第5節 たった一つの解決法 残り78時間
「千早・・ちゃん。」
「何?」
「ありがとう。少し・・・落ち着いてきた。」
「それは良かったわ。」
千早ちゃんの反応はどこかそっけない。今までもそうだったような気がするが、なんとなく今はそれが寂しく感じられる。
「千早ちゃん。」
「何、どうしたの?」
「あの・・・その・・・千早ちゃん・・・ずっとお父さんに・・・。」
「その話は止めて。」
千早ちゃんがすぐさま制してきた。誰だって、こんなこと話したくないだろう。でも聞かないわけにはいかない。
「ごめんね、千早ちゃん。辛い話だってことはわかっている。でも黙って聞いていてほしいの。いい?」
「・・・分かったわ。」
私は一呼吸置いた。そしてゆっくりと話し始める。
「千早ちゃんは、高校2年生の春から、お父さんにレイプされるようになった。あの男の目的は、千早ちゃんに死ぬよりも辛い生き地獄を味合わせること。女として最も屈辱的な方法で、千早ちゃんにダメージを与え続けること。その為に、あの男は、ほぼ毎日のように千早ちゃんをレイプするようになった。そうだよね?」
「ええ・・・そうよ。」
「私は、千早ちゃんの異変に気付いた。高校2年生に上がってから、それまで仲良くしてくれていたのに、急によそよそしくなった。それは、私を如月家のごたごたに巻き込みたくなかったから。違う?」
「・・・春香の言う通りだわ。」
「千早ちゃんは、心の中で揺れていた。千早ちゃんの精神は限界にまで来ていた。このままでは、私に全てを打ち明けてしまう、私を頼って巻き込んでしまう。そう思った千早ちゃんは、最終的に自分から命を絶つことを選んだ。」
「・・・その時、春香が助けに来てくれた。ありがとう・・・。」
千早ちゃん、そこまで思い出していたのか。
気になるのはここから先だ。
「その後、私たちはどうしたのかな?」
「その後?」
「うん。私は千早ちゃんが言葉で言い表せないくらいひどい目にあっていると知った。その後、私たちは・・・私は・・・千早ちゃんの為に何かをしてあげたのかな?」
「春香が?それは・・・」
千早ちゃんが頭を抱えている。必死に思い出そうとしている。だが、成果は上がらないようだった。
「ごめん。思い出せない。自然と思い出すのを待つしかないんじゃない。今までだって自然と思い出してきたじゃない。それとも、何か春香には心当たりがあるの?ここから先の記憶について。」
「私、千早ちゃんからあの告白を受けて、何とかして千早ちゃんを助けなくちゃって思ったの。それで色々と考えていた。千早ちゃんを助け出す方法。そして私、いい方法を思いついたんだけど・・・。」
「それが思い出せないって言うのね。」
「うん。」
「やっぱり自然に任せるしかないと思うわ。じきに思い出すわよ。」
千早ちゃんの言うことはもっともだ。わざわざ無理して思い出そうとする必要はない。時間がやがてすべてを思い出させてくれるはずなのだ。
犯人の狙いなのかどうかは分からないけど、私たちは少しずつ記憶をとりもどしつつあった。
いや・・・恐らく、これは犯人の狙いなんだろう。私たちは不思議なことに、生まれてから順々に、過去から現在へ向かって記憶を取り戻して行っている。多分、犯人たちがそうなるように仕組んでいるのだろう。
とにかく、記憶が戻ってきたなら、私たちの「思い出」もよみがえってきているはず。そこを擦り合わせることで、何か新たな発見はないだろうか。
「じゃあ、少しアプローチを変えてみようか。」
「?」
「私たち、友達だったんだよね。だったら、こんなこと覚えてる?私、千早ちゃんの気を惹こうといろいろなお弁当を持って行ったんだけど、それ覚えてる?」
千早ちゃんが少し目を閉じて考え込んだ。そしてしばらくして、あっという表情をした。
「思い出した、思い出した。ホッカイロとか持ち込んだやつだ。」
「そうそう、そういうやつ!」
千早ちゃんがクスクス笑う。
「あれは正直勘弁してって思ったわ。教室中に匂いが拡散して、みんな迷惑がっていたわよ。」
「でも、楽しかったよね。」
「それは春香だけでしょ、私なんてクラス中の視線を集めちゃって、恥ずかしかったわよ。」
「他にも、カップ麺とか持ち込んだんだけど、覚えてる?」
千早ちゃんがゲラゲラ笑っている。
「ええ、あれもビックリしたわ。あれってネタ切れだったの?」
