第16章 葛藤 残り22時間30分 如月千早
第1節 裏切りの記憶
私は怯えていた。自分の記憶に、そして春香の記憶に。
ひと眠りした私が思い出したのは、私にとっては暗い記憶。あり得ないはずの記憶。先輩と仲良く手をつなぎながら歩いている記憶。先輩と一緒にボウリングをしている記憶、先輩と一緒に食事をしている記憶、先輩と一緒に・・・ホテルにいる記憶。
あり得ない。私はそんなこと・・・しているはずがない!
完全に思い出したわけではない。寝ているときに見た夢の中のことで、全て断片的ものだ。場面場面が無声映画の一コマの様に映り込んでくる。そうした中での記憶しかないのだ。
でも、そのいでたちは覚えている。冬ではない。衣服が重々しくない。それは、大学1年の頃の記憶なのだろうか。いや、そんなはずはないのだ。私が思い出した記憶の中で、そんな光景はあるはずもなかった。
となれば、これは大学2年以降、つまり春香と先輩が付き合ってからの記憶・・・。私は・・・二股をかけていた!?春香に黙って、春香の見知らぬところで、先輩を、春香から・・・。
今のところ、春香はこの記憶を取り戻してはいないようだ。でも、春香が記憶を取り戻すのは、時間の問題だ。
何故、春香が雪村さんと親しくしていたのだろうか。春香が雪村さんのことを「楓」と呼んでいた。それはありえないことだ。恋敵同士で、本来敵同士であるはずの春香と雪村さんが親し気に話している。それが何を意味しているのだろうか。
嫌な想像が膨らんでくる。春香は、恋に破れたことを知って、同じように恋に破れた雪村さんと好を通じたのではないだろうか。雪村さんは、きっと私にとっての敵になったのだろう。そしてそれと同じように、春香も私の敵になったのではないか。
恐ろしい。恐ろしい想像が胸を突いてくる。
私が潜在的に恐れていたこと、春香から非道な形で先輩を奪ってしまうこと、それはまさかただの夢想ではなく、実際に起こっていたことなのではないだろうか。
春香は私のことを不審に思い始めている。
春香の言うことは、多分正しいんだと思う。この事件の黒幕は、多分水瀬財閥だ。そして、春香の言う通り、私たちは全ての真実を覆い隠すために殺される運命にあるのだと思う。
だったら、死に急ぐ必要は全くない。にもかかわらず「死に急いでいる」そのことが、何を意味するのか、春香はもしかしたら理解してしまったのではないだろうか。記憶を取り戻す速度、そしてその流れが一様だという意味も理解している。
春香は・・・やがて、記憶を取り戻す。そんな瞬間が、もう間もなくやってきてしまう!
「大丈夫?さっきから震えてるよ。」
「えっ・・・あっ・・・うん。」
さっきから、部屋の扉の反対側で座っていた春香が私に近寄ってきた。私の身を案じてくれているところから察して、まだ記憶を取り戻してはいないようだ。
「うん・・・ちょっと・・・。」
「そうだよね。」
春香は私の隣に腰を掛けた。そして手を重ね合わせる。
「もう千早ちゃんと触れ合うこともできないんだね。」
「・・・そう・・なるのね。」
「やっぱり、死ぬのって怖いよね。」
「・・・春香は、怖くないの?」
春香はあっけらかんとしている。まるで死なんか恐れていないという感じだ。
「私ね、もう疲れちゃった。どうでもいい。どっちにしろ助からない。悩む方がばかばかしい。そう考えたら、何だか気が楽になっちゃって。今はもう、死んだ方が楽かなって思っちゃって。」
「そう・・・。」
「せめて、こうしていようよ。『その時』が来るまで。」
「・・・・・。」
こうしていることが怖いのだ。私は、今こうやって手をつながれている相手に、憎まれるかもしれない。夜叉のような顔を向けられるかもしれない。怒りに任せて、殺されるかもしれない。そんな恐怖を感じているのだ。
ビクッ
私は体を震わせた。春香が体を寄せてきたのだ。私の右半身が、春香の左半身にぴったりと密着してくる。
「千早ちゃん?」
「う・・・うん」
