第5節 優しい千尋
私が小学6年生のある夏の夜のことだった。
私たちは、母が作ってくれた肉じゃがをほおばりながら、家族の団欒に興じていた。千尋が生まれると、家族の中での座席の位置が変わっていた。父と母が対面に座り、お誕生日席のような形で妹の千尋、そして私は母の隣だった。
「なあ、千種、今度家族でピクニックに行かないか?」
「ピクニック?またどういう向きかしら?」
理由はすぐに明らかになった。
「ピクニック?やったー、パパ連れて行ってくれるの?」
千尋が嬉しそうな声をあげた。父も嬉しそうに千尋に語り掛けた。
「もちろんだ。パパがどこへでも連れて行ってやる。」
母もそれを承諾した。
「いいわね。ピクニック。今度みんなで行きましょうよ。」
私もそれには賛成した。
「うん。私も行きたい。」
しかしそれを聞いて、父が露骨に嫌な顔を向けた。
「千早も行くのか?」
「え・・・ええ。行きたいけど。」
「・・・・・。」
苦虫をつぶしたような表情を向けた。空気を読んだのか、母がこんなことを言い出した。
「あなた夏休みの宿題、まだ残っていたでしょ。それをやったら?普段は、千尋と遊んでいて、なかなか手がついていないみたいだし。」
確かに、まだ宿題はある。だけど、何も家族でピクニックに行くときにやらなくていいじゃないか。私は反論した。
「別に平日にやれば、大丈夫だから。」
でも、父が母の言葉に賛同する。
「そもそも、千早はちゃんと勉強をしているのか。遊んでばかりで、こんなことでは先が思いやられるじゃないか。お母さんの言うことを聞かないと。ね。」
その圧力に抗しきれず、私は「はい」と頷くしかなかった。
「おねえちゃん、一緒に行けないの?」
千尋が寂しい表情を私に向けた。まだ何も知らないうぶな千尋の純粋な目に、私の心は揺さぶられていた。
父が場をとりなそうとする。
「千早は学校の勉強で忙しいんだ。日曜日は、パパと一緒に遊べばいいよ。そうすれば全然寂しくなんてないんだから。」
父は普段私には見せない笑顔を千尋に向けた。
「うん!分かった。お姉ちゃん、勉強頑張ってね。」
千尋は屈託のない笑顔を私に向ける。千尋の純粋な眼が、心をえぐった。
「うん・・・ありがとう。」
その後、3人でピクニックで何をするかを楽しそうに話していた。私は、母の隣にいながら、食卓を囲む3人と、とても遠い距離を感じていた。
私は居心地が悪くなって、さっさと食べ終わると、食器を片付けて自分の部屋にこもってしまった。そして、さっさと布団を敷いて、3人に聞かれないように布団をかぶりながら、声を殺して涙するのである。
悲しかった。父に好かれないのは仕方がないとして、今まで私のことを愛してくれていた母が、私を捨てたのだ。その事実が、多感なあの頃の私には耐えられなかった。
しばらくして、食事を終えた千尋が部屋に入ってきた。私たち姉妹は、一緒の寝室で寝起きしている。部屋のスペースの関係もあったのだが、幸いにして、寝床だけは千尋と一緒にすることができた。
「お姉ちゃん?寒いの?」
私が布団をかぶっているものだから、てっきり寒いのかと勘違いしたみたいだ。
「そうじゃないよ。」
声が震えていたのが分かったらしい。
「お姉ちゃん?泣いてるの?」
「ううん、泣いてないよ。」
我ながら嘘が下手だ。声が震えているのでは、ばればれではないか。
千尋が布団の中に入ってきた。
「べー」
千尋が変な顔芸をした。
「ぷっふふふふ」
私はその顔が面白くて思わず笑ってしまった。
「お姉ちゃん、元気になった!」
千尋は優しい子だ。私はそんな千尋のことが大好きだった。
「じゃあ、こんな顔はどうかしら。にょーん」
私も変顔で妹に対抗する。
「わははははは!お姉ちゃん、おもしろーい!」
私の変顔で妹は一発だった。
「負けないぞー!べろーん!!」
また妹も変顔をした。
「ぐっ・・・。」
今度は笑うまいと必死で抑えていた。すると千尋は「こちょこちょこちょこちょ」と脇腹をくすぐり始めたのだ。
「わっつははははは、ずるいよ千尋。」
「お姉ちゃんのまけー。」
「やったなー、お返しだ。」
と、こちらもこちょこちょし返す。
