第18章 命 残り12時間 如月千早
第1節 ジャンケン
「いい加減落ち着いた?」
普段の春香の声だ。その声に、恨みを掛けるようなすごみはない。
「うん・・・。」
もう涙も鼻水も出し尽くしたはずだ。
私たちはタイムカウンターとは反対側の遠くの壁に腰をもたれて座っている。
「本当に、アンタ・・・千早ちゃんは自分の子を下ろしたの?」
「・・・おろしたと思う。」
「思う?」
「・・・まだ記憶がはっきりしてないの。だけど、多分産んでない。そんな記憶がないの。」
「思い出していないとかじゃなくて?」
「・・・多分そういうのじゃないと思う。」
春香が言うには、今の季節は春。5月末に妊娠したなら、もう産んでいてもおかしくはない。もしあれから数年たっていたのだとすれば猶更そうだし、そうでなくても産んでいないとなると、私は今臨月に近いはず。しかし私のお腹は引っ込んでいる。産んでないとすれば、堕胎した以外にない。
「なんでそんなことしたの!」
「・・・それが分からない。でも考え付くのは、多分・・・。」
春香に先輩を譲る為だった。私が子供を産んでしまえば、私を結婚相手にせざるを得なくなる。春香は結婚できなくなる。だからだろう。
「はあー、千早ちゃんって人間がなんだか分からなくなったよ。」
「私自身、何が何だかさっぱりわからない。それより春香、春香は冷静になった?」
「はっ?冷静?」
「うん。今までずっと、私への怒りと憎しみで我を忘れてたでしょ。私をこんな顔にしちゃうまでビンタしてくれちゃって。」
春香は思わず顔をしかめた。
「いいの、気にしないで。・・・悪いのは私なんだから。」
「・・・否定しないよ。」
「うん、それでいい。」
犯人の思惑は何なのだろうか。もう一度冷静に考えてみるべき時だと思う。残りはあと『11時間51分30秒』しかない。
「春香、もう一度犯人の思惑を考えてみようよ。犯人の狙いが何なのか。」
「・・・うん。」
犯人の狙いはそもそも何なのか。なぜ私たちに殺し合いをさせようとしているのか。
「春香、おさらいだけど、この事件の犯人が私たちのことを拘束した狙い、私たちに殺し合いをさせようとした狙いは何だったか覚えてるよね?」
「うん。千早・・・ちゃんの母親の復讐。自分の娘と夫が・・・死んでしまって、その死に関わった私たちへの復讐。」
「ええ。だけど、私の母親にこれだけの大規模な組織を動かせるだけの力はない。だから、この事件には黒幕がいる。」
「それが誰なのか、という話だよね。」
「そうよ。私たちは、この黒幕が『水瀬財閥』なのではないかと考えた。私たちを拘束したのは、事件の全体像を覆い隠すためのトリックで、真の狙いは望月財閥の後継者である望月俊を抹殺することだった。」
「だけど、あのスピーカーの男は、自分たちは水瀬財閥に雇われた人間ではないと明言した。それに目的は望月先輩を殺すことじゃなかった。」
「『追加ルール』と称して、サドンデスを入れることを明言したこと、それから望月先輩は絶対に生きて帰ることになった。このあたりがどうも解せないの。」
「どうしてこんなにルールを小出しにしてくるんだろうね。それに望月先輩の存在を最初から知らせなかったのってなんでなんだろう。」
私は目をつぶって考える。考えられるのは、この悪質な「ゲーム」それは、犯人たちにとっては、楽しい「ショー」だということだ。私は言った。
「犯人たちは、私たちに暗示をかけている。記憶を取り戻すタイミングが、ほぼほぼ操作されている。きっと、何もかも犯人側にとってみれば想定通りの行動なのかもしれない。きっと、望月先輩を持ち出すタイミングも、想定通りのタイミングだったんだと思う。」
「私たちが大学生活を始めるまでの記憶が戻るまで、犯人は待っていたということ?」
「そうだと思う。私たちがこうして仲違いするのも、予想通りだったのかもしれない。」
「じゃあ、あの時、私が千早・・・ちゃんを殺さなかったのは?」
「犯人たちは私たちが仲違した挙句、殺し合いをすると考えていた。だから・・・あそこで私が死ななかったのはある種想定外かもしれない。だけど殺さなかった場合のことも考えてあるんだと思う。きっとまだ何か隠し玉があるんじゃないかしら。サドンデスなんて意味不明なものまで用意されているんだから。」
