第2節 父へのコンプレックス
目を閉じると、不思議とほのかな情景が思い浮かんできた。狭くて汚い部屋、お世辞にも裕福とは言えない、貧しい部屋の様相。
この女性は誰なのだろうか。丸顔できれいな感じではあるが、くたびれてやつれたような表情の女性が丸いちゃぶ台に向かって、ご飯を食べている。私にとてもよく似ている。私はきっと幼子だ。記憶の中の私はそれくらいの背格好だった。
ああ。思い出してくる。この人は、私の母親だ。そして・・・私は・・・母親に嫌われていたのだ。
なぜなのかはわからない。しかし、こうも機嫌が悪い時の母は、決まって必ず私を叩いてくるのだ。
「お母さん。」
「・・・何よ。」
怖い。ちゃぶ台で相対している私とお母さんは、まるで蛇に睨み付けられたマングースのようだった。
「なんでもない。」
「だったら、話しかけないで。」
「・・・ごめん。」
「ごめんなさい、でしょ!」
「ごめん・・・なさい。」
この時の私には、気になっていたことがあった。それは、どうして私には「父親」がいないのかということだった。保育園の友達とおしゃべりしていて、不意に家族旅行の話となったのだ。友達はみんな家族で、お父さん、お母さん、それに兄弟で旅行に行っていた。
それに比べて私は、母親に旅行はおろか、どこか遊びに連れて行ってもらったことも殆どなかった。それはなぜか。
貧乏だったからだ。私には父親がいなかった。それはつまり、天海家の稼ぎ手となる人間がいなかったということである。お母さんは女手一つで私を養ってくれた。私はそんなお母さんのことを尊敬していたし、好きであった。
だから、お母さんが私を怒鳴りつけたり、殴ったりしても、それは全部が私が悪いからだ、そう思っていた。
「お母さん・・・。」
「だからなによ。」
お母さんが不機嫌に聞き返す。
意を決して、私の「お父さん」について聞こうと思っていた。直感的に私は、父親のことを聞けば、たぶん怒られると分かっていた。子供だった私でも、普通いるはずの父親がいないということの理由を尋ねれば、お母さんが怒り出すだろうことは目に見えていた。
それでも幼い私にとって、自分の父親のことを尋ねるのは、抑えられない衝動だった。
「私に・・・『お父さん』はいるの?」
その時のお母さんの表情は、「ハッ」としたものだった。そして案の定というべきものであった。
「・・・・・。」
お母さんは答えようとしない。私はさらに深く尋ねてみる。
「お母さん!私の『お父さん』って、どこにいるの!?」
「・・・・・。」
「ねえってばー。」
「うるさい!」
バシッ
頭を平手でたたかれた。私はとっさに頭を押さえたが、ジンジンとする痛みが響いてくる。
「うっ・・・ひっく・・・。」
痛くて思わず涙が出てしまう。
「・・・いいから早く食べなさい。」
たとえ殴られたとしても、それでも私は知りたかった。純粋に会ってみたかったのだ。私の『お父さん』に。
「今日・・・ひっく・・・保育園でね、お父さんの・・・ひっく・・・話になったの。みんな・・・、お母さんとお父さんと一緒に旅行に行ったり遊びに行ったりしているの・・・ひっく。でも・・・私・・・『お父さん』って見たことない・・・。だから・・・ひっく・・・どこにいるの?」
恐る恐る尋ねてみる。お母さんは少し困ったという様子を見せたが、答えてくれる様子はなさそうだ。
「・・・早く食べなさい。」
静かに、しかし威迫するような口調に気おされて、私は箸を取るしかなかった。
結局、お母さんは『お父さん』がどこにいるのか、答えてはくれなかった。だから私は、自分なりに父の不在の理由を解釈しようとした。
どこで聞きかじったのかはわからないが、父親の仕事には「テンキン」というものがあるということを私は知った。それ以来、私は幼稚園の友達には、お父さんは「テンキン」していて、だから家にいないんだ、と装うようになった。それは、私自身の希望的観測だった。決して、自分に「お父さん」がいない、とは認めたくなかったのだ。だから私はとっさにそんな嘘をついた。
それでも子供は残酷である。
私がとっさについた嘘は、すぐに「ウソ」だとばれてしまった。私の話にリアリティがなかったからだ。私は、自分のお父さんがどこに「テンキン」になったのかはおろか、「お父さん」の名前を言うことすらできなかった。それこそ嘘に嘘を重ねればよかったのだが、幼い私には、嘘を嘘でつきとおすだけの覚悟と勇気がなかった。だから、友達はみんながみんな私のことを「嘘つき」とバカにするようになった。
それからというもの、私は保育園でも一人で遊ぶようになった。一人で静かに積み木を重ね、そして壊す。不思議と「壊す」という行為に何も抵抗は感じなかった。保育園の先生にも心配された。あまりにも私がずっと一人でいるからだ。
でも私はその度に愛嬌を振り撒いて、先生に心配を掛けさせまいとした。それはたぶん意図してやったわけではない。自然とそんなそぶりが身についたのだ。
自分を守るために、私はお母さんが何を考えていて、どんなことをすれば殴られなくていいのかを自然と考えていた。その延長線上で、私は人が何を考え、そしてその時どうすれば人が喜ぶのか、自然とわかるようになっていたのだ。
5歳だった私に生きる目的など分かるはずもない。絶望を感じるだけの頭脳もない。だから私は、ただひたすらに自分の世界を守るために、特に意識することもなく、笑顔を振りまき、そして人を寄せ付けまいとしたのだ。