第3章 春香の過去 残り113時間 天海春香
第1節 春香の考察
如月さんは、またしても目を閉じてしまった。瞑想に入ったのだろうか。
私はさっき如月さんがそうしていたように、ドアの上に取り付けられた「赤い点」を見つめていた。
無機質に光る小さな赤い点、不気味に光る赤い点、それが異様に薄気味悪い。私は、ブルブルっと体を震わせた。
私はもう一度周囲をゆっくりと伺った。
8畳ほどの部屋には、部屋の奥の方に怪しく光りながら時を刻むタイムカウンター、そしてその奥に隠すようにしておいてある汚物入れと思しきバケツとトイレットペーパーがあるだけ。それ以外には何もない。
武器になりそうなものはまるでない。それでいて、部屋にはカメラとマイクが備え付けられているのだ。私たちは完全に監視されている。そして抵抗する手段は何もない。
改めてこの状況がいかに絶望的なのか思い知らされる。
単純に考えれば、ここから生きて這い出る手段は一つしかいない。2メートル先で瞑想にふけっている、あるいは単に寝ているだけかもしれない、この青髪の女性を絞殺するしかない。
何なんだこの状況は・・・。ついさっき目覚めたと思えば、こんな暗い監獄の中で、「見知らぬ人」と殺し合いを演じなければならない。いったいどうなっているというんだろうか。もしやこれは夢ではないだろうか。
わらにもすがる思いで、思いっきり頬を引っ張ってみる。
痛い!
痛覚は現実のものだ。それにさっきから目はぱっちりと冴え渡っている。これが夢であるとはつゆとも思えない。
ああ・・・どうすればいいのか。訳が分からな過ぎて、気分が悪くなる。全身がしびれるような感覚に襲われる。もしかしたら貧血気味かもしれない。ああダメだ・・・。とりあえず横になろう。
私は赤い点を見つめるのをやめて、地面の上に仰向けになった。まだこの方が楽だ。
私はしばらく横になっていた。壁にもたれているよりか数段楽になった。少しずつ体力が回復してきて思考力も戻ってくる。タイムカウンターに目を背けるような形で寝ているのだが、とりあえずそれがよかったみたいだ。あれはどうも私の気をおかしくさせる。
少しのどが渇いてきた。しかし、水らしきものが部屋の中にあるわけではない。犯人はまさか、このまま私たちに水も食料も与えずに放置させるつもりなのだろうか。
まさかそれはないだろう。そんなことをすれば、5日と持たず、2日で二人とも死んでしまう。もし犯人の思惑が私たちの殺し合いなのだとすれば、必ず敵はどこかで水と食料を運び入れるはずだ。
頭の中で「脱出」という2文字が浮かんできていた。
この部屋と外をつないでいるのは、換気扇と正面の扉だけ。換気扇は常に回っているからそこから逃げることは不可能。となれば、もし逃げるとするならば、前の扉から逃げるしかない。
いつこの扉が開け放たれるのかは分からない。しかし、犯人は必ず私たちに水と食料を与えにこの部屋を訪れるはずだ。その瞬間がチャンスとなるはずだ。
しかし・・・まだ分からないことがあまりにも多すぎるのだ。
如月さんが言ったように、どうして犯人が私たちの記憶を奪ったのかの謎もある。脱出に関係することといえば、そもそもここはいったいどこなのだろうか。風の通りの具合を察するに、地下のようだが、それ以外は一切何もわからない。東京なのか大阪なのか名古屋なのか。
犯人の人数もわからない。正直な話、私はこの犯行を一人でやっているとはとてもではないが思えないのだ。そもそも私たちを捕まえる過程を考えれば、一目瞭然だ。私たちを気絶させ、そして私たちをここまで運ぶ。それを考えれば、どう考えたって一人でこの犯罪を行うのは無理に決まっている。
問題は、いったい犯人が何人いるのかということだ。犯人が何人か、それが分からなければ、脱出作戦を立案し実行するにあたっても、思い切り不利になってしまう。
分からないついでに、不思議なことがある。それは、この如月千早という人物についてだ。
少し冷静になって彼女のことを観察していると、不思議と彼女に対する、そこはかとない憤りを感じるのだ。どこか心にもやもやとした気持ち、言葉ではうまく説明できないような、腹立たしさを感じる。
私はもう一度むくりと起き上がり、壁に寄りかかりながら、瞑想しているのか寝ているのかわからない青髪の少女に顔を向けた。
如月さんの顔は、まるで絹のように透き通っていて美しい。裸電球一つに照らされ、陰を作りながらもよくわかる。華奢な体に青い髪、そして目を瞑っていてもわかる端正な顔立ち。
その様子をじっと見つめていると、今度は胸がドキドキしてくるのだ。何なんだこの感情は!?自分でも驚いて、彼女から目をそらした。