末恐ろしい話だ。あのカメラの奥では、犯人たちがニヤニヤしながら、監獄の中を監視しているのだ。大よそ予定調和で進むイベント、あいつ等にはそれはさながら、台本がある「ショー」そのものなのだ。
「ねえ、千早ちゃん。さっき考えていたんだけど、今まで取り戻した記憶が正しいとすると、一つ大きく前提が変わる話があるよね。」
「?何かしら。」
春香がこちらを振り返る。その顔は、恐怖というよりか、悲壮に満ちているようだった。
「楓の件だよ。」
そうか。今まで私たちは、雪村さんは「生きている」という前提で話を進めていた。だけど、死んでしまったとなれば話が変わってくる。
「亡くなってしまったとなれば、雪村さんは、犯人の候補から外れるわけね。」
「違うよ千早ちゃん。むしろその逆。」
「どういうこと?」
「楓が死んでしまって、一番大きな影響を受けるのは誰だと思う?」
一番大きな影響・・・それは恐らく、雪村家そのものだろう。
「雪村家じゃないかしら。大事な娘を失って、しかも死んでしまったせいで、望月財閥との縁談もなくなってしまった。」
「当然、恨むよね。千早ちゃんのこと。」
なるほど、確かに雪村家がこの犯罪のスポンサーになることは十分考えられるわけか。
「それにもし・・・雪村家がこの事件のからくりを知ってしまったら、どうなるかな?」
この事件のからくり・・・。
私は春香に尋ねる。
「それって、この事件は、私と春香と望月先輩によってある種計画された事件だということ?」
「うん。もしそうだと知ったら、遺族の恨みは相当なものになるよね。こんな事件を仕組んでもおかしくないくらい。」
「娘の死を知った親族がこの事件のことを調べたら、この事件は私たち3人によってある種“仕組まれていた”。そのことを知った遺族がこの事件を徹底的に調べ上げて、その過程で私の母親に接触した。」
あり得ない話ではない。
「こう考えると、私たちの内2人を生かして返す理由もわかるような気がする。生きて帰れば、私たちは当然警察に事情聴取をされることになる。一体何があったのか。当然、この事件をマスコミも報じることになる。犯人の捜査が始まって、その過程で過去の出来事にも手が入る。」
「そうか、誰かが生きて帰らないと、『完全に事件が埋没してしまう』。」
春香は言う。
「雪村楓の死は徹底的に隠された。望月財閥の力によって。だけど、この事件はさすがに隠しきれない。この事件を捜査する過程で、先輩の恋人が千早ちゃんを殺そうとして返り討ちにあったということが分かれば、この事件も明るみに出る。その後、この事件のからくりを遺族が告発すれば・・・。」
なるほど・・・確かにその可能性は考えられる。だけどまだ解せない点がある。
「だとしたら、どうして望月先輩だけ必ず生かすことにしたのかしら?」
「それは・・・。」
春香も首をひねったまま、唸っている。そこまで考えている訳ではなさそうだ。
それに別の疑問も湧き上がる。
「それに春香、雪村家はこの事件が仕組まれているってそもそもどうやって知ったの?」
この事件が仕組まれていることを知っているのは、私たち3人、それから悟られてしまった美希だけのはず。
「まさか春香、誰か別の人に漏らしたりしてないわよね。」
「するわけないでしょ!・・・あっ、いや、伊織には話しちゃった。」
水瀬さんに!?ここでまたあの名前が出てくるとは。
「それ・・・致命的じゃない。」
水瀬さんが、雪村さんの親族に話した可能性は十分に考えられる。というより、ほぼそれじゃないか。水瀬さんとすれば、この事実を周りに言いふらすだけで、望月財閥に重大なダメージを与えることができる。
「でも・・・伊織がそんなことをするなんて・・・。」
「財閥の為なら、何だってするわよ。あの子はね。」
「そんな・・・。」
春香はひどくショックを受けているようだった。やむを得ないと言えば、やむを得ないだろう。
だが、ショックを受けている場合ではない。私たちはまだ大切なことを決めていないのだ。
「春香、もういい加減決めないと。」
「・・・・・。」
春香も何の話題だか察したらしい。
「死ぬのは私・・・だよ、千早ちゃん。」
春香の顔が暗くなる。その目には、また憎しみが灯っているようだった。
「いいえ、死ぬのは私の方。春香をこれ以上巻き込むわけにはいかないわ。」
春香は私の方を睨み付けた。
