第5節 悪魔の契約
私たちは、先輩の運転でホテルへと向かうことになった。
浜辺からホテルまでは、車で5分程度のところにある。10階建てのホテルで客室も120部屋ある、立派なホテルだ。「望月グランドリゾートホテル」は、ありとあらゆる観光地にあるホテルで、逗子にもここ10年で開業したのだそうだ。
ロビーでチェックインを済ませて、私たちが泊まることになる部屋へと入った。部屋の中は、普通のビジネスホテルと同じのようだ。ベッドはツインベッドになっていて、ユニットバスがある。
「いやー疲れた。」
私はベッドにダイブした。
「春香、早くお風呂に入ろう。砂まみれのままベッドに入ったら、汚くなるわよ。」
さすが、千早ちゃん。意見が現実的だ。
「そうだね。じゃあ、千早ちゃんから入って。私ここでグデーってしとくから。」
「まあ、いいけど。そのまま寝ちゃだめよ。」
「うん」
とか言いながら、一寝入りしてしまった。千早ちゃんに促され、私もお風呂に入った。そして二人で食堂へと向かった。食堂には豪華なビュッフェが並んでいる。
「千早ちゃん、おいしそうだね!」
「ええ、そうね。あっ、みんないるみたいね。」
ホテルについてからは完全な自由時間になっているので、先にお風呂に入った者、先に食事に来ていた者など様々だった。
先についていたのは、京極さん、猿渡さん、それから雪歩に真だ。ほかの人たちはまだ、体を洗っているのかもしれない。
ビュッフェは、和食と洋食が用意されていた。今回、私は洋食をメインにしてみようと思う。スパゲッティーをメインに、ローストビーフとポテトとサラダ、それからウインナーに、冷製スープ。デザートにヨーグルトとケーキをいただくことにしよう。飲み物はオレンジジュースだ。
千早ちゃんのほうが先にテーブルへと着席していた。
「あら、今回はまともなのね。」
「今回は、ってどういうことよ。」
「前回みたいに、ポテト大量とか、そういうことはしないのね。」
「あのね、私も成長したの。」
「まあ、みんなの前だしね。先輩の前で恥ずかしい真似はできないものね。」
千早ちゃんがくすくす笑う。そういう千早ちゃんはどうなのか。
今回千早ちゃんも洋食メイン。ロールパンに、魚のムニエル、コールスロー、鳥の照り焼きに、冷製スープ、デザートにフルーツポンチをチョイスした。まるでどこかの給食みたいだ。
「なんか、給食みたいだね。」
「バランスがいいチョイスと言ってほしいわ。」
私たちが食べ始めると、しばらくして、あの二人が入ってきた。
「先輩!こっちこっち。」
「先に来てたんだね。僕も用意したらそっちに行くよ。」
先輩と雪村さんが同伴で入ってきた。雪村さんは、何か不満そうだ。
そう、この二人は一緒の部屋なのだ。これは雪村さんの必死の主張でこうなった。
うちのサークルは、男子は3人だけ。よって、1人はどうしても女子とツインになってしまうのだ。まあ、別に男子だけツインルームに1人ってこともできたらしいのだが、雪村さんが、必死に主張してこうなったようだ。
先輩が料理を選んで4人用テーブルに座った。先輩の料理チョイスもバランスがいい。和食がメインで、赤飯に魚のムニエル、ローストビーフに、鶏がらスープ、ポテトサラダ、ウインナー、冷たい緑茶だ。
雪村さんも適当に選んできたようだ。
「このホテルすごく素敵ですね。」
私が先輩に話しかけた。
「ありがとう。今後も贔屓にしてもらえると助かるよ。一応、主要な観光地には全てあるはずだから。旅行に行った際には、泊まってもらえるとうれしいな。」
「まあ、お金がたまって旅行で来たら・・・泊まりますよ。」
先輩の財閥のホテルだから、泊まりたいんだけど、料金がちょっと・・・。
「俊、貧乏人にこのホテルは無理よ。こうやって連れてきてもらえるだけでも感謝しなさい。」
先輩が顔をしかめる。
「楓、そういう言い方はよくないよ。」
「いいんです。気にしないでください。実際、私たち、そんなにお金ないですし。」
千早ちゃんが、先輩に謙遜した。実際、貧乏人なのには違いないんだから。
「このホテルには、ダーツやビリヤードが楽しめるスペースもあるんだ。後でみんなで行ってみない?」と先輩。
「はい!ぜひ行きたいです!」と私はノリノリだ。
「よし、それじゃ決まりだね。それでいいよね、楓。」
雪村さんは相変わらず不満そうだ。
「まあ、俊がそうしたいっていうなら、付き合ってあげるわ。」
「ありがとう。二人は、ビリヤードってやったことあるかい?」
そんなもの当然のごとくない。千早ちゃんもないだろう。私は首を横に振った。
「私もないです。」と、千早ちゃん。
「楓も実はないでしょ。」
あれ、そうなの?なんか意外。
「女の子だから、そんな趣味はないのよ。」
ビリヤードに男女は関係ないのでは?