「わははははは!お姉ちゃん、降参降参。」
「お姉ちゃんのほうが強いんだぞ。」
「千早お姉ちゃんつよーい。」
私はかぶっていた布団を剥いだ。
「やっぱり暑かったんだね。」
「うん。ちょっとしたガマンをしていたの。」
「そうなんだー。」
「さ、こっち来てあそぼ。」
私は、千尋のおもちゃ箱の中から積み木を取り出した。
「お姉ちゃん、今日は何を作る?」
私は少しだけ悩んで、こう答えた。
「お城なんてどうかしら?」
「お城!?いいねいいね、すっごく大きいの作ろうよ!」
「うん。頑張って作ろうね。」
それから私たちは大きなお城を作るために奮闘していた。
しばらく経ってからのことだ。
「ねえ、お姉ちゃん、本当にピクニック行かないの?」
「えっ・・・。」
「お姉ちゃん、そんなに勉強が忙しいの?」
千尋が真っすぐな目で私のことを見据えている。私はそんな彼女の眼に耐えきれず、思わず目をそらしていた。
「うん。結構宿題があるんだ。だから、その日にやろうかなって思って。」
「じゃあ、今のうちにやっちゃえばいいんじゃない?」
「・・・・・。」
なんて答えていいのか分からない。親が一緒に行きたくないから、私が千尋と仲良くしているのを見たくないから、その真実を・・・包み隠して・・・どうやって説明すればいいというんだろうか。
頭の中がぐるぐるする。どうして私がそんなことを説明しなければならないのか。考えれば考えるだけ、胸がえぐられる。悲しくて涙が出そうになる。だけど、そんな姿を千尋に見せるわけにはいかない。
「お姉ちゃんね・・・日曜日にしかできない宿題があるの。」
「それって何?」
「・・・自由研究。日曜日にやることにしているから。」
「ふーん。」
「うん。」
「何をやるの?」
「・・・できてからのお楽しみ。」
「ふーん。」
別にそんなわけではない。自由研究なんていつやったって同じ。正直題材すら決まっていないのだ。
気づけば、なんだか空気が重くなってしまった。私があからさまに元気を失ってしまったのが、千尋にもわかったようだった。
千尋が話しかけてきた。
「お姉ちゃん、今度二人で公園に遊びに行こうよ。」
「えっ・・・。」
「夏休みは長いんでしょ。だから、日曜日に行けない分2人で行こうよ。」
「千尋・・・。」
うれしい。なんて優しいんだろう、千尋は。うれしさのあまり、涙が出そうになった。
「あれ?お姉ちゃん泣いてる?悲しいの?」
私は首を横に振った。
「違うの・・・うれしいの。ありがとう。」
私は鼻をすすった。
「うれしいと涙が出るの?」
「・・・そうよ。千尋もいつか分かるよ。すごーーくうれしいときって、涙が出ちゃうんだよ。」
「じゃあ、お姉ちゃん、今すごーーくうれしいんだ!」
「ええ。うれしいわ。千尋がすごーーーく優しいから。」
「私、優しい?」
涙がほほを伝っていくのが分かった。
「ええ。ものすごーーーーくね。」
私は千尋のことを抱きしめていた。
「お姉ちゃん、苦しいって。」
「ありがとう、千尋・・・。大好き。」
「私もお姉ちゃんのことだーいすき!」
私はそのままずっと千尋のことを抱きしめていた。
翌日のことだ。千尋はさっそく私との約束を守り、公園に行こうと誘ってきた。もちろん私はそれをOKしてきたのだ。
本当は遠くの公園まで行きたかったのだが、まだ3歳になっていない千尋に長距離を歩かせるわけにはいかないから、近くの公園で用を済ませていた。一応遊具もあるし、千尋を満足させるには十分だった。
「お姉ちゃん、これ乗ろう乗ろう!」
そういって千尋はブランコを指さした。
「いいわよ。一緒に乗ろう。」
千尋が駆け出した。
「気を付けてね。」
「うん、大丈夫!」
千尋がブランコにたどり着いて腰を据える。ただ。ブランコに乗るのが初めてだったのか、いまいち乗り方が分かっていない様子だった。
見かねた私が千尋に乗り方を教えることにした。
「こうするんだよ。」
私がブランコに座ると、足をついて後ろに下がり、勢いよくブランコを漕ぎだした。幼い千尋が真似したら危ないから、あくまで普通の乗り方を見せた。特に大きく振りかぶったりはせず、ただ普通に乗るだけだった。
