第2節 卒業旅行
私と春香と秋月先生は、あのクリスマスパーティーの日以来、「家族」になった。それからの日々は、それまでの日々もそうだったけれど、私にとってとても幸せな日々だった。それは、きっと春香も、そしてお母さんもそうだったことだろう。
私と春香は、あの日以来、勉強漬けの日々だった。お母さんの許可を得て、バイトの回数を減らして、その分を勉強に充てた。全ては、東京の大学に行って、それぞれの夢をかなえるためだった。
高校三年生になって、私と春香はまたしても別のクラスになった。二人が一緒に生活しているのは、周知の事実だったから、あえて教室を分けたのかもしれなかった。ちなみに、秋月先生は私たちとは違うクラスの担任となった。これも、私情を差しはさまないようにするための学校側の配慮だろう。
高校三年生になって、私も春香も環境が変わった。今まで、私は、春香のいじめを救って一人ぼっちになってしまってからは、春香以外の友達はできなかった。だけど、1年以上前のいじめの事件をみんな忘れてくれたのか、あるいは単に私が臆病だったのが原因だっただけなのか、高校三年生になって、春香以外の友達ができるようになった。
春香もそれは同じだったようだ。だけど、お互いに別に嫉妬することはなかった。なぜなら、春香は私にとって、「親友」であり「家族」だったからだ。それは春香にとってもきっと同じことだった。
私たちは、「家族の団欒」を大切にした。具体的には、朝食、そして夕食の時の家族の会話だった。私たちが「家族」になってから、ご飯を食べるときにテレビを点けなくなった。きっと、お母さんもテレビに頼らなくても、寂しさを感じなくなったからなんだろう。
私たちが話す話題はさまざまだった。今日学校でこんなことがあったとか、勉強が難しくて困っているとか、学校でこんなうわさを聞いたとか、様々だった。
忙しい中で、私たちは時間を縫って遊びに行ったりした。春には、お花見に行き、ゴールデンウイークには、水族館に行き、夏には海、そして花火大会に行って、冬にはまたクリスマスパーティーを開いた。今度はサプライズじゃなくて、ちゃんと家族3人で計画して行った。
そして次の年、私と春香は、それぞれ希望していた大学に晴れて合格した。4月からは、東京に移り、春香と二人で新しい生活をスタートさせる。それは、言い換えれば、これまで私たちを娘として育ててくれた秋月先生とお別れすることを意味していた。私にとっては1年半、春香も同じくらいだが、一緒に過ごしていたお母さんとの別れは、とても悲しいことだった。
私は、完全に人間らしさを取り戻していた。楽しい、嬉しい、悲しい、悔しい、そうした気持ちがどういうものなのか、演技でなくわかるようになっていったのだ。感情を吐露できることが、こんなにハツラツとしたものだとは、全く思わなかった。
私は、この嬉しくて楽しくてしょうがないありふれた日常が、もしかしたらある日突然壊れてしまうんじゃないかという、うっすらとした恐怖を感じていた。それは、私が普段の生活の中で、幸せを感じるその瞬間のはしはしに現れ出ては、気持ちの弛緩に警告を呼びかけていた。
最も恐れていたのは、私の元の母親が突然現れる出ることだった。幸いにも、そうした場面は卒業まで訪れることはなかったのだが、もし私の母親が学校に現れ、あるいは秋月先生のもとに現れたら、私たちの幸せな日々は突然終わってしまうことになる。
そんなことだけは絶対に避けたかった。こればかりは、どうやっても避けられるものではない。ただひたすら、あの人の理性に賭けて、あの人が馬鹿なことをしでかさないように祈るしかなかった。
私と春香の間には、まだ大きな爆弾が2つあった。私は、春香との一連のやり取りを通じて、春香が私の父親を殺害したのだと確信した。私は、比較的早い時点で、春香が私の父親を殺したのではないかという疑念を持っていたが、それは紛れもなく、事実だったのだ。
もちろん、春香が私にそう自白した訳ではない。そのように感得して、確信しただけだ。けれど、その確信は私にとってゆるぎないものだった。
私が恐れていたのは、そのことをいつか秋月先生に知られてしまうのではないかということだ。私は自分に過去何があったのか、周到に秋月先生に隠し続けた。もし少しでも話してしまえば、そこから芋づる式に真実が明るみに出てしまうかもしれない。
それだけは、何としても避けなければならない。せっかく、春香が私の悪魔を葬り去ってくれえまでしてつかみ取った幸せを、むざむざ無駄にするわけにはいかない。
すべての過去をひた隠しにして、幸せを享受するのは、思いの外辛いことだった。幸せを感じれば感じるほど、その幸せを手に入れるまでの過程が、暗く深い影となって目に映ってくるからだ。私は、正直言って、この影に何度となく脅かされた。話してしまえば、きっと私は楽になれる。間違いなく楽になれる。でも、それと同時に、私と春香、そして秋月先生にとっての幸せも終わってしまう。だから、何に代えても、この秘密を守り通さなければならなかった。
私と春香はお互いに約束を守った。私たちは、お互いに過去のことを話すことはなくなった。それは3人でいるときはもちろん、2人きりの時も同じだった。だから、もう一つの爆弾は、春香も知らないままに抱え込むことになった。
春香は、私が春香の母親を失踪させた、すなわち殺害したと思っているようだ。春香が私の父親を殺害したことに、私は気づいた。だから、それに対する恩返しの意味を込めて、私が春香の母親を殺したのだと。けど、それは違うのである。
私は、春香の母親を殺していない。もっと言えば、その顔を見たこともない。ならば、どうして私は春香にそのことを言わないのか。
理由は簡単だ。私が卑怯者だったからだ。私が春香の葉穂親を殺したと、春香が勘違いしてくれているというのは、私にとってとても都合が良かったのだ。お互いが生き残るために、お互いの親を殺したというのは、ともすれば美しく聞こえるはずだ。お互いの信頼はより深まっていく。だったら、そのままでいいじゃないかと思ってしまったのだ。勘違いしているなら、そのまま勘違いさせておけばいい。そうすれば、私が一方的に春香に対して罪悪感を感じなくて済むからだ。
私は醜い女だった。
それにその方が、余計なことを考えなくて済む。考えてみれば、それは末恐ろしい話だ。私が犯人だと考えれば、すっきりと腑に落ちる話だが、逆に言えばもしそれ以外の人が犯人だとすれば、それはいったい誰なのかということになる。
