第3節 悪魔のささやき
それから数日が過ぎた日の夜のことだった。私は伊織を大学から少し離れたところにあるファミレスに誘い出すことに成功した。
私は4人用の席で、ドリンクバーを飲みながら、伊織が現れるのを今や遅しとまっていた。やがて、ファミレスの玄関が開く。そこに、伊織の姿が見えていた。
私は伊織に場所を知らせるために手を振った。伊織は最初、店員に居場所を聞こうとしていたようだが、伊織もそれに気づいて、私の方に向かってきた。
「もう・・・、手を振らなくてもわかるわよ。」
伊織は少し不機嫌な様子で。私の対面に腰を下ろした。
「ごめんごめん。それにしても久しぶりだね。」
「そうね。」
「伊織も何か頼む?今日は私のおごりだから。」
私はメニュー表を手に取って、伊織の目の前に差し出した。
「いいわよ。貧乏学生におごらせるなんて、水瀬のプライドが許さないから。
伊織はそう言って、メニューをパラパラとめくり始めた。やがて、伊織が選び終えると、伊織がコールボタンを押した。
しばらくして店員がやってくる。
「トリオプレートとドリンクセットで。」
「かしこまりました。」
店員が去っていき、伊織は「飲み物取ってくる」といって、ドリンクバーコーナーへ。オレンジジュースでも取ってくるのかと思えば、彼女が選んだのは冷たい緑茶だ。なんだか意外だ。
やがて、グラスにお茶をなみなみ注いで帰ってきた。
「今日はオレンジジュースじゃないんだ。」
「ああ、こういうところのオレンジジュースはたいてい100%じゃないのよ。水を使って薄めてるだけ。そんなの飲むくらいなら、他のものを飲むわよ。」
「なるほど、徹底しているね。」
「まあね。」
伊織は緑茶に口をつけた。
「それにしても久しぶりだね、伊織。こうやってお話しするのは半年ぶりぐらいかな。」
「そうね、もうそんなになるのね。」
「びっくりしちゃったよ。伊織、何も言わずに急にサークルやめちゃうんだもん。」
「まあ、こっちもいろいろあったからね。」
いろいろね・・・。
「その、いろいろって何があったの?」
「あんたには関係ないでしょ。こっちにはいろいろあるのよ、あんたと違ってね。」
どうも、サークルをやめた理由は教えてくれそうにない様だ。
「最近は忙しいの?サークル止めちゃったけど。」
伊織は否定する。
「別に。特に忙しいってわけでもないわ。そもそも、私は大学を卒業したら許嫁と結婚するだけの人間だし。人生決まっているから、勉強も就活もする必要ないわけ。ただ遊んでるだけ。」
どうやら、伊織は暇な様子だ。だとすれば、サークルをやめたのは、多忙が理由というわけではないようだ。
「大学つまんなくない?またサークルに戻ってきたら?」
「千早のように?」
伊織は少しうんざりした様子で、聞き返した。
「まあ・・・そんな感じ。」
はあーっと伊織はため息を漏らす。
「別に私はそこまであのサークルに未練があるわけじゃないの。たまたま、あのサークルが面白そうだったから入っただけ。ミッションも終わったし、もう用はないの。いいから、要件を話しなさい。そこまで暇なわけでもないんだから。」
結局、伊織は忙しいのかそうでないのかよくわからないな。
こっちから誘っている以上、ぐちゃぐちゃ文句を言うわけにもいかない。そろそろ本題に入ろう。
「伊織、先輩のことなんだけどね。」
「うまくいっていないんでしょ。」
伊織が口をさしはさんできた。
「わかる?」
「顔に書いてあるわよ。」
相変わらず伊織は、人を食ったような話し方をするが、的は射ているのだ。
「それで相談があるのよ。それを話したいんだけど・・・ねえ、伊織、今から話すことは、誰にも言わないって約束してくれる?」
