第14章 太陽と月 残り37時間 如月千早
第1節 死より恐れるもの
私はショックだった。そして悲しかった。春香は、私のことを疑っている。私が春香を出し抜こうとしている、先輩への恋心を思い出した私が、春香を密かに殺めようと考えている、そんな風に思われているのだ。
春香にだけは、嫌われたくなかった。疑われたくなかった。たとえお互いの命がかかったこんな場であっても、友達でいたかった。
記憶がなかった時なら仕方がない。相手が赤の他人なら、殺されるのではないかと警戒するのは当然だ。でも私たちは・・・友達、いや親友、そうじゃない無二の「家族」でしょ?
春香は地面に寝そべって動かない。私は部屋の隅で、そんな春香のことを見つめていた。
春香が私を見つめるその目が、私には鋭くとがっているように見えた。こんな春香の表情は、見たことがなかった。敵意・・・そんな生ぬるいものではない。あれは、殺意なのだろうか。
全身の毛が逆立つような強い緊張感を感じた。あと37時間、私はあの感覚、春香の殺意におびえなければならないのだろうか。春香に疑われ、春香に憎まれ、そして死んでいかなければならないのだろうか。
そんな思いをするのだけは、絶対に嫌だ。
思い出すだけで鳥肌が立つ。あんな顔で睨まれる、それがずっと続くなんて、まっぴらごめんだ。
そう思うと、もうなんだかどうでもよくなってくる。私は・・・死ぬことは・・・別にしょうがないと思っている。この監獄で目を覚ました時から、私が全ての元凶だと知った時から、何度も覚悟した。だから、別に死ぬのはしょうがない。
それでも私は真実を知りたかった。体も心も、貞操さえも奪われて、命まで奪われようとしている。そんな私が唯一できる反抗は、記憶を取り戻すことだと思っていた。
私は確信している。
この事件の奥底には、犯人がひた隠しにしていて、絶対に知られたくない「何か」があるのだ。だから私たちは、記憶を消された。表向きは、苦しみぬいた過去を「追憶」させるために記憶を消したことになっているが、その中には、私たちにとって都合のいい情報が消されているはず。もしも犯人が言葉通り、私たちの生きのこりを解放するならば、どちらかが記憶さえ取り戻せれば、犯人を告発するチャンスがあるはずなのだ。
でも、それももうどうでもいい。どうせ私は死ぬのだ。死んだ後のことなんて、どうだっていいじゃないか。春香に私の記憶を託したところで、私はもう死んでいる。
多分私は認めたくなかったのかもしれない。きっと私は、密かに生きてここから出ることを夢見ていたのだ。だから、そんな淡い「反撃」を夢想し、そのために記憶を取り戻そうと努力していた。
でも、その「蛮勇」は次第にしぼみ、却って恐怖が募ってくる。まだなにかあるのではないか。私は、今までろくでもない人生を過ごしてきた。他人を傷つけ、人を不幸にして、いろいろなものを壊してきた。
これで果たして全部なのだろうか。もう私は「全て」の罪を認識したのだろうか。それとも・・・。
恐ろしい・・・。怖いのだ。私は、何か感じている。きっとこれだけじゃない。これで終わりではない。何か、とんでもないことをしでかしてしまった、そんな確信めいた予感がある。
それも含めてすべて私だ。でも、私はそんな過去を振り返るのが、怖くなってしまった。ここから逃げ出したい。この監獄から、そして自分自身の記憶から。
現実は残酷だ。私たち二人が助かる道なんてありはしない。もうどうでもいい。結論は決まっている。私が原因でこんな事件が起きてしまったと分かった瞬間に、答えは決まっていたのだ。親友である私たちが、憎しみ合わず、そして私がこの地獄から逃れる唯一の方法・・・。
「春香。」
しかし春香は動こうとしない。
「寝てるの?」
春香は身じろぎをした。どうも寝ている訳ではないらしい。
「ねえ、春香。」
春香は答えない。
「もう・・・終わりにしましょう。」
「・・・・。」
「・・・いいよ。殺して。」
殺してという言葉に反応したのか、春香はゆっくりと起き上がった。
私は立ち上がって、少しだけ前に出て仰向けに寝そべった。右側が明るく、左側が暗い。鉄板のような天井。私の目に焼き付くことになる最期の情景。
そんなのは嫌だ。できれば私は・・・笑顔で看取られたい。明るく送り出してほしい。でもそんなことはきっと無理だ。
春香が立ち上がり、私に近づいてくる。
私はとっさに目を閉じてしまった。春香の顔を最期に見たい、そんな気持ちがあったのだが、私にはその勇気がなかった。春香は今、どんな表情をしているのだろうか。恐ろしい想像が頭の中を駆け巡り、瞼を重く縛り付けるのだ。
春香が私の体に馬乗りになってきた。そして体に何かが近づく気配を感じる。
「・・・さよなら。」
春香の両手が喉元を覆う。そして春香は、思いっきり首を絞めつけ始めた。
私は歯を食いしばった。苦しい!!でも、それもわずかな時間だけのはずだ。やがて脳内の酸素が失われて気を失い、そしてそのまま・・・。
・・・あれ?呼吸ができる。
首を絞める力が弱いみたいだ。生存本能からか、私は静かに鼻で呼吸をしていた。
何か液体が顔に当たった。それも2滴。私は驚いてゆっくりと目を開いた。
そこには、顔をしわくちゃにさせて涙を落としている春香の姿があった。
「は・・・は・・・る・・・」
春香がゆっくりと喉元から手を離す。そしてそのまま私の膝の上にペタンと座り込んでしまう。
「なんで・・・なんでなの・・・千早ちゃん。」
「げほっ・・・ごほっ・・げほっ・・・」
私はむせかえった。呼吸が楽になり、いきなり空気を吸い込み過ぎたせいかもしれない。
「はる・・・げほっごほっげほっ・・春香・・・。」
「どうして・・・どうして、抵抗しないのよ!?」
抵抗・・・?