とにもかくにも、私と春香と秋月先生の奇妙な「家族」生活は、こうしてその平穏を破られることなく、無事に終わりを迎えることができそうだった。
二人仲良く志望校への合格を決めたのち、私たちは高校生活最後の思い出を作るため、毎日学校が終わっては、あちこち遊びまわっていた。そうした中で、春香がこんな提案をしてきたのだ。
「私たち三人で卒業旅行に行かない?」
受験も首尾よく終わった2月末のことだ。私と春香は、4時間授業で学校を終えて、少し遠出して映画を見に行っていた。映画も見終わって、コーヒーショップで抹茶ラテを楽しんでいるときのことだった。
「卒業旅行か。いいわね、それ。」
「私たち3人でお泊りってしたことなかったもんね。」
「3人どころか、私たち二人で旅行に行ったこともないじゃない。」
私たちが「毒親」たちから解放されて、一緒に住み始めてからも、みんなで旅行に行くということはなかった。まずそんなお金がない、そしてそんな時間もなかった。私と春香は受験勉強で忙しかったから、旅行を計画する時間的余裕も、旅行に行く時間もなかった。
秋月先生の予定もかなり忙しい。もちろん、教員にも「夏休み」という概念はある。学期中には消化しようにも消化できない年休を使うための期間である。
ただ、うちの学校には、東京の大学を目指すための「特進クラス」があり、そこではほぼ毎日に近いペースで受験対策用の勉強が教えられていた。当然、そこに秋月先生も駆り出されることになった。
その「特進クラス」には、私たちも参加していた。よって、都合夏休みの間に旅行に行くことはできなかったのである。
「千早ちゃんって、旅行したことある?」
「旅行ぐらいあるわよ・・・」
と、大見えを見っておきながら、よく考えたら小学校と中学校、そして高校に行った修学旅行の3回だけだった。家族と旅行した経験なんて1回も無い。
「春香はどうなの?」
一方で春香も私と大差なかった。というより、全く同じだった。
「家族との旅行はないな・・・。だから、小中高の3回だけかな。」
「私と完全に同じね。」
「家族と旅行に行かないと、旅行なんてめったにできなくなっちゃうもんね。」
さて、問題はどこに旅行に行くかだ。
「今から、調べて間に合うかな?」と春香。
春香は不安そうあった。それもそのはず。実は、私たちにはあまり悠長に旅行の準備をできる暇はない。4月から東京での生活が始まるから、下宿先の確保や引っ越しの準備や手続きなどで、あれやこれやと大忙しだからだ。その上、春になれば、短い春休みの期間を縫って、旅行客が増えることだろう。
「2泊3日は無理そうね。お母さんの予定が合わないわよ。」と私は答える。
私たちは3月上旬に卒業式をして、事実上の卒業となる。その間の1か月で、新天地での生活の準備をするわけだ。だけど、秋月先生はそれ以降も仕事がある。2年生・1年生は3月下旬まで学校があるためだ。3月下旬に3連休はあるけど、私たちも引っ越しの準備があるから、ここに充てることはできないだろう。
「しょうがないか。急な話だもんね。1泊2日で我慢しよう。」
と言って春香はがっくりと肩を落とした。そんな春香を慰めてみる。
「まあ、でも大事なのは、いかに楽しむかだからね。1泊2日でも朝から晩まで楽しめれば、問題ないよ。」
「・・・まあ・・・そうだね。」
春香はラテを一口啜った。
「春香はどこに行きたい?」
大事なのは旅行先だ。1泊2日ということを考えると、あまり遠出はできない。できるだけ近場の方がいい。
「そうね・・・行ってみたいところはいっぱいあるんだよ。でもね・・・お母さんの趣味に合うかどうか。」
「?」
「一度行ってみたいのよね。ディステニーランド。」
その手があったか。確かに良さそうだけど、でもお母さんそういうの得意だっけかな。
「それは、止めといた方がいいんじゃない。ディステニーランドは、私たちが東京に行ってからいくらでも行けるわけだし。そもそも1泊2日で行くところじゃないと思う。」
「だよねー」
春香もわかっていたみたいだ。
やっぱり、旅行といえば温泉だろう。修学旅行で温泉に行ったことはあるが、クラスの子たちと一緒だと、どうも落ち着けない。時間に縛られるし、ゆったりできない。でも、この3人だったらのんびりできそうだ。春香とお母さんと一緒なら、ぜひ行ってみたい。
「温泉なんてどうかしら。普段お母さん疲れてるから、疲労に効くんじゃないかいら。それに、温泉なら1泊2日旅行でちょうどいいと思わない?」
春香もこれには好意的だった。
「温泉かー、良いね!お母さん喜びそう。」
「場所はどうしようか?」
「そうだね・・・草津とか、熱海とか、小田原とかどうかな?」
場所は比較的近傍の方がいい。1泊2日だから、そんなに移動に時間をかけられないのだ。草津がここからだと一番近そうだけど、個人的には熱海に行ってみたい。ここからだと日本列島を縦断することになって少し遠いのだが、受け入れてくれるだろうか。
「私、熱海に行ってみたい。」
「いいね!熱海にしよう!」
「お母さんとも相談しないとね。日取りも決めなくちゃいけないから。」
「そうしようかっ。」
春香は少しぬるんだコーヒーをググッと飲み干した。
私と春香、そしてお母さんと話して、旅行は熱海に行くこととなった。1泊2日。期間は短いけれど、私たちにとってきっと忘れられない旅行になるはずだ。
「やっとついたー」
初日の午後、アカオハーブ&ローズガーデンというバラ園で、散々色とりどりのバラとハーブに囲まれてはしゃいだ後、私たちが泊まることになる部屋に入るや否や、お母さんがいきなり、座椅子にへやれこんでしまった。
「お母さん大丈夫?」
さすがに春香も心配げな様子だ。
「平気平気。日頃の運動不足が祟っただけよ。温泉に入る前に、少し休ませて。」
「それでいいわよね、春香?」
「うん。お風呂に行く準備もしなくちゃいけないし。」
ということで、秋月先生の体力が回復するまで、部屋で思い思い過ごすことになった。
「やっぱり、眺めは最高だね!」
春香が窓ガラスを開けて、ベランダへと繰り出していた。眼下には、熱海の街並みが広がっている。このホテルは山側に建てられている。だから、部屋からは、熱海の宿場町、そして太平洋が一望できるのだ。
この日はお天気に恵まれて、少し汗ばむくらいの陽気だったこともあり、夕焼けに照らされた海もなかなかに美しかった。
「そうね。いい感じだわ。」
