第7節 結合
私の中の心の迷いは、日に日に大きくなるばかりであった。
美希に言われるまで、まったく気づかなかった。私の知らない間に、春香そして先輩の心は徐々に変わりつつあったのだ。そして、かくいう私も、徐々に先輩に心を奪われつつあった。
美希は、「先輩は私のことを少しずつ本気で愛し始めている」という趣旨のことを言った。私はその言葉が気になっていた。私自身、最近の望月先輩が少しずつおかしくなり始めていることに気づいていた。まるで本当に自分自身を春香から奪ってほしいと言いださんとしているように感じられたのである。
美希は、私たちが雪村さんを出し抜くために演技をしていることを知っていた。それを知ったうえで、先輩が私にひかれているのが「演技ではない」のだという。美希が感じたこの違和感と、私が感じている違和感、それは多分きっと同じものだ。
だとしたら、何故先輩は私のことを愛し始めてしまっているのだろうか。私は、先輩は依然として春香のことを愛しているのだと思う。それは、美希も同感のようだった。
私は怖かった。美希は私に「不幸なオーラ」があって、「守ってあげたくさせる」力があるのだという。自分では自覚していないけれど、もし私にそんな「魔性」があるなら、それは本当に危険なことだと思う。
本当なら、今すぐ彼とは別れなくちゃいけない。別れて、もう二度と会わないようにしないといけないのだ。そうしないと・・・たぶん私はきっと耐えられない。本当に春香から先輩を奪ってしまいそうだった。
けれど、演技をやめるわけにはいかない。ここでやめてしまったら、今までの努力がすべて水の泡になってしまう。それに春香だって、先輩と結婚することができなくなってしまう。今ここで作戦をやめるわけにはいかないのだ。
5月末のある平日のことだった。私は京王線に揺られて新宿を目指していた。この日、私は先輩に食事に誘われたのである。望月先輩は例のごとく、会社での手伝いがあるということらしく、それが終わってから食事をすることになっていた。集合時刻は午後6時。京王線の改札口前である。
この時間の新宿駅は、かなり込み合っている。サラリーマンの帰宅時間と被っているからだ。登りの京王線は人が少なくても、改札前は、人が多い。私は、集合時刻の10分前には駅について、彼が到着するのを今や遅しと待っていた。
6時5分前になって、彼が小走りで私の前に現れた。
「千早ちゃん、待った?」
「いえ、5分前についたところです。」
「良かった、遅れなくて。何とか会社を抜け出せたよ。」
「いいんですか、そんなことして?」
「大丈夫。そっちの方は割と融通が利くから。さ、行こうか。」
そう言うと、彼は私の手を握り締めて、前へと歩き始めた。私は引っ張られる形になりながらも、遅れないように、彼についていく。
美希から指摘があった後、私からの提案で、彼と一緒にいるときには基本的に手を繋ぐことにしたのだ。最初はものすごく抵抗があった。彼もそれを気にしていたようだった。けど、最終的には今みたいに、自然と手を繋ぐことができるようになった。
私が怖いのは、体の感覚なのだ。体がかっちりと固められて、身動きが取れない、そんな状況。男の人に抱きしめられているというあの感覚、私はあれが苦手だった。でも正直な話、それを克服しようなんて気持ちはさらさらなかった。なぜなら、少なくとも先輩と「そういう関係」になることはありえない。だから、当面その問題を何とかする必要はないのだ。
私たちは新宿西口方面へと向かっていた。彼がレストランを予約してくれているみたいだった。
「今日のお店はイタリアンなんだ。」
「ありがとうございます。」
実のことを言うと、学外でこうやって二人一緒に過ごすのは久しぶりだ。最近の先輩はとても忙しいようだった。学業に、サークルに、会社。そしてこの作戦の為に、私と一緒にいなければならない。だから、私たちが学外で会うことはほとんどないのだ。そもそも、会う必要がない。それに二人のスケジュールが合わないこともしばしばだった。
今日の食事は、先輩が誘ってくれたものだった。たまたま、二人のスケジュールが空いていたから実現したデートだった。
私たちは、軽い小話をしながら目的のイタリアンレストランに向かっていた。そのレストランは、西新宿の高層ビルの最上階付近にある。見た目にも明るい、いかにも高級そうな店だ。
「先輩・・・今日はまたずいぶん豪華な店ですね。」
私たちはまだお店の中には入っていなかったが、外装を見ただけで、このお店がいかに高い店なのかは伝わってきた。
「大丈夫。僕が全部払うんだから。」
先輩は笑顔でそう話しかける。先輩は私の手を引いて、店の中へと入っていった。私たちは、店員に連れられて、全面ガラス張りの窓側の席へと導かれた。
座席は、新宿の夜景が一望できるように、対にはなっていない。テーブル自体が窓に対してひし形の形で置かれ、そのひし形の左下と右下に座席がある形となっている、
店員のエスコートで私たちは席に着いた。先輩はひし形の右側、私は、ひし形の左側に座った。
「千早ちゃん、イタリアンのフルコースって食べたことある?」
「今日はフルコースなんですか。」
全く聞いていない。今日は食事に行くってことしか聞かされてないのだ。
「そうだよ。まだお腹すいていないとか。」
時刻は6時15分くらいだ。お腹が捨ていないわけではないが・・・。
「いや、お腹は空いているんですけど・・・フルコースなんて、私食べきれる自信ないです。食べたことなんてないですし。」
小食の私には、少し自信がなかった。
「大丈夫だよ。そんなに量が多いわけじゃないし。別に残しても、大丈夫だから。」
「そうですか・・・。」
フルコース・・・、そういえば春香がクリスマスに連れて行ってもらったのは、フレンチのフルコースだった。
「ワインをオーダーしようか。ちなみに今日は肉料理のコースだから、赤ワインにしようと思うんだけど、千早ちゃんもそれでいいかな。」
「先輩・・・私一応未成年なんですけど・・・。」
「そう?じゃあ、どうするソフトドリンクにする?」
少し迷っていた。正直な話、今日は酔ってみたい気がするのだ。少し重いものを抱えすぎている。お酒の力を借りて、少しでも発散できればいい。
「いえ、私も赤ワインで・・・。」
「そうこなくっちゃ!」
先輩が赤ワインを頼んだ。注文も手慣れたものだった。
最初の料理が運ばれてくるまでは、少し時間がかかるようだ。私は窓から見える新宿の夜景を眺めていた。
「きれいですね。」
正直夢みたいだった。私は、本当は地元の田舎で細々と働いているはずだった。それが、ひょんなことから大学に通うことになり、そして今、私は憧れの望月先輩と一緒に、こうして高級なお店で新宿の夜景を眼下に見下ろしながら、食事をしている。たとえその思い出が、工作の為の偽りのデートだとしても、今の私にはそれで十分だった。
「そんなに、夜景がきれいかい?」
先輩が不意に聞いてくる。あまりにもまじまじと夜景を見つめているのが気になったようだった。
「ええ。今日はよく晴れてますから、遠くのほうまで一望できますからね。それに、こうやって夜景を見ながら食事なんて・・・本当に夢見たいです。」
「そうか、喜んでくれるとうれしいよ。」
やがて、赤ワインが運ばれてきた。先輩が最初の一杯をついでくれる。反対に私も最初の一杯をついであげた。
「じゃあ、乾杯しようか。」
私たちはグラスを持った。
「君の瞳に乾杯。」
私は思わず吹き出してしまった。
「ちょっと古くないですか。」
「そうかな?いかにもっていう定番を出してみたんだけど。」
「普通でいいですよ。別にここまで『恋人』を演じる必要はないですから。」
「じゃあ、『お疲れさま』で行こうか。」
「お疲れさま、乾杯。」
チーン
私は赤ワインを少し口に含んだ。ぶどうの味わいのあと、アルコール独特の苦みが襲ってくる。やっぱり、まだ私はお酒に抵抗があるみたいだ。
「今年も合宿やるんですよね。」
私が先輩にそう尋ねた。逗子でやっている合宿は先輩がこのテニスサークルに入ってからの恒例行事だった。私も去年は楽しませてもらった。
「ああやるよ。まだ詳しいことは決めてないけど、でもたぶん去年と同じ感じだと思うよ。」
「そうですか・・・。」
合宿となれば、2泊3日一緒に過ごすということになる。つまりこの「演技」も2泊3日の連続公演。正直な話、私にとっては、それはかなりつらいことだった。
