第12章 ある日の風景 残り48時間 如月千早
第1節 千早の決意と春香の動揺
望月俊。望月俊。望月俊。
次第に思い出してくる。あの人の容姿、性格、身分。春香に言われたときには、おぼろげにしか出てこなかったのに、今ははっきりと思い出せる。
そして思い出していた。私は、あの男に「恋」をしていた。いや、厳密に言えば、私はあの人のことが好きだったわけではない。あの男に似た、ある思い出の人に恋をしていたのだ。私の思い出の中の大切な人「加藤君」。私に生きる希望と術を与えてくれた、命の恩人。
春香に出会って、彼女を心の支えにして以来、あの人のことは心の片隅で眠りにつかせてあげたはずなのに、望月先輩に出合ってから、再び眠りから覚めてしまったような感じなのだ。
今回の事件の犯人が、望月俊を捕えた理由、私が彼に「恋」をしている、そのことを思い出してたちどころに分かった。
犯人たちは、私たちに「望月俊」の奪い合いをさせることが目的なのだ。春香も私も彼のことが好きだとすれば、私たちは彼を奪い合うという意味では、お互いにライバルとなる。そして今回の事件は、そのライバルを合法的に葬り去る好機でもある。
だから、私たちに殺し合いをさせようとしているのだ。恋のさや当てを演じる私たちが自分の利益のために、親友を殺し合う。私たちを憎んでいる犯人からすれば、これほどに面白い余興はないだろう。
私たちをこの部屋から引き離さなかった理由も納得だ。
もう残り2日しかない。私たちに残された時間はあまりにも短すぎる。そしてその間に結論を下さなければならない。生き残るのは、春香か私か。
「あなたは生きていたいか?」
そう問われれば、答えは「はい。」しかない。誰かが死ななくちゃいけないとか、そういう制約がないんだったら、私は普通に生き延びたいと思う。でも「春香を殺してまで生きていたいか。」そう問われれば、答えは「いいえ。」だ。
思えばすべては私のせいなのだ。私が千尋を河原で見殺しにしたことがすべての始まりだった。そうして五郎は、私に邪な感情を向けた、私は愚かしくも、そのことを春香に話してしまった。そのせいで、春香を犯罪者にしてしまった挙句、こうして私の母親に恨まれている。この上、春香を殺して私だけ生き残るなんてありえない。地球がひっくり返ったって通らない道理だ。
それに別に私は、望月先輩自体に恋をしている訳ではどうもなさそうだ。少なくとも、私の記憶では、彼自身のことが好きであったわけではないと思う。別に今も、彼に会いたいとか、そういう気持ちは・・・たぶんない。
それに私は、あの女にこれ以上無様な姿を晒したくない。親友であるはずの春香と先輩を巡って殺し合うなんて、そんなあいつの思い通りにはさせたくない。だったら・・・もうこんなくだらないことは、私が引導を渡して終わらせるしかない。
「春香。」
「ん?」
朝食を食べ終えてから、春香は私の隣で少しウトウトとしていた。お腹も膨れて、眠くなっていたみたいだ。
「私・・・望月先輩のこと・・・好きだったみたい。」
春香は驚いてこちらに目を向けた。私も春香の方を見返す。
「でもそれは、別に彼自身に恋をしていた訳じゃない。私が昔好きだった人に、あの人が似ていたから、ちょっと気になっただけ。」
「昔好きだった人?」
「ええ。もし春香が覚えていたらなんだけど、私、小学校の頃に初恋を経験しているの。加藤君って子。私の同級生で、色白メガネで、銀髪の子だった。」
春香が何かを思い出したようだ。
「そんなこと言ってたね。思い出したよ。」
「これも言ったかな。実は私、その子に命を救われたの。」
春香は少し目を逸らした。何かを思い出そうとしているようだ。そして少し後に反応した。
「思い出したよ。心を閉ざすことをアドバイスしてくれたんだよね。」
少し違っているけど、大よそそう言うことだ。
「そう。その通りよ。でもアドバイスの内容が少し違っているから、説明させて。千尋が死んでしまった後・・・私はすごく自暴自棄になったの。両親から責められ、私もものすごく罪の意識に苦しんでいた。正直、死にたいと思っていたの。そんなとき、私はたまたま加藤君と町でばったり出会った。」
「うん。そうだったね。」
「私の方から声をかけて、しばらく会話を交わして、それで妹のことを話さざるを得なくなって彼に相談したの。妹を自分のせいで死なせてしまったって。」
「加藤君はさぞ驚いたでしょうね。」
「ええ。すごく驚いていた。だけど、彼は私のことを助けようとしていた。これも何かの縁だから、また会おうって言ってくれたの。」
「彼・・・とっても優しかったんだね。」
「うん。だから私は、彼のことが好きだった。」
