第3節 クリスマスパーティー
「サプライズでクリスマスパーティーをやろうよ。」
そう提案してきたのは、千早ちゃんだった。12月初めのことだ。
「先生への日頃の感謝を込めて、サプライズでクリスマスディナーを用意するのよ。材料とかは、バイトでためたお金を使ってね、それで私と春香の二人で料理するの。天皇誕生日の日も、先生は仕事あるって言ってたわよね。だから、その日1日がかりで準備するのよ。」
「で、その日にパーティーしちゃうの?」
「そうね。1日早いけど、サプライズを重視してそうするつもりよ。」
千早ちゃんの顔はとっても晴れやかだ。数か月でこんなに人は変われるものなんだな。
「じゃあ、何つくろっか。」
「そうね・・・。秋月家の設備で作れるものにしないとね。」
私は秋月家のキッチンを思い浮かべた。料理を作るにしても、肝心のオーブンがないことに気が付いた。
「千早ちゃん、オーブンがないから、ケーキもピザも焼けないよ。」
キッチンには魚焼きグリルぐらいしかない。買ってきた七面鳥を焼くぐらいしかできないだろう。
「そうね・・・。全て自分たちで料理するのは無理ね。」
「ケーキやピザは買ってくればいいのよ。七面鳥は、料理すればいい。あとはシャンパンかな。これも近くの酒屋さんで買っておこう。バイトしたお金を使って買ってくれば、お金の問題もないしね。」
「そうね・・・あ、そうだ。春香、秋月先生にプレゼントをあげるのはどう?」
プレゼントか。それはいいかもね。私は賛成だった。
「いいね。でも、何をあげればいいのかな。」
千早ちゃんは、少し考えていたようだ。そして、あることを思い出した。
「そういえば、先生、新しいマフラーを買おうかって悩んでいるみたいだったよ。」
「そっか、じゃあ、マフラーを買ってあげればいいんだね。」
「それもいいんだけど・・・。」と千早ちゃんは言いよどんだ。まさか、手編み!?
「やっぱり、自分たちで編んだほうが、感謝の気持ちが伝わるんじゃないかしら。」
私はカレンダーを見返してみた。天皇誕生日まであと20日もない。それに、マフラーなんて全く編んだこともないのだ。今から始めて間に合うんだろうか。
「今からやって間に合うかな?私、マフラー編んだ経験なんてないよ・・・。」
「私もないわ・・・でも二人で協力してやれば、結構いけるんじゃない?」
千早ちゃん、おおざっぱだなー。
「じゃあ、まだ時間もあるし、今から手芸屋さんに行って糸を買ってこようよ。」
私は千早ちゃんに促されて、近所の手芸屋さんに行くことになった。
「糸といっても、いろいろな種類があるのね。」
千早ちゃんがまじまじと様々な種類の毛糸玉を見つめていた。一口にマフラーといっても、糸の太さは千差万別だ。手芸屋さんの店員の話によれば、毛糸は太い方が早く編み上がるが、編み目が大きくなるので目を揃えるのが少し大変になるらしい。一方、糸が細くなると編む量が増えるから、同じ大きさのマフラーを編む場合には太い糸に比べてたくさん編まなければならないらしい。
どうも比較的短時間で完成して、簡単なのは、太めの糸を使ったマフラーのようだ。そこで私たちは、並太の太さの糸を買うことにした。
また、同じ太さの毛糸でも、長さによって種類が分かれているらしい。初心者にとって、編みやすい糸は「ストレートヤーン」のように、太さが一定のものであったり、
スラブヤーンやモールヤーンなどのように、目の荒さが目立ちにくいのでおすすめらしい。
それからというもの、私と千早ちゃんは、交互にマフラー編みに取り組むことになった。私がバイトの時は、千早ちゃんがマフラーと格闘し、千早ちゃんがバイトの時は、私がマフラーに挑むのである。
マフラー編みに挑戦しているおかげで、めっきり外出する機会は減ってしまった。おまけに、単純作業が続くので、一人で考え事をするにはもってこいだった。
私は編み物をしていた間、ずっとお母さんの突然の失踪について考えていた。あの家から離れて、冷静な気持ちになって考えて、ようやく自分の周りが見えてきたような気がするのだ。
そして、私は、お母さんが失踪したのは、「お母さんが何者かによって殺された」からだと考えるようになった。
私は、自分の母親に虐待されて育ってきた。お母さんにこき使われ、思い通りにならないと殴り、そして罵倒してきた。私は中学生の時に、自分の出自の秘密を知り、ずっと母親に対して罪悪感を抱いて生きてきた。
私はずっとお母さんは、私のことが嫌いなんだと思っていた。私を「悪魔の子」と罵り、「生まれてはいけない子」と叫び続けたお母さんが、私に愛着を持つはずがない。そう確信していた。
でも、今から思えば、私はお母さんに愛されて育ってきたんじゃないか、そう思うようになった。私を罵倒したのも、こき使ったのも、それはお母さんのゆがんだ愛情の賜物だったのではないか、そんな気がしてきたのだ。
何故そんな風に思うようになったか、それは、もしお母さんが私を愛していなかったら、きっともっと早く私の前から姿を消していたはずだからだ。お母さんは、毎日私を学校に通わせるために、夜遅くまで働いてくれた。もし私がいなければ、生活費や学費などを減らせたから、お母さんはもっと仕事を減らしても生活できたはずなのだ。
それに、本当に私のことを憎んでいたら、きっとそれこそ施設に預けていたはずだ。わざわざ憎しみの原因である私をそばに置いておく必要がない。