「何か気になることでもあるの?」
先輩は尋ねてくる。そして、そう尋ねてすぐに例の演技のことだと気づいた。
「そうか、そうだよね。演技のこと・・・だよね。」
「ええ。」
その時、フルコースの一品目が出てきた。生ハムとほうれん草、それにパプリカを使った色鮮やかなサラダだ。
私はいただきますをした後、生ハムを口に運んでみた。うん、なかなかの美味だ。そのほかのサラダとも一緒に口に運んだが、味のバランスが取れていて、胃を刺激するようだ。
「今日、例の計画について話したい。そのために、またホテルを取ったんだ。寄っていってくれるよね。」
私は少し逡巡した。食事が終われば、午後8時ころになるだろう。そこからホテルに行くとなれば、前に行った時よりも遅くなってしまう。けれど、二人が面と向かって例の作戦について話せる機会はそう多くない。彼に部屋を取らせてしまったことを考えると、やっぱり断るわけにはいかない。
「いいですよ。ただ、あまり遅くまではいられませんけどね。」
「もちろんだよ。話が終わったら、すぐに見送るから。」
私はワインを口に運ぶ。前菜にワインというのだと、少しワインの印象が勝ってしまうようだ。
「さっき言いかけた話だけど・・・」
「演技のことですか。」
「うん・・・。普段こんなこと話さないからね。普段の千早ちゃんについて聞いておきたいなって思って。僕がいない日は、いつもどうやって過ごしているの。」
望月先輩が部室にいるときは、基本的に常に先輩にべったりだ。そうやって雪村さんに先輩を近づけさせず、彼女の私へのヘイトを溜めさせる。一方で、先輩がいないいときは・・・。
「先輩がいないときは、一人でいることが多いです。あるいは、わざと春香のところに話に行って、わざと雪村さんを不快にさせたりとか。あとは、一人でいるところを美希がちょっかいだして来て、彼女の相手をしたり、とかかな。」
「そうか・・・。」
先輩は申し訳なさそうな顔をしている。
「やっぱり、一人でいることが多いんだね。」
「仕方ないですよ。雪村さんのヘイトを溜めないといけませんから。それにそんなことをやっているぐらいですから、当然私は、ほかの人から見れば近寄りがたい存在。私としても、一人でいるほうが気楽なんです。すぐに雪村さんのところに行けますから。ほかの人が寄っていると、どうもそれもうまくいきませんし。」
「そうか・・・でも別に、孤立する必要はないよ。あくまで、楓の気が引ければいいんだから。」
「それじゃダメなんです。中途半端だと、演技だと見抜かれてしまいます。そうさせないために、徹底的にやる必要があるんです。」
すでにもう1人には見抜かれている。そして厄介なことに、その彼女は私たちの妨害をしてくるかもしれない。美希の想いは完全なる善意だ。彼女のまっすぐと未来を見据える視線には、もしかしたら、私たちがみているビジョンとは別のものが見えていて、それに対する警告を与えているのかもしれない。
美希のことを話すべきだろうか、実際すでに1人はばれている。そしてそれはこの作戦を行う上で重大な支障をきたしかねないと・・・。
いや、やめておこう。私は美希に誓ったんだ。美希をこの件に巻き込まないって。美希だって、見たくてこんな醜い芝居を見ていたわけではない。美希の目に入ってしまうのだ。興味がなくても、気づいてしまう。そんな彼女を巻き込んでしまったら、たとえ春香や望月先輩が「それでいい」と言っても、私は許せない。
「千早ちゃんには、苦労を掛けるね。」
先輩は本当に申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「そう思うんだったら、先輩はもっと春香のことを気遣ってあげてください。最近、春香とほとんど連絡を取っていないみたいじゃないですか。確かに、演技の為に春香を袖にする必要はわかりますけど、それはあくまでサークル内での話じゃないですか。どうして、彼女に電話をしてあげないんですか。春香、本当に寂しがっているんですよ。」
「そうだね。僕も最近忙しくなっちゃって、春香のことを全然面倒みてあげられてなかったよ。春香、怒ってる?」
「あの子が、そんなことで怒ったりするような子に見えます?」
「そうだったね、愚問だったよ。」
私はまたワインに口をつけた。
「注いであげるね。」
先輩は私に赤ワインを注いだ。
「先輩、ちゃんと春香のことお願いしますね。」
「うん・・・近々、電話してみるよ。」
次の料理が運ばれてきた。今度はボロネーゼ風のパスタだ。先輩の話だと、フルコースだと、その次にお肉料理が運ばれてくるらしい。
フォークとスプーンを使い、丁寧にパスタを絡めて、口の中へ。トマトの豊潤な風味が口の中に広がっていく。そしてワインを一口。なかなか相性がいいようだ。
「大丈夫?少し赤くなってるよ。」
確かに、少し気分がよくなってきた。酔いが回ってきたみたいだ。
「ええ。ちょうどいい感じです。」
「そう・・・ならいいんだけど、飲みすぎないでね。」
私たちは、夜景を見ながら黙々とパスタを食べていた。いろいろと話すべきことはあると思うが、なかなか言葉が口をついて出てこなかった。
「最近、勉強の方はうまく進んでる?」
無言に耐え切れなかったのか、先輩がそんなことを尋ねてきた。
「ええ、相変わらず語学との両立が難しいですけど、何とか学科の勉強にもついていけています。」
「それはよかった。政治学科って、結構覚えることが多くて大変なんじゃないかって思うんだけど、どうなの?」
「まあ、確かにそうですね。でもそれは履修の仕方次第で変わると思うんです。厳しい教授の授業を取れば、試験対策は大変ですけど、楽な単位を取れば、そこまで苦労しなくて済みますし。先輩のところもそうなんですか。」
先輩はワインを一口飲んで答えた。先輩のグラスが少ないことに気づいた私は、ボトルを持ち出し、彼のグラスに注いだ。
「ありがとう。法律学科の場合、そうもいかないかもね。でも、試験に出やすいところっていうのは割とわかっているから、そこさえ対策しておけば何とかなっちゃうのかもね。」
「最近の学生は、勉強しに来てるんだか、遊びに来ているんだかよくわかりませんよね。」
最近のキャンパスを見ていると、将来のために必死に勉強している人が少ないように感じる。うちのサークルばかりを見てきたせいで、そんな偏見を持ってしまったのかもしれないけれど。
「なんだか、年寄みたいなことを言うね。」
先輩はくすくす笑った。続けざまに先輩は言う。
「二極化しているんじゃないかな。千早ちゃんみたいに、将来に向けて一生懸命勉強している人と、そうでない人。」
「自分が将来何になりたいのか、見定められていない人が多いんだと思います。」
私はワインを少し多めに飲んだ。
「もう一杯飲む?」
「いただきます。」
私はグラスを先輩の前に差し出した。先輩がグラスの半分くらいまでワインを注ぎ込んだ。
ちょうどその時、ディナーの3品目がやってきた。先輩がさっき言っていた通り、3品目はお肉料理だった。牛フィレ肉のようだ。
先輩が私に声をかけた。
「ここのフィレ肉は、おいしいって評判なんだよ。」
「それは楽しみです。じゃあ、いただきます。」
私はフィレ肉にナイフを突き立てた。思いの外、お肉が柔らかくて、ナイフがストンとお肉を通る。一口サイズに切り終えると、そのままフォークで口元へ運んだ。濃厚なソースの香りがする。お肉を口の中に放り込む。
よく「お肉がとろける」とか「お肉がジューシー」だとかいう表現をテレビなんかで見るけど、その気持ちがわかるようだった。
「おいしい・・・。こんなおいしいお肉は初めて・・・。」
あまりのおいしさに感嘆をもらしてしまった。
「喜んでもらえて幸いだよ。」
彼もぱあっと笑顔を見せた。
私は夢中でお肉にかぶりついた。そして赤ワインが口内でお肉のうまみを引き立てるのだ。なるほどね、お肉に赤ワインが合うという意味もよく分かった。
「先輩、さっきの話なんですけど・・・。」
先輩が私の顔を見て、目を丸くした。
「本当に大丈夫かい?顔がだいぶ赤いよ。」
「だ・・・大丈夫です。」
確かに結構ぼーっとする。でも、これくらいが今の私には、ちょうどいい。
「お水も頼むよ。」
先輩が私を心配してか、お水を注文してくれた。
