英霊とマスターの交流は非常に重要なことだ。
主人と配下、遠方から命ずるのではなく共に前線へ赴いて戦うという間柄なれば、相互の信頼と連携が何よりも重要となる。マスターを持つ英霊と持たぬ英霊の間に大きな差があるとするならば、信頼し合った主従と嫌い合っている主従の間にも大きな隔たりが存在するのだ。
そして、余程大きな地力の差でもないかぎりは前者が後者を打倒するのが普通である。
それ故、カルデア最後のマスターは誰に言われるでもなく英霊との時間を大事にする。戦闘に関することでディスカッションを行ったり、食事や娯楽を共にしたりと様々だ。そして、その信頼や絆を育むため、カルデアの中でもセキュリティが硬い私室なれどインターコムで話しかければ扉は簡単に開かれる。
とはいえ、年頃の男の子の私室なんぞ早々訪れるものでもなければ、訪れるべきでもないので頻度自体は然程でもないのだが。大抵は各々好いた所で時間を潰しているか、死人が多数出てガラガラである居住区を勝手に使っていた。
「先輩、失礼しますね?」
が、空気なんぞ読めんし読まん、という連中は何処にでも居るものだ。先輩のお側役を自称して憚ることの無い後輩は、ちょっとした報告を持ってやって来た先輩の私室にて惨状を目撃すると目頭に皺を寄せた。
「おう、丁度良いところに来たな、マシュ」
「あ、マシュだー」
この日、立香の私室で怠惰に時を過ごしていた英霊は二柱。
一柱は立香の最大戦力の一つにして、日ノ本の大妖怪たる茨木童子だ。彼女は何処かから調達来ていた大判の専用座布団に腰掛け、周囲には各地から調達――収奪、あるいは略奪とも――してきた酒類、否、酒類だった瓶が大量に転がっていた。
もう一柱は発展と混迷の時代であった産業革命期の反英霊、水子霊が姿を借りたジャック・ザ・リッパーである。彼女はぷぅぷぅと穏やかな寝息を立てて眠る立香の腹に顔を埋め、楽しそうに両足をぱたぱたさせながら寝そべっていた。
レイシフトの予定が組まれない立香の安息日。特に何をするでなく穏やかに過ごして欲しいと多くの英霊が思う日は、どうやら二体の英霊によってあまり穏やかとは言えぬ展開に終わったらしい。よくよく見れば、ベッドサイドには立香が呑んだと思しきグラスもあるではないか。彼の国の法律では20を過ぎてからでなくば飲酒は許されなかったはずだが、カルデアは法律的に微妙な立地なので果たしてどう叱ったものか。
「で、茨木さん、この惨状は何なんですか」
「見ての通りよ。暇ゆえに立香で遊ぼうと思ってきてきてみれば、お遊戯の最中であったのでな。流石にそういう気分になれなんだので、仕方なしに酒を煽っておったのよ」
言外に釈明があるなら聞いてやると遠回しの皮肉を篭めて言ってやるも、鬼にそんなものは通じない。マシュとしては折角の安息日に何してくれてるんですか、と文句の一つも言いたい所だが、初期三本柱としてマスターからの信任も寵愛も厚い茨木には強く出づらくもあった。その上、例え本人は直裁に物を言われた所で、マスターが良いというのだから良かろうよと気にも留めなかっただろう。
茨木の気質を考えるのであれば最早主を酒で潰されたことに憤るより、魔力を吸われて安息日なのに返って疲れるという展開にならなかったことに感謝したほうが建設的かもしれない。斯様なある意味不毛とも言える思考を操りながら、主人の腹に顔を埋めて幸せそうにしているジャックにマシュは無言で感謝するのであった。寝台の片隅に折り紙やあやとり紐が落ちていることから、マスターは最初は彼女の相手をしていたのだろう。さしもの鬼も、親を求める童子から親を引っぺがし、その前で親とまぐわうような性癖は無かったらしい。
酔い潰すのは良いのかと聞かれれば果てしなく微妙であるが、ジャックは大好きなお母さんと一緒に過ごせてご満悦のようなので良しとしよう。これ以上注意したところで、茨木童子が茨木童子である限り改善のしようなどないのだから。
「マシュも一献どうか。駆けつけ一杯」
「いえ、遠慮しておきます。パッチテストで耐性が無いと分かっていますから」
「弱くとも酒精に酔うのは良いことぞ? 酔わねば出来ぬ事もあるからなぁ」
夜這いとかな、と哄笑と共に言われ、白すぎる後輩の肌が一瞬で朱に染まった。色々と乙女で普通の貞操観を持つ彼女には、自分から男性に迫って貪るという発想は些か過激に過ぎたらしい。それでも顔を真っ赤にしている辺り、想像自体はしっかりするたくましさはあったようだが。尚、目玉を要求するのは乙女なのか、という問は受け付けないこととする。