おかしいと思われているはずだ。どうして体を密着されることが恐怖なのだ。普通におかしい。それはわかっているが、脳内のアドレナリンが出っぱなしで、いうことを聞かない。
「ちょっとトイレに行ってくる。」
耐えきれずに私は立ち上がった。
「分かった。じゃあ私はあっちに行っているから。」
春香は立ち上がって、糞尿用のバケツがあるのとは反対側の部屋の隅に行った。私はそれを確認してから、タイムカウンターの後ろを通って、バケツを取り出した。
ベルトをはずして、そして用を足す。とはいっても、別に特段したかったわけじゃないから、少ししか出ない。春香は耳をふさいでくれている。私たちがトイレをするときは大よそこんな感じだった。
バケツのそばには、トイレットペーパーが1ロールだけあった。それで大事な部分を拭いた。
またジーンズを履きなおし、春香に声をかける。
「終わったわ。」
と言っても聞こえるはずがなかった。耳をふさいでいる。私は、春香の下へと赴こうと思った。けれど、足が動かない。春香に近づきたくない。怖い。嫌だ。殺されるっ!恐ろしいほどの強迫観念が私を襲う。
結局私は、もとにいた場所まで戻ってきて、そこで蹲ってしまった。
「千早ちゃん?終わった?」
春香の声に答えられない。
「千早ちゃん?千早ちゃん!?」
振り向いた春香が驚いて、駆け寄ってくる。
「どうしたの!?お腹痛いの!?」
「う・・・」
胃が痛い。長時間にわたるストレスが原因だろうけど、今のこの絶望的なほどまでの恐怖感がきっと原因なのだ。
「胃が・・・キリキリするの。」
「大変!とりあえず横になった方が良いよ!」
「大丈夫。このままで大丈夫だから。このままの方が多分楽だから。どうせ、あと22時間で死ぬんだから・・・。」
「そんな・・・。」
「しばらく放っておけば、きっと、よくなる。だから・・・放っておいて。」
「放っておけなんて・・・。」
「お願い!」
私は強く哀願した。その勢いに押されて、春香もこれ以上は引き下がらなかった。春香は、私の意をくんだのか、カメラが見える反対側の壁に腰を掛けた。
私はそのまま10分くらい蹲っていた。
しばらくして、少し胃の調子が収まってきた。私は、そのまま座り込んで、体育座りの姿勢をして、頭を下に向けた。
「少しは良くなった?」
私はその問いには答えない。別によくはなってはいない。少しましになってきただけだ。
春香は無視されて、それ以上は何も言ってこなかった。
またいつもの静寂に戻る。慣れ親しんだ静寂、永遠にさえ続くかのように思われた沈黙。
だが、それは突然破られた。
キイイイイィィィィンン
突然のハウリング音。驚いて顔を上げる。そしてそれを合図にしたかのように、スピーカーから音が鳴りだした。
「まだお分かりじゃないようですね。」
また別の男か。今まで聞いてきた男の口調ともまた違う。
私はよろめきながらも立ち上がり、反対側の壁に腰を下ろして、春香の近くへにじり寄った。アイツの言葉を聞き洩らさないようにしなければ。
「何がよ。」
春香がぶ然と応じる。
「あなたたちが殺し合いをしなければ、望月俊は死ぬ。これは単にあなたたちだけの問題ではない、そう言ってきたはずだ。」
春香がそれに噛みつく。
「あんたたちだって聞いてたでしょ!私たちの話。もうその手には乗らないんだから。どうせ私たちは助からない、殺そうが殺さまいが結果は同じ。全ては水瀬財閥の為なんでしょ。あんたたちは、水瀬財閥に雇われたやくざなのよ!」
「はははははははは!」
スピーカーの中の人間は哄笑した。
「なるほど確かに。いい読みだ。あなたたちが推理したように、このゲームを如月千早、あんたの母親だけが行うのは無理だ。そこには協力者がいる。そして我々はその協力者に頼まれた。狙いが、お前たちではなく、望月俊にあるというのもいい読みだ。」
春香が吼える。
「認めるのね!この下らないゲームが、最初からムリゲーだったって!」