「先輩・・・私、許せないんです。」
「何を?」
「何の目的も持たずに大学に入る人。そういう人って恵まれているんですよ。親から与えられたモラトリアムを楽しんでるだけ。本当は勉強して、将来に役立てる知識と経験を学んで、就職していかなくちゃいけないっていうのに。」
「千早ちゃんは、ジャーナリストになりたいんだよね。」
「ええ。」
「それは、何でかな?」
「それは・・・」
かっこいいから。前に飲み会の時にみんなに聞かれて、その時は春香がとっさに答えてくれたんだった。
「かっこいいからっていうのは無しだよ。」
先輩がさっそくつぶしにかかった。
「やっぱり、嘘だってわかってました?」
「少なくとも僕はね。ほかの人がどう感じたかはわからないけど。」
「美希は気づいていました。」
「そうか、やっぱりあの子鋭いね。」
鋭い・・・だから・・・私たちの関係にも気づいてしまう。
「大方予想がつくんだけど、どうする?自分の口から言う?」
「言わせてください。」
先輩は私の方を見つめて、聞く態勢に入ったようだ。
「先輩も知ってのとおり、私は複雑な家庭の下に生まれました。実の父が幼くして亡くなり、母が再婚。新しい父親・・・あの人ののもとに、娘が生まれました。でも、私はお父さんには愛されなかった。そして、父に依存していた母は、私のことを疎んじるようになっていきました。知識がついた今なら、その言葉がわかります。ネグレクト、育児放棄。私は、家族の団欒から取り残され、家事を押し付けられ、苦しい人生を送ってきました。きっと私みたいな人生を送ってきた人が中にはいるでしょう。でも、そうした声は、誰かが拾わなければ、埋もれてしまう。私は、そんな『声なき声』を届けたい。だから、ジャーナリストになりたいんです。」
私の演説が終わった後、先輩は惜しみない拍手を送った。
「やっぱりそういうことだったんだね。千早ちゃん。やっぱり君はすごいよ。尊敬する。」
あまりに褒めちぎるから、私の方が照れてしまう。
「先輩、酔ってませんか。」
「千早ちゃんの方こそ。」
お互いに無言で見つめあっていた。彼の優しい瞳に吸い込まれそうになって、私は夜景の方に目を向けた。
「外がきれいですね。」
あまりにもわざとらし過ぎた。
「そうだね。」
彼は苦笑しながら言っていた。
しばらく夜景を見つめていると、ウエイターがお水とサラダを運んできた。
私がサラダを頬張っていると、先輩の方が私に話しかけてきた。
「僕にも、夢があったんだよ。子供の時なりたかったもの。」
それは興味がある話だ。そんなこと先輩から聞いたことなかった。
「何になりたかったんですか。」
先輩は少し躊躇った。
「やっぱなし。」
「えー、ここまで言いかけたんだから言いましょうよ。」
「だって笑うでしょ。」
「笑いませんよ。人の夢なんて。ちゃんと聞きますから。」
先輩は少しまごつきながら、夜景に向かって話しかけた。
「ゲームクリエーターになりたかったんだよ、昔から、テレビゲームが好きだったからね。」
なるほどね、先輩らしい答えだ。
「いいじゃないですか。全然変じゃないですよ。もっと子供っぽいもの想像してましたよ。」
「例えば?」
「例えば・・・かぼちゃになりたいとか。」
先輩は大笑いした。
「何それ。いくら何でもそれはないよ。」
「例えばです。例えば。」
先輩はしばらく笑っていた。そして、しばらくして真顔になり、私の方を見つめた。
「正直な話、そこまで真剣に考えていたわけじゃないんだ。子供の時の夢だからね、ただ純粋に、漠然とゲームが好きだから、ゲームクリエーターになりたいって思ってた、ただそれだけ。幼いながらも、僕はこの財閥にかかわるしか道がないって気づいていた。だからこそ、こんな突拍子もないことを考えられたのかもしれないね。」
彼の表情にはどこか哀愁が漂っていた。
「先輩が財閥を引き継ぐって最初からわかっていたんですか。」
「いや、そういうわけではなかった。ただ、子供の時から、父親は僕に『この財閥を支えるのがお前の役目だ』って、聞かされて育ったから、漠然とこの財閥でしか生きていけないんだって思ったんだよ。父親に僕が財閥を引き継ぐよう言われたのは、高校に入ってからだね。それから間もなくして、僕には楓が宛がわれた。」
「そういうことだったんですか・・・。」
「正直最初は、自分には理解できなかった。僕は、財閥は長男である兄が相続するものだと思っていた。なのに、父親は僕を跡継ぎに指名したんだ。そして、今ではその理由もわかる。」
私は彼が何かを話そうとしているのに注目していた。
「兄は、はっきり言って経営には向いていないんだと思う。こんなこと言っても、千早ちゃんには理解してもらえないかもしれないけどね。」
正直なところ、私には何もわからない。
「お兄様とは、仲は悪いんですか?」
先輩の表情が変わった。今までは悲しそうな、柔らかな顔をしていたのに、急に顔に力が入ったような気がする。
「昔は、よく兄と遊んでもらっていたよ。もちろんテレビゲームも一緒にした。たぶん、兄弟仲はそれなりによかったんだと思う。だけど、年齢を重ねていくごとに、少しずつ確実に関係は変わっていった。そして、僕が後継者に指名された後は、さっぱりだ。正直、家の中にいても彼に話しかけることはない。そもそも、彼の方が僕に会いたくないだろうからね。」
自分が巨大財閥の跡取りになると信じて疑わなかったのに、その座を弟に取られてしまったとなれば、それは面白くないに決まっている。
「そうですか・・・なんだか、悲しいですね。」
先輩は微笑を浮かべる。
「慣れてしまえば、どうということは無いさ。もともと家族の団欒なんて、うちじゃ期待できないんだから。」
「どういうことですか?」
「うちはご承知の通り、50万人企業のトップにいるでしょ。だから、父は始終どこかを飛び回っている。兄も兄で仕事で忙しい。家事はお手伝いさんに任せて、そこらじゅう遊びまわっている。そうなると、家族で食事をすることもなければ、一緒に会話をすることもない。ある種、仮面家族なんだよ。うちは。」
仮面家族・・・それは、私がかつていた家もそうだった。
「お母様はいないんですか?」
先輩はバツが悪かったのか、窓の外の方に視線を逸らした。
「ごめんなさい。何か悪いことを聞いてしまいました?」
すぐ後に先輩が答えた。
「僕の母親は、僕を産んですぐに蒸発しちゃったんだ。どこに行ったかは、全く分からない。だから、僕は母親というものを全く知らないんだ。」
やっぱり、まずいことを聞いてしまったみたいだ。
「・・・ごめんなさい。」
「いや、気にしないで。」
その後、なんて会話を続ければいいのか分からなくなって、私はずっと明後日の方向を向いていた。
「もうこんな話やめよう。暗い話しててもしょうがない。せっかく楽しい食事の時間なんだから。」
「そうですね・・・。ごめんなさい、辛い話をさせてしまって。」
「本当に気にしないでよ。僕が勝手に愚痴ったのがきっかけなんだから。」
その時、ついにデザートが運ばれてきた。デザートは、チーズケーキのようなものであった。ただ、普通のチーズケーキとは、またわけが違うようだった。私はフォークでケーキを掬ってみる。スポンジが柔らかい。一口食べてみたが、これがまたチーズの濃厚な味わいと甘みで、気分を高揚させてくれるようだった。
「先輩は、甘いものはお好きなんですか。」
私がふと急に話題を向けた。
「ん?まあ、嫌いじゃないかな。」
ということは、特段好きというわけではないようだ。
「先輩、結構お酒飲みますものね。」
「最近は、会社の飲み会に連れまわされることが多いから。自然と強くなっちゃうんだよ。」
先輩はすでに二十歳になっている。合法的にお酒が飲める立ち場になり、今までとは違って、お酒の付き合いも増えているみたいだった。
「同僚の人たちってどうですか?」
「そうだね。基本的にはいい人たちだと思うよ。」
“基本的”という言い回しが気になった。そうじゃないときもあるということなのだろうか。
「良くないときもあるってことですか?」
先輩はだらしなく頬杖をつき、ため息をついた。
「千早ちゃん、また僕の愚痴を聞いてくれるかな。」
私もだらしなく、両手で頬杖をついて、聞く態勢に入った。