「先輩は得意なんですか?」
「僕もほとんどやったことがないんだ。社交で必要になるから、勉強しておけって言われるんだけど、なかなか時間が取れなくてね。」
先輩もあまり経験がないとは・・・これまた意外だった。
「遊び人の二人のほうがやりなれてるかもね。」
そう言って、先輩は、京極さんと猿渡さんのほうを見た。二人は、山盛りのポテトと格闘していた。これじゃ、いつかの誰かさんじゃないか。
一つ気になっていたことがあった。このサークルの歓迎会の時に、先輩と伊織は舞踏会で出会ったって言っていた。お金持ちだと、そんなパーディーばっかりなのだろうか。
「そういえば、財閥とかだと結構パーティーなんてやるんですか。」
「うん?まあ、ちょこちょこあるかな。年始だと賀詞交歓会という名目で財界人が集まるし、それ以外にも時々。どうして?」
「伊織と先輩が出会ったのって、どこかのパーティーの席だったんですよね。そんなにパーティーなんて、ちょくちょくやるのかって思って。なんだか、うらやましいな。」
はぁーっと、雪村さんがため息をついた。
「まあ、これは一般の市井の人には縁遠い話なんだけどね。財閥とかそういう上流階級の人間は、みんなある種身内みたいなものなのよ。そこでつまんない、権力ゲームをやってるわけ。そこに取り入ろうとして、政治家とか、地方の首長とか学者とかが近寄ってくるわけ。まあ、うちは学校のオーナー側だから、そういう人たちを迎える立場なんだけど。」
雪村さんが、ジュースを一口含んだ。
「大人の人にとっては大事なのかもしれないけど、私たち子供にとっては、つまらないだけよ。親に恥をかかしちゃいけないと、ダンスの練習をして、おしとやかにして、他のつまらない大人たちに媚びを売って、他の子どもたちにまで色眼鏡使わなくちゃいけない。『あの財閥と仲良くしなくちゃいけないから、あの子にアタックを仕掛けなさい』とか指示されて、ほんっと窮屈よ。だから、あんたたちが貴族様のパーティーにあこがれているんだとしたら、それは全然違うわ。表舞台の一面しか見てないってこと。」
先輩も真顔で聞いて、うんうんとうなづいていた。
「楓の言うことは、概ねあっているかな。僕は将来、その『つまらない大人』側に立つことになるから、そのパーティーの意義もわかるんだけどね。まあ、子供にとったら、家でゲームやってたほうが楽しいよね。」
「ゲームをやるのは、あなたでしょ。」
「そうだね」と言って、彼は笑った。やっぱり、上流階級ならではの悩みはあるみたいだ。
私たちは、その後も楽しく談笑しながら、ご飯に手を付けていった。そして、食事をし終わると、ビリヤード場へと向かった。
ビリヤード場に入ると、驚いたことに、伊織が一人でビリヤードを打っていたのだ。
「伊織、こんなところにいたの!?」
私が伊織に声をかけた。
「春香、あんたも来たのね。」
伊織のビリヤード台を見ると、ボールが台のあちこちに広がっている。
「伊織もビリヤードやるんだ。」
「やってちゃ悪い?」
「別に悪くはないけど・・・。」
「じゃあ、邪魔しないでね。いいところなんだから。」
先輩はオーナーに台を借りる手続きをしているらしい。準備が終わるまでの間、私は伊織のプレーを見ていた。
伊織は腰をかがめ、キューを前後にこすらせて白い球を今まさに打とうとしている。
カーン
乾いた音とともに、白い球が3番の玉にあたって、見事にポケットに落ちた。
「すごーい」
私は思わず拍手をした。
「これくらい普通よ。馬鹿にしてるの?」
「そんなことないけど。」
続けざまに伊織が再び構えて、再び白い球を打った。しかし手元が狂ったのか、今度は狙ってたらしい4番ボールには当たらなかった。
「あっ・・・。」
思わず私が声を漏らしてしまった。
「もう!集中が妨げられるじゃない!」
伊織は怒り心頭だ。
「ごめんごめん。でもあんまりにも様になっているから、つい見とれちゃって。」
「まあねー。これくらい貴族のたしなみとしては当然よ。」
伊織はおだてるとすぐに機嫌がよくなるのだ。
「これは1番から順番に入れていくの?」
「そうよ、ナインボールって知らないの?」
聞いたことはあるが、詳細は良く知らない。
「どういうルール?」
「簡単な話。手玉を打って、1番から順に的玉をポケットに落としていって、最後に9番の的玉を落とした方が勝ちってゲームよ。」
「なんだか単純だね。」
伊織が顔を膨らませる。
「単純だけど、奥が深いのよ。庶民には分からない楽しみなの。」
今は庶民でもやると思うけど・・・。
でもビリヤードって、複数人でやる協議なのでは?
