第4節 殺し合う意味 残り24時間
記憶を巡る旅を終えた私はゆっくりと目を開いた。
結局、伊織を巡る事柄については何も思い出すことはできなかった。その代わりに、明確に分かったことがあった。
千早ちゃんの言う通り、先輩の心を射止めたのは私だったのだ。千早ちゃんは、タイムカウンターがある方の部屋の左隅で、静かに瞑想をしていた。私は部屋の中央付近に座っていたのだが、立ち上がって、千早ちゃんの下へと向かう。私は彼女の目の前で座り込んだ。
「千早ちゃん。」
「うん、何?」
「思い出した?何か。」
「・・・何も思い出せない。」
「そっか・・・。」
「春香の方は?」
「うん・・・えっと・・・伊織のことは、何も思い出せなかった。代わりに思い出したの。あの・・・やっぱり・・・私・・・だった。」
「ん?」
言いにくい。当たり前だ。これは千早ちゃんに対する「死刑宣告」そのものだからだ。たとえ、今私がどうこう思ったとしても、私の記憶の中の真実は変えられない。そして・・・別に改ざんする気もない。
「私、クリスマスイブの日に、先輩をデートに誘ったの。望月財閥が経営するレストランを貸し切ってくれた。」
「うん。」
千早ちゃんは小さく頷いている。
「それで私、レストランで告白したの。先輩の彼女にしてほしいって。それで私・・・先輩と・・・き・・キスして・・・。」
「うん。」
「・・・付き合うことになった。雪村さんに隠れて・・。先輩の愛人として。私は、先輩の『太陽』に・・・なるって・・・。」
「おめでとう、春香。」
そう声をかける千早ちゃんの表情は、どこか不自然だった。表情は笑顔なのに、どこか引きつったような、作り笑いのような笑みを浮かべているのだ。やっぱり、辛いんだろう。当然のことだ。自分が好きな人を親友に譲って、しかもそのせいで親友のためにこれから死ななくちゃいけないと思っているのだ。平静を装っても、動揺してしまうのも無理はない。
でも私はそんなこと守るつもりは毛頭ない。だって、私たちは恐らくここで、どのみち皆殺しにされるからだ。
「千早ちゃん。」
「ん?」
「もう・・・殺し合うのは止めにしない?」
千早ちゃんは驚いたような表情を見せる。
「約束は守ってもらうわ!春香。もう・・・準備は・・・できてい・・・るの。」
嘘だ。声が震えている。この震えは、恐怖・・・死を恐れている。これから起ころうとしていることに恐懼して、震えているのだ。
今の千早ちゃんは、十三階段を上る死刑囚と、きっと同じ気持ちなのだろう。
「笑顔で見送る」そんなことを決めてしまったから、千早ちゃんは約束を守ろうと必死で無理をして笑顔を作っている。体は震え、顔面は蒼白状態なのに、顔だけがお面をかぶったように震えた笑顔を保っている。
今の私はさしずめ死刑執行人なのだろう。あの倫理の授業で、死刑執行人の言葉を聞いたことを思い出していた。「自分が殺したという事実は、一生消えない。」
でもそんな苦しみを味わうことはない。そんな必要はないし、そんなことは「意味がない」のだ。
「ねえ千早ちゃん。」
「何・・・かしら。」
「ちょっと、冷静に考えてほしいんだけど。もしも今回の事件の黒幕が水瀬財閥であって、その存在を隠す為に、千早ちゃんのお母さんを使った復讐劇を装って望月先輩を殺そうとすると、一つ謎が残るんだよ。」
千早ちゃんの震えが少し収まった。
「どんな謎?」
「スピーカーの男の言うことはウソだと仮定するよ。たとえどちらかが、どちらかを殺しても、望月先輩は殺されてしまう。望月先輩を排除することがこの事件の真相だから。じゃあ、私たちの内生き残った方は、そのまま解放されると思う?」
「・・・解放されないの?」
「きっとされないんだと思う。確かに、今回の事件の実行犯のやくざたちは、どう転んでも捕まえられないと思う。だけど、千早ちゃんの母親はそうじゃない。きっと彼女は、今回の事件に限ってやくざと提携しているんだと思う。この事件の後は、関わりはなくなる。あの女一人だったら、生き残りが復讐することも可能だよね?」
「・・・そうなるわね。」
「千早ちゃんの母親は、生き残りに復讐されることにおびえながら残りの人生を過ごさなくちゃいけなくなる。そんなことに耐えられるかな?」