「はっきり言って、同僚も上司も、僕に阿るばかりなんだよ。みんな僕のこと『ゲスト』だと思ってる。そりゃそうだよね、将来は望月商事の社長、いやその持ち株会社のトップになるっていう人間なんだから。ここで何か問題があれば、自分のキャリアに傷がつくことになる。」
「みんな、望月先輩の背景ばかりを見ていると。」
「そういうこと。僕を一人の人間としては見てくれないってわけ。」
そうか、そうだよね。望月先輩はそういう立場の人間だ。彼と同格として話せる人間は、ほんの一握りしかいないのだ。でもそれって、すごく孤独なんじゃないだろうか。
「それってすごく寂しくないですか。たとえ、自分と話していても、その相手は、先輩の後ろしか見ていないんですから。」
「・・・やっぱり、わかるよね。」
「孤独・・・ですよね。」
彼はワイングラスを握って、お酒がからであることに気づいた。私は慌ててボトルを取って、先輩にワインを注いだ。
「ありがとう、千早ちゃん。」
望月先輩が抱えている孤独、そういえば、私はそんなこと考えたことがなかった。彼の周りには、多くの人がいる。だけど、周りの人は彼を見ているのではなく、彼のステータスを見ている。一人の人間としては見てはくれない。それは、極端なことを言えば、彼の周りに誰もいないのと同じなのだ。
私や春香は・・・果たして彼のことを一人の人間「望月俊」として、本当に見てあげているのだろうか。私は途端に不安になってきてしまった。彼のことをこんなにも考えながら、彼の孤独についてはあまりにも無頓着だった。
私は頬杖をやめて、真剣なまなざしで彼のことを見つめた。
「先輩、私や春香は、先輩のことをちゃんと一人の人間として見ていますよ。」
「知ってるよ。そうでなかったら、僕だって千早ちゃんにこんな話はしないよ。でも・・・テニスサークルの中でさえ、みんながみんな、春香や千早ちゃん見たいじゃないんだよ。」
「そうなんですか?」
「ああ。僕のことを一人の人間『望月俊』として見てくれる人は本当に少ない。」
そうなんだろうか?私にはわからない。
「やめよう、こんな話。さっきから千早ちゃんに申し訳ない。こんなつまんない話ばかり聞いてもらっちゃって。」
「いいんですよ。たまには吐き出さないと、心のバランスを崩してしまいますからね。」
「やっぱり、今日千早ちゃんを誘って正解だった。春香には言い辛いからね。この手の話は。」
私は不思議に思った。なぜ春香には言いにくいのか。春香だったら、彼の愚痴ぐらい、ちゃんと聞いて、最後には吹き飛ばしてくれそうなのに。
「どうして春香には言い辛いんですか。むしろ、陰気臭い私なんかより、よっぽど話しやすいと思うんですけど。」
先輩はワインを一口飲んで、まっすぐ私を見据えていった。
「春香は、明るすぎる。こんな愚痴を言うには、あまりにも不相応だ。こういう話は、しっとりと聞いてくれる人じゃないとダメなんだ。」
しっとり・・・ね。根暗な私にはぴったりってわけだ。
そして最後に、食後のエスプレッソが運ばれてきた。イタリア料理の最後には、必ず苦めのエスプレッソを飲むのがお決まりらしい。逆に甘いカプチーノを頼むのはご法度なのだそうだ。「おいしくなかった」という意思表示になってしまうのだそうだ。
「この後・・・行くんですよね。ホテル。」
「そうだよ。この後が本題だからね。」
「終電までには、帰してくださいね。」
先輩は微笑を浮かべた。
「もちろんだよ。話をして帰るだけなんだから。」
エスプレッソを飲み終えた私たちは、望月先輩がレストランの会計を済ませると、彼が予約したホテルへと向かった。途中、私たちはコンビニによって、白ワインとおつまみのチータラを買っていた。彼が「ホテルで飲みなおそう」と私を誘ったのだ。
ホテルは食事をしたビルから少し離れたところにあるビジネスホテルだった。
部屋は一般的なツインベッド。部屋の側面側にテレビがあり、部屋の真ん中には丸いガラスのテーブルが置いてある。ベッドは、テレビとは反対側の方に二つ並んでいる。
部屋に入って照明をつけると、新宿の夜景が一望できる。私はカーテンを開けて、そこからの景色を眺めた。
「ここからの景色もいいですね。」
「そうだね。はしゃいでいる千早ちゃんも新鮮でかわいいね。」
かわいいなんて・・・、いやいや、照れている場合ではない。さっさと本題を話して帰らなくちゃ。
「からかわないでください。話すことだけ話して、すぐ帰りますからね。」
私は腕を組んで、先輩を威嚇した。
「はいはい、わかってるよ。」
あやすように私をなだめた後、彼はコップを2つ取り出し、そこに買ってきた白ワインを注ぎ込み、ちーたらを開封した。私はその間、漆黒の闇の中に妖しく浮かぶ新宿の街並みを凝視していた。どこか、心なしか大人になった気分を感じていた。たぶん、酔っているからなんだろう。
「千早ちゃん、乾杯するよ。こっちおいで。」
「もう、子ども扱いしないでください。」
私は憮然としながらも、先輩と同じように、ツインベッドのもう片方に腰を掛け向かい合うようにして座って、コップを手に取った。
「じゃあ、乾杯。」
私は白ワインを口につけた。先ほどとは違う、白ブドウの感覚だ。
「高いワインと安いワインの違いって知ってる?千早ちゃん。」
全く分からない。そもそも、お酒の味を知ったのも最近なのだ。
「わかりません。なんなんですか。」
「安いワインは、大衆向けだから甘みが強くて、飲みやすいんだ。それに対して高いワインは熟成されているから、渋味がある。これはどっちだと思う?」
と言われても、先輩と一緒に買ったから値段知っているんだよね。
「これはずっと甘い味だから、安物ですよね。」
「正解。まあ、一緒に買ってたからクイズにはならないんだけどね。」
「正直、どちらのほうが『おいしいワイン』なんでしょうね。」
先輩は肩をすくめる。
「ワインなんて結局、ステータスなんだよ。お金持ちがお金持ちであることを示すためのね。高いワインに慣れれば、それをおいしいと感じるし、安いワインで慣れていると、高いワインはまずく感じる。結局、『高いワインをおいしく飲める』ということ、そのものがステータスってわけ。」
「なんだか、身もふたもないですね。」
「もちろん、本当にワインを愛してやまない人もたくさんいるから、今のはオフレコだよ。」
彼はコップのワインに少しだけ口をつけた。
先輩はグラスを置き、足を組んで、目を瞑った。張りつめたような緊張感が伝わってくる。彼は何かを考えている。私は重苦しい緊張感の中で、彼が何かを発するのを待っていた。
やがて先輩がゆっくりと目を開けた。
「そろそろ、本題に入ろうか。」
彼の冷静で冷たい目を見て、少しだけ背筋に悪寒が走る。先輩の目は、普段の優しい彼のものではなかった。
「作戦のこと・・・ですね。」
「ああ・・・。そのことなんだけど・・・」
彼は言い淀んだ。何か言いにくいことがあるようだ。
「・・・先輩?」
先輩の様子が少しおかしい。彼はうつむいた。私は気になって彼の顔を覗き込んだ。
それに気づいた先輩はすぐに顔を上げていった。
「あれは、少し延期してほしい。」
延期・・・?どういうことなの、延期って。
「先輩、説明してください。延期って、どういうことなんですか。」
「ちょっと確認しておこうか。僕たちの作戦について。僕たちの作戦は、僕が千早ちゃんと仲良くすることで、楓を嫉妬させることだったよね。そして、楓が千早ちゃんに危害を加えさせる。それを咎めて、縁談を取りやめさせる。」
「そうですね・・・。」
「僕が延期しようと言っているのは、作戦の最終段階、すなわち楓が千早ちゃんに危害を与えようというところだ。」
「どうして、延期するんですか?しかもその段階だけ。」
先輩は、私から少し視線をそらした。そして再び私のほうに向きなおり、こう述べた。
「別の方法を考えているんだ。千早ちゃんにとって、より安全な方法だ。そして、何より誰も傷つけなくていい。」
そんな方法があるなんて・・・。
「じゃあ、是非そっちにしてくださいよ。こんな作戦、全部やめてしまいましょう。」
「だけど、この方法は、確度が低いんだ。そして、だれも傷つかなくていい代わりに、別の厄介な問題を引き起こしてしまう。財閥の存続にかかわるような大問題だ。」
「それはいったいどういう作戦なんですか。」
先輩はまたしても私から目をそらし、今度は私を正視しなかった。
「ごめん、千早ちゃん。この作戦は誰にも言えないんだ。」
誰にも言えない・・・?