「それで、彼はなんてアドバイスしてくれたの?」
「彼はね、『楽しいことだけを考えるようにする』のはどうかって言ってくれたの。それに『他のことを考えないようにしようよ。今目の前にあることに集中する。妹さんのことを考えなくていいように、今日やるべきことに意識を向けるんだよ。あとは時間が癒してくれる。今は苦しくても、時が経てば、冷静に過去のことを思い出すことができるはずだよ。』って。」
「うん。それで・・・彼とは連絡を取るようになったんだっけ?」
「いいえ。私、彼から逃げちゃった。文字通りそのまま走り去って。彼には彼女がいたから。このまま一緒に居たら、私、彼の気持ちをゆがめてしまうって思ったから。だから、こっちから関係を絶ったの。そして私は彼からのアドバイスを勝手に改変した。そうやって、私は心を閉ざしたのよ。」
春香は浮かない顔をした。
「でもそれは解決策になっていないよ。」
「私からすれば、この上ない最高の解決策だと思った。心を閉ざし、余計なことを考えない。そうして日常の忙しさにかまけて、時が解決してくれるのを待てばいい。私は、それを実践したの。」
「その結果、感情のない千早ちゃんの出来上がりってわけね。」
「そうよ。」
春香はまたびっくりしたような顔をした。冗談のつもりで言ったのだろうが、私はあっけらかんとしていたからだろう。
「だから私は、別に望月先輩に恋をしていた訳じゃないの。彼に似た加藤君を思い出しただけ。」
「ふーん。」
私は逆に春香に問いかけてみることにした。
「春香は、望月先輩のことどう思っているの?好きだった記憶があるんでしょ。それは、今も好きってことなの?」
春香の目は少し泳いでいた。なんて答えればいいか惑っているような表情だ。
「気兼ねなく、正直に答えてくれていいのよ。」
私の言葉に、意を決したのか、春香は小声で答えた。
「正直・・・彼に会いたい・・・。」
「そう。うん、分かった。」
これで私の心は決まった。
「春香、私が春香のために死ぬことにするわ。」
春香は驚いた。
「ちょっ、ちょっとま・・・別に私はそんなつもりで・・・千早ちゃんだって、先輩のこと好きなんでしょ!?」
「フフフ。今も言ったでしょ。私は思い出の中の『加藤君』に恋をしていたの。別に望月先輩のことが好きだったわけじゃない。」
「だからってそんな・・・。」
「じゃあ、代わりに春香が死んでくれるの~?」
私は春香が困るように、少し冗談ぽっく聞いてみた。案の定、春香は無言だ。
「だったら、私が死ぬ意外に選択肢はないじゃない。」
私は少しおどけて、努めて明るくふるまおうとした。
「千早ちゃんだって、生きていたいでしょ!?」
なんて答えようか。死にたいなんて、見え見えの嘘だ。じゃあこう答えたらどうだろうか。
「私は・・・どっちでもいい。もちろん、自ら進んで死にたいとか、そういう意志はないよ。でもどちらにしろ、私と春香のどちらかが死ななくちゃいけない、そうしないと、関係ない人まで巻き込んでしまう、それだったら、私・・・死んでもいい。」
「そんな・・・。だったら、私だって・・・」
「言わなくていい。」
無理に春香にそんなこと言わせたくない。
「それに私、もうこれ以上春香を巻き込みたくないのよ。」
「巻き込みたくないって・・・私だって当事者なんだよ。」
私は笑って否定した。
「違うわ、春香。こんな悲惨なことに巻き込んでしまったのは私。もうそれははっきりしたでしょ。全ては私のお母さんが仕組んだこと。千尋とあの男を殺した私たちへの復讐が動機。全ては、私が巻き込んでしまったことじゃない。それにきっかけは、私が千尋を見殺しにしてしまったことなんだから。だから・・・、この事件けじめは私が付けるしかない。」
「でも・・・。」
春香震えているのが分かる。
「殺すのが怖いの?」
「・・・うん・・・。」
「そんなに時間はかからないわ。多分・・・最初は苦しいかもしれない。だけど、だんだん意識が途絶えて毛いけば・・・。」
「千早ちゃんは人を殺したことがないから、その苦しみが分からないんだよ!」
いきなりの怒鳴り声に驚いた。
「あの男の首を絞めたときのこと・・・思いだすだけで、寒気がするの。あの時は、あの男のことを鬼畜の様に憎んでいたから、殺した時は何とも思わなかった。ざまあみろくらいに思ってた。けれど・・・こうやって自分たちがとらえられて、どちらかが死ななくちゃいけない、そう思ったら、殺すのも、殺されるのも・・・両方怖い。」
「春香・・・。」
「私は、千早ちゃんが苦しんで絶命する様をこの目で見なくちゃいけないの!?大切な親友が息絶えようとする姿を・・・目に焼き付けなくちゃいけないの!?」
