律は何かを決めるまで時間がかかる。
そんな律を優柔不断で臆病だと思わなくもないけど、きちんと想定されることを一つ一つつぶして行って、自分の納得できる結論を探す態度は真摯だと思える。
そして決めてしまえばあとはまるでぐるぐるしていた時が嘘のように直球で行動する。
だから煽って慌てて出した納得しかねる結論にはいつまでも迷いを見せる。
本当は焦らせたりしない方が良かったとは思うのだけど、長い喪失の不安から追い詰めるような態度を取ってしまうのは俺の悪い所で、そして一年経とうと二年経とうと追い詰めた挙句の結果には律が迷いを持ってなどいないと思っていたのは侮っていたからで、過信以外の何物でもなかったのだろう…。
今回こそは律はきっぱりと答えを出したのだと理解できた。
▽
翌日からの俺は付き合う前と同じように律に接するようにした。
でも律は以前とは違ってツンツンした態度を見せることはなかった。
突っ張る態度はなく丁寧に礼を取ってかわすというその他人行儀な態度に、あの不安定で焦れていた日々さえ甘い毎日だったと思わずにはいられない。
自分と律は何もかもが違うと初めて感覚で分かる。
こんな決定的なことがなければ分からない俺も大概だな…。
本当にもう律は俺のことは綺麗に清算してしまったんだな。
仕事をしている時はいいんだけど一人になると途端に駄目だ…。
気が滅入って何も手につかない。
▽
「最近高野さんってちょっとあれだよね…。」
木佐さんが赤字チェックのペンを振りながらすでに帰宅して不在の編集長の椅子を見て言う。
「あれって?」
美濃さんがやはり同じように赤ペンで校正をしながら本当は分かっているだろうに質問の言葉を投げかけた。
皆なんとなく「あれはあれだな」と分かっている。
どこまで誰が知っているのか分からないけど、おそらく俺と高野さんが変だとは分かってる。
たけど高野さんのことを口に出して言ったのは木佐さんが初めてだった。
「結構夜遊びもしてるみたいだし女の子の誘いも断らないっていうじゃない?」
そう、社内の女の子たちが色めきだっているのは、いよいよ高野さんも結婚とか真剣に考え始めているらしいという情報からだった。
俺が止めてしまった高野さんの時間が動き始めたならそれはそれでいいと思っている。
きっと俺が好きにならなければ高野さんをマイノリティの恋に引きずり込むことも無かったはずだ。
俺みたいに小さいことにうじうじして好きを持て余すような矮小な男より、世の女性の方がおおらかでエネルギッシュだ。
きっと繊細な高野さんに合う人がいるに違いない。
「ここ何回か結構遅い時間に色んな女性と一緒にいるのを見てさ、あんだけ忙しいのにパワーあるなって思ってさ。」
ま、俺よりずいぶん若いからねと木佐さんが自嘲気味に笑って雑談は終わった。
まあそれは、木佐さんもいい人がいるらしいのであくまでもポーズだとは分かっている。
30歳ともなると、だんだんとフリーでいることを世間が赦さなくなってきて、独身であることに周りが理由を求めてくる。
高野さんもそういう事なんだろうな…。
人の心って心臓の少し上にあると思う。
大きく息を吸うときに動くあたり。
だから何かがあるとキュっと痛んで息が出来なくなる。
片思いは得意の筈だ。自分で選んで今自分はここにいる。
高野さんの幸せを心から祈っています。
そのはずだ。
▽
割り切っていた筈なのに高野さんの話題にぐるぐるしてしまって、些細なミスを繰り返してその尻ぬぐいに追いまくられて、やっと仕事が終わったのは終電ぎりぎりの時間だった。
金曜の夜、駅は人が多かった。
仕事の人もアフターの帰りの人もこの電車を逃すとあとはタクシーを使うしかないからそれも致し方がない。疲れが染みている身体をドアに凭れかけたまま揺れに身を任せ、やっとのことで家のある駅のプラットホームに立つとベンチにだらりと座り込んでいる人に目が行った。
あーあ、どんなに混んでいても俺はこの人を見つけてしまうんだな…。
それはひどく酔っぱらった高野さんの姿だった。
こんなに酔うなんて。
誰かと一緒にいたのだろうになんで今は一人なんだろう?