お母さんが首を横に向けて、景色を眺める。
「千早ちゃんもこっち来なよ。」
春香が嬉しそうに手招きする。
「はいはい、今行きますよー。」
私はまるで子供をあやすかのように、ねだる春香の元へとにじり寄った。
「いい眺めね。でも、今日はちょっと暑かったよね。」
私は春香に同意を求めた。
「そうだね。でも、曇ってなくてよかったね、おかげで夕焼けもきれいに見えたし。」
私は無言で熱海の街を眺めていた。春香も夕焼けに沈む熱海の街を眺めている。その表情は、どこかアンニュイな感じだ。もの悲しさを感じているんだろうか。私は、そんな春香の表情も好きだった。どこかにじみ出るような優しさを感じるからだ。絶望に満ちた表情とは全然違う。
「なんか感傷的な気分になってる?」
私は声をかけてみた。
「うん、まあね・・・。いろいろ考えることはあるんだよ。」
確かにそうだ。もう間もなく、私たち3人の「家族生活」は終わってしまう。春香とは引き続き生活し続けることになるが、お母さんとは、もう普段会えなくなる。
ふとぬるい風が吹き抜けた。春香のセミロングの髪がふわりとはねる。その姿は実に大和撫子のようなはかなさがあって、私は少しドキッとした。
「ああー、今日はよく歩いたわね。」
秋月先生が座椅子で伸びをしている。うっすらと暗い雰囲気に耐えられなかったのだろう。敢えてそれをぶち壊しに来ていた。
「お土産買いすぎなのよ、お母さん。」
さっき行ったバラ園で、お母さんは学校の先生に配るからってかなり多くのお土産を仕入れていた。もちろん自分用もあるが、そのせいで荷物が少し多くなってしまったのだ。
「いいのいいの、どうせ明後日には大体はけちゃうんだから。」
お母さんはゆっくりと立ち上がり、冷蔵庫の中に入っているものを物色した。
「なんだ、お酒も入っているじゃん。」
中にはビールが入っているようだ。これはサービスということらしい。一応、他の種類のお酒もオーダーできるようだが、それは別料金のようだ。
「お母さん、お風呂前にお酒はだめよ。健康に悪いんだから。」
私はお母さんを制した。お母さんは普段お酒をあまり飲まない。だから、こういうときは結構飲んでしまうのだ。
「分ってるって。風呂上がりの方がおいしいからね。」
「千早ちゃん、お母さんみたいだね。」
春香がクスクス笑っている。確かに、若干小姑っぽいかも。
「そうだぞ、千早ももう少し子供らしくはしゃいだっていいんだから。春香を見習いなさいよ。」
お母さんも冷やかしてくる。
「何言っているのよ、私は二人が心配なのよ。」
私も少し冗談ぽっくかえす。
「千早ちゃんはいいお母さんになりそうだね。」
「余計なお世話よ、春香。」
お母さんはくすくす笑っていた。
「さあ、そろそろお風呂に入る準備をするわよ。」と私は言った。
私はベランダから身を翻して、お風呂に入るための準備を始めた。春香も一緒にベランダから戻り、タオルケットや浴衣などを一揃えにしておいた。
私たちが準備を初めて、座椅子で休んでいたお母さんもようやく準備を始めた。
そしてしばらくして、準備が終わった私たちは大浴場へと向かった。一応、貸し切りのスペースもあるのだが、これは別料金だったからあきらめた。
浴場に入り、頭と体を丹念に洗い、今日一日の汚れを落としていく。やがて、春香が体を洗い終わり、一足早く大浴場へと向かった。
そしてお母さんも洗い終わり、大浴場へ。
「早く来なさいよ、千早。」
「うん、もう少しで終わるから。」
そしてようやくすべての石鹸を流し終わった私は、2人が先に行った温泉へと足を運んだ。
「あ~、ごくらくごくらく。」
少しババ臭いお母さんの声が聞こえる。
「ほんとに気持ちいいね。」
続いて春香の声。そういえば、私は銭湯にもろくに行ったことがない。足を縦横無尽に伸ばせる風呂は本当に久しぶりだ。
「おっ、千早も来たね。お湯加減はちょうどいいわよ。」
私は少し温泉でかけ湯をして温度を確かめてから、つま先からお風呂に入った。確かに、お母さんが言う通り、ちょうどいいくらいの温度だ。
「ここからの眺めもいいね。」とお母さん。
春香が景色を見て一言。
「やっぱ、温泉から景色を見ないと、来た感じしないからね。」
私はゆっくりと温泉に体を漬けた。確かにここからの眺めも悪くない。すでに陽は落ちてしまっているが、まだ遠くの空がほのかに明るい。夕闇に沈む熱海もいい感じだ。
「それにしても、さっきのバラ園はよかったよね。」
春香が話しかけてきた。そこまで気に入ったのか、あのバラ園。
「どこがお気に入りだった?」
「そうね、やっぱり匂いが良いってのが最高かな。」
「匂いね。確かに香りはよかったわ。」
ふと、私は春香の胸に目が行った。いつの間にか、心なしかまた少し大きくなっているじゃないか。それに比べて私は・・・くっ。
「春香、また胸がデカくなったわね。」
視線の先に気付いたのか、お母さんが春香を冷やかしてきた。
「えっ、やっぱりわかる?」
春香もまんざらではない様子だ。
「ええ、おっぱいは大きい方が男にもてるからね。春香はかわいいから、玉の輿に乗れるんじゃないの?私なんかは、胸はデカくてよかったけど、出会いに恵まれなくてね。」
「でも、旦那さんゲットしたじゃない。」
「まあ、あれはハズレみたいなもんだし。」
「再婚するには、まだまだいけますって。」
春香が冗談めかして小声でお母さんにつぶやいた。私はこの話題には入っていけないし、入っていきたくない。
やがて、無言を貫いている私に気付いた秋月先生は、途端にフォローを開始した。
「もちろん、千早のちっぱいだってそれはそれで需要あると思うわ。」
「はいはい、どうせ私は貧乳でちんちくりんですよーだ。」と拗ねてみた。
「千早ちゃんは、スレンダーで美しいところがいいんだよ。」
「そうだぞ、そのクールビューティーなところがいいんだぞ。」
そうかな?そうだよね。うん、そういうことにしておこう。
「まあ、とりあえずそういうことにしとこうかしら。」
また3人でぼーっと景色を眺めていた。
「花火があるとまた違うんだろうな。」
春香がふとそうつぶやいた。確かに、熱海といえば花火が有名だ。夏は夏でまた良さそうだ。
「浴衣姿で眺める花火っていうのも悪くないよね。」と春香はつぶやく。
「じゃあ、今度は彼氏作って彼氏と来なさいよ。」
お母さんはそう冷やかしてきた。
「いやいや、私なんて彼氏作れるか分からないよ。」
「大丈夫でしょ、春香も千早も。」
私も?