私はゆっくりと春香を抱きしめた。
「ごめん春香・・・全部私が悪い。私が千尋から目を離さなければ・・・私が春香に相談何て持ち掛けていなかったら、こんなことには・・・。」
「違うよ!そうじゃないの・・・。」
春香の声が震えている。その震えの中には、強い悔しさがにじんでいるように感じた。
「いい?春香。あの女の狙いは、私たちが憎しみ合って、殺し合いをすることなの。相手におびえて、寝首を掻かれる心配で一睡もできずに、、恐怖と猜疑心の中で殺し合いを演じる。その精神を崩壊させる。それが目的なのよ。私たちは幸いにも、あの女の目的に気付いている。だったら、それに乗る必要はない。これは私から始まった、いや・・・私から始めてしまった悲劇。だったら、この悲劇は私の死で終わらせる。それ以外に方法はない。」
「・・・ねえ、本当に千早ちゃんのお母さんが犯人なの・・・?」
「何・・・言っているの?」
「他の人が犯人だということは考えられないの?例えば。他に千早ちゃんを恨んでいた人間がいたとか。あるいは、私を恨んでいた人間がいたとか。」
「私たちは、高校時代までの記憶を取り戻したのよね。他に犯人として、考えられるとしたら・・・、例えば、あの3人組とか?春香をいじめてた。」
「うん・・・そうかもしれないよ。」
「確かに否定する根拠はない。だけど、こんなことをしでかすまでに私たちを恨むかしら。」
「分からないじゃない。人間・・・どんな些細なことだって、恨もうと思えば、恨むことはできる。それに・・・ねえ、千早ちゃん。」
「何、改まって。」
「千早ちゃんのお母さんってどんな人?」
「どんな人って、随分抽象的ね。」
「例えば、こんな大それた犯罪を一人でやっちゃう人?」
「さあ?でも、これだけ恨まれてたら、やっちゃうかもね。それくらい恐ろしい人だったとは思うわ。」
「そういう意味じゃなくて。千早ちゃんのお母さんってお金持ちだったの?」
「?・・・いや・・・違うけど。」
むしろ比較的貧しい方だったとは思う。中流以下だ。
「暴力団との関わりは?」
「・・・ないと思う。」
「じゃあさぁ・・・どうやってこれだけの人数を集められたの?それから、この場所。私たちを監視して、拘束しているのって、多分何かの組織なんだよね?千早ちゃんのお母さんに、こんな組織を動かすだけの力ってあるの?」
そういうことか。春香の言いたいことが分かった。
「・・・正直な所分からない。あの男が死んだ日以降、私とお母さんは会っていないような気がするの。私たちは、秋月先生の下で住み始めて、それから大学生になって、東京に出てしまってる。」
「この犯罪ってものすごく大掛かりだよね。一人だったら絶対に実現できない。」
「ええ。」
「もし千早ちゃんのお母さんに、これだけの組織を動かすだけの力がないんだとすれば、そもそもこの犯罪って引き起こせないんじゃない?」
確かに春香の言う通りだ。私たちはものすごく単純な事実を見落としていたのかもしれない。
「でも、それ以前に私たちへの強い憎しみという動機がないと、やっぱりこの事件は起きないと思う。」
「それを抱いたのは、あの3人組あるいはその内の誰かとか。確か、あの3人組ってお金持ちだったよね?」
「比較的裕福な方だったとは思う。」
「じゃあ、やっぱりその3人組の内誰かが起こしたんだよ!あるいは、まだ思いだせていない大学時代に登場した誰かとか。」
『誰か』。あり得るんだろうかそんなこと。
春香は私から離れた。そして目の前の私に相対して、述べるのだ。
「思い出そうよ。大学時代何があったのか。千早ちゃんだって、真実にたどり着かないまま死ぬなんて嫌なんでしょ。」
その通りだ。この卑劣な犯罪を誰が起こしたのか、できればそれを知りたい。
「うん。」
「まだ時間はある。だから、一緒に思いだそうよ。大学時代のこと。どちらが死ぬのかは、まだ決めなくたっていいじゃない。全部を思い出して、それからでも、いいと思うんだ。」
それには賛同しかねる。どっちにしろ、春香を不幸にしてしまったのは、私の責任じゃないか。
「はい、決まり。この話はなかったことになりました!」
私が何も言わないのをいいことに、勝手に今の話は反故にされてしまった。相変わらず春香は強引である。
「じゃあ、春香の言う通り、少し目をつぶって過去を思い出すことにしましょうか。」
「何か、出てきそうなの?」
「ええ。」
「そう?じゃあ、思い出したら声をかけてね。その間に、私も思いだすから。」
春香はそういうと、私の隣にやってきて、また壁を背にして、ゆっくりと目を閉じた。
私も同じように壁に背を向けて正面の扉を見据えながら、春香の手を握り、そして、ゆっくりと目を閉じた。