『遅い時間に女性と一緒にいるのを見てさ」
急に木佐さんの言っていたことが脳内に浮かんだ。
女性に振られる高野さんとは思えないから酔いすぎて持て余されちゃったのか?
「高野さん、しっかりしてください。もう夜中ですよ。家に帰りましょう。」
放っても置けないので肩を掴んで軽く揺らして声を掛けると虚ろな目が薄く開いた。
「あ、律がいる?」
高野さんは見たことのないようなご機嫌な笑顔で俺の首に手を回して来た。
いつも酔っぱらって介助されるのは俺だったのに高野さんの醜態は初めて見る。
ただ、ご機嫌な様子からは悪いお酒を飲んでいるとも思えないからそれはそれでいいのかもしれない…。
さすがに俺が高野さんを背負っていくのは無理だったので、へべれけの高野さんに肩を貸しつつ励ますように声を掛けながらマンションにたどり着き、
「高野さん、家ですよ、大丈夫ですか?」
と言うと
「大丈夫だ~。」
と言う。
じゃあと手を放すと家には入らずその場にずるずると座り込んでしまうので、どうしたらいいのかと途方に暮れた。
俺もいつもこんなだったのかな?
今更ながらに恥ずかしくなって、高野さんのバッグから勝手知ったるとばかりに鍵を掘り出してドアを手開き、部屋に引きずり込むと、高野さんのバッグの中で携帯の着信の音が鳴った。
たまたま広がったバックの口から携帯の画面が見えて、そこに表示されているのは見たことのない名前で、それは最近会っているという女性の中の一人なのだろうかと思うと何だかざわざわと心が波だった。
こんなに酔ってなければ今頃はしかるべき所へ行っていたのかもしれないな…。
ぼんやりとその着信が切れるまで画面を見つめていると高野さんが胡乱な目で俺を見ていることに気が付いた。
居心地悪い。
自分から別れを告げたくせに嫉妬するなんておかしい。
「ちゃんと布団で寝てくださいね。」
馬鹿な想いを振り払うようにそう言って部屋を出ようとすると高野さんの手が俺を掴んで引いた。
呆気なく腕の中に納まると、手放したはずの場所が思いのほか気持ちよくて、胸の痛みが最上級に膨れ上がる。
このままでは童話のかえるのお母さんのように、吐けない息を溜め込みすぎてお腹がはれつしてしまう。
「寝れないから…、一緒に寝て…、律…。」
首元にグリグリと顔を押し当てられて半分泣いているような高野さんの声に張り詰めた気持ちがバツンと弾けてしまった。。
あんたはずるい。
平気な顔をしていたくせになんで今そんなことを言うんだ。
残酷でわがままなだめな人…。
▽
いい夢を見ていた。
ずっと眠れなくて、やっと寝たと思えば律を抱きしめている夢を見る。
目が覚めた時に現実はそうでないことが辛くて、夢を見なくて済むように正体を無くすほどに酒を飲んだ。
夕べも律を抱いている夢を見た。
律がキスをしてくれて、高野さんってかすれた声で呼んでくれた。
あの肌の感触も、身体の熱さも、それはリアルな感覚で、
でもやっぱり律はいなくて、
でも確かに誰かを抱いたはずだ…。
とうとう誰かを代わりにしてしまったのだろうか?
また昔のように俺は荒れていくのだろうか?
そんな自分をきっと律は軽蔑するだろう。
なんでだろう。
何もかもが思うようにいかない。
ただ好きなだけなのに。
人って難しい…。
続くよ。