第10章 卒業 残り64時間 如月千早
第1節 土下座
私はこの事件の真相について考えてみた。
この事件の犯人の動機は、まず間違いなく「怨恨」によるものだ。それもとてつもなくどす黒く、深い「怨恨」、そんな恨みを抱きそうな人間は一人しかいない。それは私の母親だ。如月千種、あの女しか考えられない。
母は私に強い憎しみを抱いていた。私は千尋から目を離してしまい、その結果彼女が死ぬ原因を作ってしまった。母はともすれば、私は千尋が死ぬことを望んでいた、とさえ考えていたのかもしれない。母が私に苛烈な態度を取ったのは、あの男の影響を受けたことだけが原因ではないような気がするのだ。
そしてあの男が死んだ。母はあの男に依存していたから、あの男が死んだということが彼女の精神に致命的な打撃を与えたと考えても不思議ではない。そして、多分母は気づいたのだろう。あの男が死んだあの事件は、私には起こすことができなかったと。そして春香が殺したということに気付いてしまった。もしかしたら、私が春香を使役して殺させたぐらいに思っているかもしれない。
自分にとって大切な人を奪った私と春香、この二人を母が恨んでいたとしても何ら不思議ではない。
もしかしたら、春香もその事実に気付いてしまったのではないか。それは十分に考えられる。私と同じペースで記憶を取り戻し、大よその記憶を共有していることを考えれば、春香だってこういう結論に至ったとしてもおかしくはない。
何のことはない。全て私が悪いのだ。私が春香を、如月家のいざこざに巻き込んでしまった。そのせいで春香は・・・受けなくてもいい塗炭の苦しみを負っている。
私は、何としても春香を助けたい。この身はどうなってもいい。私なんてどうなったっていいから、とにかく・・・春香だけは助けたい!
「春香・・・今、話してもいい?」
春香は私の隣でぼーっと正面の扉を見つめていた。
「!、何かしら。」
いきなり話しかけてしまったからか、春香は驚きを隠せない様子だった。
「ごめん、驚かせたみたいね。」
「気にしないで、私が勝手に驚いただけだから。で、何?」
私は一呼吸を置いた。そして春香の方に体を向ける。私の動きに合わせて、春香も私に体を向けた。これは大事な場面であると自分で強く認識していたからだ。
「春香は、この事件の犯人って誰だと思う?」
「・・・分からないよ。私は犯人じゃないし。」
「そんなこと言ったら私だってわからないわ。でも、この人かもしれないと思う人はいるでしょ?」
私が言わんとしていることが分かったのか、春香は俯いた。
「思い当たる人がいるんだね、春香。」
「・・・いるけど、その人だという確証は・・・。」
「確かにない。だけど、多分春香が思っている人と、私が思っている人は同じ人だと思う。・・・もったいぶらないで言うわ。犯人は、私のお母さん、如月千種。そうでしょ?」
春香はゆっくりと頷いた。やっぱり、春香も気づいていたのだ。
「・・・春香・・・本当にごめん。何もかも、私のせいよ。春香をこんなことに巻き込んでしまった・・・。こんな言葉を投げかけたって、どうしようもないことはわかってる。」
胸が痛い。自分のせいで、本当は関係ない春香が責めを負わされるなんて、耐えられない。
「・・・私だって悪いんだよ。だって、私は殺人者なんだよ。千早ちゃんのお母さんから恨まれて当然だよ・・・死刑になったっておかしくないんだから。」
「春香は悪くない!あんな男っ!、死んで当然よっ!」
「ありがとう・・・でも、その言葉はあなたのお母さんには通じないんじゃないかな。千早ちゃんにとっては、ただの強姦魔だとしても、あの人にとっては大切な人だったんでしょ。」
その通りだ。だから、私たちがここで何を叫ぼうとも、その思いが「犯人」に届くことはない。
「春香、だから私決めたの。何としても、春香だけは助ける。どんなことがあっても!絶対に、春香だけは、死なせはしない。」
春香が驚いたような表情をする。
「それって・・・。」
「私を殺して。今すぐ、ここで。」
春香はいきなりの申出に驚いている。
「いや、ちょっと待って。そんなのおかしいよ。あの男を殺しちゃったのは、ある種私自身の為なんだよ。あの男が憎かった。だから殺したんだよ。別に頼まれたわけでもないのに、殺しちゃって。どうして、千早ちゃんだけが責任を取るような真似をしなくちゃいけないの!?それに、私・・・千早ちゃんを殺したくない。」
「でも、そうしないと!春香だって死ぬことになっちゃう。そんなの、私が許せない!」
「落ち着いて千早ちゃん。前に話したよね。例えどちらかが生き残ったとしても、また元の生活に戻れることはありえないって。どうせどちらかが生き残ったとしても、生き残りだって殺されるよ!殺し合いなんかしたら、それこそ相手の思う壺だって!」
