第15章 クリスマスの夜 残り27時間 天海春香
第1節 真犯人はあの人!?
あれから私は横になって、気づけば瞼が重くなっていた。
私は夢を見ていた。とても恐ろしい夢だ。私はテニスサークルの中で、千早ちゃんや望月先輩、それから美希、伊織、あとは猿渡さんに京極さん、みんなに囲まれてワイワイ楽しくトランプに興じているのだ。
だけど次第に様子が変わっていく。みんなの顔が、体がドロドロと溶け出すのだ、私はその異変に気付いて声をかける。最初は反応してくれたみんなが、次第に反応しなくなる。私の声が聞こえないかのように、そして私の存在が見えなくなっていくかのように、次第に無視されていく。
辺りもだんだん闇が覆ってくる。明るかった室内がどんどん消し炭がかかったように黒くなっていくのだ。
やがてすべてが崩れ落ち、あたりも真っ暗になる。そして私自身の体もだんだん闇に呑まれていく。重力が次第になくなって、ふわふわと浮き上がり、意識も次第に遠くなる。
私は死ぬんだ。死ぬって、何もかも大切なものを失って、無に帰っていくことなんだ、そんなことを感じていた。
全ての意識が解け落ちたときに、私は急に現実に引き戻された。
目を覚ますと、千早ちゃんが私から少し離れたところで、静かな寝息を立ててすやすやと横を向いて眠っていた。
私はふと立ち上がり、千早ちゃんの目の前まで歩いていく。そしてほふく前進の姿勢になって、千早ちゃんの顔を覗き込んだ。
端正な顔立ちだが、目をつぶって寝息を立てている彼女は、まるで子供の様にかわいらしい。一緒に住んできて、何度となく見てきたはずなのに、不思議とどこか新鮮な感じがする。
私も一緒に横になって、お互いの顔を見合わせてみる。残りはもう27時間余りしかない。きっと、千早ちゃんの寝顔を見るのもこれが最期になるだろう。次に見る顔は、こと切れた顔になるかもしれない。
千早ちゃんのほほに右手をを添えてみる。
何日も拘束されて、お風呂にも入れず、こんな汚い監獄に閉じ込められているのに、彼女の頬はもっちりとしている。しかも暖かい。生きている、人間の頬だ。そして私の大切な親友の頬だ。
千早ちゃんは、私の代わりに死ぬ。私が先輩と一緒になれるように、彼女は死ぬのだ。こんなの不条理だと思う。誰が聞いたっておかしいって感じる。たとえ本当に千早ちゃんが原因で全ての事件が起きていたとしても、そんなの名目にしか感じないだろう。
先輩は・・・私が愛した彼は、こんな選択を認めてくれるだろうか。自分が助かって、先輩に愛してもらいたいがために、大切な千早ちゃんを殺めてしまう。こんな状況だから仕方がなかった。どちらかが殺さなければ、3人とも死んでしまう。だから仕方がなかったのだ。私は、本当にそんなことを言えるのだろうか。そんなことを言ってもいいのだろうか。
なんて言ってお別れすればいいんだろうか。どうやって、殺せばいいのだろうか。あと27時間以内に殺さなくちゃいけないのに、そのことが全く頭の中でイメージできないのだ。
せめて・・・苦しまずに死んでほしい。例えば、寝ている今なら・・・たとえ首を絞めたとしても、そこまで苦しまずに済むのではないか。
私はほほを触れている手を喉元に向けようとした。だが、横を向いているせいで、彼女の首元をうまくつかむことはできそうにない。