「何言っているの?あの人を射止めたのは、千早ちゃんでしょ!私なんてお邪魔虫は死んだ方が良いのよ!」
「本当に彼は、あなたのことを愛していたわ、生き残るべきは春香よ。」
「彼が愛してくれていたって・・・そんなのあり得ない!だって私は、彼に体を拒まれたんだよ!」
そうだった。どういう訳か、先輩は春香と付き合っていながら、春香のことを抱こうとはしなかった。付き合っていないはずだった私は抱かれたのに・・・。だけどここで私が怯むわけにはいかない。
「もしたとえ彼が愛していたのが私だとしても、彼が春香に振り向いてくれなかったとしても、あなたには生きていてもらいたい!ねえ、忘れてない?私たちには『お母さん』がいるんだよ!彼女と一緒に生きればいいのよ。明るい母親の下で、新しい幸せを見つければいい。ここで朽ちる必要なんてないよ。ねえお願い、いろいろと迷惑かけちゃったのは私。だから、最期に罪滅ぼしをさせてほしいの。確かに私、春香のことを幸せにしようと頑張ってきた。だけどそれは、春香が言うように、知らず知らずのうちに自分中心になってた。春香の為だと思っていたけど、でもそれは自分の為だった。そのせいで、春香にとんでもなく不快な思いをさせた。これだけは、本当に真心を込めて、あなたに捧げたいの!お願い!私の気持ち受け取って!」
私は春香の方を向いて土下座をした。春香の命を奪ってまで生きながらえるなんて、私には絶対に耐えられない。そんなことをすれば四六時中後悔の念に苛まれることになる。だから、絶対に私が死ななくちゃいけないのだ!
「・・・わがままだね。千早ちゃん。」
「そう。これは私のわがままなの!それは承知の上で、春香にお願いしたい。」
春香は天井を見上げて逡巡した。
「・・・ずるいよ、千早ちゃん。結局・・・あなたが死にたいのって、自分の自己満足じゃない・・・。」
「その通り。ただの自己満足よ。春香を殺してのうのうと生き残ることが怖いだけ。ただそれだけ・・・。ねえ、もう一度聞きたい。春香はどうして死にたがっているの?春香だって・・・死にたくは、ないんでしょ・・・?」
恐る恐る尋ねてみる。そして頭をあげてみる。春香の表情は、上を向いているせいであまりうかがい知ることができなかった。
「・・・正直な所、よくわからなくなっちゃった。何が何だかしっちゃかめっちゃかで、自分の中でも整理できてない。」
「だったら!」
「でもね・・・私怖いんだ。このまま生き残るのが。というか・・・この部屋から出ることが。」
「怖い?」
「・・・私たちをこんな目に合わせた犯人は、生き残ることになる。またその人物に復讐されるかもしれない。それに私は・・・いろんな罪を犯し過ぎた・・・。千早ちゃんの父親殺し、雪村さんの同意殺人の幇助、千早ちゃんへの殺人未遂・・・私は何年ブタ箱に入っていればいいの・・・?」
「証拠なんて何もない。あの人の死はただの自殺、それにあの事件から多分もう3年以上は経つと思う。そんな記録がまだ残っているとは思えない。それに、雪村さんの死は、確かに体裁の悪いものだったかもしれないけれど、あれだって、雪村さんの死によって全容は闇の中に葬られた。もう誰も追及する人はいないわ。」
「・・・私と先輩が生き残ったら・・・この事件を追及される・・・。」
「黙っておけばいい。警察には、余計なことを言わなければいい。」
「もしも・・・この事件を記録した映像が、公開されたとしたら・・・?」
「何ですって・・・。」
私は春香の言葉に慄然とした。
「すべて・・・撮られているんだよね、あのカメラで。」
そういって彼女は、カメラの赤い点を指さした。
「極限状態で撮影された映像、そんなのに意味があるとは思えないわ。」
「・・・逆でしょ。極限状態だからこそ、何もかも洗いざらい吐き出したとみるんじゃないかな・・・。どっちにしろ私はこれからブタ箱行きだよ。そんな犯罪者である私のこと・・・先輩が守ってくれるはずがない・・・。先輩は財閥の将来を背負っているの。犯罪者の私を妻として囲うなんてできない。」
「・・・ここを出た後のことは、確かに分からないかもしれない。だけど・・・あなたには、あと60年の命がある。仮に10年牢屋に入っていたとしても、春香はまだ30代。人生をやり直すなんて、いくらだってできる。」
「その時待ってくれる人は?」
「『お母さん』だけじゃ不満?」
