第4節 二人の過去
「映画ですか。」
「うん。千早ちゃん、見に行かない?」
3月11日、東北で大きな地震があった。その揺れは関東にまで波及し、この大学も大揺れが襲った。そのために、大学が4月から開学できない恐れもあったが、設備がしっかりしていたおかげで、無事4月から開学できた。
新人歓迎会も終え、大学も落ち着きを見せ始めたころ、サークルの部室の真ん中にあるちゃぶ台で、私と望月先輩はおしゃべりをしていた。そんな最中、先輩が私を映画に誘ってきたのだ。
「ちょうど試写会のチケットが2枚あるんだ。せっかくだから、千早ちゃんと見に行きたいなって思って。」
「いいんですか、私なんかで。」
先輩は笑って言う。
「千早ちゃんと行きたいんだ。」
「何々、何の話しているんですか。」
テレビの前でみんなでゲームをしていた春香が、私に話しかけてきた。
「春香には関係ない話よ。ほら、みんな待たせてるでしょ。戻った戻った。」
私は、二人きりの状況を作るため、春香を追い返した。
「ちぇー、つまんないの。」
春香はすごすごとテレビの前に帰っていく。テレビゲームに興じている中には、雪村さんの姿があった。春香は、その持ち前の明るさで、雪村さんとの関係も修復できたようだった。
「聞かせてもらいましたぜ、兄ちゃん。」
そう発言したのは、今年入ってきた新入部員の双海亜美だ。京極さんが、持ち前のチャラ男ぶりを発揮して一本釣りしてきた今年の目玉だ。見た目はとても18歳には見えないほど幼く、誰とでも仲良くなれる人懐っこさがある。春香と少し似ている気がするが、言行・風貌共に少し幼すぎるように見えるのが、春香と違うところだった。
「二人は付き合ってるんでしょー。すごく仲いいし。」
私は少しワザとらしく、恥ずかしがってみた。
「そ、そんなんじゃ、ないわよ・・・。」
先輩も笑いながら言う。
「そうそう、千早ちゃんの言う通りだよ。」
「でも、二人で映画行くんでしょ。」
「それは、チケットがたまたまあったから。」と先輩。
「なんか、あやしー。」
きっとこの子は、純真な子なのだろう。だから、ここまで人の色恋に介入しようと思うのだ。だけど、ただ単純に、彼女はまだこのサークルの中にある「秩序」を知らないだけなのかもしれない。
あまりにも亜美が私たちの方を凝視してくるので、完全に居づらくなってしまった。
「少し、外に出ませんか。私、喉渇いちゃった。」
「そうだね。何か飲み物を買ってこようか。」
私たちは、ゆっくりと立ち上がった。
「俊、俺はファンタグレープな。」と京極さん。
「美希はイチゴオレがいいの。」と美希。
「こらこら、望月先輩をパシリに使うんじゃないの。」
部屋の奥で一人雑誌を読んでくつろいでいた音無さんが、二人を注意した。音無さんも就活で忙しいみたいだが、たまに息抜きみたいにこのサークルを訪れるようだった。
「はいはい、ファンタグレープとイチゴオレね。」
先輩がやれやれといった表情で、注文を取った。
「じゃあ私は午後の紅茶。」と春香。
「俊、私はミルクティーね。」と雪村さん。
もうすっかり、みんな便乗する気だ。
「はいはい、分かった分かった。」先輩もあきれ顔だ。
結局、私たち二人が全員分の飲み物を買ってくることになってしまった。
「結局、良いように使われちゃいましたね。」
私たちはサークル塔を出て、駅前のコンビニへと歩いていた。
「そうだね。でもせっかくだから、少しそのあたりを散歩していかない。」
「ええ。そうしましょう。」
私たちは、踵を返して、中央広場の方へと向かうことにした。飲み物は少し散歩してからでもいいだろう。
「試写会のチケットなんてよく取れましたね。名探偵コナンの映画ですよね。人気なんじゃないですか。」
先輩が照れながら言う。
「いやー、もともと知り合いに映画製作者関係の人がいてね、その人の好意でもらったわけ。でもまあ、見に行く人がいないから。」
「・・・作戦に使ったと。」
「ご名答。」
先輩は、私に指をさして正解を指し示した。
「きっと春香なら、喜んでたでしょうね。」
私は春香のことを気遣っていた。
「千早ちゃんは、映画嫌いだっけ?」
「いいえ、別に嫌いではないです。ただ、あまり経験がないだけ。」
「じゃあ、ちょうどいいじゃん。映画館の中で食べるポップコーンもおいしいんだよ。」
私はくすくす笑った。
「先輩、まるで思考回路が春香みたいですね。」
「あれ、そうかな?」
「そうです。」
