第7節 自分の為の死 残り33時間
目を開くと、まだそこは暗い監獄の中だった。どうやら記憶を取り戻そうとして目をつぶったら、うたた寝をしてしまったらしい。
春香は部屋の中央から右側あたりで、タイムカウンターの方を向いて、胡坐をかいている。その目はまっすぐと、無機質な黄色い蛍光色の数字を見つめている。
私はゆっくりと立ち上がった。ゆっくりと手足を伸ばして「伸び」をする。一日中座ってばかりいると、体中が痛くなってしまうのだ。私は閉じ込められている間、何度もそうやって「伸び」をして、体をほぐしていた。
「起きたんだね。」
そう言って、振り向いた春香の顔は、ひどくやつれていた。
「ええ・・・。」
私は顔をさする。鏡がないから自分の顔は分からないが、私も春香と同じように、ひどくやつれているのだろう。ただ、泣いても笑っても、この生活はあと33時間以内に終わる。どういう結末になるにせよだ。
「ずっと起きてたの?」と私は尋ねた。
「うん、何か思い出せるかなって思って。」
「それで、何か思い出せた?」
「楽しい思い出ならね。」
「サークルでみんなで遊んだところとか?」
「そんなところかな。」
「あとは?」
「・・・何も。」
「そう・・・。」
春香も立ち上がって伸びをする。
「ふあぁー」
あくびも出ていた。
「春香も少しは寝たら?眠いんでしょ?」
春香がもう一度私の方を振り返る。
「うん、まあね。」
もしかしたら、まだ私のことを疑っているのだろうか。寝首を掻かれることを疑って、眠りにつけないというのだろうか。
「ねえ春香、もし私のことが気になるなら、私の腕、縛ってくれていいよ。」
そう言って私は脱ぎ捨てた私の細身のジャケットを指さした。
春香は笑って否定する。
「そういうことじゃないの。ただ、怖いだけ。」
怖い「だけ」、春香は軽く言うのだが、彼女の心の中の孤独感は、どのような言葉でも言い表せないだろう。私は、そんな彼女を少しでも安心させたいと思ったのだ。
「私、思い出したの。寝ていた時に。」
春香は、半分期待、半分不安に思っているという表情をしている。
「さっき、私たち、『太陽と月』って話をしたよね。春香は太陽、私は月だって。」
「うん。」
「その話、どこかで聞き覚えがなかった?」
春香は頭に?が浮かんでいるようだ。
「ごめん、全く覚えてない。」
「そう。実はね、それって望月先輩が言った言葉なの。」
「えっ!?そうなの?」
「彼はね『春香ちゃんは明るく元気で、千早ちゃんは物静かでおしとやか。まるで太陽と月みたい。』って言ったのよ。」
「へえー、ロマンチストだね。」
「ちょっと、くすぐったい感じもするけどね。」
春香はケラケラと笑っている。
「そうだね。で、それがどうしたの?」
「その言葉、私すごく気になってたの。春香は太陽で、私が月ってどういう意味なんだろうって。」
春香は眉を潜ませる。
「それって意味があることなの?」
「きっと、先輩がその場のノリで言っただけのことだと思うわ。大した意味はない。だけど私は、その言葉が私たちの関係、先輩と私、先輩と春香の関係を意味しているんじゃないかなって思ったの。」
「深読みしたんだね。」
「きっと、それ自体は意味がない言葉だったんだと思う。だけど私は気になっていたから、水瀬さんと美希に相談したの。」
「それ初耳だと思う。その言葉がどういう意味かって聞いたの?」
「うん、そういうこと。」
「なんて返ってきた?」
私は少し春香から目を逸らした。なんだかんだでこんなことを言うのは、少し気恥ずかしい。
「水瀬さんは、私が、春香に依存しているって。だから、春香が太陽で、私はその光に照らされているだけの月。」
「そういう解釈もあるんだね。」
「何も言い返せなかった。だって事実だったから。」
春香は押し黙っている。
「じゃあ、美希は?美希からはなんて返ってきたの?」
「美希からは・・・二つの意味があるって。一つは、水瀬さんが言ったみたいに、私が春香に依存しているって。」
「もう一つは?」
「美希の言い方だと、春香はまぶしい太陽だから、眺める対象じゃないけど、私は月だからうっとりできるみたい。」
