第4節 ノブレス・オブリージュ
一人でじっとしているのも寂しい。私も部室帰って勉強しようかな。どうせ、中には美希が一人寝ているだけなんだろうから。
私が部室の部屋を開けると、意外な人物がそこにはいた。
「あら、おかえりなさ~い」
なんとあずささんが一人で、望月先輩が持ち込んだマリオカートを遊んでいたのだ。どうも運転は下手なようで、びりっけつで走っているようだが。
「あずささん、いたんですか。」
「撮影が終わって、部室に寄ってみたら、誰もいなんですもの~。」
そうか。みんな望月先輩と京極さんの試合を見に行っちゃってたからね。だから、一人でゲームをやっていたというわけですか。
「みんなだったら、テニスコートの方にいますよ。」
「あら~、そうなの~?」
「今からでも行ってくればいいんじゃないですか。」
「う~ん、でも今レースが良いところだし~。」
言っておくが、あずささんはレースで大負け中である。一方、部屋の隅では、美希がすやすやと寝息を立てていた。
いいチャンスだと思った。あずささんに、彼について普段どう思っているのか、聞く好機だ。
せっかくだから、私もゲームに参戦することにした。画面酔いはするけど、プレイできないというわけではない。
「あら?あなたも参加するの?珍しいわね~。」
「たまには、こういうのもありかと思いまして。」
「じゃあ、最初からレースをやりなおしましょうか。さっきからずっと負けっぱなしだったし。」
やっぱり、いいところではなかったのね。
私とあずささんはキャラクターを選び、簡単なコースを選択する。1VS1のレーシング勝負だ。スタートの号令が鳴り、一斉に車体を走らせた。やっぱり、あずさささんはレースゲームが上手くないようだ。レースは終始私がリードする展開となった。せっかく、星とか雷とか手に入れているのに、あまり差を縮められていなかった。
結局、最初のコースは何のハプニングもなく、私の勝利に終わった。
「あら~。負けちゃったわね。じゃあ、次のコースを選びましょうか~。」
あずささんは、今度は砂漠みたいなステージを選んだ。難しそうだが、大丈夫なんだろうか。
レースが始まると、案の定、あずささんのカートは何度も流砂に飲み込まれていた。これじゃ、勝負にならない。2コース目も私の勝利だった。
「さて、次はどのコースにしましょうかね~。」
「あずささん。」
いつまで経っても、このままでは話を起こせない。春香の為だ。今聞けることは、全部聞いてしまおう。
「何かしら~。」
「あずささんは、望月先輩のこと好きなんですか?」
何だか意外なことを聞かれたという感じだった。しばらく無言が続いたうえで、彼女は「好きよ。」と答えた。
「じゃあ・・・」と言いかけたところで、あずささんは口を挟んだ。
「だからって、雪村さんを出し抜いて付き合おうとは思っていないわ。」
彼女はそう答えた。
「どうしてなんですか・・・?あずささんは、彼の事狙っているんですよね?狙っているから、こうやって毎日のように足繁く通っているんですよね?」
うーん、と彼女は考え込んでしまった。そして、しばらくしてあずささんから放たれた言葉はこんなものだった。
「別に私、望月君だけが目当てでこのサークルに顔を出しているわけじゃないのよ~。確かに、望月君は良い子だし、もしかしたら運命の人なのかもしれないけど、本気で狙いに行っていたわけではないの~。それに彼だって言っているでしょ、楓ちゃんと結婚するって~、だから本気で狙うとか、そんなことはありえないのよ~。」
「そうなんですか?」
「だとしたら、私モデルのお仕事なんてしてないですもの~。私がモデルのお仕事をするのは、自分にとっての運命の人を探すため。もしもう見つけていたなら、そもそも就職してないわ~。」
確かに、言われてみればそうだ。私もあずささんがどうしてモデルの仕事をするのかという理由を知っていた。でも、春香の話によれば「先輩もその『運命の人』の一人にしている」って話だった。
「そうなんですか・・・。どうして狙いに行かないんですか?あずささんほどの美貌とおしとやかさがあれば、彼を射止めることだってできるはずなのに。」
「あら、千早ちゃん、私の事応援して下さるの?そんなことしたら、彼女に怒られちゃうんじゃないかな?」
