第8章 転機 残り72時間 如月千早
第1節 記憶の混濁
静かに目を開くと、そこは息苦しい監獄の中である。
私はゆっくりと体を起こし、振り返ってタイムカウンターを見る。残り72時間余り、あと3日間というわけか。
春香は私から少し離れた左側でまだ眠っている。寝返りなどをうった結果、私から離れてしまったのだろう。春香は少し寝相が悪かった記憶がある。
ん?
どうして、私は春香の「寝相の悪さ」を知っているというのか。多分、春香と旅行にでも行ったことがあるのだろう。だから、私は春香の寝相の悪さを知っていた。それなら、矛盾はないはずだ。
でも、もう一つ気になったことがあった。昨日寝る前に春香と私は、お互いの家に遊びに行ったことがあるという話をしていた。その時、互いの「お母さん」とも一緒に食事をしたという。
でも、よくよく考えればこの話はおかしい。私たちの両親が友達を歓迎するとは思えない。だとすれば、この違和感は一体何だというのか。
春香のお母さんは、確か・・・眼鏡をかけていたはずだ。そして髪の毛を三つ編みのおさげで前髪をぱっつんにしていたはず。
春香が起きたら聞いてみよう。もしかしたら、春香が何か思い出したことがあるかもしれない。
それよりも、寝ながら考えていて、もう一つ気になったことがある。それが犯人の動きだ。
昨日寝る前に春香に諭されたとき、私たちは一切耳打ちをしなかった。気が動転していて、そこまで頭が回らなかった。だから、私たちが殺し合いをしないという話は、全部犯人たちに筒抜けになってしまっている。
これは犯人たちの思惑とは違うはずだ。犯人たちの狙いは、私たちを絶望に追い落とし、苦しみながら殺し合いをさせることにあったはずだ。だとすれば、私たちが殺し合いをしないのは、てんで見込み違いのはず。私たちを苦しめたいと思うなら、こうやって、手をつないで眠りにつくなんて、許しがたい行為だ。
だったら、すぐにでも私たちを引き離しに来るはず。別に私たちを苦しめる方法はいくらでもある。無限に私たちをレイプし続けるでもいい。殴る蹴るの暴行を加えることだってあり得る。
にもかかわらず、犯人たちは私たちを引き離そうとしないのだ。少なくとも、あれから6時間は私たちをここに止め置いている。そこにどんな意図があるというのだろうか。単に春香が目を覚ますのを待っているのだろうか。目が覚めたら、私たちをどこかへ連れて行ってしまうのではないか。
あるいは・・・この事態すらも、奴らにとっては想定の範囲内、いやもっと別の言い方をすれば、「計画通り」なのではないか。
私たちが、「生き残った方を解放する」という犯人の言葉を信じず、自暴自棄になって、却って開き直るということは容易に考えられる。それすらも、犯人にとっては「思う壺」ということなのだろうか。
・・・あり得る話だ。私は、春香と強い絆で結ばれていると思っている。私は、例え動機が不純であったとしても、春香を助けたのだし、春香もそれに恩義を感じて、私を助けてくれた。お互いにとって、かけがえのない存在だ、少なくとも、私たちがこれまでに思い出した記憶では、そうなっている。だから私たちは、心の中で深く結びついていられる。
にもかかわらず、今の私たちにとって生命線である、この「絆」を断ち切ろうとしてこない。そこに・・・どんな意図があるというのだろうか。
「千早ちゃん・・・起きたの?」
気づけば、ムクリと春香が起き上がっていた。
「春香。おはよう。」
「おはよう、千早ちゃん。」
春香がタイムカウンターの方を振り返った。
「あと72時間か。」
春香がため息をつきながら呟いた。
「朝ごはんでも、食べない?」
私は立ち上がって、タイムカウンターの左側においてあるコンビニ袋を取り出した。昨日、男が入ってきたときは、汚物をぶちまけてしまったため、昨日のご飯はなしかと思われたのだが、レイプされた後に、部屋の片隅にコンビニ袋が置かれて、そこに昨日の分のご飯が入っていることを見つけたのだ。
犯人はあくまで精神的に私たちを追い詰めようとしている。その何よりの証拠だ。
私は春香の下に、その袋を置いた。
「ありがとう、千早ちゃん。でも、まだ大丈夫。」
「そう?じゃあ、私だけ先に食べようかな。」
私はガサゴソと袋の中をあさり、ホットドックを取り出した。ホットドックの袋を開けて、パンにかじりつく。
そんな時、不意に春香が質問をぶつけてきた。
「ねえ、千早ちゃん。昨日の食卓の話なんだけど。」
「ん?」
「私たちお互いの家を遊びに行ったことがあるって言ったよね。千早ちゃんが私の家に来たっていうけど、それってどんな家だった?」
「えっと・・・。」
あまり記憶には残っていないが、確か階段があったはずだ。ということは、一戸建てだったってことか?