作戦を発動して以降、こうやって二人きりでバカ話をすることも増えた。私は、そんな他愛もない会話に、心地よい満足を感じていた。
「二人で映画を見に行ったことはあるの?」
先輩がふとそう聞いてきた。
「二人って、春香とですか。」
「うん。」
もちろんある。だけど、それは私たちが『家族』になってからのことだ。
「ええ、ありますよ。高校3年生の時ですね。」
「そういえば、二人っていつから知り合ったの?」
話は私と春香の馴れ初めへと向かっていた。正直、この話題は避けておきたかった。私と春香は、先輩が思い描いている以上に闇を抱えているのだ。
「・・・高校一年生の時です。仲良くなったのは、その年の秋くらいからですね。」
「二年以降は?」
「私と春香は別のクラスになっちゃったんです。私が秋月先生のクラスで、春香が黒井先生のクラス。三年も別々でした。」
「ふーん、そうなんだ。何か具体的なきっかけはあったの?」
私は少し怪訝な顔を浮かべた。
「そんなこと聞いてどうするんですか。」
「ちょっと、気になってね。話したくないの?」
先輩が不思議そうな顔を浮かべている。私は、自分が示した態度がおかしいことに気付いた。普通に考えれば、それは他愛もない会話。仲のいい二人が、どうやって知り合ったのか、そのきっかけを尋ねるのは何ら不思議ではない。むしろ、それに対して隠し立てしている風に見えるほうが問題なのだ。
「別に大したことではないですよ。春香がさみしく一人でいたところを、私がお昼ごはんに誘ったことがきっかけです。」
これは嘘ではない。
「で、一緒にご飯を食べたの?」
「ええ、そうです。」
これも最終的には嘘ではない。最終的には、後日ご飯を食べに行ったのだ。だから、嘘ではない。
「春香が一人で寂しくしてたななんて意外だな。イメージとしては、まるで逆なんだけどな。」
「どういう意味ですか。」
私が根暗だって言いたいのかしら。失礼しちゃう。
「いやいや、春香って天真爛漫だから、春香の方から千早ちゃんに声をかけたのだと思ってたよ。ほかに友達はいなかったの?」
そうか、そういうことか。10月の時点で「一人寂しく」している。つまりそれは、友達がほかに居なかったということだ。
「・・・・。」
図らずも私は、春香の暗い過去の一幕を暴いてしまったのだ。
「そっか。そういうことなんだね。」
「・・・春香は、いじめられていたんです。高校一年生の頃。同級生の女の子がいじめられていて、その子をかばって、逆にいじめのターゲットになった。だから・・・春香は一人寂しくしていた。それだけです。」
こうなったら、美談にするしかない。美談とはいえ、これも事実だ。魔王エンジェルたちに、佐藤さんはいじめられていた。その彼女を助けて、代わりにいじめのターゲットになったのが、春香なのだ。
「そうか。春香は、意志の強い優しい子だったんだね。やっぱり春香は、僕が思っていた通りの女の子みたいだ。」
先輩は少し上機嫌になった。素直に喜ぶべきなのだろうか。
やがて、私たちは中央広場のベンチへとたどり着いた。
「少し座ろうか。」
望月先輩が私をエスコートした。私と先輩は、ベンチに腰を下ろした。
「やっぱりまだ少し肌寒いね。」
先輩がそうつぶやいた。4月も中盤に差し掛かりつつあるとはいえ、この日は上着を羽織っていないと少し肌寒さを感じる気候だった。
「そうですね。」
私はベンチから見える噴水を見つめていた。先輩も同じ方向を見つめている。彼は今何を考えているのだろうか。彼の目線の先は見通せても、彼の見据えた先にあるものは見通せない。
「でも、千早ちゃんも偉かったね。よく春香を助けようと思ったね。」
「えっ?」
「だって、春香はクラスの中でいじめにあっていたんでしょ。しかも、別の子を助けて自分が半ば身代わりになった。そうした状況の中で春香を助けたら、今度は自分がいじめられてしまうかもしれない。そんな危険を冒してまで、千早ちゃんは彼女を助けた。春香は、千早ちゃんに救われたんだね。」
きっとそうだ。私が春香を助けなければ、きっと春香はずっといじめられていたままだっただろう。そして、春香は・・・きっとこの世にいなかった。
「二人の仲がいい理由もわかるよ。春香が千早ちゃんを好きになる理由がよくわかる。」
私はずっと無言だった。
私には分かった。望月先輩は・・・、この人は、私たちの過去に触れようとしている。今まで、興味がなかったのか、あえて避けてきたのかわからないけど、私たちの過去については尋ねてこなかった彼が、どういうわけか、私たちの過去に手を伸ばそうとしているのだ。