マシュは酒は勧められてもやるまい、と固く誓った。まぁ、誓ったところで酒精に弱い事実は代わらず、後日酷い目に遭ったりするのだがそこは一旦置こう。
「もう、昼間から先輩を酔い潰すなんて……」
「いやな? 吾もな? 気は遣ったんだぞ?」
流石にこの状態で報告もへったくれも無いので散らばった瓶を片付け始めるマシュと奇妙な弁解を始める茨木。この様で気を遣ったも何もあるまいよと思うも、枕元に置きっぱなしのグラスを手にしたマシュは違和感を覚えた。
ワインの甘い香りなれど、そこにピリリと混じるスパイスや柑橘類の風味。これはと思って小指を差し込み嘗めてみれば、舌に感じるのは微かな甘味と渋さであった。
「……ホットワイン?」
「おう、吾もな、一応は昼間から酔い潰すと婦長殿やらが喧しいかと思って、まぁ普段遣わぬ気を遣ってみたのだ」
ワインを温めスパイスや柑橘類、ハーブで味や香り付けをするのは本場でもよくやる呑み方であり、強い酒精を熱で飛ばす下戸にも安心な呑み方だ。軽い酒精と身体を温める効果によりナイトキャップにも最適とされるのだが……。
「……ああ、酔い潰れたのではなく」
「おう、安穏としすぎて寝入ったようだぞ」
「おかーさん、急に寝ちゃったの」
茨木だけの証言なら他にも呑ませただろうと疑いもしたが、純粋無垢なジャックが言うのなら信用も出来る。体温が上がりリラックスした上、子共の高い体温と柔らかさは抱き枕に最適だ。鬼が騒がしそうなのに目を瞑れば昼寝には丁度よかったのだろう。
「お疲れだったんですね」
瓶を邪魔にならぬ所に一旦まとめてから、マシュは可愛らしい寝息を立てる立香の髪を撫でた。また朝から清姫に手入れでもされたのだろう、丁寧に髪油が塗られたくせっ毛は、まるで子猫でも撫でているかのように心地よい手触りを返してきた。
さらりと髪が揺れ、普段は眼帯に隠れている右目が露わになった。愛おしむように瞼を撫でてみると、硬い義眼の感覚が返ってくる。彼が茨木に請われ、迷いも逡巡も無く差し出した瞳が埋まっていた場所。
対面で伏せられた瞼の下には、瑞々しい眼球が残されている。無残に取り出された右目と同じく、宝石を加工したような美しい青い青い瞳が。彼が二十年近く使い続けた身体の一部。それが手に入るのだと考えると、マシュの身体に甘やかな痺れが走る。唾液の分泌が活発になり、下腹の辺りにむず痒い感覚が訪れ、身体が無意識に震えを帯びた。
考えると頭が熱くなってくるのだ。先輩がくれるという、何にも変えて美しい瞳をどうしようかと。
彼は人理を救った後ならば、その目をくれると言った。人理を救い終えた時、自分の身体がどうなっているかは分からない。その日まで仮初めの英雄として酷使された、作り物のこの身が保つのだろうか。保たないかもしれないし、保つかもしれない。定期チェックで示唆される可能性を考えるなら、期待はしないほうが良さそうだ。
それでも先輩は自分に目をくれるのだろう。屍に添えてくれるのでもいいし、貰った後に抱えて冥府へ落ちていくのでも良い。どのような有様であったとしても、彼の目と共に逝けることを考えるとマシュは幸福な気持ちになれるのだから。
先輩はそういう方なのだ。求められれば求められただけ、自分が愛されただけ愛してくれる人。生きている死んでいるは関係ない。きっと、忘れて欲しいと言わない限り、先輩はずっと愛し続けてくれるのだ。
ああ、全ての人理を守り抜く旅路を見届けた瞳は、どのような輝きを魅せてくれるのか。
知らずの内に熱っぽい嘆息が溢れた。部屋の中に充満した酒気にあてられたのか、体温が上がってしまっているのが分かった。ジャックが不思議そうに此方を見上げているが、マシュとしては何ともし難い。このまま起きるまで寝顔を眺めていたい気もするし、不遜ながら起こしてその瞳を見つめたくもある。
「ふん……なぁ、マシュよ」
「えっ!? あっ、はい!?」
知らず知らずのうちに寝顔へと間合いを詰めていた後輩は、背後からかけられた鬼の「何やってんだコイツ」とでも言いたげな声によって現実へ引き戻された。焦ったまま復帰していない頭に、冷めやらぬ熱と下腹の疼きが鬱陶しい。
「目の処遇は決めたのか?」