すると千尋も見様見真似でやってみる。
「おおーすごいすごい!」
決して振れ幅は大きくないのだが、見事にブランコが揺れている。ブランコに揺られるときの感覚も初めてなのだろう。風を切って、体にかかる圧力に、千尋は大層驚いているようだった。
「上手よ、千尋。」
私も千尋と同じようにブランコを漕ぎ続ける。
夏の日差しは厳しいが、少し風がある。ブランコに揺られていると、その風も増幅されるし、こいでいるだけで風が起こるから、存外それほど暑くない。
気持ちよくなった私は、もっと強く足で勢いをつけて、高くこいでいた。その様子を見ていた千尋が称賛する。
「お姉ちゃん、すごーい。」
「結構気持ちいいわ。」
「お姉ちゃん、私もやりたい。」
「えっ、でも危ないよ。千尋にはまだ早いわよ。」
「やりたいーやりたいー。」
千尋が駄々をこねてしまった。
「しょうがないなー。」
私は徐々に減速してブランコを止めると、ブランコから立ち上がった。
「じゃあ、後ろから押してあげるね。そうしたら、もうちょっと高くできるから。」
「わーいわーい。」
私は千尋の後ろに立った。
「よーしいくよー。」
私は千尋のブランコを掴み、少し高く上げる。
「それー」
合図とともに私は千尋を送り出す。そしてそれが帰ってくると、背中を抑えもう一度送り出すのだ。
「わー、すごいすごい!さっきよりたかーい!」
「どう?気持ちいい?」
「うん!すごくいいよ!」
千尋も満足そうだ。
「もっとやってやって!」
「いいわよ!それー」
「わーいわーい!」
千尋はとても楽しそうだ。私はそんな千尋の声を聴くのがなにより幸せだった。
それも10分くらいやって、ブランコをやめると、今度は滑り台をして遊ぶことにした。
「千尋、滑り台も初めて?」
「うん!だからドキドキ。」
「じゃあ、お姉ちゃんが使い方を教えてあげるね。」
公園にある滑り台は、少し大きめに作ってある。だから、小6の私が滑っても比較的幅には余裕があった。階段を一歩一歩手すりにつかまりながら登っていく。
「おーお姉ちゃん、たかいたかい!」
「見晴らしは最高よ!」
私は手を横にしておでこにあて、遠くを見るようなポーズをした。
「わー楽しそう!」
「もっと楽しいのはここからよ。じゃあいくよー。」
私は滑り台の起点で座って、滑り台のところに足を延ばした。そして起点のところにある手すりを離し、するーっと滑ったのだ。
「すごいすごい!私もやる!」
千尋が小走りで滑り台に向かうと、階段を勢いよく上り始めた。
「上がるときはゆっくりね!」
私は千尋が転ばないか心配で急いで、階段のところに向かう。
「うん!大丈夫!」
幸いにも何事もなく千尋は滑り台のてっぺんまで登り切った。
「おおー!すごくいい眺め!」
千尋も滑り台の頂上から見える眺めに大喜びだった。
「じゃあ滑ってみようか。」
「うん!」
千尋はゆっくりと滑り台の起点の方に近づいた。しかし、千尋の様子が少し変だ。おずおずして動こうとしない。
「どうしたの?」
「お姉ちゃん・・・怖い。」
銀色に光り輝く滑り台は、子供の眼から見るとかなり高いところから滑るように感じるらしい。そういえば、私が最初に滑り台を滑った時も怖くて母と一緒にゆっくり降りたのを思い出した。
「じゃあ、一緒に降りようか。私も行くから待ってて。」
私はもう一度滑り台の階段からてっぺんに上がり、千尋の後ろにしりもちをつき、私は千尋の体をがっしりと抑えた。
「ゆっくりね、ゆっくり。」
千尋が少しおびえた声で私に呼びかける。
「大丈夫。ゆっくり、ゆーっくり降りるから。」
私は足で滑り台の両端を抑え、ブレーキを掛けながら、ゆっくりと降りた。するするするーと、滑り台をすべりおりる。
「どう?怖くなかったでしょ。」
「うん!なんか楽しい!」
「もう一人で降りられる?」
「うん!大丈夫!」
そういうと千尋は私から離れて、急いでまた滑り台を駆け上がった。
「大丈夫?」
「うん!ちょっと怖いけど、さっきみたいにゆっくり降りれば大丈夫だと思う。」
千尋は滑り台の起点にしりもちをついて、両手で滑り台の端を抑えた。千尋が両腕を延ばしてちょうどいいくらいの幅だ。