「どうして伊織は一人でやってるの?」
「れ・・・練習よ、練習!」
ハハーん、鋭く抵抗しているところを見ると、一緒に遊ぶ人がいないんだな。
「良かったら、こっちのグループに入れてあげるよ?」
伊織はさらにムスッとした表情を見せた。
「べ、別に寂しくなんかないし。練習なのよ、練習!」
素直じゃないなー。
「春香!こっちで準備ができたわよ!」
遠くの台の方から、千早ちゃんが呼んでいた。
「うん!今行く!」
伊織は手で、あっち行け、というジェスチャーをした。
私は仕方なく、伊織を置いて、千早ちゃんのところに向かうことにした。
ビリヤードが終わって、私たちは自分たちの部屋に戻ることになった。そのとき、私はラウンジ奥のバーカウンターで、伊織の姿を見かけた。
そういえば伊織は私たちがプレイを始めると、ビリヤード場からさっさと帰ってしまったようだった。せっかくだから、話しかけていこう。
「ちょっと、私、伊織にちょっかいかけてくるね。」
「分かったわ、じゃあ、私たちは先に戻ってるから。」
「うん、ごめんね千早ちゃん。」
私は千早ちゃんたちと別れて、バーの中に入った。伊織はカウンター席の端にいて、物憂げに何かを飲んでいる。
「お酒は20歳からだよ、伊織。」
いきなり声をかけたからなのか、とても驚いていた様子だ。
「うわっ、春香、いきなり何なのよ。」
「いや、伊織がこんなところに一人でいるから気になっちゃって。それお酒?」
伊織は、オレンジ色の液体を飲んでいた。
「これは単なるジュースよ。アルコールは入っていない。ただのオレンジジュース。」
「そっか。隣良い?」
「いいけど、ここのお金払えるの?そこそこ高いわよ。」
「えっ」
ちょっと、血の気が引いた。メニューを見ると、確かにほとんどのお酒が一杯2000円以上だ。
「まあ、いいわ。今日は奢っておいてあげる。ありがたく思いなさいよ。」
「あ、ありがとう、伊織!」
「あんたも未成年だから、オレンジジュースでいいわね。」
「うん、それでお願い。」
伊織がマスターにオレンジジュースを注文した。
「それにしても、伊織って本当にビリヤードうまいね。」
「ああ、さっきの?そうかしら、あれくらい上流階級では普通だと思うけど。」
「そういうものなの?」
「さあ?少なくとも、望月は下手すぎ。あれで望月財閥跡取りなんて名乗ってるんだから、笑っちゃうわ。」
伊織の言い方にはとげがある。先輩がバカにされて、少し腹立たしさを感じた。先輩は単に時間がなくて練習できないだけで、練習すればきっとうまくなるんだから。だけど、奢ってもらう手前、機嫌を損ねるわけにはいかない。
「あっ、ごめん。好きな人の悪口言われたら、いやな気分になるわよね。」
私がむすっとしたのに気付いたのか、伊織が私に謝ってきた。
「ううん、私は別にいいのよ。それよりも、なんであんなに早く帰っちゃったのさ?」
伊織が私の方を指さした。
「アンタたちがうるさくて集中できなかったから。ビリヤードって、確かにワイワイやってもいいけど、バカ騒ぎしていいわけではないのよ。」
「そんなにうるさかった?」
伊織はため息をつく。
「少しは周りを見る癖をつけた方が良いわね。目の前に落とし穴があっても気づかないんじゃないかしら。」
私はケラケラ笑った。
「さすがに目の前に落とし穴がったら気づくでしょ。」
「そういう意味じゃないから。」
ん?どういう意味なんだ。
そのとき、オーダーしていたオレンジジュースが届いた。
オレンジジュースを一口飲んでみる。
「これは100%だね。」
「分かる!?」
いきなり伊織の声のトーンが高まった。
「バーとかで出すオレンジジュースは、基本100%なのよ。本来は、これにリキュールを入れてカシスオレンジを作るから、100%以外のジュースだとオレンジの味が薄くなっちゃうの。だから、バーのオレンジジュースは100%な訳。」
「なるほどねー。」
「ま、このオレンジジュースも本来ならメニュー外なのよ。本当はお酒を入れて出すところ、私がオーダーしてそのまま出してもらってるわけ。カシスオレンジのアルコール抜きってところかしら。」
そういうことだったのね。
「で、伊織はなんでこんなところにいるの?」
「な、なんでって、そりゃ、一人で考え事をするためよ。財閥の娘には、いろいろと考えることが沢山あるのよ。あんたみたいに能天気にしていられないの。」
「ふーん、そんなものなんだ。」
私には一つ気になっていたことがある。伊織も望月先輩と同じ「財閥」の子どもならば、もしかしたら、彼女にも「許嫁」がいるのではないだろうか。
「ねえ、伊織。一つ聞いていい?」
改まって聞こうとするので、伊織は少し身構えた様子だ。
「まあ。いいけど、答えられることと答えられないことがあるわよ。」
「多分、答えられることだと思う。」
「もったいぶらないで、早く聞きなさい。」
私は一呼吸おいてから尋ねることにした。
「伊織ってさ、『許嫁』っているの?」
「ええ、いるわよ。」