「常人じゃ無理でしょうね。だから、生き残った方も根こそぎ殺す。」
「うん。そうなると思う。だから、もう・・・私たちは殺し合わなくていいんじゃないかな。殺しても殺さなくても、結果は同じなんだから」
「・・・・・。」
千早ちゃんが真顔になる。
まだ気になることは残っている。
「まだ気になることもある。水瀬財閥があえてこんな遠回りな方法を選んだ理由だよ。」
「理由?さっきも言った通り、私の母の犯行に見せかけるためじゃないの?」
「水瀬財閥が望めば、この事件を事件として表沙汰にさせないこともできる。私たちは何者かに拉致されて行方不明になった。でも、誰かに拉致されたところを見られたわけではない。」
「私たち、自宅で拉致されたからね。」
「うん。もしかしたら、望月先輩もそうなんじゃないかな。多分、人気のいないところで拉致された。だとしたら、私たちを殺した後、どこかの山中に埋めてしまえば、私たちは永遠に行方不明のまま、見つかることはない。」
「・・・何が言いたいのかしら。」
千早ちゃんは、まだ事の次第を読めていないようだ。
「望月先輩を殺すことだけが目的だったら、こんな大掛かりな芝居を打たずに、こっそり拉致して殺してしまえばいいんだよ。でも、わざわざこんな大芝居を打った。ということは。」
「この事件を表沙汰にするつもりということね。」
「じゃあ、なんでそんなことをするの?」
「何でって・・・。」
「もっと簡単に、先輩を葬ることなんていくらだってできるのに、そうせずに事件を敢えて作り上げるのはどうして?」
「水瀬財閥が関わっている訳じゃないって、明確にさせたいんじゃないの?そのために、敢えてこの事件を表沙汰にしようとしているんじゃないかしら。」
「でも、表沙汰になった方がもっと危ないんじゃないの?捜査の手が、千早ちゃんのお母さんの手に伸びて来たら、全部自白しちゃうかもしれない。一人でこんな事件を起こせないことは明白なんだから。」
「じゃあ、その前に自殺させるとか。」
「どちらにしろ不可解でしょ。3人の拉致、殺害、死体遺棄まで全部自分でやったなんて、いくら何でも不自然すぎる。それに全部の事件を片付けた後に自殺なんて、それこそ不自然だよ。」
「たとえ不自然だとしても、不可能じゃない。拉致するときは、何か武器を使ったのかもしれない。スタンガンでも薬品でもなんでもいい。意識を失ったところを拘束すれば、女性でも拉致することはできる。その後に手足を縛って、体の自由を奪った後に殺してしまえば、これも女性だけでできる。遺体の運搬だって、車さえ運転できれば、可能だよ。」
なるほど、確かに不可能ではなさそうだ。
「とにかく、この事件を表沙汰にして、尚且つ水瀬財閥が関わっていないと思わせるためだったとしたら、この事件の真相を知っている人物を、ノコノコ返すと思う?」
「それは・・・」
そんなことはもっとありえない。
「ないよね。」
千早ちゃんは反論してこなかった。できなかったのだ。
私は扉側の壁にもたれかかった。だんだん力が抜けてくる。自分が言っていることの意味を反芻して、嫌になってしまう。私だって、あと1日以内に死んでしまうのだ。バカバカしい・・・。殺し合いなんて、何の意味もなかったじゃない。
私は千早ちゃんに話しかけた。
「千早ちゃんの母親は、分かっているのかな。自分の身も危ないってこと。」
「・・・分からない。もしかしたら覚悟しているのかもしれない。」
「・・・悲しいね。自分の命を引き換えにして、それでも私たちに復讐したいなんて。」
「それだけ、あの人の苦悩は深かったということよ。私は、それだけひどいことを彼女にしてしまった。」
「『私たち』でしょ。」
「春香は、だって関係・・・」
「大ありだよ。」
千早ちゃんは私から目を逸らすために体を反対側に逸らした。
「ごめんなさい。」と千早ちゃんはつぶやく。
「・・・もう謝らないで。聞きたくないよ。」
「ごめん・・・。」
私は遠くにある豆電球を見つめた。この豆電球を見ることができるのも、あと1日しかない。なんだか、名残惜しく感じる。
「私、伊織って実はとってもいい子なんだと思ってた。」
「私には、少し憎たらしく見えたわ。でも、多分根はいい子なんだと思う。それに、常識人。」