「いや・・そういう訳でもないよ、とにかく匂いと音がすごいものを持っていけば、千早ちゃんも反応してくれるかなって思って。」
「春香、私のリアクションで楽しんでたって訳ね。」
千早ちゃんは少しあきれ顔だ。
「そりゃ、千早ちゃんの心を開きたかったし、多少強引なことはするよ。」
「まあ、くさやとかシュールストレミングを持ち込まなかっただけ、ましって考えた方がいいのかしら?」
私も大笑いだ。
「いくらなんでも、そこまで非常識なことはしないよ。私だってダメージ受けるし。」
「春香は、周りからの冷たい視線は、ダメージじゃなかったのね。」
「そんなに、冷めた視線で見られてた?」
「あら、自覚なかったの?私なんて、机に伏していたのに視線が突き刺さってたわよ。」
「こっちも必死だったからね。でも正直、楽しみだったでしょ、私が来るの?」
「・・・まあ、ね。今だから言えるけど、毎日楽しみにしてた。今日はどんなバカな仕掛けを考えてくるんだろうって。」
私は右手で千早ちゃんを小突いた。
「もう、千早ちゃん素直じゃないなー、私も毎日楽しみだったよ。どうやって、千早ちゃんを困らせてあげようかって。」
「ちょっと、趣旨変わってるじゃない。」
「あれ、そうだっけ?」
千早ちゃんが、私を小突き返す。
「全く、春香ったら、肝心なところが抜けてるのね。」
フフフ、全くだ。
あれ?何かが浮かんでくる。
「ねえ、千早ちゃん。私たちお互いの家に行ったことってあったっけ?」
「え?・・・あるんじゃない?多分。・・・だって友達だし。」
「でも、勝手に友達連れて来たら怒ららるんじゃない、ただでさえ、家庭環境複雑でしょ、私たち。」
「確かに、言われてみればそうね。でも私は、確かに春香の家に行った記憶あるわよ。春香のお母さんと、春香と私の3人でご飯を食べた記憶があるもの。」
えっ?どういうこと?
「ちょっと待って、私はそんな記憶ないよ。第一、あのお母さんが友達を連れてくることを許してくれて、しかも料理までふるまうなんてありえないよ。」
「そう・・・なの?春香の記憶の中にはないの?お互いの家に行ったって記憶。」
「ちょっと待って、もう少しで何かが出てきそうなの。」
私は少し目をつぶって頭をフル回転させてみた。すると、うっすらとではあるが、光景が広がってくる。明るい食卓だ。そこには私、そして隣に千早ちゃん、そして目の前には・・・誰だ?千早ちゃんのお母さん?だめだ、これ以上は思い出せそうにない。
私はゆっくりと目を開いた。
「やっぱり私、千早ちゃんをうちに招いた記憶はないよ。逆に私、千早ちゃんの家に行ったことがあるような気がする。そこで3人でご飯を食べた。」
「3人?」
「うん。私と千早ちゃんと、千早ちゃんのお母さん。」
千早ちゃんは、怪訝な顔を浮かべている。
「そんな馬鹿な、あの鬼婆が3人で食事なんて、させてもらえるわけがないでしょ。何か別のことと思い違いをしているんじゃないかしら。」
「そんなものかな・・・?」
気のせいなのだろうか。なんだか違和感を覚える。
「それにしても不思議ね、二人してお互いの家に行った記憶があるのに、肝心のその内容については覚えがないなんて。」
「確かにそうだね。」
ただの偶然なんだろうか。
「それにしても・・・。」
千早ちゃんが口を開く。
「そもそも私たちは、何歳なのかしら。大学に通っているのか、社会人をしているのか、結婚しているのか、恋人がいるのか、そういったこと完全に忘れてしまっているのよね。あっ・・・でも・・・。」
「どうしたの?」
「さっきまでレイプしていた男が、口走っていたのよ。私たち・・・大学生みたい。」
「そうなんだ。でも、私、自分が大学生やっているところ何も思い出せないよ。」
「私もそう。お互いに思い出せているのは高校時代の一部分だけ。」
千早ちゃんが、まっすぐに正面のカメラを見据える。
「春香。」
「何?」
「犯人の狙いって、何なんだと思う?」
なんだか唐突だ。
「それは、私たちに対する復讐でしょ?」
「うん、そうだと思う。だけど、だとしたらどうして記憶をわざわざ消したりしたのかしら。それに、こうやって少しずつ記憶をとりもどしていってる。これって偶然だと思う?」
私は唸りながら言った。
「とても偶然とは思えない。犯人は記憶を思い出す順番もコントロールしているんだと思う。」
千早ちゃんが答える。
「やっぱり、そうとしか考えられないわよね・・・。」
「犯人たちは、私たちが『罪』を犯したって言ってたよね。」