「どうして言えないんですか!」
私は先輩に詰め寄った。
「千早ちゃんたちを巻き込みたくないからだよ。作戦を知ってしまえば、否応なく君たちが巻き込まれることになる。」
「そんな言い分おかしいでしょ。もう散々巻き込まれているんですよ。今更、『巻き込まれないようにするため』なんて、あり得ませんよ!」
先輩はそれでも答えようとはしない。
「私だって・・・こんな作戦やりたくないんです。だけど・・・先輩と春香の幸せのために・・・文字通り体を張っているんです。それなのに・・・。」
先輩は私のほうを向いて、頭を下げた。
「ごめん、千早ちゃん!もう少しだけ、我慢してほしいんだ。もし今僕が考えているプランBがダメなら、今の計画をやるしかない。だから、その成否がわかるまでは、今の関係を続けてほしいんだ。」
私には答えは一つしかない。
「・・・わかりました。私・・・先輩のこと信じます。信じて、春香と二人で待ってますから・・・。」
先輩は顔を上げて、苦しい表情をしながら「ありがとう。」とつぶやいた。そして彼はコップを手に取ると、コップの中のワインを一気に飲み干した。
「注ぎましょうか。」
「ああ、ありがとう。」
私はコップに半分近く、白ワインを注ぎ込んだ。私は、無言の先輩の表情を見つめていた。彼はよほど思い詰めているのか、悲壮な顔を浮かべている。こんな表情を見るのは、初めてだった。
「先輩・・・辛いんですね・・・。」
先輩は左手で顔面を抑えていた。
「ああ。でも・・・春香や千早ちゃんが送ってきた人生を考えれば、自分の境遇がいかに恵まれたものか、改めて思い知らされたよ。」
私はその言葉にドキリとしたものがあった。この人は、私たちの過去をいったいどこまで知ってしまったのだろうか。
「なあ、千早ちゃん・・・。そろそろ本当のことを教えてほしいんだ。」
「本当のこと・・・ですか。」
「ああ。本当の・・・君たちの半生をだよ。」
私たちの半生・・・。血塗られた、どす黒い闇に覆われた半生・・・。
「先輩・・・それは前に話したじゃないですか。あの公園で・・・。」
声が震えていた。お酒のせいもある。だけど、声が震えていたのは、私の中での動揺が抑えられないからなのだ。
「千早ちゃん・・・僕は・・・知ってしまったんだ。千早ちゃんと、春香の秘密をね。」
「先輩、あれが全てです・・・。もうほかに話すことなんて、ないですよ。」
だめだ。声が震えている。動揺しているのがバレバレなのだ。
「妹の千尋ちゃんは、5歳の時に亡くなっていた。千早ちゃんは、妹の死を『不幸な事故』だって言っていた。あの後、僕は調べたんだ。君の妹がなぜ死んだのか。」
「私のことは関係ないでしょ!どうして、先輩は私の過去をほじくり返そうとするんですか!」
気づけば私は立ち上がっていた。心の奥底に触れられているようで、気分が悪かった。そして、怖かった。心の奥底に・・・手が伸びている。
だけど、先輩はそんな私の言葉を無視して話し続けた。
「川での水難事故だった。君はそう言ったよね。地元警察に事故の調書が残っていた。そこにも、千尋ちゃんの死は、不幸な水難事故だったと書いてある。だけど、調書には書かれていない、『裏書き』があるんだ。そこには、事件を通報した第一発見者が、河原で佇む一人の少女を目撃したと書いてあった。その少女については、ある特徴が書かれていた。『青髪の少女』。」
「やめてください・・・。」
私はへたり込んで、力なくつぶやくだけだ。何かが、私の中で音を立てて崩れていく。
「千早ちゃんのお父さんの自殺についても調べさせてもらった。あの人は、自殺をしたという結論になっていた。だけど、事件の初動捜査の段階では、他殺の線も考えられていた。」
それは、私にとって初めて聞く話だった。
「部屋には争ったような跡はなかった。だけど、首の締まり方がおかしかったみたいだ。首の後ろまで、ロープの跡があった。通常首吊り自殺したのだとしたらできない跡だ。だけど、すぐに他殺の線は“消された”。状況は物取りの犯行ではない。そして、その父親に恨みを抱いているだろう千早ちゃんは、その時完璧なアリバイがあった。犯行は絶対に不可能だった。結局、不審な点は残るものの、捜査はそれで終結してしまった。」
私は、震える手でグラスをつかみ、そのまま一気にワインをあおった。
「ここからは僕の想像だ。如月家は、家の鍵を植木鉢の下に隠す習慣があった。この習慣を知っていれば、誰でも如月家に侵入することができる。事件当日、君の父親は普段より1時間早く退社していた。僕が思うに、それは『誰か』に会うためだったんじゃないか。」
「もうやめて・・・。」
「千早ちゃんは、父親に対して殺意を抱いていた。そして、その殺意を、親友の春香だったら、知っていたんじゃないか。」
「やめて・・・。」
「春香は・・・千早ちゃんに代わって、父親を。」
「やめて!」
私はこれまでに発したことのないほどの大きな声で叫んでいた。
気づけば、先輩は顔を上げて私の方を見つめている。その眼には、深い憐れみが浮かんでいる。
「僕の推理を逃げないで聞いてほしい。千早ちゃんは、両親から『ネグレクト』を受けたって言っていたね。だとしたら、どうして君は父親だけを殺させたのか・・・。僕は不思議に思っていたことがあった。今から1年ほど前、居酒屋で千早ちゃんが転びそうになって、僕が抱きかかえたとき、君はとっさに僕のことを突き飛ばしたよね。春香は、高校の時に痴漢にあったせいだって言ってたけど、僕は直感的にそれは違うと感じていたんだ。もちろん根拠はない。だけど、僕は君が痴漢よりももっとひどい目にあっていたと直感したんだ。この子には何かがあるって。」
「・・・・。」
「この間、千早ちゃんが虐待を受けていたと聞いて、それでピンときた。千早ちゃん、君が受けていたのは、ネグレクトではない。『性的虐待』だったんじゃないか。おそらく、妹を殺してしまったという弱みを握られたうえでの凶行。だから、君は父親だけを・・・。」
終わった。すべてが終わってしまった。
私が今まで築き上げたものは、ほんのちっぽけなものだったけど、今この瞬間に、全て消え失せたのだ。
「・・・ワタシタチハ・・・ヒトゴロシナンデス・・・。」
心から魂が抜けていた。もう涙すら枯れてしまったようだ。
「千早・・・。すべてを話してくれないか。自分の口から、僕に。」
「・・・・・。」
「僕は・・・二人を救いたい。僕は全てを知ってしまった。深い闇の中に落ちている二人を。僕には、全てを知ったものとして、為さなくちゃいけない義務がある。」
「ソレハ・・・ワタシタチヲツウホウスルコトデスカ?」
「・・・・・。分からない。でも、多分違うんだと思う。そんなことをして、二人を世間のさらし者にして、そんなことが二人の救済になるはずがない。」
私は何も言えずに黙っている。ただただ、私は絶望に打ちひしがれていた。最も知られたくない人に、私のすべてが曝け出されてしまった。そして、春香の過去も・・・。先輩が春香と結婚することは・・・もう無いだろう・・・。作戦延期を言ったのも、それが理由に違いないのだ。
「千早・・・抱かれるのが、そんなに怖い?」
私はコクリとうなずいた。
先輩はすくっと立ち上がる。そして、私のベッドの隣へと腰を下ろした。
「抱かれるってね・・・すごく温かいんだよ。そして相手のにおいがする。息遣いが聞こえる。それが好きな人のものだって感じると、本当にすごく安心して、眠るように心が安らぐんだ。」
その気持ち、私にはわかる。以前、春香と裸で抱き合ったとき、私は春香の柔らかな胸の中で、すごく安心したことがあった。春香のにおい、息遣い、雰囲気、全てが私をあやすように心地よくしてくれるのだ。
「昔、楓が僕にそんなことを言っていた。女の子だからわかる感覚なのかもしれないね。千早・・・千早はそんな心地よさを知らないで一生を過ごさなくちゃいけないのか?」
私は何も答えない。言葉が出てこない。口が開かない。声が出てこない。
先輩が私の手を握ってきた。
「千早・・・千早は、僕のことは好き?」
先輩のこと・・・?・・・大好き。
私は小さくうなずいた。
「そっか・・・。」
先輩は、私を横に向けると、いきなり私を抱き寄せた。
いきなりのことで、頭と体が硬直する。男の人の感触・・・胸板、大きな肩、そして男の人の香り・・・息が詰まる。
「千早・・・どう・・・?」
先輩は、温かい。先輩のにおい、どこか男臭くて、でも嫌いなにおいじゃない。少し、なんだか不思議と嫌な感じがしない。
「千早・・・好きだ。」
耳元の囁きがこそばゆい。でも、彼の言葉が脳髄を刺激して、何かが奥底から湧き出てくるようだった。
