第7章 告白 残り80時間 天海春香
第1節 レイプの苦しみ
千早ちゃんの介抱のおかげで、少しだけ気を取り直せたと思う。
今私は、千早ちゃんの隣にいて、正面の扉が見える壁にもたれかかって、一緒に手をつないでいる。
なんだかとても安心する。私たちはとても無力で、千早ちゃんだってどうにかできるわけではない。にもかかわらず、何だか一緒にいるだけで、お姉さんを得たような気分になるのだ。
私は、自分がレイプされて初めて、その苦しみを知った。どれだけ辛くて、どれだけ苦しくて、どれだけ絶望的なのか。そしてその行為を受けている最中に、私は、千早ちゃんが、絶えずそういう苦痛に耐え忍んでいたということを思い出したのだ。
レイプ。女の尊厳を踏みにじる卑劣な犯罪。たとえ、どのような理由があろうとも、こんな行動が許されるはずがない。
なのに、あの男は、千早ちゃんの処女を奪ったかばかりか、千早ちゃんの弱みに付け込んで、毎日のようにレイプしていたのだ。思い出すだけで、怒りがこみあげてくる。
記憶が、よみがえってくるのだ。
第2節 お弁当大作戦
私と千早ちゃんの、どこか他人行儀な関係は、翌年の春まで続いた。
私自身は、彼女との関係は満足だった。それなりに楽しかったし、一人で過ごすより気が晴れたのは間違いない。確かに、千早ちゃんとの関係は、私のちっぽけな人生の中では、オアシスのような心地よさを感じていた。
でも、高校二年のクラス替えで、私と千早ちゃんは別のクラスになってしまった。私は案の定、新しいクラスに馴染むことができず、また孤立した日々を送っていた。
私は、クラス替えをしたら、千早ちゃんとの関係は切れてしまうのだと思った。今まで「友達」と呼べる子とは、ずっとそうだったし、だからきっと彼女ともそうなるんだろうと思っていた。
だけど、私は千早ちゃんのことが忘れられなかった。私は、千早ちゃんは、今まで出会ってきた友達とは違う、何か「特別」なものを感じていたからだ。
だから、私は千早ちゃんのクラスに遊びに行って、千早ちゃんと昼休みを過ごすようになった。
その頃からだ。千早ちゃんの様子がおかしくなったのは。
昼休みに私が千早ちゃんのもとを訪れて、昼食に誘っても、昼食に応じてくれなくなったのだ。そしてその顔は、ひどくやつれていた。
どうしたのだろうか。私はすごく心配した。
「新しいクラスに馴染めてないの?」
私はそう尋ねたが、千早ちゃんは「そういうことじゃない。」とぶっきらぼうに答えるだけなのだ。
千早ちゃんは、なんだか私に関心を失ってしまったようだった。「クラスが違うのに、どうして仲良くしなくちゃいけないの。」とでも言いたげな表情だった。「もうほっといてよ。」そんな表情だった。
たぶん、もし私が千早ちゃんに暗い「陰」を感じていなかったら、私は千早ちゃんのことを忘れて、関係を絶ってしまったと思う。
だけど私は、千早ちゃんが私を袖にしようとしているのに、何か理由があると感じたのである。
それはもしかしたら、彼女が受けているかもしれない虐待が関係しているのではないか。虐待がひどくなってきたのかもしれない・・・。
深い根拠があった訳じゃない。動物的な勘、女の勘と言えばそれまでだし、単に私が彼女と離れたくなかったから、彼女の中に「陰」を見出してしまっているのかもしれない。
ただ一つ言えることは、千早ちゃんは、「意図的に」私を遠ざけようとしているように感じたということだ。そこには、何か「そうせざるを得ない」理由があるはずだ。千早ちゃんが私を捨てたなんて思いたくない。何か理由があってそうせざるを得ないのだと信じたい。
私は、どうしても千早ちゃんの「陰」を取り除きたかった。もし仮に千早ちゃんが虐待を受けていたとしても、私はどうすることもできない。自分自身の虐待でさえ、どうすることもできないのだから。だけど、せめて・・・私が千早ちゃんを癒してあげたい。そうやって「陰」に光を当てたい。
かつて千早ちゃんが私を助けてくれたお礼がしたかったのだ。
彼女はクラスの中で孤立しているように見えた。ただ、彼女は別に周りから嫌わられているわけではない。千早ちゃんの方から、周りとの接触を絶っているようだった。