「でも、千早ちゃんは、どうして春香を助けたのかな。」
私は少し震えた声で反論した。
「助けちゃいけませんか。」
「そんなこと言ってないよ。素晴らしいと思う。僕がそんな状況の中に居たら、春香を助けようと思ったかどうか、正直怪しいよ。」
「人を助けることに、理由はいらないんじゃないかしら。」
先輩は、ゆっくりとこちらを振り返りながら、何かを押し殺したような表情で述べるのだ。
「人を助けることには、理由はいらない。でも、人が人を助けるのに、実際は理由はあるんだよ。動機と言い換えてもいい。可哀そうだから。だから助けた。その可能性は十分にあるし、それはそれで美しいと思う。でも僕だったら、そんな判断はしないと思う。」
私は先輩から目をそらし、地面を見つめていた。先輩は再び遠くを見やり、ゆっくりと語り始める。
「千早ちゃんは、その時は春香と何ら面識がなかったはずなんだ。ただの一クラスメイト。そんな彼女に、君は自分がいじめられて、そして身代わりにされて傷つくかもしれない、そんなリスクを背負ってまで春香を助けた。春香にとっては、ものすごくうれしかったに違いない。二人が友達になるのは当然だ。とはいえ、それでは説明がつかないんだ。」
「何がですか?」
「そこまでして、春香と友達になりたかった理由だよ。」
私は少し色をなして反論した。
「友達になるのに、理由がいりますか?」
「友達になるのに理由はいらない。でも、友達になろうとするのには理由がいると思う。特に、今みたいなケースの場合はね。」
私は担当直入に先輩に尋ねた。
「望月先輩、あなたはどうしてそんなことを知ろうとしているんですか。そこに何の意味があるっていうんですか。」
怒りのこもった詰問に、先輩も我に返ったようであった。
「・・・ごめん。少し意地が悪すぎた。」
しょんぼりしている彼の姿を見て、私も言いすぎたと後悔した。
「・・・ごめんなさい。少し言いすぎました。」
「いいんだよ。僕が変なことを聞いてしまったからいけないんだ、ごめんね。」
私は遠くの噴水を見つめなおし、諭すように先輩に述べた。先輩もまた噴水の方を見つめていた。
「先輩の勘は正しいです。一緒に地方から同じ大学へと進学した親友同士、一緒に暮らし、こんな突拍子もない作戦を行う親友同士、ただの親友関係ではないと考えるのが、もしかしたら真っ当な感覚なのかもしれません。そして、ご想像のとおり、私たちはただの親友同士ではありません。」
「秘密があるってこと?」
「・・・ええ。だけど、それが何なのか、それはたとえ先輩でも教えられないことなんです。」
先輩は、にんまりしながら尋ねてくる。
「例えば、二人はレズとか。」
ぷっ。思わず吹き出してしまった。半分当たってる。
「なんでそうなるんですか。」
「そうだったら、面白いかなって。」
「本気で怒りますよ。」
「ごめんごめん。冗談だよ。」
私は、少し顔を緩ませた。この人は、本当に困った人だ。
「僕は、あまりにも春香のことを知らなさすぎるんだ。僕が知っている春香は、大学に入ってから見る姿でしかない。彼女がどんな人生を送って、どんなことを考えて、どんなことを感じてきたのか。多分僕は、千早ちゃんの三分の一も知らないと思う。」
「だから、春香のことを聞いてきているんですか。だったら、本人から聞けばいいんです。私なんか通さずに。」
すると意外な答えが返ってきた。
「僕には確信があるんだ。春香は僕に、いや、僕だけじゃなくて、みんなに隠し事をしている。いろいろと大きな隠し事をね。それは、千早ちゃんも同じだ。だから、春香に春香自身のことを聞いても、答えは返ってこない。」
「どうして、先輩は隠し事をしていると思うんですか。そんなの言いがかりですよ。」
先輩は黙り込んでしまった。どうやって、話を持っていくかを考えているような感じだった。
「ごめん、千早ちゃん。企業秘密ってことにしてくれないかな。」
どういうことかしら、「企業秘密」って。
「私に言えない方法で嘘を見つけているってことですか。」
先輩は弱ったなーという表情をしている。
「まあ、別に普通に接していても、二人が何か『闇』を抱えていそうなのは、見て取れるんだけどね。」
「春香は母子家庭、そして私は男性不信。普通の人間じゃないと。」
「そこまではっきりとは言わないよ。それに、だからと言って差別するわけじゃない。僕は知っているんだ。春香が・・・彼女が、親から虐待を受けていたってね。」
何ですって!どうして、どうしてそんなことをあなたが!