私はパンを飲み込んだ後に答えた。
「よく覚えてないけど、一戸建てだったような気がする。」
「私の家はアパートだったの。」
あ・・・アパート!?
「逆に聞くね。千早ちゃんの家って一戸建てだった?」
「いや・・・私の家は、春香と同じくアパートよ。まさか、春香も私の家を一戸建てだと思ってた?」
「うん・・・。」
なんだこれは。お互いに、てんで違うものを思い浮かべているではないか。そうだ、お母さんの話。それを聞いてみよう。
「春香、記憶の中にある私のお母さんってどんな人だった?」
春香はしばらく思い出したのちに答えた。
「えっと・・・眼鏡をかけていて、あと三つ編みだったかな。」
やはりそうだ。
「それ・・・私の記憶にあるあなたの母親のイメージなの。」
「まさか!?」
「どうやら、二人とも『同じ光景』を思い浮かべていたみたいね。しかも、それをお互いに『相手の家』と勘違いしている。」
つまり、どちらかの記憶、あるいは私たち両方の記憶が間違っているのだ。不完全だからこそ、こういう思い違いをしている。
今度は春香の方が尋ねてくる。
「それっていつ頃のことだったか、覚えてる?」
季節か・・・。確か、夏休みだったはずだ。
「夏休みじゃないかしら。なんとなくだけど、暑かった記憶がある。それに、春香に迎えに来てもらった記憶があるのよ。駅で待ってたけど、その時、随分暑い思いをしたような気がするの。」
「そう・・・。私のイメージとは違う。私は冬のイメージがあるの。私たちが食卓を囲んだとき、『長袖』を着ていた。」
「同じ光景のはずなのに、季節は違うのね。」
「・・・記憶が混同しているんじゃないかな。多分、お互いに実際経験した記憶なんだろうけど、まだうまく整理できていないのかも。」
「そうね。ゆっくり思い出していきましょう。」
私は再びパンにかじりついた。
春香は正面の扉と向かい合う形で壁にもたれかかり、頭を垂れて目をつぶっていた。まだ眠かったのであろうか。それにしても、こんな格好で寝る必要はない。何か思い出そうとしているのではないか。
私はそんな春香の様子を無視して、パンを食む。半分くらい食べ終わった頃だろうか、春香が何かを思い出したように私に声をかけた。
「ねえ、千早ちゃん。」
「うん。」
「千早ちゃんのお家ってさぁ、マンションだって言ったよね。」
「うん、そうよ。」
「6階の部屋じゃなかった?」
その通りだ。春香もようやく思い出したみたい。
「ええ。」
「603?」
「ええ。そうよ。」
「自宅のカギは、植木鉢の下に隠してた?」
「・・・え・・ええ。」
「お父さん、いや・・あの男、自分のパソコンを持ってた?」
確か持っていたはずだけど、どうしてそんなことを聞くのかしら。
「多分持ってた。」
「私、千早ちゃんがバイトに行く日を知ってた。少なくとも、9月18日は、バイトに行っていたはずだよ。」
9月18日・・・?その日付に何の意味があるというのだ。それ以前に、どうして春香はそんなピンポイントの質問をぶつけてくるというのか。
「春香、ごめん。質問の意図が分からない。春香は何かを思い出したの?」
春香は、気づけば、目を開き、私ではなく正面のカメラの方を向いていた。
「私・・・9月18日に何かをしたのだと思う。」
「9月18日に・・・何か・・・。」
「私・・・あの男の卑劣な行動を止めたくて・・・あの日・・・何かをしようとしていた。」
「いったい・・・何をしようとしていたっていうの?」
「・・・・・。」
春香は黙して答えない。
9月18日・・・9月18日・・・、何だろう。春香に言われるまでは何も思い出せなかったのだが、日付を言われて、何だかこの日がとてつもなく重要な日に思えてきた。この日、一体何があったのか、今はそのことに意識を集中させよう。