えっ、やっぱりいるんだ。というか、反応早い。さも当然のように言われてしまった為、こっちが面食らってしまった。
「そうなんだ・・・やっぱりいるんだ。」
「ええ。私なんて中学生の時から、婚約者が決まっていたの。もう相手の名前も顔も知っているし。さすがに誰かまでは一般人には教えられないけど。」
「そう・・・なんだ・・・。」
なんかショックだった。こんなに身近に、親によって結婚相手を決められてしまっている人がもう一人いるなんて。
「大学を卒業したら、すぐその人の家に嫁ぐつもりよ・・・っていうか、なんであんたが落ち込んでんのよ。おかしいでしょ。」
「いや、何かね、可哀そうだなって。」
「別に、あんたに同情される筋合いはないわ。」
「辛くない?普通の恋愛ができないって。」
伊織は少し考えこんでいた。そして言った。
「あんたには話しておくけど、実はうちの母親も政略結婚だったの。もともとは与党の有名政治家の娘だったんだけど、うちの財閥から選挙資金を得るために、嫁いできたってわけ。正直、母は何一つ不自由を感じていなさそうだった。母親は、結婚して子供を産んだだけ。後は毎日遊びほうけている。女なんてね、この男社会の中では何にもやることがないの。私も女だから、そうなるだけ。」
伊織の言葉からは、鬱屈した様子は感じられない。でも、伊織の性格を考えると、多分悔しい思いをしているんじゃないだろうか。
「悔しくない?親に自分の生き方を決められちゃうのって。」
「・・・変えられないものはしょうがないのよ。世間様では恋愛結婚が主流になっているけど、上流階級の社会では、未だに旧時代的なお見合い制度が主流なの。許嫁が決まっている人も多い。特に女はそう。うちは幸運にも、水瀬の家を継いでくれる優秀なお兄様達に恵まれたから、私は何もやることがない訳。私ができることといったら、結婚して、子供を産んで、水瀬の家を強くすることだけ・・・。考えたって、変えられないし、どうしようもないことだったら、考えるだけ無駄、だったら、何も考えないほうがましな訳。わかる?」
確かにそうだ。世の中には変えられないことは多い。でも、努力して変えられることも多いのだ。たとえ、それが犯罪的なことであったとしても、変えようと思えば、変えられる。
「伊織って、本当にやりたかったことってある?」
伊織は、バーテンダーの後ろにあるボトルをぼんやりと見つめていた。そしてしばらく考えたうえで、こんなことを言った。
「あるけど・・・別に誰かに教えるようなものでもない。それは私だけの秘密。どうせ、実現できないんだから。」
「本当に実現できないの?」
「できない。私の人生は決まっているから。」
そう語る伊織の口調はしっかりしているのに、その顔は、悔しさと悲しさに満ちているように見える。
「それは望月も同じだと思うのよ。彼が雪村さんのことを好きじゃないっていうのは、痛いほど伝わってくる。でも、彼は雪村さんと結婚しなくちゃいけない。これは、きっと変えられないことなのよ。」
その言葉を認めるわけにはいかない。だとしたら、私は・・・。
「本当にそうなのかな。それは先輩の決断次第じゃないかな。先輩が、家督を捨てるという決断をすれば、変えられる話だと思う。それに、彼が雪村さんと結婚しなければ、彼の兄が代わりに結婚して丸く収まる話じゃない。」
「甘いわ、春香。」
伊織が私を一蹴する。
「どういうことよ。」
「いい?春香はもしかしたら、会社なんて誰が継いだって同じって思っているかもしれないけど、全然違うのよ。能力を持った人が引き継げば、その会社は大きく伸びる。だけど、本来その器にない人が継げば、その会社をつぶしてしまうことだってあるの。望月は確かに優秀だと思う。望月のお父様が、長男がいるのにもかかわらず、あえて次男を後継者に選んだ理由も、なんとなくわかる。だから、望月は、どんなに不本意であっても雪村さんと結婚して、家督を継ぐしかないの。」
それは・・・あずささんも言っていたことだ。先輩を諦めなければ、望月グループ50万人余の生活に影響が出てしまう。だから、彼を奪ってはいけないのだと。
「それとね、望月は周到に自分に近づいてくる人間をいなしているわ。」
「それってどういうこと?」
「例えば、あずさ。彼女の狙いは自分の『運命の人』に出会うことだった。そしてあずさは、望月に惚れこんで、彼のことを『運命の人』だと思った。だけど、望月はあずさと付き合うことなんて許されない。」
私は相槌を打った上で言葉を返した。
「雪村さんと結婚するからね。」
「ええ。そして自分に好意を持たれることは、望月にとっても迷惑だった。雪村さんに要らぬ嫉妬の炎を燃やされるだけだからね。だから、自分への好意をあきらめさせる為に、代わりのモノを用意した。」
なるほど。だから彼はアイドルの道を用意したのか・・・。
「そうか・・・それが『アイドル』への切符だった。」
「そういうこと。有名になる為の道を与えて、後は広い世間の中から勝手に結婚してもらうってって訳。」
