第5節 財閥の理論
「千早が、私を誘うなんてどういう風の吹きまわしかしら。」
数日の後、私は水瀬さんを、美希を呼んだときと同じカフェへと呼び出した。伊織には、いろいろと問い詰めておかなければならないことがある。
「ちょっと、水瀬さんにいろいろと相談しておきたいことがあってね。」
「ふーん、まあ、なんとなく想像はついているけど。」
「まずは注文を取りましょうか。」
私は前回と同様にホットコーヒーを、水瀬さんも同じものを注文した。
「で、一応聞くけど、相談事って何かしら。」
「望月先輩のことなの。」
やっぱりね、水瀬さんはそういう表情を浮かべた。
「で、どういう内容?」
「単刀直入に聞くけど、望月先輩は、私と春香、どちらを好きでいると思う?」
何だそんなことか、と言わんばかりの顔だ。
「そんなの春香に決まっているでしょ。詳しくは分からないけど、普段のあんたたちの様子を見ていたら、春香と話しているときのほうが、望月も楽しそうじゃない。」
確かに、普通だったらそう見ると思う。伊織の見立てが間違っているとは思えない。美希の見立ては、少し楽観的過ぎるところがあるように思うのだ。
「それで、私に春香から望月を奪うよう協力してほしいってこと?」
「そういうことじゃない。ただ、水瀬さんの見解を聞きたいだけ。」
「そう・・・。じゃあ言わせてもらうけど、春香、千早、雪村さん、この3人のうちで、望月が最も好意を示しているのは春香。これは群を抜いてる。その次に、『女友達としては好きな方』の位置に千早、そしてうっとしいと思われているのが雪村さん。そして、先輩はもしも許嫁と結婚するという制約さえなくなれば、春香と付き合いたいって思っている。どう、これが私の見解。」
間違いない。水瀬さんの言う内容に、間違いはないと思う。水瀬さんの認識は、私の認識と同じだ。
その時、店員がホットコーヒーを運んできた。
次に私は「太陽と月」の話について、聞くことにした。
「ねえ、水瀬さん。望月先輩は、春香と私のことを『太陽と月』ってなぞらえたの。それについては、どう思う?」
水瀬さんは、思わず吹き出していた。
「あの人も、なかなか面白い表現をするわね。」
その表情には、明らかに嘲笑の色が浮かんでいた。普通だったら笑われる。予想はしていたけど、ここまで露骨だと腹立たしい。確かに、望月グループと水瀬グループはライバル関係だとはいえ、少し行き過ぎではないか。
水瀬さんは、コーヒーにミルクと砂糖を入れていた。
「それで、その表現はどう思うの?」
「どうも何も、春香と千早の関係そのものじゃない。自分で認識しているかどうかわからないけど、千早、あんたは春香に依存しているの。だから、『太陽と月』」
ここは美希と同じ見解のようだ。
「それが何か重要なの?」
そういわれると、答えに窮する。
「私と春香、どっちが好きなのかに関係するかと思って。」
「関係するんじゃないの?春香と千早、どっちが好きなのか。答えは見えているじゃない。」
水瀬さんの言おう落としていることは分かる。根暗な私に、望月先輩は興味を抱いていないということだ。
心を落ち着かせるために、コーヒーに口をつける。
「もう一つ聞かせて。最近、春香に入れ知恵をしているのはあなたなの?」
水瀬さんは、怪訝な顔を浮かべた。
「どこでその情報嗅ぎつけたの?」
間違いない。水瀬さんが春香を焚きつけているんだ。その上で、多分春香に口を割らないよう厳命してある。
「言っておくけど、春香じゃないからね。」
「でしょうね。あの子、芯はしっかりしてそうだから、口を割るとは思えないし。」
その見立ては正しい。春香は、一度決めたことは曲げたりしないのだ。
「ソースは明かさないわよ。」
「当然。ジャーナリストを目指しているなら、取材源は死守しなきゃ。いいわ。大体見当がついているし。」
私は水瀬さんをにらみつけた。
「どうして・・・春香に余計な真似をするの?」
「それは、あなたも推理できるんじゃないの。」
「質問に答えなさい。どうして・・・春香に危険な道を選ばせようとしているの。」
やれやれという表情を見せつつも、水瀬さんは静かに口を開いた。
「私の財閥と望月グループがライバル関係にあるのは知っているわよね。望月と雪村さんの婚姻がなくなれば、ライバルである望月グループを邪魔できる。だからよ。」
やはり、二人の縁談を邪魔することが狙いだったわけか。
「春香を、財閥のための道具としてしか見てなかったわけね!」
「別に、そういうわけではないわ。」
「嘘よ!」
私は水瀬さんを鋭くにらみつける。
水瀬さんは、コーヒーに口をつけた。私の眼力に動揺しまいとしているのか。
「春香は自分で私に協力する道を選んだの。別に強制したわけではない。すべて彼女の意思。私はその意思に沿うようアドバイスしているだけ。」
