裕なんてなかったのだ。
どうやら千早ちゃんも普段は忙しそうだった。千早ちゃんはカラオケ店でアルバイトをしているらしい。だから、遊びに行く暇なんてなさそうだった。
別に外に遊びに行かなくても、私は何も問題なかった。千早ちゃんとは、話がよく合った。勉強のこと、バイトのこと、クラスのこと、好きな本のこと、そして料理のこと。学校にいる時間だけでも、話題には事欠かなかった。ただ、千早ちゃん家には、ダイニングキッチンにしかテレビはないそうで、ほとんどテレビは見ないのだそうだ。
でも、二人とも決して口に出さなかった話題がある。それは、家族のことだった。私は意図的にその話題になることを避けていた。例えば、料理の話をしている時でも、それをだれが食べてくれるのか、そのことだけは話さないようにしたのだ。
千早ちゃんが家族の話題に触れたくない私のことを気遣って、わざと家族に関する話題を避けてくれているのだと思っていた。
でもなんだか違った。私には、千早ちゃんも、家族のことを話題にされるのを嫌っているように感じられたのだ。もっと率直に言えば、家族の話題になるのを避けているような気がした。
私は別に詮索するつもりはなかった。他人のプライベートを暴き立てたいなんて欲求はなかったし、逆に千早ちゃんに私のプライベートを詮索されたくなかったからだ。
私は、千早ちゃんには秘密があると感じていた。私に秘密があるように、彼女にも決して人には言えない秘密がある。
決して何かの証拠があったわけではない。女の勘とでも言ったら笑われるかもしれない。でも、なんとなく、私と同じ匂いがしてならないのだ。どこか仄暗く、つかみどころのない何かが隠れているような気がするのだ。
しばらくたって、私は、もしかしたら千早ちゃんが自分と同じ境遇なのではないか」と思うようになった。
虐待、彼女は私と同じように、家族に何かを強いられているのではないか、そう思った。
けれど、私は何も聞けなかった。聞く勇気が無かった。もし違ったら、とんでもなく失礼なことを聞いてしまうことになる。
それに、もしそうだったとしたら、私も彼女に虐待の事実を告白しなければならない。そうしたら、やがては私の秘密までばれてしまいそうだ。それは嫌だった。
そもそも、そんなことを知ったってどうしようもないのだ。虐待されている、そうカミングアウトされたところで、したところで、状況がどう変わるという訳ではないのだ。それは自分が一番よく知っている。
結局、私たちは両親からは逃げられない。高校を卒業して一人独立するまで、私たちは親の桎梏からは逃れられない。
私には、どうしても解せなかった。
なぜ、千早ちゃんが、安定した女子グループに属し、普通の高校生活を送っていた彼女が、絶対的な権力を誇っていたあの3人と敵対して、今いるグループを追い出されて、自分がいじめの対象になるかもしれないリスクを冒してまで、私を助けてくれたのか。
千早ちゃんは「ほっとけなかった」といった。でもそれは、本当なのだろうか。私には、何か別の理由があるような気がしてならなかった。
千早ちゃんは、私が虐待を受けていたことにもしかしたら、気づいていたのではないかと思った。だから、同じ境遇にいた私のことを「ほっとけない」と思ったのかもしれない。
でも、だったとしたら・・・打ち明けてもいいはずではないだろうか。同じ仲間を見つけることができたというのに、どうして千早ちゃんはそれでも黙っているのだろうか。私にはそれも解せなかった。