私が彼女の教室を訪れて、何度お昼ごはんに誘っても、千早ちゃんははそれに応じてくれない。私が千早ちゃんのもとを訪れると、私を避けるように、千早ちゃんはいつも机に突っ伏すのだ。だから、今日という日は強硬手段に出た。
お昼休みになって、私が教室に入ると、それまで窓の外をぼーっと眺めていた彼女は、私の存在に気付いて、はっとして、またしても机に突っ伏した。
私は千早ちゃんの隣の席に座った。
「千早ちゃん、一緒にお昼行こうよ。」
「・・・行かない。」
千早ちゃんは、ぶっきらぼうに答える。
「じゃあ、一緒に行かなくてもいいから、千早ちゃんの隣で食べさせて。」
私はそう放つと、少し離れている千早ちゃんの隣の机を、千早ちゃんの机にくっつけた。
風呂敷に包んだお弁当を広げる。スーパーで買った冷凍食品を解凍して、適当に詰め込んだだけのお弁当だ。ただひたすらに普通に冷めたお弁当だ。
「いただきます。」
わざとらしく手を合わせた後、わざとお箸をガチャリと鳴らし、ご飯をひとつまみ、口に運んでみる。
「おいしい。」
もぐもぐという咀嚼音は、千早ちゃんにも伝えているはずだ。
今度は卵焼きに手を付ける。ふんわりと作れたわけでもなし、とても上手とは言えないが、私好みの甘口に仕上げていた。
「私卵焼き好きなんだよねー。確か千早ちゃんも好きだったよね。」
卵焼きも冷え切っているが、甘みとかすかな塩味が口の中に広がって、なかなかの美味だ。
「卵焼きもおいしいなー。千早ちゃんが起きてくれたら、分けてあげてもいいんだけどなー」
彼女は黙りこくったままだ。
「千早ちゃんは、お昼ごはん食べないの?」
千早ちゃんは私の質問に答えてくれない。ただ、眠ってしまったわけでもなさそうだ。彼女はいま何を考えているのだろうか。たぶん、迷惑に感じていることだろう。
「無理なダイエットは体に悪いよ。」
私のお箸は、ミニハンバーグに向いていた。冷凍食品を解凍しただけのもの。だけど、私はこのハンバーグが好きだった。冷凍食品はうまく工夫されている。常温で食べても、しっかりと味が口の中に染み渡るのだ。さすがに硬度までは調整できないけど、私はそれで満足だった。
「ハンバーグもおいしー」
キュッキュッと水筒をひねる。中に入っているのは、ただのお水だ。それをごくごくと飲む。口の中の濃すぎる風味を洗い流してくれる。
「どういうつもり?春香。」
ここまで挑発して、ようやく千早ちゃんが反応してくれた。
「私は一緒に、お昼ご飯を食べたいのよ。前みたいに。」
「私は・・・そんな気分じゃない。」
「どうしてよ?昔は、楽しくおしゃべりしながら、食べてたじゃない。」
「・・・それは、同じクラスだったからでしょ。」
そうなのかもしれない。同じクラスメイトだった。だから、一緒に仲良くしてくれていただけなのかもしれない。クラスでの孤立を避けるために、意図的に選び取った「話し相手」に過ぎなかったのかもしれない。
「私たちは・・・ただの話し相手だった。」
千早ちゃんはそう冷たく言う。
「友達でしょ。」
「・・・ちがう・・・。」
どうも千早ちゃんの言葉は言いよどんでいる。
「ねえ、おかしいよ千早ちゃん。どうして、どうしてそんなにふさぎ込んでいるの。どうして、私と仲良くしてくれないの。私のこと嫌いになっちゃったの?なんでなの?」
千早ちゃんは、黙して何も語らない。
しばらくして、千早ちゃんは口を開いた。
「・・・もう放っておいてくれないかな。“天海さん”・・・。」
箸が止まる。今まで下の名前で呼んでくれていたのに、元の呼び名に戻ってしまった。もう私たちは“友達”じゃないっていうのかしら・・・。
そう考えると、悲しくなってきた。
私は静かに嗚咽をらした。
「・・・ごめん。・・・今はそれしか言えない。」
千早ちゃんは臥したまま、それだけを述べていた。私は泣きながら、お弁当を口の中にかきこんだ。
悲しかった。でも、私にはわかった。千早ちゃんは、心の中で助けを呼んでいるんだ。ぶっきらぼうにしていても、孤高を装っていても、それがただの仮面だってわかったのだ。
だって、もし本当にいやだったら、千早ちゃんはこの場を立ち去っているはずじゃない。そして、私に謝ったりなんかしない。