「どうし・・わたしが・・抵抗するのよ・・・。」
強く喉を抑えれらていたせいで、まだうまくしゃべれない。
「だって、千早ちゃん、それじゃ本気で死んじゃうじゃない!?」
「・・・・。」
春香は私が春香に反撃して、返り討ちにするのではないかと思っていたらしい。
「わたしにとって・・・一番大事なのは・・・先輩じゃ・・・ない。」
「へっ?」
私にとって一番大事なのは・・・。
「わたしにとって・・・いちばん・・だいじな・・のは・・」
自分自身だ。
「はるか・・よ。」
自分の心を守りたい。
「はるか・・・のいのちを守りたい・・・。」
自分の過去を隠したい。
「春香には・・・幸せになってほしい。」
きっと私は、あなたに、酷いことをしてしまったような気がするから。
「春香の人生・・・狂わせてしまったのは私だから。」
全ての闇が明らかになる前に。
「春香の心が壊れてしまう前に・・・。」
私は、逃げたい。
「私は・・・全てを春香に捧げたい。」
春香は俯き、静かに涙を流していた。しばらくして、春香が語りだす。
「こんな終わり方・・・嫌だよ。」
私は黙って耳を傾けている。
「私・・・本当にバカだよ・・・。千早ちゃんのこと・・・何もわかってなかった。千早ちゃんの気持ちを理解しようとせず・・・勝手に思い込んでいた・・・。」
「仕方が、ないわ・・・。それがあいつらの狙いなんですから。私たちが憎しみ合い、殺し合うことを、心の底から狙っている。」
「千早ちゃんが、こんなにも私のことを思ってくれていたのに・・・私は・・・千早ちゃんからどうやって身を守るかしか考えていなかった・・・。先輩のことしか、頭になかった・・・。」
「それでいいの、春香。私のことは、もう忘れて。彼と一緒に、幸せになって。」
「どうして・・・どうしてそんなこと言うの・・・。」
「私にはもう・・・あなたしかいない。私はここで永遠に朽ちる。そんな私ができることは・・・あなたに・・・私を救ってくれたあなたに・・・私のすべてを・・・捧げることだけだから・・・。」
もう何もかもたくさんだ。どうせ、私なんか幸せになれない。なる資格なんて最初からないのだ。だから、もう終わらせて。
「だから、春香・・・早く私を・・・。」
「嫌だ。」
「・・・どうして。」
「千早ちゃんに・・・そんな顔してほしくない。千早ちゃんは、もっと笑顔が似合う子だよ。」
「私は・・・苦しんでいる顔の方が、しっくりくるのよ・・・。笑顔は、春香の専売特許じゃない。そうやってあなたは、サークルのみんなを、そして私を・・・太陽の様に照らしてくれたじゃない。」
春香は首を振る。
「じゃあ・・・私が太陽なら・・・千早ちゃんは満月だね。」
「えっ?」
「満月の様にきれいで、みんなの心をいやしてくれる。」
私は苦笑した。
「私、そんなことをした覚えがないわ。」
「じゃあ、私だけの月だった。私専用の。」
「『月』を独り占めなんて、随分贅沢をするのね。」
「そうだよ。私は欲張りだから。」
私は微笑した。なんだか、不思議とどこか懐かしい感じがする。
「春香は、もっと欲張らないの?今なら、何の苦労もなく、あの人をゲットできるんだよ?」
春香の顔が沈む。
「私は・・・望月先輩のことが好き。さっきはウソをついてた。今も尚、いや、今だからもっと好き。」
「うん。」
「でも私は、千早ちゃんも好き。本当は、3人で仲良くしていたい。」
「でも・・・もうそんなことはできない。だから、私のことは、もう忘れて・・・。私なんて、最初からいなかった。今までの人生は、全部捨てて、彼との愛に生きて。」
「嫌だ!」
「春香・・・。」
「どうして、忘れなくちゃいけないの・・・。千早ちゃんとの思い出、私の人生にとってはとっても大切な記憶なんだよ。どうして、それすら捨てなくちゃいけないの!?」
「私という録でもない人間に出会ってしまったせいで、春香の人生は狂ってしまった。監獄の中に押し込められて、レイプされて、心も体も破壊されて、おまけにまた一人人を殺めなくちゃいけない。私は疫病神なの。そんな私のことなんて考えてたら、いつか私が取りついてくると思うわ。」
「いいじゃない、取りつかれたって。むしろ身近に感じれて最高だよ。」
「バカじゃないの・・・。」
「バカは千早ちゃんだよ。私の性格、全然わかってないんだから。」