「春香はそれが危険な道であるって知らないのよ。ただの大学生同士の恋路の問題じゃない。」
彼女は否定する。
「そんなはずはないわ。私はちゃんと警告しているの。私が春香にこの話を持ち掛けた時にね。これは危険な道だって。」
「春香が、自らその『危険な道』を選んだっていうの!?」
「そうよ。」
そんなバカな・・・。
「どんな言い方をしたのよ。まさか曖昧な言い方をしていないでしょうね。」
「そんなの覚えてないわよ。ただ、直接的に『死ぬかもしれない』なんて言ってないわ。」
「それじゃ、ちゃんと伝わってないじゃない!」
思わず語気が強まる。
「ただ、『元には戻れなくなる』とはちゃんと警告したわ。その上で、春香も同意しているのよ。」
「嘘よ!そんな大事なこと、私に相談もなく決めるはず・・・」
「あんたに相談できないから、一人で決めているんじゃない!」
そうか。私は春香にとって恋のライバル。そんなこと相談できるわけがない、でもだからと言って、こんな危険な道を選ばなくたっていいじゃない・・・。
水瀬さんも応酬する。
「だいたい、どんなリスクがあるなんて、分かりはしないのよ。上流階級の世界は、あんたたち庶民には理解できないの。そこに足を突っ込む以上、身ぐるみはがされたって文句は言えないわけ。正直どうなるかなんて、私だってわからないんだから。」
「そんないい加減な認識で、春香を巻き込んだっていうの!?」
気づけば、大声を張り上げて立ち上がっていた。
水瀬さんは、落ち着き払った感じでコーヒーを飲んでいる。
「千早、少しは落ち着きなさい。ここは部室じゃないのよ。」
周りを振り返った。周囲が驚いたような眼でこちらを見ている。冷静さを取り戻し、席に着いた。
「春香は・・・あなたたちのおもちゃじゃないのよ・・・。」
心が痛い。そんな認識で、春香を危険なゲームに誘い込むなんて・・・。
「別に、あんたに同情を買わせるつもりじゃないんだけどね。私だって、こんな事好きでやっているわけじゃないの。対立財閥を妨害するために、人の色恋にまで手を出すなんて、正直ばからしいと思っている。春香のことは、いい子だと思っているし、できればこんなことに巻き込みたくないって思ってる。けどね、それが私の役割なのよ。世の中には、やりたくなくてもやらなくちゃいけないことがあるって、あんたならわかるでしょ。」
どうして・・・どうして水瀬さんは、そんなに平気な顔をしていられるの・・・?人一人、命まで危うくなるかもしれないっていうのに・・・。
「心は痛まないの?こんなことをして。」
「・・・・・」
「水瀬さん!答えなさい!あなたの良心は、痛まないの!?」
「ノブレス・オブリージュ」
えっ、どうしてこの単語がここで・・・。
「私もね、グループ15万人の人生を抱えている一族の一人なのよ。普段、楽そうに見えるかもしれないけど、私たちの双肩には、彼ら15万人の生活が圧し掛かっているの。その彼らの生活を守るためには、文字通り、なんだってやらなくちゃいけない。もちろん、汚いことだってね。」
水瀬さんがコーヒーカップを手にして、一口すすった。
「上流階級の世界では、汚いことはたくさんある。その一つ一つに心を痛めていたら、正直心がいくつあっても足りないの。」
「つまり、春香をおもちゃにしていても、何にも感じない、そういうこと?」
水瀬さんは、悪びれる様子もなく、コーヒーカップに目を落としている。
「水瀬さん、あなたは壊れているわ。とてもまともな人間とは思えない。」
「・・・失礼な言い口ね。ま、でも間違ってはいないわ。そうよ、私は壊れているの。私はあんたみたいな真人間とは違う。」
水瀬さんがコーヒーのお代わりを注文した。
しばらく無言が続いた。私は相変わらず水瀬さんをにらみ続けている。
「コーヒー冷めるわよ。」
「あなたには関係ないでしょ。」
はあー、と水瀬さんはため息をつく。
「これは、春香にも言ったことなんだけど・・・」
水瀬さんが再び口を開いた。今度は何が飛び出すというのかしら。
「春香には、『不倫』という道も薦めたわ。正妻に隠れて好を通じる。決して、結婚することはできないし、子供も作っちゃいけない。ばれたら多分そこで終わりだし、いつ捨てられるかもわからない。望月だって無傷じゃ済まないかもしれない。世間的には全く称賛されないし、本人には、ただ満足感しか残らない。そんな人生を棒に振るような選択肢もある。」
「春香は、なんて答えたの?」
「・・・できれば彼と結婚したい。でも、できなかったら、それでもいいって。」
「そんな・・・」
春香は、そこまで考えていたというの・・・。春香・・・そんなのでいいの?やっと手に入れたあなただけの人生、そんな風に使ってしまって、本当にいいの?