私はレズビアンではなかったはずだ。それなのにもかかわらず、どうして女の子の寝顔を見てドキドキしなければならないのか。どうも如月さんの存在は、私の心の静穏を妨げるようだった。
しばらくして、コツコツと廊下らしきところを歩く音が聞こえた。その音はどんどん大きくなっている。明らかに、こちらの方へ向かってきている。私は緊張した面持ちで扉の方を見つめた。そしてやがて扉の前まで足音の主がやってくると、いきなりガチャリとドアが開いた。
廊下から光が差し込んでまぶしい。
「んっ・・・何?」
如月さんも突然の閃光に目を覚ましたようだった。
逆光の中で、人がシルエットに見えたが、やがて薄暗い部屋に入ると、その全景が露わになった。この部屋を訪れたのは男性だった。男は背広を着こんでいて、筋骨隆々といった感じだ。とにかくガタイがいい。そしてサングラスをかけていた。
手にはコンビニの袋が握られていた。
男は「食事と水だ。」というと、それを私の前に投げつけた。
そして男は、一旦扉を閉め、部屋の奥の方へと向かい、汚物の入ったバケツを回収すると、足早に部屋を立ち去ろうとした。
私はその様子をあっけにとられて見つめていたが、我に返って、男に質問をぶつけてみることにした。何か情報を得ることができればもうけものだ。
「あなたは一体何者なの?さっきのスピーカーと同じ人?」
しかし、男は黙して答えない。立て続けに次の質問をぶつける。
「あなたもしかしてヤクザ?誰かに雇われているの?どうしてそんな暑苦しいスーツを着ているの?」
それにも答えなかった。男は、再びドアを開けると、「余計な詮索をするな。痛い目を見ることになる」とだけ放って、扉を閉めた。
あなたはヤクザ?私はとっさにそう尋ねたのだが、一瞬の印象として、私は犯人はヤクザなのではないかと感じたのだ。
今回の犯行は素人ではありえないと思う。薬品を嗅がせて意識を失わせ、ここまで運搬して、部屋に監禁する。それに二人も。もしかしたら、それだけなら素人でもできるのかもしれないが、あの男の存在は、その可能性を完全に打ち消していた。
あんな巨体の人間が、素人に混ざっているわけがない。犯人はプロだ。多分、ヤクザ集団なんだと思う。でも、どうして?どうして私達みたいなしょうもない人間二人をわざわざ拉致したのだろうか。それに、お互いに殺し合いをさせるなんて、ヤクザ達にとってはメリットの無いことをするのだろうか。
考えらえるのは、「誰かに雇われた」ということだ。ヤクザ達が自律的にこの拉致監禁を仕組んだのだとしたら、多分、身代金誘拐になるのだと思う。あるいは、性的誘拐。でも今回の事件はどちらでもない。怨恨。私たちは別にヤクザと関わったりしたことなどない・・・そう信じたい。何もかも、記憶を消されているせいで断定できないのだ。もしかしたらやくざと関わっていたかもしれない。そしてやくざに恨まれるようなことをしたのかもしれない。でも、もしもそうでなかったとすれば、「誰かに雇われた」、そうとしか考えられない。
となると、その『雇い主』が誰なのか。
それよりも気になったのは、男があまりにも無防備だということだ。犯人は油断しているのではないか。さっきの男は、部屋に入った後、汚物が入ったバケツのところまで歩いて行った。その間、部屋の扉の鍵は開いている。だとしたら、そのすきをついてここから逃げることはできるかもしれない。
しかし、あまりにも出来すぎた話でもある。もしかしたら罠なんじゃないだろうか・・・あえて油断させて、こちらが行動を起こすのを狙っているのではないか。
考えすぎなのかもしれない。男は屈強だった。だから、仮に私たちが逃げ出そうとしても、捕まえられる自信があるということなのかもしれない。
そうさせないためには、あいつをひるませなくちゃいけない。何かいい方法は、ないだろうか・・・。
私は、男が乱雑に投げつけたコンビニ袋の中をのぞいてみた。中には、1リットルのペットボトルの水が2本、おにぎりが4個、調理パンが4個入っていた。さすがに、武器となりそうな箸やフォーク等は入っていなかった。そういうものを使わなせなくするために、固形物の食事を与えてきたのだろう。
「目が覚めたんですね、如月さん。」
私は少し離れたところでぼーっとしていた彼女に声をかけた。
「ええ。瞑想して記憶を掘り起こすつもりが、つい寝てしまって。」
「おはよう、如月さん。」
「おはようございます、天海さん。」
私はガサゴソとコンビニ袋の中をあさり、その中にあった調理パン2個とおにぎり2個を彼女に差し出した。
「如月さんの分です。」
しかし、彼女は受け取ろうとしなかった。
「ええ・・・ありがとうございます。だけど、食欲がわかなくて。」
「じゃあ、後にします?」