そうかもしれない。あれだけ一緒にいたのに・・・春香の性格、まだわかっていないみたいだった。でも少し安心した。春香は春香だった。
「やっぱり似てるね。」と春香は言う。
「ん?誰と?」
「「トクナガ先生」。」
そうか、確か「トクナガ先生」も自分のことを忘れてほしいと春香に頼んで、そうやって別れたんだった。そしてそのせいで、春香はものすごく苦しんだ。
「ご・・・ごめん。」
そのことを思い出して、私は謝ることしかできなかった。
「ねえ。千早ちゃん。お願いがあるの。」
「何?」
そう言って春香は私の方を見つめる。顔中がくちゃくちゃになってはいたが、春香の笑顔はまぶしい。
「どちらが死ぬことになっても、最期はお互いに笑顔で送り出しましょう。」
「受け入れてくれるのね。私の提案。」
「うん。」
「良かった。」
本当によかった。これで私は、安心して死ねる。
「ねえ、春香。」
私はぎこちなく笑顔を作った。
「ん?」
「私、もう・・・大丈夫だから。」
死を示唆するかのような私の言葉に、春香は顔を曇らせる。
「何が『大丈夫』なのよ・・・。」
「もう、私安心したから。だから、もう送ってほしいの。」
「送ってって・・・死ぬのはまだ」
「死ぬのは私。それ以外にないわ。」
春香の言葉を遮った。
「でもそんな・・・そんなの・・・。」
「春香は死にたくないんでしょ?」
「そんなの千早ちゃんだって、死にたくないはずだよ!」
「私は、自らの望んでいるのよ。」
半分本当だ。もう私はこれ以上春香に迷惑を掛けられない。こんな例えが正しいかは分からないが、今の私は野武士のような気分だ。大切な人を守るために、自ら死にに行く、そんな気分である。
「でも・・・彼のこと好きなんでしょ?」
その通りだ。だから、半分はウソだ。本当は、私は・・・彼に会いたい。優しかった彼の懐で泣いてみたい。優しく、慰めてほしい。だけど、そんなことは叶いはしない。
「確かに・・・私は今も彼のことを慕っている。」
「だったら、私と同じじゃない!」
春香の声が震えている。その声は、怒りに満ちているようだった。
「何をムキになっているの、春香?」
「私・・・こんな結末は嫌だ。何もかも千早ちゃんに恵んでもらって、命さえも・・・もらえないよ。」
「でも、春香だって死にたくないんでしょ。」
「・・・・・。」
春香は言い返せずに黙ってしまう。春香の言いたいことはわかる。きっと春香は自分のことを恥じているのだ。春香は私のことを疑っていた。春香を害するつもり何て微塵もなかったのに、春香は私のことを疑ってしまった。私が、望月先輩のことが好きなのに、春香と同じように好きなのに、春香に彼を譲って死のうとしている。命を懸けて用意した据え膳だけに、春香は素直に手を付けることができないのだ。
「じゃあ、春香。こうしましょう。さっきの春香の提案、私は受け入れるわ。」
「さっきの提案って・・・。」
「彼を射止めていた方が、生き残る。」
別に記憶を取り戻したわけではない。私と春香の、望月先輩を巡る悲しい闘争、その勝者がどちらだったのか、はたまた私たちでない誰かだったのかは全く分からない。
でもなんとなく、感じるのだ。
今の状況は、あの時、春香から先輩を巡って恋のさや当てをしようと提案されたときによく似ている。あの時の私は、とても当惑していたはずだ。そんな記憶がある。私は春香に負い目を負っていた。私のせいで春香は犯罪者となった。そしてその時の私は、春香を欺いていた。春香の母親の失踪は、私の手によるものではないのに、春香の信頼を獲得するためにあえてずっと黙っていた。
そんな私は、果たしてどうするだろうか。本当に春香と真剣に戦って、望月先輩を勝ち取ろうとするのだろうか。
「いいの?本当に。」
「春香の方こそいいの?結果次第では、春香が死んじゃうんだよ。」
「・・・バカにしないでよね!私だって・・・死ぬってなったら・・・その・・・。」
大丈夫だよ春香。私は、多分、あなたに譲っている。
そう言おうと思ったけれど、口を開くことができなかった。私には一抹の不安がある。私の心の奥底でうずくわだかまり。もしかしたら、春香に何か酷いことをしてしまったのではないかという不安感、その心に残るモヤモヤが、私の口をつぐませていた。