「センパイ・・・ワタシモ・・・」
私も・・・先輩のことが好き。そんな簡単な言葉が、のどをついて出てこない。
「私も・・・?何だい?」
「ワタシモ・・・ワタシも・・・せんパイのコトが・・・。」
あともう少しで出てきそうだ。あなたと出会って1年、ずっと言いたくて仕方のなかった、でも抑えていた言葉が。
「耳元で、僕に聞かせて。今の千早の気持ちを。」
私は・・・私も・・・。
「私モ・・・先輩ノことが・・・好きです。・・・大好きです!」
その瞬間、今まで抑えてきたものが、間欠泉から噴き出すようにこぼれてきた。
「千早・・・よく言えたね。頑張ったね。」
先輩が髪の毛を優しくなでてきた。心がきゅんとする。顔が引きつり、涙がほほを伝う。
「先輩・・・。私・・・ずっと好きでした・・・あなたに初めて会った時からずっと、今日の今まで・・・!」
「ああ・・・。」
「だけど私・・・春香が先輩のことを好きだと知ってて・・・春香の人生・・・考えたら・・・私・・・犯罪者だから・・・犯罪者にしちゃったから・・・私・・・春香を・・・幸せにしたくて!」
言葉にならない言葉が次々と浮かんでくる。涙が止まらないよ・・・。
「私・・・本当は・・・もうこの世にいなくて・・・春香が助けてくれたから・・・こんな醜い私を・・・、春香は好きって言ってくれたから・・・私春香の為に生きたくて・・・死んじゃいたくて・・・春香が幸せならそれでいいって思ってて・・・だけど自分も幸せになりたくて・・・もうわけがわからなくって・・・。」
先輩の優しい吐息が、声が、耳にかかる。
「もう大丈夫だよ。何も怖がる必要はないんだよ。僕は君の味方だよ・・・。」
優しい言葉が、耳に入って・・・嬉しくて・・・嬉しくて・・・嬉しくて、何も考えられなくなる。
「先輩・・・私・・・今すごく幸せです・・・。私・・・今死んでもいい・・・。」
「千早、みんなで幸せになろう。千早も、春香も、僕も、みんなで生きていくんだ。明るい未来を。」
「先輩・・・好き好き好き好き・・・大好き。」
先輩が私から離れた。「目を瞑って。」
先輩の顔が近づいてくる。私は目を瞑り、先輩を優しく受け入れた。
「んっ・・・」
お酒の味がする。でも、彼の唇が私の唇に触れている。そんな感覚で、体がしびれそうだった。
彼の左手が腰に延び、そっと腰を押し上げる。重力差で私は、ベッドに倒れこんだ。唇が離れた後、彼が覆いかぶさって、優しく体を包み込み、また私の唇を奪った。
「千早・・・いいよね?」
私は、小さく「うん」と答えた。
先輩は、その両腕を使って、私の両腕を顔の左右の位置に押さえつけると、その手を私の両手に絡めさせた。そして彼は、自由が利かなくなった私の唇に、ほほに、首筋に、鎖骨に、その唇で愛撫を加えていくのだ。
「脱がせるよ。」
「うん。」
先輩は私の洋服を一枚一枚丁寧にはぎ取っていく。ついには、青いブラジャーと下着姿になってしまった。
「きれいだよ。千早。」
「うん・・・先輩、恥ずかしいから明かりを消して。」
部屋の中は、煌々と明かりが照らされていた。さすがに恥ずかしくなって、電気を消すよう求めた。彼は、部屋の電気を消した。途端に、辺りは何も見えなくなった。でも、そっちのほうが興奮した。
何も見えない中、彼の吐息と熱を感じる。私は目を閉じていた。彼が私の脇腹を振れる。それだけで興奮で頭がおかしくなりそうだ。
彼は脇腹をつかみながら丁寧に腕を愛撫する。右腕の二の腕、力こぶ、そして、徐々に指の先端へと近づいていく。彼は右手の甲にキスをした。
「千早・・・君の指はきれいだね。芸術品みたいだよ。」
「はずかしいです・・・。うんっ・・・。」
彼が右手の人差し指を口に含んだのだ。彼は指の第一関節から付け根まで、丁寧に口の中で転がしていく。
「んっ・・・あっ・・・。」
少しくすぐったい。でも、彼に指をなめられているという背徳感が襲ってくる。背筋がぞくぞくする。
続いて、中指、薬指と丁寧になめていく。なめられた後の指が、空気に触れてひんやりする。
「千早・・・気持ちいい?」
先輩は私の耳元に近寄って囁いた。
「はい・・・。」
私は高揚感に満ちたあでやかな声を上げた。こんなHな姿、誰にも見られたくない。
先輩は左腕も丁寧に愛撫する。今度はキスではなくて、舌を使って嘗め回すのだ。腕の付け根、わきの下に近いところ、そこから上腕を伝って、前腕部分、そして手首から手の甲へ、彼の唾液が塗布される。
気持ちいい。彼の体液が私を塗りたぐる。大好きな彼の唾液でべとべとになって、私が彼で満たされていく。くすぐったいけど、とても愛を感じる。もっと私を汚してほしい。彼の体液で、唾液ですべてを染めてほしい。
左手の親指から人差し指、そして中指に唾液を絡ませていく。続いて薬指と小指、もう左腕全部が彼の唾液で染まった。
その後彼は私の体にまたがり、唇を重ね合わせた。今度は私の方が積極的になって、舌ベロで、彼の唇をノックする。彼もそれに気づいたのか、口を開けて、舌を絡ませた。唾液の源泉同士が絡み合い、口の中で、お互いの舌が絡み合う。
「んっ・・・んっ・・・」
呼吸が荒くなって、甘い吐息が漏れる。
彼が私に覆いかぶさっているので、彼の唾液が私の口に滴り落ちる。彼のものと私のものが混ざり合って、口の中は、唾液がたまっている。私は、口の中の唾液を精算するため、いったんごっくんした。
「大丈夫、苦しくない?」
先輩は私から唇を話して、心配そうに聞いてくる。
私は笑顔になって首を横に振った。
次の瞬間には、彼が私の唇にむさぼりついていた。私は今度は、彼の口内に侵入し、彼の上の前歯、下の前歯を積極的に犯していく。彼も私の積極行動が予想外だったのか、少し意外な表情をしていた。
やがて、彼が唇から離れると、私に声をかけた。
「千早、もう少しベッドの奥に移動させるよ。」
「うん・・・。」
彼はベッドから降り、背中とひざ裏を抱えて、お姫様抱っこをすると、そのままゆっくりとベッドの奥側へと据え置いた。
そして彼は私の正面に回り、ベッドに乗っかった。
彼は私の両足を折り曲げて、ひざを立てると、右足のふくらはぎにキスをした。
「あんっ。」
思わず、猥褻な声が出てしまう。びっくりしたのだ。
そして彼はゆっくりとふくらはぎを愛撫しながら、足のつま先へと近づいていく。くるぶしにキスをして、彼は右足の土踏まずをつかみあげると、足の親指にキスをした。
「んっ。」
そして彼は口を開けて、足の親指を口の中で転がしていく。
「んっ、んっ。」
くすぐったいけど気持ちいい。頭の中がほわーんってなる。手の指をなめられるよりも恥ずかしい。普段靴でかみしめている、その先端が、普段決して口に触れることのない、私の足の親指が、そして人差し指が、紛れもなく彼の口内に入っているのだ。
そして彼が足の人差し指の爪を、ゆっくり丁寧に、嘗め回していく。そして、指の腹、そして指の付け根までしっとりとなめて、含んでくる。
「はあっ、はあっ。うーんっ、はあーっ。」
呼吸が荒くなる。この二本の指だけ、執拗に責められる。押し寄せる恥ずかしさが、脳内物質を刺激して、快感をもたらしている。私を愛してくれる人が、私が愛している人が、こんなに一生懸命に、私の汚い右足の親指と人差し指を、その彼の美しい舌を使って、何べんも何べんも、磨き上げるように舐めていく。
「先輩・・・もっと舐めて。」
ついに耐え切れなくなって、私は先輩に指示を出した。
先輩は行動で示した。次に先輩は中指をなめ始めた。さっきまでなめられていた親指と人差し指が彼の頬に当たっている。ぬめっとした感覚が、彼の頬に伝わり、私の湿った指で彼の頬を濡らした部分がぬるぬる滑っている。
中指から薬指へ二本をじっくり、じらすように丁寧になめていく。
「あっ・・きもちいい・・・。んっ・・。」
声にならない声が、響き渡る。
彼は思いっきり、足を口の中に含んだ。足指の付け根の先の方から舌先を這わせて、徐々につま先まで伝っていく。快感と背徳感で頭がおかしくなりそう。
「先輩・・・なんだか私・・・おかしくなっちゃう。」
「いいんだよ・・・もっと狂って。」
「ああん、いじわる。」
そして彼は小指をチロチロなめている。少し粗雑に。
彼は左足にも口をつけた。またしても左足の親指から、丁寧に嘗め回していく。先輩はまるで赤ちゃんのように、左足の親指をちゅうちゅうと吸っている。口全体と舌を使って、上下運動を繰り返す。
「うっ・・・あっ・・・」
継続的に同じ行動が繰り返されて、快感が持続する。続いて人差し指、そして中指を次々と犯していく。やがて、私の足の十指は全て彼の唾液で満たされた。