「そういえば、二人とも、高校時代には好きな人はいたの?」
好きな人か。正直な話、私は高校時代で好きになった男の人はいなかった。小学生の時にはいたんだけれど。
それに、今はもう、男の人ははっきり言って怖い。何だかみんな、あのケダモノのような気がしてしまうのだ。
「そうね・・。特にはいなかったかな・・・。」
確かに、春香からそういう話は聞いたことがない。本当にいなかったのだろう。
「千早は?」
お母さんが聞いてくる。
「・・・・いなかったと思う。」
私はおずおずと答えた。
「そんなもんなのかな?今の若い子は。私なんて、高校時代好き好きでたまんない人がいたものよ。」
「えっ、じゃあ付き合ってたの?」
春香は興味津々でお母さんに聞いてくる。
「いや、一方的な片思いだった。私奥手だったし、相手はサッカー部の人気者だったからね。私なんて向こうとしては全然視野に入っていなかったと思うよ。私は、遠くで眺めているだけで十分だったの。」
「なんか、もったいないなー。そこまで好きなら、意地でもゲットすればよかったのに。」と春香は言う。
そういうものなのかな。私はお母さんの気持ちがなんとなくわかる。自分にとって分不相応だと感じるなら、遠くから眺めて独りで悦に浸っていればいいのだ。競争率の高い相手を射止めようなんて、きっと馬鹿げている。ほかの人からの嫉妬は酷いものだろうし、そこまで無理をしようとは思わない。そうやって私は無理をせずに諦めたのだ。だって加藤君には、彼女がいたんだから。決して彼から奪ってはいけなかったのだ。
「噂だと、他に付き合っている人がいたらしいのよ。実際、彼と仲の良かった女子はいたしね。」
「もう恋人がいたんだね。じゃあ、しょうがないか。」と春香は言った。
私は終始無言だった。こういう話題は、はっきり言って苦手だ。正直、男の人の話題には触れたくない。自分の中のトラウマがフラッシュバックしてきそうで、怖い。早く別の話題にいってくれないだろうか。
その時、春香が私の方を一瞥した。どうも、私が無言を貫いていることに気が付いたらしい。
「そういえば、ここのホテルはバイキング形式になっているんだよね。」
春香が夕食の話をし始めた。
「そうみたいね、正直好きなものを食べられるバイキング形式の方が、好きなんだよね。」
お母さんがそうつぶやいた。
「でしょ。やっぱりここを選んで正解だったね、千早ちゃん。」
「ええ・・・、そうね。」
ここでお母さんが、私の元気がないことに気が付いた。
「千早、どうしたの?もうのぼせた?」
「うんうん、そうじゃないの大丈夫。ちょっと、お腹がすいちゃって。」
私はとっさにうそをついた。自分が男の人を警戒しているという事実を感づかれたくはなかった。詮索されることはないだろうが、そこから何かを感づかれてしまうかもしれない。
「そっか。今日はだいぶ歩いたもんね。じゃあ、もう少し入ったら上がろうか。」
お母さんはそう言ってくれた。
しばらくして、私たちは露天風呂から上がった。そして浴衣に着替えると、早速バイキングへと向かった。
「うわー、いっぱいあるね!」
春香が中に入って感嘆を漏らす。巨大なテーブルの上には、和洋中のそれぞれの料理が所狭しと並べられていた。
春香はバイキングを食べるのは初めてだって言っていた。私は確か2回目くらいだったと思う。
私たちは席に着くと、早速料理を選び始めた。私は洋食を中心にしようと決めた。主食として、ロールパン、ローストビーフに付け合わせのニンジンとブロッコリー、さらにポテト。そしてパンプキンスープとオレンジジュースを選んだ。
先生は中華中心だ。ご飯の上に麻婆豆腐をかけたものををメインに、小籠包・酢豚、そしてシーザーサラダに野菜スープだ。
それに対して春香は、結構いろいろなものを持ってきていた。というより、バランスが悪かった。大量のローストビーフにお寿司、ポテトに杏仁豆腐とアップルティーという組み合わせだった。お寿司もなぜか、サーモンが多かった。
「春香、そんなに大量のローストビーフ食べられるの?」
私が心配になって尋ねてみた。
「平気平気。結構お腹減ってるから。好きなものだけ選んで食べられるっていいよね。千早ちゃんとお母さんはバランスがいいね。」
一汁三菜ではないが、それなりにバランスは考えて選択したつもりだった。お母さんもたぶんそうなのだろう。
「まあ、春香はちょっと偏ってるけどね。いいんじゃない、バイキングって食べたいものを食べたいだけ食べるのが正義なんだから。」
お母さんがそう言った。
「ちゃんと、残さず食べなさいね。」
「うん、わかった。」
私たちはいただきますを言って、料理に手を付け始めた。
「うん、おいしい!」
お寿司に手を付けた春香がそう感想を漏らした。私はまず付け合わせのニンジンから食べてみた。そしてローストビーフを1枚口の中へ。うん、少し温んではいるけれど、しっかりとした味わいが口の中に広がってくる。まあ悪くはない。
「あちあち。」
どうやらお母さんがとった小籠包、中はまだ暑かったらしい。予想外の熱さに変なリアクションをしていた。
「お母さん、大丈夫?」
私がとっさに心配した。お母さんは手を挙げて大丈夫だというアピールした。そしてハフハフしながら、小籠包を食べきった。
「大丈夫大丈夫、ちょっと予想外に熱かっただけだから。」
「春香、やけにサーモンが多いわね。春香ってサーモンが好きなんだっけ?」
私は春香に尋ねる。
「そうだよ。サーモンおいしいじゃん。まだあるから、千早ちゃんも食べたかったら取ってくれば。」
「私は大丈夫。洋食タイプだから。」
「そう?つまんないの。」
何がつまんないだろうか、と突っ込みを入れたくなったが、今は気にしないでおいた。春香はローストビーフとサーモンを交互に食べていく。見る見るうちに、春香のお皿からローストビーフが消えていった。
だがポテトはあまり減らなかった。
「千早ちゃん、ポテトいる?」
やっぱり食べきれなかったのだ。
「春香、ちゃんと自分で責任とって食べないとだめよ。」