「はははははははははあはは!」
「何がおかしいのよ!?」
春香は叫んだ。
「この間も我々は言っただろう。約束は守るって。」
「そんなの信じられない!私も千早ちゃんも望月先輩も、それから千早ちゃんのお母さんもみんな殺して、全部の責任を彼女に押し付けるつもりなんでしょ!」
「その解釈が間違っているのだよ。君たちはそもそも前提を誤解している。どこかの財閥に雇われた。これは正しい。だが、どうして水瀬財閥だと思ったのかね?」
春香は反論する。
「だって・・・それ以外考えられないでしょ。財閥同士の争い、そうでなかったら、望月先輩を捕える意味なんて・・・。」
「言っておくが、我々は水瀬財閥から雇われている訳ではない。」
春香は叫ぶ。
「嘘よ!」
「別に信じるも信じないも、君たちの自由だ。だが、君たちはいつか真実を思い出すだろう。その時、どうなっているかが楽しみだ。」
「言っておくけど、私は千早ちゃんを殺したりしないし、千早ちゃんにも殺させないから。」
「望月俊が死んだとしてもかな?」
「どうせ、皆殺しでしょ!?」
「それはどうかな。」
思わせぶりな言葉だ。だが春香は騙されまいと反発する。
「私たちを揺さぶったって無駄よ。もう魂胆は見抜いたんだからね!」
「困ったことになりましたね。もう残り21時間57分しかないというのに。ここまで意固地になられるとは・・・。仕方がない、追加ルールを設けることにしよう。」
追加ルール!?まだこれ以上人を傷つけようというの!?
「正直な話、我々としては望月俊に死なれるのは困るんですよ。」
「嘘よ!そんなの!だったら、何のために彼を拘束したというの!?」
「きゃんきゃんわめくな!」
男の一喝に、春香も委縮してしまった。
「残り時間はあと22時間余りだが、それまでに決着がつかなかった場合は、サドンデスをやってもらう。」
サドンデス?
「お前たちもこの施設を廊下だけは見たことがあるだろうが、普通の場所ではない。人を拷問するための部屋もあったりする。」
拷問・・・。その言葉に背筋が凍った。春香も表情は変えていないが、内心恐ろしく感じているはずだ。
「もし時間までに、君たちのうちどちらかが死ななければ、君たちをその『拷問部屋』に入れさせてもらう。そこでは、お互いの不満や愚痴を言い合ってもらう。相手への愚痴が大きければ大きいほど、自分への拷問は弱くなり、逆に相手への拷問は強くなる。何もしようとしなければ、それなりの拷問を与える。ちなみに、相手をたたえることもできる。そうすれば逆に自分への拷問はひどくなり、相手への拷問は弱くなる。これを交互に行っていく。最終的に死んだ方が脱落。生き残った方が望月俊と共にこの監獄から出る。これがサドンデスの中身だ。」
それが本当だとしたら、望月先輩は、生きてここから出ることになる。
「先輩は、生きて出られるの・・・?」
「その通り。何度も言っているだろう。どちらかが死ねば、生き残った方は、望月俊と一緒に出られる。」
「私たち・・・信じてないよ、そんな言葉!」
男は薄気味悪く笑っている。
「信じるのも信じないのも君たちの自由だ。しかし、あと22時間でサドンデスが始まる。どういう状況になろうと、その拷問で生き残った方と、望月俊はこの監獄から出る。このルールは決して変わることのない掟だ。」
春香は閉口している。何を尋ねるべきか、考えている様子だ。
「君たちもいい加減気づいていると思うが、我々は君たちの記憶をいじらせてもらっている。カウントダウンに合わせて、記憶が蘇るよう催眠操作をかけているんだ。残りが1日を切って、かなりの部分の記憶を思い出しているんじゃないか?」
やはり、そういうことだったか。
「思い出してきているわ。」
春香がそう答えた。
「しかしまだ肝心な部分が明らかになっていない。」と男は言う。
春香が尋ねる。
「肝心な部分?」
「そうだ。さっきから一言もしゃべらない、そこの痩せ女を見ろ。震えあがり縮こまっているだろう。」