気持ちよくてぼーっとする。そのせいで、彼が四つん這いになり、私の顔を覗き込んでいることにも気づかなかった。
「千早・・・上も脱がすからね。」
私は小さくうなずいた。
彼の両手が私の背中に伸び、ブラジャーのホックに手をかけた。ホックが外れ、彼は正面からブラをはぎ取った。先輩の目の前には、程よい大きさのピンクの乳輪が見えているはずだ。そして、私の乳頭は勃起している。
「千早、本当に美しいよ。」
私は、彼がまじまじと自分の半裸を見ていることに気が付いた。
「先輩、あんまりじろじろ見ないでください。恥ずかしいよ・・・。私、貧乳だし・・・。」
私は両手で顔を覆った。先輩はとっさに覆った両腕をその両腕でどかして、ベッドに抑えつけると、彼はクールな表情で、耳元で囁くのだ。
「千早、千早は世界で一番きれいだよ。」
私はその言葉で気を失ってしまいそうだった。
「ひゃん!」
失いかけた意識を取り戻させたのが、彼の甘噛みだった。彼は右の乳首を歯で優しくかみほぐすと、乳輪の右側と左側を交互に舌で愛撫するのだ。そして彼の右手が左の乳房に延び、優しくもみほぐしている。
「ああん、ああっ・・・はあっ・・・。」
声にならない悲鳴であえいでいる。先輩は、右の乳首を刺激したと思うと、今度は、口全体で右乳房を包み込み、強く吸っているのだ。
「ぐっ・・・ああん・・・ああああーん。」
だらしないあえぎ声を聴かれまいと我慢するが、どうしても官能が優先されてしまう。
「千早、我慢しなくていいんだよ。気持ちいい時は、声を出していいんだからね。」
「そんな、私Hな女じゃ・・ああん!」
今度は左の乳房を吸ってきたのだ。そして口に含みながら、器用に舌を使って乳首を刺激する。彼の舌が乳頭に触れるたびに、体に電気が走る。
「ああっ・・・ああっ・・・ああっ・・・。」
まるで条件反射のようだ。彼が乳首に刺激を与えるたびに、いやらしい声が部屋にこだまする。最初は恥ずかしくて、声を抑えていたのに、理性がだんだん働かなくなっていく。
彼が乳房から口を離した。そして上体を起こし、ベッドから降りると、最後の砦である下着に手を伸ばした。
「そこは・・・らめぇ・・・。」
私は右手で下着を抑えていた。
「大丈夫、怖くないから。」
彼は抵抗する私をよそに両手で強引に下着をずり下した。もっとも、私もそこまで抵抗するつもりはなかった。
「きれいだよ、千早。」
たぶん、私の膣は愛液で満たされていたと思う。私は淫乱な女だ。
「膝を立てて、股を開いて。」
私は彼の言葉に促されて、ゆっくりとひざを立てて、股を開いた。彼がベッドに上がり、両腿を両手で抑える。そして彼が私の陰部に顔を近づけてきた。彼の吐息を感じる。その風が陰部に触れるたびに、私は体を細かく震わせた。
「舐めるよ、千早。」
私は小さくつぶやいた。
「うん。」
彼はまず直接は陰部に触れず、腿と陰部の付け根当たりを舌で責める。
「うんっ・・・ああっ・・。」
直接来ると思っていたので、予想外の動きに戸惑いながらも、少しずつ陰部に近づく様子に、興奮を隠しきれない。そしてその舌先がついに恥丘へ。
左側の大陰唇を火口側に向かって丁寧になめていく。そして、大陰唇と小陰唇の境目の襞をざらざらとした舌でゆっくりとなでていく。
「ひやんっ・・ああん・・・だめ!気持ちいい・・・そんなの・・・うんっ・・!!」
声が抑えられない。とっさに右手で口を押える。そんな私のことをお構いなしに、彼は、指で膣を広げてついに膣前庭にたどり着いた。舌で激しく嘗め回す。緩急をつけた舌使いに、私の意識はもうろうとする。
「いやん!いやん!あんっ・・あんっ・・あんっ!」
そして彼は女の体の中で最も気持ちがいいところ、すなわちクリトリスを舌で刺激し始めた。
「あんっあんっあんっ・・あんっ!」
彼はクリトリスだけをじっくりと攻め続ける。すぐにほかの場所を愛撫してしまうのではなく、私の宝玉だけを上から下へ、下から上へ、細かい舌使いで何べんも何べんもとにかく、一定の間隔で舐り続けるのだ。
私の膣から何かが漏れているような感覚を感じる。きっと、蜜より濃ゆい愛液だ。たぶんシーツをべちょべちょに汚しているのだろう。そんなことも考えられないくらい、脳にアドレナリンが分泌されている。
「あああーん、ダメダメダメダメ!いくよ、いっちゃうよー!!」
どこで覚えてきてしまったのか、私はそんな卑猥な言葉を発した。彼は構いもせず、機械的にクリトリスを刺激し続ける。
その瞬間だ!体に大きな電流が流れた。体がビクンビクンする。絶頂に達したのだ。意識がぶっ飛び、呼吸が大きくなる。
「はあーっ、んはあーーっ、んっ、はあーっ。」
先輩のにやけた声が聞こえる。
「いっちゃったんだね、気持ちよかった?」
私は声にならない声で、肯定した。
私はしばらくの間、暗い天井を見つめていた。そのわきで、ガサゴソと音が聞こえる。先輩が衣服を脱ぎ始めているのだ。そう言えば、先輩は服を着たまま私を愛撫し続けていたのだ。
「そろそろ、僕のものを入れていいかな?」
天井から、声のしたほうへと向き直ると、先輩の引き締まった裸体が目に入った。
「ええ・・・だい・・大丈夫れす・・。」
「千早の方こそ大丈夫?」
先輩は、私があまりにだらしない表情を浮かべているのが心配になったようだ。まださっきの衝撃が抜け切れていないのだ。アルコールでいつもより感覚がマヒしていることも影響していた。
「だいじょうぶ。きて。」
先輩はその言葉に笑顔を見せると、ベッドに上がり、正座の格好をして、そこから両腿を外側に広げた。
私の両脇腹の外側に手をつくと、彼は腰を浮かせて、ギンギンに勃起した彼のペニスを私の膣へと押し当てた。私は足を大股に開いて、彼のものを受け入れる用意ができていた。
「今日、千早は大丈夫な日なの?」
何も考えられなかった私は、夢遊病のように「大丈夫。」とだけ述べていた。
「ゆっくり、いくよ。」
彼は先端のカリの部分を挿し入れた。
「うっ・・・。」
下腹部に感じる違和感。中にタンポン以外のものを入れるのは、実に数年ぶりだった。
「大丈夫?痛くない?」
先輩が優しく声をかける。
「大丈夫れす・・・。もっと、来て・・・深く・・・。」
「じゃあ、入れるよ。」
彼はその肉棒をゆっくりと私の中へ押し入れていく。
「うんっ・・・あんっ!ぐっ・・・。」
深い異物感が下腹部を覆う。明らかに彼のものが入ってきているのがわかる。私の膣は十分濡れている。だが、久しぶりだということもあって、痛覚が襲ってくる。痛みで顔がゆがむ。だけど、もちろん嫌じゃない。
「本当に大丈夫?痛くない?」
「大丈夫れす・・・、先輩・・・チューしてチュー。」
なんて情けない声なんだろう。のどをさすり合わせて、絞り出したような声だ。
彼は私の上に覆いかぶさって、顔を近づけてくる。そして、唇と唇を重ね合わせた。彼は私の口をノックする。それに合わせて、私も口を開き、彼の舌と舌をセッションする。
彼はゆっくりと腰を動かし始めた。私の中で彼のものがもぞもぞ動く。まだ痛みが残る。だけど、私は幸せだ。
「んっ・・・んっ・・・。」
彼は動き始めるのと同時に、口の唾液を私の中に注ぎ込んでくる。それがうれしくて、私はすぐにそれを飲み干した。
彼が顔を離す。
「どう?まだ痛む?」
少しだけ痛いけど、中がだんだん濡れてくるのを感じる。どんどん、中で愛液がしみだしてくるのだ。
「ううん。気持ちいいです。」
「そうか、じゃあ、少し早めるよ。」
分速5回くらいだったピストンが、倍加していく。
「あんっあんっあんっあんっ。」
テンポに乗り出すにつれて、痛みがなくなり、快感へと置き換わる。それと同時に、嬌声も増していく。
彼はピストンしながら、私に顔を近づけた。
「千早、すごくきれいだよ。」
「先輩・・・大好きっ。愛してる!」
「僕もだ、千早。」
彼が私とキスを交わした。いやらしく、お互いの舌をなめずりあっている。
「うんっ・・・うんっ・・・。」
彼のピストンのテンポが少しずつ速くなっていく。
また彼が顔を離した。そして正座に近い格好になって上体を起こし、彼は両手で私の貧しい胸をもみしだいた。
「あんっあんっあんっ、胸、きもちいい!」
それと同時に彼は、私の乳頭を親指と人差し指を使って器用につまみあげて、摩擦する。
「あんっ・・・らめぇえええ・・・おかしくなっちゃうっ!」
恥じらいなんてどこかに飛んで行ってしまっていた。私は獣のように彼の愛撫を受け入れ、声を上げていた。
「もっと突いて、奥で!」