私が諭した。
「ポテトおいしいよ。」
「食べたくなったら、自分で取ってくるから。」
そう言って私は春香の勧誘を断った。
「春香、食べきれないなら少し頂戴。」
秋月先生がそう言って、春香のお皿からポテトをいくつかかっさらった。
「お母さん、ありがとう!」
春香は満面の笑みだ。
「お母さん、春香を甘やかしちゃだめよ。」
私はお母さんを諭すのだが、「いいじゃない、少しくらいなら。」といって聞かなかった。
「そうだそうだ、千早ちゃんは厳しすぎるよ。」
どうしたことだ。私が孤立してしまった。
「しょうがないわね。じゃあ今回だけだよ。」
そう言って、私もフォークを使って、春香のお皿からポテトを何本か自分のお皿へと移した。
「千早ちゃん、ありがとう。」
こういうときだけ満面の笑みだ。全く調子がいいんだから。
やがて三人とも食事を食べ終わったようだ。そこで、私たちはデザートコーナーに行くことになった。デザートはケーキ、杏仁豆腐、そしてアイスクリームであった。
「千早ちゃん、何食べる?」
「そうね、私はケーキにしようかな。というか、春香デザート食べられるの?」
「デザートは別腹の法則だよ。」
ということのようだ。
「私はアイスクリームにしようかな。」
秋月先生は、そう呟くと保冷ケースの扉を開けた。
「じゃあ私はアイスとケーキかな。」
春香は先生と同じアイスクリームを選ぶとともに、私がチョイスしたチョコケーキも取った。
「そんなに食べられるの?」
「平気平気。デザートは別腹だから。」
ほんとかなー。
「今度はちゃんと食べなさいよ。」
「大丈夫大丈夫、分かってるって。」
少し不安になりながらも3人は席に戻った。
「あーやっぱアイスは冷たくていいわ。熱くて辛いものと食べすぎたから、ちょうどいいわ。」
お母さんはだいぶ舌をやられたようだ。
「麻婆豆腐も結構辛かったものね。」
「そうそう、せっかくお風呂入ってきたのに少し汗ばんじゃったよ。」
春香の方に目をやると、春香がチョコケーキを頬張っていた。
「やっぱりチョコケーキもおいしいなー。」
春香がおいしそうにケーキを食べるので、私も気になって味を確かめてみた。なるほど、確かに美味だ。チョコの苦みとケーキの甘さがマッチして、程よい味わいを醸し出している。
「あー、今度は歯が沁みてきた。」
お母さん、今度はアイスの冷たさにやられたらしい。
「お母さん、大丈夫?知覚過敏?」と春香が問うた。
「そうかもしれない・・・。ちょっと対策しないとだめかもね。」
なんだかんだで、お母さん、今回のバイキングでいいところがないみたいだ。
そうこうしている間にみんなデザートを食べ終わった。
「じゃあ、そろそろ行こうか。」
お母さんが号令を取って、みんなで自室に戻ることになった。
「くるしー」
部屋に戻る途中、春香が泣き言を言い出した。春香は正直食べすぎていた。
「春香、調子に乗って食べすぎだよ。」
お母さんがそうたしなめた。
「これからはもう少し加減するよ。」
「そうした方がいいわね。」と言って私は春香のお腹をポンポンした。
まあ、でもバイキングでお腹いっぱい食べたくなる気持ちはよくわかる。中学の修学旅行で1回だけバイキングに行ったが、正直その時も私は食べすぎたのだ。
部屋に戻って、私たちはトランプをして遊んでいた。トランプは、春香が持ってきたのである。用意周到だ。お母さんは冷蔵庫の中に入っていたビールに手を付けていた。
トランプで一時間ほど遊んだ後、私は気分転換のため、ベランダに出ることにした。
春香は座椅子に座って食休みをしている。
私は熱海の街をぼーっと眺めていた。春とはいえ、まだ気温は13度前後。浴衣の上にもう一・二枚はおらないと寒い。
私は少し感傷的になっていた。この楽しかった生活もあと半月足らずで終わってしまう。そして新しい地での生活が始まるのだ。
期待と不安の二つが去来していた。新天地に行けば、今までの暗い過去をすべて忘れて、まっさらな状態にすることができる。その一方、私は親の愛を失ってしまう。正直なところ、私はお母さんに少し依存しているのかもしれない。
お母さんがいなくなってしまう・・・まだ少し現実感を持てないでいる。だけど、それがどういうことなのか・・・頭では理解していた。
そして最近、自分の心の中で、春香に対する見方が少しずつ変わっていることに気付いていた。
春香と一緒にいて楽しい、嬉しい。それはずっと今まで、友達から親友、そして親友から家族になることができた嬉しさなのだと思っていた。
そして私は春香に依存している。春香のためにすべてを投げ出してもいいと思えるようになった。
だけど、だんだんそれも違うのではないかと思い始めていた。
春香にふとした瞬間に笑顔を向けられ、そして手を握られる。あるいは、春香がどこかアンニュイな表情を向ける。そんな表情を見るたびに、私の心が跳ね上がるのを感じていた。
私は気づいた。これは、恋なのだ。私は春香に恋をしている。この気持ちは、かつて小学生の時に、サッカー部のクラスメイトに恋をしたのと同じだった。
あの初恋は、無残な結果に終わった。それ以来、私は恋に臆病になっていた。そしてあの男に身を捧げるようになってから、私は男というもの全般に忌避感を抱くようになっていた。
もう私は二度と恋なんてしないんだ、私は一生、男の愛と心のどきどきを味あわずに一生を終えるのだ、そう思っていた。
だけど、そのドキドキは意外なところで起こってしまった。決して起きてはいけないところ。そこで・・・。
私は病気なのだ。その理由はわかっている。今までずっと感情を押し殺して生きてきたことが多分その原因。それはそれで楽だった。苦しいことも、悲しいことも、何も感じることなく生きようとしてきた。嬉しいことも、楽しいこともそうは感じなかったが、それはそれでよかった。
でも春香と出会って、私の「引きこもり」は終わった。私は感情を取り戻して、誰かに心を開くということの気持ちよさを知ってしまった。