「・・・そうします。」
それを聞いて私は食べ物を袋の中にしまった。私たちの前に犯人が食事を運んできたのは予想通りだった。しかも男は予想以上に無防備だった。そこに活路を見いだせるかもしれなかった。
ぐぅ~。
目が覚めてから数時間が経っていたが、腹の虫は早くも限界にきているようだ。眠らされてた時間が長かったのかもしれない。私は、コンビニ袋の中から、シーチキンのおにぎりを取り出し、包装を破り始めた。
買ってきたコンビニから場所を特定しようとも考えたのだが、コンビニなんてそれこそ全国にある。これでは特定しようがないのだ。
あらわになった三角おにぎりをほおばりながら、私は如月さんに尋ねた。
「何か他に思い出したことはありますか。」
「いや・・・何も。」とうつむきながら答える。
「ごめんなさい・・・さっき話した以上のことは、何も思い出せないの。」
「そうですか・・・。」
「天海さんの方は、何か思い出せましたか。」
正直な話、記憶をたどる余裕なんてなかった。訳が分からないことが多すぎて、頭が整理できていないのだ。
「ごめんなさい・・・私も、何も思い出せないんです。」
「そうですか・・・。あっ、ただ私、天海さんについて少し思い出したことがあったんです。」
「思い出したこと・・・。何ですか。」
如月さんは、少し戸惑ったような表情を浮かべた。口走ってしまったことをまるで後悔しているみたいだった。
「何ですか、如月さん。」
「実は・・・」
そう言いかけて、口をつぐんだ。
「やっぱりやめておきます。」
「何なんですか!?気になりますよ。そこまで言っておいて。」
「だって、失礼に当たりますから。そんなことを言うのは。」
私は如月さんに少しだけ詰め寄った。
「今は非常時なんですよ!?もったいぶらないでくださいよ。」
最初、如月さんはてこでもその内容を言うつもりはなかったのかもしれない。しかし、最終的には如月さんが口を割った。
「実は・・・あなたの『表情』を思い出したんです。」
「表情ですか・・・。」
「ええ。あなたの、『仏頂面』。」
「笑顔とか朗らかな顔ではなくて、よりによって『仏頂面』ですか。」
私は少しせせら笑いをしたのだが、如月さんは動じる様子もない。
「ええ。」
「どうして仏頂面なんですか。笑顔とかもっと特徴的な表情はたくさんあったはずなのに。」
私は少し如月さんに抗議した。
「ごめんなさい・・・。でも、どういうわけか、それがすごく印象に残ってて。あっ、あと・・・。」
「まだ何かあるんですか?」
私はぱりぱりと音を立てながらおにぎりを頬張っている。
「天海さん・・・あなた、両親の記憶ってあります?」
両親?また唐突な・・・。
私は如月さんに言われて頭の中をかき回していた。うっすらと私の中で影が見える。あの影は、女性。お母さん?
「母親の記憶は・・・何となくですけどあります。」
「じゃあ、お父さんは?」
父親・・・ちちおや・・・。
しばらく如月さんと同じように目を瞑って思い出そうとしていた。しかし、お母さんの時にはシルエットが浮かんできたのに、どういうわけか、お父さんを思い出そうとしても何も出てこないのだ。
「やっぱり、思い出せないんですね。」
「・・・はい。」
如月さんが天井を見上げる。
「もしかしたら、天海さん、お父さんはいなかったのかも。」
私に父はいなかった。それって・・・。
「私は母子家庭だったってことですか?」
如月さんは私の方を見つめて言った。
「分かりません。あなたからそういう話を聞いたという記憶はない。だけど私は、あなたから母親の話は聞いたことがあったような気はするんですけど、父親については何も聞いたことがないような気がする。だから、あなたに父親はいなかったんじゃないかって。あくまで、そういう『気』という問題なんですけど。」
「そうですか・・・。」
としか言いようがない。自分が何者なのかもよくわからないのに、「あんたに父親はいないかもしれない」と言われたところで、全然ぴんと来ないし、なんとも思えない。
それにしても、この人はどうしてこんなに落ち着いているのだろうか。
私なんてさっきから鼓動がドキドキ鳴りやまないというのに。
「ねえ、如月さん。あなたはどうしてそんなに冷静なんですか。」
私は彼女のことを少し睨みながら言った。もしかしたら、この人は心の中でもう私を殺すことを決意しているのかもしれない。だからこそ、こんなに冷静でいられるのかもしれない。
私には彼女の態度が訝しく思えてきた。自分だけ助かる気なんじゃないだろうか。
「自分でもよくわからないんです。どういうわけか、不思議とこの空間を自然に受け入れている自分がいる。こういうものなんだって、ちょっと納得してる。」
?????