ご飯を全て食べ終えて、お水で口を洗い流した後、私はしばらく彼女の隣に座っていた。周りから見れば奇異に見えただろう。隣で突っ伏している千早ちゃんと、無視されながらも、机を並べて話しかけながらお弁当を食べる私。
私は、千早ちゃんに話しかけた。
「千早ちゃん・・・私『何があったの?』とは聞かないよ。人間、誰しも人に話せない何かはあるはずだからね・・・。でもね・・私忘れないよ。千早ちゃんが、危険を冒してまで私を助けてくれたこと。千早ちゃんにどんなメリットがあって、私を助けてくれたのかはわからない。それでも、私は嬉しかった。普通の友達ができたこと・・・うんうん。私にとって、『親友』ができたと思ってる・・・。」
千早ちゃんは黙って聞いているだけだ。
「だから、私も諦めないよ。千早ちゃんが、私を『親友』だと思ってくれるまで・・・。」
そういうと、私はすくっと立ち上がった。
「また明日も、ここに来るね・・・じゃあね。」
私は教室のドアに向かって歩き始めた。千早ちゃんは、ずっと臥したままだ。ドアのところまできて、振り返って様子をうかがってみる。そこには、身じろぎせず、突っ伏している彼女の姿があるだけだった。
それからというものの、私は毎日千早ちゃんの隣に座って、お返答を食べるようになった。千早ちゃんの気を惹くために、いろいろ工夫を凝らしたのだ。
ある日は、スパゲッティを作って持って行った。ずるずると音を鳴らして、リアクションを得るためだ。相変わらずのオーバーリアクションもつけて。
「今日のスパゲッティ―は、ボロネーゼなんだよ。知ってる、千早ちゃん。ボロネーゼとミートソースは、トマトの量と入れ方が違うんだよ。イタリアでは、ミートソースのことをボロネーゼっていうの。」
スパゲッティをずるずるとすすってみる。
「うん、おいしい!千早ちゃんも食べてみたい?」
彼女から返事は帰ってこない。
「そういえば、千早ちゃんってパスタ好きだっけ?私は好きだよ。私もそんなに種類知らないんだけどね。ボロネーゼは.・・・まあ、好きかな。本当はカルボナーラが一番好きなんだけどね。汁っぽ過ぎてお弁当には持ってこれないんだよね・・・。」
それでも反応はない。
別の日には、もっと直接的な攻撃に出た。いつものお弁当を温めたのだ。とはいっても、電子レンジなんて学校にない。だから、使い捨てカイロを何個かお弁当箱の周りに張り付けたのだ。
そのおかげで、お弁当の臭気が、教室内に立ち込めた。
これにはさすがの千早ちゃんも驚いたようだ。
「天海さん、どうしたのよそれ?」と顔を起こして、聞いてきた。
「お弁当、温めますか?」
私はおどけて、千早ちゃんのお弁当が入っているだろうかばんを指さした。
「ホッカイロ・・・わざわざ温めたっていうの?」
千早ちゃんは呆れ顔だ。
「こっちの方がおいしそうでしょ。」
ふふって、千早ちゃんは笑った。でもすぐ真顔に戻って、「匂いが教室にこもるから、それはやめなさい。」と諭してきた。
私は千早ちゃんが、まともなリアクションをしてくれるのがうれしかった。
またある日は、カップ麺を持ってきた。わざわざ自宅でお湯を沸かして、それを魔法瓶に入れて、持ってきたのだ。これなら麺をすする音と匂いのダブルパンチだ。
私が千早ちゃんの隣でお湯を注ぎ始めると、教室が少しざわつき始めた。
「今度はどんなものを持ってきたの。」
そう言って、千早ちゃんは顔を上げて、私の方を見た。そして、案の定驚いた。というより、やっぱり呆れられた。
「・・・カップ・・・ラーメン・・・。」
「これなら匂いも、音もすごいでしょ。」
「・・・徹底しているわね。“春香”」
「うん・・・。あっ、それから今“春香”って呼んでくれたよね。」
千早ちゃんはしまったという表情になって、机に突っ伏した。焦った千早ちゃん、かわいい~。
「いいのよ、春香って呼んで!」
「・・・うるさいわよ、天海さん。ほかの人の迷惑を考えて。」
「ちぇっ。」
でも、千早ちゃんは、どこか嬉しそうだ。突っ伏していてもわかる。千早ちゃんは、今たぶんとても安心している。そんな彼女を見るのは、うれしいし、こっちも楽しい。もっと千早ちゃんを楽しませたい。