私は、今やることはあきらめざるを得なかった。
仮にできたとしても、今はそうするべきではない。例え名残惜しくなってしまっても、もっと辛くなってしまったとしても、やっぱりちゃんとお別れの挨拶はしなくちゃいけない。それをしないでバイバイするなんて、許されることじゃないと思う。
私は千早ちゃんの頬から手を離した。そして千早ちゃんの寝顔を漫然と見つめていた。
「んん~」
千早ちゃんが寝返りを打って正面を向いてしまった。もう千早ちゃんの寝顔を見つめることはできない。
「はぁー」
ため息をついて私も正面を向いて、天井を見つめながら考え事にふけることにした。
千早ちゃんがサークルを辞めた、しかも私に先輩を譲るために。そんなの嘘だと思っていた。だけど、記憶が蘇るうちに、確かに冬の間、千早ちゃんがサークルからいなくなっていることを思い出していた。これはただの偶然でもなんでもない。千早ちゃんは、本当にサークルを辞めていたのだ。
そして、その記憶の中で、もう一人いなくなっている人物がいることに気付いた。伊織だった。別に「辞めます」といって辞めた訳じゃない。気づいたら、いなくなっていた。何の前触れもなく、そして私の気づかないうちに目の前からいなくなっていたのだ。
彼女はどうして辞めたのだろうか。伊織には、私に恋愛のアドバイスをするという約束があったはずなのに、どうして突然いなくなってしまったのだろうか。
「うーん。」
隣がガサゴソと動いた。どうやら千早ちゃんが目を覚ましたようだ。
「おはよう、千早ちゃん。」
千早ちゃんはゆっくりと起き上がる。
「おはよう・・・春香。」
すぐにタイムカウンターに目をやっていた。あと「26時間18分」というのを確認すると、小さくため息をついた。
「千早ちゃんは眠れた?」
「ええ。おかげさまで。春香は?」
「私も何とか眠れた。悪夢は見たけど。」
「そう。」
千早ちゃんはそう言って立ちあがった。別に夢の内容を聞いては来なかった。
「ふあー」
また伸びをしている。そういえば、死刑囚にも週に何回かは運動をする時間が与えられているということを思い出した。倫理の時間にやっていたドキュメンタリーの内容だ。死刑囚たちは、この運動によってひと時の娯楽を楽しむとともに、日ごろの運動不足を解消しているのだという。
確かに死ぬまで座りっぱなしとなれば体の機能も衰えてくるし、いろいろと悪影響も出てきそうだ。
そういえば、千早ちゃんは知っているのだろうか。伊織がサークルからいなくなった理由。
「ねえ千早ちゃん。」
「ん?」
「私思い出したの。確かに千早ちゃんは、大学1年の秋にテニスサークルを辞めていたね。だけど時同じころ、伊織もサークルを辞めているんだけど、覚えてる?」
千早ちゃんは少し頭をひねった上で答えた。
「覚えてるわ。明確にやめたというよりかは、気づいたらいなくなっていたという方が正確ね。」
うちのサークルは、ただの「たまり場」みたいなものだったから、別に明確なさサークルメンバー表があったわけでもなければ、入部届や退部届などという形式ばったものもあるわけではない。
「どうして辞めたのか、その原因ってわかる?」
千早ちゃんは、またもしばし口をつぐんだ。そして、何か意を決したかのようだ。
「・・・半ば私が原因だわ。」
千早ちゃんが原因!?
