第3節 美希の観察
5月のある日のことだ。
「おい、俊、もう一回言ってみろよ。」
「だから言っているだろ、僕の方がゲームもテニスも上手いって。」
サークル室でゲームをしていた望月先輩と京極さんが口喧嘩をしていた。
「3か月前に試合をしたときは、僕が勝ったでしょ。」
「いんや、確かによ、ゲームの腕前はお前の方が一枚上手だし、テニスだって、この間は俺の負けだった。だけどよ、あれから俺もバイトで体力をアップさせたんだぜ。会社勤めのお前は体力が落ちてる。今度やったら、俺の勝ちよ。」
「じゃあ、試してみるか。」
望月先輩が挑発する。
「おう、やってやろうじゃないか。じゃあただ単に対戦するのも面白くないから、賭けようぜ。今日飲み会をやることにして、負けた方が、今日のサークル飲み会の費用を全部払うってことでどうだ?」
望月先輩もそれで応じるつもりだった。
「いいよ。そうしよう。じゃあ、準備してくる。」
そう言って彼は着替えを持つと、颯爽と更衣室へと向かった。京極さんも後れを取らんと、着替えを探し始めた。
「俊と克也のバトルだ。楽しみなの~。これはすぐに見に行かなくっちゃね。」
会話を聞いていた美希が楽しそうにはしゃいでいた。
「あの二人が戦うのか。久しぶりねー。」
デーブルの周りで座って漫画を読んでいた音無さんが懐かしそうにつぶやいた。
「よく試合してたんですか?あの二人は?」
春香から借りた推理小説を読んでいた私は、音無さんに尋ねた。
「昔はよく張り合ってたのよ。あの二人。特にテニスとゲームに関してはね。最近は、あまりテニスをしなくなっちゃって。ゲームばっかりで張り合ってたけど、今日久しぶりにやりあうのね。これは見ものだわ。」
そう言って、漫画にしおりを挟みこみ、漫画を閉じると、みんなに声をかけた。
「みんな!たまには、テニスコートに行って、二人の試合を観戦しましょう!」
みんなも賛成の様子だった。春香なんかは、先輩を応援するぞと息巻いていた。
やがて、二人の準備も完了し、私たちもコートの外に立って、応援する準備ができていた。
うちの大学にはテニスコートは5面あるのだが、そのうち私たち同好会に与えられているコートは1面だけだ。ほかのもう一面は、別の同好会(もともとあずささんたちが属していた同好会)が使い、残りの3面はプロを目指すようなガチの人たちが属する硬式庭球部が使うということになっていた。
だが、私たちはあまりテニスの練習をしないことから、私たちが使っていないときは硬式庭球部が練習に供してよいという協定になっていた。この日は、硬式庭球部の人たちにはどいてもらって、望月先輩と京極さんの試合をやるということになったのである。
音無さんが審判を務めることになり、ルールを確認するため、二人を呼び寄せた。
「じゃあ、ルールを確認するわね。試合は3セットマッチ、タイブレークセットで、先に2セット取った方が勝ちってことでいいわね。」
「ええ、良いですよ。」と望月さん。
「もちろん!」
「じゃあ、コイントスするわね。」
音無さんは、10円玉を財布から取り出すと、コイントスを行った。コイントスの結果、望月先輩に選択権が行ったようだ。望月先輩は、選択権を京極さんに譲った。
京極さんは、サービスを選択。望月先輩が最初にレシーブとなった。
最初は、私たち観覧側から見て、左側に京極さん、右側に望月先輩が立った。
京極さんが高々とボールを放り投げると、強烈なサーブを繰り出した。望月先輩も必死に食らいついて、相手にレシーブする。それをさらに強力なレシーブでがら空きのデュースサイドに叩き込む。15―0。
再び京極さんが、強力なサーブを叩き込んだ。しかしそれはネットにはじかれてフォールト。サービスエースをねらっているのか、かなり際どいところに叩き込んでいる印象だった。
セカンドサービスなので妥協したのか、望月先輩のど真ん中にサービスを打ち込んだ。それを強力なフォアハンドストロークでたたき返した・・・。
私は望月先輩の動きの方に釘付けだった。望月先輩は、かなり華奢な方で、俊敏に動いて京極さんの強力なレシーブに食らいついている。そして巧みに左右に振り分けている。
あれはきっと望月先輩の作戦だ。京極さんが力いっぱいボールをコートに叩き込むのに対して、望月先輩は左右にボールを振ることで、京極さんの体力を奪い、後半で優位を得ようとしているみたいだった。
「きゃーっ!望月先輩最高っ!」
黄色い声援も先輩に集中している。きっと望月先輩にとってこれほど心地いいことはないだろう。
「おいおい・・俺にも声援をくれよ。」
京極さんが悲しそうに、観客席に声を掛けるが、誰も相手にしていない。これはある種精神的にグッとくるな・・・。
試合については、途中まで京極さんがリードしていたが、ばてて来た京極さんが、次第に劣勢となり、最終的にはセットカウント2―0で、望月先輩の勝ちとなった。案の定、望月先輩の作戦勝ちである。
二人が観覧側に寄って来る。すかさず、春香が買ってきたらしいポカリスエットとタオルを持って、先輩に近づいていく。ちゃんと、ボトルに詰め替えているあたり、気が利いている。でも、京極さんの分がないんじゃない?