「その『罪』って、何を指すのかしら?」
「それは、恐らく・・・。」
私たちがこれまで生きてきた中でしでかした何かなんだろう。
「恐らくは、私と千早ちゃんがこれまで生きてきた間にした『何か』だと思うよ。」
私はそう答えた。
「ええ、そうでしょうね。犯人は、そのことを計画的に思い出さそうとしている。」
「そうすることで、私たちがもっと苦しむから。」
「そうね。」
しばらく無言になる。やがて、千早ちゃんが、悲壮な表情を浮かべながら、私の方に振り向いた。
「ねえ、春香・・・。」
私は黙って千早ちゃんの方を見ている。
「私たち・・・もう助からないんじゃないのかな?」
「何言っているの・・・。たった一度脱出に失敗しただけで、どうして弱気になるの?」
「あいつら知ってたのよ。私たちが脱出を画策すること、でも敢えてそれを放置した。それどころか、ある意味間接的に唆した。無防備を装ったり、人数が少ないと思わせた。それはどうしてだと思う?」
考えられることは一つしかない。
「それは・・・私たちを傷つける・・・為?」
千早ちゃんは、小さく頷いた。
「多分、それすらも仕組まれてた。脱出できる希望を敢えて抱かせて、その可能性を最も悲惨な形で踏みつぶす。それが狙いだったのよ。」
千早ちゃんが震えている。私はそんな彼女の手をぎゅっと握った。
「だからって、もう諦めちゃうの?私たちは、まだ記憶を取り戻していない。その取り戻していない記憶の中に、ここから脱出するヒントがあるかもしれない。これは千早ちゃんが言ったんだよ。」
「脱出するヒント・・・バカ言わないでよ!?さっきも言ったでしょ、これは全部仕組まれているの。私たちが何をするか、何を思い出すか、それすら全てコントロールされているのよ!?どうやって、ここから出ようっていうの!?」
「落ち着いて、千早ちゃん。まだあきらめるには早すぎるよ。」
「春香!もう一度この部屋の状況をよく見て!これでどうやって脱出しようっていう訳!?私たちは四六時中見張られている。この部屋から一歩外に出た廊下には、何人もの屈強な男たちが控えている。これでどうやって脱出しようっていう訳!?」
「犯人は、私たちの『罪』を咎めているんだよね。だったら、それを私たちが認識して、反省を示せば、もしかしたらここから出られるかもしれないじゃない!」
千早ちゃんは、顔をわなつかせている。
「そんなこと、あり得ると思う!?犯人は、こんな異常な状況を組んでまで私たちに精神的苦痛を与えようとしているのよ。そんな犯人が、やすやすと私たちを逃がすとは到底思えない。それに逃がしてしまったら、絶対に通報されるでしょ。だから・・・。」
ちょっと待ってよ。それじゃ、生き残った方を解放するなんてこと、できないじゃない。そんな・・・。それじゃあ、あいつらが言っていることは嘘ってこと?
「犯人は、どちらか生き残った方を解放するって言ったけど・・・。」
千早ちゃんは虚ろな目で、冷たく吐き捨てた。
「それは嘘よ。間違いなくね。犯人たちからすれば、私たちに最も強いダメージを与えるためのレトリックに過ぎない。冷静に考えれば、すぐわかりそうなものじゃない。生き残った方を解放してしまったら、絶対に今回の事件が明るみに出てしまう。そうなれば、犯人が捕まってしまう可能性がある。解放さえしなければ、事件そのものが露見することはないし、私たちは全国に何万人といる『行方不明者』の一人でしかない。」
「そんな・・・。」
嘘だと信じたかった。でも、千早ちゃんが言ったことは理に適っている。犯人たちにとって、生き残った方を解放することに何らメリットはない。これほどまでに憎しみを私たちにぶつけているなら尚更。
「犯人たちの狙いは、私たちに殺し合いをさせて、そして生き残った方を解放すると見せかけて、更に拘束することなんだと思う。生き残った方は、自分が生き残るために親友を手に賭けたという意識に苛まれながら、こんな暗い監獄の中で一生を過ごすことになる・・・。」
信じたくないけど、恐らく、それが真実なのだろう。もう私たちはどうすることもできない。全て犯人たちに、コントロールされたまま、無残な死を迎えることになる。そういうことか・・・。
千早ちゃんは、うなだれていた。私は、なんて声を掛けたらいいのだろうか。
「千早・・・ちゃん。」
「・・・・・。」