「んんん?どういうこと?」
やっぱり、美希の独特のセンスは、常人にはすぐには理解できないみたいだ。
「私は、周りを魅惑しちゃうみたいなの。月を見てうっとりってそういう意味らしい。」
「魅惑ね・・・。」
「美希が言うには、私からは不幸なオーラが漂っているらしいわ。庇護欲求を掻き立てるような何かがあるらしいの。」
「あー、それはあるかもね。」
「分かるの?その感覚。」
「わかるわかる。だって、そういう感覚抱いていたもん、私も。」
そうだったんだ・・・
「私、春香も魅惑していたってこと?」
「そうだね。魅惑されちゃったな。」
私は苦笑した。
「私はとんだ魔性の女なのね。」
「自覚が無い時点で、相当危ないよね。」
「うるさいわよ。」
春香もクスクス笑っている。
「美希は、びっくりするほど私たちの関係を見抜いてた。本当に鋭い子。恐ろしくなってしまうくらいだった。」
「確かにね。」
「でも、美希ってかわいいわね。いで立ちとかファッションは、センスあって大人びているのに、中身はある種子供っぽい純粋さがある。何でも正直に話してくれて、裏表がない感じが、すごくかわいい。それに私に、親近感を持ってくれてるみたいだし。」
「知らず知らずのうちに美希も魅惑しちゃったんじゃないの。」
もしかしたらそうかもしれない。どうも私の「チャーム」は、男女関係ないみたいだ。
「冗談じゃなく、そうかもね。」
「それに比べて私は、ただウザがられているだけだったかな。」
「明らかにムードメーカーだったわよ。本人が自覚していないのが、一番問題ね。」
私は言い返してやった。
「そうじゃなくて、先輩に対して。」
「先輩に?まさか~」
それでも春香の顔は浮かない。
「私、とてもじゃないけど、先輩に好かれていたとは思えない。」
「どうしてそう思うの?」
「・・・なんとなくだけど、私の頭の中にある先輩のイメージは、私のアプローチに、いつも適当な笑顔で返してくれるだけって感じだった。口では『ありがとう』とか、『春香ちゃんは気が利くね』って言ってくれていても、心からそう言ってはいないような、何ていうか・・・社交辞令みたいな感じがするの。」
それは・・・私のイメージとは違う。先輩が春香と話すときは、とても楽しそうだった。私なんて、単なるお邪魔虫に過ぎない、サークルの中で何度もそう感じてきたのだ。
「春香、それは記憶違いだと思うわ。春香と話しているときの先輩は、とてもいきいきとしていた。春香から元気をもらっている、そんな感じがしたわ。」
春香は閉口している。自分の中の先輩のイメージとはあまりにもかけ離れていることに当惑しているのだろう。
「春香は、多分ずっと不安だったんじゃないかな?自分ではなくて、先輩は私に惚れているんじゃないか。自分と仲良くしてくれているけど、本当に好きなのは、春香じゃなくて私だと、そういう不安に苦しんできたんじゃない?」
春香はさらに顔を背けた。その脊髄反射的な拒否反応で、たちどころに理解できた。
「でもそれは違うんだよ、春香。」
私は一呼吸置く。
「あの人が、私を気にかけていたのは、別に私のことが好きだったからじゃないと思う。」
「じゃあ、何だっていうの?」
重みがかかった声が耳に響く。
「あの人は、私に同情していたの。私があの居酒屋で事件を起こして以来、先輩は私の人生が不幸にまみれていることを悟った。だから、あの人は私の身を案じて、同情して、私に接していた。ただそれだけ。」
春香は依然として顔を背けたままだ。信頼できない、そう表情が語っている。
「美希が言っていたことは正しかったのよ。私は、知らず知らずのうちにあの人のことを魅惑していたのかもしれない。だけどそれは、私の『魔性』が彼の心をゆがませただけ。彼が真に愛していたのは・・・ほかならぬ春香だったのよ。」
春香は私の方に顔を向けた。その表情は、目つきは、まるで私を睨み付けているかのようだ。
「春香の決意は本物だった。多分まだ思い出していないのかもしれないけれど、春香は、自分の夢を見つけたのよ。生きる目的も見つけられず、ただ漫然と大学に通っていただけのあなたが見つけた夢。」