「あー、俺の負けだ。お前全然衰えてないじゃん。普段ゲームばっかりやってるくせに。」と京極さんは悔しがる。
「それはお互いさまでしょ。あそこまで粘ってくるとは思ってなかったよ。」
やっぱり望月先輩はクールだ。
「先輩、すごくよかったですよ!はい、どうぞ!」
そう言って、春香はポカリスエットとタオルを差し出した。
「ありがとう。」
ボトルを開けて、ごくごくと飲んでいる。
「あれ、俺の分は?」
春香がしまったという顔をした。やっぱり、忘れていたようだ。
「負けた克也は、水でも飲んでればいいと思うの。」
美希が敗者への痛烈な洗礼を浴びせた。
「それひどくない、俺も結構頑張ってたぞ。ていうか、なんだテメエら、俊の応援ばっかりしやがって!俺がポイントとっても全然歓声上がってなかったじゃないか。」
なんだかみんなとぼけている。まあ、実際京極さんがかませ犬だったことは否めない。
「仕方ないでしょ。あんたと望月じゃ、格が違いすぎるんだから。まあ、でも、あんたなりに頑張ったと思うわ。もう少し体力付けて勝負すれば、もしかしたら勝てたかもしれないわね。」
沈鬱した空気を破ったのは、水瀬さんだった。
「おおー、さすが伊織!見る目あるなー!」
京極さんも単純だが、空気を一変させる力があるところも、さすが財閥の娘といったところだ。
「ところで、あんた約束忘れてないでしょうね、にひひっ。」
約束、そうだ。負けた方が今日の飲み会を全額払うことになっていたのだった。
「おお・・・忘れてはいないぜ・・・。」
京極さんは私たちを見まわした。今集まっているのは、8人だから京極さんと望月先輩を入れて10人。3000円飲み放題コースだったとしても、3万円が吹き飛ぶ計算だ。
京極さんの顔色が一気に悪くなった。
「克也、じゃあ今回の罰ゲームはなしにして、普通に飲みに行こうか。」
「ちょっと待て。それじゃあ、俺の立つ瀬がないじゃないか。」
「どっち道、立つ瀬なんてなかったでしょ。お金ないのに無理しちゃって。」
伊織がそう挑発してきた。
「なんだとー。この高飛車女め!」
「なによ!私のどこが高飛車だって言うのよ!」
それだよそれ。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。まあ、みんなも期待しちゃってるし、わざわざ応援にも来てくれたんだから、2人で半分ずつ出し合うことにしないか。」
「さすが、望月先輩。太っ腹ですね!」
春香がすかさずよいしょした。
「みんなもそれでいいでしょ。」
特に異論は出なかった。
「よし、じゃあせっかくコートまで来たんだから、みんなでテニスしていきましょうか。やりたい人は中に入ってきて。」
音無さんがそう号令をかけた。すると真や我那覇さん、四条さんらが前へと向かった。私はどうしようかな。せっかくコートまで来たけど、テニスウェアじゃないし、観覧席の方に上って、みんながプレイしているのを覗くことにしようか。
「あっ、千早さん」
星井美希が私に話しかけてきた。
「何、美希?」
「せっかくだから、みんなの遊んでる姿あそこで見ない?」
そう言って、私が向かおうとしている観覧席の方を差した。
「ええ、良いわよ。ちょうど私もそこで休もうかとも思っていたところだし。」
私たちは、5面あるテニスコートの後ろ側にある観覧席に上った。ここから、望月先輩達が遊んでいる様子が見える。
「ふあ~、眠い。こういうの『春眠暁を覚えず』って言うんだよね?」
美希があくびをしながら、話しかけてきた。
「そうね、確かに今日は心地よい天気ね。最高気温も22度って言ってたし。お昼寝するにはちょうどいいんじゃないかしら。」
「でも、運動するとちょっと汗ばんじゃうの。」
「まあ確かにね、今はスポーツウエアじゃないから、動く気はしないんだけど。」
「美希も。今はそういう気分じゃないかな。」