私は真剣なまなざしで伊織に尋ねた。私の気迫に押されたのか、伊織は少し気後れしている様子だ。
「内容に依るわ。もし犯罪に巻き込もうとか、そういう話だったら、悪いけど協力できないから。」
「犯罪じゃないよ・・・。」
たぶん。これは犯罪ではない。楓を怒らせて、彼女に千早ちゃんを襲わせる。千早ちゃんがその行動を承認しているなら、それ自体は犯罪ではないはずだ。
「じゃあ聞くわ、話してみて。」
私はゆっくり、そして小声で話した。
「私は先輩と結婚することになったの。先輩が、私と結婚したいって言ってくれて。だけど、それだと楓が邪魔になるじゃない。だから、何とかして二人の婚約を破棄にもっていかなくちゃいけない。だから、私と千早ちゃんと先輩が協力して、楓を陥れようってわけ。具体的には、私と楓が仲良くなって、千早ちゃんは、先輩と仲よくなる。それで、私が楓をたきつけて彼女を千早ちゃんに嫉妬させて、千早ちゃんを襲わせる。そこを先輩が助けて、このことを取引材料にして、二人の結婚を破談に追い込むって寸法ね。」
伊織はあまりのことに、あっけにとられている様子だった。
「春香・・・それ・・・。」
「ね、これなら大丈夫でしょう。」
「バカじゃないの、それ立派な犯罪よ。同意殺人罪の未遂の間接正犯。」
えっ、そうなの?
伊織は苦渋の顔を浮かべて、首を横に振っている。
「全く、あんた法学部のくせに、なに勉強しているのよ?」
伊織はあきれ顔だ。
「逆にすごいね、伊織は何で知ってるの?」
伊織は総合政策学部のはず。刑法なんてろくに知らないはずなのだ。
「法学の授業も取ってるのよ。そっち系も取らないと卒業できないからね。」
「ふーん、結構大変なんだね。」
「そんな暢気なこと言っている暇ないわよ。あんた、本気でそれをしようっていうの?」
伊織は怪訝な顔を浮かべて訪ねてくる。
「ええ。そのつもりだよ。」
伊織が苦虫を噛み潰したような顔をして言う。
「アンタね、相談する人は考えた方が良いわよ。私を誰だと思っているの?望月財閥と敵対している水瀬財閥の親族よ。望月財閥にとって不利になるような話、私なんかにしていいわけ?」
「まさか、通報するつもり?」
私は伊織をにらみつけた。そんなことさせない。そんなことされたら、全部が終わってしまう。
伊織は鼻で笑った。
「どうせ証拠なんてありはしない。それに、今通報したって、こんなの誰も信じてくれるはずがない。空振りの告発ほど、私にとって致命的なものはないわ。」
「つまりそれって。」
「聞かなかったことにしてあげる。その代り、もう二度とその話を私にしないでね。そんなことになってるなんて知らなかったし、巻き込まれたくないから。」
私はうんとうなづいた。
「それで、私に相談したかった内容ってそれ?もし、その話だったら、私は何もアドバイスしないから。」
「いや、そうじゃないの。確かにそれに関係があるんだけど、そういう話じゃない。」
「要領を得ないわね。さっさと話してちょうだい。」
「うん・・・。あのね、最近、先輩の様子がおかしいの。」
伊織は?という顔を浮かべている。
「どういうこと?」
「私と先輩・・・実はお付き合いすることになったんだ。もちろん楓に隠れてね。」
「そこは分かった。それで?」
「先輩は、私と結婚するために、楓を陥れようとしている。そのために、千早ちゃんは先輩と仲良くなってるの。だけど・・・」
「演技じゃなくて、本当に千早が彼のことを好きになっちゃったってこと?」
私はうつむいていた。その時、注文していたトリオプレートが伊織の前に運ばれてきた。
「千早ちゃんが先輩を好きなのは、知っているんだよ。もともと、私たちはライバルだったし。だけど、最終的に千早ちゃんは、私に彼を譲ってくれたの。」