私は一度だけ、お母さんにやさしくされたことがあった。生まれて初めて、そして最初で最後のささやかな誕生日会を開いてくれた。あの時私は、心の底から本当に喜んでいた。涙も流した。
だけど、それもすぐに嘘のように消えて、また元の「鬼婆」に戻って、私は「あれはお母さんの単なるパフォーマンス」だったんだとひねくれて考えるようになった。お母さんは私のことなんて愛していない。お母さんが誕生日ケーキを買ってきてくれたのは、私に自殺を思いとどまらせるため、自分が苦しい思いをして育てた成果物、家事労働の糧を失わせたくなかったから、そう考えるようになっていた。
でもそうじゃないということは、秋月家で生活してみて、よく分かった。秋月先生も毎日仕事を頑張ってくれている。それは、まず間違いなく自分のためなんだけど、それ以上に私たちを養いたいという強い意欲を感じていた。
それは「私たち二人を幸せにしてあげたい」という先生の強い熱情だった。お母さんが無理して毎日遅くまで働いていたのは、きっとこの熱情に突き動かされてのものだったのではないか。
そう考えると、お母さんが突然失踪したのは、きっと「意図せざる」理由によるものなのだ。自ら望んで行方をくらませたのではない。事実、私のお母さんには姿をくらませて行く宛もないように思われた。だとすれば、やはりお母さんは何らかの事件に巻き込まれたのだ。
捜索願が出されてからもう2か月近くになる。しかし、警察からは全く音沙汰がなかった。お母さんは、何らかの事件に巻き込まれて、もうこの世にはいないのかもしれない。音信が途絶えたのは、もうこの世にいないからなのではないか、私はそう思うようになった。
解せないのは、何故お母さんが「事件に巻き込まれた」のか、ということであった。お母さんが職場で何かトラブルを起こしたという話は聞いていないし、誰かと仲が悪かったという話も聞いたことがない。お母さんは、職場での愚痴を家に持ち込まない人だった。だから、もしかしたら職場では何かあったのかもしれない。
私は気になって、パート先の人に話を聞きに行った。その人が言うには、やっぱりお母さんは特に職場でトラブルを抱えていたわけではなかったようだ。
お母さんは、プライベートの付き合いは全くなかったから、それが火種ということも考えにくい。
あるいはもしかしたら、突発的事件にたまたま巻き込まれてしまっただけなのかもしれない。そう考えると、それはそれで納得なのだが、あまりに都合が良すぎるような気がした。
そこで私は、ある可能性を考えた。それは、千早ちゃんがお母さんを失踪させた、というものだ。
あまりに現実離れしている。それは頭では理解していた。けれど、状況があまりにも符号しすぎているのも気になっていた。
お母さんは、誰にも恨まれていない人だった。当時の私以外には。だから、怨恨で誘拐して、殺されるということはあり得ない。少なくとも、私が犯人ではない以上、その可能性はふつうならあり得ない。
けれど、私のお母さんに憎悪を抱く人間がもう一人だけいる。それが、千早ちゃんだ。千早ちゃんは、私がお母さんから虐待されているということを知っていた。彼女だったら、私をお母さんから引き離すため、お母さんを失踪させることは考えられる。
やはり、思いあがっているだけなんだろうか。
でも、最近の千早ちゃんを見ると、そうも言えない気がしたのだ。最近の千早ちゃんは、やけに明るい。束縛から解放されたという喜びにあふれているのかもしれないが、それにしても明るすぎる。私には、それは「何かを為しえた」喜びのように感じられたのである。
もちろん、私も今の生活に満足している。秋月先生、そして千早ちゃんと生活しているのは楽しいし、前の生活よりかは楽になったのも事実だ。けれど、お母さんのことについてもう一度思い直すうちに、どこかもやもやした気持ちがわいてきて、自分を乱すのである。
私は「生まれてはいけない存在」。そう聞かされて育った。私は、お母さんのその恨み節を聞いて、ひどく悲しい思いをした。でも実際そうなのは間違いなかった。お母さんは、レイプから解放されたとき、すでに私を身籠っていて、もうおろすことができない段階だったのだ。
私は「生まれてはいけない命」だから、いっそのこと死んでしまおうとしたこともあった。でも逆に言えば、お母さんは何だかんだ言いながら、私を産んで、そして育ててくれたのだ。
私はお母さんに一度だけ、「産んでくれてありがとう」といったことがあった「育ててくれてありがとう」とも言った。あの誕生日会の時だ。
でも、ひねくれてしまった私は、そんな感情をいつの間にか捨ててしまった。
今私は幸せだ。でもこうして幸せに暮らしていけるのも、お母さんが、必死に毎日働いて、ずっと私を育ててくれたからなのだ。
そんなお母さんに、もう私は会えないんだろうか。会って一言、もう一度、感謝の気持ちを述べることもできないのか。そう思うと、不思議と涙がこぼれ落ちてくる。
私は知りたい。どうしてお母さんが失踪したのか。そして、千早ちゃんは、この事件に何らかの形でかかわっているはずだ。でも、簡単に聞けるはずがない。それに、千早ちゃんに感付かれれば、今の関係も間違いなく壊れてしまう。
どう聞き出せばいいのか、何を聞けばいいのか。私は、そのことを考えるようになった。