この構図、四条さんと同じだ・・・。
「さっき四条さんから聞いたの。四条さんも、あずささんと同じように、アイドルを目指すって。そこで自分のパトロンになってくれる人を探すって。」
「へぇー、そうなんだ。」
伊織は単純に感心しているようだが、意外だという様子はない。
「あの子、雪歩もそう。」
「えっ!?雪歩もアイドルになるの!?男の人苦手なのに。」
すかさず伊織が訂正した。
「あー、ごめん、そういう意味じゃないわ。雪歩も望月から利益供与を受けているって話。」
そういうことか、それならわかる。じゃあ雪歩はどんな利益をもらったって言うのか。
「雪歩は春香の言う通り、男嫌いだから、他の男を宛がって逃れるわけにはいかない。だから、彼は別の方法を取った。」
私は息を飲んだ。
「どんな方法?」
「雪歩の実家って、建設業を営んでいるって知ってる?」
聞いたことがある。確か「萩原組」という建設会社だった。
「『萩原組』だっけ?」
「そう。実はその会社なんだけど、かなり経営が危なかったらしいの。」
「えっ、そうなの?」
「最近の建設業なんて特にそうだけど、公共事業もめっきり減って、人口も減るこの国じゃ、今や土建屋なんて赤字企業ばかりなのよ。そういうことも少しは知っておいた方が良いと思うわ。」
「へいへい。」
とりあえず、気のない返事を返しておいた。
「そこで彼は、自身の財閥の系列銀行である望月銀行に働きかけた。そして萩原組が抱えていた債務を一本化してあげた上で、メーンバンクになってあげたのよ。そのおかげで、萩原組は何とか息を吹き返したって訳。」
「へぇー。」
「もっと驚きなさいよ。あの年にして、もう彼は財閥を使っていろいろやれちゃうのよ!?女2人にコネを紹介するのとはわけが違う。」
正直言って、学がない私にとっては、その二つの違いがよくわからない。でも一つ確実に言えるのは・・・。
「私・・・別に彼から何ももらってないよ。」
「でしょうね。もらってたら、もう少し大人しくするだろうから。」
やれやれと言った形で、伊織は肩をすくませた。
私は純粋な疑問を伊織にぶつけた。
「だとしても、3人にはいろいろと利益を与えて、私に何もないのは何か変じゃない?だって、私なんて一番先輩にちょっかいだして、雪村さんをイライラさせているっていうのに。」
「それもそうね・・・。」
伊織がジュースに口を付ける。
「もしかしたら、望月も本気なんじゃないの?利益を与えるのは、ある種の手切れ金だから、それをよこさないってことは、よっぽどあの男はアンタを手放したくないとか?」
「ほんとー!?」
伊織は困惑した顔を見せる。
「冗談よ。そんなに目を輝かせられても困るわ。」
がっかりして私は顔を落とした。
「そ・・・そうなの?」
「そんな露骨に落ち込まないでよ。多分望月は将来雪村さんと結婚するんだと思うわ。だけど学生時代まで縛られるわけじゃない。だから、今のうちなら、彼と付き合うことはできるんじゃないかしら。望月もアンタとは手切れにしたわけじゃないみたいだし。良かったわね。」
その文脈で、私は一つ気になったことがあった。
「千早ちゃんも・・・何ももらっていないのかな?」
「えっ?」
千早ちゃんだって、先輩のことは好きなはずだ。きっと、先輩も・・・そのことを理解している。だけど、先輩が千早ちゃんに何かを「贈った」という兆候はない。もしそんなことをしていたら、一緒に住んでいる私には丸わかりなのだ。だから、千早ちゃんは何ももらっていない。
「千早ちゃんも、手切れにしたくない子ってことなのかな?」
伊織は肩をすくめる。
「さあね、彼に聞くしかないんじゃないの?」
「そう・・・だよね。」
伊織が私のことを見つめている。
「アンタさ、彼のこと、どこまで本気なの?」
私が伊織の方に顔を向けた。
「どこまでって?」
「結婚。まさか狙ってるの、本気で?」
私はジュースを口に含んだ。そしてゴクリと飲む。どこまで話そうか、決めあぐねていたのだ。千早ちゃんにだって、私の心の内を、すべて話したという訳ではないのに。
「春香、ちゃんと話してくれたら、悪いようにはしないわ。」
「どういう意味?」
「・・・アンタに協力してあげてもいいってこと。」
どういうことだ?どうして伊織が私なんかに。
「嫌なの?」
「いやっていう訳じゃ・・・でも・・・。」
「安心して。当然裏はあるから。」
安心できないんだけど・・・。
「どんな『裏』なの?」
要は、伊織は取引しようって言っている。だとしたら、条件を教えてもらわないと。
「まず、アンタの気持ちを聞かせてほしい。話はそれからよ。それとも、私のこと、信用できない?」
私は正面を向いた。
信用・・・どうなんだろう。正直分からない。まぁ・・・でも、自分の気持ちを話したからって、それでどうこうできるわけでもないだろう。
「・・・正直、最初は玉の輿狙いだった。本気で雪村さんから、彼のことを略奪しようと思ってた。」
「はぁー」
