第3節 太陽と月
10月下旬のことだった。この日、私と春香は、部室で語学の課題に取り組んでいた。
「あー、もう全然終わんないよ。千早ちゃん、半分だけでいいから、宿題手伝って。」
春香はドイツ語の翻訳の課題に悪戦苦闘していた。
「春香、自分で課題をやらないと意味ないでしょ。」
私は春香を嗜めるが、春香も切羽詰まっているらしい。
「明日、ドイツ語の翻訳の発表なのよ。私が担当なのすっかり忘れてて、今大変なのよー。お願い、手伝ってくれたら何か奢るから。」
「もー、しょうがないわね。じゃあ、私の電子辞書貸してあげるから、それでやってみなさいよ。結構サクサク進むわよ。」
「ほんと!ありがとう!」
「春香もドイツ語翻訳付きの電子辞書買った方がいいわよ。ゲームばっかり買ってないでさ、全然効率が違うんだから。」
「うん・・まあ、お金が溜まったらね。」
春香はいつもこうだ。春香はお金が溜まると、すぐ新しいゲームを買ってしまうのだ。一緒に住んでいるから、私の電子辞書を貸してあげられるけど、私のに頼りっきりなのは何とかしてほしかった。
しばらくして、望月先輩が部室に入ってきた。どうやら、今日は雪村さんは一緒ではないらしい。
「望月部長、いらっしゃい。」
春香が声をかける。
「春香ちゃん・・・その『部長』っていうのやめてくれない。なんか、照れくさくってさ。」
「そうですか・・・、かっこいいんだけどなー『望月部長』って。」
もしここに雪村さんがいたら、こんな風に突っ込んでいただろう。
(「望月部長」じゃなくて、「望月社長」と呼びなさない。彼は私と結婚して、将来社長になるんだから)
そして、望月先輩が苦笑いをするのである。
「二人とも、勉強しているんだ。」
望月先輩が声をかけた。
「ええ。思いの外静かでしたから。」
部室には、私たちのほかに、美希、伊織、雪歩がいたが、美希は昼寝をしているし、伊織は音楽を聴きながら読書にふけっている。雪歩はなにやら書きものをしているみたいだった。
春香が偉そうに言う。
「私は、どんな環境でも課題をやるつもりでしたけど。」
「春香ってば、明日発表のドイツ語の宿題、今から手を付け始めたんですよ。それで、終わらないから手伝ってて。信じられないですよ。」
「うわー、ばらさないでよ。」
先輩はハハハと笑っていた。先輩が、春香のもとに置いてある私の電子辞書を指さした。
「あっ、ドイツ語付きの電子辞書ついに買ったんだ。これがあると便利だよね。」
「いえ、それ私のです。」
「あれ、そうなの?」
「いざとなったら、千早ちゃんが貸してくれるから、買ってないんです。」
「よくも堂々と・・・、春香、もう次は貸さないわよ。」
「ひえー、それだけはご勘弁を。」
先輩はまたしても笑っていた。
「じゃあ、せっかくだし僕も課題をしていこうかな。」
先輩はサークル室に上がり込むと、春香の隣に座り、カバンの中から、レポート用紙を取り出した。
春香が先輩に尋ねた。
「望月先輩、それは?」
「政治社会学のレポート。」
あれ、確か望月先輩は法律学科のはず。そんな科目取らなくていいはずなんだけど。
「先輩って確か、法律学科ですよね。どうしてそんな科目を?」
私は先輩に尋ねた。
「面白そうだったし、将来の参考になるかなって思って、履修したんだけどね。結構レポートがあるみたいで、大変な科目だよ。」
「そうなんですか。」と春香。
「法律学科の授業ってあまりレポートないから、新鮮なんだよね。」
春香がいたずらっぽく聞いてみる。
「先輩、その科目だったら私も取ってますから、レポートの中身を見せてあげましょうか。」
「いや、大丈夫だよ。自分で考えないと勉強にならないからね。」
さすが、先輩。春香とは身構えが違う。
「そうですか・・・」
そこまでがっかりしなくてもいいじゃない。私が先輩に言った。
「時間がありますから、ゆっくりやりましょう。分からないところがあったら、聞いてください。私もその授業履修していますから。」
「ありがとう、千早ちゃん。参考にさせてもらうよ。」
春香が「私も私も」と指をさしてくる。
「分かった分かった。春香にも聞くから。」
こうして、各々が作業を開始した。恐らく1時間ほど課題に取り組んでいたと思う。春香が「疲れたから休憩しよう」と言い出した。
「お茶淹れてきますね。望月先輩と千早ちゃんは、そこで待っててくださいね。」
春香が給湯スペースへと向かっていった。
「千早ちゃんは、課題進んだ?」
「ええ、春香が静かなお陰で進みました。」
先輩は笑っている。後ろを振り返ると、春香が睨んでいる。
「僕のほうもだいぶ進んだよ。あと1時間くらいあれば、完成しそうだね。」
「そうですか・・・。課題は難しいですか?」
「そんなことないよ。今まで習ってきたことを駆使して考えれば、そこまで難しくはない。そっちはどうなの?ドイツ語のほうが難しいような気がするんだけど。」
「いえ。確かに、紙の辞書で引くと面倒なんですけど、電子辞書さえ使えれば、そんなに大したことはないです。」
「そっか。でも今は電子辞書取られているよね。」
「そうなんですよ・・・だから、紙の辞書で引かなくちゃいけないから大変。」
と言って、春香の方をにらんでみる。春香はどこかそっぽを向いていた。
先輩はゲラゲラと笑っていた。
ふと、望月先輩がこんなことを言い出した。
「それにしても、春香ちゃんと千早ちゃんって対照的だね。」
「えっ。」
「春香ちゃんは明るく元気で、千早ちゃんは物静かでおしとやか。まるで太陽と月みたい。」
太陽と月か・・・。
「えっ、何々?私がかわいいって?」
「春香、かわいいとは言ってないわ。『明るく元気』とは言ったけどね。」
私が春香に突っ込みを入れた。
「春香ちゃんは、『明るくて元気で“かわいい子”』だよ。」
「ほら、やっぱりかわいいって言ってたじゃん。」
「今追加してくれたのよ。春香が催促するからね。」
先輩はケラケラ笑っていた。
望月先輩が私たちに尋ねた。
「二人は対照的だと思うけど、こんな対照的な二人が、どうやって友達になったのか、その馴れ初めを聞きたいなー。」
馴れ初めね・・・。はっきり言って、普通の出会い方はしていない。だから、なるべく話したくないのだ。
私たちは顔を見合わせた。
そして私の気持ちを汲み取ったのか、春香がこんな風に言った。
「それは秘密です。乙女の秘密。」
「何それ、気になるなー。」
春香は私の方を見つめていった。
「私と千早ちゃんの出会いは、とても大切な思い出なんです。だから、たとえ望月先輩でも、それは教えられません。」
「ええ。春香の言う通り。これは私と春香だけの秘密です。」
ありがとう。春香。私は心の中でそう念じた。