「処遇、ですか」
おうよと鬼は笑い、ぞろりと長い人外の舌をさらけ出した。それを見てジャックは蛇さん蛇さんと笑うが、蛇と違って肉厚の舌には可愛げはない。童女の口からまろびでている舌は人外が持つ恐怖のファクターであるが、まるで挑発するように蠢く様が何を意味しているかは明白だ。
食うのかと聞いているのだろう。
茨木童子は人食いの人外であり、捧げられる生け贄を喰らうのは望むところだし、気に入った人を攫って喰らうのは最も好むところ。彼女としては食べる一択であるが、他の選択肢があることは知っており興味を示しているのだ。
食べる以外でベタなところであれば、トロフィーにすることだろうか。水気の多い眼球だけにやり方は限られるが、保存処理を施して飾るというのは大いにあり得る。茨木は美味として記憶を霊基に刻んだが、マシュは人としての味覚を持っているから美味いとは思えまい。それならば飾った方がいつでも見られるし、手元にずっと残しておけるという意味でも分かりやすい。
「うーん、まだ迷っているんですよね」
「ほう」
しかし、この盾の後輩は散々調べ物をした上で未だ迷っているようだった。貰うことにではない、貰った後の使い道にである。既に彼女の覚悟は完了しており――立香においては言うまでも無い――やっぱり大事なものだしやめておいた方が良いよねというチキンな発想がわいてくる領域ではないので当然だが、それでも乙女らしく好いた相手の身体の一部となると慎重に行きたいらしい。
「食べるのもいいと思うんです。先輩の一部が私の一部になるんですから」
「お、おう」
珍しく茨木が言葉を詰まらせた。純粋な美食として愉しんできた彼女にとっては、なるほどそういうのもあるのか、と何処かの輸入商のような感想を抱けど、どちらかと言えば些か理解し難い発想でもあったらしい。肉の身体を持つヒトと魔力で構成される偽りの身体しか持たぬ英霊の認識差のせいであろうか。
その上、狂気の滲む発言を乙女の表情で、しかも可愛らしく頬を手で覆いながら言うのだから始末が悪い。これが普通のおのろけであれば、どれ程よかったことか。
「ホルマリン漬けにして飾るのもいいですし、プラスティネーションっていう技術でも綺麗に残せるんですよ」
されど、彼女の口から吐き出されるのは、一般の恋乙女からは隔絶された発想である。それをさも恋人の良い所を列挙するように甘やかな声でするのだから、焦がれた乙女というのは恐ろしい。
盾の乙女の狂気はさておき、ホルムアルデヒト水溶液による古典的な固定化から最新技術に頼った保存、どちらも一長一短である。前者は収縮と石灰化の危険性があり、後者は手間が掛かる上非常に高度な技術が必要だ。どのみちDrロマンかダ・ヴィンチ女史の力添えがあれば適うだろうが、可愛がっていた娘のような彼女からそれを依頼される二人の心境は如何ほどのものか。少なくとも凄まじい勢いで目が曇ることは確定であろう。
「それに保存した後でもどうするかで悩んでいて」
「ああ、うん……」
「プラスティネーションはむき出しでも結構安全に保護できて、キャスターの方々の協力さえ得られれば素敵なアクセサリーにもなると思うんです!」
乙女の顔をして、目玉を加工してペンダントトップにしたらオシャレだと思いませんか? と語る少女にはっきり言って鬼は引いていた。直裁に食う、殺す、犯すというのは鬼の文化として馴染んでいれど、死体を使って未来の北米大陸だのどっかの森を彷彿させるアートをするような文化は無く、こういった好意がアレな方向にカッ跳んでいる様にも馴染みは薄い。彼女らにとって人とは玩弄しても、最終的には喰らう対象であったのだから。
なればこそ、異常な存在たる鬼からしても、あの源氏の頭領がヤバく思えたのかもしれない。
「でもやっぱりガラス瓶にいれて飾るのも捨てがたいですし、そのガラス瓶にしても肌身は出さず持ち歩けるサイズか、余裕がある大きなサイズで落ち着いて飾るとかも……」
人は好きな物を語る時ほど饒舌になるという。話について行けない鬼と、最初から興味を失っている殺人鬼は黙って後輩の妄想を聞き流すことにした。その加工する目を持った当人が寝ている横で堂々と語る胆力は素晴らしいと言えば素晴らしいが、彼女が取り返しの付かない領域に至っていることの証明にもなる。
正しく本気にて大業は成らず。人理を救おうという代償は、これほどに大きいのだ。