呆れかえったかのようなため息が漏れてきた。案の定といったところだったのだろう。
「だけど・・・一緒にいるうちに、私・・・純粋に先輩のことが好きになっていった。最初はお金目的だったのに・・・段々彼に惹かれていった・・・。」
「より結婚したいって気持ちが強まったのね?」
「うんうん、そういう訳じゃない。」
「結婚したくないの?」
また私は伊織の方に顔を向けた。
「・・・本当は結婚したいよ。だけど、それは無理だって感じているから。だから、学生時代だけでもいい。彼が雪村さんと結婚するまでの間だけでいいから・・・私は先輩と付き合いたい。それが私の今の気持ち。」
伊織は値踏みするかのように、左手で頬杖をつきながら、流し目で私のことを見つめている。
「随分、慎ましくなったのね。」
仕方ない。そうするしかないのだ。先輩が雪村さん以外と結婚しないって言っているのだ。その意思を変えることなんてできない。だけど・・
「最近、私、四人で過ごすことが多くなったんだ。」
「アンタと千早、望月に雪村さんね。」
「・・・先輩は、雪村さんと結婚すること、本気で嫌がっている。」
私にはそう感じるのだ。口では決して言わないし、そんなそぶりは見せない。だけど、私と二人きりで話しているときの雪村さんへの態度を見ると、あるいは4人でいるときの雪村さんに対する態度を見ると、彼は雪村さんとの結婚に、強い忌避感を覚えているような気がしてならないのだ。
「もしあのまま先輩が雪村さんと結婚することになったら・・・きっと先輩は、壊れちゃうよ。」
伊織はじっと私の目を見つめている。何かを読み取ろうとしているのかもしれない。その目は、決して私を侮蔑するような眼ではない。ただ、見抜こうとしているのだ。取引に耐えられるような人間であるのかどうかを。
「例えば・・・こんな方法もあるわ。」
伊織が頬杖を止めて、真っすぐを見つめて言い放つ。
「・・・陽の当たらない方法・・・。」
「陽の当たらない方法?」
「・・・不倫。決して表舞台に立てない、卑しい愛。それで良いなら、もしかしたら彼の愛を得られるかもしれない。」
不倫愛か・・・。
「それって幸せになれるの?」
伊織はまたしても肩をすくめる。
「本人が幸せだと思えば幸せなんじゃない?ただし、本妻はおろか、世間様の誰にもばれちゃいけない。それに、不倫だからいつ捨てられるとも分からない。ばれたら、それはそれで大いに問題になるわ。下手したら財閥の跡取りの座を失うかもしれない。それに、子供だって作れない。そんなことをしたら、相続問題でもめることになるからね。それでもいいっていうなら、道はあるかもしれないわね。まっ、あとは本人同士で決めることなんだけど。」
いつ捨てられてもおかしくないし、ばれたら終わり。先輩に多大な迷惑をかけてしまうかもしれない。子供も作れない。でも・・・それでも・・・先輩と一緒にいられるなら・・・。
伊織がまたしても、「はぁー」とため息をついた。
「あんた、今本気でそれでも良いって思ったでしょ。」
「えっ、うん・・・。」
「他人だけど、あんたのことが心配になってきたわ。アンタの為を想って言うわ。そういうバカなことを考えるのは止めておきなさい。そんなことをしても、幸せになんかなりゃしないわ。」
別に私は幸せになれなくてもいい。だけど・・・先輩が苦しんで人生を生きるのを見過ごすことなんて・・・。
「こんな事本当は言っちゃいけないんだけど、うぶなあんたのためを思ってネタ晴らしをするわ。」
伊織がストローでジュースをすすった。
「実は、私、パパからある指令を受けているの。それは、このサークルを調査して、報告すること。そして、望月と雪村さんが結婚するのを妨害すること。」
えっ、なにそれ、スパイ映画?
「伊織は望月先輩がこのサークルにいるって知ってて入ったの?」
「全然。入ってから知ったのよ。あの新入歓迎会の時にね。それで、パパに報告したわけ。そうしたら、そんな指令をもらったってこと。バカバカしいでしょ。でも、本人は本気。」
「どうして、結婚を妨害させようなんて・・・」
そんなこともわからないの?という表情で、伊織は説明した。
「さっきも言ったけど、望月と雪村さんが結婚しなければ、望月は後継者になれない。そうすれば望月グループの経営力は多分落ちるんでしょう。水瀬グループと望月グループはライバル同士だから、内側から潰そうってわけ。」
なるほどね。
「でも、さっきは私と先輩がくっつくことに反対してたじゃない。」
「それは・・・部外者を巻き込みたくないからよ。」
巻き込みたくない・・・。
「はっきり言っておくけど、上流階級同士の争いって、醜いし残酷よ。慈悲なんてどこにもない。それに、合法的な手段しか使っていないって保証はない。」
「それってどういう・・・。」
「私の口からは言えないわ。一つ、確認しておくけど、春香は望月先輩と最終的には結婚したいの、それともさっき言ったみたいに陽の当たらない道でいいの?」