私は少し不安になって、滑り台の終点付近で立っていることにした。
「じゃあ行くよー!」
千尋がゆっくりと下り始めた。最初はおっかなびっくり、両手で抑えながら降りていたのだが、大丈夫だと思ったのか両手を離したのだ。するするするーと駆け下る。
あまりに勢いがついていたので、大丈夫かと不安に思ったが、意外に大丈夫だったらしい。
「これ楽しい!」
千尋は大満足の様子だった。私はにっこりと笑いかけた。また千尋は階段の方に上っていった。
もう大丈夫だろう。私は滑り台の終点の方から滑り台の真横に立って、千尋が滑り降りるのを眺めていることにした。
「うおーたのしいー」
千尋が雄たけびを上げる。本当にほほえましい。私も最初に公園に来たときのことを思い出していた。子供にとって、最初に公園の遊具に出会ったときって、結構衝撃的だったりするものだ。
そんなこんなで時間が過ぎて、お弁当を食べることにした。この時のために、私はお弁当を作ってきていたのだ。簡単ですぐできるサンドイッチだ。
「ちゃんと、手を洗いなさいよ。ばい菌がついた手で食べたら、お腹痛くなっちゃうんですからね。」
「はーい」
「ちゃんと、石鹸もつけるのよ。」
「わかってるって。」
千尋は公園のトイレのところにある水道で手を洗い始めた。
私は公園のベンチに座って、保冷材に入れていたお弁当を広げ始めた。やがて、千尋がびしゃびしゃの手で戻ってきた。私はタオルを取り出した。
「はい、ちゃんと拭いてね。」
「はーい。」
千尋がタオルで丁寧に手を拭いていた。やがて、ベンチには豪華なサンドイッチが広がっていた。張り切りすぎて、ちょっと作りすぎてしまったかもしれない。多すぎた分は、またあとで食べよう。
「いただきまーす。」
「いただきます。」
二人が手を合わせ、食パン半分大のパンを取り出す。一口、食んでみる。
「おいしーい」
千尋が満足の声を上げた。確かに我ながらおいしくできたと思う。
「満足?」
「うん。大満足!」
「そう。それはよかった。」
私たちはしばらく無言で、サンドイッチにありついていた。
しばらくして、突然、千尋が変なことを言い出し始めた。
「ねえお姉ちゃん。」
「何?」
「パパは、どうしてお姉ちゃんのことを嫌ってるの?」
「えっ・・・。」
寒いものが体を通り抜けた。この子は・・・千尋は見抜いていたのだ。父が私のことを嫌っているということを。
「ねえ、どうして?」
私は・・・なんて答えたらいいんだろう。頭の中が真っ白になった。
本当のことを言ってしまえば、父が私を嫌っているのは、私は父の本当の娘ではないから。だけど・・・そんな辛い現実、この子に教えたくない。こんなどろどろとした現実、純真な千尋には見せたくない。
「お姉ちゃん?」
千尋にせかされて、私は意を決した。
「お姉ちゃんはね・・・悪い子なの。」
「悪い子?お姉ちゃんが?」
「ええ。だから・・・パパに嫌われちゃったの。」
「どんな悪いことをしたの?」
悪いこと・・・あの人にとって悪いこと、それはたぶん、私が「生まれてきた」こと・・・。だけど、そんなことこの子に言えるわけがない。
「・・・内緒。」
「えーどうして?」
「お姉ちゃんはね、ずっと反省しているの。パパから許してもらえるようにね。それとね、それって内容を言っちゃうと、意味がなくなっちゃうの。だから、千尋にも秘密。」
「ふーん・・・なんだかよくわからない。」
「分からなくていいの。今の千尋にはね。」
「いつか分かるの?」
「いつかね・・・。」
「お姉ちゃん、泣いてる・・・。」
「えっ。」
考えているうちに、気づかなかったが、涙がこぼれていた。私は手で涙をぬぐった。
「お姉ちゃん、泣き虫だから・・・すぐ泣いちゃうんだよね・・・。」
千尋はガサゴソとカバンを探り、「はい」と言って、タオルを差し出してくれた。
「ありがとう。千尋は本当にいい子ね。」
私は千尋からタオルを受け取るとそれで涙をぬぐい、そして千尋の頭をなでなでした。
「私、お姉ちゃんが泣いているところ見たくない。」
「そうよね・・・ごめんね、千尋。」
「謝らないで・・・お姉ちゃんはきっと悪くない!だって、お姉ちゃんが悪いことするはずないもん!」
