第5節 決裂
私の中の疑念は消えなかった。むしろ深まっていくばかりだ。
美希と伊織の言葉を聞いて、私の心の中はどんどん混乱していった。
美希は、先輩は私と千早ちゃんどちらも好きなのだという。だけど、最近は千早ちゃんの「色気」に魅了されつつあると。そして、私との交際をためらう理由があるとも言っていた。私は、それは美希の考えすぎだと思う。先輩が私と付き合うのをためらっているのは、千早ちゃんと付き合うかどうか迷っているからだ。
そして、千早ちゃんは、密かに先輩と体の関係を持った。そんな「演技」はあり得ない。どっちが誘ったのかは分からない。でも、合意の関係を結んだ以上、二人の共謀だ。
怒りが募っていく。千早ちゃんに対してだ。間違いなく、最初先輩は私のことを愛していたのだ。それは一緒に過ごしてきてよくわかる。だけど、演技が始まってから、少しずつ変わっていったのだ。
千早ちゃんは、その持ち前の「色気」で先輩のことを誘惑した。演技にかこつけて、本気で彼のことを落としに行ったのだ。千早ちゃんが先輩のことを好きなのは、私は知っている。そして、みんなもそう思っている。
千早ちゃんは、この「演技」の中で、彼の心を変えていったのだ。そういえば、最初に私が先輩から作戦案を聞いた時には、私が先輩とイチャイチャして、それで千早ちゃんが嫉妬するというシナリオだった。そして私が襲われるところを先輩が助ける。ちょうど、今やっているプランの真逆をやるはずだった。
ところが、千早ちゃんがその「逆転」を主張してきた。「春香を危険な目に合わせたくない」。それが動機だったはずだ。だけど、それは最初から違う目的だったのではないか。「演技」を通じて、先輩を虜にして、婚約が切れたところをかっさらう作戦なのではないか。
今から考えれば、そうとしか考えられない。事実は非常に単純だったのだ。これ以上に単純な事実はない。千早ちゃんは、私を裏切った。そしてそれは、最初から計画されていたことだったのだ。
彼女がこんな形で逆襲してくるとは思いもしなかった。私は彼女のことを信頼していた。本気で私と彼の門出を祝ってくれていると思っていた。だけど、それは違ったのだ・・・。
千早ちゃんへの憎しみがわいてくる。こんな形で私を裏切りながら、今も平然と枕を共にしている彼女に、言いようのない怒りが湧いてくる。
私としては、このまま悶々とし続けるのは嫌だった。幸か不幸か、彼女は常に私の隣にいる。サークル内では、犬猿の仲を演じていても、家庭内では普通の「家族」。
だから私は、敢えてそのことを追及してみようと思う。千早ちゃんの化けの皮をはがしたい。心の奥底で、いったい何を考えているのか、私はそれを探りたい。
あくる日の夜のことだ。午後11時半時頃、バイトも終わって、家に帰ってすでに食事も入浴も取り終わっていた。あとは、布団を敷いて眠るだけとなっている。そんな折のことだ。
千早ちゃんは、机に向かって英語の課題をしていた。私はテレビに向かって、先輩から借りたFF10の続きをしている。
私はセーブポイントでゲームを中断した。千早ちゃんに、この間のことを聞くためだ。
「春香、もう寝るの?」
もう少しゲームを続けると思っていたのだろうか。不意にゲームを中断してしまったので、千早ちゃんは聞いてきた。
「どうしようかな・・・。」
私はそういいながらも、ゲームの電源を落としていた。かといって、布団を敷くわけでもなく、壁に寄りかかって、千早ちゃんの姿を見つめている。
見つめられていることに不快感を覚えたのか、彼女が私に尋ねる。
「どうしたの春香?」
「・・・・・。」
私は何も答えない。千早ちゃんも気にせず課題を続ける。なおも関係なく、私は千早ちゃんのことを見つめている。
私は考えていた。なんて切り出そうか。直接あの日のことから聞いてしまおうか。それとも回りくどく、順を踏んで聞いていこうか。
回りくどく聞いていくと、千早ちゃんに警戒される恐れがある。ここは単刀直入、電光石火で千早ちゃんに追及を仕掛け、考える暇を与えないほうがいいだろう。あとはタイミングだった。
「春香?何してるの?」
ずっとこちらの方を見据えられているのを恐ろしく感じたのだろうか。殺気だった私の雰囲気を感じたのか、千早ちゃんの背中は妙に緊張しているように見えた。
仕掛けるなら今しかない。私は、思い切って話を切り出した。