「それでも、助かる可能性は、私を殺す以外にないじゃない。だったら、春香が少しでも生き残る可能性に賭けてみたいの。」
「千早ちゃん、怖くないの?自分が死んじゃうんだよ。」
「もともと、どうやったって死ぬことには変わりないじゃない。どっちにしろ助からないなら、私は春香を生かしたいの。そうしないと、私の気が済まない。私のせいで、春香を不幸にしてしまった。だから、これは私のせめてもの罪滅ぼしなの。」
私は春香の手を握った。
「お願い、春香!」
私の必死なまなざしに、春香は目を逸らした。そして春香は私の手を振りはらった。
「・・・ごめん、心の整理がつかない。今すぐ、千早ちゃんを殺せなんて・・・いくら大切な千早ちゃんのお願いでも、それはできない。」
春香はまた正面を向いて、あのタイムカウンターを指さした。
「見て、千早ちゃん。まだタイムリミットまで『63時間30分59秒』もある。焦る必要はないよ。それに・・・それよりも、やるべきことがあるんじゃないかな。」
「やるべきこと?」
「うん。こうすることだよ。」
春香はゆっくりと立ち上がり、そして部屋の中央部分まで進むと、そこで正座をして頭を下げたのだ。
「ちょっ、春香!?」
春香は私の動揺を気にせず、つづけた。
「如月千種さん、私はあなたの大切なご主人を殺めました。それがどのような理由であったとしても、決して許されることではないことはわかっています。ここから出していただいた暁には、私は警察に自首します。殺人者としての汚名を着て、罪を償おうと思います。だから、千早ちゃんのお母さん、お願いです!私たちを赦してください!」
「は・・・春香。」
私は土下座する春香に近寄って、体を掴みかかり、土下座を止めさせようとした。
「春香、あなたが謝るなんておかしいよ!すべて何もかも私が悪いんだから!謝らなくちゃいけないのは、私なんだから!」
でも春香は思いっきり力を入れて抵抗し、土下座の姿勢を止めようとはしなかった。
「千早ちゃん、止めて!これは私のけじめなの!自分が犯した罪に対するけじめなんだよ!たとえ千早ちゃんと言えども、止められたくない!」
春香は頑として聞こうとしなかった。こうなったら、私も・・・。だったら、私は!
私は服を脱ぎ始めた。私まで許してもらおうとは思っていない。許してもらうのは、部外者である春香だけでいい。春香さえ助かれば、あとは私の体も、心も、命さえも、全てあなたにくれてやるわ!お母さん!
「な・・・何やってるの!?千早ちゃん!」
あまりのことに春香も顔を上げて、私のことを止めようとする。
「止めないで、春香。これも私の決意よ。どんなことをしても春香を守り抜く。その為だったら、私は何もいらない。服一枚いらない。この体ごと全て差し出す。」
やがて私は全ての服を脱ぎ棄て、全裸となり、春香と同じようにカメラの前で土下座した。
「お母さん!聞いて!千尋のことは、本当に申し訳ないことをしたとずっと思っていた。だけど、私は殺していない!怖くなって、逃げてしまったの。許されない罪であるということは重々承知している。恨まれて殺されてもいいと思ってる。それに、あなたの夫を春香に殺させたのは私なの!」
「ちょっと、それは違うでしょ!?」
「いいえ!春香、確かに私はあの男が死んでしまえばどれだけ幸せか、そのことをずっと考えてた。春香はその私の思いをくみ取って、それを実行したに過ぎない。だから、あの男を殺したのは、実質私なのよ!」
「ち・・・違うよ。それはおかしいよ!私はだって・・・勝手にやっただけだよ!千早ちゃんの意図だったわけじゃない!」
「お母さん聞いて。あなたの大事な人を奪ったのはこの私なの。春香じゃない!だから私はどんなふうになっても構わない。だからその代わり、春香だけは助けてほしい!春香も警察に自首するって言っているじゃない。だから、お願いだから、命だけは取らないであげて!命を取るのは私だけにしなさい!」
春香はすかさず言い返す。
「私だけじゃなくて、千早ちゃんの命も助けてあげて!千種さん!千早ちゃんは、実の娘なんでしょ!?千種さんが、お腹を痛めて産んだ子なんでしょ。どうして、こんなひどいことをするの!?私たちに罪を償わせて!!」
狭い地下室に春香の魂の叫びがこだまする。私も春香も、カメラの前で土下座し続けた。
もうこれしか方法は残されていなかったのだ。この事件の犯人が、私の実の母親ならば、こうやって命乞いをする以外に助かる方法はない。それで心が動いてくれれば、まだ助かるかもしれない。
いや、春香だけでも助けないといけない。この子だけは!何としても!
祈るような思いで、二人で土下座を続けていた。お母さんに、気持ちが伝わるわずかな可能性に賭けて。