彼のものが入っているという喜びと、快感で、私は大胆になっていた。彼はまた私に覆いかぶさり、口に濃厚なキスを加える。私は彼を手放さまいとして、両足で彼をしっかり固定した。
「千早、もうそろそろ限界だ。中に出すよ。」
「うん、来て!中に!!」
彼のピストンがますます早まり、摩擦で体がしびれていく。
「あんっあんっあんっあんっ!」
そして私に再び電流が走った。それとほぼ同時。彼が私の中で射精した。
私の膣内に今までとは違う液体の感覚を感じる。彼の精子が私の膣に放たれたのだ。私は非自律的に体を小刻みに震わせていた。
「はあっ、はあっ、はあっ。」
さすがの彼も息を切らしている。彼はまだ私の中からペニスを引き抜こうとしない。お互いに絶頂に達し、その余韻を楽しんでいるようだった。
あれから私たちは全裸のまま、布団に入っていた。
彼が仰向けになり、暗い天井を見つめている。私は、先輩の方を向きながら横になり、彼に抱き着いていた。彼は私を包み込むように肩に腕をかけている。
「ねえ、先輩。私、うれしいんです。」
「何が?Hしたこと?」
「ううん。それもありますけど、『千早』って呼んでくれたこと。いままでは『ちゃん』づけだったじゃないですか。」
「なんだか他人行儀な気がしてね、『ちゃん』づけだと。それが嫌だった。僕にとっては、春香も千早も、同じくらい大切な人だからね。」
正直、うれしい。彼がそこまで私を想ってくれたこと。でも、不安だった。先輩の中で、本当に私と春香が同列になってしまったのではないかと。私はあくまで、「おまけ」でいいのだ。
「先輩、あくまで春香のことを愛してあげてくださいね。私は、本当にちょっとだけの愛情でいいんですから。」
先輩は黙して語らない。春香は殺人犯だ。だけど、それは彼女が望んでそうなったわけではない。春香が暗い道に落ちてしまったのは、私のせいなのだ。そのために、春香が先輩と結婚できないってなったら、私は一生をかけても償いできない十字架を背負うことになる。
「先輩・・・本当のことを、お話しします。今度こそ、嘘偽りなしの・・・。」
先輩は天井を見つめたままだ。
「おおよそは、あなたが推理した通りです。ただ、私は妹を・・・千尋を殺してはいません。妹が死んだあの日、私と千尋は、買い物に出かけていました。そして、私が目を離した間に、千尋は店を出てしまっていた。彼女は一人で河原に行って遊んでいたんです。そして不幸にもそこで・・・。調書の裏書きにあった『青髪の少女』は、紛れもなく私なんです。だけど・・・それは怖気づいてしまって逃げてしまっただけ・・・。千尋が川に沈んでいて、全てが取り返しがつかないことに気づいてしまって、恐ろしくなって・・・。彼女を殺したりはしていないんです。今更・・・こんなこと言ったって信じてもらえないことは分かっています。だけど、それでも・・・今度こそ、嘘偽りのない本当のことです。」
「ああ。」
先輩は短くつぶやくだけだ。
「妹が死んで、私は針の筵でした。『お前がついていながら、どうして妹は死んだんだ!』って、なじられて。そして高校に上がったある日、父親は、警察関係者の知り合いからあの事故に目撃者がいたことを知らされたんです。『青髪の少女』、だからあの人は、私が妹を殺したんだと思った。当然ですよね・・・先輩だって、そう思ったくらいですから。私を恨んでいた父親が、そう感情を向けるのも訳ないんです。」
先輩は何も言わず、ただ黙って私の言葉を聞いている。
「そこから、あの人によるレイプの日々が始まりました。高校2年のことです。週に1回は犯されていたかな。もう、私と春香は仲良くなっていました。だけど、高校2年になってクラス替えで別のクラスになってしまって・・・。でも私は、それでちょうどいいって思った。きっとクラスが一緒だったら、春香に頼ってしまうだろうから。そうならなくてちょうどいいって思っていたんです。だけど・・・春香は・・・。」
「千早のクラスに遊びに来ていたのかな?」
「・・・ええ。お昼休みのたびに。正直、迷惑でした。最初は。私は、春香のお昼の誘いを断るために、昼休みの間ずっと突っ伏してたんです。持ってきたお弁当も食べずにね。それを春香・・・そんなのお構いなしって感じで、隣に座ってご飯を食べ始めるんですよ。それだけじゃない。私が突っ伏していて反応がないのが面白くないからって、わざわざ匂いが出るお弁当を作ってきて、私にアピールしてくるんですよ。『あー、いい匂い。これおいしいんだよ』とか語りかけながらね。」
「ははっ、春香らしいね。」
「本当に毎日驚いてました。」
「それがうれしかったんだ。」
「・・・ええ。私なんかの為に、こんなに努力してくれる春香が・・・かわいく思えてきて。高校1年の時は、良くも悪くも他人行儀だったのに・・・だんだんそうも思えなくなってきて。だけど、辛かったです。春香のことが好きになればなるほど・・・自分の中の苦悩が強まっていく。春香にすがってしまいたい、だけどそんなことをすれば、きっと春香に迷惑をかける。だから・・・私は自殺をしようと思ったんです。」
私は少し間を置いた。彼の様子をうかがう。その眼は真剣なまなざしに変わっている。
「学校の校舎の屋上から飛び降りようと思った・・・そこを救ってくれたのが春香だったんです。春香は『もう一人じゃないよ。私がついているから』って言ってくれた。生きることが贖罪なんだって教えてくれたんです。『私がついているから』その意味がどういう意味だったのか、その意味を知ったのは、それから2か月後。あの男が・・・自殺した。だけど、自殺するほど病んでいる様子もなかったあの男が、世間体を気にするあの男が、自殺なんて道を選ぶはずがない。直感的に、あの子がやったんだって思いました。」
「そして、千早は恩師の秋月先生のもとに。」
「先生の方がオファーしてくれたんです。自分の家で住まないかって。私は迷った末に、OKしました。春香は・・・あの子は・・・私を救い出すために犯罪者になったんです。性的虐待の事実を公表することもできたでしょう。先生に相談することだってできた。だけど、そうしたら・・・私が妹を見殺しにした事実をバラされてしまうかもしれない。そうしたら私は、学校に居られなくなってしまう。普通の人生からドロップアウトしてしまう。レイプという終わりのない日常を終わらせる、そのために彼女は・・・。先輩!お願いします!あの子を・・・春香と結婚してください!私なんてどうでもいいんです、私なんて・・・。先輩は、春香が殺人という犯罪を犯したから、あの子との結婚をためらっているんですよね。だけど、今話した通り。あの子は、私を助けるために犯罪に手を染めたんです。だから、春香は悪くない!」
先輩は、小さくため息をついた。
「千早・・・僕は、春香と千早、二人とも救うつもりだよ。」
「それって・・・どういうことですか?」
「僕は、春香と結婚する。春香を愛しているから。あの事件は、自殺でかたがついたんだ。今更誰も蒸し返したりはしないだろう。でもすぐに春香と結婚することはできない。障害は別にあるんだ。」
「その障害って?」
「それはまだ言えない・・・。」
「春香の生まれのことについてですか・・・?」
先輩がハッとした表情をした。
「やっぱり、やっぱりそうなんですか!?春香が・・春香がレイプによって生まれた子だからなんですか!?」
「春香がレイプによって生まれた?」
あれ、先輩は知らなかったというの?今、核心を突かれたような表情をしていたのに。
「ええ。春香には父親がいないですよね。それは父親が認知しなかったからじゃない。あの子の父親が・・・レイプ魔だからなんです。そのことが障害になっているっていうんですか・・・。」
しかし彼は即座に否定した。
「いや・・・そういう訳ではない。春香の生まれのことも関係ないんだ。安心して。僕は必ず春香を幸せにする。そして君も。僕は春香と同じくらい君のことも愛している。」
そんな・・・どうして私のことを・・・。
「でも・・・そんなことは実現できないんです。どちらか選ぶしかない!だから。」
意気上がって迫る私を先輩は制した。
「千早、僕に任せてくれないか。今、二人を救うためにできることを考えているんだ。うまくいけば、僕と春香と千早、3人で仲良く暮らしていくことだってできる。」
そんなうまい方法が・・・あるというのだろうか。私にはわからない。望月先輩は、きっと私たちがみている世界とは別の世界を見ているのだ。その内容を、我々が推知することなんてできるはずがない。
「私・・・待ってます。先輩が私たちを助け出してくれるのを。」
先輩は小さく「ああ」とつぶやいた。