「この間朝帰りした日、本当に美希とカラオケに行ってたの?」
千早ちゃんの背中がますます凍り付いた感じがする。明らかに、千早ちゃんにとって聞かれたくはない話題のはずだった。
「本当よ・・・。」
彼女は力なく答える。私はさらに追及する。
「カラオケに誘ったのは、美希なの?」
「そうよ。」
「でも、美希は千早ちゃんに誘われたって言ってたよ。」
彼女の反応を見る。千早ちゃんのペンの手が止まったのがわかる。しまったという顔をしているのだろう。背中越しにも動揺が見て取れる。
「そんなの些細なこと。」
「美希、最後には嘘だったって白状したよ。」
もちろん美希が白状したという話は嘘だ。美希は最後まで一応「嘘」を貫き通していた。
「そんな!どうして、美希が・・・。」
「千早ちゃんが話を合わせるようお願いしたんでしょ。」
しばらく無言のあと、千早ちゃんはついに認めた。
「ええ・・・。そう。」
やっぱりそうだったか。
「じゃあ、あの日は、本当は何をしていたの?」
彼女の背中は答えない。
「千早ちゃん!」
私の怒りの込められた声に、彼女は体を震わせた。
「・・・望月先輩と会ってた。」
「一緒に泊まったんだ。」
「・・・ええ。」
千早ちゃんはついに白状した。
「Hなことしたんだ。」
千早はちゃん黙している。自分の口からは認めたくないみたいだ。でも、何も語らないことが、それが何よりの証左だった。その瞬間、私の心の中で、言いようもないほどの強い怒りが湧いてきた。
私は体を動かして、千早ちゃんの前までやってくると、硬直して動かなくなっている彼女を強引に私の正面に向けさせた。その顔は、苦痛でどこかゆがんでいるように見える。
「千早ちゃん!どうして、私を裏切ったの!?」
「裏切ってなんて・・・。」
「嘘は止めて!」
私は右手で千早ちゃんの左ほほを強くビンタした。千早ちゃんは、勢いに圧されて、そのまま横に倒れこむ。
「春香・・・ごめんなさい。」
千早ちゃんは、右手で倒れ掛かった体を支えながら、左手で左ほほを抑えている。
「最初からそういう魂胆だったんでしょ!私から先輩を奪う。だから、千早ちゃんは、自分が先輩と結ばれる役を買って出た、そういうことなんでしょ!」
千早ちゃんは、首を横にふる。
「嘘つき!だったら、どうしてそんな役買って出たの?別に私で全っ然よかったんだからね!私が最終的に結ばれるんだから、私が襲われて当然なのよ。それなのに、どうして自分が襲われるって買って出たの?そんなの、先輩とイチャイチャしたいから、彼を奪いたいからに決まってるじゃない!それ以外にどんな理由があるっていうのさ?」
強い口調で彼女に迫る。千早ちゃんは、涙声で、振り絞るように声を出しながら答えた。
「それは・・・あなたを、春香を傷つけたくないからよ・・・。」
「そんな見え透いた嘘なんかやめてよ!どうして、千早ちゃんがそこまで私のことを庇おうとするわけ。理由がわからないよ。だから、私わかっちゃったんだ。千早ちゃんが、先輩をわがものにしようと考えている。そうすれば、全てが説明できるの。実際、千早ちゃんは我が物にしてしまった。これをどう説明するわけ?」
強い剣幕で迫る私に、千早ちゃんは何も答えられなかった。やっぱり、図星を突かれたのだ。千早ちゃんは倒れ掛かった姿勢を保ちながら、ほほを抑えて、固まっている。私はそのまま横に行き、壁にもたれかかってうなだれていた。
「春香・・・。信じてくれなくていいから、私の話を聞いて。」
しばらくして、千早ちゃんが口を開いた。
「春香・・・これは出来心だったの。だますつもりなんて全然なかった。」
「出来心ね、ずいぶん計画的なように感じるけど。」
皮肉のひとつでも言わないと、やっていられない。
「私は・・・本当に・・・春香から先輩を奪うつもりなんて、微塵もなかった。私が先輩を好きでいるのは、本当に演技だった。確かに私は先輩のことが好きよ。だけど、私はずっと自制してきた。演技の範囲で収まるように、コントロールしてきたの。」
「じゃあ、どうしていきなりそれを飛び越えたわけ?」
千早ちゃんは、何かを迷っているようだ。
「千早ちゃん!」
私は千早ちゃんに迫った。彼女はうつむいて、答えようとしない。そしてしばらくして発せられた言葉は、私にとって衝撃のものだった。
「先輩は、私たちの過去を調べている。」
私たちの・・・過去?