「どうしてそんなことを・・・。そのことは、誰にも言ったことはなかったのに・・・。」
「春香が話してくれたんだ。別に誘導したわけじゃない。彼女が自分で、自発的に話してくれた。それだけだよ。」
春香は自分が虐待を受けていた過去を隠したがっていた。それを先輩に吐露するということは、春香は本当に彼のことを受け入れているのだ。
先輩は言う。
「春香は、親から愛情を貰えず、そして高校時代も悲惨ないじめにあっていた。心身を痛めつけられ、絶望の淵にいたところを、君が救ってくれた。」
私は先輩の方を振り向いた。先輩は目を潤ませている。
「春香は君のおかげで救われた。千早ちゃんが、春香を救ってくれたんだ。おかげで、彼女はまるで『太陽』のように明るくなった。」
「だったら、良いじゃないですか。あなたは、春香のことを知っている。春香は、先輩のことを信頼して、自分の悲しい過去を明かしたんです。こんな形で、私に詮索するなんて、春香の信頼を裏切ってますよ。」
「それは承知している。だけど、僕は春香のすべてを知りたいんだ。というか、知らなければならない。春香と結婚する、春香と一族になる。それは、春香のすべてを受け入れて、望月家に取り込むということなんだ。だから、知らないことがあるのは、許されないんだよ。」
私は先輩の目を覗き込んだ。その目は、真剣そのものだった。
「春香は・・・本当に、可哀そうな子なんです。私の口からは、うまく言えないし、言っちゃいけない。私は、本当にそんな春香に幸せになってほしいと思ってます。一緒に住んでいて、春香が先輩を射止めるためにどれだけ苦労をしてきたか、隣で見ていた私が一番知っていると思う。だから・・・どんなことがあっても、春香を・・・春香を、愛してほしい。これが私からの切なる願いです。」
先輩は聞いているのか聞いていないのか、私の言葉には何も答えなかった。
「千早ちゃん、僕は春香のことを愛している。だから、目の前にある障害を取り除こうとしている。たとえそれが許されない方法だとしてもね。僕の決意、信じてくれるかな?」
私はゆっくりとうなずいた。
「そのためだったら、私だって捨て石になりますよ。」
「・・・ごめん。」
私は先輩に笑いかけた。
「いいんですよ。こうやって、あなたとお話しできる。それはそれで、楽しいですから。」
私はゆっくりと立ち上がった。
「さ、もうそろそろコンビニに行きましょう。これ以上遅れますと、さすがに不審がられますよ。」
先輩も笑顔で立ち上がる。
「そうだね。じゃあ、行こうか。」
先輩がすたすたと歩き始める。そこには、涙を浮かべていた彼の姿はもはやなかった。
「あっ、先輩待ってください!」
私は先輩に遅れまいと、速足で先輩に追いついていった。
望月先輩は、春香が、そして私がサークルのみんなに隠し事をしている。その事実に気付いていた。確かに、私たちの身にあったことと、私たちが公にしている「事実」はあまりにもかい離している。そして、私たちが過去のことについて、うやむやにして隠そうとしている。望月先輩が、そのことに疑念を持つのは不思議ではない。春香は虐待を受けていた過去、そしていじめを受けていた過去を隠していたのだ。ほかに隠し事があるのではないか、彼がそう勘ぐるのも、そこまで不自然な動きではない。
いつか春香は、ことのすべてを先輩に話さなくてはならない。でも・・・私は不安だった。私をあの男から解き放つために、彼女が手を染めた犯罪、そして彼女の悲劇的な出自。
そのことを知ったうえで、先輩は尚もまだ春香のことを愛してくれるのだろうか。春香が殺人犯で、「生まれてはいけない子」だと知って、それでも尚、先輩は春香を受け入れてくれるのだろうか。
私は、そのことがとても不安だった。