私は・・・できることなら先輩と結婚したい。二人で一緒に、陽の当たる道を歩きたい。
「できれば、結婚したい。」
「簡単に言ってくれちゃってるけど、そっちの方が難しいってことわかるよね。」
伊織の言いたいことは、なんとなくわかる。そもそも彼の意志が変わらない可能性が強いし、本当に望月先輩と雪村さんの縁談をつぶしに行けば、それ相応の力で排除されてしまう。下手したら、命を落とす・・・そういうことだ。
「分かってる。先輩の決意も変わらないかもしれないし。だから、『できれば』でいい。もし、できなかったら、私は陽の当たらない道でも全然かまわない。それで先輩の心が安らいでくれるなら・・・。」
「本気みたいね・・・。」
伊織はそうつぶやくと、目をつぶった。しばらく張り詰めたような沈黙が続いたかと思うと、伊織は目を閉じたまま、その静寂を破った。
「一つだけ確認しておくわ。今なら引き返せる。今日ここで話したことを忘れて、何事もなく日常を過ごして、学生時代だけあの人と付き合う、今ならそんな平和な関係でいられる。だけど、ここで私と契約してしまったら、春香はもう引き返せない。あなたは、水瀬と望月の闘争に巻き込まれることになる。それだけじゃない。私がやろうとしていることは、決して春香と望月を幸せにしようとすることじゃない。むしろ・・・不幸にすることなのよ。望月財閥を貶めようとすることなの。それでも、春香は私の助け・・・必要なの?」
伊織の口ぶりからは、どうか自分の力を頼らないでほしい、そんな懇願のような、哀願のような、悲痛な叫びに聞こえた。でも私は揺らぐつもりはない。
「身勝手だと思われるだろうけど・・・私・・・彼は財閥の後継者から降りた方が良いと思う。望月先輩は・・・何となくだけど、一般人として生きていた方が幸せになれそうな気がするんだ。」
「・・・財閥の後継者だと、雪村さんと結婚させられるから?」
「それもそうだけど・・・あとは、女の勘ってやつかな。」
「何よそれ。」
伊織が鼻で笑っていた。でも私は真剣だった。
「本当にただ何となくってだけなんだけど、本気でそう思うの。私と結ばれるかどうかとか、そういうこと関係なしに、彼はきっと一般人として生きた方が幸せなんだよ。望月先輩は、多分・・・普通の人なんだよ。権力者になったり、力をふるったりするのが向いていない人なんだと思う。」
伊織はしばし考えた後「ふーん。」とだけ答えた。
「春香。私決めたわ。私、春香が望月を射止めるのに協力するわ。」
「ほんと!?」
「ええ。ただし、条件がある。まず、今日のことは誰にも話しちゃだめよ。」
「うん、わかった。」
「千早にも言っちゃだめだからね。」
「分かってるわかってる。」
一呼吸おいて、伊織がゆっくりと静かにしゃべり始めた。
「春香、とにかく、この戦いは常識が通じない世界だと思って。まあ、春香の常識がどこまで備わっているかは謎だけど。」
「どういうことよ。」
私はムスッとした。
「冗談よ、冗談。私の立場は複雑なの。パパからは極秘指令を受けている。でも、私個人の信条としては、春香をこんな争いに巻き込まないほうが絶対幸せになれるって確信している節がある。そういう複雑な心情のもとに、あなたに協力するの。それは分かってほしい。そして、私自身は春香が幸せになることを願っているけど、そうすることはできないかもしれない。それも理解してほしい。」
「・・・分かった。」
「これで、契約成立ね。」
伊織は握手を求めてきた。私も咄嗟に握手しかえした。
私は伊織に尋ねる。
「で、私はどうすればいいの?」
「まず、アンタと望月の関係を見直した方が良いわね。これは、私から見た感想なんだけど、春香は先輩に近づきすぎ。これじゃやがて雪村さんみたいにウザがられると思うわ。」
やっぱり、はた目から見たらうざいのかな?
「だから、ここは一端、彼に接触する頻度を落としてみればいいのよ。だけど、彼への気持ちが続いているってわかるようにする。雪村さんが邪魔だから、接触できないって思わせればいい訳。」
「押してもダメなら、引いてみろってことね。」
「まあ、そういうこと。その上で、先にクリスマスの予定を押さえておくの。一応、望月は雪村さんと付き合っているってことになっているから、絶対雪村さんはクリスマスの予定を確保しにかかると思う。だけど、それじゃあ『彼女』の地位は奪えない。だから、先に彼のクリスマスの予定を押さえてしまうの。そのうえでデートに誘う。そして、春香からのプレゼントは、できれば手間のかかるプレゼントがいい。」
「どうして、手間のかかるプレゼントを?」
「金持ちの子は、お金さえ出せば手に入るものには興味がないの。だけど、手間暇かけて作ったものは、そう手に入らないから、感激するってわけ。」
「なるほどねー。お金持ちの伊織が言うと、説得力あるわ。」
「クリスマスがチャンス。その時に、告白しちゃいなさい。それで出来れば既成事実も作っちゃいなさい。」
「既成事実・・・ね。」
それって・・・そういうことだよ・・・ね?