「どうしてそんなものを・・・。」
「わからない。先輩には先輩なりの考えがあるんだと思う。見定めているのかもしれない。結婚するのにふさわしい人物なのかどうか。」
「まさか・・・千早ちゃん。」
もしかして、千早ちゃんは私の過去を話してしまったのではないだろうか。私がレイプによって生まれた人間で、そして千早ちゃんの父親を殺めた人間であると。そのことがばれたから、先輩は私との結婚の約束をなきものにしようとしているのではないか。
美希は言っていた。「私と付き合うか悩んでいる」。その悩んでいる原因が、私の過去なのだとしたら・・・。それを話した人間は、一人しかいない。
「大丈夫。春香のことは何も話していないから。」
千早ちゃんはすぐに応答した。本当なのだろうか。
「話したのは、私のことだけ。私が父親にレイプされて、それで男性不信になって・・・っていうことだけ。」
「・・・信じていいんだね。千早ちゃん。」
「ええ。」
私は首をひねり、千早ちゃんの表情を見ようとした。だけど、千早ちゃんは髪が前に垂れ下がり、顔を隠すようになっている。私には、彼女の表情をうかがうことはできなかった。
「で、千早ちゃんは、どうして先輩に抱かれたわけ。」
「私の父親のことを話して・・・。それで先輩が・・・。」
「わかった。そこから先は言わないで。辛くなるから。」
そこから先は言わなくてもわかる。きっと先輩は千早ちゃんの男性不信を解くために、敢えて荒療治を試みたのだ。そして千早ちゃんを抱き寄せた。大方そういうところだろう。
「ごめん・・・。春香。でも信じてほしい。私が先輩に抱かれたのは、その1回だけ。この間の1回だけなの。それ以外で抱かれたことは無い。」
私は千早ちゃんを見下した。その表情は彼女の青髪のせいで見ることはできない。その声色は、本当に後悔しているようにも聞こえる。だけど、それももしかしたら「演技」なのかもしれない。
「それを信じて、それから私はどうすればいいの。二人が結ばれあっていくのをただ見守っていけばいいの?」
嫌みったらしく言ってみた。抱かれた回数はこの際関係ない。問題なのは、二人が惹かれあっているということだ。
「春香、先輩は私に確かに言ったわ。自分は春香と結婚するって。大丈夫、私は、先輩は春香のことが嫌いになったとは思ってない。先輩は、最後は春香と結婚してくれると思う。」
「でも、先輩は千早ちゃんの方が私よりも好きなんでしょ。だから、私なんかより千早ちゃんを先に抱いた。違う?」
千早ちゃんは右腕がしびれたのか、体勢を変えて壁にもたれかかった。千早ちゃんは、髪をかき上げ、私に表情を見せた。その顔は、涙をこらえて苦しんでいる様子だった。
「春香、作戦が延期になったのは知ってる?」
作戦・・・ああ、先輩が言っていた。
「昨日先輩が言ってた。それが?」
「さっき言った言葉には続きがあるの。『うまくいけば、僕と春香と千早、3人で仲良く暮らしていくことだってできる。』彼は確かにそう言っていた。」
そんなことを・・・。
千早ちゃんが語る。
「先輩は、私のことも、春香のことも愛しているのよ。どちらか選べないほどに。春香、先輩を待とうよ。先輩には何か考えがあるはず。そして、それがうまくいけば、こんな醜い争いなんてしなくて済む。それで3人で一緒に暮らそう。いいじゃない、二人で共有すれば。私たちはいびつな家族でもいい。それで幸せならば。」
2人で共有・・・3人で一緒に暮らす?