だから怖いのだ。むき出しの感情を理性で抑えようとすればするほど、私は誰かの
安らぎを必要としてしまう。楽しい、嬉しい、悲しい、辛い、そう感じてしまうことが怖かった。自分は、本当にそんなことを感じていいのだろうか。私が殺した妹は、そんなことを許してくれるのだろうか。
そんなことを考えると、どんどん心が寒くなるのを感じた。そして、一人でそんなことを考えるのが怖かった。考えれば考えるほど、私は一人ぼっちになってしまうような気がするのだ。
私のような冷酷で、残忍で、利己的な人間のことを好きになってくれる人間なんていないんじゃないか・・・。自己嫌悪に陥り、そして私は、嫌われないようにするため、その人に依存してしまう・・・。
天海春香。私の親友にして家族にして、そして私の命を救ってくれた人。彼女は、私にとって全て・・・。
春香・・・ごめんなさい。私のせいで、あなたの人生は狂ってしまった。着なくてもいい殺人者の汚名まで背負って、今の生活を与えてくれた。
だから・・・、私はあなたのすべてになりたい。どんなに歪んでいると思われてもいい。春香に嫌われたくない。
そして、私は、春香のすべてがほしい。もし可能であるならば、私は春香にすべてを差し出したい。その代わりに、私は春香のすべてがほしい。
私は狂っている。だから、それを隠していかなければならない。そうしなければ、私はきっと春香に嫌われてしまう。私の病的な側面はひた隠しにしなければならない。それが、私と春香を守るすべなのだ。
そんなことを考えていると、春香が部屋の中から出てきていた。
「千早ちゃん。寒くないの。あれ?泣いてる?」
あまりにも考え事に没頭していたため、隣に春香が並んでいたことに気が付かなかった。
「あっ。春香。・・・ちょっと、考え事をしていてね。」
「悲しいこと?」
「うん・・・。」
「昔のこと?」
「・・・まあ、それもあるかな。」
「千早ちゃん、辛いことは抱え込まずに、なんでも私に相談してね。」
「ありがとう・・・。」
私はこんな健気な彼女が好きだ。そして疑問に思うのだ。あなたは、どうしてあなたは、正気を保っていられるの?私と似たような人生を送り、心を傷つけられ、えぐられ、そして陽の当たらない暗い世界を生きていたのに、どうしてそんなにつとめて明るく振舞うことができるの?どうして、そんなに優しくすることができるの?どうして私のように狂っていないの?
「・・・千早ちゃん?」
気づけば、私の目から涙がこぼれ落ちていた。愛しい春香のことを考えれば考えるほど・・・、自分のおぞましさを再認識させられる。
「ごめん・・・ちょっと感傷的になっているだけ。もうすぐ卒業だからね。」
春香が私の手を握ってきた。ドキッとする胸の高鳴りを感じる。
「実は私もね・・・。お母さんはあんな感じだから・・・。」
そう言って後ろを指さす。
振り返ってみると、お母さんは座椅子に座って寝てしまっていた。よっぽど疲れがたまっていたのだろう。トランプの時にお酒を飲んでいた。お酒の力もあったのだろう。睡魔には勝てなかったようだ。
「私も少し、夜風にあたって考え事でもしたいなって。」と春香は言う。
「少し寒いよ。」
実際、肌寒かった。
私は、春香に自分の気持ちを知られたくはなかった。こんな風にして一緒にいたら、私は・・・弱いから、自分の気持ちをすべて吐き出してしまうかもしれない。
「こうすればあったかいよ。」
春香はさらに体を私に密着させた。ドキドキが止まらない。
「ねっ、温かいでしょ。」
「そうね・・・。」
頭が真っ白になる。何も考えられなくなり、胸の鼓動が早くなり、少し汗ばんでくる。
「ちょっと、暑かったかな?」
春香は私が汗ばんでいるのを感じたのか、少し距離を置こうとした。
「このままでいい。」
私は春香が離れるのを阻止しようとした。私は春香とくっついていたい。
二人で熱海の海を眺めていた。ホテルの一つ一つの光が、まるで地上の星のように輝いている。
「さっきはありがとう・・・。」
私は春香に話しかけた。さっきの浴場で、春香が話題を変えてくれたことに対してお礼を言おうとしたのだ。
「さっきのことって?」
「お風呂の時、春香が恋愛の話から話題を逸らしてくれたでしょ。」
「ああ、そのことか。」
「正直。男の人の話題は、嫌だったから・・・。」
秋月先生は何も悪くないのだ。結局、私は秋月先生に、自分があの男に身を捧げていることは話さなかったのだ。それは、あの男の不審な死に目を向けさせないためである。あの男は私を飼い殺しにしようとしていた。そしてそんな男が自殺をしたとなれば、その死を不審に思うかもしれない。だから、私は全てをひた隠しにしていたのだ。
「そうだよね・・・。ごめんね、すぐ気づいてあげられなくて。」
「うんうん、春香は何も悪くないの。むしろ気遣ってくれてありがとうだよ。」
私は春香には語ったことがある。自分が小学生時代に、ある男の子に恋をしたことがあり、そしてそれは上手くいかなかったこと。
「昔・・・話したことがあるよね。私の小学校時代の初恋の話。」
私は春香に話しかけた。
「うん・・・。同じクラスメイトのサッカー部の子を好きになった話だよね?あの事故があってから、千早ちゃんの心の支えになったアドバイスをした人でしょ。」
「そう・・・。春香にはどこまで話したっけな。彼のためにお弁当を作ってあげた話ってした?」
「いや・・・初耳。教えて教えて。」
そうか、春香にもほとんど話していなかったのか・・・。この際だから話してしまおうか。
「私が小学校5年生のとき、私は加藤君というクラスメイトの男の子のことが好きになったの。」
「どんなきっかけだったの?」
「別にきっかけとかそういうのはないの。私と彼は、同じ委員会活動をしてて、それで自然に好きになった。まだ私は純粋だったから、彼と一緒に活動しててそれで恋に落ちたの。」
「千早ちゃんは今でも純粋でしょ?」
「冷やかしはよしてよ。とにかく、彼のことが好きになった。当然それは片思い。かなえられるはずがないし、叶えるって発想もなかった。」