「とても、こんなことをするような子には見えないんだよね。」
「水瀬さんの意思じゃないから仕方がないんじゃない?」
一つ疑問が浮かんできた。
「水瀬さんは、私と望月先輩をくっつけようとしていたけど、それってお父様の指示だったんだよね。」
「そういうことになってるわね。」
もし水瀬さんの工作が成功して、先輩と雪村さんの縁談が破談になれば、先輩は財閥の後継者の地位を追われるから、こんな事件は起きなかったということになる。
「私と望月先輩がもし結ばれていれば、先輩は後継者の地位から滑り落ちるから、わざわざ先輩を殺そうとなんてしなかったんじゃない?」
「・・・そういうことかもね・・・。」
「私たち・・・結ばれなかったんだね。」
千早ちゃんがこちらを振り返ったみたいだ。
「『愛人』にはなれたのよ、だけど『妻』にはなれなかった。だからこの事件が起きた。水瀬さんは、自分のミッションに失敗した。だから、水瀬さんの父親は、別の作戦で先輩を排除しようとしたのだと思う。」
「じゃあ、伊織がこのテニスサークルに入ったのも偶然じゃなかったのかな?」
「どういうこと?」
「水瀬財閥はもともと、望月先輩を排除することを考えていた。だから、伊織を・・・自分の娘をいわばスパイの形で中帝大学のテニスサークルに送り込んだ。」
「・・・考えすぎ・・・とも言えないのかしら・・・。」
私は千早ちゃんの方に振り返った。
「財閥って・・・ここまでしないといけないのかな?こんな非合法的なことをやって、そうしないと、競争に生き残れないのかな?」
千早ちゃんは、何も答えることはなかった。
それから数十分の時間が流れた。私たちは、何も会話を交わすことなく、ただ無為に時間を過ごしていた。私は心の中で広がる絶望感で気が遠くなっていた。
「ねえ春香。本当に、殺さないの?」
今の私には不思議な問いに聞こえる。
「私たちは、この事件が千早ちゃんの母親の単独犯じゃないって知っている。そんな人間を生きて返すとは思えない。だから、千早ちゃんを今ここで殺そうと、放置しようと、逆に千早ちゃんが私を殺しても、何も結果は変わらない。何もする必要がないんだよ。先輩だって助からない。」
「でも、その可能性に賭けるべきなんじゃないの?確かにこのままだと、3人とも死ぬ。だけど、どちらかが死ねば、本当に先輩は助かるかも・・・。」
「私たちが立てた推理が間違っていると思う?」
「それは・・・。」
「私たちが立てた推理が間違っていると、逆にそう言える根拠なんて、何もないんじゃない?この事件は、水瀬財閥が望月先輩を排除しようとして、千早ちゃんのお母さんの復讐劇に見立てようとした。真相を知るものは生きて帰れない。どちらにしろ、結論は変わらない。だったら、殺し合いなんて馬鹿な事しなくたっていいでしょ?」
「でも・・・」
千早ちゃんは食い下がってきた。私にはわからないのだ。そんなにも「死にたい」のだろうか。
「一縷の望みに賭けるって言いたいの?」
「・・・そうよ。」
「だったら、千早ちゃんが私を殺せばいいじゃない。」
「・・・何言っているのよ。」
「本気だよ。だってもう結論が変わらないってことは見えている。どうしても生き残りたいなら、私を殺せば。」
千早ちゃんは黙ってしまった。
「そんなこと・・・したくない。」
「それはこっちのセリフだよ。千早ちゃんは、どうしてそんなに死に急ぐの??」
「別に・・・死に急いでなんて・・・。」
「じゃあ、もう少しこのままでいようよ。できれば、冥土の土産に、もう少し千早ちゃんと楽しい話がしたい。千早ちゃんも、お話したいでしょ?」
「うん・・・。」
「じゃあ、話そうか。」
とは言っても、何から話せばいいのやら分からない。私が記憶を取り戻したのは、大学1年生の冬ごろまでだ。
「千早ちゃんが記憶を取り戻したのってどのくらいあたりまで?」
千早ちゃんは、少し間をあけてから答えた。
「大学1年生の冬くらいまで・・・かな。」
「私と同じだね。」
「そうね。・・・これも偶然なのかな?」
「・・・多分、偶然じゃないと思うよ。だって、今までだって不思議なくらい、記憶を取り戻すタイミングが同じだったでしょ。しかも、過去から一様に取り戻していくなんて、明らかに操作されているとしか思えない。」