私は考えていた。今の・・・この絶望的な状況に置かれて、悲観している千早ちゃんの心を助ける方法。犯人たちの意図を挫き、せめてもの抗いを見せる方法。
・・・あるじゃない。犯人たちに抵抗する方法。それも、すごく簡単に。
「犯人たちの狙いは、きっと・・・『親友』である私と千早ちゃんが凄惨な殺し合いを演じることだと思う。そしてそうやって生き残った方に、筆舌に尽くしがたい後悔をさせる。それが狙い。だったら、簡単じゃない。」
「何が・・・?」
「彼らに抵抗する方法だよ。『殺し合わなければいい』だけじゃない。」
「へ・・・?」
千早ちゃんは、鳩が豆鉄砲を食ったようにキョトンとしている。
「私たちが殺し合いをしなくちゃいけないのは、どちらか一人しか生き残ることはできないって言われているからでしょ。でも、その生き残った一人も生き地獄を味わうしかない。だったら、私たちが殺し合いをしなくちゃいけない理由なんて、何もないと思わない?」
「た・・・確かに・・・そうね。」
「でしょ?じゃあ、そうしましょう。」
「で・・・でも・・・。」
「どうかした、千早ちゃん?」
「・・・犯人たちが、そんな状況を許したりするのかしら・・・。私たちが殺し合わなければ、きっと、もっとひどいことされるんじゃないかしら・・・。」
千早ちゃんは、おびえていた。私はそんな千早ちゃんの肩を抱く。
「例えば・・・一人にされちゃうとか?だーいすきな、私と一緒にいられなくなるとか?」
千早ちゃんは、少し笑顔を見せた。
「そう・・かもね。」
「でも、大丈夫だよ。例え一人にされたとしても、私の心の中には千早ちゃんがいる。千早ちゃんの心の中には、私がいるから。」
「フフフ。そうね。」
「何笑ってるの?こっちは真剣なんだよ。」
「ごめんごめん。なんだかちょっと懐かしくて。」
「懐かしい?」
「ええ。何というか、別に全部を思い出したわけじゃないんだけど、春香って、こうやって子供みたいに無邪気に私に接してくることがあるじゃない?なんだか、そういうところ、凄く懐かしく感じちゃって。」
そうなのかな?
気づくと、千早ちゃんの目が潤んでいる。その眼は、何というか、小さい子供を見るような眼だ。
「もしかして、私のこと子ども扱いしてる?」
「フフフ、春香はいつだって私の『妹』みたいなものよ。」
こんにゃろー、やっぱり下に見てたな。
あれ・・・『妹』?
「なんだか、春香を見ていると・・・千尋のことを思い出すの。もちろん!いい意味でよ。幼かったあの子の無邪気な笑顔が・・・あなたにそっくりで・・・。」
千早ちゃん、また泣いているよ。何とかして、笑わしてあげたいな・・・。
そうだ!
「千早ちゃん。」
千早ちゃんがこちらを向いた。
「何?ぶっ・・・」
私は手を使って変顔をしてみた。
「ろう?ほほひろひれひょ。(どう、面白いでしょ?)」
「は・・春香・・笑わせないでよ・くっくっく。」
千早ちゃんは必死で笑いをこらえているようだ。
「りひろひゃんほ、ほんなほろしれられひょ。(千尋ちゃんも、こんなことしてたでしょ?)」
千早ちゃんはゲラゲラ笑いながら返事をする。
「千尋は、そんなことしな・・・いや、してたか。全くもう・・・。春香は、私の心をつかむ天才ね。」
「らんらっれ、ひはやひゃんのひんひゅうららられ。(何たって、千早ちゃんの親友だからね。)」
「フフ、もういい加減変顔は止めなさい。なんて言ってるのか、聞き取るの大変なのよ。」
千早ちゃんに言われて、私は顔から手を離した。
「はー、やっぱり普通の方が言いやすいわ。」
「当たり前でしょ。」
「当たり前のことって、普通にしてると気づかないんだよ。当たり前じゃなくなって、初めてわかることも多いんだから。」
「その理屈はわかるけど、ここでその理屈はおかしい。」
全く、その通りだ。二人で大笑いした。
「ねえ、春香。」
「ん?」
千早ちゃんがほのかな笑顔を見せた。
「どうせお互い助からないなら、今を楽しみましょう。」
私も笑顔で返す。
「そうだね。今日は一緒に寝ようか。千早ちゃん。」
「そうしようか。なんだか懐かしい、一緒に寝るなんて。」
懐かしい?
「あれ、私たち一緒に寝たことあったっけ?」
千早ちゃんも首をかしげる。
「あれれ・・・おかしいな。確かにそんな記憶はあるんだけど。」
「まあ、いいか。今は思い出せなくても、じきに思い出すでしょ。」
「そうね。」
私たちは、部屋の真ん中まで移動して、そして手をつなぎ合ったまま、目を閉じて眠りについた。