「でも、最終的にはお弁当を作るというアプローチをした。」
「そう。あの時の私は向こう見ずで、どうかしていたのよ。彼は人気者で、他にもライバルは間違いなくいるはずだった。だけどそんなこと全然気にしてなかった。だからお弁当を作るなんて大胆なことできたんでしょうね。」
「出来栄えはどうだった?」
「気合い入れて作ったからね。個人的にはうまくいっていたと思うわ。だけど・・・うまくいかなかった。」
「どういうこと?」
「ライバルがいたから。彼はその子とすでに付き合っていたのよ。私はサッカー部の部活動の日に、彼の練習の合間を縫って渡そうとした。だけどその時、そのライバルの子もお弁当を作って彼に渡してた。それを見ちゃってね・・・。」
「じゃあ、食べてもらえなかったの?」
「いや、彼は食べてくれた。あんなとこ見ちゃったもんだから、私は一目散に帰ろうと思った。だけど彼が私を引き留めて、食べるって言ってくれたのよ。」
「じゃあ良かったじゃない。」
「でも、『夜』にね。」
「『夜』に・・・。」
「私は事前に、加藤君にお弁当を作っていくって約束をしていたの。それに対して、その子は突然作ってきたみたい。だけど、加藤君は私のお弁当よりもその子のお弁当を優先して食べるって言ってきたのよ。もう勝ち目はないって思ったわ。」
「そっかー、そういうことだったのか。」
私が春香に聞いてみたかったのは、ここから先のことだ。
「春香だったら、どうする?その加藤君に彼女がいるってことがわかったら。私みたいに引いちゃう?それともあきらめの悪い女になる?」
春香は少し悩んでいた。悩んでいるというだけで、結果はもろ分かりだ。
「私だったら、あきらめの悪い女になると思うなー。」
「どうして?自分に自信があるから?」
私は少し嫌味っぽく聞いた。
「だって、自分が彼のことを世界で一番好きだと思っているんでしょ。だったら、自分に正直になって、彼を振り向かせるくらいのことしなくちゃ。そこまでやって振り向かせられなかったらしょうがないけど、最初から何もしないで諦めちゃうというのは、私的にはなしかな。強引かな?」
私には分からなかった。普通の人は、もしかしたらそう見るのかもしれない。
でも私も自信が無かった。もし、春香のことを誰かが好きになって、春香と付き合いしだしたときに、私は祝福して春香を送り出すことができるのだろうか。
それに、私はそんな強引なことはしたくなかった。
「私には分からないわ。でも一つ言えることは、春香の言うことにも一理あるってこと。」
春香は少し困惑している。
「なんだかなー。ちょっと分からないな。」
また二人は無言になって、遠くの海を見つめていた。長い時間外にいたせいか、体がすっかり冷えてしまった。時刻は午後10時になろうとしている。
「春香、お母さんを布団に入れた後私たち二人でもう一回お風呂に入らない?多分今なら、お客さんも少ないし、もしかしたら貸し切りかもよ。」
春香は私の提案に賛成した。
「良いね!じゃあ、さっさと布団を引いてお母さんを入れちゃおう。」
私たちはそれぞれ布団を取り出して、敷き詰めると、そこにお母さんを入れた。そして、バスタオルを取り出して、そのままお風呂へと向かった。
大浴場は予想通り、人影はまばらだった。ほとんど貸し切りに近い状況だった。
「当たりだね、千早ちゃん!」
「そうね、これならゆっくりできそうね。」
私と春香は、そのまま熱海を一望できる大浴場へと向かった。賭け湯をして、ゆっくりと温泉に浸かる。
「はあー、やっぱり温泉はいいね。」
春香はそう語り掛ける。
「そうね。景色もいいし、来てよかった。」
しばらく二人は、外の景色をぼんやり見ていた。しばらくして、春香が今後の生活のことについて話題を振ってきた。
「千早ちゃん、これからのことなんだけどね。」
「うん。」
「大学に入ったら、一緒のサークルに入らない?」
サークルか。そういえば、私と春香は人生で一度も部活というものに属したことがなかった。お互いに親から虐待を受けて、それどころではなかったからだ。
「いいね!お互い初めての部活だから、一緒に入った方が心強いもんね。春香は、どんなサークルに入りたい?」
「そうね・・・私は運動系のサークルに入りたいかな。千早ちゃんは?」
私は正直文科系のサークルの方がいい。例えば、吹奏楽とか。でも、それはそれで大変そうな気がした。春香が運動系のサークルに入りたいというのなら、それに合わせてもいいと感じた。
「私もそうね・・・運動系のサークルでいいと思う。具体的に何って考えてる?」
「うーん、それはまだ決まってない。実際にサークルの新歓とかに行ってみて決めたいかなって思ってる。」
「なるほどね。その方がいいと思う。期待外れってところもあるだろうしね。」
春香は頬を緩ませた。
「楽しみだなー、東京って何もかも大きいんでしょ。」
東京か・・・。確かに、東京はこの富山の小さな地方都市よりか何もかも大きいだろう。
「そうみたいね。春香は、東京に行ったらどこに行きたい?」
「そりゃあ、いろいろなところよ。新宿に渋谷に池袋、東京タワーに秋葉原なんかも行きたいな。千早ちゃんは?」
「私は・・・そうね、春香の行きたいところなら、どこにでも行きたい。」
何だかおかしな返答になってしまった。これじゃただの告白みたいじゃないか。
「何それ、変なの。じゃあ、千早ちゃんをどこまででも連れまわしちゃおうかな。」
私は笑って返した。
「それでもいいよ。春香となら、どこに行っても楽しいし。」
本当のことだ。私は春香といっしょに居られたおかげで幸せになることができたのだから。
「じゃあ、ディステニーランドに行こうよ。まず最初に。」
「旅行考えるときにもディステニーランドって言ってたけど、春香はディステニーランド好きなの?」
「いや、単純に行ったことないから行きたいんだよ。」
確かに、私たちには親に恵まれなかったから、ディステニーランドにも行ったことはない。確かに、一度は行ってみたいわ。