「・・・でしょうね。」
「これも、水瀬財閥の思惑なのかな?」
「いや、きっと私の母親の・・・思惑だわ。私たちを苦しめたい。だから、記憶を取り戻すタイミングを操作しているんだと思う。」
残りはあと23時間余りだ。正直な話、まだまだ思いだせていないことが数多くある。私には、まだ大切なことが思い出せていないような気がするのだ。
「あと23時間で全部記憶を取り戻せるのかな?」
「・・・犯人が、私たちの頭にどういうタイマーを設定したかに依るんじゃないかしら。」
そういうことなのだろう。待てよ・・・。千早ちゃんはどうして死に急いでいるのか。その理由って、この記憶にあるんじゃないか。
「千早ちゃん。一つ聞いてもいい?」
「何、改まって。」
いや、止めておこう。不思議と恐ろしい。もし千早ちゃんが記憶を取り戻すことを恐れて、死に急いでいるのだとすれば、それはきっと私にとってもよくない記憶のはずなのだ。
「なんでもない。」
「そう・・・。」
なんだか不安になる。千早ちゃんが、自分がその記憶を取り戻すまでに、このゲームを終えたい、そう思って死に急いでいるのだとすれば・・・いや、あるいはすでにもう記憶を取り戻しているのではないか。記憶を取り戻したうえで、私の記憶が戻るのを恐れているのではないか。
私は千早ちゃんの顔を覗き込んだ。その表情は、どことなく不安げだ。それはそうだろう。もうすぐ、私たちは滅んでしまう。不安に思わない方がおかしいのだ。
だけど、その表情がもし、私が記憶を取り戻してしまうことを恐れているのだとすれば、彼女が見ているまなざしの奥には、別の世界が広がっているはずだ。
死ぬことよりも恐ろしい・・・それは一体なんだというのか。
「もうお話は終わりなの?」
千早ちゃんが尋ねてくる。
「あっ、ごめん。何話す?」
「・・・何でもいいわ。」
何でもいいって言われてもね。
「じゃあ、大学1年の冬あたりの話をしようか。そういえば、私たちってまた実家に帰省しなかったんだよね。」
「秋月先生のところ?」
「そう。なんだかんだで行かなかった。夏の時もそうだったけど、冬の時も貯金優先して帰らなかった。」
「そうだったわね。」
「結局、電話しかしてあげられなかった。」
「春香は春香で、望月先輩の予定に合わせるのも忙しかったしね。」
そういえばそうだった。クリスマスはイブの日に一緒に行けたけど、初詣とかは、先輩も忙しくて、芸能人顔負けのお忍びのタイミングでやらなくちゃいけなかった。それに合わせるためには、実家に帰省なんてしていられなかったのだ。
「そうだったね。千早ちゃんは千早ちゃんで、バイトに忙しかったんでしょ。」
「ええ、お金稼ぎたかったし、勉強もしなくちゃいけなかったから。」
なんだかんだ言って、この頃からなのかもしれない、わずかながら、私と千早ちゃんの生活に、「すれ違い」が生じ始めたのは。
「ジャーナリストになるって夢か。」
「もう叶わないけどね。」
「・・・・・。」
だめだ。どうしても発言が後ろ向きになってしまう。
「もっと楽しい話をしようよ。」と私は言う。
「楽しい話ね・・・。」
「私たち、カラオケによく行ったよね。」
「そうね。懐かしい。」
「サークルのメンバーでも行ってたの覚えてる?」
「そうだったわね。望月先輩とか、雪村さんとか。」
「みんな歌うまかったよね。千早ちゃんもうまかったし。先輩や楓も。」
「楓?」
あれ?雪村さんの下の名前って「楓」だったよね・・・。
「春香、雪村さんのこと下の名前で呼んでたっけ。」
「えっと・・・そうだったかな。」
自分で言ってても気づかなかった。それくらい自然に「楓」という単語が出てきたのだ。
「雪村さん、先輩だよね。随分仲良くなったのね。あんなにいがみ合っていたのに。」
「う・・・うん。」
どういうことなんだろう。私と雪村さんは恋敵同士。その二人が、先輩後輩の垣根を飛び越えて、下の名前で呼び合うほど仲良くなるなんて、考えられない。
どんどん記憶が蘇りつつある。その中には、私たちが辿ってきたまぎれもない真実が隠されている。
それを「取り戻させる」ことが、千早ちゃんのお母さんにとっての「復讐」になる。私は改めてその事柄の意味合いに恐怖せざるを得なかった。