「夢・・・?」
「彼の『太陽』になること。たとえ、自分自身は陽の当たらない人生でも構わない。浮村さんが先輩と結婚して、春香は望月先輩の不倫相手という形でもいい。あの人を元気にしてあげられる、心の支えになってあげられるのは自分しかいない。春香は・・・春香は・・・その人生を・・・先輩に・・・。」
春香の健気さを思うと涙がにじみ出てくる。
「だから私は、春香に先輩を譲ることにしたの。」
春香が驚いて目を見開いた。
「それ・・・本当なの?」
「本当よ。だから私はあのサークルを辞めたの。あのサークルにいると、『魔性』の私は、先輩を誘惑してしまうから。そうしないために、春香に先輩を射止めさせるために、私はテニスサークルを辞めた。」
「そんな・・・。」
「すべて事実よ。私は、春香の決意を思い知った。先輩のことを、春香は心の底から愛していた。だから私は、喜んであなたに先輩を譲ったの。まだ、思い出せない?」
春香はその場にペタンと座り込んでしまった。そして頭を抱えている。私もかがみ込み春香の目の前で言った。
「先輩は、春香のものよ。」
「千早ちゃん・・・知ってたの?自分が先輩を譲ったってこと。」
「・・・正直に言えば、知っていた訳じゃない。ただそんな予感はしていたの。いくら記憶をなくしているとはいえ、私は私。自分の行動ぐらい、ある程度は予想がつくものよ。」
「そんなの・・・ずるいよ。」
「ずるでもなんでもない。ルール通りよ。先輩の心を射止めたのは、春香だった。だから、春香が生き残り、私が代わりに・・・。」
複雑な気分だろう。それはそうだ。春香からして見れば、とんだ出来レースに載せられたようなものだ。
私はゆっくりと立ち上がった。そしてタイムカウンターの電光掲示板を見つめる。あと32時間20分・・・。
まだ1日あまり時間がある。私にとって、最期の日だ。春香は、この結果を受け入れてくれるのだろうか。いや、受け入れてくれないと困る。そうでなければ、先輩の命も失われてしまう。そんなこと絶対にできない。
春香の気持ちは痛いほどわかる。自分でも夢想していたからだ。私が春香を殺して、先輩と一緒にここを出たときのことだ。
私は、きっと先輩に会いに行く。そして私は・・・先輩のことを誘惑してしまうかもしれない。そうやって、私たちは結ばれるのかもしれない。でも、きっと仮にそうやって結ばれた私は、何度も後悔することだろう。
私たちが結ばれたのは、春香が犠牲になってくれた、「犠牲になってくれた」なんて虫のいい言葉。有体に言えば、先輩欲しさに春香を殺した、そういう後悔の念が渦巻くのだろう。そうやって、何年も、はたまた何十年も苛まれ続けなければならないのかもしれない。
私のせいで人生を狂わされた春香が、私のせいでその命までも奪われる。その光景は、私にとってとんでもなく苦痛だ。だから私は、その苦痛から逃れるために死を選ぶのだ。私の死は、春香の為ではない。自分の為。
春香の立場にとって考えれば、ある意味これは生きるより苦しいのかもしれない。春香は、生きることを強く望んだ。それこそ、私に敵意を向けるほどに強く「生」を願った。そして私は、春香のために死ぬ。それは春香からすれば、「自分のわがままのせいで千早ちゃんが死ぬことになった」という強い後悔の念を植え付けることになるだろう。たとえもし、ここから出た後に、春香と先輩が結ばれたとして、それは自分の力によるものと思うのだろうか。私が冥界へ去って、ライバルではなくなったから、そう考えるのではないだろうか。
これはある種私のわがままなのだ。私が筋を通すためのシナリオ。本当だったら、お互いに死にたくないと願い、苦渋の決断の中で私が死を選択する、という方がきっと春香にとっては幸せだ。
でも私は、生きることをもう諦めてしまった。どうでもいいと思ってしまったのだ。よみがえる記憶に恐怖を抱き、殺されたいと願ってしまった。
そんな私のわがままが、春香の心を締め付ける。
「少し、時間がほしい。」
春香はつぶやいた。
「いいわ。ゆっくり・・・考えて、決心して。」
「・・・・・。」
春香はそれっきり固まってしまったようだった。