「千早ちゃん・・・本気でそんなことできると思っているの?」
「私は本気よ。」
「バカじゃないの!」
私は大声を張り上げた。現代のこの一夫一婦制の世の中で、一夫多妻なんて成立するはずがない。ちょっと常識で考えればわかりそうな物、千早ちゃんは本当にそんなことが実現できるって考えているんだろうか。
「春香・・・。」
「そんなこと実現できるわけじゃないでしょ。ここは日本なのよ。どうやって一夫多妻を実現するわけ?それに彼は財閥のトップになる人間でしょ。いわば有名人なんだよ。二人も妻を囲うなんてできるわけがない。ちょっと考えればわかることでしょ。そんなこといつ言われたのか知らないけど、千早ちゃんは騙されているんだよ。」
「そんな・・・」
千早ちゃんは、ショックを受けているようだった。何か反論しようと口をもごもごさせているが、反論なんてできるわけがない。こんな突拍子もないこと、実現できるわけがないことは、すぐにわかるんじゃないのか。
「千早ちゃんは、どうするつもりなの?」
「どうするって?何を?」
「3人で暮らすなんて無理。結局、先輩はどちらか選ぶしかない。でも、先輩はきっと千早ちゃんを選ぶと思う。千早ちゃんは、そこでどうするつもりなの。彼の愛を受け入れるの、それとも私に譲るわけ?どっち?」
意地悪な質問なのは分かっている。だけど、それを聞かないことには、いかないのだ。私にとっては。
「私は・・・。先輩を・・・春香から奪うつもりはないわ。」
その表情は、血の気を失ったかのように白かった。呆然としている様子だった。
「本当なの?千早ちゃん?」
「・・・・ええ。」
少しの沈黙の後に、千早ちゃんは肯定した。
きっと嘘だ。千早ちゃんが彼を捨てるはずがない。そもそも、先輩の方が千早ちゃんを愛しているのだ。彼のことが好きなのに、彼に迫られて、それを千早ちゃんが拒めるというのだろうか。この前は、あっさり体を許したというのに。
「私ね、昨日、彼に体を預けようとしたの・・・だけど、拒まれちゃった。今まで何度も私は先輩のことをホテルに誘おうとした。愛し合おうとした。だけど一度たりとも応じてくれたことはない。」
千早ちゃんは、聞いているのかいないのか、表情を変えずにどこかを見つめている。
「それって、どうしてだと思う?」
答えは分かり切っている。先輩は、私よりも千早ちゃんを愛している。だから、先輩は千早ちゃんには体を迫っても、先輩が私に体を求めることは無いのだ。
「それは・・・。」
「たった一つしかないよ答えは。先輩は私なんかじゃなくて、千早ちゃんを愛してるんだよ。先輩が本当に結婚したいのは、千早ちゃんなんだよ。」
「そんな・・・私は。」
「もう正直、千早ちゃんが計画的に先輩を奪ったとか、そんなことは関係ない。事実として、結果として先輩は千早ちゃんの虜になってしまった。もうこの事実は変えられないんだよ。先輩が『3人で住もう』とか夢物語を言っているのは、千早ちゃんを安心させるため。もしも、私のことを捨てて千早ちゃんと結ばれたいなんて彼が言ったら、千早ちゃん絶対断るんじゃないの?だから、そんな夢物語を言ってお茶を濁した。それだけだよ。」
千早ちゃんは、何も言い返すことがない。真相に気づいてしまった、そんな顔をしているように見えた。
「ごめん・・・春香。」
私は千早ちゃんの謝罪を受け入れるつもりはない。千早ちゃんが私の大切な人を奪った。私を裏切った。その事実は、どうやっても変わらないのだ。
「ごめん、で済むと思う?」
「・・・・・。」
千早ちゃんは体を起こし、よちよちしながら、私の方に向かい、1メートルくらい手前で止まると、正座をして、三つ指を立てた。
「ごめんなさい、春香!」
千早ちゃんの土下座だ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい・・・。」
何度も何度も声を震わせて、謝っている。
「私、あなたにとてもひどいことをした。言い訳できないくらい、酷いこと。許してほしいなんてとても言えない。私はどうなってもいい。だけど、これだけは分かってほしい。私は春香の幸せを本当に、心の底から願ってきた!私は、春香が幸せになれると思って、今回の作戦に参加することにしたの。だって、春香は私の命の恩人だもの。私に光を与えてくれた人、私に幸せの意味を教えてくれた人、私に感情を与えてくれた人、だから私は、たとえ自分を犠牲にしても春香を幸せにしたい。本当にそう思ってきたの!だから・・・」
もう千早ちゃんの嘘にはこりごりだ。彼に抱かれておいて、今更どうしてそんな言葉を信じれるっていうの。それに、もう彼の心が戻ることは無い。私は終わったのだ。
「じゃあ、死んでよ。」
彼女が顔を上げる。
「えっ・・・。」
「千早ちゃんが、楓と刺し違えるの。そうすれば、邪魔者はみんないなくなる。私は、先輩と結ばれる。それでいいじゃない。」
「春香・・・。」
正直言い過ぎた。千早ちゃんのことは許すつもりはない。だけど、千早ちゃんに「死ね」なんて、酷いことだ。でも、「死んでよ。」という言葉が、私の中からあまりにもいともたやすく出てきていた。
「ごめん・・・言い過ぎた。今のは忘れて。」
千早は黙ったままだ。
「もう土下座は止めて。」
このまま千早ちゃんに土下座させ続けるのもなんか嫌だ。私が悪者みたいに感じる。
しかし千早ちゃんは三つ指を立てたままだった。
「もう私、寝るから。」
そう言い放つと、彼女を無視して布団を敷き始めた。
「春香・・・私・・・」
「もう寝るから!」
私は強引に言葉を遮った。
「もう・・・出ていったほうがいい?この家から。」
出ていく・・・。今まで当たり前のようにうちにいた。出ていく、今の私には、それが必要なのかもしれない。彼女を見ても、きっと怒りしか湧いてこないだろうから。
「好きにすれば。」
私はそう言い放った。彼女は何も言うことは無かった。