春香が私の方を振り返った。
「千早ちゃんが何だっていうのよ!」
「その女の言動、不思議だとは思わないか。お前たちは、皆殺しにされると思い込んでいた。我々が約束を守らないと、信じて疑わなかった。」
やめて・・・。
「にもかかわらず、その女は自分のことを殺してくれって哀願していただろう。おかしいでしょう、もし本当に殺し合いをしようがしまいが、結果が変わらないんだったら、わざわざ死に急ぐことはない。にも拘らず、この女はわざわざ自分から死を望んだ。何でだと思う?」
もうやめて・・・。
「この女は思い出したのさ。自分が一体何をしたのか。どうやって、天海春香を出し抜き、どうやって天海春香を傷つけたのか。」
「千早ちゃんが・・・私を・・・?」
おねがい・・・もうやめて・・・。
「見てみろよ、天海春香、そこの女は顔をしかめて震えているだろう。その女は怯えているのさ、天海春香が記憶を取り戻すのを。思い出してしまえば、激しい憎悪に駆られてしまう。如月千早のことを能動的に殺したいと思ってしまう。そう思われるのを恐れているのさ。」
「もうよしてよ・・・。」
「やっと、声が出たようだな、如月千早。」
「千早ちゃん・・・。」
「お願い・・・もうやめてよ・・・。」
「ふっフハハハハハ。語るに落ちるとはまさにこの事だな。あとは、お前たちに任せるとしよう!さて、生き残るは果たしてどちらになるのか。楽しみに結果を待っているよ。ハハハハハハ。」
そう言い残すと、一方的に放送は途切れた。
放送が終わって、春香がこちらに体ごと向けた。
「ねえぇ、千早ちゃん、うそでしょ・・・。」
春香の声が震えている。私はそんな春香から顔を逸らしていた。
「私に酷いことって・・・何をしたの・・・。」
言葉が出ない。言わなければならないことは沢山あるはずなのに・・・。
「ねえ!」
私はビクついた。こんなこと、春香に言えるわけがない。言わなくても、もうすぐその記憶を取り戻してしまうだろう。
「お願い・・・何も詮索しないで。何も考えずに・・・私を殺して。」
「どういうこと!?やっぱり何か思い出しているのね!?」
「・・・思い出してなんかはいない。」
春香が私の肩を両手でつかむ。
「下手なウソはよしてよ!あの男が言っていること、本当に正しいの!?ただのハッタリなんじゃないの!?何とか言いなさいよ!」
「・・・全部は思い出していないの。ただ・・・嫌な記憶がある。アイツの言うことが正しければ・・・その記憶を春香も取り戻してしまう。」
「だから、その前に逃げようって言うの!?」
「お願い・・・罪滅ぼしをさせて・・・。」
「『罪滅ぼし』!?自分から死を乞うほどに酷いことをしたって言うの!?」
「このまま一緒にいたら、春香だって傷つく。」
「傷つくのは千早ちゃんでしょ!」
私ははっとした。春香のいうことは正しい。結局、自分が傷つくのを一番恐れているだけなんだ。
「自分が傷つくのが嫌だから、さっさと死のうとしているんでしょ!そんなの都合が良すぎるよ!」
「春香・・・お願い。お願いだから・・・。あの男の狙いは・・・私の母親の狙いは、最期の拷問にあるんだわ。全ての記憶を取り戻させ、憎しみ合う中で怨嗟の言葉を吐かせる。そんなこと・・・絶対やっちゃいけない。」
春香が肩を揺さぶってきた。
「私はちゃんと千早ちゃんから、説明が聞きたい。一体何があったのか。私を傷つけるようなことって、一体何なの!?」
「・・・・・。」
私は、言えなかった。
「あくまで、ダンマリする気なんだ・・・。」
春香が両肩から手を放して、壁に背をもたれかかる。
「ねえ、それって・・・望月先輩に関すること?」
私はまた大きく身もだえした。
「分かりやすいね。」
「・・・・。」
「どんな酷いことをしたの?まさか、私から・・・先輩を奪ったとか。」
「・・・もういいでしょ!もう殺して!」
私は心の底から叫んだ。しかし、どんなに叫んでも、その言葉が春香の耳元に届くことはなかった。