「ま、あいつがそこまでガード緩いとは思わないけど。」
伊織はジュースを一口飲んだ。
「ありがとう、伊織。参考にしてみる。」
「あと、気になるのは千早の動きね。あの子も彼のこと好きなんでしょ?」
「多分・・・そう。」
千早ちゃんは口では、先輩のことが好きだとは決して言わない。だけど、私にはわかるのだ。だって、私が一番千早ちゃんのことを知っているんだから。
「千早だって、望月から『手切れ金』をもらったわけじゃないんでしょ?だとすると、確実に彼女は、春香のライバルになって襲い掛かってくるわ。」
「襲い掛かってくるなんて・・・。」
考えたくもない話だ。
「彼の心を射止められるのは一人しかいない。無論、千早だってライバル。それを忘れない事ね。まぁ、私からすれば、どっちが射止めようと、縁談を妨害できればどっちでもいいんだけど。」
千早ちゃんと・・・争わなくちゃいけないのか・・・。確かに彼のことを本気で狙うんだとしたらそれしかない。頭では分かっている。だけど私は、千早ちゃんと揉めたくない・・・。
「ちょっと春香聞いてる?」
ボーっとしているところを突かれた。
「あっ・・・ごめん。」
伊織はため息をついた。
「心を鬼にしなさい、春香。千早が彼のことをあきらめていない時点で、二人は恋のライバルにしかなれないのよ。アンタたちの過去に何があったかは関係ない。今見据えるべきは、千早がライバルだって事実。そうでしょ?」
伊織の言っていることは分かる。このことは、いつか決着を付けなければならない問題だった。
「うん・・・分かった。」
「いい?千早を出し抜くこと、これを意識するのよ。残っている最大かつ有力なライバルなんだからね。」
「うん・・・分かった。」
正直、上の空で、伊織の言葉が、あまり耳に残らなかった。そして伊織はもう一つ警句を発した。
「そうね・・・。あともう一つ言っておく。このサークルでの人間関係は気を付けておいたほうがいいわ。」
「どういうこと?」
「・・・このサークルは、望月を中心に回っている。間違いなくね。望月を狙うもの、望月財閥からおこぼれを貰おうとする者、そしてそれらを妨害しようとするもの。望月が財閥を継がなくなったり、財閥での影響力を失ったりしたら、困る人間が沢山いるってこと。そうなったら、その原因となった春香は、多分ひどく恨まれると思うから。」
「・・・そう・・・ね。」
もう一つ聞いておきたいことがあったことを思い出した。
「伊織は、誰かにたかられたりしてないの?」
伊織は半笑いで答えた。
「私にはそんな力はないし、力をひけらかそうとも思わない。まあ、何人か近づいてきているバカはいるけど。そんなの相手にしていないし。」
バカとは、京極さんや猿渡さんのことか。
「私は、あくまでこのサークルの観察者でいたいの。一人寂しくビリヤードを打っている。アンタにはそう見えるのかもしれないけど、私は見ているのよ。このサークルの人たちが何を想って、どう行動しているのか。場合によってはパパに報告しなくちゃいけないから、これも私の仕事の一つなの。パパの変な指令だけが仕事じゃないって訳。」
「そういうことか・・・。でも、さっきは帰っちゃったでしょ?」
「今のはたとえ話よ。孤立しているように思われたのが心外だから言ったまで。私は孤立しているんじゃない、孤高を保っているの。」
そっか・・・。伊織も大変なんだな・・・。
「伊織、何か困ったことがあったら、何でも言ってね。できることなら、私も協力するから。」
伊織は明確に否定した。
「そんなことしてもらわなくて結構。春香、勘違いしないでね。私は確かにあんたと友達でいたいし、仲良くしたいけど、春香の味方にはなれないの。私ができるのは、春香が望月を射止める『協力』。それだけ。これは、はっきりさせておいたほうがいいから言うけど、私は、春香の味方じゃない。」
協力はするけど、味方ではない。つまり、自分に与えられたミッションに沿う限りは私に味方するけど、そうじゃなくなったら、容赦なく牙をむく・・・。
「うん・・・分かった。それでも・・・伊織とは仲のいい友達でいたいな。立場とかそういうの関係なくね。」
伊織はくすっと笑った。
「春香ってほんとにお人よしね。というか、甘えん坊なのかしらね。」
さあ、どうなんだろう。自分ではよくわからないよ。
「今度、また二人でお話ししようよ。その時に、伊織の将来の夢、聞かせてもらえるかな。」
「私があんたに心を開けたらね。」
私はくすくす笑った。
「でも今度は二人でビリヤードもいいかもね・・・。」
伊織はボソッと呟いた。
「何か言った?」
「何でもない。」
「そう?・・・じゃあ、もう私は出ようかな。伊織はまだ残るの?」
「もう少しここにいるわ。」
「そう。じゃあ私は先に帰るね。今日はごちそうさま。」
「うん、じゃあね。」
私はカウンターから降りて、バーを出ようとした。その時、伊織が下げているポーチから、かわいいウサギの人形が顔を覗かせているのを見つけた。
「このうさちゃんかわいいね。」
「ちょっ、見ないでよ。」
伊織はウサギをポーチに押し込めた。
「いつも持ち歩いているの?」
「別になんだっていいじゃない。」
伊織は、ウサギの真相について答えてくれるつもりはないらしい。
「じゃあ、うさちゃんの謎も今度また聞くね。」
「それは絶対話さなないからね。」
「まあ、いっか。じゃあね。」
今度こそ、私はバーを出て行った。