伊織はナイフとフォークで器用にハンバーグを切っている。
「じゃあ、望月が千早のことを好きになったってこと?それに、千早も流されてる?」
私はゆっくりとうなずいた。
「ふーん。でも、それも演技なんじゃないの?敵を欺くなら、まず味方からって言うし。」
伊織はハンバーグを口へと運ぶ。私はそんな様子を、じっと見ていた。
「演技だとして、千早ちゃんが朝帰りすると思う?」
その言葉に、伊織の手が止まった。
「千早が、先輩と一夜を過ごしたって言うの?それ本当なの?」
「うん・・・どうもそうみたいなんだ。」
再び伊織の手が動き出す。
「じゃあ、やっぱり望月は千早のことを好きになってしまったのね。最初は演技で千早のことが好きなふりをしていたけど、だんだん本気で彼女に惹かれて行った、間違いないわね。」
「そんな・・・」
「だって、そうとしか考えられないでしょ。」
「私との約束はどうなるの?」
「さぁ?守られないんじゃない?だって、望月は千早と関係を持ったんでしょ?そういえば、春香はどうなの?彼とやったの?」
「いや・・・。してない。」
顔がどんどん暗くなっていくのが見て取れたのか、伊織が、不憫だという表情を浮かべた。
「ねえ春香、今更愚問かもしれないけど、春香には望月をあきらめるって選択肢はないの?今の話を聞く限り、望月は春香よりも千早を選んだように聞こえるんだけど。」
「それは・・・。」
正直、あきらめがつかない。でも、このまま先輩にしがみついたって、結局それは楓と同じ。好きという一方的な思いをぶつけてしまうだけ。先輩は、千早ちゃんを愛している。だとしたら、私が彼のことをあきらめて、千早ちゃんの為に花道を譲るのが筋だと思う。
だけど・・・、許せないのだ。一度は私に彼のことを譲ると言っておきながら、自分は彼と愛を交わしていた。こんな裏切り・・・許せるはずがない。
「ぶっちゃけて言えば、諦めなくちゃいけないっていうのは分かってる。だって、先輩は私よりも千早ちゃんを愛しているんだもん。だけど、そんなの納得できないよ。悔しい。千早ちゃん、私を裏切ったんだよ!演技だって言ってたのに・・・。私をだまして、彼とイチャイチャしてたってことじゃない。そんなのってないよ・・・。」
心臓が突き上げられる。目頭が熱くなっていくのを感じた。
「春香・・・。」
伊織は悲しそうな顔をしている。私の境遇に同情してくれているんだろうか。
「伊織・・・私これからどうしたらいいんだろう。」
「あなたはどうしたいの?この計画、続けるの?この計画を続ければ、やがて、雪村さんは、千早を襲うことになる。そしてそれを望月が助けて・・・二人は結ばれる。ここでやめれば、誰も辛い想いはしなくて済む。だけど、望月は雪村さんと結婚し、二人とも彼を手に入れることはできない。春香にとって、結果は変わらない。結果が変わるのは、千早の方。そして、あなたは決定権を持っているの。春香がこの計画をやめるかどうか、それによって、千早と望月の行く末が変わる。」
私がどうしたいのか・・・。私は、できることなら、二人には幸せになってほしい。それはずっと願ってきた。だけど、今更祝福できるんだろうか。こんな形で裏切られて、それを理解しつつも、心の中の想いを押し殺して・・・それで、千早ちゃんをお祝いできるんだろうか。
「わからない・・・。私、千早ちゃんのコト、ちゃんと祝ってあげられるのかどうか・・・。」
伊織が肩をすくめる。
「じゃあ・・・私が何も言えることは無いわね。」
伊織は無言でトリオプレートにありついている。私はそんな様子を黙ってみているだけだ。
しばらくして、伊織の手が止まった。