私は水瀬さんに問いたい。
「水瀬さん、あなたは、それで春香が幸せになれるって本気で思っているの?」
しばらく考えたのち、彼女は口を開いた。
「本人がそれでいいというんだから、それが本人にとって幸せなんじゃないの?春香が幸せなのかどうかなんて、私がどうこう言える問題じゃないし、千早がどうこう言う問題でもない。それはあくまで、本人が決めることなのよ。」
言い返せない。水瀬さんの言っていることは正論だ。結局、本人が幸せだと思うなら、それでいい。だけど、本当にそれでいいのだろうか・・・。
その時、水瀬さんが注文していたコーヒーのお代わりが届いた。彼女は、ミルクと砂糖を入れて、スプーンで丁寧にかき混ぜている。
待てよ・・・。水瀬さんは、望月先輩と雪村さんの縁談を邪魔することが目的だと言っていた。そしてその為に春香を支援しているって。だけど、いくら水瀬さんや水瀬財閥が裏から手を回していると言っても、先輩が雪村さんと結婚するっていう意志はすごく強いし、それを変えられるはずもない。それは、水瀬さんもわかっているはず。
じゃあなんで、接触してきたんだ。縁談を邪魔できる可能性は少ないというのに・・・。まさか・・・。
「水瀬さん・・・あなたもしかして、ワザと春香に入れ知恵したのね。『不倫』って選択肢を。」
水瀬さんはすました顔でコーヒーに口を付けている。
「あなたの本当の狙いは、春香に先輩と不倫をさせること。そしてそれを世間にバラして、望月財閥の権威を傷つけること、違う!?」
水瀬さんは間髪入れずに問いかけてきた。
「それで。あんた自身はどうしたいのよ?」
私?
「どうしたいってどういう意味よ。質問をはぐらかさないで!」
水瀬さんは、あきれたような表情をしながら、私の言葉を無視していく。
「あんたは望月をどうしたいの。自分が奪いたいの、それとも春香に諦めさせたいの?」
「やっぱりそれが狙いだったのね・・・。春香はそれを知っているの?自分が不倫をしているってことをバラされるって・・・。」
水瀬さんは私から目を逸らすように、コーヒーの中を覗き込んでいる。
ドンッ!