「千尋・・・。」
どうすればいいんだろうか。私は必死に悩んでいた。このままだと千尋は、父に「なぜ私のことを嫌っているのか」聞いてしまう。そうすれば、父は、私が千尋に変なことを吹き込んだと激怒するだろう。きっと家族もいままで通りいられなくなってしまうかもしれない。
そうなれば、千尋はきっと悲しむ。もっと悲しむ・・・。私はそんな悲しむ千尋の姿を見たくはない。
しばらく考えて、私はあることを思いついた。
「ねえ千尋。」
「何?」
彼女の眼はとても不安そうだった。
「お姉ちゃんね、今日からご飯は一人で食べることにする。パパやママとも話さないようにする。」
「えっ!?どうして!?」
千尋は大層びっくりした顔だ。
「パパだけじゃなくて、ママも私に怒っているの。だから私は、一人で反省していなくちゃいけないの。」
「そんな・・・。」
「でも心配しないで。千尋は私のことを忘れて、パパとママと一緒に楽しく食事をすればいいの。」
「そんな、やだよ!私、お姉ちゃんと一緒じゃなきゃ嫌!」
私は千尋に、にっこりと笑いかけた。
「ずっといないわけじゃない。パパとママが許してくれたら、私はいつかまた食卓に戻ってくるから。その時までは、私のことは忘れていてほしいの。それ以外の場所で、一緒に楽しく遊びましょう。パパやママがいないところで。だから、お願い。千尋がパパやママと一緒にいるときは、私のことは忘れていてほしいの・・・。お願い・・・。」
「お姉ちゃん・・・。」
家族四人でいたら・・・遠からず、如月家が抱えている暗い部分が白日の下にさらされてしまう。そして、千尋はきっとそのことで苦しんでしまう。幼い、そして純真無垢な3歳という幼子に、こんな家庭の醜いところは見せたくない。
私が家族の団欒にいることが、摩擦の原因になるんだったら、私はいなくなってしまえばいい。父に嫌われているなら、父に会わないようにすればいい。千尋は、私を見てくれている。千尋が部屋に来れば、私たちはずっと一緒にいられるのだ。だったら、それでいい・・・。
「千尋・・・ガマンって大事なのよ。」
「ガマン?」
「そう。ガマン。ガマン強くなると、いろいろと強くなれるんだよ。」
「強く?」
「うん。確かにガマンしていると辛いけど、慣れれば、そんなにつらくなくなるんだよ。だから、ちょっとやそっとじゃへこたれなくなる。」
「私も ガマンしなくちゃいけないの。」
「千尋はガマンしなくていいの。ガマンしなくちゃいけないのは、私。」
そういいながら、また涙がこぼれてくる。
「あー、お姉ちゃんまた泣いてる。」
千尋がまたしてもタオルをこちらに渡してくれた。
「ありがとう。千尋。」
千尋がベンチから降りて、私の方へとにじり寄った。
「なに?どうしたの?」
ムギュ。
千尋が私に抱き着いてきたのだ。
「ち・・・千尋?」
「私は・・・何があっても、お姉ちゃんの味方だよ。だから、ガマンしなくていいんだよ。お姉ちゃんが辛いときは、いつだって、ぎゅーってしてあげるんだから。」
この子ったら・・・私が知らないうちに・・・大人になって・・・。
「ひっく・・・ひっく・・・」
私は声まで上げて泣いていた。
「お姉ちゃん、涙が止まらないね。」
「千尋・・・違うの。これはうれし涙。うれしいときに、流すものよ。」
「お姉ちゃん、私にぎゅーってしてもらってうれしい?」
「・・・ええ。すごーーーーーーくうれしい!」
本当に、心の底からうれしかった、この子のはげましがあれば、私はきっとどんなことにだって耐えられる。そんな気がしてならなかった。私は、幼い千尋の頭の上で、わんわんと泣いていた。
その日以降、私はお盆に食事を乗せて、一人遠くの部屋で食事をとるようになった。千尋は私との約束を守ってくれた。両親といるときは、まるで初めから3人家族であったかのように、私のことを忘れてくれた。
そして、部屋に戻ると姉妹の関係に戻ったのだ。私はそれで十分だった。
如月家はどんどんゆがんでいく。修正できないほどに。そしてそれは、きっと私の心の中に、ゆがんだ食卓というイメージ像を植え付けるに至ったのかもしれない。