「ここからは、私の独り言だと思って聞いてね。今のままのシナリオを続ければ、春香にとって結論は変わらない。千早が彼と結婚するか、しないかだけ。もし、春香が幸せになりたいと思うなら、シナリオを修正しなくちゃいけない。例えばもし、千早が・・・いなくなってしまったら・・・。雪村さんが、千早憎しで本当に殺してしまったら・・・。結ばれるのは誰か?」
「それは・・・。だけど・・・」
「あとは、春香次第ね。春香がどう生きたいのか。」
そういって、伊織はまた無言でトリオプレートに向かっていた。
千早ちゃんを・・・殺す?・・・。そんな・・・。
「千早ちゃんを・・・殺すなんて・・・。」
伊織は何も反応しない。
「伊織・・・私、悪魔にならなくちゃいけないのかな・・・。」
伊織は涼しい顔を浮かべる。
「・・・なんのこと?私はさっきから独り言しか言ってないわよ。」
伊織・・・。
重苦しいだけの無言が続いていた。千早ちゃんを殺す・・・そんな思ってもみない言葉が、頭を駆け巡る。私と千早ちゃんは助けあってきた。運命的な出会いをしたのだ。私がいじめられていたところを、千早ちゃんは助けてくれた。だから、私も千早ちゃんを・・・暗くて狭い、家という監獄から助け出したのだ。私たちは、本当の家族みたいに過ごしてきた。苦しい時も、楽しい時も、一緒に泣いて笑って、喜んできた。そんなわたしのパートナーを・・・殺す・・・?考えれば考えるほど、その考えの薄気味悪さで、頭がぐるぐるしてしまう。気持ち悪い・・・。そんなの、あっていいはずがないじゃないか。
「怒らないのね。」
伊織が不意に声をかけた。
「えっ?」
「さっきの独り言、私あなたに酷いことを口走ったと思ったのに。全然、怒らないのね。」
「えっ、伊織が私に何か言った?」
私は目が点になっている。気づけば、伊織は食事を食べ終わっていた。
「・・・・。春香・・・。」
伊織は言い淀んでいる。何かを伝えようとしているみたいだ。
「・・・大事なことを見失わないで。私がどういう人間なのか、何故今日会わなくてもいいあなたに会って、こんな話をしたのか。」
伊織はまっすぐ私を見据えている。
「春香・・・ごめんね。」
「どうして謝るの?」
「私・・・春香と友達になりたかった。」
伊織の目には涙が浮かんでいる。
「どうしたの、伊織・・・なんかおかしいよ。私たち友達じゃないの?」
伊織は涙を拭いた。そして、何を思ったかバッグの中に入っているウサギのぬいぐるみを取り出した。
「春香・・・笑わないで聞いてね。私にとって、本当の友達は、このうさちゃんだけなの。」
「どういうこと?」
「私にはね・・・人間の友達がいないの・・・。」
「じゃあ、私との関係は?」
「・・・ただの知り合い。」
そんな・・・。
「友達ってそんなに難しく考える必要はないと思うよ。別に、友達になるために何か資格があるわけじゃない。一緒に話していて楽しい、それだけでも、友達なんだと思うよ。伊織は、私と話していて楽しくないの?」
「それは・・・楽しいけど・・・。」
「けど?」
伊織はその先は何も答えず、うさちゃんを少し乱暴にカバンに詰めた。
「何でもないわ。もう帰っていいかしら。」
そういい終わる前に、彼女は立ち上がった。グラスのお茶を一気に飲み干し、手早く財布を取り出すと、1万円札数枚を私の前に差し出した。
「何なのこれ?」
「今日のお代。サービスだと思って受け取りなさい。不満なら、もっとあげるわ。」
そういうと、伊織は財布からさらに1万円札を何枚か抜き出して、乱雑にテーブルの上に置いた。合計でもう十万円近くになっている。
「これで、千早とおいしいものでも食べに行きなさい。」
そう吐き捨てるように言うと、引き留めようとする私をよそに、伊織は店を飛び出してしまった。