まあ、確かに。でも「春香にあずささんの先輩への好意の真相を伝えるため」何て言えるわけがない。
「まあ、いいわ。教えましょうかね~。私、確かに望月君のことは好きなのよ。だけど、彼には『許嫁』がいるでしょう~。だから、仕方ないって諦めているんです~。」
「でも、みんな『許嫁』なんて関係ないって思ってる。先輩が雪村さんのことを好きじゃないことなんて、このサークルにいればみんな知っていることですよ。だから・・・みんな、もしかしたらってことがあるかもって思っている・・・」
「千早ちゃん。それは私たちには関係ないことじゃないかしら。」
関係ない?どういうことだ。
「望月君が楓ちゃんと結婚しなかったら、望月君は会社を継げないのよね~。でも、それって単に望月君個人の問題なのかしら~。」
私は黙ってあずささんの見解に耳を傾けることにした。
「グループ50万人企業のトップに関わる話。それに、企業と企業の約束に関する話よね~。だとしたら、もし望月君が楓ちゃんと結婚しなかったら、絶対困ってしまう人がたくさん出てきてしまうと思うの。」
「確かに・・・そうかもしれないですけど、だけど、自分の幸せを得るってことを考えれば、そんなこと気にしていられないんじゃないですか。先輩だって、自分の一生を好きでも何でもない人と過ごしたくはないでしょうし。」
「あら~、そう考えちゃう?私は逆だと思うな~。ちょっと難しいけれど、『ノブレス・オブリージュ』って言葉聞いたことない?」
聞いたことはある。確か、「高貴な人間は、高貴であるがゆえに、そうでない人に対して配慮しなければならない」という意味だ。
「聞いたことあります。確か意味は『高貴な人間は、そうでない人に配慮しなければならない』という意味だったような。」
あずささんは頷いた。
「その通り。大体意味はあっていると思うわ~。社会的に地位の高い人は、率先して、社会の規範になるようなことをしなくちゃいけないって意味よ~。だけど、私はそれだけじゃないって思うのよ~。彼は50万人企業のトップに立ちうる存在。別の言い方をすれば、50万人の人たち、そしてその家族の生活も握ってしまっているというわけ。もしも、彼が間違ったことをすれば、望月グループの人たちは失業してしまうかもしれない。だったら、『ノブレス・オブリージュ』、持てる立場にある望月君は、こうした人たちの生活を守る義務があるんじゃないかしら~。」
「つまり、望月グループの人々の生活を守るために、自己犠牲をしろと。」
「まあ~、身もふたもないことをすればそうなるわね~。これって、裏を返せば、私たちは彼をとっちゃいけないってことになるんじゃないかしら~。」
「だから、望月先輩を諦めたって訳なんですね。」
「ええ。」
「望月先輩が許嫁との結婚を蹴ったとしても、彼の兄が許嫁と結婚して、グループを引き継げば、何の問題もないとしてもですか。」
あずささんは首を横に振った。
「何の影響がないって、どうしてあなたに分かるのかしら~?お父様は、お兄様がいる状況の中で、あえて望月君を後継者に選んだんですよ。お父様は、望月君に次世代の望月グループを託した。経営トップが誰になるかで、その企業は大きく変わってしまうはずではないかしら~。」
確かに・・・あずささんの言う通りだ。何も言い返す言葉がない。
「彼と許嫁の縁談を破断に追い込んでしまったら、もしかしたら、望月グループそのものを崩壊させてしまうかもしれない。そう考えたら、事の大きさがわかってくるんじゃないかしら~。」
「・・・・・」
「私がこんな話を千早ちゃんにしたのは、春香ちゃんを止めてほしいからなのよ~。あの子は、多分ことの重大さが分かっていないの~。たった今のあなたと同じようにね。」
耳が痛い。私は気を紛らわすため、ずっとコース選択画面になりっぱなしのテレビを見つめていた。
「私には・・・春香を止める資格がないんです。」
「どうしてかしら~」
「私は・・・詳しくは言えないんですけど・・・私のせいで春香は、不幸になってしまったからなんです。」
春香は、私をあの家から逃がそうとして、重い重い罪に手を染めた。そんな春香の幸せを奪うなんて、私にはできない。