遠くを見やると、春香が望月先輩に付きっ切りでバックハンドの仕方を教えてもらっているみたいだ。我那覇さんと真が軽くラリーで打ち合っている。四条さんと小鳥さんは談笑しているみたいだ。京極さんは、伊織に絡んでいる。
「なんで、あんなに人気なんだろうね。」
美希が不意に口を開いた。
「何のこと?」
「俊のこと。」
「ああ。望月先輩ね。」
ふう、と美希はため息をついた。
「ミキ、分かんないんだよなー。何であんなに彼が人気あるのか。春香なんて、彼の気を惹こうとして、ずっと付きっ切りじゃない。あれじゃ、いつかうざがられるんじゃないかな。」
美希の言うことももっともだった。
「だけど、あの子、それを半分計算、半分天然でやっちゃうのよね。そこが少し心配なの。」
こんな事、美希に相談するべきことじゃないかもしれないけど、私は春香が心配だったのだ。あの子、一度決めたことはどこまでも突っ走っちゃうところがあるから。
「でも、俊もまんざらじゃ無い感じだよね。春香を嫌っているわけじゃなさそうなの。」
そうか、第三者から見てそう見えるなら、とりあえず安心だ。
「千早さんは好き?彼のこと。」
ふとそう尋ねられた。なんて答えようか。好きじゃないといえばうそになる。だけど、好きという感情とも違う、何か、とにかく説明しづらいもやもやした感情だ。
「嫌いではない。ただ、好きというのとのも少し違うかな。」
「ふーん。」
美希はどう思っているんだろう。どうして彼がそんなにモテるのか疑問に思っている時点で、なんとなく結果は読めそうなんだけど。
「美希はどうなの?好きなの彼のこと。」
「別に。好きでも嫌いでもない、フツー。ただ・・・」
「ただ?何かしら。」
「あの人・・・何か怖い。」
怖い?
「どういうこと?」
「デコちゃんもそうだし、雪村さんもそうなんだけど、なんかああいう人たちって、私たちがよくわからないところにいるような気がするの。それで、何か私たちの想像もできないようなことをしていて。気づいたら、いなくなっているような気がする。」
何だか引っかかるような言い方だ。ちなみに、デコちゃんとは伊織のことだ。美希だけがそう呼んでいるのだ。
「どういうことかしら?お金持ちは何しているか分からないから怖いってこと?」
「うん・・・。なんか・・・ずっと本音を隠している感じ。しかも、言いたくても言えないことを抱えていて、押し隠している感じがするの。だから、ミキ分からないの。どうして、そんなに隠し事をしている人を好きになれるんだろうって。」
先輩が隠し事をしている・・・?確かに、財閥の跡取り息子だし、言えなくて隠していることはたくさんあるかもしれない。そもそも、彼は我々庶民とは違うし、やがてはグループ50万人のトップに立つのだから、普通の人とは違って当たり前だ。でも、美希の言い方は、それとは違う“何か”を見ているかのようだった。
「先輩は私たちに何か隠し事をしているの?」
「多分、そうなんだと思う。別に俊だけじゃないけど。」
「何を隠しているかはわかる?」
「・・・さすがにそこまでは分からないの。別に隠している中身に興味があるわけじゃないし。ミキが気になっているのは、どうしてそこまでして彼のことを手に入れたいって思うのかなって話。」
私は改めて、頭を働かせてみた。彼を手に入れたいと思うのは、ある種当然といえば当然だ。彼はかっこいいし、やさしいし、お金持ちだ。手に入れたいと考えるのがふつう。でも、美希はそれ以外の「何か」を見て、彼のことを「怖い」と思っている。
「分からない。でも、かっこよくて、やさしくて、お金持ちの人がいたら、普通みんなその人を射止めようとするんじゃないかしら。」
私は月並みな返事しかできなかった。
「ふーん、まあいいか。ミキには関係ないことだし。ふあ~。やっぱり眠い。部室帰ってお昼寝しよう。千早さん、じゃあね。」
美希は立ち上がると、すたすたと部室方面に向かって歩き始めてしまった。