「・・・犯罪者である私を・・・許してくれるはずがない。」
「あの人が、こんなことで春香を見捨てるとは思えない。確かに、私たちがしてしまったことは、取り返しのつかない事よ。今更後悔したところで遅い。でも、あの人は絶対に見放さない。だってそれが『お母さん』でしょ。」
春香は正面のタイムカウンターに目をやった。
残り『11時間43分20秒』
こうやって話しているだけでも、時間は無情にも過ぎていくのだ。
「ジャンケンで決めない?どっちが生き残るのか。」
「はっ?」
春香のあまりの提案に、素っ頓狂な声を出してしまった。
「じゃ・・ジャンケンで・・?」
「そう。それしかないと思う。誰だって死にたくない。幸せに生きていたい。でもそれって、誰もが得られる事じゃない。だとしたら・・・その機会は平等であるべきだと思うの。」
「で・・・でもそんなの、あまりにも不公平すぎるわ。私は・・・あなたをどれだけ傷つけたと思っているの!?その仕打ちを考えれば、どう考えても死ぬのは私じゃない!?」
「お互いに言い分はある。だからこそジャンケンで決めるのよ。遺恨がないようにねすべて天に任すんだよ。どうしてあの時私が生き残ってしまったのかって、ジャンケンでそういう結果だったんなら、お互い後腐れがないでしょ。」
正直な所、私は戸惑った。確かに春香の言い分はわかる。もうどうしようもないとは思うけど、だけど、こんな大事なことをそんな簡単に決めてしまってよいのだろうか。
「だけど・・・こんなことで決めるって・・・。」
「他に方法はあるの?二人ともが納得できる方法。」
「それは・・・」
そんなもの、見つかりっこないと思う。
「じゃあ、決まりね。ルールは・・・そうね3勝負制にしようか。先に2回勝った方が勝ち、その人が生き残って、負けた方を殺める。これでどう?」
強引な話だ。別に私はそれに同意したわけじゃない。けれど・・・あと12時間以内に決めるとなれば、多分それしかない。
「・・・いいわ。」
そういうと、自然と私たちは向かい合った。
春香が言う。
「『最初はグー』で始めるからね。」
「うん、分かった。」
「じゃあ、始めようか・・・。掛け声は私が出すからね。」
すべて天に任す・・・。春香はそう言う。でも私・・・「天」なんてもの、一番信用していないの。「天」は常に私たちの敵だった。生まれも、それから、私たちの人生においてもずっと敵。だから私・・・ズルするわ。
「最初はグー、ジャンケンポン!」
私の動体視力は、人より優れているのだ。テニスの成績は、我ながらよかった方だ。それは、私の動体視力が良かったからだ。だから私は、後出しができる。
ジャンケンは春香がグー、私はチョキだ。
「私の勝ちだね、千早ちゃん。」
「そうね。」
「じゃあ、2回戦行くよ。もしまた私が勝ったら、私がここから出る・・・。」
「そうよ。私はここで大人しくする・・・。」
空気が張り詰めた様子だというのがよくわかる。春香が神経質になるのは当然だ。このジャンケンの結果によって、二人の運命が決まるからだ。
でも私は、それすらも茶番にしてしまっている。こんなの冒涜的だ。でも私は、自分の命運は、自分で切り開く、そう決めたのだ。
春香に怪しまれないために、2回目は敢えて春香に勝たせておいた方が良い。
「最初はグー、ジャンケンポン!」
春香は再びグー、それに対して私はパーを出した。
「今度は、千早ちゃんの勝ちだね・・・。」
「これで一勝一敗。五分五分ね。」
「次買った方が、生き残るんだからね。」
「分かってる。」
緊迫感が部屋の中を充満する。ここで間違いは許されない。確かに2回とも、結果を操作することはできた。だけど、ここで間違ってしまったら・・・全て水の泡だ。
「最初はグー」
よく見るんだ。春香の手を・・・春香の心を!
「ジャンケンポン!」
「・・・私の勝ちだよ。千早ちゃん。」
春香はパー、私はグーだった。
「おめでとう、春香。生き残ってここから出るのは春香よ。」
私は笑みを浮かべた。
「・・・うん、ありがとう。」
当然だが、春香には高揚感などない。自分で提案しておきながら、このような、本人にとっては不本意な結果となったのだ。春香が元気ないのも頷ける。
「だけど、まだ・・・しないよ。まだあと11時間もあるんだから。」
タイムカウンターは、残り『11時間29分43秒』を表していた。