「どういうこと?千早ちゃんが原因なんて。」
「寝る前に、私は水瀬さんに望月先輩のことで相談したって言ったわよね。」
「うん。千早ちゃん、伊織とそれほどまでに仲良かったわけじゃないから、何だか意外だなーって思ってた。」
「あれは伏線があるの。実は私、先に美希に相談を持ち掛けていたのよ。それで美希から、水瀬さんが春香に入れ知恵しているってことを掴んだの。それで私は水瀬さんに相談を持ち掛けた。」
「どうしてわざわざそんなことを・・・。」
千早ちゃんがその場に座り込んだ。私の目を見つめる。
「水瀬さんを止めるためだった。」
「伊織に入れ知恵を止めさせて、自分が奪うつもりだったの?」
「そうじゃない!私はできれば・・・望月先輩を奪い合うなんて馬鹿げたことから手を引きたいとおもっていたの。二人とも先輩のことはあきらめて、普通の大学生活を送ろうって、そう思っていた。しかも話を聞けば、水瀬さんが、ただ単純に春香を応援するわけじゃない、不正な目的をもって近づいていたことを知った。」
「私が望月先輩を射止めて、縁談を破談させれば、望月財閥の後継者を追い落とすことができる。後継者が彼のお兄様に変われば、望月財閥にとってはダメージとなる。」
「そういうこと。だから私は許せなかったの。彼女は、春香の為を思って行動していたわけじゃない。ただ自分たちのためだけに、春香を小道具の様に使っている。それが許せなかった。」
「でも、伊織だって、好きでやっていた訳じゃない。財閥の為だったんだよ。」
「分かってる。水瀬さんだって、こんなことがばかばかしいことだってわかってた。『ノブレス・オブリージュ』、財閥のことを優先的に考え、そのために動くのが財閥の高位にいるものの義務、そんな風に考えていたみたいだったわ。」
私は疑問に思った。彼女にとって、私と望月先輩をくっつけるのが義務だったのなら、どうしてそこから逃げるようなことをしたのか。
「じゃあ、どうして水瀬さんはサークルを辞めたの?」
「逃げたのよ。」
「逃げた?」
「彼女は自分の義務から逃げた。身の危険を感じたからね。」
「千早ちゃんに、そのことを知られてしまった。それが身の危険?」
「もしも、私がこのことを望月先輩に伝えたらどうなるかしら。」
「それは・・・。」
この争いは、望月財閥と水瀬財閥の争いになってしまう。
「大学生同士の単なる恋愛じゃ済まなくなるわ。無論、そんなことをする気なんてないんだけどね。それにそんなことしたら、逆に先輩が春香と近づけなくなっちゃうし。春香が先輩に嫌われちゃう。」
それはそうだ。先輩が私に近づくことが、ライバル会社の狙いとなれば、当然私には近づきにくくなる。それに私が先輩を貶めようとしていたということを知ることになる。先輩は、私のことを嫌うだろう。
財閥同士の争い・・・伊織は合宿の時にこんなことを言っていたっけ。この争いは醜い争い、「合法的な手段しか使っていないって保証はない。」って。
ん?待てよ・・・。
「ねえ、千早ちゃん。犯人は望月先輩を捕まえたりして大丈夫なのかな?」
「ん???どういうこと?どうして犯人側の心配をする訳?」
「望月先輩は、望月財閥の跡取りなんでしょ。それに財閥って・・・裏社会ともつながってたりするんだよね。」
「・・・そうね。」
「だとしたら、もしも望月先輩に危害を加えたら・・・」
「望月財閥側が黙っているとは考えにくいわね。」
「今回の犯行って、いわゆる『プロ』っていうやつの犯行なんでしょ?」
「恐らくはそうね。」
「じゃあ、望月先輩に危害を加えたら、どんな報復が来るかわかって分かってやっているんだよね。」
「・・・恐らくはね。」
そんなことできる人間が果たして、いるというのだろうか。もしいるとすれば、相手の実力行使を恐れない人間、それは同業者、つまりプロのやくざということになる。
「これってもしかしたら、本当は財閥同士の争いなんじゃないかしら。」と私は言った。
「それって・・・。」
「伊織が犯人・・・。」
千早ちゃんは否定した。
「まさか。」
「私も信じられない。ていうか、信じたくない。この犯罪を裏から操っているのが伊織なんて。でも、いやいややっている可能性だってあり得ると思う。私と先輩をいやいやくっつけようとしたように。」
「でも・・・だとしたら、どうしてこんな方法を取ったのかしら?」