「そうね、私も行ったことないし。じゃあ、行こうかディステニーランド。」
「よし、じゃあ物件見学の時に行っちゃおうか。」
「さすがにそれはまずいんじゃない。まずは、お部屋をちゃんと決めなくちゃ。だって、4年間は住むことになるお部屋探しなんだから。」
「ちぇー、つまんないの。」
春香はやっぱり少し子供っぽい。でも、多分、それは親に甘えることができなかった反動なのだろう。私が愛を求めて依存してしまうのと、きっと同じ心性なのだ。でも、そこがまたかわいらしかった。
また私はぼーっと窓の景色を眺めた。何度見ても景色は変わらないが、春香と隣にいて、一緒に眺めているだけで、すごく心が安らいだ。私は、春香の手を握る。
「千早ちゃん?」
「お願い。このままでいさせて・・・。」
「千早ちゃんは、甘えん坊さんだなー」
春香は耳元でそうつぶやいて、首を私の方に傾けた。
二人でしばらく、肩を寄せ合って外の景色を眺めていた。その姿は、ともすれば、恋人同士に見えたのかもしれない。
「春香・・・私、春香のことを守りたい。」
「・・・うん。」
「あのとき、春香が私を助けてくれたから、今の私があるんだから。」
あの時とは、私がある夏の日、校舎から飛び降りて自殺をしようとした時の話だ。
「ねえ、春香。一つ聞いていい?春香はどうして、私が自殺をしようとしているって分かったの?」
遠くを眺めていた春香は、私の顔を一瞥して、そっと答えた。
「あの日ね、千早ちゃんの様子が特におかしかった。このまま放っておいたら、死んじゃうなって直感的に感じたの。女の勘ってやつかな。だから、あの日、かつて千早ちゃんが私にしてくれたように、二人で話し合いをしようと思ったわけ。」
私の精神はあの時限界を迎えていた。あの男に犯されながら私は「お前なんて死んだ方がいい」そう罵倒され続けた。そして、私は死の感情に支配された。取り戻した感情が、私に死を命じたのだ。
「私も質問させてね、千早ちゃん。あの時、千早ちゃんは迷っていた?私の元に来るかどうか。」
正直な話、すごく迷っていた。春香のもとに行けば、私はきっと、救われるだろうと思っていた。だけど、私はきっと春香にすべてを話して、自分だけ楽になって、そして春香を如月家の醜い因果へ招いてしまうような気がしたのだ。
このまま何も語らず、全てを抱えたまま死んだ方がいい・・・。そう思った。そうすれば、誰も傷つかなくても済むからだ。誰も傷つけず、誰も巻き込まない。如月家は私という悪夢の元凶を失い、それですべて収束する。春香だって私以外の友達を作って仲良くやっていけるだろう。
だから、私が死ねばいい・・・。でも、気持ちのどこかで、そうしたくない、すべて話して楽になってしまいたい・・・。そういう思いもあったのだ。
「千早ちゃん・・・?」
「・・・すごく迷っていた。春香の優しさに甘えてしまおうかと。でも、当時の私は、春香に甘えてしまったら、春香にきっともの凄い大きな迷惑をかけるって思った。だったら、私が死んだ方がいい。そうすれば、全てが丸く収まる。そう思ってた。」
「でも実際はそうじゃ無かったよね。千早ちゃんはあの家から解放されて、幸せになった。生きててよかったでしょ。」
春香の言う通りだ。私は死ななくてよかった。死ななかったから、今の幸せな生活がある。だけど、その代わりに・・・春香は・・・。
「多分・・・私春香にすごく迷惑をかけたんだと思う。」
「そんなことないよ、千早ちゃん。私は千早ちゃんからたくさんの物をもらったもん。」
私があげたたくさんの物、それは・・・?
「私があげたって・・・?」
「千早ちゃんの愛情だよ。」
私の愛情か・・・。私なんて、ただ単に春香に甘えていただけなんだけどな・・・。
「こんな愛情でいいの?ただ、春香に甘えるだけなのに。」
「もちろん。私はこれで大満足なんだから。」
春香の健気で甘えた表情が愛おしい。狂おしいほどに、かわいい。
「春香・・・好きだよ。」
私は耳元で囁いた。春香は少し顔を紅潮させた。ただ単にのぼせたというわけではなさそうだった。
「私もだよ・・・千早ちゃん。」
春香も静かにささやき返した。
私はふと後ろを振り返った。私たちが浴場に入った時にはまばらだった人も、今は人っ子一人いない。
「春香、誰もいないね。」
春香も後ろを振り返っていった。
「そうだね。」
私は春香の方に顔を向けた。春香も気づいて私に顔を向ける。二人の距離は、20センチもない。胸がドクドクする。このまま・・・口づけを交わしたい。今の春香なら・・・この私の密かな思いを受け止めてくれそうな気がする。
「春香・・・。」
「千早ちゃん・・・。」
お互いに状況を理解している。今なら・・・キスを交わしても・・・。
春香がゆっくりと目を閉じた。それを合図と悟った私は、ゆっくりと目をつぶり、唇を近づけた。
その時だ。
ガラガラガラ
「何だ二人ともやっぱりお風呂に入っていたのね!」
張りのある声が浴室に響きわたる。私たちは驚いて二人で扉の方を見た。
「「お母さん!」」
「ずるいわよ!二人だけで抜け駆けするなんて。」
春香が動揺しながらも返事をする。
「そ・・・そんなことないよ。しょうがないじゃない、お母さん寝ちゃったんだもん。」
やれやれ・・・。雰囲気も何もあったもんじゃないわね・・・。
結局、その後私は春香に何もすることはできなかった。でも結果的にはそれでよかったのだと思う。
あれから私は考えるようになった。春香は私の「好き」という告白をどうとらえたのだろうか。
確かにあの時、二人は「そういう気分」だったと思う。だけどあれは、非常に感傷的な気持ちになって、色々と高ぶっていたからであって、春香が常時私にそういう感情を抱いてくれているのではないと思った。
きっと、春香は「親友」として、あるいは「家族」として「好き」という気持ちにとらえたのだろう。まあ・・・それでいい。
たとえ私の本心とは違っていても、春香と一緒にいられるならば、そして春香が私のことを好きでいてくれる限り、それは些細な問題に過ぎなかった。