鬼は恍惚としている後輩をさておき、寝入る立香の右手を撫でた。男児らしく筋張り、人理救済の旅路で現代の若者らしい柔らかさを喪った手。鍛えられた戦士の手だ。
しかし未だ年若い故に瑞々しい皮膚と、その下に隠された引き締まった肉の感覚を堪能しつつ、はてどうやって話題を振ったものかと考える。
茨木は今日の酒宴で一つの約束を取り付けていたのだ。自身の霊基に刻まれた逸話に関わる約束であると同時に、昨日盾の乙女から受けた“可愛らしい”意趣返しに対する反撃と回答の誓いを。
ただ、ここまで夢見心地で幸せそうに語っている姿を見ると――内容は兎も角――邪魔するのも悪い気がする。一発どついて正気に戻らせることも考えたが、まぁ楽しい事は後に置いておくかと考え直し、鬼は自前の瓢箪から火酒を煽った。
果たしてこの拗らせた後輩と、己の主人は何処に行き着くのであろうか。最後には是が非でも自分が喰らってみせるが、それを見届けてからというのも楽しそうだ。
それに立香は“英雄”としての道を歩いている。否、歩いてしまった。
正気で大業を成し遂げられないのと同じで、正気で無い者がまともな生涯を送れるはずもない。それこそ大英霊と讃えられ人理にその名を残した者達、彼等が平穏に死せたケースの少ない事よ。英雄とは和に死ぬことが能わぬ存在なのだ。
トロイアのヘクトール、ギリシアのヘラクレス、ケルトのクーフーリン、皆何れも死に様は凄惨であり救いがあるとは言い難い。英雄とは偉業の後に排斥、或いは殺されることが宿命づけられている。なれば、立香が例外とは言えまい。
彼は魔術師ではない一般の家から輩出された、いわば当初は予備の予備であった。それが魔術的な偉業である人理救済を成せばどうなるか。有した莫大な魔力と様々なサーヴァントから受けた影響を鑑みるに良くて種馬、普通の流れであればマシュが無想するのとは違う形での“標本”となるだろう。
まことに碌でもない話であるが、英雄としては順当な最後だ。
されどカルデアのサーヴァント共がそれを認めるか。断じて否であろう。
人理を救うために現れた者も居るが、立香の人柄に惹かれてやって来た者も居るのだ。特異点で縁を結びやって来た英雄は多くが後者であり、彼等は許されるならば人理が修復された後も現代へサーヴァントとして現界し続けるであろう。カルデアの英霊召喚ならば、聖杯戦争の英霊召喚とは異なり十二分にそれが能うのだ。
結果として英霊と現代魔術師が殺し合う血みどろの抗争が起こりえる。
果たしてそれを己がマスターは良しとするだろうか?
「こやつはきっと、請われれば旗頭になるのに躊躇はするまいなぁ」
酒精の濃密な吐息と共に茨木はやるせなさそうに呟いた。
この主人ならばやるだろう。請われ望まれ、心から頼られれば望んで配下共を嗾けるだろう。自分のためではなく、自分の生存と安寧を望む従者達のために。ただ、果たしてそれが幸せかは、鬼には理解できなかった。
むしろ英雄の絶頂期に己が喰ろうてやった方がマシなのでは、とすら思える。
美食として世界を救った英雄を喰らうのは楽しかろう。復讐に狩られた他の英霊共と殺し合うのも楽しかろう。
だが、この男が玩弄されるのは我慢ならぬ。蛞蝓が如き魔術師共の思惑に従ってなどなるものか。きっと、きっとこの男は人理を救う。ならば、それを喰らい汚れた手から“攫う”のは鬼の仕事であろう。
鬼とは古来から人を攫い、喰らう存在なのだから。
「ん? 何か言いましたか? 茨木さん」
「いや? 汝の聞き間違いであろうよ。くはは、酒もやらぬのに酔うとは器用な奴よ。いや、色恋に酔っているか?」
誤魔化し混じりのからかいは上手く後輩の意識を逸らし、顔を真っ赤にした彼女はぽかぽかと可愛らしく鬼に殴りかかって照れ隠しをし始めた。軽く見える一撃なれど、鬼でなくば普通に昏倒しかねない痛打をいなしながら、鬼はひっそり微笑んだ。
さて、人理を救った後にという約束が通るのなら、その命が欲しいと願われればどうなるか、自分以外で次に気付くのは誰であろうかと…………。
わぁい、週間一位、しゅるーと週間一位だぁいすき。
冗談はさておき、望外なご支持をいただき真にありがとう御座います。何日か前は日刊でも一位でしたし、通常の日刊に比べて母数が少ないからランクインしやすいとは言え大変驚きました。
いやぁ、これはきちんと着地を考えないとなぁ……。