「どういうこと?」
「もし今回の事件の真相が財閥同士の抗争なんだとしたら、私たち、別に関係ないわよね。それなのに、わざわざ私たちを捕えてまで先輩がそれに巻き込まれたように仕向ける意味が分からない。」
確かにそうだ。やり方としてあまりにも曲がりくねっている、婉曲的過ぎる。あり得るとすれば・・・
「例えば、その存在を隠したかったとか。水瀬財閥が直接手を回しているとなれば、両財閥の戦争になる。だから、裏から手を回した。千早ちゃんのお母さんの復讐に手を貸す代わりに、望月先輩も一緒に捕えるように仕向けた。表面的には、全て千早ちゃんのお母さんによる犯罪に見せた。」
「あり得るわね。それ。でも、それ本当に水瀬財閥がやったの?望月財閥をライバル視している財閥なんて、他にも沢山あるような気がするんだけど。」
「確かに、水瀬財閥が後ろから手を回しているという確証はない。でもこの事件、伊織にしか・・・できないんじゃないかな。私、そして千早ちゃんが先輩に恋をしていること、それを伊織は知っているんだよ。逆に、他の財閥の関係者がそんな事実まで知っていると思う?それに私たちの個人情報もある程度知っているはず。私たちが富山出身だということも。」
「たどろうと思えば、私たちの過去を辿ることができた訳ね。」
「そこから、千早ちゃんのお母さんに接触して、この事件を仕組んだ。ここまでできるのは、私たちについて、よく知っている人物、とりわけ私と千早ちゃんが先輩に惚れていたということを知っていた人物だけだよ。」
「・・・残念だけど、その可能性は否定できないと思う。」
「この事件、本当の狙いは望月先輩なんじゃ。財閥の後継者である彼の命を・・・。」
思いつくままに喋ってみて、それがとんでもないことであるということに気付いた。千早ちゃんがつぶやく。
「もし本当に、春香の言う通り、この事件の犯人の真の狙いが望月先輩にあるのだとすれば・・・あのスピーカーの人間の言葉はウソになるわね。彼を解放するなんてありえない。もし本当に彼を解放してしまったら、何のために捕えさせたのか分からないもの。」
「つまり、あの男の発言は、私たちに殺し合いをさせるための方便。」
「そういうことだと思う。そもそも私たちが殺し合いを強いられているのは、もし私たちが殺し合いをしなければ、望月先輩まで100%殺されてしまう。でも、どちらかが死ねば、先輩が助かる可能性はあると思った。そしてあのスピーカーの男は、『約束は守る』と言った。だから私たちは、あの男たちの言葉に賭けざるを得なかった。」
「それに、犯人にとって、・・・千早ちゃんのお母さんにとって考えれば、これは最大限の復讐になった。私と千早ちゃんが望月先輩を取り合っていた。そうした中で、お互いに殺し合いをすることは、千早ちゃんのお母さんにとっては、多分一番面白い展開なんだと思う。だから、私は・・・きっと本当に約束を守るんだろうと思った。現に今私が悩んでいるように、生きて帰れば、絶対に後悔することになるから。・・・一生、罪悪感に苛まれなくちゃいけない。」
「でも、それは全て方便だった。この犯罪の本質を隠すための、カムフラージュ。」
「もし本当にそうだったとしたら・・・私たちが殺し合いなんてする必要ないじゃない。」
千早ちゃんは同調する。
「・・・そうなるわね。でもそれって・・・実質的には私たちが先輩を殺すことになってしまうわ。」
「でも、どちらにしろ先輩は殺されてしまうんでしょ。私たちの読み通りだとすれば。」
「読み通りならね。そうじゃなかったら・・・。」
「そうじゃないって根拠はあるの?」
「・・・スピーカーの男の言葉しかない。」
重たい沈黙が流れる。否定したい。私たちの邪推が全て外れていると思い込みたい。
でも、それを否定する根拠が極めて薄いことも真実だった。
「ねえ、千早ちゃん。伊織は何か言ってなかった?」
「何かって?」
「その・・・何でもいいんだけど、今回の事件に繋がりそうなこと。何でもいいの。思
い出してほしい。」
「何でもって言われてもね・・・。」
千早ちゃんは困惑しているようだった。しばらく千早ちゃんは目をつぶって思い出
そうと試みていた。
私も何か思い出せることはないだろうか。そう思って、目をつぶり、過去の記憶に思いをはせることにした。