私は思わずテーブルを叩いていた。
「水瀬さん!」
「・・・春香にはそれとなく伝えてあるわ。『春香が幸せになることは保証できない』って。」
「それだけ?」
「それだけ。」
そんな言葉じゃ伝わるはずがないじゃない・・・。
「このこと・・・望月先輩に報告するわ。あなたが邪悪な意図を持って春香を操っているって。さぞ、大変なことになるでしょうね。」
しかし私の脅し文句にもかかわらず、水瀬さんはピクリとも顔を動かさない。
「いいの?そんなことをして困るのはあなたたちじゃないかしら?」
「どういうことよ。」
「簡単な話。春香は私と共謀していた。共謀して、望月を財閥のトップから引きずり降ろそうとしていた。そんなことを知ったら、彼は、春香のことをどう思うかしらね。」
そうか・・・。そんなことを知ってしまったら先輩は、春香のことを敵視せざるを得なくなる。
「結婚とか不倫する以前に、千年の恋も冷めるでしょうね。それでいいのかしら?」
くっ・・・。
「それよりも、アンタの気持ちはどうなの?私はどっちが望月の心をゲットしようと関係ないのよ。彼の縁談さえ邪魔できればいいんだから。」
私は・・・分からない。気持ちとしては、できれば望月先輩と一緒に居たい。けど、それはかなわないのだ。そして、春香にそれをかなえさせたいと思っても、多分それもかなわない。
私に春香を止める資格などない。春香を犯罪者にしてしまった私には。私の願いは、春香が幸せであること。そして、もしたとえ叶わぬ恋であるとしても、先輩と一緒に居られることが春香の幸福ならば、私は・・・春香の気持ちを尊重するべきではないか。
「今は・・・何とも言えない。頭が混乱していて、よくわからないの。」
「よくわからないんじゃ、こっちも何もしようがないわね。」
伊織はコーヒーカップを置いた。
「別に私は、水瀬さんに何かしてほしいってわけじゃない!。ただ、私の願いは、春香を物みたいに扱わないでほしい。春香はあなたたちのおもちゃじゃない!」
ふう、と水瀬さんはため息をつく。
「すっかり、私は悪者扱いね。まあ、実際自分でも悪いことしていると思っている。けど、こっちも遊びでやっているわけじゃない。それは分かってほしい。」
「・・・それは分かってる。だけど・・・。」
許せないよ。いくら財閥の為だからと言って、こんなやり方で春香を手駒にして、傷つけようとするなんて・・・。
水瀬さんが再びカップを握り、コーヒーに口をつける。そしてコーヒーカップをソーサーの上においた。はあーというため息をついて、彼女は語った。
「もう潮時ね。」
「・・・どういう意味かしら?」
私は水瀬さんをにらみながら、今の意味深な発言の真意を求めた。
「私、このサークルやめることにしたから。」
「春香にちょっかい出すの、やめてくれるの?」
「ええ。そうするわ。企みがバレてしまった以上、これ以上ここにいるわけにはいかないから。」
「もう二度と春香の前に顔を見せないで。あの子の不利益になるようなことはしないで頂戴。」
「分かってるわ。」
水瀬さんは窓の外を見つめていた。そして呟くのだ。
「多分、美希から聞いたんでしょ。私が陰で糸引いてるって。」
私は何も答えなかった。水瀬さんは、その沈黙を肯定と捉えたようだった。
「千早、アドバイスしておくけど、核心を突かれたときは、嘘でも『違う』って言っておくものよ。取材源は記者にとっての命なんだからね。それにしても・・・あの子、本当に恐ろしいほどに勘が冴えてるわね。」
「あなた、美希に何するつもり?」
私はどやしつけながら、水瀬さんを詰問した。美希は何も悪くないのだ。私が美希に相談したために、美希にもしものことがあったら・・・。私は手でこぶしを作り、ぎゅっと握りしめた。
「誰にも言わないよう口止めするだけよ。」
「どう口を封じるつもりかしら。私だって、あなたが黒幕だってことを知っているのよ。美希に何かしようとしたら、私がただじゃおかない。」
私は強い口調で水瀬さんを脅迫した。もし水瀬さんが美希に粗暴なことをすれば、私が先輩や雪村さんにちくってやる。
やれやれといった感じで、首を横に振った。
「美希にお願いするだけよ。平和的かつ合法的にね。」
水瀬さんは、望月先輩と雪村さんの縁談を邪魔しようとした。そのことが雪村さんに知れるのは、水瀬さんにとって相当まずいことのはず。これを水瀬さんへの脅迫材料にすればいい。いわば、抑止力だ。もちろん、諸刃の剣だが、立場のある水瀬さんを思いとどまらせるには十分なはず。
またお互いに無言になってしまった。重い沈黙の中で、カフェの陽気な音楽が場違いさを際立たせている。水瀬さんは、2敗目のコーヒーも飲み終えたようだ。
「まだ何か話があるの?もうそろそろお暇したいんだけど。」
水瀬さんが、解散するよう求めてきた。もう話すべきことは、すべて話した。もう彼女を解放してもいいだろう。
「もう・・・ないわ。」
「そう、じゃあ私は帰るから。」
そう言って、水瀬さんは自分の財布から1万円札を十枚ほど取り出し、伝票に挟んだ。
「コーヒー代にしては多いんじゃないかしら。」
私は皮肉を込めて、言い放った。
「詫び料こみよ。」
水瀬さんは自分のカバンを肩にかけると、ゆっくりと立ち上がった。
「私、許さないから・・・。」
一瞬、動きが止まったかのように見えた。
「どうぞ、ご勝手に。」
水瀬さんは、私を一瞥することなく、その場を立ち去った。