「あの子を・・・不幸にしてしまった。だから、あの子が求める幸せを邪魔したくない・・・。その気持ちは、私もわかるの。でも・・・もしあなたがブレーキになってあげなければ、もっと多くの人を不幸にしてしまって・・・彼女をもっと苦しめてしまうんじゃないかしら。」
私には何も言えない。
「そういえば、聞いていなかったことがあったわ~。」
「なんでしょうか。」
「あなた自身はどうなのかしら~。好きなの、望月君のこと。」
「さっき・・・、美希にも聞かれたんです。」
「そのときには、なんて答えたの?」
頭の中で反芻した。
「『嫌いではない。ただ、好きというのとのも少し違うかな。』って答えました。実は・・・彼、私の小学校時代の初恋の人に似ているんです。」
「へえ~そうなんだ~。もう少し聞かせてくれる?」
「小学校5~6年生の時、『加藤君』っていう同級生の男の子を好きになったんです。彼は、サッカー少年で、小学校のサッカークラブのエースでした。優しくて、かっこよくて、顔も・・・先輩によく似ているんです。」
「なるほどなるほど。」
「お弁当とかも作って持って行ったりしてたんですけど、彼、彼女がいたみたいで。それで、諦めたんです・・・。」
「状況は、今と似ているわね~。」
「正直、私先輩の事気にしています。だけど、それは多分、単に先輩が小学校時代の初恋の人に似ているから。だから、今の気持ちは『嫌いではないけど、好きというのとは違う』」
「なるほどね~。」
あずささんは、目を閉じて何かを考え始めた。私は、そんなあずささんを邪魔しないため、テレビの電源をオフにした。しばらくして、あずささんが再び口を開いた。
「ねえ、千早ちゃん。その『加藤君』は、テニスが得意だった?」
少し加藤君について思い出してみたが、そんな話は聞いたことがない。
「いいえ。そういうわけじゃないと思います。」
「加藤君はお金持ちだった?」
私は首を横に振った。
「そうよね・・・。だって、『望月君』は『加藤君』じゃないんだもの。」
「そう・・・それはわかっているんです。出身も違うし、年齢も違う。家庭状況もまるで違う。明らかに別人。」
「だから、あなたが好きなのは、『望月君』じゃなくて、思い出の中の『加藤君』なの。『望月君』ではない。思い出の中の『加藤君』を辿ろうとして、『望月君』を求めるのは間違っているの。彼は『加藤君』にはなりえないんだから。」
それはわかっている。分かっているけど・・・もやもやが収まらない。たとえ別人であったにせよ、私は思い出の中の『加藤君』を求めている。
「ねえ、もう一つ教えて。あなたはどうして、『加藤君』のことを好きになったの?」
「私は彼と一緒の委員会活動をしていたんです。それで自然と彼のことを好きになって・・・。」
「あるある~。小学生の頃の初恋なんて、そういうものよ~。」
「あずささんもわかるんですか?」
「わかるわ~。私の初恋もそんな感じだったから~。」
あずささんはそう言って笑ってくれた。
「確かに、望月君は優しい。あなたが彼を好きになっても不思議じゃない。私だって、そんな彼の事は今も好き。だけど、やっぱり手の届かない恋って、残念ながらあるのよね~。」
身分違いの恋、それだからあずささんは諦めるのだという。あずささんの感覚は、真っ当だと思う。でも、それは彼に許嫁がいて、その子と結婚しないと、望月グループ全体の問題になってしまうから。
もし彼にそんな許嫁なんて最初からおらず、ただ単に付き合っている女の子がいるとしたらどうなのだろうか。
「あずささん、もし望月先輩に許嫁ではなくて、ただの彼女がいるだけだったらどうしますか?狙いに行きますか?」
あずささんは苦笑した表情を浮かべた。
「それは・・・分からないわ。だって、自分の気持ちに収まりをつけるために、彼には許嫁がいて、楓ちゃんと結婚しないと大変なことになっちゃうから、って自分の心に言い聞かせてきたばかりなんですもの。」
「そう・・ですよね。」
私はそんな乾いた生返事しかできなかった。
あずささんは、おもむろにテレビの電源を付けた。
「さ、恋愛相談に付き合わされたんだから、レースの方にも付き合ってもらうわよ。」
どうやら、あずささんはハンドルを放すつもりはないらしい。
「もう・・・あと3レースだけですよ。」
私とあずささんは、この後めちゃくちゃレースした。