なんでそうなるの?
「如月さん、ドキドキしません?こんな訳の分からない状況に追いやられて、意味不明で何したらいいか、どうすれば助かるのか何もわからなくて。どうしてそんなに冷静にいられるんですか!?」
私のこもった怒りの声にも、彼女は表情一つ変えない。
私は少し怖くなった。そして、尋ねようとした。あなたは私のことを殺そうとしているのではないかって。
「如月さん、あなた・・・。」
如月さんはタイムカウンターの方をぼーっと眺めている様子だったが、私の口を封じるかのように先手を打って言った。
「大丈夫ですよ。私、あなたのこと殺したりしませんから。」
信じられるか!そんなの・・・。
「どうやって信じろっていうんですか。そんなこと。」
如月さんが逆に聞いてくる。
「じゃあ、殺します?私のこと。」
「そんなの・・・。」
殺しますなんて言えるはずがない。だからといって、殺さないなんて約束できるはずもない。
「その閉口こそが答えですよ。」
「あなたは嘘をついているんですよ!」
「・・・そうかもしれないですね。」
なんなんだ、この人、どうしてそんなに心が空っぽなんだ!?
「私。肝心なことが思い出せないんです。」
如月さんがタイムカウンターを見ながら、私に話しかける。
「何ですか。肝心なことって。」
「私、さっきも話した通り、母が再婚して私は母の連れ子だったんです。」
「ええ。それはさっき聞きました。」
「私は、再婚した父に愛されなかった。」
「それで?」
「ゆがんだ食卓のイメージが浮かんでいました。父親と母親と妹の千尋、その3人が食卓を囲み、私はそれをさみしく少し恨めしそうに見つめている。それは中学生くらいまでの記憶なんです。」
「はい。」
如月さんが、細かく震えていることに気付いた。
「どうしました?」
その声かけにはあえて無視して彼女は続ける。
「どういうわけかまだ分からないんですけど、この食卓のイメージ、私が中学生くらいの時のイメージで終わっているんです。」
「つまりそれって・・・中学生よりも後は、別のイメージだったってことですか?」
「いや、分からないんです。何も思い出せない。だけど私・・・なんだかよくわからないけど、とても悪い予感を感じるんです。」
「悪い予感ですか。」
「何かとんでもないことをしでかしてしまった、そんな予感です。」
返す言葉が見つからない。抽象的だが、でも恐らくその予感は、単なるあてずっぽうではない。彼女の奥底で眠る記憶に基づくものなのだろう。
「天海さん・・・何か覚えていませんか。私が何をしでかしてしまったのか。そのこといついて。」
如月さんがしでかしてしまったこと・・・。それは恐らくこの事件の犯人像にもかかわってくることなのかもしれない。大事なことだ。とはいえ、そうやすやすと思い出せるはずもないのだ。
「ごめんなさい。今は力になれそうにないです。」
「そうですか・・・。」
彼女はどこか上の空だった。
初めて彼女の人間らしいところを見たような気がした。一見して鉄面皮のように見える如月さんも、結局は生身の一人の人間でしかないのだ。
しかし気になる。如月さんが「自分が殺されるかもしれない」こと以上に恐れている「悪い予感」。それはいったい何なのだろうか。
おにぎりとサンドイッチを食べ終えた私は、壁に寄りかかり目を瞑ることにした。過去を思い出すことが、状況を変えることになるとは思えなかったが、なんだか気になってきた。自分に何があったのか。思い出そうとして思い出せるものなのかは分からないが、食事をした後の眠気を促すようなリラックスした状況ならば、もしかしたら、思い出せるかもしれない。
そんなことを願いつつ、私は夢か現か分からない時間の中で過去を取り戻し始めた。